南京事件から78年〜歴史という物語
78年前の12月13日、南京は陥落しました。翌14日、ちょうど今日から78年前に何が起きたのか。起きたことは、ある意味では一つしかないわけですが、その記憶、解釈となると、無数の物語が生まれ、そして成長してゆきます。
10月のユネスコ記憶遺産に関する日中の、あるいは日本国内での論争は、そうした「物語」どうしの衝突であって、いつまでたっても平行線、絶対に交わることはないでしょう。
皮肉なことに、歴史、歴史学というのは、そういう性質のものであり、なかなか科学たりえません。
私も個人的には南京事件に関する物語を常に持っていますけれども、それもまた、日々刻々と変化し成長してゆくものです。それをいかに客観的に見ようとしても、結局のところ、物語には聞き手がいるわけであって、自分はその語り手と聞き手の両方を兼ねることは難しいという現実にぶつかってしまいます。
今日はそうした物語性を考えるという意味において、二つの「一次的語り」を紹介しておきます。
非常に不謹慎な言い方になってしまいますが、語る方も聞く方も、どちらの「物語(ストーリー)」が好きですか、あるいは嫌いですか…という話になってしまうわけですよね。
私は、ちょっとずるいかもしれませんが、ちょうど真ん中あたりがいいような気がします。あったけれども30万はさすがに多すぎだろうと…。
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コメント
こんにちは。はじめまして。通りすがりのものです。ただの自由業者ですので、気を悪くされたら申しわけございません。おっしゃることはわかるような気もします。ただしこの問題に関しては、あったという事実から目をそらすために、数を問題にする風潮があるような気がしております。最初は「その事実はあったが、そんなに殺してはいない。その数はねつ造だ」から始まって、やがて事件そのものに対する「ねつ造だ」だけが残るという議論が多いと思います。「あった」ということはしっかりと確認しないと、また同じことが繰り返されるように思えて仕方がありません。
投稿: 風来坊 | 2015.12.17 13:54