« 70年目の広島原爆忌に思う | トップページ | 平和ボケから覚醒すべきか »

2015.08.07

鈴木貫太郎の武士道

Th_suzuki_kantaro 70年前の今頃、まさに終戦に向けての正念場を迎えていた、ときの首相鈴木貫太郎。最も大変な時に首相になった人物ですね。
 昭和20年4月、77歳で総理大臣になった鈴木貫太郎は、戦争を終わらせるという強い意志を持っていたようです。軍人としても優秀でしたし、昭和天皇からの信頼も厚かったと言われます。江戸生まれ、そして非国会議員で首相になった最後の人物でもあります。
 日本を救った人物の一人であったとも言えましょう。今日はその鈴木貫太郎の人物像を伝える一つのエピソードを紹介します。
 仇敵アメリカのルーズベルト大統領が亡くなった時の弔文です。これぞ武士道ですね。ヒトラーとは大違い。トーマス・マンも感動したというエピソードです。次の動画をご覧ください。
 

 玉音放送阻止のため鈴木を暗殺する計画もありました。それ以前に、二・二六事件の際、鈴木は太腿、左胸、そして頭に3発の銃弾を受けています。しかし、奥様の毅然とした行動に反乱軍はとどめを刺すことができず、結果、鈴木は生き残り、8年後戦争を終わらせる大仕事をすることになりました。そう考えると、夫人こそが日本を救った人物であるとも言えますね。
 鈴木貫太郎のように、軍部、特に陸軍の抵抗にも関わらず終戦工作を進めた人物が何人かいます。もちろん裏側での動きもあります。
 高松宮殿下、仲小路彰らは言うまでもなく、ある意味出口王仁三郎も霊的にそのような仕事をしたとも言えますね。
 そうそう、その王仁三郎は鈴木貫太郎内閣が誕生してすぐに、彼らしい駄洒落を駆使して予言めいたことを言っています。

「日本は鈴木野(すすきの)になる」
「日本はなごうは(=長くは)鈴木貫太郎(つづかんだろう)」

 面白いですね。

|

« 70年目の広島原爆忌に思う | トップページ | 平和ボケから覚醒すべきか »

歴史・宗教」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

鈴木寛太郎の奥様が生気術 (正気術?)という手あて療法を心得ていて大量の出血を止めたんですよね。
このこと、幣原喜重郎の回顧録には出ているのに、半藤一利の寛太郎伝では削ってました。
一時、寛太郎ブームがあり大半一読しましたが、幣原の記述を皆々抜かしておりましたですね。
NHKでやった奥様の思い出談義番組でも外しておりました。
手のひら療法は黒住、天理、大本教、エトセトラ立教の土台。明治天皇もおできになったとか。
あの小林秀雄も大江健三郎の手の出血を手当てで止めている話が文学界追悼号に出ています。
ちなみに私はあの安部晋三氏と同じ一白年生まれ、若い頃は下りがちなお腹に泣かされましたが、
突如手が利き出してからはこの種の苦痛から解放されました。ありがたい手なのです。

投稿: 上野散人 | 2015.08.11 13:10

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/55913/62041084

この記事へのトラックバック一覧です: 鈴木貫太郎の武士道:

« 70年目の広島原爆忌に思う | トップページ | 平和ボケから覚醒すべきか »