碧雲荘(太宰治の住んだアパート)
杉並は荻窪の北、天沼にある「碧雲荘」。今、取り壊しの危機にあります。碧雲荘はかの太宰治が一時期住んでいたアパート。太宰の作品にも登場します。
かの「富嶽百景」。冒頭近く、なんとも違和感のある部分があります。私はそこが気になってしかたありませんでした。引用しましょう。
東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。冬には、はつきり、よく見える。小さい、真白い三角が、地平線にちよこんと出てゐて、それが富士だ。なんのことはない、クリスマスの飾り菓子である。しかも左のはうに、肩が傾いて心細く、船尾のはうからだんだん沈没しかけてゆく軍艦の姿に似てゐる。三年まへの冬、私は或る人から、意外の事実を打ち明けられ、途方に暮れた。その夜、アパートの一室で、ひとりで、がぶがぶ酒のんだ。一睡もせず、酒のんだ。あかつき、小用に立つて、アパートの便所の金網張られた四角い窓から、富士が見えた。小さく、真白で、左のはうにちよつと傾いて、あの富士を忘れない。窓の下のアスファルト路を、さかなやの自転車が疾駆しつくし、おう、けさは、やけに富士がはつきり見えるぢやねえか、めつぽふ寒いや、など呟つぶやきのこして、私は、暗い便所の中に立ちつくし、窓の金網撫でながら、じめじめ泣いて、あんな思ひは、二度と繰りかへしたくない。
太宰が碧雲荘に住んでいたのは昭和11年から12年。激動の時代です。まあここには書ききれないくらいの事件が発生していますね。結果として、碧雲荘に一緒に住んでいた最初の妻初代さんとは、ここで別れることになりました。
その後もいろいろあったのち、昭和13年に山梨の御坂峠に来るわけです。そして復活。
考えてみると、時代はちょうど二・二六事件のあたり。事件の時、太宰は薬物中毒で入院中だったと思います。その後、二・二六事件については言葉をきわめて批判していますが、おいおいどの口で言うんだい、という気もしますね(苦笑)。その文章についてはまた紹介します。
この築80年以上に及ぶ碧雲荘、計画ですと区の施設建設のためもうすぐ取り壊されてしまいます。地元でも保存、活用運動が起こっていますが、ファンとしてもぜひ残していただきたいですね。移築でもいいので。
昨日は、三鷹の禅林寺にてお墓参りをしたのち、導かれるように碧雲荘を探していました。いったいどういうメッセージだったのでしょう。地味に太宰とは因縁の仲なので(?)、ちょっと気になります。
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