「ど根性ガエル」の「ど」
今日のドラマ「ど根性ガエル」には、富士吉田の風景が登場しましたね。
この作品、マンガ、アニメの実写化の難しさをストレートに表現してしまって、ちょっと観てて辛いのですが、今日は見慣れた風景がたくさん出てきて楽しめました。シナリオ的にも今日は今までで一番良かったかな。
この作品の難しさは、やはりピョン吉だけがマンガやアニメと同じく「絵」であって、実写ではないというところでしょうね。かと言って、つぶれた蛙の実写というわけにもいかず…。
同様の難しさはデスノートにも言えますよね。CGだからこそできてしまう不自然さ。
まあ、それはいいとしまして、今日はその「ど根性」という言葉について考えてみたいと思います。
今日のドラマにも出てきましたが、「根性、根性、ど根性」ということで、今ではいい意味で使われることの多い「ど根性」ですけれども、昔はどちらかというと悪い意味で使われていたようです。
もともと「ど(どう)」という接頭語には、マイナスの意味がこもっていました。今でも、「どぎつい」「どしろうと」などと言う場合には嫌悪やののしりの感情がこめられていますよね。
「どう」の用例も、調べてみますと、「どう乞食」とか「どう因果」など、やはり悪いイメージを感じます。
「ど根性」も、もともとは「どしつこい」とか「どあつかましい」のように、相手の異様な粘りというか、想定外の根性、しつこさ、あつかましさに、ちょっと引いたり、ひるんだり、腹が立ったりしたときに使ったようです。
まあ、たしかにピョン吉は、人間にはない妙な根性がありますね。それは異様で恐るべきものなのかもしれません。
「ど」の古い形「どう」の語源はよく分かりません。近世になって上方で使われだしたというのが通説ですが、日本中に方言として残っていますから、もしかすると話し言葉としてはずっと古い時代からあったものなのかもしれません。
今では、「ど真ん中」とか「どあたま」とか「ど近眼」とか、ただただ強調の意味として使われることも多い。「ど根性ガエル」の「ど」も、決してマイナスのイメージではないですよね。そのように時代とともに変化してきたということでしょう。
ちなみに今日のど根性ガエルで、「蛙神社」とされていたのは、そう、あの「いつもの丘」にある新倉浅間神社でした。
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