「譲る(ゆづる)」ということ
今日もファーストレディー安倍昭恵さんとメールで楽しいやりとりをしました。最近の私たちのテーマは「言向け和す(ことむけやはす)」です。
たとえば昭恵さんのFBでも私たちの壮大なる人類の実験が行われています(実際はそんな大仰なものではありませんが)。
「言向け和す」すなわち戦わずして相手を変える(結果として勝つ)ためには、「譲る」というが重要になってきます。
「譲る」という概念や行為は、非常に高次元で、かつ深みのあるものです。ある意味日本らしさと言ってもいい。
その最たるものが「国譲り」です。国譲りについてはこちらをお読みください。この記事以降、国譲りの歴史については少し考え方の変わったところもありますが、基本的な概念はこんな感じです。
つまり、「譲る」ということは非常に高度に戦略的だということです。「譲る」ことよって、相手の意識、無意識の中に純粋な形で生き続ける。「譲る」という行為は、一歩下がるのではなく一歩前に出る行為なのです。
「負けて勝つ」という言葉がありますね。それも「譲る」の言い換えの一つです。
日本の、外来文化需要のあり方も、表面上は「負け」に見えてもおかしくありませんね。どんどん受け入れてしまう。しかし、皆さんもよくご存知のとおり、日本の場合は外来文化を換骨奪胎して、結局は自分のものとしてしまいますよね。
これなども、まさに一歩進んで相手を受け入れる姿勢だと思います。「譲る」は、たとえば「取られる」「奪われる」というのとは逆で、自分に主体性があります。
実は「国譲り」という言葉が、あの神話の「大国主の国譲り」という意味で使われるようになったのは、近世以降のことです(たぶん)。もともと「御(み)国譲り」というと、天皇が皇位を次の代に譲ることを言いました。
そう、皇位継承に限らず、たとえば親と子の関係にしても、そこには「先代(親)」の主体性がありますよね。子どもを作って生む時点で、すでに「譲る」意識がある。
生命というのは、そういう「譲る」連鎖によって存在しているわけです。「譲る」ことが生命の本質。
「親譲り」と言いますね。子(譲られた方)の無意識の中に生き続けるのが親の魂です。すなわち、「親が譲る」、やはり親に主体性があり、次世代にさらなる進化、発展、幸福を意図して魂(DNAという言い方もできる)を「譲る」わけです。
同様に「国譲り」も「国」の魂を譲るわけですが、その主体もまた「国」であるわけです。「国が譲る」。ここは重要なところですね。
「御国譲り」の反対語、つまり皇位継承争いは「御国争ひ」です。この場合も「国」を取り合っているという一面の裏側には、「国」が争っているという本質があるのです。
さらに難しいことに(高度なことに)、こちらにも書いたとおり、その主体さえもが無意識的に「譲る」ことがある。これは別の言い方をするなら、主体が「神」であるということでしょう。
その場合、私たち人間レベルだと、まさに「負けた」ように見えるし感じる。さきの大戦などそのいい例でしょう。
そう、私たち人間が「争う」方を選んでいる時、たいがいその過ちを糺すように神の「荒魂」が発動して、一見私たちが「負けた」かのような現象が起きるのです。
そろそろ私たちはそういう真実に気づいた方がいいですよね。人間レベルでの「勝ち負け」「敵対」「戦争」なんていうのは、実に低い次元のことなのです。
もう一度「譲る」という言葉の意味をかみしめてみたいものです。
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