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2015.11.30

『賢者の智慧の書』 大竹稽 (ディスカヴァー・トゥエンティワン)

Th__20151201_190518 著者の大竹稽さんご夫妻が遊びにいらしてくれました。短時間でしたが、実に濃厚で楽しい時間を過ごさせていただきました。
 初めてお会いした時から、本当に不思議なくらいお互いに波長が合い、また今日は伴侶どうしも初めて会うのに、その二人もまたまるで姉妹のような共鳴ぶりでした(笑)。
 不思議なご縁、まあ一言で言えば富士山の神様と仏様のお導きで出会った私たち、これからいったいどんなことをしでかしていくのか、本当に楽しみです。特に教育と仏教の領域において。
 そして、今日、この瑠璃色の美しい本を、学校図書館に一冊寄贈していただきました。そう、哲学の本とは言え、中学生でも実に気持ちよく読める本だと思います。
 哲学というと難解というイメージがありますが、全くそんなことはありません。今日も大竹さんと話しましたが、その要因の一つは、フランス哲学が「文学的」であるということだと思います。すなわちドイツ哲学などとは違って、科学的な厳格さよりも、ある種あいまいで多義的な部分を残していると言いますか、それこそが人間の本質であり魅力であるという信念に基づいた思索なのでしょうね。
 そう、私の哲学?で言うところの「モノ」性ですね。「コト」ではなく「モノ」。言葉や論理ではなく、目に見えないが確実に存在するもの。
 それは愛かもしれないし、人間そのものの存在かもしれません。そう、「人間愛」は言語化されないし、されるべきでないのかもしれない。神の愛は絶対だが、人間の愛はある意味無常であり、はかないものです。
 日本の哲学…と言っていいかは分かりませんが…とフランス哲学、いや哲学に限らず、両国の美術や音楽や文学までもが、不思議と親和性が高いのは、そうした「人間愛」への圧倒的な信頼があるからではないでしょうか。
 その無常なる、はかないものへの飽くなきアプローチこそ、本来の哲学なのではないでしょうか。答えの出ない問いの迷宮を旅することは、楽しくも切ないものです。
 そういう意味でも、この本の日本語は実に見事です。フランス語の絶妙なニュアンスやエスプリやアンニュイを、大竹さんは本当に見事に日本語として表現してくれています。
 単なる訳本ではありません。超訳というのも正しくない。これこそが翻訳だと言っていい。だから、読んでいて心地よいし、中学生でもすらすら読めるのです。
 そして、ご本人もおっしゃっていましたが、あえて解説を載せなかった。これがいい。その代わり、モラリスト3人の言葉を上手に並べ、編みこみ、一つの大きな物語として語っている。これは本当に素晴らしい仕事です。お世辞ではなく、こういうお仕事ができるのは、やはり読者という人間に対する愛が根底にあるからです。
 その結果、よくある名言集、箴言集のように説教臭くなることなく、まさに一つの文学を味わうように「体験的」に言葉が響いてくるし、浸透してくる。こういう読書体験は久しぶりです。
 なんか褒めすぎじゃないの友人の本だからって、と言われそうですが、疑う者は実際に手にとってみるべし。Kindle版もあるけれども、やはりこの美しい装丁も含めて「感じて」もらいたい。
 先哲の、編著者の切ないほどの愛が、このブルーにこめられていることを、誰しもが確認しないではいられないでしょう。
 贈り物にも最適だと思います。一家に一冊。ふとした時にふと開いたページを読むも良し。おススメです。

Amazon 賢者の智慧の書


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2015.11.29

吉岡秀人さん講演会

Th__20151201_10_26_39 日は安倍昭恵さんにお誘いを受けて、医者の卵の教え子と一緒にミャンマー祭りの講演会とシンポジウムに参加。
 本当に感動しました。感動なんて言葉では甘いな。遅ればせながらですが、人生変わったというか、生き方変えなくちゃという体験でありました。
 ミャンマーで多くの子どもたちの命を救ってきた吉岡医師。その行動の根底には、慈悲、利他、報恩、自他不二といった仏教的思想があります。もちろん、それは理屈ではなく、実践の末に至った境地であり、それがお釈迦様の体験的悟りと同じであったというだけの話ですね。
 私や昭恵さんがよく悩まされる「祈り」や「瞑想」だけで世の中は救えるのかという問題に対する、明確な答えがここにあると感じました。
 とにかく行動しなければならない。それも目の前の人間に対しての行動。理屈や利害は後回し。お金や人はあとからついてくる。限界を設けた時点で終わり。仏教、医療、教育、農業…。
 私が感じたこと、考えたことはいろいろありますが、吉岡さんの生き方から学ぶこと、感じることは人それぞれでしょうから、これ以上は語りません。
 今日も講演会の中で紹介されていましたが、吉岡さんが紹介された情熱大陸の動画をぜひご覧ください。

情熱大陸「吉岡秀人」1

情熱大陸「吉岡秀人」2

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2015.11.28

祝!世界一!

Th_medium_image 日は教え子の世界一を祝う会がありまして、司会とDVD編集の大役を務めさせていただきました。
 そう、なんと、我が校柔道部の高校2年生(中学校の2期生)の女子が、柔道世界ジュニア選手権で見事優勝し、金メダルを獲得したのです。
 彼女を中学生の時からずっと見てきた私たちにとって、この快挙はまさに夢の実現でした。いや、いや、夢の実現の第一歩かもしれません。
 彼女は、誕生日からしてオリンピックに深く関係する日ですし、いろいろな運と縁を持つ星のもとに生まれているんですよね。
 彼女が我が中学に入学した年、柔道界のみならず、私の格闘技マニアの間でも名の知られた、矢嵜雄大選手が本校の柔道部の監督に就任しまして、彼の得意とする寝技、関節技を中心にしっかり鍛えてもらって、中学時代に全中優勝で初の日本一に輝きました。
 いや、監督の力だけではありませんね。監督の奥様であり世界的な柔道家として知られる仙子さんのバックアップも大きい。
 もちろん、本人自身のまじめでひたむきな性格、負けず嫌いで苦労を厭わない精神性も、名伯楽の指導を人一倍吸収する要因であったと思います。
 高校入学後、ある意味監督の予言したとおり、ある種のスランプに陥りましたが、2年生になってからは、まさに快進撃。全日本カデ優勝、インターハイ優勝、全日本ジュニア優勝、そして世界ジュニア優勝と、その勢いはすさまじいものでした。
 監督も同じ優勝ロードを歩んだそうですが、それは3年生の時のこと。彼女は師匠より1年早くその快挙を達成してしまったわけです。
 これはもう、本当に東京オリンピックで金メダルというのが夢ではなくなってきました。もちろん、そんなに甘くないのが闘いの世界。特に彼女のいる57kg級は強豪揃いですし、故障などのアクシデントがいつ起きるかも分かりません。
 しかし、今日、彼女は力強く東京オリンピックで金メダルを獲ると宣言しました。ぜひ、そういう気概でこれからの5年間を過ごしてほしいと思います。
 それにしてもですねえ、まあ、ビデオの編集は大変でした。なにしろ、決まり手がほとんど崩袈裟固なんで(笑)。まあ、派手な立技、投技があるわけではないので、地味も地味。一般の人に見せるビデオ作品にするのは、まあ大変でしたよ。格闘技マニア的には、けっこう燃える(萌える)試合内容ではありますが。
 そんな彼女、いくら世界一と言っても、私たちにとっては、ある意味普通の中学生、高校生です。ホントにコイツ世界一なの?的な、まあ可愛い女の子です。
Th_61weo0otonl ちなみに世間では「柔道の能年玲奈」と言われていますが、ワタクシ的には能年よりカッコいい!と思います(笑)。
 そんな彼女、ちょうど昨日発売になったスポーツカードマガジン1月号の付録カードに採用されただけでなく、年末発売のかの「フジテレビ限定特典付!すぽると!BBMリアルヴィーナスカード2015ボックス」にも収録されるということで、ますます全国の期待を背負う存在になっていくこと間違いありません。
 ぜひ応援のほどよろしくお願い申し上げます。

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2015.11.27

『白魚』 熊谷久虎監督・原節子主演作品

Sim 日の続きです。原節子さんの女優人生において、大きな暗い影を落としているのが、この映画です。
 監督は昨日紹介した熊谷久虎。実は、この、仲小路彰と深い関係のあった熊谷久虎監督は、原節子の義理のお兄さんでした。つまり、原節子のお姉さんのダンナさんだったのです。
 そして、原節子の実のお兄さん会田吉男は映画カメラマンでした。この3人が集ったこの映画で悲劇は起きました。
 昭和16年に「指導物語」を監督した熊谷久虎は、その後、仲小路彰との活動に専念するため一旦監督業を休業します。
 戦後、12年ぶりにメガホンを握ったのが、この「白魚」です。この映画、富士山が重要な存在として描かれているのですが、その富士山麓のロケ中に悲劇が起きました。
20151129_91011 御殿場駅にて、構内と汽車を借りきっての撮影中、カメラのセットをしていた会田吉男と助手が汽車にはねられたのです。それが7月10日。会田は翌11日に亡くなりました。
 原節子は大変なショックを受けます。それはそうですよね。
 この事故がその後の原節子の女優人生に暗い影を落としたのは間違いありません。小津の作品におけるある種の「影」も、実はこのような実生活での悲しい出来事の現れかもしれません。
 兄の死後も気丈に撮影をを続けた熊谷久虎と原節子。作品は完成し、8月5日に公開されました。
 当時、仲小路彰は山中湖に蟄居していました。仲小路彰、富士山、原節子…この因縁(暗号)に興味が俄然湧いてきました。まず、この「白魚」を観なければ…ですね。

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2015.11.26

追悼 原節子さん 『指導物語』(昭和16年)

 節子さんがお亡くなりになっていたということで、とうとうその日が来てしまったかという感慨にふけっております。
 ちょうどこの秋になって、小津作品をいくつか見直し、やはりすごい女優さんだったなあ、この内面から溢れ出る気品と知性、そしてそれに覆い隠されながらも時折顕現する「女性性」はすごいなと。
 この美的バランスを持った女優さんは、結局その後現れていません。今、お元気でいらっしゃるのだろうかと、本当に思った矢先の訃報でした。
 本当にようやく、ようやくのこと、敬愛する小津安二郎監督のもとに行くことができたのですね。あちらでのお二人のお気持ちを考えると、ちょっと救われるというか、私も安らかな気持ちになります。
 今日は、そんな原節子さんのあまり知られていない出演作を紹介いたします。
 「指導物語」。この作品は映画ファンというより、鉄道マニアの方の方がよくご存知なのではないでしょうか。
 特にSLマニアにはたまらない作品でしょう。現在も静態保存されているC58 217の現役の勇姿が見られるのですから。そして冒頭から218との兄弟並走シーンですからね。記録としても非常に貴重です。
 時代的に戦意高揚映画と言える部分もないではないのですが、全体としてはなかなかよくできた人間ドラマとなっていて、ある意味当時の日本映画界のレベルの高さを見せつけられます。
 ちなみに、ワタクシとしてはですね、まあちょっとは映画マニア、鉄道マニアな部分もありますけどね、それよりももっとマニアックな観点でこの作品に注目しています。
 というのは、冒頭で歌われる「スメラ民の歌」が、どうも仲小路彰の作詞・作曲のようなのです。まだ確認はできていませんが、まず間違いありません。
 画面には「スメル音楽研究所」と出てきますが、これは川添紫郎が代表をつとめる音楽サロンで、仲小路彰を中心に、三浦環や原智恵子らが関わっていたようです。ちなみにこの映画の監督である熊谷久虎も仲小路彰に私淑しており、のちに「スメラ学塾」の中心的メンバーともなりました。
 そんなわけで、私にとっては、仲小路彰と原節子の接点をこの映画に観るわけであります。そんな視点で観ている人もあんまりいないでしょうけれど、私は気になります。
 原さんがどういう思想を持っていたのか。どんな精神性があの美を表出させていたのか。
 この映画に出演していた当時、原節子さんは成人したばかりですが、画面で観てお分かりのとおり、大変大人びて見えます。すでに大女優の風格がありますね。
 もうこの時代から大活躍しておられたわけですから、たしかに95歳にもなられますよね。原さんにとっては、本当に長い長い戦後が、ようやく終ったのでしょう。ご冥福をお祈りします。

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2015.11.25

KAO=S 『黒田節』

 やはやすごいPVですなぁ。富士吉田が世界へ。
 ロック・フォトグラファーの有賀幹夫さんを通じて知り合ったKAO=Sのニューアルバム「Dawn of the Planet Chaos」より「黒田節」。
 撮影の舞台は、私の勤める学校の母体である月江寺と、その末寺にして戦友が住職を勤める吉祥寺。
 私にとっては日常的な光景のはずなのですが、さすがプロの手にかかるとこんなふうになるんですね。世界はこのように編集されているのだな、人間の役目というのはこの世界、宇宙の再構成にあるのだな、と感じました。大げさでなく。
 ちなみにPVに多数登場する文字や、KAO=Sさんの新しいロゴを揮毫したのも吉祥寺住職です。月江寺住職もKAO=Sにすっかり惚れ込んているようです。
 もちろん、音楽もカッコイイ!黒田節…というか、民謡ってロックですよね。
 最近の自分のテーマ「日本のロックとは」の、一つの答がここにあるような気がしています。
 そして、それら答たちが富士北麓に引き寄せられてきている。これは何かありますな。楽しみです。
 ニューアルバム全体もすごいことになっていますので、また改めて紹介させていただきますね。まずは、この世界に誇るバンドを皆さんに知っていただきたい。
 そんなこんなで、富士吉田でロックの「何か」をやりたいと思う今日このごろであります。実現させます。

Amazon Dawn of the Planet Chaos

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2015.11.24

再びおススメ…ハンディ・ビデオ・レコーダー 『ZOOM Q2HD』

Th__20151126_8_02_55 化祭は終わりましたが、次々にイベントが迫ってきておりまして、なかなか重厚な(?)記事を書く時間がありません。
 今日はある意味記事の使い回し。同じものを二度おススメすることは基本ないのですが、改めてコイツの素晴らしさを感じたので再登場願いました。
 長時間高音質(!)録画が可能な機器として優秀なこのQ2HD。コンサートの練習や本番、あるいは学校行事の撮りっぱなし用には最高の製品です(以前紹介した記事はこちら)。
 実は昨日の文化祭の記録を取ろうと思い、コイツの電源を入れようとしたら、なんだか電源ボタンの感触がいつもと違います。結局電源が入らない状況になり、記録が取れませんでした。
 これは機械的(物理的)な故障だと判断して、さっそく今日分解してみましたら、やはりよくあるパターンの故障だったので、手元にあった消しゴムを利用して(笑)直しました。完璧に復活。
 そう、実はこのQ2HDは生産終了。同じコンセプトの製品は他社にもない状況でして、なんとしても修理して使い続けなければならないのです。
 後継のQ3HDは入力レベルの微調整ができなかったり、外部電源が使えなかったり、あんまりワタシ好みではないんですよね。
 やはりQ2HDが理想。特にモバイルバッテリーを使って、たとえば今回の文化祭のように5時間以上の長丁場のイベントを撮りっぱなしには最高のモデルなんです。
 そんなわけで、中古でもかなり高値がついていますが、音楽関係者はぜひ一家に一台備えていただきたいと思っております。

Q2HD公式

Amazon Q2HD

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2015.11.23

実写版うる星やつら 第6弾

Th__20151125_185932 学校の文化祭が盛大に行われ、好評のうちに終了することができました。
 多数のご来場まことにありがとうございました。毎年のことですが、本当に子どもたちの力はすごいと痛感しました。特に「成長力」。こうした行事を通じて、その準備期間と本番の濃厚な時間を過ごすことによって、見違えるほどに変化していく、そんな姿を目の当たりにできる私たち教員は、本当に幸せな職業だと思います。
 さてさて、「お笑い文化」担当の私が、1期生の時から制作してきた「実写版(プレスコ版)うる星やつら」。毎年、この文化祭の休憩時間に上映してまいりましたが、今年もまた1年生の熱演のおかげで名作(?)となりました。
 今作で第6弾になります。今年もまた、ここで全世界公開させていただきます。とは言え、こういうご時世ですし、ディテールが映らないよう、あえて小さく粗い画像に圧縮させていただきました。雰囲気だけ味わってみてください。
 今回は問題作「ラムとあたる 二人だけの夜」をベースにしました。原作にはけっこう教育上よろしくない(笑)シーンがありますので、そこはシナリオもうまいこと改編してごまかしてあります。
 では、こちらをクリックしてお楽しみください。

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2015.11.22

チョモ(ノラウェージャン?フォレスト・キャット)

Th_img_0907 んでもなく忙しいので、今日も軽めの記事で。
 あんまり忙しくて忘れていましたが、今日は「いい夫婦の日」でしたね。それにちなんだ話は…別にないので(笑)、今日は新しい猫を紹介します。
 そう、今日は「ペットたちに感謝する日」でもあるんです!ご存知でしたか?
 本当にペットたちには感謝したいですね。亡くなってしまった弥右衛門や新之介たちにももちろんですし、今いる3匹の猫たちにも大感謝です。
 え〜と、今いる猫は、古株から紹介しますと、下半身不随のミーちゃんと、世界的人気者のシローさん、そして、最近仲間入りした「チョモちゃん」です。
 先月、学校の近所の子猫4匹を保護しまして、うち3匹は学校の関係者のお宅で引き取ってもらいました。こういう時、学校に勤めているといいですよね(笑)。
 そして、最後に保護した長毛種の黒猫は、我が家で飼うこととしました。実は、ノラ時代から、「こつい可愛いな」と目をつけていたんです。それをとうとうゲットしたと(笑)。
 名前は長毛だから「チョモ」。なんと安易な…。ちなみにメスだそうです。家ではチョモ子とも呼ばれています。
 どうもいろいろ調べるとですね、チョモはノルウェージャン・フォレスト・キャットのようなのです。立派なたてがみ、イヤータフト(耳毛)、丸いお耳、そして性格や鳴き方。いろいろ総合しますと、やっぱりノルウェージャンだ。
 いや、立派なノラ猫なので「ノラウェージャン」かな(笑)。実際ノルウェーの森というより、野良の森って感じだし。
 シローさんは心が広いので、最初からどんな保護猫ちゃんとも仲良くしてくれます。ミーちゃんは気が強いおてんば娘だし嫉妬心が強いので、いまだにチョモとは微妙な距離を置いています。時々ケンカもしている。まあ、そのうち慣れるでしょう。
 それにしても、なんでウチには黒と白ばかり来るんだろう。というかシローさん以外はみんな黒。ま、黒が好きなのでしょう。今回も他の保護猫はみんな模様がちゃんとありましたからね。牛とか虎とか。
 というわけで、新しい我が家の仲間チョモちゃんをよろしくお願い致します。ものすごくモフモフしていて、触り心地が良い猫ちゃんです。ぜひ会いに来てください。


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2015.11.21

LEDテープ

Th_418oqmu9jnl て、昨日の話。山梨県民の日、私は上の娘と車で東京へ。
 最近、ETCの車載器の調子が悪く、今日は一度もゲートが開かないという最悪な状況…というか、もう開かないと覚悟しているので、あえて一般&ETCのゲートに行き、通行券をもらって、出口でその旨を伝えてETCカードで決済するという、なんともワケの分からん不便さを楽しんでおります(笑)。
 ま、割引は適用されるので、しばらくはこの妙な方法で高速道路を走りましょう(車載器を買い換えるお金とヒマがない)。ん?ということはだな…車載器を取り付けなくても…いやいや、それはダメでしょう人道的に(実際、どうなってるんだろう、そのへんのシステムは)。
 それはいいとして、今日は娘はベースのレッスン。ひょんなことからお世話になることになった、かの紅白でも演奏するビッグバンドのベーシストの方にたっぷり濃厚なレッスンをしてもらったようです。3時間半もですよ。なんという贅沢な話でしょう。うらやましい。
 娘がウッドベースと格闘していたその3時間半の間に、私はどこで何をしていたかというと、文化祭関係の買い出しで、秋葉原に行っていたのです。車で秋葉原行くのは初めてです。滞在(駐車)時間は12分でしたが。
 何を買いに行ったかといいますと、LEDテープの接続アダプターであります。さすがにそれはアキバじゃないと手に入らない。通販も可能でしたが、どうしても今日には手元にないといけない急ぎだったので、とにかく聖地、いや現地へというわけです。県民の日があって良かった…。
 さてさて、LEDテープですが、まあ時代は変わったものですねえ。Amazonで5m300連で375円ですよ!桁が間違ってるんじゃないかってほど安い。
 そしてこれがけっこう使えそうなんです。いろいろな装飾だけでなく、普通に室内の照明としても使えますね(もちろん、支那製なので、長時間使用についてはいろいろ問題がありそうですが)。
 青色LEDの発明がどんなにすごいことだったのか、本当に今、世界中が実感してるんじゃないですか。白色LEDも青色からの派生ですから。
 電源につないでみてビックリしたのは、電流の低さです。約500個つなげた状態で1.8A程度です。12Vですから20Wちょいですよね。驚きの低電力です。やっぱりすごい発明です。
 このLEDテープ、切断して自由な長さで使えますので、いろいろなアイデアで楽しめそうです。少し高くなりますが、防水タイプもあるので、ますます用途が広がるのではないでしょうか。
 子どもの頃、麦球や豆電球でいろいろ遊んでいた頃、あのオレンジ色の「発光ダイオード」がこんなふうに進化するとは思いもよりませんでしたね。
 人間の智慧というのは本当にすごいものです。もしかすると数十年後にはLEDさえも過去の産物、懐かしい照明の一つになってしまうのかもしれません。

Amazon LEDテープ-白ベース-300連SMD-正面発光-ホワイト

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2015.11.20

山梨県民の日

Th__20151124_161227 化祭前で非常に忙しいので、軽い記事が続きます。
 今日は山梨県民の日でした。世の中は普通の休日なのに山梨県民だけはお休み。
 都道府県民の日というのは、どこにでもあるわけではありません。私は東京と静岡と山梨に住んだことがありますが、東京都は昔から都民の日(10月1日)というのがあって、学校が休みになっておりました。中学の時に静岡に引っ越しましたが、静岡県民の日は8月21日なので思いっきり夏休み中で学生には恩恵なし(笑)。というか、そういう日があることすら知りませんでしたので、なんだか損したような気になった記憶があります。
 ちなみに現在、都道府県民の日で学校が休みになるのは、茨城、群馬、埼玉、千葉、東京、山梨の関東の1都5県だけ…山梨を関東に入れるなという声が聞こえてきそうですね(笑)…というか、神奈川は春休み中だから恩恵なしらしい(横浜市民は開港記念日が休みなんですよね)。
 まあその1都5県も、お役所や会社は普通に勤務だったり、市立の学校は休みではなかったり、いろいろあるようです。
 そうそう、静岡が2月23日「富士山の日」を学校休日にしたらしいのですが、これもまた市立は該当しなかったり、私立は休みにならなかったり、なんだかバラバラらしい。だいだい、富士山の日なのに、山梨は休みになる気配ないし(笑)。
 というわけで、山梨県民は比較的得をしているようであります。そこで、今日は山梨県民はみんなお上りさん。東京方面へ高速バスでお出かけです。もちろん東京を通りすぎて千葉にあるネズミの国に行く人たちも多数。
 山梨県民大移動というわけですね。ですからネズミの国で知りあいに会ったり、帰りの高速バスで近所の人と隣同士になったり、けっこう楽しいことになります(笑)。
 もちろん、逆に山梨にとどまって楽しむ人もたくさんいますよ。たとえばウチのような富士山麓では、富士急ハイランドが生徒たちでいっぱいになったりもします。もちろんハイランドでも山梨県民特別キャンペーンが実施されます。さすがに無料というわけにはいきませんが、かなりお安くなります。
 おっと本題を忘れていた、山梨県民の日は1871年11月20日(旧暦)に甲府県が山梨県に改称されたことに由来しているんです。旧暦ですよ、旧暦。その辺もかなりアバウトですよね。ま、休みになるんでいろいろ細かいことは抜きにしましょう。なにしろ、今年は4連休になりましたから。20日(金・休)、21日(土)、22日(日)、23日(月・休)ということです。
 かくいう私も娘と東京へ行きました。そのことについては明日の記事にでも書きましょう。
 

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2015.11.19

fox capture plan 『Elementary Stream』

 日紹介したAmazonのプライムミュージックで出会ったバンド。
 日本のフュージョンのプレイリストに登場したこの曲、私も初めて聴きましたが、なかなかカッコイイ。まさに日本のジャズ・ロックという感じ。
 娘たちもやたら反応していました。「東方みたい!」と。なるほど。和ロックというか和ジャズというか。メロディーが最近はやりの「和」テイストですし、Jフュージョンの特徴としての「分かりやすさ」「コテコテさ」、そして「超絶技巧」という、ある種貴族趣味的な(ヲタク的な?)要素をふんだんに持った楽曲ですね。
 他の曲を聴いたことがないので、早計に判断できませんが、彼らは年齢的にも、そうした平成貴族的な文化を存分に吸収してきたアーティストなのでしょう。
 昭和おじさんである私も、実はこうした平成貴族文化がけっこう好きですので、この曲にはひかれましたね。そう、自分に演奏技術があったら、こういう楽曲をやってみたい、こういう感じの演奏をしてみたいとも思うのです(実際にはもちろん無理ですが)。
 娘はベーシストを目指しているようですけれど、今はこういうのに興味があるようですね。ということは、作曲能力も必要になってくるわけで、まあこれからいろいろ勉強しなくちゃならなくて、それはそれで楽しそうですね。ちょっと羨ましいし、自分が途中で諦めてしまったことを娘が継いでくれるのはちょっと嬉しかったりします。やっぱり血かな。下の娘は違う分野でまた私の諦めた夢を追ってくれていますし(笑)。
 アルバムもダウンロードして聴いてみたいと思います。日本の;ロック、ジャズ界で生き残っていくためには、どういうジャンルでどういう演奏をすればよいのか。日本人にとってはロックやジャズについて考えるのも面白い。特に歌詞のない世界で、日本人がどう勝負すればいいのか。これは重大問題ですね。
 そこを考える時、平成貴族文化と、その源流としてのバブル期の日本のフュージョン、そして昭和の歌謡曲、さらには江戸の大衆音楽、平安貴族の音楽文化(!)について、しっかり考察する必要があるでしょう(マジで)。
 ちなみに、fox capture planの最新曲、ストリングスも加わって、さらに平成貴族感が高まっていますよ。けっこう好きだな。これだったら私も参加できそう(笑)。

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2015.11.18

Amazon プライムミュージック

Th__20151120_82935 よいよ始まりました。Amazonの追撃。
 Amazonのプライムサービスの異常な充実ぶりには、正直驚いております。私はずいぶん前からプライム会員だったのですが、かつてはただ当日、翌日配送の魅力だけのために年間3900円払っておりましたが、今私が恩恵を蒙っているのは、プライムビデオ(映画見放題)、Kindle本毎月一冊無料、先月紹介したFire タブレット 8GBFire TV Stickの4000円引き、そして、今回のプライムミュージック。
 月々300円ちょいで、これだけのサービスですから、大変オトクだと言えましょう。超太っ腹ですね、アマゾン。こうやってネットユーザー、デジタルコンテンツの顧客を囲い込もうとしているわけです。必死さも伝わってきますね。
 そして、ある意味、本丸であるのが音楽。これもかつて紹介したAppleミュージックGoogle Playミュージックに対抗する形で登場したのが、プライムミュージックというわけです。
 さっそく使って(聴いて)みました。これはこれでけっこう使えますね。楽曲数はまだまだAppleやGoogleと比べると極端に少ないし、あのアーティストもあのアーティストもない…という感じですか、だからこそ普段聴かない音楽を聴けるともいえる。
 特にプレイリストはなかなか充実していますね。そう、結局私はAppleではなくGoogleに登録して、ストリーミング音楽サービスを楽しんでいるですが、Google Playミュージックはプレイリストが今ひとつなんですよね。実はAppleもすぐ飽きてしまったのですが。
 その点、Amazonはプレイリストの種類が多く、また、先ほど書いたように全楽曲数が少ないがために、あるいみマニアックな音楽を聴くことができる。そこに意外な発見、出会いがあったりする。プレイリストって、ラジオみたいなものですから、そういう邂逅というのが目的だったりしますよね。
 また、そのプレイリストを、たとえばiPhoneにダウンロードして車内でオフラインで聴くことができたりするのがよい。AppleやGoogleは基本ストリーミングですので、車内でプレイリストを聴くとなると、データ通信が必要でした。
 もちろん、ダウンロードができるということですから、AppleやGoogleのようにプレイリストが長大ということはなく、だいたい1時間から2時間くらいまとめられています。それもちょうどいい感じ。
 私はさっそく10ほどのプレイリストをiPhoneにダウンロードしました。これでしばらくドライヴが快適になりそうですね。
 ちょっと問題だったのは、せっかくのFire TV Stickでプライムミュージックを聴くと、妙に音量が大きかったことです。操作性や検索のこともあって、結局iPhoneとFire TV StickをAirPlayでつないで使うという方法に落ち着いています。まあ、その方がGoogleやiTunesと簡単に切り替えて、本当に快適に音楽ライフを楽しめますし。
 それにしても、まったくすごい世の中になりましたね。少なくとも我が家では、その恩恵をしっかり受け、かつてない音楽に溢れた毎日を送っていますし、それが家族の会話のネタになっていますので、大変幸せな状況です。
 おそらくは音楽自身にとっても幸せな世界になりつつあるのではないでしょうか。音楽家にとっても。そう、かつて書いたように、録音文化(円盤文化)は音楽の歴史において、ある意味異常な産物であり、時代であったのですから。
 録音データのこうした「垂れ流し」は、その価値を低め、相対的にライヴ(生演奏)という音楽の本来の姿を復権させてくれるわけですから。

Amazonプライムミュージック公式

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2015.11.17

『ティク・ナット・ハン マインドフルネスの教え―プラムヴィレッジ来日ツアー2015ドキュメントブック』 (サンガ出版)

20151111_101055 ランスで痛ましいテロが起きてしまいました。
 座禅などを行う集会の際に、全校生徒に「仏教は戦争を起こしたことがない」という話をしました。それはほとんど史実ですが、たとえばオウム真理教など、仏教から派生した一部のカルトがある意味「心の戦争状態」を作り出してしまったこともまた事実であります。
 どの宗教が優れているとか、どの宗教なら安心というようなことは絶対ありませんし、いわゆる「祈り」だけで平和が訪れなどとはつゆも思っておりません。
 しかし、仏教、瞑想、祈りといったものが、理想社会実現のための大切なファクターであることは認めます。この前、仏教は未来的な展望が不足しているというような苦言を呈しましたが、実は、それは「空」や「無」といった禅的境地の先にあるものだとも思っています。
 そういう意味で、聖徳太子に象徴される日本が仏教を柔軟に需要した理由、あるいは逆に渡来人たちが日本に順化していった理由の中に、その未来的ヒントがあると信じている自分がいます。
 今年のゴールデンウィークに、安倍昭恵さんとそんな話をたっぷりしたのが、この本で紹介されている日でした。
 そう、最近発刊したこの本に、なぜか私たち夫婦の名前が記されています。仏様と神様のつないでくださったご縁のおかげ様であります。感謝いたします。
 このブログでは、「安倍昭恵さん来訪(第七章)」という記事にさりげなく書いた「ティク・ナット・ハンの教えを学ぶ富士山リトリート」。
 実はこの一大イベントをめぐって、本当にたくさんの出来事があり、その一つ一つがそれぞれの人、そしてこの国、この地球の未来に大きく関わる大切なことでありました。
 その一部始終が記録されているこの本。実行委員には魂の友人もおり、彼女らの目に見えない苦労をこの本で初めて知ることにもなりました。
 そして、このイベントの最後、感動の「場」を共有することとなった安倍昭恵さんのインタビューがこの本に載っています。実は、そのインタビューが行われた場(首相公邸)も私たち夫婦は共有させていただきました。
 そして、その場が過去に「未来の理想社会を夢見た」人たちの霊を呼び起こし、いろいろその後我々夫婦の身に大変なことを招くことになったのですが…やはり、過去をしっかり精算しないとというか、過去としっかり向き合わないと(それは歴史認識とかいうレベルではなく霊的なレベルでということです)、未来は切り開けないのですね。
 そのインタビューで、昭恵さんはいかにも昭恵さんらしく、あのリトリートのあまりに天国的な「場」が、やはり特殊であって、そこが問題であると、遠回しにではありますが指摘しています。
 それはまさに昭恵さんと私たち夫婦がいつも話していることであり、個人の心にあるその天国を、どのように政治や経済や宗教や芸術として社会的なものにしていくのかというのが、今後の人類の大きな課題であるわけです。
 そういう意味で、仏教もキリスト教もイスラム教もユダヤ教も神道も、みんな壁にぶち当たっている。そして、さらなる進化を迫られている。そう感じます。
 奇しくも、ティク・ナット・ハンはフランスを拠点に活動しています。今、彼はどんな憂いを抱き、そして、未来的な展望を持っているのでしょうか。

Amazon ティク・ナット・ハン マインドフルネスの教え―プラムヴィレッジ来日ツアー2015ドキュメントブッ

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2015.11.16

インターネットと Face to Face

Th_facetoface 大学の受験対策で教え子といろいろ話していた中で出てきた話題。
 現代の世界で問題視されていることとして、インターネットによる人間関係の希薄化がありますね。
 まあ実は単純なことでして、要は「浅く広く」になったわけですね。それはそれでメリットとデメリットがあります。
 理想は「広く深く」です。そうならないと地球平和なんていう私の夢は実現するはずもありません。
 そういう意味で、現在のインターネットの環境、状況というのは、本当に本当に初期的な段階でして、基本的には20年前とそう変わっていないと言ってもいい。
 それは、つまり、いまでに広いコミュニケーションが「テキスト」によるものにとどまっているからです。もちろん、このブログもそう。文字情報がほとんど。
 すなわち「Face to Face」感が希薄なんですね。
 当たり前すぎる話ですが、人間、顔を知っているかいないかで、相手に対する感情や、そこから発する態度が全く変わってしまいます。
 そういう意味で、今、ネット上のコミュニケーションに対する不安や拒否感を抱く人もたくさんいますし、いろいろな現代的問題や事件を、そこに起因させる人たちもいます。
 しかし、ことはそんなに単純ではありませんし、表層的ではありませんし、「今」的ではありません。
 先ほど書いたように、現在のインターネットのあり方というのは、本当に入り口にすぎません。では、どのように進化していくのか。
 実際、「Facebook」や「FaceTime」という名称に象徴されるように、ある意味原点回帰、つまり「Face to Face」の方向に動いていくのではないか。
 現在の不安や拒否感は、当然それを克服していく力を生みます。それが「Face to Face」への回帰の動きということです。
 「Face to Face」と言っても、いろいろなレベルがありますよね。ただの顔見知りから、気のおけない仲まで。あるいは、違った角度から言いますと、静止画から動画、リアルタイム映像から録画まで、とにかくとても広い範囲があります。
 しかし、いずれにしても、人間には相手の顔を、その表情や声も含めて、非常に微細にわたって認識し分析する能力があります。それはほとんど本能と言ってよい。言語以前の機能です(ワタクシ流の言い方をしますと、「コトよりモノ」というやつですな)。
 すなわち、インターネットがノンバーバル・コミュニケーションの範疇にどのように関わってくるかというのが、今後の大きなポイントになってくると思うのです。
 私は、人間の智慧、技術というものを、ある意味信じています。ですから、グローバル・ネットが必ずやそのような方向に進化していくものと、やはり信じています。
 「広く深く」なんて、人間の情報処理能力から考えて無理だよとおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。もちろん、たとえばFacebookの友人全てと「肝胆相照らす」仲になれるわけはありません。しかし、もし一度でも実際に会って笑顔で挨拶を交わしたり、あるいはネット上で「テレビ電話」ででもお互いの表情や声色を確認していたら、その後のコミュニケーションの内容は明らかに変わります。
 そこを今後どのように実現していくか。そこが智慧と技術の活かしどころですね。どうでしょう、そこは日本の得意分野ではないでしょうか。インターネットについてはアメリカが完全に主導していますけれども、もしかすると日本がエポックメイキングな技術開発をするかもしれません。期待します。
 

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2015.11.15

天龍源一郎引退

Th_2015111600000059spnannex0000view 龍が引退しました。腹いっぱいのプロレス人生を象徴するような、まさに腹いっぱいな引退興行であったと思います。
 オカダ・カズチカもよくやりましたね。体の動かない相手と「プロレス」するのは非常に難しい。よくあそこまで試合を組み立てましたね。本当の意味での茶番狂言だったと思います。
 天龍源一郎自身については、かつて書いたこちらの記事をご覧ください。「七勝八敗で生きよ」…あらためて深い言葉だと思います。私もそんな人生を歩みたいな。負け越してもいい。半分くらい勝てればいいじゃないですか。一生懸命やっての負けっぷりも大切。
 ところで、ちょうどこの引退興行を鑑賞中、ニック・ボックウィンクルさんの訃報を聞くことになりました。天龍の嫌いだった(?)ジャンボ鶴田以上にのらりくらりした戦い方をする選手だったニック。子どもの頃、私もそんなニックがあまり好きではなかったのですが、今となっては、とにかく「巧い」レスラーだったなと思うのであります。
 天龍選手はオカダ選手にプロレスの未来を託すというような発言をしていました。たしかにオカダ選手の素晴らしい才能を持っています。試合後半であのドロップキックを出せたのは、それこそ本気を出した時の(笑)ジャンボ鶴田選手くらいですよね。私も期待しています。
 天龍さん、奥様の病気療養のために引退するとのこと。これからは今まで支えてくれた奥様を、逆に支える立場になるということですね。そんな生き方も実にかっこいい。頑張ってください。
 それにしても、天龍より年上のグレート小鹿さんやザ・グレート・カブキさん、藤原喜明さん、同世代の長州力さんのコンディションの良さには、ただただ驚くばかり。すごい世界ですね。能などの伝統芸能と全く同じだと感じました。
 私も微力ながらプロレス文化復興を目指して、頑張っていきたいと思います。いつか天龍さんともゆっくりお話をしてみたいですね。
 

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2015.11.14

パリの悲劇に思う

Th_2015111400000030jij_afp0006view た、いたましいテロが起きてしまいました。
 本来人を救うべき宗教が、互いの命を奪い合うという矛盾。本当に残念です。
 先日、「人の意識こそが神」「未来への意志こそが神」と書いたばかり。誰もが「平和」や「幸福」、「共存」といった「神」を持っているのにも関わらず、なぜこのような悲劇が起きてしまうのか。
 それこそ、原理主義者や経済至上主義者たちが、そのような「神」の本質を理解していないからではないでしょうか。
 よく、仏教は戦争を起こしたことがないと言われます。たしかにそうとも言える。それは仏教が「今の私」を捨てることを説いているからです。特に「子と財産」にこだわるなと言う。そこには当然、土地や食べ物の取り合いもありません。譲り合いはあっても。
 しかし、だからといって、仏教がキリスト教やイスラム教よりも特に優れているとは思っていません。
 こんな偉そうなことを言ってはそれこそ神罰が下るかもしれませんが、仏教には未来的な意志が不足しているように感じてならないのです。
 「今の私」を捨てるというのは、やはり対症療法に過ぎないと感じるのです。そこからどうすればいいのか。それが見えてこない。本当に「子や財産」を捨てることが幸福なのだろうかと。
 私にとっての最高の「宗教」は、未来の理想世界のために今何をどのようにすればいいのか、はっきり示してくれるものです。
 キリスト教やイスラム教は、それを契約や戒律に求めた。それはそれでやはり対症療法、それも他律的で強制的な療法です。
 仏教は自律的な療法を占めていますが、その後のヴィジョンが足りない。もちろん私の勉強不足もあると思いますが、まあ私のような凡人に分かるように語ってもらわなければ意味ありませんよね。
 言うまでもなくテロという行為も、また誤った対症療法です。大きな勘違いです。
 2000年以上、人類は進化しないで来てしまったのでしょうか。新しい宗教が必要なのでしょうか。それとも、もともと宗教は対症療法にしか過ぎないのでしょうか。
 私にはある予感があります。しかし、それが判然としてこない。それがものすごく辛い。しかし、希望も持ちたい。
 歴史上の多くの犠牲者の命、魂が無駄にならないように。
 あらためて、ハンムラビ法典の名言を噛みしめてみたいと思います。

 「目には目を、歯には歯を」の本当の意味

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2015.11.13

『女優霊』から『劇場霊』へ

 日は金曜ロードショーで「チャーリーとチョコレート工場」をやっていましたが、そちらは録画しておいて、下の娘とあえてこちらを観ました。それも部屋を真っ暗にして。13日の金曜日ですので(笑)。
 結果、娘は怖すぎて(?)途中からふとんをかぶって寝てしまいました。私は、実はこの映画50回目くらいでして、どこが怖いがよく分かっているのですが、それでもやはり鳥肌が止まりませんでした。
 11年も前にこちらの記事で紹介したとおり、恐怖のの「チラリズム」ですね。「チラリズム」というのは、たとえばあちら方面でも最高の効果を上げるのと同じく、恐怖においても究極の効果を発揮します。
 そして、「究極のチラリズム」としての「見えない」があります。これはほとんど禅の境地。無が究極の有。途中まで観ていた娘も、「出そうで出ない時間と空間が一番怖い」と言っていました。まさにそれです。
 ということで、女優霊から20年。中田秀夫監督の最新作は「劇場霊」。はたして、そのチラリズムは健在なのでしょうか。予告を観るかぎりは、ちょっと心配な感じですが。
 映画と演劇、撮影所と劇場という違いも、作品にどういう変化を与えているか。映画、フィルムは「写真」ですからね。やはり心霊写真が持つ独特の恐怖感があった。チラリズムが記録されてしまうという恐怖。特に銀塩。最近は映画もほとんどデジタル化されてしまいましたから、あんまり怖くないですよね。
 それにしても、なんで、霊はデジタルと相容れないのでしょうか。それについては、またいつか検証します。

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2015.11.12

『「南京事件」とは何か 3論客の見方相互検証』 (BSフジ プライムニュース)

Th__20151114_122301 年12月が近づきますと、「南京事件」のことを考えます。歴史的事実とは何か、これは非常にむずかしい問題です。今日の3論客の議論だけを聞いても、それがよく分かります。
 昨日、馬場さんのことを通じて、「歴史」と「物語(神話)」についてちょこっと書きました。『尾ひれがつき、都合の悪い部分は消されていく。これこそが「歴史」の本質であります』と簡単に書き、また、そういう歴史(物語)の本質を好きだと書いてしまいましたが、ことが国際問題になるような、例えばこの「南京事件」のようなものになりますと、あまり軽々しく、すなわち感情的に結論を出すわけにはいきません。
 ただ理性的、あるいは客観的に考えて、私が信じるのは、「それぞれの物語は絶対に一致しない」ということであり、そこが歴史学の限界であるということです。
 ここ数年は、霊界の松井石根さんと不思議とつながることが多かったので(霊界なんて言っている時点で完全に物語ですね。しかし、私にとっては事実なのでしかたありません)、どちらかというと藤岡さんに近い立場の話を聞くことが多かった。新しい知り合いも「なかった派」が多い。
 しかし、私の基本的な姿勢は、7年前のこちらの記事での姿勢と何ら変わっていません。そう、この記事には多くの意見が寄せられたのですが、やはり私のようなある意味はっきりしない立場も重要だと、あらためて感じています。
 歴史認識ってそういうことですよ。まさに「歴史」と「認識」の本質を考えなければいけないわけです。そこの議論はほとんどされていませんよね。
 だから「歴史的事実を直視せよ」っていうのも、まあ、かっこいい言葉ではありますが、実に難しいことです。そして、「歴史的事実」が最高の価値を持っているということもありません。
 たとえば何万の人が亡くなったのかということの検証と議論のみが「直視」され、その裏というか土台にある、あの戦争の本質が逆に見えなくなってしまう。
 再来年で南京事件から80年になるのでしょうか。そう、来年の2月で、最近霊的にご縁をいただいている二・二六事件から80年になります。日本国内で起き、ほぼ詳細な「歴史的事実」が分かっている、あの「小事件」でさえ、評価は分かれますし、その本質はなかなか見えてきません。
 難しいですね。直視すればするほど見えなくなることもあるのです。
 私は歴史学者ではありませんので、妙な話ですが、やはり「霊的」に「本人」たちと交流して、そして、今を生きる一人間として私なりに受け止めるしかないのかなと思っています。それ以外については、あまり偉そうに、そして無責任に語らないと決めております。
 この番組、しばらくは動画で観られますし、その後はテキストとなりますので、ぜひご覧ください。

ハイライトムービー前編
ハイライトムービー後編

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2015.11.11

ザ・プロファイラー「“心やさしき巨人”の挑戦~ジャイアント馬場~」 (NHK)

20151112_115911 放送が17日17時からありますので、ご覧にならなかった方はぜひ。
 「やさしさ」というテーマでNHKが馬場さんを取り上げてくれるのは、香山リカさんの「こだわり人物伝」以来でしょうか。
 馬場さんのお人柄と、プロレスという不思議なエンターテインメントとの関係などについては、私も7年ほど前に、こちらに書きました。この時はBS日テレの正月特番でしたね。
 今日の番組のゲストは、逸見愛さん、大槻ケンヂさん、馬場園梓さんでした。皆さんのご発言は、馬場さんやプロレス界に対する、まあ一般的な内容でしたから、いわゆるマニアの方々には細かい部分においてはいろいろと異論もあったものと思われますが、こういう一般に語られている「馬場物語」というのは、それはそれで私は大好きです。
 というか、もう「物語」の範疇に入ってしまっているわけですね。昭和は昔語りの対象となったと。
 ある意味、尾ひれがつき、都合の悪い部分は消されていく。これこそが「歴史」の本質であります。その点、大槻ケンヂさんは面白いですよね。もともとが「物語」好きですし、モノガタラー(?)として優れた方ですから。彼のような語り部は貴重です。いかにもネタとしては人や書物、テレビを通した伝聞。それを自分色に脚色して、ある意味大袈裟にプレゼンする。センスある言葉のチョイスで定型化していく。いいんじゃないですか。16文キックは誠実さの証とかね(笑)。
 語り部ということで言いますと、ちょっと驚いたのが司会の岡田准一くん。彼の言葉が一番マニアックだったかもしれない(笑)。プロレスの本質が分かった上での司会ぶりでしたね。さすが一流のエンターテインメントの世界で生きている人です。
 プロレスは芸能です。以前、能とプロレスをからめていくつか記事を書いています(たとえばこちら)。すなわち神事なのです。
 この前、人間の意識こそが神だと書きましたけれど、未来への願望、妄想を結実させるのが神事であり、芸能であります。
 そういう視点に立てば、八百長だとか、ヤラセだとか、アングルだとか、シナリオだとか、ホントは馬場なんか弱いんじゃないのとか、そういう話にはならないはずなんですよ。
 プロレスは非常に次元の高い文化なのです。その中にあって、特にその本質を理解し、自らの異形性を活かしきったのがジャイアント馬場であったと思います。
 ビデオに登場した方々、ビデオで証言した方々も味わい深かったし、懐かしかったなあ。特に渋みを増した倉持アナは良かった。声は変わってなかったですね。そしてプロレス愛も健在でした。
 番組中、あえてワタクシ的名場面を選ぶとすれば、やっぱりラッシャー木村のマイクかなあ。あれで一気に涙腺崩壊しました。

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2015.11.10

雷とラドン濃度

20151111_153831 でラドン濃度を測定しはじめてからそろそろ3年になります。
 今日はこの3年間で初めてのことが起きました。ラドン濃度が一気に12Bq/m3も上昇したのです。今まで急上昇と称してきたのは、丸一日かけて7Bq/m3程度の増加。それが一瞬にして12も数値が飛び上がったのですから、それは驚きます。
 その証拠が上の写真。ネットで外出先から数値を確認するために「監視カメラ」を設置しているのです。
 はじめは装置の故障を疑いました。あまりに唐突な上昇なので。
 しかし、そのことをカミさんに話したところ、大いに思い当たることがあったようで、興奮気味に私に次のような報告をしました。
 「今日4時頃、すごい雷で、大変だった」
 なるほど、それは何か関係があると思い、検索しましたら、やはり雷と放射性物質の壊変とは関係があるようなのです。
 私は詳しいことはよく分かりませんが、雷の持つ非日常的な高エネルギーが壊変を招くらしいのです。
 ウチのラドン濃度測定器に表示される数値は過去一週間の平均値ですから、それまでの平均値を20とするなら、一気に100以上の濃度に上がったということになります。
 今までの最高値は38でしたので、それこそ異常な数値だったことがわかります。しかし、その後、さらに数値が上昇したかというと、そうではなく反日は34のまま、その後33に微減しました。この測定器は1時間ごとに数値が更新されますから、やはり、短時間(1時間以内)に急激にラドン濃度が上昇し、その後また一気に平常値に戻ったと推測されます。
 そうしますと、やはり雷の影響ということになりそうですね。正直安心しました。これが富士山の活動による地殻由来のラドンだとすると、これは大変なことになりますから。
 雷と原子核壊変については、正直難しすぎてよく分からないので、今度専門家に聞いてみたいと思います。

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2015.11.09

Rudolf Haken(5弦ヴィオラ) によるバッハの無伴奏チェロ組曲

 ょっと時間がないので、またYouTubeネタです。先日、5弦ヴィオラの派生型と言えるアルペジーナを紹介しましたね。
 今日見つけた5弦ヴィオラもまた、不対称ボディーを持つ珍楽器であります。いちおう「ヴィオラ・ポンポーザ」ということになっていますね。
 そして、Rudolf Hakenのこの演奏もまた、なかなかの「変形」ぶりですね(笑)。かっこいい。
 ちょうど今、横山真一郎さんによる「原典」へのアプローチを興味深く読み、その楽譜を使い、5弦ヴィオラで演奏をしてみているところでした。それとはある意味逆のアプローチですね。
 そう、私はその両方のアプローチに興味を持っているんです。というか、両極端が好き(笑)。中途半端、すなわち、与えられたものを疑問や想像力(創造力)を挟まず、ただなぞるような態度が好きじゃないんです。
 そういう意味で、このRudolf Hakenは、なかなかぶっ飛んでいて良いですね。ほとんどバロックではなくロックになっています。これならバッハも納得というか、笑って許してくれるでしょう。よくやるなあと。
 バッハもそうですけれど、歴史上の天才って、今やスタンダードになり、それこそオリジナル主義的解釈をされるような存在になっていますが、その当時としては、かなり過激な(ロックな)存在だったはずです。
 そうした天才のエネルギーを時を超えて再現するのは非常に難しい。ただその当時の楽器、演奏様式を再現するようなことは、あくまで入り口であって、その先にある本質的なエネルギーを捉えるのはまた別の仕事です。
 そんな意味で、私もずっと関わってきた「古楽」のあり方というのもまたある種の矛盾を含んだものでした。「復興」が結果として生命を奪ってしまうという矛盾。
 難しいけれども、面白いですね。
 

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2015.11.08

そこまで言って委員会NP 『宗教と人類はどう変わったか?』

 白かったので、ご覧にならなかった方のために貼っておきます。
 民放の人気番組だからこそ踏み込めない領域もありましたよね。しかし、それでもやはり東京で放送されていないからこそ、「そこまで」言えるのだなと思いながら観ていました。
 ある意味、この分野は私の専門です。少なくとも島田さんよりは…いやいや冗談ですよ。島田さんも私もある意味オウムで痛い目に遭ってますな(私は地元民としてですよ…笑)。
 全体にいろいろ言いたいこともありますけれども、今日はあえて最後の「宗教と科学」の問題について少し言及しておきます。
 竹田さんとゲラーさんの議論が全く噛み合わないように、宗教と科学とは非常に微妙な関係があります。両者ともに「真理」を求める人間の良き本能から発していますが、なぜか相容れないんですね。なんでなんでしょう。
 一方で、よく言われるように、両者はぐるっと回って最後は同じ極点に達するのではという予感もあります。私の身近なところにいらっしゃる科学者の方も、宗教者の方も、そんなようなことをおっしゃります。私もある意味では、同様の予感を持っています。
 かと思うと…ちょっと話が逸れますが、先日映画を観てしまった(笑)幸福の科学さんなんか、あまりにコテコテな「名乗り」によって、そこをいとも簡単に統合してしまいましたね。私は、エル・クソターレなので、もちろんエル・カンターレ様のお考えにはついていけないどころか、なんだかズルいなとまで思ってしまいます。
 宇宙人である私からしますと(笑)、科学と宗教は基本同じモノを違う角度から見ているように感じられるであります。
 たとえば、今日も俎上に上がっていた「進化論」。いくら科学的な意識の強い方でも、自然淘汰のみで現在のこの完成度の高い自然界、特に自分たち人間という「作品」「製品」が出来上がるというのは、あまりに出来すぎな感じがすることでしょう。そんな悠長な偶然に任せていていいのか。
 では、神がいて「作品」「製品」を作ったとすれば納得かというと、決してそんなことはない。今度は全知全能の神にしては完成度が低いという話になる。そりゃそうですよね。
 では、宇宙人はどのように観察しているかというとですね、案外単純なのです。
 いつも書いているように、私は「時間は未来から過去へと流れている」と感じている者です。実は、今ほとんど方が信じている「時間は過去から未来へと流れている」という考え方の流行、定着と科学の発達とは大いに関係があるのです。
 つまり、科学的な因果論からしますと、偶然の変異と自然淘汰を軸とする進化論が当然の帰着点となります。未来への願望や妄想が原因になるとは考えられないからです。
 しかし、時間は未来からと考えると、カメレオンが色を変えたいとか、ナナフシが木の枝そっくりになりたいとか、お花が美しい形と色を持ちたいとか、子猫が人間に可愛がられるようになりたいとか、そういう未来への願望、妄想こそが、現在の変化の原因になっていることが、当たり前だと実感できるはずです。
 実際、私たちは日常的に、「明日朝早いから早く寝よう」とか、「今からデートだからオシャレな服を着よう」とか、そういうふうに未来に原因を作って今を生きています。
 ちなみに「この前失敗したからこうしよう」というように、過去の体験が今の原因になっているかのように見える場合もありますけれど、それも実際には未来への願望、妄想が原因となっています。つまり、「同じ失敗をしていない姿」「成功している姿」を未来に描いているということです。お分かりになりますよね。
 で、話を科学と宗教に戻しますと、私はその「未来への願望、妄想」こそが、「神」の存在であると思っているのです。日本語でいうと、実はこれが「言霊」になります。モノに対してコトとは「現実・事実」の意味を持ちます。つまり、現実化へのエネルギーこそが「コトたま」なのです。
 違う言い方をすれば、人間が抱く「理想」こそが「神」ということになります。これも分かりやすいでしょう。その理想を人格化、キャラ化したのが、よくある宗教の本質ではないでしょうか。
 これまでの近代科学は、そうした人間の感情や思考を排除することで成立してきました。それはそうです。今書いたように、その「意識」というものを内包しようとすると、時間の流れの捉え方、すなわち因果論を根本から変えなけばならないからです。
 最近、ようやくそうした自家撞着から逃れるために(?)、科学が時間の多様性や多面性を取り上げるようになってきましたね。それがあたかも科学が宗教に近づいてきているように思わせる要因でもあります。
 と、書き始めたら止まらなくなってしまいましたので、今日はこのくらいにしておこうかと思います。とにかく、人間の意識こそが神の正体であり、それは科学的な時間も空間も超えてしまうということです。
 
 
 

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2015.11.07

ヴェストホフ 『無伴奏ヴァイオリンのための組曲』

 し前に、無伴奏作品ピゼンデルのソナタバッハの組曲を紹介しました。
 今日も知られざる無伴奏ヴァイオリンのための作品を紹介します。この曲集、いいですよ。
 ヴェストホフはバッハより一世代前の音楽家。大変な技術を持ったヴァイオリニストとして有名でした。彼はいくつかのヴァイオリン・ソナタを書いていますが、この無伴奏組曲集はなかなかの力作。のちのピゼンデルやバッハ、テレマンの同種の作品にも影響を与えていると感じられます。
 上の動画では、組曲集の前に、単独の無伴奏組曲が演奏されていますが、その後の6曲の組曲はIMSLPで手に入れることができます。
 ところが、ご覧ください。なんと「八線譜」。これは面白い。変な楽譜マニアの私は、こういうの見るとやる気が湧いてくるのですが、一般の方は逆のようですね(笑)。ま、解読に5分、そして30分くらい弾いていればなれますよ。

20151108_84807

 ヴァイオリン奏者の皆さん、ぜひ挑戦してみてください(私も頑張ります)。
 というわけで、最近、いろいろな無伴奏作品を聴いているうちに、自分でも作りたくなってきました。若い頃、数曲作りましたが、あれらの楽譜、どこ行っちゃったのかな?幻の作品になっちゃったのか。

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2015.11.06

市川美鈴withスインギー奥田カルテット

Th__20151107_114634 事が終わってすぐに娘とカミさんを連れて東京へ。高尾に車を置いて電車で六本木へ向かいました。
 今日は、娘のベースの師匠である斉藤真也さんが出演するライヴの日。平日の夜に六本木のジャズバーでゆっくりするなんて、なんと贅沢な。
 それも土曜日は普通に仕事ですからね(笑)。考えてみると、ここ富士山麓に住んでいるからこそできる荒業であります。地方、リゾート地と言ってもけっこう便利なんですよ、ここは。
 ということで、おいしい食事と飲み物をいただきながら、目の前で極上のジャズ生演奏を楽しんできました。いや、ントに楽しめました。幸せな時間。
 まずはスインギー奥田カルテットの演奏。これがまあ素晴らしいなんてものじゃなかった。まあ、プロ中のプロの方々ですから、当たり前ですけれど、レベル高かったなあ、全てにおいて。
 ベースの斉藤さんとサックスの松元啓祐さんは、毎週観ている「歌謡コンサート」でおなじみの三原綱木とニューブリードのメンバーでいらっしゃいます。
Th__20151107_11_03_37 斉藤さんのウッドベースは、テレビでいつも感心しているエレキベースの盤石ぶりと、粒立ちの良さそのまま。無駄な動きのないフィンガリングはまさに模範的。娘も食いついて観て(聴いて)いました。
 松元さんは、絶妙に抑制のきいた演奏で、逆に存在感を示していました。吹きすぎのサックス奏者が多い中、私は非常に好感を持ちました。お話したところ、やはり「聴く人にうるさいと思われたら負け」と考えていらっしゃるとのこと。なるほど。
 奥田さんのドラムと私の距離は数十センチ。細かいテクニックまで全て拝見できる位置でした。まあ、ぜいたくでしたねえ。なるほどいろいろな表現をお持ちで、ドラムスの奥深さを目の前で見せられた感じでした。なにより楽しそうに演奏されているのがよかったなあ。
 そして、ピアノの金山マサ裕さん。う〜ん、良かったなあ。メンバーの皆さんも「ジャズ界の宝」とおっしゃっていましたが、たしかに、この味わい、渋み、深さは尋常ではない。森や風のように自然。アンサンブルの背景としても絶品でした。特に4杯ほど燃料を注入したあとのセカンドステージは良かったですねえ(笑)。天から降ってくるような音でした。
 若手シンガーの市川さんは、そんなベテラン勢に支えられ、また、時々いたずらされながらも、安定した歌唱を聴かせてくれました。なんというか、奇をてらわないところがいいですね。純粋なお人柄がそのまま歌になっている感じでした。また聴いてみたいボーカルです。
Th__20151107_11_04_00
 そう、今回何が贅沢だったかって、ステージの合間、そして終了後にメンバーの皆さんとゆっくりお話ができたことです。ま、これも娘のおかげですね。あらゆるジャンルで、その道のプロの方々のお話を聴くことができるのは、本当幸せなことです。
 一流の方々は、ワタクシのような素人のちょっとずれた話もちゃんと聴いてくれます。ありがとうございます。
 というわけで、素晴らしすぎる4時間を過ごし、高尾行きの最終電車にぎりぎり間に合いまして、無事夜中に富士山に還ってまいりました。
 なるほど気合いがあればこういう平日の夜の過ごし方もありですな。この歳になって、時間とお金の使い方を一つ覚えたような気がします。

ジャズライブバー「All Of Me Club」

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2015.11.05

バッハ 『アルペジーナのための無伴奏組曲』 

20151106_140338 近Google Play Musicで偶然見つけまして聴いてみましたところ、ものすごく良かったのでおススメしますね。
 変な楽器、それもヴィオラ系の変な楽器マニアである私としては、この珍楽器「アルペジーナ」も、ぜひぜひ弾いてみたい!
 この楽器、解説によりますと、いわゆる古楽器ではないんですね。新楽器。パリの楽器職人ベルナール・サバティエという人が製作していた左右非対称のヴィオラを知ったミナリ=ベラが、シューベルトの「アルペジオーネ・ソナタ」の演奏のために製作させたものだとか。
 基本私も最近良く弾いている5弦ヴィオラと同じ調弦なのでしょうか。
 左右非対称ボディーがなんとも魅力的ですね。音響工学的にどういうメリットがあるか分かりませんが、録音の音を聴いた限りでは、やはり大きい分、普通のヴィオラよりも深い音がしているような気がします。
 無伴奏チェロ組曲をヴィオラで弾いた録音はいろいろありますが、やはりちょっと深み、重みが足りないような気がするんですね。自分で弾いていてもそうです。
 その点、この楽器の録音では、ものすごくしっくり来た。今まで知らなかったこの曲の魅力までもが湧き立ってくるような感じがしました。
 一つにはフランス国立管の首席を務めたこともあるというミナリ=ベラのセンスの良さも影響していますね。バロックの演奏様式をよく理解しています。
 できれば全曲聴きたいですね。前半3曲しか録音していないようです。6番こそ5弦で弾くべきだと思うんですけどね。
 Youtubeにも少しありましたので、どうぞご覧(お聴き)ください。

Amazon Bach,J.S.: Suites for Arpegina

Google Play Musicで聴く

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2015.11.04

細川たかし 『北岳』

 れはすごい曲だ!
 先日、甲府の方に仕事で行った時、望月吾郎音楽事務所の前を通りました。もちろん、この「北岳」のポスターも堂々と貼られていました。
 山梨県出身の作曲家、歌手である望月吾郎さん。この「北岳」は当然のことながら、甲府盆地から望む南アルプスの一角にそびえる、あの北岳のイメージを歌ったものでしょう。
 北岳はもちろん富士山に次ぐ日本で二番目に高い山です(ちなみに山梨県には3位まであります)。富士山は有名すぎるくらい有名であり、だからこそ富士山の演歌というのは実はあまりない。演歌のテーマにしては哀愁が足りないわけです(笑)。
 その点、北岳は地味でよい。私も南アルプスの山並みのどれが北岳か、実はよく分からない。なんでも2位の哀愁っていうのがありますよね。
Th_o0500044013406084036 そこをうまくついてきた。作詞は志賀大介さん。志賀さんは長野県生まれですから、北岳やアルプスも身近に感じてきた方です。
 歌詞にも「厳しさ」「がまん」という言葉がでてきますし、「富士を見つめて」「男の歌を歌う」とあります。まさに2番手らしい歌。静かに秘めた思いがありますね。富士山は「女」だし(笑)。
 それにしても、曲の最後「北岳」の部分の望月吾郎先生の節作りはすごいですね。北岳の姿そのもののようにそびえ立ち、そして波打つメロディー。秘めた思いが爆発するような感動があります。
 それをまた細川たかしさんが見事に歌い上げていますね。とてもとても五線譜では書き表せない音程です。自然の雄大さそのもの。
 こんな歌、上手に歌えたら気持ちいいでしょうねえ。私にはとても無理です(泣)。
 山梨県民として誇りに思える歌がまた一つ増えました。素晴らしいことです。
 ちなみに上の動画、昨日紹介した二・二六事件慰霊像のすぐ近くにあるNHKホールにて収録された歌謡コンサートの一幕。ベースを担当しているのは、ウチの娘の師匠であります。

Amazon 北岳

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2015.11.03

二・二六事件慰霊像

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 天長節の今日は急遽家族で渋谷へ。私は運転手。カミさんと娘たちはそれぞれ目的がありました。
 私は下の娘につきあって映画を観る予定だったのですが、チケットを買う段になり、「あと一席」となってしまい、結局娘だけ鑑賞することに。
 上の娘とカミさんは買い物に出かけてしまったので、私一人渋谷の中心に放置されることになりました(笑)。そこで、思いついたのが、宇田川町にある「二・二六事件慰霊像」のことです。よし、映画を観られなくなったのも、何かのお導きだと思い、さっそく場所を調べて行ってみました。
 8月3日に始まった我ら夫婦と二・二六事件との不思議なご縁。特に安藤輝三との因縁はただならぬモノになっています。その安藤輝三が処刑された場所、そしてその際「秩父宮殿下万歳」と叫んだ場所.…。
 少し緊張しましたが、実際お参りしてみると、意外に落ち着いた気持ちになりました。もうここでは充分に鎮められているのでしょうか。
 場所はNHKのすぐ隣、税務署の一角になります。すぐ隣にアムウェイのビルがそびえ、なんとも象徴的な感じがしました。元は陸軍の刑務所があったところです。そう、東京はいたるところが旧日本軍施設跡ですよね。

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 この慰霊像は昭和40年に作られました。加害被害を問わず事件に関わった方々の霊を鎮めるためだそうです。
 なんでも最近では、若者たちの告白スポットになっているとか?本当でしょうか。いや、全国各地、戦争にまつわる史跡や施設が、その歴史的事実を忘れられ、いやほとんどそれを意識もされず、観光スポットになったり、デートスポットになったりしているところがありますね。
 国内に限らず、特に南洋の島々などは、かつての激戦地がメジャーな観光地になっていますよね。それをけしからんと言う人もいると思いますが、案外、そうした供養の仕方というのもあるのかもしれない。
 今年は靖国神社でもナンパの横行が原因で露店が出ませんでした。これなんかも捉え方は様々だと思いますよ。これほどの平和を能天気に享受する現代の若者たちを見て、英霊たちはどう感じるのか。これもまた様々だと思います。
 日本の歴史と文化を通して、宗教的営みにはそうした「意識」と「無意識」の混在が多く見られます。もちろんそれが神道の本質であったり、あるいは仏教の受容のあり方であったり、また天皇家のあり方だったりするわけです。
 今日は最終的に家族四人での参拝となりました。我が家は本当に特別な状況で、その「意識」の方を受け持たせていただいたわけでして、もちろん一般的な「無意識」の方を非難するつもりもありません。
 一方で、最近は「マイラー」と呼ばれる人たちもいますよね。歴史的偉人の御墓参りを趣味とする方々。それはそれで「意識」が肥大化しているとも言える。まあ、いろいろな次元があるということですね。
 というわけで、ぜひ興味のある方はそれぞれのレベルの「意識」で結構ですので、青年将校らと時空を超えてつながってみてください。
 そういえば、慰霊像にお供えしてあったコップに「富士山麓」とあったのには、偶然とはいえ不思議な因縁を感じてしまいました。安藤輝三をはじめとした青年将校にしても、殺害された斎藤実内大臣にしても、「富士山麓」に縁が深かったからなあ。

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2015.11.02

『にほんとニッポン-読みとばし日本文化譜』 松岡正剛 (工作舎)

Th_615zoyfxy9l 大学の文学部を受験する生徒に貸しました。日本文化について俯瞰するには非常にいい本ですね。
 ちなみに今日貸したこの本、ブヨブヨになってます。というのは、この本は風呂場に常備されているのです。風呂に入りながら、ペラっとめくるのにも最適だということです。
 さすが編集工学のプロ。日本通史を見事に編集しています。本としての構成や装丁も含んでの編集ですよ。フォントや文体、レイアウトによって日本の文化が編集されているわけです。
 なるほど、これは新しいし、分かりやすい。学校の教科書もこんな感じならね(笑)。
 もちろん松岡さんの日本通史編集ということですから、私の「編集」とはちょっと趣味が違う(特に「モノ・コト論」)のはもちろんですが、「ん?これは違うのではないか?」というもの含めて自分の雑駁な思考や経験が編集されていく快感ですね。これはたまりません。
 なるほど、(人間が見る)世界は編集によってできている。特に文化というのは、人間の自然に対する編集の歴史ということもできる。
 私は「文化=自然のアイデンティティが人間の営みを通じて顕れたもの」と定義していますが、逆の視点に立つと、「文化=人間による自然の編集」ということになるような気もしますね。
 まあ、それにしても松岡さん、相変わらずすさまじい知識量、いや編集力ですね。膨大な情報を抽象して、一つの世界、宇宙を構築している。学者さんたちとは明らかに違う脳みその持ち主です。

Amazon にほんとニッポン

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2015.11.01

ロクーガーW (エスケイネット)

Th__20151103_8_00_07 が家のテレビ事情その3。普通のテレビ番組はどうやって観ているか。あるいは録画しているか。
 単体のデジタルチューナーとして非常に優れているのがこの「ロクーガーW」。なんともコテコテなネーミングが萌え(?)。ま、このネーミングからも分かるとおり、単なるデジタルチューナーというよりは、HDD録画機としての機能にこだった逸品であります。
 写真で分かるとおり、本当に小さい。それこそCDケースサイズであります。この中にシンプルながら優秀な機能がつまっているのです。
 私は6月から使っていますが、本当に満足しております。特に「W」の部分に。地上波、BS、CSそれぞれ二つずつチューナーを搭載しているので、裏番組の録画、あるいは二番組録画がジャンジャンできます。
 番組表も見やすく録画予約も簡単、また検索機能や重複録画防止機能なども優秀。ソフト的に優秀だということですね。そのへんはエスケイネットさんの気合いとセンスを感じるところです。
 私はまだ使っていませんが、iPhoneへの録画転送機能もあって、録画した番組を簡単に持ち運べるとのこと。LAN環境を整えたら使ってみたい機能です。
Th__20151103_75752 こんなに優れた製品なのに、お値段は実売2万円ちょっとということですから、まさにウチのなんちゃってシアターにはぴったり(笑)。本当になんの問題もなく、気持よく使わせていただいています。こどもたちもお気に入り。リモコンも非常にシンプルでよろしい。
 シンプルすぎて笑えるのが、dボタンやあの4色ボタンがないことです。まあ、ウチの場合は使う機会はないのですが、番組で「dボタンを押してください」とか言われると、子どもたちがいちいち「ないわ!w」とツッコミを入れるのが面白い(笑)。
 ウチみたいにプロジェクターでテレビを観るお宅は少ないと思いますが、たとえばパソコンのディスプレイをテレビ代わりに使うなんていう時にも、このチューナーは有用でしょう。
 ただ録画して観たら消すという人はこれでいいんじゃないですか。ブルーレイレコーダーってホント使いにくい。起動が遅かったり。これならストレスなしですよ。
 ちなみにどうしてもディスクに残したい場合は、ウチでは裏技的にデータDVDに落とせるようにしてあります。

ロクーガーW公式

Amazon エスケイネット ロクーガーW SK-RKW

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