第二次大本事件から80年
1935年12月8日早朝、世界史上類を見ない国家による宗教弾圧事件となった「第二次大本事件」が始まりました。
この事件については、今までも何度か書いてきました。今年の2月には二・二六事件とからめてこのような記事を書いています。その時には、のちに実際我が家が二・二六事件に巻き込まれる(!)とは思いもよりませんでしたが…そのことに関しては、そろそろ事件が収束しそうなので、いずれまとめます(驚愕の体験でした)。
今日は、この事件がのちの日本の歴史の雛型になっていたという説を紹介します。大本で起きたことが、ちょうど6年後に日本という国家に起きたというのです。
以下、尊敬する友人の運営している王仁三郎ドット・ジェイピーからの引用です。
第二次大本事件と太平洋戦争の対応表
9年7月22日 東京・九段の軍人会館で昭和神聖会の発会式を開く。この会の活動が当局を刺激して第二次大本事件へ傾斜して行く。
15年7月22日 第二次近衛内閣が組閣。陸軍大臣に東条英機。9月に日独伊軍事同盟を締結、10月に大政翼賛会を設立するなど、太平洋戦争への道を傾斜して行く。
10年12月8日 未明に第二次大本事件が勃発。当局は決死の「特高(警察)隊」を編成し水盃を交わし、島根県・松江の「宍道湖」の近くにある、大本島根別院に「滞泊中」の大本の「首領」王仁三郎を「奇襲攻撃」し、検挙する。
16年12月8日 「未明」に太平洋戦争が勃発。日本海軍は決死の「特攻隊」は水盃を交わし、ハワイの「真珠湾」に「停泊中」のアメリカ太平洋艦隊の「主力」に「奇襲攻撃」する。
11年4月18日 当局によって綾部・亀岡両聖地が不当に売却され、所有権が綾部町と亀岡町に移る。やがて両聖地を始め全国の大本関連施設はことごとく破壊されてしまう。
17年4月18日 アメリカ陸軍のB-25爆撃機16機が東京・名古屋・神戸などを空爆。本土初空襲となる。やがて日本全土は米軍によってことごとく破壊焼尽されてしまう。
20年9月8日 大審院(現在の最高裁)判決が出て、第二次大本事件が終わる。(この日、マッカーサーを最高司令官とする連合国軍が東京に進駐する)
26年9月8日 サンフランシスコ講和条約が締結され、太平洋戦争が終わる。
たしかに偶然にしてはできすぎている符合ですね。このあたりについて、王仁三郎の愛孫、出口和明さんが講演で詳しく解説してくれています。
和明さんは、私も公私ともにお世話になっている、現代文あるいは論理のカリスマ出口汪さんのお父さんです。
ちなみに我が家でお預かりしている耀わん「十和田」は和明さんと深い因縁があるようです。
大本(王仁三郎)にはこのほかにもたくさんの雛型(日付や日数の符合など)があります。それらはだいたい後になって分かるものであり、そういう意味では、予言ではありませんし、ある意味こじつけだと言われてもしかたがない部分もあります。
しかし、私にはどうしても偶然とは思えないのです。私自身も、世界がフラクタルな構造をしていると実感するような体験がたくさんあるものでして…。
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