太宰治 『苦悩の年鑑』
昭和21年撮影
昨日ちょっと触れました、太宰の「苦悩の年鑑」を読んでみましょう。
昭和21年発表のエッセイ。戦前、戦中、完全に「負け組」だった太宰は、敗戦によってある意味「勝ち組」になりました。
「どうだ。兵隊にならなかった、つまり戦争に参加しなかった私は正しかったのだ」。
兵隊に「なれなかった」人々の戦後は、本当にそれぞれです。私の家内の祖父は目が見えなかったために兵隊になれませんでした。その「屈辱」が祖父のその後の人生に影をさしていたように思います。
太宰はいつもずるい人です。彼はこうして言語化、作品化してしまうことによって、いつも自らの劣等感を克服していきました。
「苦悩の年鑑」とはよく言ったものです。苦悩といえばなんとなく文学然としますが、それはほとんど全てコンプレックスと同義です。
もちろん、そんな罪深い太宰に、私も大いに惹かれているわけですが、やはり「文章がイケメン」の太宰はずるいと感じますよ。私は全然イケメンではないので(笑)。
そんなふうにこの作品をひねくれて読むと実に面白い。富嶽百景の富士山に対するのと同じように、太宰の吐く悪口は、実は憧れであったりするのです。
特に二・二六事件の将校たちに対する強い憎悪の言葉。ほぼ同世代の「日本男児」が死にきったのに対し、当時全く死にきれなかった太宰。このコントラストは面白い。
しかし、最後は天皇の肩をもって、保守派を宣言するという、ほとんどギャグな展開(笑)。本当に逃げるのがうまいですね。
では、縦書きでどうぞ。
時代は少しも変らないと思う。一種の、あほらしい感じである。こんなのを、馬の背中に
いまは私の処女作という事になっている「思い出」という百枚ほどの小説の冒頭は、次のようになっている。
「
これは明治天皇
またその「思い出」という小説の中には、こんなのもある。
「もし戦争が起ったなら。という題を与えられて、地震雷火事
これは私の十歳か十一歳の頃の事であるから、大正七、八年である。いまから三十年ちかく前の話である。
それからまた、こんなところもある。
「小学校四五年のころ、末の兄からデモクラシイという思想を聞き、母まで、デモクラシイのため税金がめっきり高くなって作米の
これも同時代、大正七、八年の頃の事である。
してみると、いまから三十年ちかく前に、日本の本州の北端の寒村の一童児にまで
その大正七、八年の社会状勢はどうであったか、そうしてその後のデモクラシイの思潮は日本に於いてどうなったか、それはいずれ
所謂「思想家」たちの書く「私はなぜ何々主義者になったか」などという思想発展の回想録或いは宣言書を読んでも、私には
私にはそれが
私は「思想」という言葉にさえ反撥を感じる。まして「思想の発展」などという事になると、さらにいらいらする。
いっそこう言ってやりたい。
「私には思想なんてものはありませんよ。すき、きらいだけですよ。」
私は左に、私の忘れ得ぬ事実だけを、断片的に記そうと思う。断片と断片の間をつなごうとして、あの思想家たちは、嘘の白々しい説明に
「ところで、」と俗物は尋ねる。「あなたのその幼時のデモクラシイは、その後、どんな形で発展しましたか。」
私は
「さあ、どうなりましたか、わかりません。」
×
私の生れた家には、誇るべき系図も何も無い。どこからか流れて来て、この津軽の北端に土着した百姓が、私たちの祖先なのに違いない。
私は、無智の、食うや食わずの貧農の子孫である。私の家が多少でも青森県下に、名を知られはじめたのは、曾祖父
×
私の家系には、ひとりの思想家もいない。ひとりの学者もいない。ひとりの芸術家もいない。役人、将軍さえいない。実に凡俗の、ただの田舎の大地主というだけのものであった。父は代議士にいちど、それから貴族院にも出たが、べつだん中央の政界に於いて活躍したという話も聞かない。この父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何も無い、ただ大きいのである。
書画
この父は、芝居が好きなようであったが、しかし、小説は何も読まなかった。「死線を越えて」という長編を読み、とんだ時間つぶしをしたと
しかし、その家系には、複雑な暗いところは一つも無かった。財産争いなどという事は無かった。要するに誰も、
×
余の幼少の折、(というような書出しは、れいの思想家たちの回想録にしばしば見受けられるものであって、私が以下に書き記そうとしている事も、
しかし私は、このような回想を以て私の思想にこじつけようとは思わぬ。私のこんな思い出話を以て、私の家の宗派の親鸞の教えにこじつけ、そうしてまた後の、れいのデモクラシイにこじつけようとしたら、それはまるで何某先生の「余は
×
さて、それでは、いよいよ、私のれいのデモクラシイは、それからどうなったか。どうもこうもなりやしない。あれは、あのまま立消えになったようである。まえにも言って置いたように、私はいまここで当時の社会状勢を報告しようとしているのではない。私の肉体感覚の断片を書きならべて見ようと思っているだけである。
×
博愛主義。雪の四つ辻に、ひとりは
救世軍。あの音楽隊のやかましさ。
人道主義。ルパシカというものが流行して、カチュウシャ可愛いや、という歌がはやって、ひどく、きざになってしまった。
私はこれらの風潮を、ただ見送った。
×
プロレタリヤ独裁。
それには、たしかに、新しい感覚があった。協調ではないのである。独裁である。相手を例外なくたたきつけるのである。金持は皆わるい。貴族は皆わるい。金の無い一
しかし、私は賤民でなかった。ギロチンにかかる役のほうであった。私は十九歳の、高等学校の生徒であった。クラスでは私ひとり、目立って華美な服装をしていた。いよいよこれは死ぬより他は無いと思った。
私はカルモチンをたくさん
「死ぬには、及ばない。君は、同志だ。」と或る学友は、私を「見込みのある男」としてあちこちに引っぱり廻した。
私は金を出す役目になった。東京の大学へ来てからも、私は金を出し、そうして、同志の宿や食事の世話を引受けさせられた。
人をだまして、そうしてそれを「戦略」と称していた。
プロレタリヤ文学というものがあった。私はそれを読むと、鳥肌立って、眼がしらが熱くなった。無理な、ひどい文章に接すると、私はどういうわけか、鳥肌立って、そうして眼がしらが熱くなるのである。君には文才があるようだから、プロレタリヤ文学をやって、原稿料を取り党の資金にするようにしてみないか、と同志に言われて、
結局私は、生家をあざむき、つまり「戦略」を用いて、お金やら着物やらいろいろのものを送らせて、
×
満洲事変が起った。爆弾三勇士。私はその美談に少しも感心しなかった。
私はたびたび留置場にいれられ、取調べの刑事が、私のおとなしすぎる態度に
その言葉には妙な現実感があった。
のちに到り、所謂青年将校と組んで、イヤな、無教養の、不吉な、変態革命を
同志たちは次々と投獄せられた。ほとんど全部、投獄せられた。
中国を相手の戦争は継続している。
×
私は、純粋というものにあこがれた。無報酬の行為。まったく利己の心の無い生活。けれども、それは、至難の業であった。私はただ、やけ酒を飲むばかりであった。
私の最も憎悪したものは、偽善であった。
×
キリスト。私はそのひとの苦悩だけを思った。
×
関東地方一帯に珍らしい大雪が降った。その日に、二・二六事件というものが起った。私は、ムッとした。どうしようと言うんだ。何をしようと言うんだ。
実に不愉快であった。馬鹿野郎だと思った。激怒に似た気持であった。
プランがあるのか。組織があるのか。何も無かった。
狂人の発作に近かった。
組織の無いテロリズムは、最も悪質の犯罪である。馬鹿とも何とも言いようがない。
このいい気な愚行のにおいが、所謂大東亜戦争の終りまでただよっていた。
東条の背後に、何かあるのかと思ったら、格別のものもなかった。からっぽであった。怪談に似ている。
その二・二六事件の反面に於いて、日本では、同じ頃に、オサダ事件というものがあった。オサダは眼帯をして変装した。更衣の季節で、オサダは逃げながら
×
どうなるのだ。私はそれまで既に、四度も自殺未遂を行っていた。そうしてやはり、三日に一度は死ぬ事を考えた。
×
中国との戦争はいつまでも長びく。たいていの人は、この戦争は無意味だと考えるようになった。転換。敵は米英という事になった。
×
ジリ
指導者は全部、無学であった。常識のレベルにさえ達していなかった。
×
しかし彼等は脅迫した。天皇の名を
×
日本は無条件降伏をした。私はただ、恥ずかしかった。ものも言えないくらいに恥ずかしかった。
×
天皇の悪口を言うものが激増して来た。しかし、そうなって見ると私は、これまでどんなに深く天皇を愛して来たのかを知った。私は、保守派を友人たちに宣言した。
×
十歳の民主派、二十歳の共産派、三十歳の純粋派、四十歳の保守派。そうして、やはり歴史は繰り返すのであろうか。私は、歴史は繰り返してはならぬものだと思っている。
×
まったく新しい思潮の擡頭を待望する。それを言い出すには、何よりもまず、「勇気」を要する。私のいま夢想する境涯は、フランスのモラリストたちの感覚を基調とし、その倫理の儀表を天皇に置き、我等の生活は自給自足のアナキズム風の桃源である。
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