聖徳記念絵画館からの富士山(とその先にあるもの)
最近ニュースになっていますね。神宮外苑の聖徳記念絵画館前の通りから見える富士山。国立競技場が取り壊されて突如現れた富士山。山手線内の地上から見える唯一の富士山ではないかと言われています。
ここでこの富士山が現れた意味は大きいと感じます。
7年ほど前、実はこの富士山出現を予感させる記事を書いています。こちらです。この記事では、「(いちょう並木が)西に17度くらい傾いているんだそうです。知り合いの方の研究によると、その理由は…とてもここには書けません(笑)」などとミステリアスに書いていますが、実際測ってみると22〜23度くらい傾いていました。
そのいちょう並木と直角に交差する絵画館前の道が、実は富士山に向っていたということですね。
左の地図の赤い直線は撮影ポイントと富士山をつないだものです。ほぼ一致。
家康は江戸城からの富士山の眺めを大変気に入っていました。今回、絵画館のあたりからの富士山にも、ちょうど立春の日に太陽が沈むのですが、江戸城でもほぼ立春の前後(すなわち旧暦の元旦の前後)に富士山の頂上に沈む夕日を見ることができたようです。
富士山の中腹あたりまでその範囲を広げますとですね、実は江戸(東京)の中心、つまり皇居と富士山の山体をつなぐある程度の幅のライン上には、伊勢神宮があり、さらにその先には阿蘇山や高千穂峰など、皇室にゆかりのある聖地が並んでいます。
さらに反対側、東の方にそのラインを伸ばしますと、鹿島神宮があります。これらははたして偶然なのでしょうか。
少なくとも神宮外苑が富士山を意識して設計されたということは間違いないですね。
7年前の記事に書いたとおり、絵画館は明治天皇のご遺体が安置された場所です。明治天皇の出自についてはいろいろ異説もありますけれども、すり替え説にも関わってきているあの出口王仁三郎が密かに重要視したという愛媛は大洲の神南山もこのライン上にあります。そういえば、明治天皇が京都から東京へ遷る時、大洲の藩主加藤泰秋がその前衛を勤めていますね。なにか因縁がありそうです。
そして、これは私の興味の領域に関することなのですが、もう一つ偶然にしてはできすぎた図形を描くことができます。
絵画館と富士山頂をつないだ距離と全く同じ距離を北北西に伸ばしますと、ちょうど諏訪湖の中央に到達します。そして、その2本の線上、上の地図に矢印で示したところに、それぞれ山中諏訪神社奥宮(明神山)と精進諏訪神社(精進の大杉)があります。山頂からの両宮への距離もほぼ一緒です。
まあ、これは単なる偶然だと思いますけれども、立春の日の日没時には、東京へ行くのではなく、明神峠に行ってみようかなと思っています。そうすると、東京で皆さんが私の方に向ってカメラを向けるということになりますよね(笑)。
まあ、時間と空間を超えてなんだか面白いことがたくさんありますね。
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