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2015.09.03

宮司(宮詞)の滝

Th_img_0150 然教室で清里に来ています。
 今日は恒例の飯盛山登山でした。どういうわけか年々登頂が楽に感じるようになってきました。気持ち的な問題でしょうかね。最初の登頂が一番きつかった。先が見えないと疲れるようです。
 やはり、具体的な目標の設定というのは大切だなと感じた次第です。未来に対しても同様に具体的なイメージをもっていると毎日が疲れないのではないでしょうか。
 さて、今年の2年生の自然教室テーマは「挑戦」。ということで、引率のワタクシも挑戦いたしまして、計画したルートを外れて、あえて困難な道、というか未知の道に踏み込んでいきました。もちろん、生徒たちをゾロゾロ連れて。
 危ないと思ったらすぐにUターンするつもりでしたが、ギリギリなんとか目的地まで踏破することができました。
 途中「宮司の滝」という滝に遭遇。やはり挑戦したからこその偶然の出会い。先ほどの「目標の設定」とは全く別の形の「疲れが吹っ飛んだ」経験であります。
 つまり両方必要なんですね。想定通りと想定外。ワタクシの言葉で言うコトとモノ。
 宮司の滝、「ぐうじのたき」と読むのだと思いますが、看板によっては「宮詞の滝」とあり、もとは「ぐうし」と読んでいた可能性も感じさせます。
 「宮司」と言うとあの「宮司」を思い出しますが、その「宮司」を思わせる由来なども見つかりません。
 ちなみにこの宮司の滝には、悲しい伝説が残っています。

 この滝のある平沢の部落は、かつて大変貧しかったため、お祝いごとなどがあっても、お皿やお椀を用意することができませんでした。しかし、ある時から、この宮司の滝に欲しいものを頼むと、翌朝にはそれらが滝の前の岩に置いてあるようになったそうてす。村人はこの宮司の滝に「よいまもの」が住んでいて、願いを叶えてくれるのだと信じ、いただいた物を大切にしたといいます。
 ある日、おきよという女性がいただいた皿を落として割ってしまいました。悩み苦しんだおきよは、憔悴して崖を歩いているうちに、滝の近くの淵に落ちて死んでしまいました。それからその崖のことを「おきよなぎ」と呼ぶようになったそうです。

 この話からも「宮司」を想像させるものは見いだせませんね。ちなみに「よいまもの」ですが、一般には「善い魔物」と解釈されているようですが、どうでしょうね。私は「宵間モノ」だと思いましたが。「善い」だとすると、おきよを殺すようなことはしないような気もしますしね。
 実は今日は生徒もいたので、滝の本体をしっかり見ることができるところまでは行きませんでした。しかし、ドードーという滝の落ちる音は聞こえましたし、どこか神聖な空気が流れる空間でありました。

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