渡辺錠太郎と秋田
先日、首相公邸にお招きいただいてからというもの、まあ、いろいろ大変なことが起きております。
特に二・二六事件に関係した人々のことを思うと、歴史の重さというか、辛さというようなモノを感じますね。歴史を創った一人ひとりの気持ちまで含めると、なんだか「歴史認識」とか軽々しく言えないなあとも思うのでした。
実際いろいろメッセージを送ってきた故人がいるわけですが、今日はそのうちの一人、渡辺錠太郎陸軍大将について書きましょうか。せっかく秋田に来ていますので。
と、言っても、ほとんどの方が、渡辺錠太郎と秋田になんの関係があるのかと思われるでしょう。私もつい最近まで知らなかったんですよ。本人から聞くまでは…(?)。
渡辺錠太郎大将は、二・二六事件で青年将校に銃殺されてしまいました。当時の陸軍では珍しくリベラルな感覚を持ち、あらぬ方向に暴走を始めてしまった陸軍全体の軌道修正を図るために、教育総監に抜擢された人物です。
結果として、それが皇道派の青年将校たちに「勘違い」される原因となってしまったわけです。もし、渡辺錠太郎が生きていたら、日本の歴史はそれこそ変わっていたでしょうね。
そんな偉大な渡辺錠太郎が、我が子、我が孫のように可愛がった子どもたちが秋田県にいました。
それが六郷小学校の児童たちです。おとといちょうど旧六郷町(現美郷町)を通りかかったので、渡辺大将のお気持ちを連れて、六郷小学校に立ち寄りました。そう、六郷小学校に行きたかったんですね。
実際には一度も六郷小学校には行っていませんし、子どもたちにも会っていませんが、両者にはとてもとても深い関係ができていたのです。以下の記事を参照してください。秋田の方もあまりご存知ない事実だと思います。
まさに両者の不思議な交流が深まり、お互いにいつか会いたいと思っていた時に、二・二六事件は起きてしまいました。上の記事にあるとおり、渡辺錠太郎大将死去の報はいち早く六郷小学校関係者に伝えられました。
そんなことは考え過ぎだよと言われそうですが、このたびそのような事情を知って、約80年経ったこの夏に、お気持ちだけですが六郷小学校にお連れすることができ、なんとなく私は心が落ち着いたのであります。
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