妙心上人と諏訪と富士と御正体山
今日も個人的な備忘録となりますが、もしかすると大きな意味がある内容かもしれません。
私は諏訪から富士への神々の流れについていろいろ考えたり感じたりしています。最近では、ある種の確信も生まれつつあります。その確信を補強する発見がいろいろありまして。
そのうちの一つが、謎の霊山「御正体山(みしょうたいさん・みしょうたいやま)」に関する今回の発見です。
ちなみに御正体山には10年ほど前に皇太子さまが登山されています(世間的には唐突に)。
御正体山については、昨年の明治天皇誕生日に御正体山の秘密という記事を書きました。そこに、当山で即身仏となった妙心上人についてこんなふうに書いています。
『なぜ、妙心が御正体山で入定したのか…たまたま通りかかって霊感を得たというのが定説ですが、どうもそんな単純なことではないような予感がしますね』
そう書いてのち、いろいろ調べておりましたら、ワタクシ的には驚愕の事実が判明したのであります。そう「たまたま」ではなかったのです。
妙心法師は現在の岐阜県揖斐郡に生まれ、9歳で出家、信濃善光寺で26年間修行をしました。そして、文化10(1813)年、全国行脚に出ようとして、まずは諏訪大社に参ります。その晩、霊夢の中で富士山に行きなさいという意味の和歌を賜り、さっそく富士山へ向かいます。おそらくの道筋はこちらで紹介した中道往還か御坂越えだったと思われます。
そして、当時富士講が盛んであった富士山北口の吉田の御師たちと出会いながら、富士山北面でさまざまな修行をしました。
のちに富士山西麓の人穴に移り断食をしていたところ、再び霊夢を見ます。そのお告げは次のような内容だったと言います。
「富士山の艮(うしとら)にある御正体山を開け」
う〜ん、これは面白い。諏訪での霊夢、そして人穴での霊夢の主はおそらく諏訪の神でしょうね。
私の感覚では、諏訪の神が南下して御坂山系を越え、上吉田から富士山に登頂し、再び下って艮(北東)の方角へ向かった。明見の社宮地神社から杓子山を経て、御正体山におさまったと考えていましたから、妙心上人の動きはほとんどそれに一致しているわけです。
山岳修験道やそこから派生した富士講と諏訪信仰との関係はあまり取り沙汰されてきませんでしたが、少なくともここ富士山麓では何か関係がありそうです。
ということで、近いうちに妙心上人のミイラの眠る岐阜の横蔵寺に行ってみたいと思います。ご本人に確かめるのが一番ですから(笑)。
ちなみに、御正体山で入定した妙心さんですが、明治になっての廃仏毀釈の波を受け、山から下ろされてしまいます。そして、なんだか見世物になってしまったようですね。
しかし、そのおかげか、明治天皇が甲府でそのミイラをご覧になったという話が伝わっています。もし、それが本当ならば、そこにも不思議な因縁を感じます。皇太子さまがこのマイナーな山に登られたのも偶然ではないなと。
また、宮下文書によれば、御正体山は南朝色の非常に強い山ということになります。そこで入定した妙心と明治天皇が出会っていたとするなら、それはそれで非常に因縁深いものがありますね。
またいろいろ調べてみようと思います。いやはや、トンデモナイ世界に興味を持ってしまった…。
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