型にはまる=個性が出る
塩山向嶽寺での宿泊座禅研修も無事終了。今年も大変充実した時間を過ごさせていただきました。
早朝3時45分起床。夏至が近いこの季節でもまだ外は薄暗い時間。しかし、そこから次第に周囲が明るくなり、お庭のディテールが徐々に見えてくるあの感覚は、どんな絵画、映画にも表現できませんね。時間と空間が一体となる感覚。
その変化するお庭を眺めながら思ったことがあります。
「型にはめると個性が出てくるな」
この座禅会が始まる時に管長さまがおっしゃったこと。
「自分を型にはめてみなさい。そしてその中で一生懸命やってみなさい」
生徒たちが素直にそれに挑戦している姿を見て、やはり教育にはある種の型や縛りや強制力が必要だなと強く感じました。
世間では、個性尊重、個性伸長と称して、実に無責任かつ無軌道な「自由」がありがたがられています。特に教育界。
自由を尊重するということは、教師の仕事放棄です。なにもしていないと同じです。
面白いもので、生徒に限らず人間というのものは、型にはめると、その型の中で、あるいはそれを突き破って本当の個性が現れてくるものです。
ワタクシ流に言えば、「コトを窮めてモノに達する」というやつですね。
たとえば、制服という「型」(コト)があると、みな没個性になるかといいますと、実は全く逆でして、その中で、様々な着こなしや、校則内ギリギリのおしゃれ、工夫というモノが生まれてきて、結果として実に個性がよく見えるようになります。
制服がなく私服だといかにも個性的になるような気がしますが、実はそんなことはないのは、たとえば流行という「型」(コト)を見れば分かりますよね。
そういう意味で、禅の修行生活というのは、まさに700年近い歴史を持つ「型」(コト)そのものです。本当に細かい細かい決まりがあって、それを寸分違わずトレースするところから始まる。ところが、そうして完全コピーをしようとすればするほどに、実はその人らしさが現れてしまう。
これはまさに禅的なパラドックスですね。実に面白い。自我を消そうとすればするほど自我が鮮明になってくる。それとどう対峙するか、それこそが禅の修行ではないでしょうか。
黎明の庭を見て、なぜそんなことを考えたかと言いますと、こういうことです。
庭は空間的には固定された「コト」としてそこにあるわけですが、そこに季節や時刻という時間が関わってくると、刹那刹那、実に個性的な表情を顕します。
一方で、時間という(庭にとっての)モノ(他者)も、実はある規則(コト)の上に動いているわけですよね。コトとコトの交わるところにモノが生じている、すなわち縁起しているわけです。結局のところ、時間も庭の変化の上に存在しているのです。
なるほど、お釈迦様のお悟りになった真実とは、こういうことであったのか、もののあはれ(苦諦)というのも、実はこういう現象のことなのだと、野狐禅エセ坊主は思ったわけです。
自他不二。自分もまた、こうして在らしめられているし、世界を在らしめてている。
不思議な爽快感がありました。まさに朝起きは三文の徳でありました。感謝。
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コメント
『型』を収めた後に個性を出すのが『型破り』
『型』を納めずに、自由奔放にするのは『型無し』ですね
投稿: ふなふな | 2015.06.22 11:34