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2015.07.21

後小松天皇御製より

Th__20150722_101144 日も備忘録。
 王仁三郎が「後小松天皇について調べよ」と言うので(実際書き残している)、さっそく得意の直観的調査を始めました。
 すると、いきなり気になるものに出会いました。御製、和歌です。
 後小松天皇も、他の天皇と同様に非常に多くの御製を残しています。それらを国会図書館の近代デジタルライブラリーなどで調べていましたら、後小松天皇の御製アンソロジーである「後小松院御百首」というのが出てきまして、それを読んで鳥肌が立ちました。
 この「後小松院御百首」は、春二十首、夏十五首、秋二十首、冬十五首、恋十五首、雑十五首で百首という構成です。歌の並びは写本や版本によって異なるようですが、そのうち、国文学研究資料館で見ることのできる「中川文庫本」によりますと、冒頭の二首と末尾の一首は次のような歌になっております。

   立春

たちかへる神代の春やしるからしたかまが原に霞たなびく

   山霞
富士のねの雲ゐにまがふ煙よりしたにかすみて春やみゆらむ

    ・・・

   寄神祝
あしはらの国常立のはじめにていく代をまもる神となりけむ

 何が面白いのか。かなりマニアックになってしまいますが、冒頭からして高天原〜富士とつながるところが気になります。うがった考えをすれば、この二首は同じ場所で詠まれた可能性がある。
 南北朝合一を果たした北朝の後小松天皇ではありますが、当時、南朝が富士高天原の復興とからめて富士山に立てこもっていたのを当然知っていたことでしょう。
 ちなみに宮下文書では、南北朝合一もまた通説と違った物語になっておりまして、それはそれで面白いものだったりします。
Th__20150722_101254 後小松天皇の御製二首目には富士山の噴煙が歌われていますね。後小松天皇の頃の噴火は公式記録にはありませんが、噴煙は絶えず上がっていた可能性はあります。
 といいますか、この歌は14世紀末の噴火活動の証拠となるものかもしれませんね。和歌に見る富士山の噴火活動について、どなたかお調べになっていたと思いますが、この歌が含まれていたかどうか。
 御百首最後の寄神祝が「国常立」を詠んだ歌というのは実に興味深いですね。国常立は天皇家の祖と捉えられていました。また、私の推察によると、当時の富士山の神は国常立でした。
 「あしはらの」は枕詞と言っていいでしょう。「葦原の国の国常立を始祖として天皇家は何代を守る神となったのだろう」という歌意だと思われます。
 これもまた、もしかすると富士山を仰ぎながら歌ったものかもしれません。
 これを機会に知られざる天皇の御製を読み込んでみたいと思います。また、何かあったら報告します。

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