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2015.10.31

SHARP ホームシアターシステム HT-SL50Y

Th_21dl8hmdvel 日はプロジェクターを紹介しました。あいつにもスピーカーは内蔵されていますが、もちろん映画鑑賞などには役者不足であります。
 そこでいわゆるホームシアターシステムを接続しております。それがこの製品。6月の購入時には8000円ちょいでした。安いでしょ。
 まあ音はそこそこです。人間の声がはっきり聞こえるようなチューニングがされているなと感じますね。それが最初はちょっと不自然に感じられましたが、これもまた作品に集中してしまえば、まったく気になりませんし、音質って慣れですからね、おそらく前のテレビの音質に慣れていたので、最初は不自然に感じたのでしょう。
 ちなみに細長い方のスピーカーはダンプラスクリーンを吊るしているカーテンレールの上に設置していますので、ほとんど見えません。どこにスピーカーがあるの?状態で、それはそれで楽しい(笑)。ウーハーはいろいろな機材のラックにスポッとはめています。
 Bluetooth接続の機能があれば音楽も手軽に楽しめたのに、と最初は思いましたが、FireTV導入後は、iPhoneをAirPlayで接続できるので特に不便は感じませんし、昨日の記事の写真のように、スクリーンにジャケットや曲名が映るというのもなかなかオツなので満足しております。
 そうそう、そのように純粋に音楽を聴く場合、あるいはテレビの音楽番組を鑑賞している際、非常にベースの音がクリアーに聞こえまして、それはベーシストである上の娘も大満足しております。音取りなんかもしやすい。
 よくあるようなやたらと低音を強調して、結果としてモゴモゴしてしまう、あのいやな感じはありません。粒立ちよく聞こえます。これは意外な収穫でありました。
 ま、旧タイプということ、量販店モデルということもあって、とにかく安く手に入ったのはよかった。プロジェクター、スクリーン、オーディオ含めて50000円以内に収まってますからね。けっこうゴージャスですよ。100万円かけたとか思えば(笑)。

Amazon SHARP ホームシアターシステム HT-SL50Y

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2015.10.30

ASUS 小型プロジェクター『P2M』

20151101_64600 チのテレビ事情といいますか、なんちゃってシアターシステムに興味をお持ちの方がいらっしゃるので、少しずつ紹介していきます。
 スクリーンはこの前書いたように780円のダンプラです(笑)。これで充分。それをカーテンレールにガムテープで吊り下げています(笑)。
 で、その銀幕(?)に投影しているプロジェクターがこれ。これ小さくていいですよ。手のひらに乗ります。CDケースより少し大きいくらい。軽さ500gちょい。これをカメラの三脚に取り付けて床に置いています。
 とても小さいので、ちょっとした出張プレゼンの時にもカバンにポイと入れていけるので便利です。リモコンにレーザーポインターがついているのも良い。
 350ルーメンという明るさは夜の映画鑑賞にはちょうどいいくらいです。昼は…なにしろスクリーンがダンプラなので、裏から光が透過してしまい、いまいち。ま、昼間は基本テレビなど観ませんので問題なし。
Th__20151101_7_00_57 昼、すなわち休日はですね、FireTVのアプリでiPhoneのAirPlayディスプレーとして使うことがほとんど。Google play Musicで音楽を聴くわけです。これがなかなかオシャレ。さりげなくジャケットや曲名が投影されますからね。
 とりあえず、100インチ近い大画面が40000円程度で手に入るわけです。この前書いたように、我が家では液晶テレビを買ったことがありません。高いし、どうもあの画像が好きになれないのです。で、ずっと近所でもらった37型ブラウン管テレビを使っていたわけですが、さすがに接続系統が時代に追いつかず、このたびお役御免となったわけです(ダンプラスクリーンの前に鎮座しているオブジェがそれです)。
 それはさておき、この小型プロジェクター、ホント小さいくせに高性能ですよ。光源はLEDで寿命30000時間。輝度も500ルーメンまで上げられますし、画質も1280x800対応ですので、ハイビジョン液晶に負けない解像度です。
 その他の便利機能も充実していますので、ぜひカタログをご覧ください。
 すでに液晶テレビをお持ちの方も、ダンプラとこいつで、ちょっと違った雰囲気を味わうのもいいでしょう。
 ちなみに冷却ファンの音はかなり大きめです。気になる人には気になるでしょう。ウチの場合は、目の前でファンが鳴っていても、作品に集中すると気にならないようで、誰も文句言いませんが。
 明日以降、チューナーやオーディオ関係の機材を紹介していきます。

P2M公式

Amazon P2M


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2015.10.29

『ヒミズ』 園子温監督作品

 日書きましたように、我が家での初Fire TV Stick映画がこれでした。「ヒミズ」。
 もう9年も前のことになるのですね。こちらにいろいろと書きました、古谷実の漫画「ヒミズ」。その映画版です。
 映画化は難しいとされてきましたが、なるほどこういう形に昇華してきたかという感じでした。これは素晴らしい出来ですよ。
 私の漫画「ヒミズ」評、今読むと(自分で言うのもなんですが)なかなか鋭い指摘をしていますね。この映画が非常に前向きなものになったのは、私のおかげでしょう(笑)。
 「優しさ」「笑い」「道徳」「戯画」…最終的に残るのは、やはりこれらでした。
 うん、いろいろ書かなくとも、9年前の記事を読んでいただければ、それでよし。
 それにしても染谷将太くん、いいですねえ。見事に演じきっています。単なる暗い、残酷な映画にならなかったのは、彼の演技による部分も大きいと思います。
 そういう意味では、先日紹介した「バトル・ロワイアル」よりもずっとクオリティーが高い。正直、その世界観に酔いしれてしまいました。
 脚本的にも、言葉のチョイスがいい。太宰治の小説を読んでいるような感覚。
 東日本大震災を織り込んだことには、賛否両論あるでしょう。私の捉え方も時々分裂しました。しかし、個人的な「死」と「生」を描こうとしていた時に発生した大地震、大津波、原発事故によって、それが公的なモノに変化してしまったのは、この映画の運命だったのでしょう。
 もともと、フィクションの中での匿名性を持った「死」と「生」が、リアルな匿名性に成長してしまったのです。震災を戯画化、あるいは笑いに転化することは不道徳ですが、しかし、私たちがそうやって様々な悲劇、苦難を乗り越えてきたというのもまた、リアルな日本人のたくましさだと認めてもいいのではないでしょうか。
 うん、実に面白かったし、感動もした。ストーリー、脚本、映像、役者さんの演技…こういう「空気感」は、いかにも邦画という感じ。外国受けも良いでしょう。娘ももう一度観たいと言っています。

Amazon ヒミズ

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2015.10.28

『Fire TV Stick』 (Amazon)

Th_517wveiaa5l_sl1000_ 画監督を目指すという下の娘の誕生日プレゼント。プライム会員価格で1980円也。安いプレゼントだ(笑)。
 しかし、娘はいきなりの大満足。いずれ詳細は書きますが、ウチのテレビ環境はなんちゃって映画館仕様でして、壁に100インチ相当のダンプラが吊り下げられていて、そこにプロジェクターで投影するという形になっています。
 実はこれが大変よくて、80インチの液晶テレビなんかの10分の1の予算で実現しました。やはり投影じゃないと映画館的な雰囲気になりません。もちろん部屋は半分暗くして鑑賞します。
 そこにこのFire TV Stickが加わったわけです。もともと、プライムビデオが見放題ということで、娘はパソコンでせっせと渋い邦画などを観ていたのですが、今日からはまさに「ホームシアター」でそれを見放題ということになったわけです。
 それにしてもまあ、こんな機能のある機械が、こんな大きさで、そしてこんな値段で手に入る世の中になったんですね。これでは、ますますテレビ(特に地上波)離れが進行しますな。
 安い。小さい。そして接続も簡単。操作も快適。UIもリモコンもよくできていますよ。
 アプリを追加すればYouTubeやニコニコ動画も観られるということで、最近はすっかりジャニヲタになった上の娘も満足気味。これからは「銀幕」の取り合いが始まりそうです(もちろん私も参戦予定。プロレスを大画面で見たい!)。
Th_img_0310 そしてFire TV Stickにて観た初映画が「ヒミズ」というマニアックさ。いや、マジで面白かったし。いい映画ですねえ。原作と違って救いがあるし。また、改めて紹介しますよ。娘も感動していました。
 やはり大画面と、微妙な薄暗さって、映画にとって需要ですね。
 今までのテレビライフになんとなく飽きてしまった人には、ぜひこのプロジェクター&Fire TV Stickの組み合わせを体験してもらいたい。とにかく安上がりで、なおかついろいろな意味で感動しちゃいますよ。
 ま、ダンプラをガムテープで吊っているウチは、昼間はとってもカッコ悪い室内になってますがね(笑)。そして、捨てられない37インチブラウン管テレビがスクリーンの前に遺物として鎮座したまま(笑)。
 つまりウチには液晶テレビは一度も導入されなかったということですね。そんな家庭ってあるんでしょうか?

Amazon Fire TV Stick


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2015.10.27

太宰治 『苦悩の年鑑』

昭和21年撮影
Th_faces05 日ちょっと触れました、太宰の「苦悩の年鑑」を読んでみましょう。
 昭和21年発表のエッセイ。戦前、戦中、完全に「負け組」だった太宰は、敗戦によってある意味「勝ち組」になりました。
 「どうだ。兵隊にならなかった、つまり戦争に参加しなかった私は正しかったのだ」。
 兵隊に「なれなかった」人々の戦後は、本当にそれぞれです。私の家内の祖父は目が見えなかったために兵隊になれませんでした。その「屈辱」が祖父のその後の人生に影をさしていたように思います。
 太宰はいつもずるい人です。彼はこうして言語化、作品化してしまうことによって、いつも自らの劣等感を克服していきました。
 「苦悩の年鑑」とはよく言ったものです。苦悩といえばなんとなく文学然としますが、それはほとんど全てコンプレックスと同義です。
 もちろん、そんな罪深い太宰に、私も大いに惹かれているわけですが、やはり「文章がイケメン」の太宰はずるいと感じますよ。私は全然イケメンではないので(笑)。
 そんなふうにこの作品をひねくれて読むと実に面白い。富嶽百景の富士山に対するのと同じように、太宰の吐く悪口は、実は憧れであったりするのです。
 特に二・二六事件の将校たちに対する強い憎悪の言葉。ほぼ同世代の「日本男児」が死にきったのに対し、当時全く死にきれなかった太宰。このコントラストは面白い。
 しかし、最後は天皇の肩をもって、保守派を宣言するという、ほとんどギャグな展開(笑)。本当に逃げるのがうまいですね。
 では、縦書きでどうぞ。


 苦悩の年鑑   太宰治


 時代は少しも変らないと思う。一種の、あほらしい感じである。こんなのを、馬の背中にきつねが乗ってるみたいと言うのではなかろうか。

 いまは私の処女作という事になっている「思い出」という百枚ほどの小説の冒頭は、次のようになっている。

黄昏たそがれのころ私は叔母おばと並んで門口に立っていた。叔母は誰かをおんぶしているらしく、ねんねこを着ていた。その時のほのぐらい街路の静けさを私は忘れずにいる。叔母は、てんしさまがお隠れになったのだ、と私に教えて、いきがみさま、と言い添えた。いきがみさま、と私も興深げにつぶやいたような気がする。それから、私は何か不敬なことを言ったらしい。叔母は、そんなことを言うものでない、お隠れになったと言え、と私をたしなめた。どこへお隠れになったのだろう、と私は知っていながら、わざとそう尋ねて叔母を笑わせたのを思い出す。」

 これは明治天皇崩御ほうぎょの時の思い出である。私は明治四十二年の夏の生れであるから、この時は、かぞえどしの四歳であったはずである。

 またその「思い出」という小説の中には、こんなのもある。

「もし戦争が起ったなら。という題を与えられて、地震雷火事親爺おやじ、それ以上にこわい戦争が起ったならず山の中へでも逃げ込もう、逃げるついでに先生をも誘おう、先生も人間、僕も人間、いくさの怖いのは同じであろう、と書いた。の時には校長と次席訓導とが二人がかりで私を調べた。どういう気持でこれを書いたか、と聞かれたので、私はただ面白半分に書きました、といい加減なごまかしを言った。次席訓導は手帖へ、『好奇心』と書き込んだ。それから私と次席訓導とが少し議論を始めた。先生も人間、僕も人間、と書いてあるが、人間というものは皆おなじものか、と彼は尋ねた。そう思う、と私はもじもじしながら答えた。私はいったいに口が重い方であった。それでは僕と此の校長先生とは同じ人間でありながら、どうして給料が違うのだ、と彼に問われて私はしばらく考えた。そして、それは仕事がちがうからでないか、と答えた。鉄縁の眼鏡をかけ、顔の細い次席訓導は、私のその言葉をすぐ手帖に書きとった。私はかねてから此の先生に好意を持っていた。それから彼は私にこんな質問をした。君のお父さんと僕たちとは同じ人間か。私は困って何とも答えなかった。」

 これは私の十歳か十一歳の頃の事であるから、大正七、八年である。いまから三十年ちかく前の話である。

 それからまた、こんなところもある。

「小学校四五年のころ、末の兄からデモクラシイという思想を聞き、母まで、デモクラシイのため税金がめっきり高くなって作米のほとんどみんなを税金に取られる、と客たちにこぼしているのを耳にして、私はその思想に心弱くうろたえた。そして、夏は下男たちの庭の草刈に手つだいしたり、冬は屋根の雪おろしに手を貸したりなどしながら、下男たちにデモクラシイの思想を教えた。そうして、下男たちは私の手助けを余りよろこばなかったのをやがて知った。私の刈った草などは後からまた彼等が刈り直さなければいけなかったらしいのである。」

 これも同時代、大正七、八年の頃の事である。

 してみると、いまから三十年ちかく前に、日本の本州の北端の寒村の一童児にまで浸潤しんじゅんしていた思想と、いまのこの昭和二十一年の新聞雑誌に於いて称えられている「新思想」と、あまり違っていないのではないかと思われる。一種のあほらしい感じ、とはこれを言うのである。

 その大正七、八年の社会状勢はどうであったか、そうしてその後のデモクラシイの思潮は日本に於いてどうなったか、それはいずれしかるべき文献を調べたらわかるであろうが、しかし、いまそれを報告するのは、私のこの手記の目的ではない。私は市井しせいの作家である。私の物語るところのものは、いつも私という小さな個人の歴史の範囲内にとどまる。之をもどかしがり、あるいは怠惰とののしり、或いは卑俗と嘲笑ちょうしょうするひともあるかも知れないが、しかし、後世に於いて、私たちのこの時代の思潮を探るに当り、所謂いわゆる「歴史家」の書よりも、私たちのいつも書いているような一個人の片々たる生活描写のほうが、たよりになる場合があるかも知れない。馬鹿にならないものである。それゆえ私は、色さまざまの社会思想家たちの、追究や断案にこだわらず、私一個人の思想の歴史を、ここに書いて置きたいと考える。

 所謂「思想家」たちの書く「私はなぜ何々主義者になったか」などという思想発展の回想録或いは宣言書を読んでも、私には空々そらぞらしくてかなわない。彼等がその何々主義者になったのには、何やら必ず一つの転機というものがある。そうしてその転機は、たいていドラマチックである。感激的である。

 私にはそれがうそのような気がしてならないのである。信じたいとあがいても、私の感覚が承知しないのである。実際、あのドラマチックな転機には閉口へいこうするのである。鳥肌立つ思いなのである。

 下手へたなこじつけに過ぎないような気がするのである。それで私は、自分の思想の歴史をこれから書くに当って、そんな見えすいたこじつけだけはよそうと思っている。

 私は「思想」という言葉にさえ反撥を感じる。まして「思想の発展」などという事になると、さらにいらいらする。猿芝居さるしばいみたいな気がして来るのである。

 いっそこう言ってやりたい。

「私には思想なんてものはありませんよ。すき、きらいだけですよ。」

 私は左に、私の忘れ得ぬ事実だけを、断片的に記そうと思う。断片と断片の間をつなごうとして、あの思想家たちは、嘘の白々しい説明に憂身うきみをやつしているが、俗物どもには、あの間隙かんげきを埋めている悪質の虚偽の説明がまた、こたえられずうれしいらしく、俗物の讃歎と喝采かっさいは、たいていあの辺で起るようだ。全くこちらは、いらいらせざるを得ない。

「ところで、」と俗物は尋ねる。「あなたのその幼時のデモクラシイは、その後、どんな形で発展しましたか。」

 私はの抜けた顔で答える。

「さあ、どうなりましたか、わかりません。」

         ×

 私の生れた家には、誇るべき系図も何も無い。どこからか流れて来て、この津軽の北端に土着した百姓が、私たちの祖先なのに違いない。

 私は、無智の、食うや食わずの貧農の子孫である。私の家が多少でも青森県下に、名を知られはじめたのは、曾祖父惣助そうすけの時代からであった。その頃、れいの多額納税の貴族院議員有資格者は、一県に四五人くらいのものであったらしい。曾祖父は、そのひとりであった。昨年、私は甲府市のお城の傍の古本屋で明治初年の紳士録をひらいて見たら、その曾祖父の実に田舎くさいまさしく百姓姿の写真が掲載せられていた。この曾祖父は養子であった。祖父も養子であった。父も養子であった。女が勢いのある家系であった。曾祖母も祖母も母も、みなそれぞれの夫よりも長命である。曾祖母は、私の十になる頃まで生きていた。祖母は、九十歳で未だに達者である。母は七十歳まで生きて、先年なくなった。女たちは、みなたいへんにお寺が好きであった。ことにも祖母の信仰は異常といっていいくらいで、家族の笑い話の種にさえなっている。お寺は、浄土真宗じょうどしんしゅうである。親鸞しんらん上人のひらいた宗派である。私たちも幼時から、イヤになるくらいお寺まいりをさせられた。お経も覚えさせられた。

         ×

 私の家系には、ひとりの思想家もいない。ひとりの学者もいない。ひとりの芸術家もいない。役人、将軍さえいない。実に凡俗の、ただの田舎の大地主というだけのものであった。父は代議士にいちど、それから貴族院にも出たが、べつだん中央の政界に於いて活躍したという話も聞かない。この父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何も無い、ただ大きいのである。間数まかずが三十ちかくもあるであろう。それも十畳二十畳という部屋が多い。おそろしく頑丈がんじょうなつくりの家ではあるが、しかし、何の趣きも無い。

 書画骨董こっとうで、重要美術級のものは、一つも無かった。

 この父は、芝居が好きなようであったが、しかし、小説は何も読まなかった。「死線を越えて」という長編を読み、とんだ時間つぶしをしたと愚痴ぐちを言っていたのを、私は幼い時に聞いて覚えている。

 しかし、その家系には、複雑な暗いところは一つも無かった。財産争いなどという事は無かった。要するに誰も、醜態しゅうたいを演じなかった。津軽地方で最も上品な家の一つに数えられていたようである。この家系で、人からうしろ指を差されるような愚行を演じたのは私ひとりであった。

         ×

 余の幼少の折、(というような書出しは、れいの思想家たちの回想録にしばしば見受けられるものであって、私が以下に書き記そうとしている事も、下手へたをすると、思想家の回想録めいた、へんに思わせぶりのものになりはせぬかと心配のあまり、えい、いっそ、そのような気取った書出しを用いてやれ、とつまり毒をもって毒を制する形にしてしまったのであるが、しかし、以下に書き記す事は、決して虚飾の記事ではない。本当に、それは、事実なのである)朝、眼がさめてから、夜、眠るまで、私の傍に本の無かった事は無いと言っても、少しも誇張でないような気がする。手当り次第、実によく読んだ。そうして私は、二度繰り返して読むという事はめったに無かった。一日に四冊も五冊も、次々と読みっ放しである。日本のお伽噺とぎばなしよりも、外国の童話が好きであった。「三つの予言」というのであったか、「四つの予言」というのであったかいまは忘れたが、お前は何歳で獅子ししに救われ、何歳で強敵にい、何歳で乞食こじきになり、などという予言を受けて、ちっともそれを信じなかったけれども、果してその予言のとおりになって行く男の生涯を描写した童話は、たいへん気にいって二、三度読みかえしたのを記憶している。それからもう一つ、私の幼時の読書のうちで、最も奇妙に心にしみた物語は、金の船というのであったか、赤い星というのであったか、とにかくそんな名前の童話雑誌に出ていた、何の面白味も無いお話で、或る少女が病気で入院していて深夜、やたらにのどがかわいて、まくらもとのコップに少し残っていた砂糖水を飲もうとしたら、同室のおじいさんの患者が、みず、みず、とうめいている。少女は、ベッドから降りて、自分の砂糖水を、そのおじいさんに全部飲ませてやる、というだけのものであったが、私はその挿画さえ、いまでもぼんやり覚えている。実にそれは心にしみた。そうして、その物語の題の傍に、こう書かれていた。汝等おのれを愛するが如く、汝の隣人を愛せ。

 しかし私は、このような回想を以て私の思想にこじつけようとは思わぬ。私のこんな思い出話を以て、私の家の宗派の親鸞の教えにこじつけ、そうしてまた後の、れいのデモクラシイにこじつけようとしたら、それはまるで何某先生の「余は如何いかにして何々主義者になりしか」と同様の白々しいものになってしまうであろう。この私の読書の回想は、あくまでも断片である。どこにこじつけようとしても、無理がある。嘘が出る。

         ×

 さて、それでは、いよいよ、私のれいのデモクラシイは、それからどうなったか。どうもこうもなりやしない。あれは、あのまま立消えになったようである。まえにも言って置いたように、私はいまここで当時の社会状勢を報告しようとしているのではない。私の肉体感覚の断片を書きならべて見ようと思っているだけである。

         ×

 博愛主義。雪の四つ辻に、ひとりは提燈ちょうちんを持ってうずくまり、ひとりは胸を張って、おお神様、を連発する。提燈持ちは、アアメンと呻く。私は噴き出した。

 救世軍。あの音楽隊のやかましさ。慈善鍋じぜんなべ。なぜ、鍋でなければいけないのだろう。鍋にきたない紙幣や銅貨をいれて、不潔じゃないか。あの女たちの図々ずうずうしさ。服装がどうにかならぬものだろうか。趣味が悪いよ。

 人道主義。ルパシカというものが流行して、カチュウシャ可愛いや、という歌がはやって、ひどく、きざになってしまった。

 私はこれらの風潮を、ただ見送った。

         ×

 プロレタリヤ独裁。

 それには、たしかに、新しい感覚があった。協調ではないのである。独裁である。相手を例外なくたたきつけるのである。金持は皆わるい。貴族は皆わるい。金の無い一賤民せんみんだけが正しい。私は武装蜂起ほうきに賛成した。ギロチンの無い革命は意味が無い。

 しかし、私は賤民でなかった。ギロチンにかかる役のほうであった。私は十九歳の、高等学校の生徒であった。クラスでは私ひとり、目立って華美な服装をしていた。いよいよこれは死ぬより他は無いと思った。

 私はカルモチンをたくさん嚥下えんかしたが、死ななかった。

「死ぬには、及ばない。君は、同志だ。」と或る学友は、私を「見込みのある男」としてあちこちに引っぱり廻した。

 私は金を出す役目になった。東京の大学へ来てからも、私は金を出し、そうして、同志の宿や食事の世話を引受けさせられた。

 所謂いわゆる「大物」と言われていた人たちは、たいていまともな人間だった。しかし、小物には閉口であった。ほらばかり吹いて、そうして、やたらに人を攻撃してすごがっていた。

 人をだまして、そうしてそれを「戦略」と称していた。

 プロレタリヤ文学というものがあった。私はそれを読むと、鳥肌立って、眼がしらが熱くなった。無理な、ひどい文章に接すると、私はどういうわけか、鳥肌立って、そうして眼がしらが熱くなるのである。君には文才があるようだから、プロレタリヤ文学をやって、原稿料を取り党の資金にするようにしてみないか、と同志に言われて、匿名とくめいで書いてみた事もあったが、書きながら眼がしらが熱くなって来て、ものにならなかった。(この頃、ジャズ文学というのがあって、これと対抗していたが、これはまた眼がしらが熱くなるどころか、チンプンカンプンであった。可笑おかしくもなかった。私はとうとう、レヴュウというものを理解できずに終った。モダン精神が、わからなかったのである。してみると、当時の日本の風潮は、アメリカ風とソヴィエト風との交錯であった。大正末期から昭和初年にかけての頃である。いまから二十年前である。ダンスホールとストライキ。煙突男などという派手な事件もあった。)

 結局私は、生家をあざむき、つまり「戦略」を用いて、お金やら着物やらいろいろのものを送らせて、これを同志とわけ合うだけの能しか無い男であった。

         ×

 満洲事変が起った。爆弾三勇士。私はその美談に少しも感心しなかった。

 私はたびたび留置場にいれられ、取調べの刑事が、私のおとなしすぎる態度にあきれて、「おめえみたいなブルジョアの坊ちゃんに革命なんて出来るものか。本当の革命は、おれたちがやるんだ。」と言った。

 その言葉には妙な現実感があった。

 のちに到り、所謂青年将校と組んで、イヤな、無教養の、不吉な、変態革命を兇暴きょうぼうに遂行した人の中に、あのひとも混っていたような気がしてならぬ。

 同志たちは次々と投獄せられた。ほとんど全部、投獄せられた。

 中国を相手の戦争は継続している。

         ×

 私は、純粋というものにあこがれた。無報酬の行為。まったく利己の心の無い生活。けれども、それは、至難の業であった。私はただ、やけ酒を飲むばかりであった。

 私の最も憎悪したものは、偽善であった。

         ×

 キリスト。私はそのひとの苦悩だけを思った。

         ×

 関東地方一帯に珍らしい大雪が降った。その日に、二・二六事件というものが起った。私は、ムッとした。どうしようと言うんだ。何をしようと言うんだ。

 実に不愉快であった。馬鹿野郎だと思った。激怒に似た気持であった。

 プランがあるのか。組織があるのか。何も無かった。

 狂人の発作に近かった。

 組織の無いテロリズムは、最も悪質の犯罪である。馬鹿とも何とも言いようがない。

 このいい気な愚行のにおいが、所謂大東亜戦争の終りまでただよっていた。

 東条の背後に、何かあるのかと思ったら、格別のものもなかった。からっぽであった。怪談に似ている。

 その二・二六事件の反面に於いて、日本では、同じ頃に、オサダ事件というものがあった。オサダは眼帯をして変装した。更衣の季節で、オサダは逃げながらあわせをセルに着換えた。

         ×

 どうなるのだ。私はそれまで既に、四度も自殺未遂を行っていた。そうしてやはり、三日に一度は死ぬ事を考えた。

         ×

 中国との戦争はいつまでも長びく。たいていの人は、この戦争は無意味だと考えるようになった。転換。敵は米英という事になった。

         ×

 ジリヒンという言葉を、大本営の将軍たちは、大まじめで教えていた。ユウモアのつもりでもないらしい。しかし私はその言葉を、笑いを伴わずに言う事が出来なかった。この一戦なにがなんでもやり抜くぞ、という歌を将軍たちは奨励したが、少しもはやらなかった。さすがに民衆も、はずかしくて歌えなかったようである。将軍たちはまた、鉄桶という言葉をやたらに新聞人たちに使用させた。しかし、それは棺桶を聯想れんそうさせた。転進という、何かころころ転げ廻るボールを聯想させるような言葉も発明された。敵わが腹中にはいる、と言ってにやりと薄気味わるく笑う将軍も出て来た。私たちならはち一匹だって、ふところへはいったら、七転八倒の大騒ぎを演ぜざるを得ないのに、この将軍は、敵の大部隊を全部ふところにいれて、これでよし、と言っている。もみつぶしてしまうつもりであったろうか。天王山は諸所方々に移転した。何だってまた天王山を持ち出したのだろう。関ヶ原だってよさそうなものだ。天王山を間違えたのかどうだか、天目山などと言う将軍も出て来た。天目山なら話にならない。実にそれは不可解なたとえであった。或る参謀将校は、この度のわが作戦は、敵の意表の外に出ず、と語った。それがそのまま新聞に出た。参謀も新聞社も、ユウモアのつもりではなかったようだ。大まじめであった。意表の外に出たなら、ころげ落ちるより他はあるまい。あまりの飛躍である。

 指導者は全部、無学であった。常識のレベルにさえ達していなかった。

         ×

 しかし彼等は脅迫した。天皇の名をかたって脅迫した。私は天皇を好きである。大好きである。しかし、一夜ひそかにその天皇を、おうらみ申した事さえあった。

         ×

 日本は無条件降伏をした。私はただ、恥ずかしかった。ものも言えないくらいに恥ずかしかった。

         ×

 天皇の悪口を言うものが激増して来た。しかし、そうなって見ると私は、これまでどんなに深く天皇を愛して来たのかを知った。私は、保守派を友人たちに宣言した。

         ×

 十歳の民主派、二十歳の共産派、三十歳の純粋派、四十歳の保守派。そうして、やはり歴史は繰り返すのであろうか。私は、歴史は繰り返してはならぬものだと思っている。

         ×

 まったく新しい思潮の擡頭を待望する。それを言い出すには、何よりもまず、「勇気」を要する。私のいま夢想する境涯は、フランスのモラリストたちの感覚を基調とし、その倫理の儀表を天皇に置き、我等の生活は自給自足のアナキズム風の桃源である。


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2015.10.26

碧雲荘(太宰治の住んだアパート)

Th_img_0218 並は荻窪の北、天沼にある「碧雲荘」。今、取り壊しの危機にあります。碧雲荘はかの太宰治が一時期住んでいたアパート。太宰の作品にも登場します。
 かの「富嶽百景」。冒頭近く、なんとも違和感のある部分があります。私はそこが気になってしかたありませんでした。引用しましょう。

 東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。冬には、はつきり、よく見える。小さい、真白い三角が、地平線にちよこんと出てゐて、それが富士だ。なんのことはない、クリスマスの飾り菓子である。しかも左のはうに、肩が傾いて心細く、船尾のはうからだんだん沈没しかけてゆく軍艦の姿に似てゐる。三年まへの冬、私は或る人から、意外の事実を打ち明けられ、途方に暮れた。その夜、アパートの一室で、ひとりで、がぶがぶ酒のんだ。一睡もせず、酒のんだ。あかつき、小用に立つて、アパートの便所の金網張られた四角い窓から、富士が見えた。小さく、真白で、左のはうにちよつと傾いて、あの富士を忘れない。窓の下のアスファルト路を、さかなやの自転車が疾駆しつくし、おう、けさは、やけに富士がはつきり見えるぢやねえか、めつぽふ寒いや、など呟つぶやきのこして、私は、暗い便所の中に立ちつくし、窓の金網撫でながら、じめじめ泣いて、あんな思ひは、二度と繰りかへしたくない。

Th_img_0214 太宰が碧雲荘に住んでいたのは昭和11年から12年。激動の時代です。まあここには書ききれないくらいの事件が発生していますね。結果として、碧雲荘に一緒に住んでいた最初の妻初代さんとは、ここで別れることになりました。
 その後もいろいろあったのち、昭和13年に山梨の御坂峠に来るわけです。そして復活。
 考えてみると、時代はちょうど二・二六事件のあたり。事件の時、太宰は薬物中毒で入院中だったと思います。その後、二・二六事件については言葉をきわめて批判していますが、おいおいどの口で言うんだい、という気もしますね(苦笑)。その文章についてはまた紹介します。
Th_img_0220 この築80年以上に及ぶ碧雲荘、計画ですと区の施設建設のためもうすぐ取り壊されてしまいます。地元でも保存、活用運動が起こっていますが、ファンとしてもぜひ残していただきたいですね。移築でもいいので。
 昨日は、三鷹の禅林寺にてお墓参りをしたのち、導かれるように碧雲荘を探していました。いったいどういうメッセージだったのでしょう。地味に太宰とは因縁の仲なので(?)、ちょっと気になります。


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2015.10.25

フジファブリック 『HALL TOUR 2015 Hello!! BOYS & GIRLS @日比谷野音』

Th__20151027_93334 当に素晴らしいライヴでした。武道館に行けなかった者としては、ちょっと周りに置いて行かれた感があったのですが、今回の野音ライヴで私もいろいろな気持ちに整理をつけることができました。
 フジファブリックにとっては9年ぶりの日比谷野音。私にとっては大学以来30年ぶり?あれはなんだったっけなあ。何かの音楽イベントだった記憶がありますが…あの日は暑かった。今回は木枯らしの中、とにかく寒かったけれども、心はほっこり温まりました。
 まずは、メンバー、スタッフ、ファンの皆さんにお礼を言いたいと思います。本当にありがとう。
 時間というのはなんと尊いものなのでしょうね。あれから6年。喪失の哀しみを自分勝手な違和感に転化してくすぶっていた私を救ったのは、淡々とした時間の積み重ねでした。そう、メンバーもファンもちゃんと一歩一歩前進していたのです。
 もちろん志村くんの歩みも止まってしまったわけではありませんでした。今日も披露された「若者のすべて」が、柴咲コウさんにカバーされるとは、あるいは物語の続きとしての「ECHO」がセットとしてああして歌われるとは、志村くんも予想だにしなかったでしょう。そうした変化こそ命だと思えば、やはり彼はちゃんと生きているのだと…。
 「サボテンレコード」や「打ち上げ花火」「モノノケハカランダ」が9年後に歌われ、その周囲を「今」のフジファブリックが埋めていくさまもまた、連環と創造という螺旋階段状の生命の本質を感じさせてくれましたね。
 ある意味、ずるいなとも思いましたよ(笑)。俗っぽく言うなら「一粒で二度美味しい」的なコントラストを作り出せる。どんなバンドも過去曲はライヴの一つの目玉ですけれど、フジファブリックは特別じゃないですか。特にある種の違和感…それは敵対と言ってもいいかもしれない…が時とともにこうして融和していく物語が自然に提示される。
 ただ、そのコントラストが、なんだろうなあ、なんていうか、今回は不思議とお互いにお互いをキラキラ輝かせていたというか、本当に自然に隣り合っていた感じがしたんですね。
 おそらく志村くんも、あの場にいて、同じようなことを感じていたんじゃないかなあ。だから、あんなにたくさん「登場」しちゃった。いや、「志村くん」という言葉が何度も聞けただけでなく、いろいろいたずらしたり(3回以上?)、総くんの髪が風であおられるたびに志村くんに見えたりしたんじゃないでしょうか。
 いや、一番苦しんだのは、あるいは違和感を抱いたり、いやいや、嫉妬していたのは志村正彦本人だったと思うんですよ。いろいろな意味でね。
 そんな彼の複雑な気持ちが、ああいう形で、彼らしく屈折したユーモアの形で現れたんじゃないでしょうか。
 そして、その裏側には、「フジファブリックとして続けてくれてありがとう」というストレートな気持ちがある…そう感じたのは私だけではなかったでしょう。
 演奏のことなど、いろいろ書きたいこともありましたが、もうこれで胸いっぱいです。あっ、総くんお誕生日おめでとう。なんか永遠の少年のようですね。彼に代表されるように、ダイちゃんも加藤さんも純粋ないい人だなあ。そして、ファンの皆さんも。あの空間にいると安心できます。
 さて次の参戦予定はツアー最終NHKホールです。また時が彼らをどう変化させているのか、今から楽しみです。

Amazon Live at 日比谷野音

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2015.10.24

グレート小鹿 vs 宮戸優光 特別トークバトル(UWFスネークピット・ジャパン)

Th__20151025_10_06_03 3時間にわたる長編映画を観るような感覚でした。全ての言葉に情景があり、哀愁があり、時代の香りまでがある。
 73歳の現役レスラー、そして現役チャンピオンでもある、生けるレジェンドグレート小鹿さん。もちろん、この長編映画の主役は小鹿さんご本人ではありましたが、彼を取り巻く、あまりにも個性的な脇役陣(もちろん実際のプロレス界では主役脇役の立場は逆だったわけですが)の魅力的なこと。
 極貧の少年時代から相撲時代、力道山最後の弟子としての日本プロレス時代、全日本プロレス時代、そして大日本プロレス。さらに社会貢献のためのNPO法人の立ち上げ。
 本当に魅力的なエピソードばかりだったのですが、それらに共通していたのは、「縁」と「恩」だと感じました。小鹿さん自身も「偶然」という言葉を何度も使っておられましたが、本当にドラマだったらあまりに出来すぎな偶然が現実にはたくさん起きていました。
Th__20151025_10_06_38 それはおそらく小鹿さんに私欲がなかったからでしょう。ある意味天に任せているところがある。そして、常に人のため世のためが優先している。
 もちろん、成り上がってやる、あいつには負けないという心はありました。しかし、その根本にあるのは、少年時代の「両親に楽をさせてやりたい」という気持ちだったような気がします。
 それにしても、レスラーのトークショーでここまで「社会貢献」という言葉が繰り返されるのは珍しいでしょう。本当に心から「故郷のため」「祖国のため」ということを考えていらっしゃる。つまり「報恩」の精神をお持ちなんですよね。
 世話になった人に恩返ししたい。直接だけでなく、間接的にもお世話になった人…と考えていくと、結局全ての人がその対象となっていく。さ
 これは完全に悟りの境地です。そして、それを実際に行動で示す。これは悟りのもう一つ上の次元です。本当に美しい「長編映画」でした。
 そういえば、こういうお話もありました。力道山が亡くなった時、もう日本のプロレスはダメだと誰もが思ったそうです。それはそうですよね。その時、立ち上がったのが、なんとあの児玉誉士夫だというのです。児玉は全国のヤクザに声をかけ、各地で興行ができるようにしたそうです。
 もし全国のヤクザさんたちの協力がなければ、アメリカのプロモーターに持って行かれたことでしょう。なんか、象徴的な出来事ですね。
 そうしますと、こちらで紹介した昭和39年8月の興行は、児玉誉士夫から声をかけられた富士吉田の吉田川一家の親分田辺多美司がプロモートしたということでしょうか。
 今日はゆっくりお話しできませんでしたが、私は小鹿さんに頼みたいことがあります。近いうちにぜひもう一度お会いして、その話をさせていただきたいと思います。


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2015.10.23

『哲学の謎』 野矢茂樹 (講談社現代新書)

Th_419a2yfc2rl 哲学者というのは憧れの職業ですね。いや、職業と言っていいのかな。哲学で食っていけたらいいなということでしょうか。
 なんていうのは、凡人のそれこそ勝手な妄想であり、実際の哲学者はけっこう苦しい生活をしています。苦しいというのは、お金がないというのもありますが、やはりものを考え続けることは辛い。
 そんなわけで、おそらく現代には本物の哲学者というのは、そんなにいないと思います。philosophyは、今では細分化してしまったという事情もあります。昔の哲学者は、今では科学者や宗教家や芸術家や教育者になってしまって、つまり、スケールダウンしてしまっているとも言えますね。
 日本においては、西田幾多郎、和辻哲郎、鈴木大拙、そして仲小路彰…壮大なスケールはここら辺まででしょうか。
 そんな中、野矢茂樹さんの存在は、私にとってはそれなりに大きいと言って良い。なぜなら、そうした壮大なスケールの古典的哲学を、私たちに平易に語ってくれるからです。
 この本はその最たるもの。認識、存在、時間…それらを私たちの生活感の中で語ってくれている。
 凡人が哲学者を気取るにはちょうどいい易しさです。そう、難しいことを易しく言うことはとても難しい(この表現、ちょっと哲学的?)。
 その難しさと易しさ、懐疑と納得、思考と現実といった、二項対立的な世界の切り分け方…それがすなわち哲学の入り口でもあるわけですが…の象徴として、この本は「対談形式」で書かれています。
 それも、なんというか、両方とも「自分」というか、決して対立だけでは終わらない、終わりたくない、そんな謎の「二人」による会話。
 それが、私たち凡人にもある種の思考実験体験を与えてくれるわけです。だから、ちょっとした哲学者気分を味わえる。気分を味わえることが、哲学の入り口になっているし、その入り口に立っている自分が案外に楽しく気持ちいいのが、すなわち「哲学の謎」たる部分であると、私は感じました。
 私は、「モノ・コト論」と「時間は未来から過去へと流れている」という究極の哲学(?)で世の中を見ています。非常に単純なのですが、なかなか他人には理解してもらえません。おそらくは地球上の哲学ではないのでしょう(笑)。
 一般性、普遍性がなければ、もちろん地球上では哲学とは言えませんから、実際はエル・クソターレの単なる妄想なんでしょう。
 いや、私もこういう対談形式で書いてみようかな。そこから哲学が湧き上がってくるかもしれない。うん、いつかやってみよう。

Amazon 哲学の謎


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2015.10.22

大川隆法 『LOST LOVE - もう 愛が見えない -」

 日、娘の用事で八王子に行くことがあり、あんまり暇だったので、普段絶対観ない映画を観ようという企画を一人思いつき、結果として幸福の科学の映画「UFO学園の秘密」を観てしまいました(笑)。
 映画館は結構いっぱいになっていました。信者とおぼしき年配の方々、親子連れ。1700円のチケットを、前売りでもなく割引でもなく、定価で購入していたのは、おそらく私だけだったでしょう。
 映画自体は、正直…それなりに面白かった。お金かけてるなあ、という感じで、シナリオも作画も声優陣もかなりのクオリティでしたよ。
 内容的にもほとんど同意できる内容でしたが、まあ、これをちゃんと「比喩」として受け取っていたのかなぁ、信者の皆さんは。もし、これを事実として受け取っているとしたら、結構ヤバいですよ、いろんな意味で。
 比喩としても、なんというか、もう前世紀の遺物的な設定、知識が多く、私にとっては同意はすれど、あまり新鮮味はなかったかなあ。
 こういう言い方をすると怒られそうですが、エル・カンターレ、まだまだ甘いな、という感じでした。宇宙神エル・クソターレの私としてはね(笑)。
 劇中、突然流れるのが、この曲。痛い曲を期待?していたので、ちょっと裏切れらました。案外にいい曲でした。本当にエル・カンターレさんの作なのか、私には分かりませんし、どうでもいいことですが、普通に普通な曲ですね。
 イントロなんかも定番ながら、絶妙の味がありますね。やはり水澤有一さんの編曲がいいのか。彼の才能は本物です。
 それにしても、大川隆法さんによる日本語訳詞が、なんとも味わいがありますな。微妙なセンスを感じます。
 オウム真理教の誰かさんなんかとは違い、こういう一般受けする映画や音楽を作れるところが、幸福の科学さんのうまいところでしょう。普通な中に、さりげなく重要な情報を仕組んでいるなと感じました。
 そうそう、豪華な声優陣の中でも、やはり山梨出身の銀河万丈さんの悪役ぶりには、あらためて感心いたしました。

 

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2015.10.21

妄想こそ現実化の「原因」?

Th__20151023_101407 ック・トゥ・ザ・フューチャーの日だったのですね。30年前に妄想した未来が現実化したり、しなかったり。
 しなかったものも、いずれ何年か何十年かしたら実現するでしょう。いずれにせよ、30年前に妄想したことが原因で、その30年前の時点から「これを現実化しよう」という意思が生じた。すなわちその時点で結果が出た。
 それこそが「時間は未来から過去へと流れている」「未来に原因があって現在に結果が生じる」という、ワタクシの(変わった)哲学であります。
 今回、ナイキが自動靴ひも調整シューズの発売を発表したのも、まさにそういう因果関係が働いたからです。30年前にどなたかがあの映画を通じて、そういう未来に対する妄想を抱かなかったら、とりあえず今回こういうものが実際に開発されるようなことはなかったでしょう。
 いや、30年前に妄想したから、今こうして実現したわけだから、やっぱり「過去に原因があって今結果が出たのではないか」とおっしゃる方も多いでしょう。
 そういう考え方も分かります。私も学校ではそうやって教わってきましたし、教えているかもしれません。つまり、科学的な因果関係というのは、当然「時間は過去から未来へ向かって流れている」ということを前提にしていますからね(最近は科学の世界でもその前提が崩れつつあるようですが)。
 私は幼い時から、どうもそうした科学的な真理に違和感を覚えていたんですよね。絶対、時間は未来から流れてきているという実感が捨てられなかった。
 いつかも書いたように、それが江戸時代までの日本古来の時間観だったと信じています。「さっき」という過去を表す言葉が「先」であって、進行方向を表していること。それ以前に、先月とか先の副将軍とか言いますしね。未来は「未だ来ず」ですし、過去は「過ぎ去った時間」を表しますし、和時計は針が固定されていて、盤面が未来方向から過去方向に回りますし。
 こんなことを話してもさっぱりピンとこない方もいますが、逆に瞬時に「なるほどそうだ」と膝を打ってくれる人もいます。
 いったいどっちが正しいんでしょうね。それぞれでいいのかもしれません。あるいは、どっちも間違っているのかもしれません。
 ただ、自分には根拠のない確信があるのです。だから、毎日妄想し続けています。もちろん、明るく、楽しく、美しい未来を。
 ちなみにナイキのシューズはあまり欲しいと思いませんが、もう少し身近なところで、昨日買ったバッグもそうですけれども、「自走式ファスナー」が欲しいなあ、と妄想しております(笑)。

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2015.10.20

2WAYキャリングバッグ(リヒトラブ)

Th_61msncxtgl_sl1001_ 年使ったビジネスバッグがだいぶくたびれてきたので、新しいものをと思い、いろいろ調べた結果、こちらリヒトのシンプルかつ廉価なキャリングバッグを注文してみました。
 で、今日届いたのですが、正直な話、思ったよりずっとしっかりしたものだったのでビックリし、また満足いたしました。なにしろ1200円ちょいですからね。
 とにかく予想していたよりも素材や縫製がしっかりしていて、また見た目、すなわちデザインもおしゃれでした。
 私は「黒」を買ったのですが、実際の色は「チャコールグレー」といった感じでして、実は真っ黒を予想していたものですから、逆に嬉しかった。そう、ワンポイントにもなる、把手の長さ調整用の黒いボタンが、思ったよりも目立って浮き上がっているのです。
 最近はいろいろと仕切やポケットが付いている製品が多い。そんな中、これは本当にシンプル。そういったものは何もありません。単なる「袋」状況。それが逆にいいですね。
 ちなみに私は、以前買ったこちらの収納ケースをバッグインバッグにしています。サイズもぴったりですし、ちょっとした出張の時にも重宝します。
 あとは耐久性ですが、シンプルかつ丈夫そうなので、案外長持ちしそうな予感です。これはいい買い物をしました。
 これを提げて帰宅した私を見て、カミさんも「いいなあ〜、何色にしようかな」などと言っておりました。B4書類が入るので、私たち学校関係者には何かと便利なのですよ。
 リヒトという会社、地味ですがなかなか面白いですね。知らず知らずのうちに私たちもお世話になっています。シンプルで主張がないところが、生活になじむ要因でしょう。
 ちなみに「リヒト」はドイツ語の「光」から来ているとのこと。そして、創設者の田中経人(のりひと)にも掛けているとのこと。なるほど、田中の光ということですか。

Amazon 2WAYキャリングバッグ

リヒトラブ公式

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2015.10.19

めっきり

Th__20151020_11_16_55 っきり秋らしくなりましたね…と言ってみて、ん?「めっきり」ってなんだろうと思いました。
 この文脈なら、「すっかり」と同義という気がしますが、どうなんでしょうか。
 というわけで、調べてみますと…なるほどこの「めっきり」は「めきめき」と同源なんですね。「めきめきと上達する」なんて言う時の「めきめき」です。
 つまり、「はっきり」したイメージですね。明らかにという感じ。
 もともと、「めきめき」とか「めっきり」というのは擬態語(擬音語という説も)でして、たとえば地震で家がきしむような様子、すなわち木の板などに力がかかって変形する様子を、「めきめき言う」とか「めっきり割れる」とか表現したようです。
 そうした目に見えないエネルギーによって、目に見える明らかな変化が見られることを「めき」という音で表したと考えると、「めっきり秋らしくなりましたね」に隠されたニュアンスというのが感じ取れるようになります。「すっかり」とは、やっぱり違いますね。
 「めっきり大人っぽくなった」とか、「めきめき上達した」などという人間の成長、変化にも、目に見えない時間の力が関わっていますね。もちろん「めっきり老けた」なんていうのもそうです。
 「めっきり(と)」はマイナスイメージ、「めきめき」はプラスイメージとする辞書もあるようですが、「めっきり」はプラス、マイナス両方に使われますよね。だいたい「秋らしくなる」ことはマイナスではありませんし。
 この「めき」という音列が持つニュアンスや、それに対する感情には、「もののあはれ」が大きく関わっているように感じます。ちなみに私の「もののあはれ」観は一般的なものとは違うので、「もののあはれ=苦諦」の記事をご参照くださいませ。
 つまり、日本人の古来の世界観、人生観、宗教観、自然観が、「めっきり」という言葉にも表れているということです。案外深い言葉なのですね。
 あっそうそう、「〜めく」の「めく」とも関係あるかもしれません。「秋めいてきた」とか言う時の「めく」ですね。面白いですね。
 

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2015.10.18

河口湖で停電

Th__20151019_70341 ょうど富士河口湖町で法事のお食事中でした。突然、非常灯のみのある意味ムーディーな感じになりました。40分間くらいでしたでしょうか。これほど長い停電は計画停電の時以来ですね。ちょっと懐かしい感覚。
 あとで調べてみると、河口湖変電所の事故によるもので、河口湖以西の約2万軒が停電に見舞われたとのこと。これは大規模停電と言っていいでしょう。
 お店のすぐ近くのステラーシアターでAKBやジバニャンと共演していた娘たちジャズバンド部も、イベント中に停電してしまい、ちょっと大変なことに。自分たちの出番の前には復旧したからいいようなものを、ちょうど停電中に出演していた吹奏楽団のベーシストは音が出せずかわいそうなことに。
 鳴沢村の我が家も停電したわけですが、実は午前中10時ごろ、一瞬停電したんですよね。で、電気機器が再起動したんです。兆候があったということですね。
 というか、実はちょっと気になることが続いているんです、ここのところ。
 家のWiFiが調子悪い、車のキーレスエントリーが効かない、パソコンのソフトが勝手に立ち上がる、ケータイの電波が悪い.…。
 もしかすると、富士山周辺の電磁波環境に異常があるのではないでしょうか。それが何の前兆なのかはわかりますせん。噴火や大地震につながるというのは早計ですが、311の前6ヶ月間くらいは、今思うと明らかな電磁波の伝搬異常がありました。いちおう注意しておいた方がいいかもしれませんね。
 いや、それにしても、今日の停電はある意味季節と時間帯が良かった。気候的には暑くものなく寒くもなく、時間帯も昼だったので助かった。観光業は大変でしたが、日曜日だったというのも、例えば学校からすると幸いでしたね。
 あの歴史的豪雪の時、もし停電していたら…考えるだけでも恐ろしい。今考えれば不幸中の幸いでした。

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2015.10.17

エルサルバドルとのご縁

Th_img_9947 縁がありまして、中米エルサルバドルのサンミゲル学園と我が校が姉妹校関係を結ぶことになりました。
 元はと言えば、昨年の夏、富士山の神様の計らいによってエルサルバドル駐日大使さまと出会い、初対面から一気に意気投合させていただいたことがきっかけでした。
 大使さまのご両親が創設し経営されている学園と本校が姉妹校関係を結ぶことによって、地球平和の一助になれば…そんな願いが1年で実現しました。これもまた人知を超えた力のおかげです。ありがたや。
 その勤勉な国民性から中米の日本ともよばれているエルサルバドル。さらに同じ環太平洋火山帯の一部に属する国どうしとしても、実は深いところで繋がっている両国。サンミゲル市には、富士山とそっくりな火山があります。
 今日は富士山の麓、山中湖において、姉妹校関係締結調印式を執り行いました。本校からはジャズバンド部とダンス部が参加、天候が心配されましたが、奇跡的に晴れ間ものぞいて、富士山も姿を現しました。
 セラヤンディア・マルタ大使さまは、本当に素晴らしい方です。ぜひ、昨年の夏のこちらの記事をお読みください。そこに紹介した、日本とエルサルバドルとの歴史秘話については、改めてリンクを貼っておきます。私も知らないお話でした。

セラヤンディア・マルタ エルサルバドル大使インタビュー
力の論理を理解しなければ 平和な国づくりはできない

 子どもたちが地球の裏側どうし友情を深めていくことを祈ります。まずはインターネットを使って英語で交流を始めます。非常に遠い国ですので、相互訪問はまだまだ先のことになりますが、必ずや実現したいと思います。姉妹校関係は締結のあとが大変ですから。今日をスタートにして頑張ります。
 12月には秋篠宮佳子さまを団長とする訪問団がエルサルバドルを訪れるとのことです。私も今日からスペイン語を勉強しますね。
 大使さま、本当にありがとうございました。

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2015.10.16

7代目アルトバン

Th_unknown ろいろ事情がありまして、我が家の7代目アルト3台目です。茶色、赤、そして白となりました。
 同じ車を3台買い換えるウチもないですよね。非常に特殊な事情がありまして。
 それも今回の白は「バン」。すなわち貨物車。4ナンバーであります。
 そう、私が大学時代初めて所有した車が、まさに4ナンバーの白の初代アルトでありましたから、実に30年ぶりに原点回帰ということになります。
 逆に言いますと、この30年の間の軽自動車の技術進歩を痛感することになりましたね。特にエンジンの性能アップは驚くべきレベルです。
 30年前のF5Aの基本設計が素晴らしかったのだとも言えますね。現在のK6Aもその直系の子孫ですから。軽自動車もどんどん重くなっている中で、走りはどんどん軽やかになってきました。
 ご存知のとおり、8代目の新型アルトは、再び軽さを追求した名車になりましたね。本当はそちらにしようかと思っていたのですが、何しろ先立つものがなくて、旧型の新古車を購入することにしました。
 四駆のオートマなので燃費はあまりよくありませんね。リッター16キロが限界。前に乗っていたアルトエコは20キロ行くか行かないかでしたから、ちょっと残念。ちなみに初代は21キロくらい走りました(2WDのMTですが)。
 今回バンになって、ちょっと感動したのは、全ての窓の開閉がパワーウィンドウではなく、手回し式だということです。これはジムニー以来だなあ。懐かしいし、実用的で心地良い。軽自動車だと、手を伸ばせば助手席のノブにも届きますし。
 これは非常時の安全面を考えても復活すべき装置ではないかと思います。パワーウィンドウって、案外思いどおり動かないし。私は手回しが好きです。
 貨物車登録なので、当然後部座席は狭いですし、背もたれは直立していますが、さっそく詰め込まれた娘たちは、逆に喜んでいました。ウチの家族は猫みたいに狭いところが好きなので(笑)。手回しにも歓喜。そっか、今の子どもって手回し見たことないんだ。
 これで我が家の車は2台とも、軽貨物車になりました(笑)。2台の税金、年間8000円也。今度は10年乗るつもりで大切にいたします。
 

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2015.10.15

フジファブリック 『GIRLS』 (その2)

Th_516wmpsm7dl て、昨日の続きといきましょうか。昨日の記事については、いろいろ賛否両論をいただいております。それはすなわち、現在のフジファブリック自身に対するそれぞれの思いなのでしょうね。
 いつかも書きましたが、たとえばかのビートルズなんか、とにかくファンをどんどん裏切るような進化を遂げていきました。冷静にあのアルバム群を発表年代順に聴いていけば、それはそれは大変な変化ですよね。同じバンドとは思えないほど。
 ファンというのは(私を含めて)大変わがままなものです。そうしたファンを巻き込んで、そう、ファンをも変化、成長させてしまうようなバンドが最終的に成功を収め、レジェンドになっていくんですね。今、フジファブリックもそういう過程を歩んでいるのでしょう。
 では、続きを。
3「キノウ」
 2でも大活躍だった加藤さんの作品。いきなりベースのパッセージから始まります。加藤さんの詞や曲は、相変わらずマイペースな感じでいいですね。この曲なんか、志村くんも普通に歌いそうですね。BOYSの「夏の大三角関係」と一緒に聞いてほしいとのことですが、そうそう、ファンの皆さん、 このGIRLSとBOYSを同じプレイリストに入れて、シャッフルして聴くと実に新鮮ですよ。つまり、男子と女子をごちゃまぜにして、それでいろいろな出会い(恋)を楽しんじゃうんですよ。もしかすると、それが「正式な」楽しみ方なのかもしれません(笑)。
4「裸足のバレリーナ」
 大ちゃんの曲。これが実は一番「志村色」が強いですね。えっ?と思われる方もいらっしゃるでしょう。音楽的にはユーロビートですから、ちょっと昔のフジファブリックとは違う感じですよね、たしかに。でも、あの総くんの声をちょっと妄想で志村くんにしてみてください。あっ、「志村節」だというところがたくさんあります。
 そういうところから、大ちゃんの志村くんへの思い入れというか、志村くんからの影響というのを感じないわけにはいきません。
 去年の命日、志村くんのお墓で偶然メンバーの皆さんとお会いしました。冷たい水に手を浸して、お墓に登って、一生懸命墓石を磨いていた大ちゃんの姿を思い出します。
 私はこの曲が一番好きです。
5「BABY」
 1「夜明け前」にエンディングの座を奪われるかと思いきや、この曲もまた鳴かせますねえ。ベースの下降音型といういわゆる王道進行にプチ転調の胸キュン進行など、コテコテに陥りやすい展開ですが、そうなっていないところは、総くんの、ある意味テクニシャンなところ。そして、やはり大ちゃんのセンスでしょうかね。こういう曲で、あんなビヨ〜ンな音色は使わないでしょう、普通(笑)。そこがフジファブリックなんですよねえ。三枚目という頑なな個性。やっぱりアイドルにはなれませんね(笑)。
 ちなみに、ドシ…と下がっていくベースの上に、同じくドシ…と下がるメロディーを乗せるのは案外勇気がいりますし、半端なプロはそこさを避けようとするんですよね(クラシックの音楽家たちももちろんそうです)。その勇気を持っていて、かつちゃんとそれを名曲に仕上げたのは、私が知っている限り、吉井和哉(「JAM」)しかいません。
 というわけで、いろいろ好き勝手書いてきましたが、とにかく「男子と女子のシャッフル」をおススメします。
 25日、日比谷野音に行きます。そこでどんなシャッフルが聴けるか、今から楽しみです!

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2015.10.14

フジファブリック 『GIRLS』 (その1)

Th_girlsjk ューミニアルバム発売日。ちょうど今日は外回りの日だったので、一気に車の中でヘビーローテション。
 最新のフジファブリック観については一昨日の記事に結構書きましたので、今回は珍しく全曲を私的にレビューしてみます。あくまで私的な感想ですので、あんまり目くじら立てないで読んでくださいね(笑)。
1 「夜明け前」
 Coversで初めて聴いた曲。たしかにこのアルバムを象徴する曲かもしれませんね。6月に発売された「BOYS」のやんちゃぶりとは対照的に実に繊細な音楽を頭に持ってきましたね。いきなりエンディング感がある(笑)。
 志村くんの持っていたあの独特のフェミニンさとはかなり違った、山内総一郎風の女性観、少女観がよく表れている作品ですね。はっきり言っちゃうと、男の妄想としての変態さ(女子自身というよりは女子への視線の変態さ)は影を潜め、異様なまでの純粋さがちょっと気恥ずかしいくらい(笑)。
 大ちゃんのキーボードがかつてのフジの思い出を私たちに見せて(聞かせて)くれているのが、またなんとも効果的。ある意味サディステックだな。特にエンディング前、「胸キュン」音を露骨に弾いてしまうところなんか。
 まあ、とにかく名曲ですよ。何度聞いてもいい。冬の夕刻の感じにぴったりですね。
2 「Girl!Girl!Girl!」
 これはビックリ。というか、アレンジ力ってすごいですね。というのは、これを聴いた上の娘(ジャニヲタのベーシスト)が、あっ!ジャニーズにみたいって言ったんですよ。SMAP+嵐+Hey! Say! JUMPだって。そう、そのとおりなんですよ!よく分かったな。だいぶプロっぽくなったな(ベーシストとして?いやジャニヲタとしてか)。
 そうなんです、アレンジャーはかのCHOKKAKUさん。たしかにジャニーズ専属?アレンジャーさんですよね。過度にゴージャスなブラス&ストリングスのキラキラ王子様サウンド。
 70年代ソウルが大好きなワタクシとしては、こういうキラキラ感たまりません。それがフジファブリックだっていうところが衝撃なんですよね。志村くんだったらこうはならない。スカパラまででしょう。
 たしかに見事なアレンジです。ベースラインが実に良い。加藤さん頑張りましたね。ベーシストとしての彼の右手、左手は理想の形です。色っぽい。これもまた隠れた「女子力」(笑)。
 いや、なんというか、私はいいと思うんですよ。案外、フジのメンバーって「王子様キャラ」じゃないですか(志村くんも?)。アイドルになれとは言いませんが、自分たちのキャラを活かすっていうのは大切なことです.
 PVがまたビックリ。乃木坂46の橋本奈々未とオオカミ(笑)。新境地ですね。

 というところで、時間がなくなってしまったので、残りの曲については明日書きます!

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2015.10.13

複合型充電器 『NOBIL MIXJUICE (ミックスジュース)』

Th_710l5muhl_sl1500_ ッテリーマニアの私です。これってある種の病気ですね。バッテリー(特に補助バッテリー)が好きな私というのは、すなわち、「バッテリー切れ恐怖症」の私であるということでしょう(笑)。
 ま、それはいいとして、マニア的に「こういうのがほしかった!」というのがコレ。ミックスジュース。
 なるほど様々な「ジュース」がミックスされていますね。
 つまりこういうことです。まず、単三と単四の充電池を家庭用のコンセントから充電する充電器としての機能。次に、家庭用のコンセントからUSB出力を介して、iPhoneやスマホなどを充電する機能。そして、充電した充電池からUSB出力する機能(ついでに言えば緊急時に市販のアルカリ乾電池から充電することもできますね)。
 今までは、たしかにこれらの二つの機能を兼ね備えたガジェットはありましたが、三つというのは珍しい。旅先に持っていくには最適と言えるでしょう。私、デジカメ乾電池式のものを使いますし。
 ただ、ちょっと高いですね。半額だったらもっと売れるでしょうに。これだったら、二つのガジェットを持ち歩けばいいということになる。その方がずっと安上がりです。そのうち価格もこなれてくるのかもしれませんが。
 ところで、付属のニッケル水素充電池満タンでiPhoneを70%弱まで充電できました。私はスペアのエネループも数本持ち歩いていますから、必要とあれば満充電も可能です。
 ま、さっき書いたように、ちょっと高めですけれど、こういうモノ好き、いや、こういうモノが好きな方は手に入れてみてはいかがでしょうか。
 それにしても,早く「電池」「充電」問題が解決しないかなあ。キャパシタ、水素電池、いや携帯型核融合発電機?ぜひ日本人が開発、普及させて、ノーベル賞を取ってもらいたいなあ。

Amazon NOBIL MIXJUICE

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2015.10.12

The Covers 『フジファブリック』 (NHK BSプレミアム)

Th_20151013_70632 日のCoversはフジファブリック。竹内まりや「純愛ラプソディ」と小沢健二の「ぼくらが旅に出る理由」をカバー。選曲はどういうわけかそんなに意外な感じがしませんでした。
 妙にしっくり来たのは、彼らのアレンジが絶妙だったからでしょうか。カバーって難しい。コピーすると違いが余計目立つし、自分らしさを出しすぎると大概痛いことになってしまう。そういうものです。
 そういう意味で、「純愛ラプソディ」は男性ボーカルになる分、あまり気負わず自然でノーマルなアレンジ、そして、「ぼくらが…」では、思い切ったフジ風アレンジにしたのが功を奏したと感じましたね。
 いや、この番組ってアーティストにとっては楽しみでありながら、かなり緊張する酷な番組でもあります。今まで、そのバランスとやらを誤ってしまった例を何度か聴きましたから。
 それはそうと、個人的には二つの大きな感慨を覚えました。
 一つはプロフィールにもどこにも「志村正彦」の名前が出てこなかったこと。いや、それは予想していたことでもありましたが、実際に志村くんの声は流れても、名前が出てこないことには、さすがに感じるものがありましたね。
 もう充分に彼らはそこから立ち上がって、そして歩み始めているとは知りながら、やはり「フジファブリック」というバンド名が生きている限り、私たちの特別な思いも生き続けます。
 ですから、正直に言うと、ショックだった反面、なるほどと納得してしまうところもあり、とても複雑な気持ちになりました。思い出迷子にはなりたくないけれど、でも、やはり忘れたくない思い出というのはあります。
 それと大いに関係しますが、総くんのボーカルの上達ぶり、いや、もう上手くなったとかいう次元ではなく、ボーカリストとして実に魅力的になったなという感動もありました。
 志村くんの突然の不在が、総くんに課した試練は、とんでもなく大きかったはずです。なにしろ「天才」の後を継がねばならなかったわけですから。
 上手い下手で言えば、志村くんはあまり上手いボーカリストではなかったけれど、彼が発する言葉には不思議な力、重みがありました。
 それにはもちろん、作詞作曲能力という要因もありましたが、実はそれに加えてあの独特の歌が重要なファクターになっていたのです。
 いわば、その三層のプレッシャーを、総くんは引き受けたのですから、それはそれは大変だったことでしょう。
 たまたま知り合いが、そんな総くんの影の努力を知る人で、その方からいろいろと話を聞いていたので、本当に今日の演奏(歌)には、グッとくるものがありました。
 もちろん、テクニック的にも上達していますが、それ以上に、彼らしさ、今のフジファブリックらしさが存分に現れており、ある意味では志村くんの影も薄くなって当然だなと、それこそちょっと複雑な思いではありますが、しかし、納得せざるをえないというか…。
 特に、新曲の「夜明け前」は素晴らしかった。作詞、作曲、編曲、演奏、そして「歌」。純粋にとてもレベルが高かった。どこに出しても恥ずかしくない。きっと志村くんも「すごい!」と言ってくれるだろう。そんなふうに感じました。
 今のフジファブリックが進化すればするほど、また、志村くんの楽曲も輝きを増してくる。そういう意味では、今のフジファブリックにも、私たちにも、やはり志村くんは生き続けているわけですね。名前が出て来ずとも。
 あさって発売になる「GIRLS」、とても楽しみです。

Amazon GIRLS


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2015.10.11

ピゼンデル 『無伴奏ヴァイオリンソナタ イ短調』

 ッハと同時代の名ヴァイオリニストにして作曲家であるピゼンデル。有名なバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータは彼のために作曲されたという説もあります。
 彼のために書かれたヴァイオリン協奏曲などはたくさんありますが、ピゼンデル自身の作品はそれほど多くは残されていません。そのうちの1曲がこの無伴奏ソナタです。
 当時としてはかなり高度なテクニックを要求する曲ですね。私も楽譜をこちらから手に入れてちょっと弾いてみましたが、すぐに断念(笑)。
 ヴァイオリン弾きの方ならお分かりと思いますが、正直バッハの無伴奏作品よりもテクニック的には難しい。当時これを弾けたヴァイオリニストがどれくらいいたことか。
 そして、この曲、音楽として超カッコイイですよね。聴きごたえもあるし、見ごたえもある。そう、ライヴでやったら受けますよ。
 ということで、最近、この曲をリサイタルで演奏するヴァイオリストが増えてきています。モダン、オリジナルを問わず多くの演奏家が挑戦しています。
 上の動画は、モダンも古楽器もスイスイ弾いてしまうレイチェル・バートン・パインのライヴです。うまいですねえ。ガット弦、バロック・ボウでもこんな音出せるんだ。
 悪魔に魅入られたヴァイオリニスト、レイチェル・バートン・パインについては、こちらに詳しく書きましたのでご覧ください。
 いかにもバロックという演奏もお聴きいただきましょう。最近大活躍のフランス人女性バロック・ヴァイオリニスト、アマンディーヌ・ベイエの演奏です。繊細な演奏ですね。

 

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2015.10.10

都留文科大学創立60周年記念式典

Th__20151011_7_36_23 の出身大学は都留文科大学です。
 正直、数年前まではあまり大きな声で言えなかったのですが、最近は堂々と出身大学名を言えるようになりました。
 今思えば実にくだらない、ある種の学歴コンプレックスがあったわけです。ホント馬鹿ですね(笑)。
 半世紀生きてようやく、出身大学の知名度やら偏差値なんか、その人の業績や人格といった「価値」とは全く無関係だとわかったわけです。考えてみればそんな基本的なことも知らずに先生をやって、進学指導なんかやっていたのもまた、実に恥ずかしく申し訳ないことですね。
 そう、ちょうど5年前に、国文学科創設50周年のイベントに参加していますが、その頃はまだおバカだった記憶があります。自分もここ5年でようやくまともな人間になったかと思うと感慨深い(苦笑)。
 やはり式典も50周年より60周年の方がずっと大掛かりでした。ということで、単純な私は、早く60歳になりたいなと思いました。今よりさらにまともになっているでしょうし、今日の式典のテーマでもあった、「還暦=reborn」という意味でも、どんな自分になっているか楽しみだなあと思った次第です。
 今日は卒業生としてというより、奉職している学校の代表という立場での参加でした。他の参加者も基本そういう感じでして、50周年の時のような同窓会的な雰囲気はなくて、ちょっと残念。
 しかし、母校のリボーンに対する熱意は強く感じることができ、実に嬉しく思いました。新しいロゴ、愛唱歌、文科省顧問の山中伸一さん(都留市出身)の講演、それぞれ私にとって大変魅力的なものでした。
 小さな市の文学部だけの単科大学。教員養成メインの歴史。一見これからの大学受難の時代には厳しいように感じられますが、ある意味、こうした世間の動きと逆行するようなローカリズムや人文科学や教育やヒューマニズムといった「日本的なるもの」こそ、私の考える「グローバル・ファミリズム」発信の原点になりうるのかなと直感しました。
 愛唱歌の「都留はuniverse」。なかなかいい曲でした。単科大学なのにcollegeじゃなくてuniversity?と昔から言われてきましたが、そこを逆手にとっての曲名なんでしょうか。妙に納得してしまいました。
 私も還暦を迎える頃には、私を富士山に招いてくれたこの都留文科大学に恩返しができるようになっていればいいなあ。今年のノーベル賞が山梨大学や埼玉大学を有名にしてくれたように。
 今の私のベースを作ってくれたこの田舎の弱小公立大学の名を世界に届けられるように、私なりに頑張ります。

都留文科大学
 

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2015.10.09

『バトル・ロワイヤル』 深作欣二監督作品

410xp8jrqcl 藤政信が結婚していたというニュースを見て、久しぶりに観てみました。プライムビデオで無料で観られましたので。
 この映画は評価が分かれましたよね。今でもそうでしょう。毀誉褒貶。分かります。
 ずいぶん昔にちょっと書いたような記憶もありますけれど、私は原作の小説「バトル・ロワイヤル」を非常に高く評価しています。珍しく一気に読んでしまった小説でした。
 小説にしろ、映画にしろ、毀誉褒貶の「毀貶」の部分は、「残酷だ」という理由でしょうね。もちろん、そこには不快感を催します、私も。当然ですね.
 しかし、私は最初から高く評価している。その不快感も含めて。
 そう、この作品は「自分も同じ状況だったらこうなるかもしれない」という可能性を提示してくれているわけですね。それもいろいろ選択肢を。
 友人を殺してでも生き残るのか、それとも殺されても友人を信じるのか、知恵を駆使して根底から状況を覆す努力をするのか、あるいは自殺するのか。
 人間(自分)は究極の状況に置かれたら一体どうなるのか。現代のような平和の世の中では、それを考えないから、非常に単純な議論が多くなる。安保の時もそうです。安全だと分かっているから、危険、それも他人の(例えば不特定の「子どもたち」の)危険を語ってしまう。
 実際の危険、たとえば「戦争」の現場では、そんな議論は無駄になってしまうのです。
 では、そんなノー天気な現代日本で、そうした「究極の状況」「不条理な命の危険」を作り出すとしたら、この映画(小説)のような設定をするしかないですよね。
 だから、私はこの作品をかつては「平和教材」として使いました。批判もありましたが、今でも間違っていなかったと思います。というか、久々に教材として使おうかなと思いました。センチメンタルでメランコリックでエモーショナルな戦争教材よりはずっといいでしょう。
 この「バトル・ロワイヤル」はフィクションですが、先の戦争はリアルです。しかし、そのリアルは,、あくまで70年以上前のリアルですから、どうしても道徳的な解釈になりやすい。
 その点、こちらのフィクションは今(と言ってもなんと15年前なんですね)ですから、ずっと教材としてはリアルになりうる。
 そうなんです。「今」の「自分」にも、そういう「狂気」「残酷さ」「非情さ」があるということを原点にして学習しないと、全く他人事になってしまうのです。それが戦後教育の失敗そのものですよ。
 ということで、皆さんも是非ご覧ください。そして不快な気持ちになってください。心から戦争がいやになりますよ。いや、戦争する「自分」がいやになりますよ。
 深作欣二さんがあえてこの作品を「今」問うた意味はそこにあるのでしょう。そして、安藤政信がセリフを拒否した理由も実はそこにあると思うのです。
 安藤政信、一時期全く姿を見ませんでしたが、今年からはまた映画にどんどん出てくれるとのこと。楽しみですね。あっそういえば、ウチの姉貴、安藤政信のウチに遊びに行ったことがあるんだよな。風呂まで入ってきたとか(笑)。地味にうらやましい。
 それから、「今」の山本太郎、正直大っ嫌いですけど、もしかすると、この映画で生き残っちゃったから、「左翼」に転向したのかもしれませんね(笑)。
 そして、やっぱり北野武はすごい。以上。

Amazon バトル・ロワイヤル


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2015.10.08

Fire タブレット 8GB

Th_6131srnjhql_sl1000_ 月、ちょうど(?)愛用していたKindle Paperwhiteが起動しなくなりまして、Amazonに電話したところ4000円で新品と交換してくれるとのことでした。明らかにハードではなくソフトの問題なのに、「物」を使い捨てするのはどうかと思い、とりあえず代替品は頼まずにおりましたところ、こちらのFireタブレットが発売になる、それもプライム会員は4980円で買えるという情報が入ってきました。
 私はプライム会員で、Kindleを月一冊無料の本読むために使っていましたから、本当なら再び電子インク端末を買うべきだったのでしょう。しかし、ちょうど先月から「プライムビデオ」という、これまた魅力的なサービスが始まっていたので、じゃあ、思い切って「980円」多く払ってタブレットを買ってしまおうと思い、ついポチってしまいました。
 結論から言いますと、お値段以上の端末でしたね。同じくらいの値段の中華タブレットに比べると(このFireも中華ですけど)、ずっと安定感、安心感があります。
 電子ブックリーダーとしては正直Paperwhiteには全く及びませんが、ま、ビデオを見たり、ネットサーフィンしたりできますから、良しとしましょうか。
 FireOSはAndroidの亜流のようですが、使えるアプリも限られており、なんであえて独自OSを採用するのか、私にはよく分かりません。
 それにしてもAmazonプライム会員の特典は太っ腹ですねえ。当初は当日配達くらいしかメリットがありませんでしたが、今では、本は月一冊無料ですし、プライムビデオで映画やドラマを見放題。すぐに元が取れてしまいます。すごい商売ですね。これならみんなプライム会員になるでしょう。
 なんだかんだ自分もAmazonに依存する生活をするようになってしまいました。街の本屋さんやレンタルビデオ店にはすっかり行かなくなってしまった。これでいいのかなという気もします。
 都会と地方の情報&商品格差がなくなるという意味ではいいのかもしれませんが。どうなんでしょう。地方と言っても、山梨のように東京の隣だからこそのメリットもありますよね。
 ウチのような山の中に、夜遅く配達してもらうのは悪いので、最近ではヤマトの店頭預かりを利用するようにしています。結局大変なのは宅配便の皆さんですからね。佐川が撤退するのもわかる。Amazonはもうけるばかり…その片棒をかついでいるのか、自分も。

Amazon Fire タブレット 8GB


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2015.10.07

祝!馳浩さん文科大臣就任

Th_2015100700000083dal0004view 日に続いてうれしいニュース。元プロレスラー(いや今でも現役かも)の馳浩さんが、第3次安倍内閣の文部科学大臣に就任することになりました。
 レスラーとしても本当に超一流。何度も生で拝見したことがあります。政治家になってからも、まあ、お忙しいのにいったいどうやって時間を作っているのか、本当に体をしっかり鍛えていらっしゃる。
 いや、それ以前に、政治家としてとにかく勉強熱心だということを、お仲間の方からお聞きしたことがあります。読書量が半端ではないと。
 さらにそれ以前に、私は同業者としての馳先生も尊敬しているのです。そう、ご存知のとおり、馳さんは元私立高校の国語教師。それも古典が御専門です。今日も俳句で就任の気持ちを表現されていましたね。
 このように、いろいろな意味で、自分の仕事や趣味と重なる大臣さんの就任に、私も大いに期待をしてしまいます。
 いろいろガタガタしたオリンピックの担当大臣としても、重責を担わなければなりません。ご自身のオリンピック出場体験を生かすのはもちろん、新日本、全日本両方で活躍した経験、すなわち猪木さん譲りの闘魂と、馬場さん譲りの和の精神で、なんとか乗り切ってもらいたいですね。
 近いうちにお会いする機会もありそうです。楽しみにしております。プロレスラー馳浩のベストバウトは…難しいですね。たまたま久しぶりにこれを見て、まあ見事なプロレスラーだなあと再確認しました。技はもちろん、感情の表現が完璧。相手とお客さんのいいところまで引き出していますね。

 あと、これですね。

馳浩公式

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2015.10.06

祝!大村智さんノーベル賞受賞

Th_2015100800000003asahik0001view 梨出身のこんな立派な、というか、素敵な人物がいるなんて、正直なところ知りませんでした。恥ずかしや。
 いわゆる優等生タイプではなく、文武両道どころか、どちらかというとやんちゃで遊びの達人。スポーツに美術…だからこその発見、業績であったというのが、実に痛快ですよね。
 さらに、名誉やお金に執着がなく、美術館や温泉を作って自治体に寄付したり、本当に魅力的な人ですね。
 ちょうど学校では定期テストが終わり、答案を返したりしたわけですが、「学校の勉強なんてできても大した人間にはなれないぞ」と言ってやりました。満点取った優等生が苦笑してましたね(笑)。
 いや、実際そういう部分はありますよ。経験的にというか、統計的にもそういうことが言える。案外、学校という枠から外れたヤツの方が大物になっています。
 だから、教師というのは難しいのです。優等生をほめちゃいけない部分もあるわけです。逆に規格外の生徒の潜在能力を引き出さねばならない。ま、そこが面白いとも言えますし、自分はどちらかというとそういう仕事が得意だったりします。
 それにしても、大村さんの「人のためになることをする」という基本姿勢は、本当に立派ですね。言うは易く行うは難しです。
 なるほど、「どちらにするか迷った時は、人のためになる方を選べばよい」というお言葉は真理ですし、生きていくにあたっての術であるとも言えますね。私もこれからそういうふうに判断したいと思います。
 地元の山梨大学も大喜びですね。国立大学の中では決して目立った存在ではなかったけれども、大村さんの「遊び」の部分をしっかりサポートして育てたというのは、実は評価されてもいいのかもしれません。
 大村さんの気取らないしゃべり方が、いかにも「山梨のおっちゃん」風でして、本当に身近に感じます。
 かつての甲州財閥の面々や、山梨出身の昭和の政治家は、みんなこんな感じの「おっちゃん」だったんではないでしょうか。
 語弊があるかもしれませんけれども、いわゆる「やくざ気質」とでも言いましょうか、今ちょっとその辺を調べていて、私自身も憧れるところがあるんです。
 大村さん、山梨を日本の教育再生の中心地にしたいとおっしゃっていました。なるほど、あえてのそういう発言には、それなりの可能性と価値を感じました。私も微力ながらそんな夢のお手伝いができればと思います。
 本当におめでとうございました。
 

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2015.10.05

小型UFOに遭遇!

Th__20151006_104357 日のことです。お祭りでのバンド演奏が終わって、オヤジの皆さんと打ち上げでちょっと飲みまして、家内の運転でウチに帰ろうといつもの山道を走っていた時のことです。
 ウチまであと少しというところに、急カーブ、急坂があるんですが、そこを下り始めた時、夫婦で思わず「あっ!」と声を上げてしまいました。「ぶつかる〜!」と思ったのです。
 そう、最近、我が家の近く、すなわち富士山の麓では鹿の群れが道をふさいでいたり、急に飛び出してきたりすることが多く、実を言いますと、先週私は車で鹿と衝突してしまったのです。
 幸い、急ブレーキをかけて車が停止した瞬間に鹿ちゃんとぶつかったので、その鹿ちゃん(まだ子どもでした)は転んだだけで、すぐに立ち上がって元気に仲間と走り去りました。お互いにとって不幸中の幸いでした。
 そんなわけで、特に夜道を走る時は、かなり注意していたつもりなのです。しかし、その物体(?)は、あまりに突然現れました。
 うまく言葉では言えないのですが、まず私が気づいたのは、車の前方に淡い筒状の光の柱が横たわっていたということです。
 その瞬間私は、多少の違和感は抱きながら、目の前の横たわる柱は、局地的に発生した霧か、どこかから流れてきた煙を、車のヘッドライトが照らしたものだと判断しました。
 が、次の瞬間その判断は間違っていたと気づかされました。その淡い光の束の中に一つの光る円盤が見えたからです。そうですねえ、大きさは、直径20センチくらいでしょうか。
 それが何であるかよりも、とにかく私たち二人は「ぶつかる!」と思ったのです。家内はブレーキを踏みましたが、もうその物体を視認したのが、おそらく2メートルくらいの距離でしたから、それは間に合うわけはありません。いくら急カーブのすぐ後とはいえ、30キロは出ていたと思いますから。
 鹿ちゃんの時より、「やばい!」と思ったその刹那、信じられないことが起きました。
 車の真正面から迫ってきたその青白いドーナツ型の円盤は、瞬時に左右二つに分裂して、見事な曲線を描いて車を避けて通り過ぎて行ったのです。
 「何、今の?」
 二人はそのまま車を走らせ、家のすぐ近くまでやってきましたが、私はどうしても先ほど見た謎の円盤をもう一度見たくなって、車を転回させて、再びその「現場」に戻ることにしました。「え?行くの?」…家内はちょっと怖がっています。
 先ほどの遭遇から2分くらいしか経っていないはずです。まだ「彼ら」はいるか、あるいは痕跡があるか、はたまた種明かしとなる事実(たとえば煙が漂っていて再び同じ光学的現象を体験できるとか)があるかもしれない。
 ところが、その坂には何もありません。余韻すらありません。いつものあの坂です。
 もちろん、坂の上で再び展開し、同じくらいの速度で下ってみました。しかし、何も起きません。
 そこは街灯などもないし、横から遠くの車のヘッドライトなどが差し込む可能性もないところなのです。
 というか、何しろここに住んで20年近く、毎晩そこを通っているわけですが、こんな現象に遭遇したことはありませんでした。
 いったい何だったのでしょう。小型UFO?
 ここ数年は、ある有名なUFOコンタクティーの方にも呆れられるほど、UFOに避けられているワタクシでありますが(笑)、ついに接近遭遇したということでしょうか。
 あの青白い楕円ドーナツの動きは、本当に美しかった。空気抵抗とかと無縁な感じでしたね。
 ま、ああいう動きというのは、物体のそれではなく、それこそ空気抵抗とは無縁の光学的な現象であった証とも言えますけれども、光学現象にしても、なんでああいう映像になったのか、私の今までの経験からは全く説明ができません。
 それも夫婦二人で一緒に体験したわけでして、「なんかの見間違いじゃないの?」とか「夢じゃないの?」とかいう責めからは逃れられそうで、実はちょっと安心したりしてます(笑)。
 できれば、CGか何かで再現したいな。現場に戻って再現を試みた時に、もしものためにビデオを撮っていたので、それを元にやってみたいと思います。
 とりあえず静止画でテキトーに再現したみたのが上の画像です。しょぼいけど。
 それにしても、まあ不思議な体験でした。ここ数ヶ月の強烈な霊的体験も含めまして、なんだか危ない方向に行ってますな、ウチの夫婦は(笑)。

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2015.10.04

JJパラダイス@よい子の花火大会

Th_12144853_509820685843970_1135018 日予告いたしましたとおり、下吉田月江寺で行われました「復活!よい子の花火大会」において、歌謡曲を演奏いたしました。ご来場くださり、一緒に楽しんでくださった皆様、本当にありがとうございました。
 この「よい子の花火大会」とともに、今回のバンドもまた3〜40年ぶりの「復活」でありました。私よりも10以上も年上のおじさま方によるバンド。
 山梨の田舎の同級生(こちらで言うところの「仲間」)の絆の強さを感じましたね。私にはない人間関係ですので、ちょっとうらやましくも思いました。
 なんで、そのバンドと共演することになったかと言いますと、ウチの家族バンドが時々慰問演奏する老人福祉施設がありまして、そこの方がこのバンドのメンバーだったということです。
 まず、カミさんが「のど自慢で合格した人」という理由で(笑)、そのバンドのボーカルに誘われまして、数ヶ月一緒に練習しておりました(私には当然声はかかりませんでした…笑)。
 で、今回、月江寺のお祭りを復活させるという話が教え子からありまして、では協力するよということで、自分の歌謡曲バンドで出演しようと思っていたんですね。しかし、メンバーの都合がつかず困ってしまっていたところで、このオヤジバンドの存在を思い出しまして、白羽の矢を立てたということです。
 私はほとんどの皆さんと初対面でしたが、最初の練習の時から、まさに「仲間」に入れてもらった感じで、ある意味ゆる〜く楽しませていただきました。
 何しろ、個人的にも皆さんほとんど「復活」だったんです。すなわち、30年ぶり、40年ぶりに楽器に触ったと。で、いきなり大観衆の前でステージに乗っちゃうわけですから。さすがオヤジのパワーはすごい。
 上手い下手はあまり関係なく(?)、とにかく楽しめばいいという、このノリはすごかったし、見習う点がありましたね。お祭りですし、とにかくやってる方が楽しまなくちゃ。
 演奏した曲は以下の通りです。ウチのバンドじゃ絶対やらない曲もありますね。それがまたいい経験になりました。

恋の季節(ピンキーとキラーズ)
タッチ(岩崎良美)
東京(マイペース)
翼の折れたエンジェル(中村あゆみ)
杏奈(甲斐バンド)
ら・ら・ら(大黒摩季)

 それにしても、お祭り全体の盛り上がりたるや素晴らしかった。ほんの2カ月前に企画し、準備をしたとは思えない完成度の高さでしたよ。
 教え子を中心に若い衆が本当によくやってくれました。それこそ高校生の頃はやんちゃ働いていた奴らばかりでしたが、素晴らしいチームワークと地域や子供たちに対する純粋な愛情で、見事に歴史を復活させてくれました。
 よし、来年は絶対に境内にプロレス呼ぶぞ!オヤジたちも若い衆に負けないように地域を盛り上げたいと思います。
 歌謡曲とプロレス、そして屋台…古き良き昭和を現代に甦らせたい!みんなを明るく元気にしたい!
 皆さんお疲れ様でした。また、楽しみましょうね。よろしくお願いします。
 あっ、ちなみにJJパラダイスのJJとは、そう「ジジイ」のことです。ジジイ天国ってことですな(笑)。

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2015.10.03

河合奈保子&松田聖子 『ザナドゥ』

 日は久しぶりにお祭りで昭和の歌謡曲をやります。今回は初めてご一緒するメンバーの皆さんでして、はたしてどんなふうになるのか、ちょっと楽しみであり、心配であります(笑)。
 メンバーの皆さんは私より10歳以上年上でして、昭和の歌謡曲とは言ってもアイドル系はやらないようです。そこは本家(?)ウチのバンドでやりましょう。
 というわけで、今日はそんなアイドル歌謡の大御所二人による、夢の共演をご覧(お聴き)いただきましょう。
 楽曲がまたすごい。私の青春ELOとオリビア・ニュートンジョンの「ザナドゥ」ですよ!いやはや、こんな映像が残っているとは…。
 お二人とも可愛い上に歌がとってもお上手ですね。訳詞も逆に新鮮です。
 この時代のジェフ・リンの、この抜群のポップさは、まさに歌謡曲的ですよね。考えてみれば、オリビアも(ちょっと年がいってるとはいえ)、やはりアイドルでしたからね。実力派アイドル。
 この華やかな古き良き80年代をご堪能くださいませ。
 ついでは言ってはなんですが、河合奈保子嬢のピアノ弾き語りが聴ける貴重な映像も貼っておきます。
 歌謡曲の神、筒美京平さんも絶賛したという竹内まりやさん作詞作曲の「けんかをやめて」。これ、やばい曲ですね。ホント、河合奈保子さんだから許される世界観(笑)。そして上手い。


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2015.10.02

『現代オカルトの根源』 大田俊寛 (ちくま新書)

Th_81yg2vg1ijl_sl1500_ 月もこちらで、私の「中二病」ぶりを書きました。本当にいい年をして、またセンセーという仕事をしていながら、自他共に認める「オカルト」的生活をしていて大丈夫なのでしょうか(笑)。
 いや、大丈夫ですよ。この前も書いたように、そんな自分を非常に冷静に観察している自分もいますし、批判的に見る自分もいますから。どちらかというと分析対象なんですよ、自分が。世の中の現象や歴史のサンプルなんです。
 この本も非常に冷静に私のような人間や時代現象を観察分析しています。すなわち…なるほど自分のこういう思考や嗜好や志向の根源がこういうところにあるのだなと、妙に得心させられました。
 近代自然科学、特に進化論に対抗する形で生まれてきた「霊性進化論」。なるほど、それはキリスト教的な従前の霊性論の、それこそ進化形だったわけですね。それも異形の進化。
 欧米の神智学、ポップオカルティズム、そしてその影響を受けた日本の新宗教たち。まさに私もその中で自分の居場所を求めてきた…今でもそうですね。だから、本当に自分のアイデンティティを見るような思いがしましたよ。
 科学への本能的な疑念と嫌悪感(それは信頼と憧れの裏返しなのですが)、不安や被害妄想、さらには劣等感の結晶したものが、霊性進化という物語であり、その物語の登場人物としての「仮想敵」や「陰謀論」ということになるのでしょう。そう考えると、私も相当病んでますね(笑)。
 そういう意味でこの本の「おわりに」は最も「痛い言葉」でした。筆者は、霊性進化論が往々にして純然たる誇大妄想の体系に帰着するとして、その負の側面を具体的に三つ挙げています。

・霊的エリート主義の形成
・被害妄想の昂進
・偽史の膨張

 ふむふむ、私にはあまり被害妄想はありませんが、一番目と三番目はなんとなく身に覚えがありますね(笑)。危ない、危ない。
 では、反省してそういう「しこう」をやめるかというと、ある意味意地でもやめないわけですね。
 それは、私にとっては、やはり「実感」としての「霊性」というモノがあって、近現代の様々なオカルト的事象は、すべて「比喩」として目の前にあるという信念があるからですね。
 ここ数ヶ月のことだけでも、とてもここには書けないような、「オカルト的」経験をしています。それも自分の思い違いとか思い込みとかではなく、第三者を巻き込んでの体験なので、さすがに否定しきれないわけですね。
 私は、そうした自分の実感が、いったい何なのか、それを死ぬまでに確かめたいという本農的欲求があるのです(いや、死んだら分かるのかも)。
 まあ、呆れる人は呆れてください。興味がある人は興味をもって眺めていください。

Amazon 現代オカルトの根源

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2015.10.01

E.S.T. ライヴ in ブルクハウゼン

 す返すも惜しい人を亡くしたなあ。天才ピアニスト、エスビョルン・スヴェンソンは44歳の若さで2008年突然この世を去りました。スキューバダイビング中の事故。まさに油の乗ったところだったのですが。
 いかにもスウェーデンのジャズらしい、クールで知的な演奏が、私好みでもありました。
 このライヴは2004年、ドイツの伝統あるブルクハウゼンのジャズ・フェスティバルにおけるもの。
 しっかり構築された、美意識の高い演奏ですね。キース・ジャレットのそれ以上にヨーロッパ近代音楽の香りがする。いわゆるクラシックの伝統の系譜上にあります。ゲルマン的と言ってもいい。日本人は、こうした「ブラックではない」ジャズを好みますね。
 複雑な構成、変拍子…プログレッシブ・ジャズであるとも言えますでしょうか。
 私個人的には、このトリオ、ピアノ以上にベースが気になります。ダン・ベルグルンド。彼のボウイングは美しい。そこもクラシック的です。一方で、エフェクトをかけたりして、新しい世界への挑戦をいろいろやってますね。
 スヴェンソン亡き後、ベルグルンドはどうしているかというと、よりロック寄りの路線を歩んでいるように見えます。彼はディープ・パープルが好きなんですね。
 これはこれで実にかっこいいではないですか。ウッド・ベースだからこそできるロックというものもあるのですね。
 

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