富士学苑中学高等学校ジャズバンド部 第13回リサイタル
ふじさんホール、立ち見が出るほどの大盛況。お越しくださった皆さま、ありがとうございました。
高校3年生最後のステージとなるリサイタル。今年は我が中学の1期生二人も高校3年になって引退していくということで、いつも以上に感慨深い演奏となりました。
6年間、大森先生のご指導のもと、それぞれジャズを通して大きく成長してきました。あらためて若者の可能性と、音楽の素晴らしさ、そして学校のクラブ活動の意義を痛感した次第です。
もちろん6年間の中には、私の知らない苦悩もたくさんあったことでしょう。しかし、今日の晴れの舞台でそれらも昇華していくのが、一つ一つの音の中から感じられました。
逆に言えば、やはり人間というのは、ある種の痛みや苦しみがなければ、本来成るべき姿になれないということでしょうか。
それはちょうど、音楽における不協和音のあり方に似ています。ぶつかった音が解決した瞬間のなんとも言えない美しさ。不協和音それのみでは不快にすぎませんが、時間の流れと、協和音への意志がそれを美しい記憶に変えていきます。
その点、ジャズというのは面白いなと思いました。基本、純粋な協和音が登場しないのがジャズです。もちろん、これは非西洋近代音楽的なセンス、それはすなわちほとんど世界共通の感覚なのですが、実際ド・ミ・ソは気持ちが悪いものです(日本人も明治期にその響きを聴いて吐き気を催したそうです)。
その違和感を緩和するために、ある意味苦肉の策として、多くの非和声音を加えるに至ったわけです。
西洋近代音楽、いわばクラシックと言われるジャンルは神の響きとして、そうした純粋な協和音を良しとした、非常に特殊な音楽なのですね。
すなわち、人間はどこかで、あまりに純粋な「協調」を生理的に受け付けない性質を持っているのです。これは決して人間の不完全さを証しているものではありません。逆です。
他者との邂逅、衝突、和解、融合…これこそが生命の本質であります。
そう考えると、面白いのは、ジャズの和声のあり方ですよね。完全に解決することなく、しかしそこに豊かさや幸福感が存在している。それはまるで自然界の共生のあり方のようですね。
そんなことを考えながら、生徒たちの演奏と成長ぶりを味わった今日のリサイタルでした。
バンドとしても、非常にレベルが高く、バランスの良い音の集まりが心地よかった。どのセクションも標準以上のレベルで安定感がありました。
ゲストとして登場した部のOBである宮谷くんのサックスは、相変わらず美しい音で、すっかり聞き惚れてしまいした。リードが素直に振動している。品の良いデイヴィッド・サンボーン(笑)という感じでした。
大森先生もおっしゃっていましたが、卒業していく生徒たちも、ぜひ音楽を続けてもらいたいですね。別にジャズにこだわる必要はないと思います。やりたい音楽を楽しくやってほしい。下手くそながらも学生時代以来楽器を続けている者として、心からそう願います。この歳になっても、音楽に教えられることはたくさんあります。
ウチの娘はベースで参加していました。まあ、達者に弾けるようにはなりましたが、音楽の大きなスケールでのうねりを作るまでには至っていません。通奏低音の役目を果たせるよう精進させます(笑)。まだまだこれからですな。
高校3年の5人、本当にお疲れ様でした。これからそれぞれの進路に向けて頑張りましょう。そして、目標を達成したら、またゆっくり音楽を楽しんでください。
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