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2015.06.30

『日本の黒い夏 [冤enzai罪]』 熊井啓監督作品

Th_51tfd3tp71l 日BSで放送されたものを録画で鑑賞。
 ふだん、映画はおろかドラマさえじっくり観ることのできない上の娘も、テスト勉強をそっちのけで見入っていました。
 社会派作品であり、地味な上に地味を重ねたような内容でありながら、意外にも上の娘をこれほど引きつけたのには、それなりの理由があることでしょう。
 熊井啓監督らしく、奇をてらうことなくストレートにテーマを表現しています。つまり、映画自身もまた大衆メディアであり、マスコミュニケーションであるという自己矛盾ともしっかり向かい合っているのです。
 言葉一つ、カット一つの切り取り方、つなぎ方、聞かせ方、見せ方によって、私たちをいくらでも先導、煽動、洗脳することができる。
 それはある意味化学兵器よりも恐ろしいのかもしれないし、カルト教団よりも恐ろしいのかもしれない。
 私は、この映画を観て、そう感じました。もしかすると、熊井さんの目論見どおりなのかもしれませんね。
 ちょうど、おバカな議員と作家による品性のないマスコミ批判がニュースになっているところですね。
 この映画にも冤罪がマスコミによって作れていくプロセスが描かれていますが、結局のところ、我々情報を受け取る側の愚かさの問題であるような気もします(私も松本サリン事件ではマスコミの論調を鵜呑みにしていました)。
 それにしても河野さんは本当に大変な目に遭われました。あらためてそこに胸を痛めました。
 こういう言い方は非常に失礼であるとは承知していますが、私は河野義行さんという特別に高い次元の魂をお持ちの方だからこそ、このような受難を体験されたのではないかと思っています。
 奥様は事件から14年後の2008年にお亡くなりになりました。その時、放送されたドキュメントを観て、私はこういう記事を書いています。そこに全てが書かれていますね。今も全く同じ気持ちです。
 この映画をご覧になった方は、ぜひともこのドキュメントも観ていただきたいと思います。熊井さんはこの前年に他界されています。このドキュメントを観たら、どんな感想を持ったことでしょう。


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2015.06.29

歴史は無謀な人間が創る

 の短歌の師匠である笹公人さんの名作をもとにしたドラマ「念力家族」が絶好調です。
 ちょうど明日歌会がありまして、私も締め切りギリギリに二首絞り出しました。私、笹さんと出会って本当に人生が変わりました。歌を訓むようになると人生変わりますよ。言霊でしょうかね。
 さて、ドラマ「念力家族」については、以前こちらに書きました。まじで映画化希望します。
 今日の13話では、笹さん自身がモデルとも言われる念力家の長男豊くんのちょっと切ない大暴走が楽しめました(笑)。
 そんな豊くんを励ました、とんでるおじいちゃん源太郎さんが、いいこと言ってましたね。

 「歴史なんてのはな、みんな無謀な人間が創ったんだ」

 これは名言ですね。「無謀」とは「常識を破る」ということです。常識を破らなくては新しい歴史を生まれません。
 「歴史」は記憶され、記録された事象です。日常は記憶に残らず記録されることもありません。誰かが無謀に動いて、日常を壊さなければ、たしかに歴史は創られませんね。
 そういう意味で、私は無謀な人間でありたいと常に思っています。妄想実現党なるものを一人で(笑)やっているのもそういうわけです。
 人に呆れられる、馬鹿にされるようでなければ…なんて言うと、おいおい大丈夫か?と心配されます。だいたい学校というのは、人に褒められ、尊敬されるような人間を良しとしているところですからね。いかに私が破格な教師であるか、よく分かるでしょう(笑)。
 常識を超えるレベル、次元からモノやコトやヒトを観ることが大切ですね。それを人は無謀と称するかもしれません。無謀だと損するのでしょうか。いや、実は無謀な方が得することも多いんですよね。
 そう、いつも書いているように、常識的に生きているとライバルが無数にいることになる。無謀なことなんか誰もやらないので、ライバルは少ない(競争率が低い)。
 というわけで、私はこれからも豊くんのように無謀な生き方をしていきたいと思います。

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2015.06.28

「譲る(ゆづる)」ということ

14e590 日もファーストレディー安倍昭恵さんとメールで楽しいやりとりをしました。最近の私たちのテーマは「言向け和す(ことむけやはす)」です。
 たとえば昭恵さんのFBでも私たちの壮大なる人類の実験が行われています(実際はそんな大仰なものではありませんが)。
 「言向け和す」すなわち戦わずして相手を変える(結果として勝つ)ためには、「譲る」というが重要になってきます。
 「譲る」という概念や行為は、非常に高次元で、かつ深みのあるものです。ある意味日本らしさと言ってもいい。
 その最たるものが「国譲り」です。国譲りについてはこちらをお読みください。この記事以降、国譲りの歴史については少し考え方の変わったところもありますが、基本的な概念はこんな感じです。
 つまり、「譲る」ということは非常に高度に戦略的だということです。「譲る」ことよって、相手の意識、無意識の中に純粋な形で生き続ける。「譲る」という行為は、一歩下がるのではなく一歩前に出る行為なのです。
 「負けて勝つ」という言葉がありますね。それも「譲る」の言い換えの一つです。
 日本の、外来文化需要のあり方も、表面上は「負け」に見えてもおかしくありませんね。どんどん受け入れてしまう。しかし、皆さんもよくご存知のとおり、日本の場合は外来文化を換骨奪胎して、結局は自分のものとしてしまいますよね。
 これなども、まさに一歩進んで相手を受け入れる姿勢だと思います。「譲る」は、たとえば「取られる」「奪われる」というのとは逆で、自分に主体性があります。
 実は「国譲り」という言葉が、あの神話の「大国主の国譲り」という意味で使われるようになったのは、近世以降のことです(たぶん)。もともと「御(み)国譲り」というと、天皇が皇位を次の代に譲ることを言いました。
 そう、皇位継承に限らず、たとえば親と子の関係にしても、そこには「先代(親)」の主体性がありますよね。子どもを作って生む時点で、すでに「譲る」意識がある。
 生命というのは、そういう「譲る」連鎖によって存在しているわけです。「譲る」ことが生命の本質。
 「親譲り」と言いますね。子(譲られた方)の無意識の中に生き続けるのが親の魂です。すなわち、「親が譲る」、やはり親に主体性があり、次世代にさらなる進化、発展、幸福を意図して魂(DNAという言い方もできる)を「譲る」わけです。
 同様に「国譲り」も「国」の魂を譲るわけですが、その主体もまた「国」であるわけです。「国が譲る」。ここは重要なところですね。
 「御国譲り」の反対語、つまり皇位継承争いは「御国争ひ」です。この場合も「国」を取り合っているという一面の裏側には、「国」が争っているという本質があるのです。
 さらに難しいことに(高度なことに)、こちらにも書いたとおり、その主体さえもが無意識的に「譲る」ことがある。これは別の言い方をするなら、主体が「神」であるということでしょう。
 その場合、私たち人間レベルだと、まさに「負けた」ように見えるし感じる。さきの大戦などそのいい例でしょう。
 そう、私たち人間が「争う」方を選んでいる時、たいがいその過ちを糺すように神の「荒魂」が発動して、一見私たちが「負けた」かのような現象が起きるのです。
 そろそろ私たちはそういう真実に気づいた方がいいですよね。人間レベルでの「勝ち負け」「敵対」「戦争」なんていうのは、実に低い次元のことなのです。
 もう一度「譲る」という言葉の意味をかみしめてみたいものです。

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2015.06.27

追悼 長岡秀星さん

Th_url が青春の宇宙船よ永遠なれ。
 私の音楽人生を決定的に変えたエレクトリック・ライト・オーケストラの「アウト・オブ・ザ・ブルー」。そのジャケットのイラストを描いた長岡秀星さんがお亡くなりになりました。
 私が中学1年の時です。ラジオからかかってきたELOに衝撃を受けました。ビートルズ・フリークでありながら、何か「現代的」「未来的」な何かを求めていた当時に私にとって、ELOの曲はまさに未来から、宇宙からやってきたような新鮮さを感じさせました。
 さっそくレコード屋に行き見つけたニューアルバムがこの「Out Of The Blue」でした。美しすぎるイラスト、2枚組のあの重量感。本当に興奮したことを忘れません。
Th_ootbins 小遣いをはたいて購入し、家に帰ってあのジャケットを開いた瞬間の驚き。そして、真新しいレコードに針を落とす緊張感。
 長岡さんのスペーシーなイラストとELOの明るくきらびやかな音楽とが共鳴し合い、私の日常は一変しました。視覚と聴覚による初めてのトリップ感覚。
 そのレコードは聴きすぎて潰してしまいました。それからアナログ盤を3セット、CDを5セットほど購入したと思います。ウチにはいろいろなジャンルのいろいろなアルバムがありますが、これほどたくさん買ったのはこのアルバムだけですね。
 長岡さんと言うと、EW&FやBOSTON、あるいはカーペンターズを思い浮かべる方も多いことでしょう。もちろんそれらも歴史的なジャケットとなっていますが、やはり最も長岡さんらしい作品はこの宇宙船ではないでしょうか。
 今日はその感覚を追体験しながら、長岡さんのご冥福をお祈りしたいと思います。今、ヴァイオリン属の楽器を弾けるのも、ある意味長岡さんのおかげです。
 


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2015.06.26

『ゴジラ対ヘドラ』 坂野義光監督作品

 近、家のテレビを100インチに変えました。100万円かかりました…というのはウソで、しめて6万円くらい(スクリーンだけだと780円!)。
 それについては後日一つ一つの機材をおススメします。いいですねえ。大画面。
 そんな新システムで初めて鑑賞した映画が「ゴジラ対ヘドラ」(笑)。映画監督を目指しているという下の娘と観ました。ちなみにソフトはiTunesでデータレンタル。MacBookをつないで観ました。
 娘、「シュールだ」「怖い」を連発。私、「難しすぎる…」。
 ご存知のとおり、この作品はゴジラシリーズの中でも特にカルト的な人気を誇っています。まあ、そりゃそうだろうなあ。
 別の言い方をすれば、実験的であるということ。また社会派であるということ。
 それらの詳細については、別のサイトにたくさん書かれているので、そちらをご覧ください。wikiにも詳しく載っています。
 娘はそういう部分を「シュールだ」と言っていたのでしょう。「怖い」は私の「難しい」と同じかもしれない。
 そう、この作品には、理解困難なために怖い「間」がいくつもあるのです。具体的には観ていただくしかないわけですが、この「間」は何を表現しているのだろうとか、さっきのカットの意味はなんだったのだろうというような瞬間がたくさんあるのです。
 実験的なところ、たとえばアニメーションになったりするところは、まあ文脈的に分からないでもない(かなり不自然ですが)。そういう挿入ではなくて、普通のシーンに一見無駄な「間」がたくさんあるように感じるのは私だけでしょう。
 それが、それまでの文脈の推進力をじわっとぶち壊すのです。それが「怖い」。理解が難しいから怖い。
 監督が意図的にそういうことをしているのか、ただ単に編集か下手なのか(それはないと思います)分かりませんが、いずれにしても「効果」を上げていることはたしかです。
 まさに不可知なる「モノ」が支配している感じ。実生活においても、そういういや〜な「間」とか、「あれって何だったんだろう」的な記憶って怖いじゃないですか。
 ちなみに、この映画が公開されたのは1971年。私は7歳ですから、登場する小学校2年生の少年と完全に同じ世代ということになります。
 それも静岡生まれの東京育ち。富士市のヘドロや煙突の煙はこの目で見ていますし、あの臭いも鼻が記憶しています。そして、住まいは京浜工業地帯に隣接する団地。実際、光化学スモッグのため校庭でバッタバッタと生徒が倒れていくという時代でしたからね。なんだか懐かしいような気もしたのでした。
 家族とも話しましたが、あの頃の日本に比べたら今はずいぶん平和で清浄で安全をですよ。あんまり不満を言っちゃいけない。
 冒頭から歌われる「かえせ!太陽を」ですが、これもすごいですね。ストロンチウムも出てくるし。バナジウムも(笑)。上の娘は「ベースがすごい!」と言っております。そういう時代でしたね。

 ゴジラという存在自体もそうですが、原子力の話題も出てきますね。映画の中にも「核分裂エネルギー」の解説が入ります。ちょうどこの頃からでしょう。原子力発電のおかげで日本がより繁栄していくのは。

Amazon ゴジラ対ヘドラ
 

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2015.06.25

テレマンのアリア

 日はテレマンの忌日。明和四年の今日、亡くなりました(笑)。
 テレマンの謎の名曲というと、実はいろいろあります。以前紹介した「マルコ受難曲序曲」はその一つ。
 あのアルビノーニのアダージョと同じく、現代的な編曲と演奏によってほとんど別の曲になってしまっている。
 その偽マルコ序曲と同じく、クルト・レーデルによる編曲と演奏によって「名曲」となってしまったのが、今日紹介する「アリア」です。
 ま、原曲もいい曲ではありますが、なんというか大仰に感動的になっちゃってるんですね。ロマン的というか。
 原曲はほとんど聴く機会のないクリスマス・マニフィカト「Meine Seele erhebt den Herrn」のテノールのアリア「Der Hungrigen fullet er」です。私はナクソスでオリジナルの古楽器演奏を聴きましたが、全然印象が違いますね。マルコの時と同じことが起きています。
 こういう「ロマンチック・バロック?」の名曲になりうる素材を実に地味なところから探してくることに関して、クルト・レーデルというのはものすごい能力を発揮しますね(笑)。
 しまいには、こんな演奏まで。

 今日命日のテレマンもきっとあの世で苦笑していることでしょう。いや、テレマンのことだから喜んでいるかも。というか、あまりに多作で、自分が作った曲を忘れてしまっていたらしいので、素直にレーデルの曲だと思って感動しているかも(笑)。
 ちなみに私のオススメする本当のテレマンの名アリアはこちらです。葬送カンタータ「Du aber Daniel, gehe hin」のソプラノアリア「Brecht, ihr muden Augenlieder」です。

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2015.06.24

積極的にリスクを負う

Th_e0076231_20413650 日は地域の教育関係者の集会に参加。なにかと閉鎖的なのが学校というところ。縦横の連携もお題目だけに終ることが多い中、この地域は比較的頑張っていると思いますよ。
 今日のプログラムには講演があり、その内容もなかなか興味深いものでした。「安全にリスクを負わせる」のが教師業だと思っている私にはぴったりの内容でした。
 その中で、紹介された羽生名人の言葉が印象的でしたね。

「積極的にリスクを負うことは未来のリスクを最小限にする」

 今の「学校」は、とにかくリスクを避ける傾向にあります。(特に公立の)センセイの仕事がリスクヘッジに終始している。全く本末転倒です。
 今日の講演にも「成長痛」が登場しましたが、成長には痛みが必要です。快適なだけの環境は人を成長させないどころか、堕落さえさせます。
 教師は、「安心・安全・信頼・自信」をベースにして、その上にその生徒、学級、学年、部員などに適切に「痛み・悩み・苦しみ・衝突・反抗」などを演出するプロでなければなりません。そういう職人であるべきです。
 そういう意味で、私たちは「リスク」をたくさん体験して、そのリスクのマネージメントができる人間である必要があります。理屈ではなく体験的に。
 「虎穴に入らずんば虎児を得ず」と言いますが、今の学校は虎穴に入らないのはもちろん、虎穴には近づかない、あるいは前もって虎穴を埋めてしまうというようなことが横行しています。
 それがはたして「学校」「教育」なのか、私ははなはだ疑問に思っています。もちろん、いたずらにリスクを与えよなどと言っているのではありません。
 それにしても、特に若手の教員にある種の冒険がないのには、大変物足りなさを感じます。おそらくは世の中の風潮、特に親やマスコミの見方が変わってしまったのでしょうね。
 「体罰」という痛みについては、これは議論の分かれるところであり、やはり私は積極的に賛成できない立場ではありますが、場合によってはそういう「痛みの共有」のしかたがある可能性については、私たちの生活、人類の歴史を見れば、そうそう簡単に否定できるものではありません。
 羽生善治さんの言葉をもう少し長く引用してみましょう。

「リスクを避けていては、その対戦に勝ったとしてもいい将棋は残すことはできない。次のステップにもならない。それこそ、私にとっては大いなるリスクである。いい結果は生まれない。私は、積極的にリスクを負うことは未来のリスクを最小限にすると、いつも自分に言い聞かせている」

 なるほど、この言葉には二つの解釈ができそうですね。
 まず、今のリスク体験が、未来のリスクに対する対処法、あるいは軽減法を獲得する唯一の方法であるという意味。
 そして、さらに、リスクを積極的に負うということが、自分の成長を促す、逆に言うとリスクを積極的に負わないことが、自分の成長を妨げるというリスクになるというパラドックスだという意味。
 さすが深いですね。学校でも本当にそうだと思います。日常的なリスクをなんでもかんでも避けていることが、学校の本質、教育の本質を失うリスクになっています。
 今日もあるクラスで、リスク対処の失敗談を話して大笑いになったんですが、私はけっこうリスクを負って生きていきている方ですし、その体験的対処法もけっこう知っていると思います。
 私が時々言っている「死なない力」って、そういう経験からしかつかめない。教科書にはほとんど書いてない。そういう(いろいろな意味での)「九死に一生」「起死回生」体験を伝えるのも、私の仕事の一つだと真剣に考えています。
 「死なない力」って絶対必要ですよ。一ヶ月くらい飯を食わなくても死なない。富士山が噴火しても死なない。病気になっても死なない。いじめられても自殺しない。戦争になっても死なない。経済危機が来ても死なない。「生きる力」ではなくて「死なない力」ですよ…なんて、ホント変わったセンセイですよね(苦笑)。


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2015.06.23

(なんちゃって)断食3日目

今日の夕飯。塩と酒と歌。
Th__20150623_21_06_16 日宣言しましたとおり、断食を始めました。先週の土曜日、禅寺での座禅から帰って、職場でお昼にうどんを食べて以来、食事はとっていません。
 とりあえず3日が経過したので、報告をしたいと思います。いろいろ面白い現象が起きています。
 記録も兼ねていちおう時系列的に書きましょうか。
 まず、土曜日の夜です。予定外の来客があって大いに盛り上がり、けっこうお酒を飲んでしまいました。この日はふだん食べない朝食と昼食を食べてしまったので、夜はお酒だけでした。正確には土曜日の夜から断食開始ということになりますが、便宜上日曜日からということにしておきます。
 というわけで、断食1日目(日曜日)。
 断食と言っても、私は一日一食を11年以上続けているので、普段からプチ断食、半断食をしているようなものですから、ただ夕食を抜くだけです。つまり普段の一食を抜くと、もうそれだけで48時間の断食になってしまうんですね。
 たまたま家族が夜遅くまで出かけることになっていましたので、「夕飯の準備はいらないよ」の一言で断食の準備は完了ということになります。簡単、簡単。
 昼間は飴を3個ほど口に入れました。夜になり、たしかにいつも食べている時間帯に何も胃に入れないとちょっと寂しい感じはしましたが、食べるものがほとんどなかったし、なんとか我慢して、日本酒を飲んで早めに寝てしまいました。
 ちなみに寝る前に体重を測ったら、前日の同時刻より1.7kg減っていました。ま、何も食べていないので、たらふく食べた状態と比べれば、そのくらい違ってもおかしくないでしょうね。
 …眠りについて3時間くらい経った頃でしょうか。生まれて初めて「腹が減って目が覚めた」のです。ものすごい飢餓感。うわっ、これは生まれて初めての「腹が減って死にそうだ」と言いたい気分(笑)。
 むむ、1日目からこんなことではとても続かないと思ったのですが、水を200ccほど飲んだら30分ほどして、すっかり落ち着きました。
 今までは、寝る前にたらふく(それこそ死ぬほど)食べて寝ていたので、胃がびっくりしたのでしょうね。
 さて、月曜日。2日目。起きてすぐ、いつもどおり便意を催しました。トイレにいくと、申し訳程度、豆二粒くらいの便が出ておしまい。
 特に体調も悪くなく、モーニングコーヒーもしっかり飲んで出勤しました。昼間はちょっとボーッとしているかなという感じはありましたが、やはり時々飴をなめたり、もらったチョコを食べたりして過ごしました。
 夜、家族はなんだか美味しそうなものを食卓に並べていました。しかし、不思議なもので、「おいしそうだなあ」とは思うけれども、食べたいとは思いません。
 胃も腸も空っぽのはずですが、なぜかお腹が張っています。ガスが発生している感じ。空腹感はありません。
 家族がおいしいおいしいと夕食を食べている間、私は塩をなめながら日本酒はおちょこ2杯、あと、カミさんがなぜか買ってきてくれた「本搾り」を1本いただきました。
 おいおい、断食なのにいつもどおり酒は飲んでいいいのかい?
 そう、いいんです(笑)。これが「なんちゃって」の奥義。
 その晩も早く寝ましたが、面白いもので、この夜はふとんの中で体が妙にポカポカしていました。おそらく、外から栄養源が入ってこないと体が判断して、蓄積してあったエネルギーを使うモードに切り替わったんでしょうね。自己融解が始まったのか。
 さて、今日3日目。火曜日。朝起きると、やはり体がポカポカ。不思議な感覚です。そして、いつもはひどい肩こりがほとんどない。だからでしょう。普段より良く眠れた気がします。
 便は前日と同じ。昼間も調子がいい。生徒には「テンション高いね」と言われました(笑)。学校では、飴を5個ほどなめました。コーヒーを2杯。空きっ腹にブラックですが、特に問題なし。
 あ、それからリンゴ酢の希釈液を水筒に入れて飲んでました。水分はこまめに。
 帰宅後、日本酒1合をごま塩を肴に飲みました。理想は日本酒だけで90歳まで生き続けて精力的に創作活動を行なった「横山大観」であります!
 体重は土曜の夜と比べてちょうど3kg減りました。さっそくポッコリお腹が引っ込んできました。よしよし。
 というわけで、別になんの不自由も不便も不快感もないので、しばらく続けてみようと思います。まあ、1週間かな。何日と決めてやるのは嫌いなタイプなので、直観にまかせて続けたりやめたりしたいと思います。さて、どうなることやら。

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2015.06.22

祝?日韓国交正常化50年

 んだかんだ言って兄弟みたいですよね。日本と韓国。
 私は韓国にも知り合いがいるし、何度も訪問していますし、ソウルで韓国人に道を聞かれるし(笑)、まあ比較的嫌韓感情は弱い方だと思います。
 こう言うといろんな立場の人から怒られそうですが…父親である中国からやたら高圧的にしめつけられてきた長男と、微妙にうまく距離をとってうまいこと取り行ってきた次男…中国、韓国、日本の関係ってそんな感じに思えます。
 男兄弟って微妙な関係になるじゃないですか。役割分担、キャラ分担もするし、思想的にも対立することが多い。趣味もあえて違えたりして。お分かりになりますよね。
 だから本当はお互い嫌いじゃないんですよ。ある意味、ここまでいろいろ言い合っても最悪の状況にはならないという安心があるのではないんでしょうか。
 少し前の韓流ブームを思い出せば分かるとおり、本当にちょっとしたことで関係が修復したりもする。逆にまたちょっとしたことでこじれることもある。これってやっぱり関係が近いということですよ。似ているからこそ違いを意識するというのもあるでしょう。
 ただ、一つ言えるのは、韓国というか朝鮮半島はあまりに長いことオヤジ(中国)に縛り付けられすぎた。なかなか反抗もできなかったし、言いなりになりすぎて、さすがにちょっと心に歪みが生じていると思いますよ。
 「恨」というのは、単純に日本の「恨み」とは違いますが、マイナスの感情であることはたしかです。あえて言えば「妬み」に近いんじゃないでしょうかね。
 ですから、これからの日本の韓国との関係をどうすればいいのかというのは、そういう身内だからこその微妙な関係の改善方法に学ぶ必要がありますね。
 一部の保守勢力のように、もう国交断絶すべきだとか、無視し続けろというのは、これは兄弟の縁を切りますというようなものですから、最善策だとはとても言えません。
 腹を立てているうちは、まあお互い同レベルということでしょうね。
 もっと具体的な政策についても書きたいところですが、今日はこんな感じで国交正常化50年をお祝いしたいと思います。
 絶縁していた兄弟が50年前にいちおう和解したけれど、まだしこりが残っている…現実的には充分ありうることです。昔のことを謝ったとか誤ってないとか、お金を払ったとか払ってないとか、まあホンモノの兄弟レベルでもありそうな話じゃないですか。
 私の外交論は、いつもこうした個人レベルの雛型で考えています。本当にそういうレベルで考え、行動するのが正しい外交なのです。


 

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2015.06.21

物語る声…小林賢太郎テレビ

Th_150508_kobayashi06 林賢太郎はものすごく伝統的、古典的なことをやっているのではないか…そう思いました。
 録画してあったのに、なかなか観る時間がなかったMHKBSプレミアム「小林賢太郎テレビ7」を下の娘と鑑賞。
 今度我が中学の「コント部(仮)」がキングオブコントに挑戦する予定でして、そのネタをそろそろ作らねばなりません。その関係で、録画してあったNHKのコント番組「LIFE」「七人のコント侍」、そしてこの「小林賢太郎テレビ」をまとめて観たのであります。
 小林賢太郎テレビについては、2009年の初回放送についてはこちらに感想のようなものを書きました。そこにも書いてあるように、小林さんの「笑い」の発想は右脳と左脳の協奏にあると思います。今回の7でもそれを強く感じました。
 言語が入り口なのだが、その言語の社会的ルールに縛られずイメージを膨らめていける。そういう才能はやはり右脳の働きによるものでしょうね。
 考えてみると、日本語は諸外国語とは違って右脳で処理されるというのは、昔から有名な話ですよね。そういう意味でも、実は小林さんのネタの作り方は伝統的、古典的なのかもしれません。
 この番組を観ながら思い出した文章があります。そう、たまたまこれも最近高校3年生の受験指導をしている中で出会った文章。京都大学の入試問題。
 太宰治の娘、津島佑子さんの文章「物語る声を求めて」です。皆さんもぜひこちらでお読みください。
 そうか、小林賢太郎は現代の「口承の物語」なのかもしれないな。ただの「お笑い」ではない、もっと日本人に根源的な「面白い」の追求。
 そう言えば、小林さんは「『面白い』の領域は無限。『美しい』も『不思議』も『かわいい』も、みな『面白い』に入る」と語ったそうですね。そう、たとえば「こわい」もまた「面白い」に入りますよね。生徒たちは「怖い話」大好き。ヒマさえあれば「怖い話して!」と要求してきます。もちろん嬉しそうに(笑)。
Th_150508_kobayashi02 小林さんのコントを「文学的」と称するのは簡単です。しかし、私はそうは簡単に言いたくない。すなわいち、津島佑子さんの言う「近代の文学」と対置される「口承の物語」に近いからです。
 それは別の言い方をすれば、言語がイメージと未分化な状態。言葉が絵や音や物に随従しているんですよ。だからこそ言葉自身が自由であることができる。
 おそらく、おそらくですが、日本において、言語がこれほどにいばり始めたのは、明治維新以降のことではないでしょうかね。まさに近代文学、私小説なるものが登場したあたり。
 いつも書いているように、私は小説というジャンルは非常に特殊な時代の特殊なものであると思っています。だから、結局今はほとんど死に体になっている。
 せいぜい「自分」というモノに付随しているくらいでよかったのに、まるで数字の抽象性に挑戦するかのように、ある種の普遍性を持とうとしてしまった。
 小林賢太郎さんの「作品」も、あまり「芸術性が高い」とか「文学的だ」とか「ハイレベルだ」とか言わない方がいいですね。
 もっと感覚的に、つまり右脳的に、あるいは古代人的に捉えた方がいいのではないでしょうか。彼が「物語る声」を、寝床で母親の昔語りを聞く子どものように、あるいは見世物小屋にドキドキする子どものように、 受信することができたら…。
 全部見終わり、「頭の良さというのにはいろいろあるよな」と、娘に言ったら、「そうだね」と納得したようにうなづいていました。中1の娘は、いつまでこの縄文人的感性を持ち続けられるだろうか…そんなこともふと思ってしまったのであります。
 と、人の心配をするより、まず自分が古代人、いや宇宙人的な脳ミソの使い方をしてネタを作らなければ。


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2015.06.20

型にはまる=個性が出る

Th_img_8080 山向嶽寺での宿泊座禅研修も無事終了。今年も大変充実した時間を過ごさせていただきました。
 早朝3時45分起床。夏至が近いこの季節でもまだ外は薄暗い時間。しかし、そこから次第に周囲が明るくなり、お庭のディテールが徐々に見えてくるあの感覚は、どんな絵画、映画にも表現できませんね。時間と空間が一体となる感覚。
 その変化するお庭を眺めながら思ったことがあります。
「型にはめると個性が出てくるな」
 この座禅会が始まる時に管長さまがおっしゃったこと。
「自分を型にはめてみなさい。そしてその中で一生懸命やってみなさい」
 生徒たちが素直にそれに挑戦している姿を見て、やはり教育にはある種の型や縛りや強制力が必要だなと強く感じました。
 世間では、個性尊重、個性伸長と称して、実に無責任かつ無軌道な「自由」がありがたがられています。特に教育界。
 自由を尊重するということは、教師の仕事放棄です。なにもしていないと同じです。
 面白いもので、生徒に限らず人間というのものは、型にはめると、その型の中で、あるいはそれを突き破って本当の個性が現れてくるものです。
 ワタクシ流に言えば、「コトを窮めてモノに達する」というやつですね。
 たとえば、制服という「型」(コト)があると、みな没個性になるかといいますと、実は全く逆でして、その中で、様々な着こなしや、校則内ギリギリのおしゃれ、工夫というモノが生まれてきて、結果として実に個性がよく見えるようになります。
 制服がなく私服だといかにも個性的になるような気がしますが、実はそんなことはないのは、たとえば流行という「型」(コト)を見れば分かりますよね。
 そういう意味で、禅の修行生活というのは、まさに700年近い歴史を持つ「型」(コト)そのものです。本当に細かい細かい決まりがあって、それを寸分違わずトレースするところから始まる。ところが、そうして完全コピーをしようとすればするほどに、実はその人らしさが現れてしまう。
 これはまさに禅的なパラドックスですね。実に面白い。自我を消そうとすればするほど自我が鮮明になってくる。それとどう対峙するか、それこそが禅の修行ではないでしょうか。
 黎明の庭を見て、なぜそんなことを考えたかと言いますと、こういうことです。
 庭は空間的には固定された「コト」としてそこにあるわけですが、そこに季節や時刻という時間が関わってくると、刹那刹那、実に個性的な表情を顕します。
 一方で、時間という(庭にとっての)モノ(他者)も、実はある規則(コト)の上に動いているわけですよね。コトとコトの交わるところにモノが生じている、すなわち縁起しているわけです。結局のところ、時間も庭の変化の上に存在しているのです。
 なるほど、お釈迦様のお悟りになった真実とは、こういうことであったのか、もののあはれ(苦諦)というのも、実はこういう現象のことなのだと、野狐禅エセ坊主は思ったわけです。
 自他不二。自分もまた、こうして在らしめられているし、世界を在らしめてている。
 不思議な爽快感がありました。まさに朝起きは三文の徳でありました。感謝。

 

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2015.06.19

明全和尚の逸話

Th_img_8057 日から明日にかけて、恒例の塩山向嶽寺での宿泊座禅。中学2年生と若い先生方とともに体験しております。
 今日もまたいつものとおり、実に気持ちよく座らせていただきました。不思議なくらい気持ちいい。死ぬまで座っていられるような気がする。
 あの「塩ノ山」の持つ独特のエネルギーのおかげでしょうか。そこで600年以上にわたって修行してきた高僧や雲水たちの「座」が堆積しているからでしょう。いや、その両方でしょうね。
 管長さまの法話も、私にとってまさにタイムリーな内容でした。明全和尚さまの逸話。
 明全は栄西の弟子、道元の師匠です。両者があまりに有名ですので、あまり一般には知られていませんが、日本の禅の歴史を語る際、実は忘れてはならない人物です。
 あまり時間がないので、ごく簡単に今日のご法話の内容を書きます。
 明全和尚は禅の奥義を究めんとして、道元らと宋に渡ろうとします。しかし、ちょうどその頃、明全のもう一人の師匠である延暦寺の明融が高齢で床に臥していました。明融本人も、また周囲の人も、師匠の最期を看取ってから宋に渡ることを望んだのですが、明全はある意味恩師を裏切る形で宋に渡ってしまいました。
 それは、師匠への恩義よりも大切な、スケールの大きい「人類救済」という志があったからです。おそらく明全は迷ったと思いますが、結局個人的な報恩よりも上の次元での報恩を選んだのでしょう。
 結果として明全は宋で客死してしまい、本人の人生においてはその志は達成できなかった。しかし、その志は道元に受け継がれて日本曹洞宗の誕生と隆盛を招くことになりました。
Th_img_8066 このお話には、いろいろな示唆があります。
 時機が大切であること。個人の価値観を超える大志、大義があること。そうした大志、大義は自分の人生という限られた期間で達成すべきものではないこと。様々な条件が揃わなければそれらの達成や継承は実現しないこと…。
 実は私も地球スケールでの大志(私の場合は妄想とも言えますが)を持っています。最近、それへの活動がなんとなく停滞しており、毎日のように空しさを感じていました。
 しかし、今日、管長さまのご法話を聴いて、「なるほど」と思い、そして安心し、よってやる気が再び生まれてきました。
 面白いもので、管長さまは冗談で「今日は山口教頭先生のためにお話します」とおっしゃって法話を始められたのですが、まったく不思議なことに、まさに今の私にぴったりの法話でありました。生徒たちにはちょっと難しかったかもしれませんが。
 仏縁に感謝であります。報恩という意味でも、また明日から頑張り直します。ありがとうございました。


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2015.06.18

大橋純子 『たそがれマイ・ラブ』

 しくて時間がないので、歌の紹介のみ。
 今日外回りの車中でFMを聴いておりましたら、懐かしいこの曲がかかりました。
 あらためて聴きますと、なんといい曲なのか。すさまじくよく出来ている曲だ…と思ってググったら、ああなるほど、阿久悠作詞、筒美京平作曲かあ。黄金コンビ。
 もちろん大橋純子さんの歌もいいのですが、この半端ないメロディーの連続は筒美京平さんならでは。もちろん、筒美さんは阿久さんの詞にインスパイアされたわけで、この職人と芸術家の両面をお持ちのお二人の力は、本当に日本が誇るべきものです。日本の歴史にはこうした大衆芸術の星が無数に輝いています。
 これは今度ウチのバンドでも演奏しなければ。夏だな、とりあえず。
 筒美京平さんと三木たかしさんは、とにかく「入り」で人の心をとらえちゃいますよね。この曲も1拍目からプチ転調ですから…おそるべし。
 そんな名曲をいろいろなヴァージョンで聴いてみてください。いやあ、本当に名曲ですね〜。
 

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2015.06.17

一日一食12年目…そろそろ不食か!?

Th__20150618_91538 木孝明さんの30日不食挑戦の話がニュースになっていましたね。
 大変元気で充実した経験をしていることは、榎木さんのFBを見ればよく分かります。
 私も実はたまたま先々週、とりあえず1週間の断食を宣言したのですが、その日の夜に法事があって、いわゆる通夜振る舞いをいただいてしまい初日にして失敗(笑)。翌日も夜のつきあいが入ってダメ。また次の日もつきあいで…そのうちに忘れてしまいました。
 ご存知のように、私は一日一食(夕食のみ)の生活をずっと続けています。では、なんでさらに一日零食にしようと思ったかというと、最近一日一食でもずいぶん太ってしまったんですね。
 年をとって、運動もあまりしないし、筋肉も細ってきて、基礎代謝が下がっているんでしょうか、今までと同じように夕飯を食べると、太ってしまうんですよ。
 一日一食で太るんだから、次は一日零食しかないですよね。あるいは二日に一食とか。
 不食で有名な方とも知り合いで、いろいろ話をしていても、そろそろ行けるんじゃないですか?とも言われていまして、私も榎木さんと同様に「試してみたい」という気持ちもあります。
 実際、一日一食を11年続けた体験としまして、体の変化よりも気持ちや意識の変化の方が大きい。もちろんプラスの変化です。
 では、不食になったらどうなるのか、それこそ試してみたい気持ちがありますね。
 ただ難しいのは、いろいろ行事や会議やつきあいがあって、なかなか全く食べないというのが難しいことですね。ですから、まずは一週間くらいやってみようかなと思います。
 そう、どうしてもつきあいで食べなければならない時だけ食べると。あとはつまみ食いくらい(笑)。
 来週からそうしてみます…と言いつつ、また断食ではなくて断念になってしまうかもしれませんが。
 もし、うまく半不食に移行できたら、このブログで報告しますね。


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2015.06.16

松田聖子 『哀しみのボート』

Th__20150616_20_19_16 日の歌謡コンサートも白組の勝ち。毎週のことですが、男性歌手は若手もベテランも安心して聴いていられるのに、女性歌手はヒヤヒヤさせる…これはどういうことでしょうか。
 今日も職員室で、生徒のみならず世の男どもの不甲斐なさについてため息混じりに話していたんですが、歌の世界では男性の方が確実にうまいし、個性的。ま、商売としてどちらが勝っているかというのは別問題ですけど。
 ちなみに来週の歌謡コンサートは恐怖の「美空ひばり」特集。毎回毎回、プロの歌手たちの緊張度が伝わってくるんですよね。神の歌を歌うのは難しい。
 神ということで言うと、今日ちょっと頼りなかった女性陣の中で意外に(失礼)頑張っていたのが、アイドルの鈴木愛理さん。夏川りみさんと「瞳はダイアモンド」を歌いました。そう、松田聖子さんの曲です。
 松田聖子さんもまさに神。もちろん美空ひばりさんとはまた違ったタイプの神。
 現代のアイドルによる永遠のアイドルのカバーを聴いていて、思い出したのがこの「哀しみのボート」です。
 松本隆さん作詞、大久保薫さん作曲の神曲。1999年のシングルです。
 詞や曲や歌が神なのはもちろんですが、このPVがすごすぎる。シンプルすぎるほどにシンプル。こんなPV現代のアイドルには絶対無理。
 私、思わず泣いちゃいましたよ。目の前に神が降臨して二人きりになって歌を歌ってくれる…そりゃ誰でも涙するでしょう(笑)。
 ニコニコにしか動画がなかったので、それを貼りますが、コメントもまたお楽しみいただけると思います。信者たちの雄叫びが(笑)。


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2015.06.15

ストラデッラ 『シンフォニアニ短調』

220pxalessandrostradella 週の目覚ましはストラデッラ。NHKFMの「古楽の楽しみ」はイタリアの天才(放蕩)作曲家ストラデッラの特集です。
 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、このストラデッラという男、とにかくとんでもないヤツです(笑)。
 これほど何度も殺されかかって、それでもなんとか命拾いして、でも結局殺されちゃったという作曲家も珍しい。
 なんで、そんなに命を狙われたかというと、まあ簡単に言えば、ヤクザの女に手を出しまくったわけですよ。
 そりゃあ危ない。いろいろなところに逃げまくっては、音楽の才能(&おそらく美貌)によって誰かに救われる…居場所をつきとめられて刺客を送り込まれる…また逃げる。
 ストラデッラは声楽作品において非常に優れた(ある意味過激な)作品を残していますし、器楽曲の分野では、いわゆる合奏協奏曲のスタイルを確立したという功績もあり、その後のイタリアバロック隆盛に大きく寄与していると言えます。
 しかし、それ以上に音楽史に貢献したということでは、彼の波瀾万丈すぎる人生そのものが、その後の作曲家のオペラの題材になっているということです。たしかに映画化しても面白そう。
 私はいちおうヴァイオリン弾きなので、彼のソロ・ヴァイオリン作品に興味があります。ここに紹介するシンフォニアは形式的にはヴァイオリンと通奏低音のためのソナタです。

 その展開のドラマティックでドラスティックなところは、まさに彼自身の人生を思い起こさせます。通奏低音も非常に過激に動きますし、とにかく過激。たとえば友人でもあったコレッリの作品とは大きく違います。うん、コレッリとは対照的ですね。
 私はこういうぶっ飛んだ天才(バロックというよりもロック?な)ミュージシャンが好きです(笑)。皆さんもぜひ今週はちょっと早起きしてストラデッラの作品を聴いてみてください。

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2015.06.14

「新富士駅周辺図」の謎…

 日は京都からはるばる若き天才物理学者が遊びにいらしてくださりました。二人で富士山の神社などを回りながら、日本や世界の過去・現在・未来について、あるいは地球や宇宙の成り立ちについてゆっくり話しました。
 科学から哲学、宗教、芸術に至るまで幅広く共感するところがあり、非常に充実した時間を過ごすことができまして、感謝、感激。
 私も頑張らねば…私の能力にはもちろん限界がありますので、能力のある方のその能力を、日本のため世界のために活かせるよう協力をしていこうと心に誓いました。
 とりあえずノーベル賞を取らせたい人が二人になりました。そのお手伝いをしましょう(これはまじめな話です)。
 さてさて、そんな彼をお迎えするため、新幹線の新富士駅で待っておりましたら、とっても面白いものを見つけてしまいました。
 よく駅構内にある案内図です。まず、そのタイトルが不思議。「新富士駅周辺図」とありますが、なんとその範囲はお隣山梨県にまで及んでいます。どんだけ新富士駅は偉いのか(笑)。

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 というか、ある意味驚愕だったのが、この「新富士駅周辺図」、「南が上」の地図だったということです。
 「南が上」の地図については、以前さかさま地図という記事に詳しく書いたとおり、富士北麓の特殊な文化だと思っていたんですね。そうしたら、なんと、岳南の新富士駅の地図も「南が上」だった。
Th_safari_map 山梨県の富士五湖地方まで含んだ地図を静岡の人が作れば、普通はこんなふうになりますよね。
 これは富士サファリパークの地図なので、ほんの少し方位が傾いていますが、まあ、静岡の方のイメージとしてはこんな感じでしょう。
 私も静岡県民だったころは、頭の中にこういう図が入っていました。
Th_map 富士五湖の一つ精進湖のホテルが作った地図でさえ、こんな感じです。
 まあ、北が上という文化からしても、あるいは、静岡県側を「表富士」山梨県側を「裏富士」という伝統からしても、こういう地図になるのが当然だと思います。
 それなのに、新富士駅の周辺地図は「南が上」。これはどういうことなんでしょうか。静岡を山梨の「上」に位置させたいという無意識が、こういう曼荼羅を作らしめたとか(笑)。それとも、富士山観光と言えばやはり富士五湖地方がメインという、ある種謙譲の精神の表れでありましょうか(笑)。いやはや謎です。
 さらに、大笑いしてしまったのは、「富士急ハイランド」の位置です。クリックして見てくださいよ。

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 静岡の方…いやいや、富士五湖地方にお住まいの方以外はみんなそうでしょうかね、富士急ハイランドの位置なんか知らないと思いますし、どうでもいいのでしょうけれども、いかんせん、これはずれすぎている。
 ちなみに正しい位置は、河口湖ICを出てすぐですから、富士急行線の駅で言えば、「ふじさん」と「かわぐちこ」の間ということになります。
 この地図に描かれている富士急ハイランドの場所は、富士吉田市の大明見のあたりです…そう、そこはまさに「富士高天原」の存在したと言われる場所!
 ふむ、たしかに「富士急ハイランド」を漢字で書けば、「富士急高原」でありますから、「富士高天原」とは一字違い。あながち完全なる間違いではないとも言えますが(笑)。
 まあ「南が上」だろうと、「富士急ハイランド」が「富士高天原」だろうと、それほど大きな問題は起きないと思いますが(?)、地元民としては、なぜこういうことになったのか、何か特別な神の意志が働いているのではないかと思ってしまったりするわけです(冗談です)。
 どんな事情でこんなことになったのか、今度駅で聞いてみようかと思います。あれをデザインしたのはいったい誰なの?

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2015.06.13

『藝術と宗教』 出口瑞月(王仁三郎)

20150614_91311 日の記事に、出口王仁三郎の「芸術は宗教の母なり」という言葉を引用しました。
 ただ、その言葉の意味を表面的に捉えてしまうと、ただ「宗教は芸術の母なり」の反対を言ったのみとされてしまいそうなので、今日は原典を紹介しまして、その誤解を解くこととしました。
 昭和6年に出版されたこの小冊子。国会図書館の近代デジタルライブラリーで読むことができます。便利な時代ですね。こちらです。
 これを読むと、ちょっと昨日の引用が軽率だったとも思えています。すなわち、王仁三郎が「芸術は宗教の母なり」と言った時のその「芸術」とは、世に言う一般的な「芸術」ではなく、神々の造化の「芸」「術」であるということが分かってきます。
 もちろん、その神の「芸術」は人の「芸術」と直結しているわけですから、完全な間違いではないとは思いますし、ある意味、「東京藝術大学」の目指すべきは、最終的には王仁三郎的な「藝術」であるべきなのかもしれませんよね。
 荒川修作さんが、「東京芸大を爆破せよ!」と言うのは、そこが「人の芸術」にとどまっている、いやこだわっているからなのかもしれまん。
 この小冊子には、王仁三郎初期の作品が写真で紹介されています。それらをご覧になると分かるとおり、「人の芸術」という意味においては、決して優れているとは言い切れません。
 私がお預かりしている彼の後期の代表作「耀わん」にしても、「人の焼き物」としか見ることのできない方々(特に自称芸術家たち)は、「これは子どもの焼き物だね」と言って一笑に付してしまいます。
20150614_93943 この小冊子の後ろの方に、詩人で美術評論家でもあった川路柳虹の王仁三郎評が載っています。川路は「稚拙の味」という言葉を使っていますね。それが「大きい直観的綜合の表現」の一つの形式であると。
 なるほど、私たちが「人の芸術」に目覚めてこだわるのは、理屈や技法に出会って大人になってしまうからとも言えますね。
 誰彼の例を挙げるまでもなく、「子どものような感性」を持ち続けることが、大芸術家の一つの素養であることは、歴史が証明する真実です。
 それにしても、王仁三郎の語る「藝術」と「宗教」の関係は面白いですね。現代の「芸術家」の方々が忘れてしまったこと、戦後の教育が隠蔽してしまったことが、ここに記されているとも感じました。
 短い小冊子ですから、ぜひ全体をお読みいただきたいと思います。
 これを読んでいたら、オノ・ヨーコさんのことを思い出しました。急にオノ・ヨーコさんに会いたくなりました。なんででしょう。それを確かめるためにとりあえず連絡を取ってみようと思います。
 そういえば、王仁三郎とジョン・レノンは「12月8日」で結びついているんですよね。それから亀岡も二人にとっては共有している土地。
 ついでに言いますと、ジョン&ヨーコはユリ・ゲラーさんを通じて富士山とも縁があるんですよ。1978年、河口湖畔に宿泊しています。
 そのあたりの神縁についても、そろそろ確かめなくては…。


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2015.06.12

『東京藝大物語』 茂木健一郎 (講談社)

9784062194785_obi_l 年ぶりに小説を読みました。
 この前ちょっと書いたように、私は国語のセンセイでありながら、とにかく小説が苦手。ほとんど読んだことがありません(教材や入試問題としては読みますが)。
 この「小説」も実は小説として読んだのではありません(笑)。だから、小説としておススメするのではない。
 まあ、この「小説」自体、純粋な小説とはいえないところもあるんですよね。ほとんどノンフィクションなのではないでしょうか。
 作者自身も登場しますし、作者の主張や思想もそのまま書かれています(講義録のような形で)。登場人物もほとんど全て実在しています(たぶん)。学生は本名ではないと思いますが、有名なアーティストや哲学者たちは実名で登場しています。
 それらを通じて書き留められている芸術(特に美術、アート)に関する情報が、私にとっては非常に刺激的でした。だから小説を読んでいるというよりは、エッセイを読んでいるというか、ドキュメンタリー番組を観ているような面白さがありました。
 東京藝術大学…今でも憧れの大学です。もちろん過去も今も未来も行けるはずのない、まさに憧れの大学であります(私の中では日芸と双璧)。
 自分の叶えられない夢を、教え子や実の娘たちで実現できるのが、まあ教師業のちょっとおいしいところですね。実際、芸大と日芸には教え子を送り込みました。
 今は、二人の娘たちをその気にさせているところです(笑)。もちろん二人とも小さい時から楽器や絵をやっているわけではないので、ある意味裏ワザ的な方法での実現を考えているわけですが。そういう裏ワザ的な方法を知ることができるのもセンセイの特権ですね。あっ、もちろん裏ワザと言っても裏口ではありませんよ(笑)。
 この小説には、まさに私の憧れというか期待どおりの空気が充満しておりました。アヤシい学生、ぶっ飛んだセンセイ、熱い議論、寒い作品(笑)、浮世離れした悩み、そして恋…。
 ああ、やっぱり憧れるなあ。私は芸術家にも天才にもなれなかった単なる変人。だからこそ永遠の憧れなのでしょう。これはほとんど信仰に近い。
 そう、私の最も尊敬する芸術家、そして天才の一人である出口王仁三郎は、いとも簡単に「芸術は宗教の母なり」と喝破しました。「宗教は芸術の母なり」ではありませんよ。逆ですよ。
 私はそれがよく分かります。おそらく茂木さんも(脳科学的に)王仁三郎の言ったことに納得するんじゃないかなあ。この小説を読んでそう思いました。
 一方で、芸大を出ていない超一流の存在、「芸大なんか行ってるようじゃダメだ」という、この小説にも登場する、たとえば荒川修作センセイのような存在もよ〜く分かっています(茂木さんもワタクシも)。
 この「東京藝大物語」の本質なテーマはそこにあるのかもしれませんね。

Amazon 東京藝大物語

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2015.06.11

サン=サーンス 『オーボエ・ソナタ ニ長調』

 起きして、テレビをつけましたらこの曲が流れてきました。
 演奏しているのはハインツ・ホリガー。今年76歳ですか。相変わらず艶のある美しい音色ですね。まさにレジェンド。
 サン=サーンスのオーボエ・ソナタ、実は初めて聴きました。いい曲ですね。Youtubeで探しましたら、ホリガーと並ぶレジェンド、モーリス・ブルグの演奏がありましたので紹介しておきます。
 こちらも素晴らしい演奏です。

 サン=サーンスというと動物の謝肉祭…というように、我々日本人はメジャーな作曲家のメジャーな作品しか聴かない傾向があります。サン=サーンスだと合唱曲がいいですよね。
 ラジオやテレビの良さは、そういうマイナーな作品に接することができることです。この前も「惑星」(だけ)が有名なホルストの合唱曲をラジオで聴きましたが、とってもきれいでしたよ。
 そういう意味で最近はなるべく聴きたい曲を聴くのではなく、偶然の出会いを大切にするようになってきました(昔に戻ったのかも)。
 最近思うんですよ。残りの人生であとどれくらいの音楽に出会えるのかと。音楽のみならず、様々な作品、自然、人々に出会えるのか。一期一会を大切にしたいですね。

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2015.06.10

『アナザーストーリーズ 運命の分岐点▽ビートルズ旋風 初来日 熱狂の103時間』 (NHKBSプレミアム)

Th__20150611_105820 の番組が放送された今日、偶然、ローリング・ストーンズやポール・マッカートニーの専属カメラマンである有賀幹夫さんと久々にお会いして、いろいろお話しておりました。
 この番組の最後は、まさに49年後の武道館のシーンでしたよね。49年前は浅井慎平さんがカメラを持って彼らを追いかけ、その素顔に迫りました。今年は有賀さんがポールに密着した。有賀さんにとっても今回のポールの武道館はリベンジという気持ちが強かったようです。
 昨年はああいうことになって、私もチケットを手に入れていながら、今はなき国立競技場の入り口で中止を知った一人でした。
 今年はスケジュール的にもともと無理だったので、結局私はまだ生ポールに出会っておりません。1966年のビートルズ来日の時、私はまだ1歳10ヶ月。伝説の喧騒の記憶もありません。
 そういう意味でも、今日のアナザーストーリーズは面白かった。歴史の勉強になりましたね。浅井さんの視点については、かつて別の番組やなにかの本などでなんとなく知っていましたが、警備と呼び屋の攻防なんかは全然知りませんでした。
 おそらくこうした番組の作り手は私と同世代の方々がメインではないかと思います。つまり、ビートルズ第二世代。いよいよビートルズも本格的に歴史になりつつあるのでしょう。歴史を知りたい私たち世代が、こういう面白い番組を作ってくれているのです。
 私がふむふむと感心しながら観ていると、娘二人も食い入るように画面に釘付けになっていました。ビートルズってすごいんだねえと。
 不良と言われた彼らの音楽は、今では娘たちの音楽の教科書に載っている。時代を変える天才というのは、そういうものですよね。
 有賀さんによると、今年来日したポールも、また昨年のストーンズの面々も、とにかくいまだに元気すぎるほど元気。そのおかげで、若いもんがなかなか活躍できない、時代を変えられないという側面もあるのだとか。
 たしかに。しかし、それほど大きな歴史的存在だということですよ、彼らは。あの時代は他の分野にもトンデモない天才がたくさんいましたからね。
 というか、今日のこの番組でも紹介されていたとおり、安保のデモなどで世の中自体に異様な活気(?)がありましたよね。まあ、安全保障に関するだけでも、最近の騒ぎどころではない。実際危機感も違いましたし、逆に反戦的な人たちも今よりずっと「戦闘的」でした(笑)。
 最近職場(中学校)で、男子がダメだという話で持ちきりなんですが、それも彼ら自身の問題というよりも、こういう時代が来るようにずっとやってきた戦後教育の成果なわけでして、私たち教員の「ないものねだり」も矛盾に満ち満ちている…。
 昔は良かった的な言い方ができるうちはまだいいかもしれません。ポールもリンゴも、ストーンズも元気なうちはまだいいということです。
 戦争体験者もいずれゼロになる時が来るわけじゃないですか。本当の意味での歴史の断絶が起こる、そんな時が実はもう間近に来ているのです。その時、私たちの世代がはたして責任を持てるのか。ちょっと心配にもなりました。
 今はこうしてメディアによって歴史を語り継ぐことができます。語り部…NHKさんに限らず、放送業界がやるべきことは、実はここにあるのかなとも思った次第です。
 この番組、再放送があります。ぜひご覧ください。6月16日(火) 午後11時45分からだそうです。

アナザーストーリーズ公式

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2015.06.09

どうなる?十和田市立新渡戸記念館

Th_towada_nitobekinenkan ほど、サミットから政府専用機でお帰りになったばかりの某友人(笑)から、メールをいただきました。
 帰国の報告と来年の伊勢でのサミットのこと、そして…十和田市の新渡戸記念館について。
 なんだか面倒なことになっているらしい新渡戸記念館。そう、かの新渡戸稲造の記念館が突然のピンチなのだとか。
 とりあえずの事情は、こちらのプログに書かれています。
 詳しい事情が分からないので、市長さんを非難するわけにもいかず、また陰謀論に与することもできませんが、とにかく多くの貴重な文化財がピンチであることはたしかです。
 なんで私にこの情報がもたらされたのか…その方が謎ですね(笑)。おそらく某友人は私が「十和田」と縁の深い人間であることをよくご存知だからでしょう。
 新渡戸稲造と言えば、「武士道」というイメージがありますね。私はこの新渡戸武士道については多少一般と違う考え方を持っています(こちらに少し書きました)。
 今回もお話をうかがった時、まず思ったのは「東北のキリスト教」についてでした。私のぶっ飛んだ妄想ですが、今回の事件は新渡戸稲造がどうのこうのとか、武士道がどうのこうのとかではなく、「東北のキリスト教」弾圧というイメージがわいたのです。
 「東北のキリスト教」ということで言うと、こちらに書きかけた青森は戸来村(新郷村)の「キリストの墓」。十和田湖の近くですね。
 実は、秋田の山奥に生まれ育ったウチのカミさんは「イスキリ」を信仰していました。すなわちキリストの弟ですね(笑)。もちろん、カミさんはよく分からずただ「イスキリ(イシキリ)」とお唱えしていたのですが。
 最近のワタクシの研究によりますと、東北の「イスキリ」信仰は、「石切」信仰と習合している、すなわち「ニギハヤヒ」信仰と重なっているようなんですね。東北では「シ」も「ス」も一緒です。
 ま、さすがにイスキリと新渡戸稲造を結びつけるのは行き過ぎでしょうけれど、なにか霊的な動きを感じることはたしかです。
 はたして、この問題にどれほど私が関われるか分かりませんが、知ってしまったかぎりは「十和田」所持者として動かねばならないでしょうね。とりあえず文化財を守る手助けはしたいと思います。

十和田市立新渡戸記念館公式

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2015.06.08

妙心が授かった諏訪湖衣ヶ崎の霊歌とは…

20150609_123707 日、妙心上人と諏訪と富士と御正体山という記事を書きましたら、何人かの方から質問がありました。
 あんなマニアックな記事に興味を持ってくださり、ありがとうございます。
 その質問の一つが、妙心法師が諏訪で見た夢の中で授かった歌はどんな歌だったのかというものです。
 さっそくお答えしましょう。

 諏方の海 衣ヶ崎に きて見れハ
   ふしのミねこぐ 天のつりふね

 と、このような歌でございます。大した歌ではありませんね(笑)。
 大した歌ではないというのには、理由があります。
 これに似た歌が有名だからです。

 信濃なる 衣ヶ崎に 来て見れば
    富士の上漕ぐ あまの釣船

 これは空海の歌だとも西行の歌だとも言われています(それにしては凡庸すぎる歌ですが…笑)。諏訪湖畔の衣ヶ崎が逆さ富士の名所ということで、往古から有名だったようですね。
Images 北斎も名にし負うその景色を求めて諏訪湖を訪れましたが、残念ながら天候の関係で拝むことができず、想像でかの富嶽三十六景「信州諏訪湖」を描いたのだとか。
 妙心法師の夢に登場したという歌は、当然この人口に膾炙した歌を元ネタに創作されたものだと思います。いや、実際に妙心が夢の中で改作したものなのか。いやいや、妙心の夢の中で神仏が有名作をパクったのか(笑)。
 ま、いずれにしても、本歌とは違っていることは事実でして、その違いにこそ注目すべきだと思います。
 では、その違いを見てみましょうか。
 まず、初句。「信濃なる」→「諏方の海」。これは妙心が善光寺から諏訪大社に行ったことを考えると、わざわざ「信濃にある(という)」という枕詞はつけませんよね。妙心は諏訪湖を目指して来たわけですから、辻褄は会いますが、ちょっと考えてみると、授けられた霊夢にしては、「来て見」た主語が妙心自身というのは変ですね(笑)。まあいいか。
 続いて「富士の上」→「ふしのミね(富士の峰)」。これは問題ですね。逆さ富士の「下」に釣り舟が浮かんでいるのを、あえて「上」と表現したところに、元歌の面白さがあるわけで、それを取っ払っちゃうとそれこそなんの味もない歌になってしまう…。
 いえいえ、とんでもない。次の「あま」に当てられた漢字を見てください。「天」です。そこが重要。
 元歌では「あま」は平仮名になっていますけれども、おそらくは、皆さんもご存知のあの百人一首にもある「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣り舟」を受けてのものでしょうから、まずは「海人・海士」を意識しているのでしょう。
 一方で、「富士の上」という文脈から「天」も掛けている、だから平仮名で記したとも解釈できます。
 では、「富士の峰漕ぐ」とはどういうイメージなのでしょう。「富士の峰で船を漕ぐ」…まさか、富士山の中腹でうつらうつらするわけじゃないですよね(笑)。
 この歌を授かってのちの妙心の行動を見ると、つまり、富士に登って修行をしたという事実を見ると、妙心が「天のつりぷね」を自分自身と重ねていることが分かります。
 「船頭多くして船山に登る」ということわざがあるように、船が山を登るというのは大変なことの比喩です。そういうイメージもあったのでしょうね。
 「富士の上漕ぐ天のつりぶね」と言うのは簡単です。それこそ夢の中のイメージとしては安易だとも言えます。
 そこに現実的な修行、難行苦行をせよというメッセージを読み取った妙心はなかなかすごいと思います。実際のところ、妙心は富士に登って修行したのち、最後は富士山ではなく御正体山で入定したわけですから、実に厳しい現実と対峙したことになります。
 ちなみに、この霊夢を見る前に、諏訪湖の鮒二匹を釣って、それを放生会として放流したところ、別の鮒がもう二匹やってきたと記録があります。鮒を釣ったというところも「釣り船」と重なります。
 そうそう、放生会と言えば、現在でも諏訪の御射山祭では、どじょうを放流する放生会が行われているそうです。

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2015.06.07

フィクサー

 日の「そこまで言って委員会」もなかなか面白かった。
 特に「フィクサー飯島」さんの発言は興味深い。こうして表に出ていろいろ言ってしまうあたりが、すでにホンモノのフィクサーではないことの証明ですが。つまり、「ここまで言って委員です」ということですね。
 私も一部の人から「フィクサー」とか言われていますが、もちろんニセモノです(笑)。
 このブログにも散々書いていますし、実生活でもペラペラしゃべっています。それを大変心配してくださる方もいるのですが、私は出口王仁三郎を師と仰いでおりますので、あえて余計なことまでしゃべっているというところもあります。
 すなわち、これも戦略であるということです。世の中には足を引っ張る人たちがたくさんいまして、私のごとき小人の戯言を真に受けて、わざわざ足を引っ張ってくれる方もいらっしゃいます。ま、それは全て想定済みのことであり、また、先方にとっては無駄なこと、こちらにとっては実は有用なことであったりするので、私は喜んでその妨害を受けることにしています。
 ま、そんなところもまた、王仁三郎に似ているかもしれません。ま、スケールは違いすぎますけど(向こうは国家に大量のダイナマイトでドカンとされていますから)。
 ホンモノのフィクサーと言えば、昭和の吉田松陰とも称される仲小路彰もまたすごいスケールの人でした。彼は王仁三郎とはある意味逆に余計なことは全く語らず、自分の名前も出さず、いや姿すら出さず、それこそ裏側から日本を動かしていました。王仁三郎は陽なら仲小路は陰です。
 私は仲小路彰も大尊敬しています。実は王仁三郎と仲小路は同じことを考え語り、そして行動しているのです。まさに陰陽の関係。一見まったく関係がない、あるいは似ても似つかないように見えますが、次元を上げて彼らを見ると同じ志を持っているんですね。
 そこを見落としてはいけない。彼らの時代はたしかにすでに終っているように見えますが、実際にはちゃんと生きている。それどころか今まさに彼らの思想や行動が価値を持ってきているのです。
 世の中をフィックスするには、一人の手で数十年でできるものではない。結局のところ、それぞれの時代にあった形で継承され、その目的達成の日まで営々と生き続けなければならないのです。
 最近、ようやく幕末明治初期の人物に興味を持ち始めて、いろいろ読んだりするようになったのですが、彼らもやはりそういう視点で見ると、同様な霊脈の中にいることに気づきます。
 途中で暗殺されたり、事業が頓挫したり、いわゆる歴史上は未完成、未成就に解釈されますが、いやいやどうして必要な時に、彼らの志はしっかり生まれ変わって世に出てくるものです。
 昔はよかった、昔の人はすごかった、ではなく、彼らのフィックスしたコトをどう今に活かすのか、あるいはその固める事業をどう継承していくのか、そういう過去・現在・未来を俯瞰するような立場で、しっかり地層を固めて積み上げていかねばなりません。
 それこそがフィクサーの役割でしょう。そういう意味で現代のフィクサーは本当にいるのか。少し心配にもなりますね。
 私なんか unfixer ですから(笑)、どちらかというと足を引っ張る方なのかな…なんて、それは冗談ですが、我欲や利己心から物事を unfix しようとする輩がいるのはたしか。しかし、これからの時代は、そういう輩さえも利用するような度量の大きさが必要でしょうね。
 王仁三郎も弾圧され逮捕され収監されることによって、自らを戦争に関わらせなかったわけですからね。国家に感謝こそすれ、恨みはしなかった。だから、国家賠償もいらんと言えたのでしょう。

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2015.06.06

妙心上人と諏訪と富士と御正体山

Imgres 日も個人的な備忘録となりますが、もしかすると大きな意味がある内容かもしれません。
 私は諏訪から富士への神々の流れについていろいろ考えたり感じたりしています。最近では、ある種の確信も生まれつつあります。その確信を補強する発見がいろいろありまして。
 そのうちの一つが、謎の霊山「御正体山(みしょうたいさん・みしょうたいやま)」に関する今回の発見です。
 ちなみに御正体山には10年ほど前に皇太子さまが登山されています(世間的には唐突に)。
 御正体山については、昨年の明治天皇誕生日に御正体山の秘密という記事を書きました。そこに、当山で即身仏となった妙心上人についてこんなふうに書いています。

『なぜ、妙心が御正体山で入定したのか…たまたま通りかかって霊感を得たというのが定説ですが、どうもそんな単純なことではないような予感がしますね』

 そう書いてのち、いろいろ調べておりましたら、ワタクシ的には驚愕の事実が判明したのであります。そう「たまたま」ではなかったのです。
 妙心法師は現在の岐阜県揖斐郡に生まれ、9歳で出家、信濃善光寺で26年間修行をしました。そして、文化10(1813)年、全国行脚に出ようとして、まずは諏訪大社に参ります。その晩、霊夢の中で富士山に行きなさいという意味の和歌を賜り、さっそく富士山へ向かいます。おそらくの道筋はこちらで紹介した中道往還か御坂越えだったと思われます。
 そして、当時富士講が盛んであった富士山北口の吉田の御師たちと出会いながら、富士山北面でさまざまな修行をしました。
 のちに富士山西麓の人穴に移り断食をしていたところ、再び霊夢を見ます。そのお告げは次のような内容だったと言います。
 「富士山の艮(うしとら)にある御正体山を開け」
 う〜ん、これは面白い。諏訪での霊夢、そして人穴での霊夢の主はおそらく諏訪の神でしょうね。
 私の感覚では、諏訪の神が南下して御坂山系を越え、上吉田から富士山に登頂し、再び下って艮(北東)の方角へ向かった。明見の社宮地神社から杓子山を経て、御正体山におさまったと考えていましたから、妙心上人の動きはほとんどそれに一致しているわけです。
 山岳修験道やそこから派生した富士講と諏訪信仰との関係はあまり取り沙汰されてきませんでしたが、少なくともここ富士山麓では何か関係がありそうです。
 ということで、近いうちに妙心上人のミイラの眠る岐阜の横蔵寺に行ってみたいと思います。ご本人に確かめるのが一番ですから(笑)。
 ちなみに、御正体山で入定した妙心さんですが、明治になっての廃仏毀釈の波を受け、山から下ろされてしまいます。そして、なんだか見世物になってしまったようですね。
 しかし、そのおかげか、明治天皇が甲府でそのミイラをご覧になったという話が伝わっています。もし、それが本当ならば、そこにも不思議な因縁を感じます。皇太子さまがこのマイナーな山に登られたのも偶然ではないなと。
 また、宮下文書によれば、御正体山は南朝色の非常に強い山ということになります。そこで入定した妙心と明治天皇が出会っていたとするなら、それはそれで非常に因縁深いものがありますね。
 またいろいろ調べてみようと思います。いやはや、トンデモナイ世界に興味を持ってしまった…。


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2015.06.05

追悼 井尻千男さん

Th_20111112203559 梨県出身の真正保守の論客、井尻千男さんが一昨日亡くなりました。
 昨年から体調を崩されているという話は伝え聞いておりましたが、今年の主権回復の日には車いすで登壇され、たしかにお体は小さくなっていましたが、言葉には変わらぬ力があり、また得意のユーモアも快調で、私としても一安心したところだったのですが…。
 個人的には数年前、ある集会に向かう途中偶然エレベーターで一緒になり、ほんの少しの時間ではありましたが、「山梨から来ました」というところから、大いに盛り上がってお話した記憶があります。
 本当に人に優しい、愛に溢れた方なのだなあと、その時感じました。国に対する思いもまさに「愛」。また、天に対する思いも「愛」。
 だからこそ、時には舌鋒鋭く「敵」を攻撃することもありました。しかし、今思えば、その「敵」に対しても「愛」をもって厳しくあたっていたのかなとも。
 私は、思想的には井尻さんとはちょっと違うところはありましたが、人としては本当に敬愛しておりました。
 井尻さんの同志であり、私の高校の先輩でもある水島総さんが、心のこもったメッセージを語ってくれています。今は珍しくなってしまった真正ダンディズム…ご冥福をお祈りします。

 

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2015.06.04

西湖いやしの里根場

Th_img_7754 の前日曜日にふらりと行ったところ。正式入場せず、入り口のお店で天ぷらそばとチューハイを注文いたしました。
 何度か中に入ったことはあります。観光客、特に都会からやってきた方々には、たしかに楽しめるテーマパーク(?)であると思います。
 私は地元民です。なぜ時々ここに出かけるかというと、「根場」の雰囲気を味わうためです。
 「根場」…「ねんば」と読みます。読めませんよね、ふつう。
 私にとっての「ねんば」は、一つは昭和41年の台風による土石流災害。今はのどかな「いやしの里」ですが、半世紀前には集落が全滅、94人が亡くなりました。
 今、「いやしの里」が復元されているのは、まさにその悲劇の現場です。観光客のほとんどがそういう事実は知らないでここでいやされています。
 先日、軍事施設が公園になり、戦地が観光地になることについて書きましたが、まあ、こういう忘却こそが慰霊になるというのも事実ですね。
 実際、根場に立つと、ものすごく急峻な山々に囲まれた危険な区域であることを感じます。危険ではありますが、一方では守られているような気持ちにもなる。まさに山々の荒魂と和魂を感じる場所です。
 もう一つ、根場というと、以前紹介した大隈重信らの計画した甲信鉄道を思い出します。
 現場に立つと、その計画がいかに無謀というか、トンデモなくぶっ飛んでいたかがよく分かります。ここに鉄道を通すって…。
 昨日の話じゃありませんが、昔の男ってホント「馬鹿」でしたね。もちろんいい意味での「馬鹿」ですよ。
 そうして馬鹿な夢を実現しようとして、いろいろな技術が生まれ、世の中が変わっていく。残念ながら甲信鉄道は実現しませんでしたが、この根場には、そういうお馬鹿な夢に挑戦した男たちのロマンと、それをきっちり阻んだ自然の厳しさを感じさせる「オーラ」があります。
 観光地としては地味ですが、皆さんも富士五湖地区にいらした際には、ぜひお立ち寄りくださいませ。

西湖いやしの里根場

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2015.06.03

『日本近現代史の「裏の主役」たち』 田原総一朗 (PHP文庫)

Z 日「読書」を否定的に書いておきながら、今日は本の紹介。スミマセン(笑)。
 出口王仁三郎や仲小路彰に不思議な縁ができた私としては、この本で取り上げられている(表紙にもあります)北一輝、大川周明、頭山満、松井石根らに興味を持たざるを得ません。
 今名前の挙がった6人は、まさに日本近現代史の「裏の主役」ですよね。逆に言えば、一般の方にはほとんど知られていない。
 この本を読んでつくづく再確認させられたのは、そうした裏の主役たちは、戦後レジーム(唯物論や単純な左右対立の構図)では全く解釈できないスケールを持っていたということです。
 戦前の(もちろん江戸時代以前も含む)日本はすごかった、あの頃の男たちは熱かった、というようなノスタルジックな気持ちにも当然なりますし、すっかり骨抜きされてしまった今の日本の国や、自分をも含めた今の男の情けなさにガッカリもしてしまいます。
 上記6人だけとっても、本当に右とも左とも取れてしまって、私たちは混乱してしまいます。デジタル的思考に毒されていると、彼らの崇高な「不二(ふに)」の境地は全く理解できません。
 田原さんも重ねて語っていますが、彼らには「武士」の精神が生きていた。だから、「士農工商」の「商」すなわち貨幣経済、資本主義に対する嫌悪感が強くあったというのは、なかなか現代人には理解しがたいところでしょう。武士は食わねど高楊枝と言われても…。
 しかし、これだけ貨幣の価値が絶対化し、さらには資本主義市場経済が全世界を覆い、さらにはマネーという実質を伴わない概念が情報とともに飛び交う時代になったからこそ、そうした「武士」の清廉や清貧というものが、再び注目されてもおかしくありません。
 実は、いわゆる「歴史認識」というのも、こうした精神的、思想的、もっと言うなら霊的な視点や感覚を抜きにしては語れるはずもありません。
 「認識」の主体は「今」の私たちですから、「歴史認識」は「当時」の歴史からすれば本来間違うべきものです。当たり前です。
 私たちがもし、私たちの人生を、100年後の「今」の人たちの価値観で解釈されたら、絶対反対したくなりますよね(きっと)。
 私は歴史家ではありませんので、どちらかというと、当時の「霊的」な部分をなるべく共有し、共有に限界があるとしても、そこに「今」の霊性とは違った霊性があったという事実(歴史)だけは認めたいと思っていますし、そう努力しているつもりです(だから変な人、アブナイ人に見えるのかも)。
 田原総一朗さんも最近変わってきたなあと思います。どちらかというと、こちら側に近づいてきたのかなあと。この本は5年くらい前に書かれたものですが、当時の民主党政権下の日本になんとも言えない危機感を抱いていたのではないでしょうか。筆致にそれを感じます。
 私は本当に頭が悪い(特に記憶に障害がある)ので、この本を読んでも、なかなか細かい情報は覚えられませんし、うまくまとめることができません。しかし、田原さんの言葉を通じて、その当時の男たちの、得も言われぬザワザワ感や、逡巡していられないワクワク感、そして失敗を恐れる(つまり死を覚悟する)ドキドキ感(それらはまるで恋愛のようですが)を共有することだけはしっかりできたような気がします。
 今の私も、彼らほどではもちろんないにせよ、どこか焦りに似た、ザワザワ感、ワクワク感、ドキドキ感があるんですよね。
 もしかすると、私は彼らと同じように、日本や地球や宇宙に恋をしているのかもしれませんね。そういう意味では、彼らを「アジア主義者」と矮小化するのもどうかと思われますね。

Amazon 日本近現代史の「裏の主役」たち

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2015.06.02

読書のしかた

Th_c803ff28e58c761e419839707fc28c78 は世間的には国語教師ということになっているようですが、本人にその意識はかなり希薄です。生徒はどう思っているのでしょうか。
 自分が国語教師らしくないなと思うポイントの一つとして、読書量の少なさが挙げられます。
 子ども時代からとにかく本を読むことが苦手でした。親や先生にはしょっちゅう「本を読みなさい」と言われてきましたが、いやなものはいやです。
 特に小説はほとんど読んできませんでしたし、今も読みません。いや、読めません。これは障害かもしれません。
 しかし、一方で、自己肯定のための妙な理屈があります。太古、日本には文字がなかった。文字がないのだから、当然本もない。だから読書という概念もない…とか(笑)。
 また、いわゆる「黙読」も歴史的に言えばごく最近の文化、技術です。さらに「小説」なんていう特殊な分野はある特定の時期の特殊な文学形態であり、その役目は三島の死によってとっくに終っている…とか。
 いやいや、このブログにはけっこう書籍の紹介記事があるではないか、それなりに読書しているではないかと言われるかもしれません。たしかに、ウチにはかなりの蔵書があります。
 しかし、それらは、私にとってはインターネットのサイトと同じように、あくまで情報源でしかなく、自分の思考や感覚を強化したり、逆に自分の思考の暴走を抑えるといった役割を果たしているにすぎません。
 つまり、私の場合、未知のストーリーを楽しむとか、未知の世界への入り口とするとか、そういう「初体験」的な意味での読書はありえないのです。
 まず自分自身の試行錯誤ならぬ思考錯誤があって、のちに他人様の脳ミソの中の情報を拝見、拝借するという感じなのです。
 だから、どちらが主体かというと、やはり自分の思考錯誤であって、ある意味読書なんてしている暇はないのであります。
 おかげで、私の言説はかなりぶっ飛んでいて、それこそ書籍にはなりえないほどに、とっ散らかっています。
 よく「本に書いてくれ」と言われるのですが、やはり無理なものは無理。言語化して、さらに文章化して、書籍化してしまうということは、生きた思考を殺すことになってしまうという恐怖があります。
 では、このブログは?というと、かなり無責任なテキスト群ですから、このまま「本」になんかなりっこありません。私の戯言をテキスト起こししただけですので(笑)。
 さて、そんな私の「読書のしかた」について、強力な後方支援をしてくださる方がいらっしゃいます。かのアインシュタイン先生です。
 冒頭の「ある年齢を過ぎたら」を消してしまいたい衝動にかられますけど(笑)。
 
Reading, after a certain age, diverts the mind too much from its creative pursuits. Any man who reads too much and uses his own brain too little falls into lazy habits of thinking.

ある年齢を過ぎたら、読書は精神をクリエイティブな探求から遠ざける。本をたくさん読みすぎて、自分自身の脳を使っていない人は、怠惰な思考習慣に陥る。

Amazon アインシュタイン150の言葉


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2015.06.01

石神井松の風文化公園

Th_imgres 40年前の微妙な記憶が…。
 今日は素晴らしい出会いがあったのですが、その話はまた後日といたしまして、ごく個人的な「再会」について書きます。
 今日は学校の創立記念日。珍しく平日の休みでした。娘二人もウチの生徒なので休み、カミさんも仕事を休んでみんなで東京へ。
 練馬の某所で実に運命的な用事をすませ帰途につきました。ナビの言うままに車を進め、富士街道を西に向って走っていると…突然、私の脳みそはタイムスリップしました。
 この風景、少年時代に見た!ここに来たことがある。
 ん?…なんともいえない感覚。どちらかというとあまり楽しくない思い出。なんとも言えないアウェー感。
 あぁ、ここで大量の知らない子どもたちと運動会みたいなことをやったような…。
 車で通りすぎてしまったので、その濃縮された記憶の再生は一瞬でしたが、妙に明瞭な「いやな感覚」でした。
 帰宅後調べましたら、私の感覚は見事大正解でありました。なんと40年ぶりの記憶復活です。たしかに私はそこに数回行ったことがありました。
 その風景は、今では「石神井松の風文化公園」と言われています。なんでも昨年の4月に開園したのだとか。
 私の記憶の中のそこは「日本銀行石神井運動場」。
 私の父は日銀に勤めておりました。私が小学生、中学生の頃は本店勤務でした。で、その日銀本店の運動会というのが年に一回あったんですね。それに私が連れて行かれたという記憶。
 今では新しい公園に生まれ変わっているのに、記憶とは不思議なものですね、なんとなく公園(グランド)の広さや道との位置関係など、言語化されない全体の空気感が脳ミソの引出しの奥の方にしまい込まれていたわけですね。それが40年ぶりに出てきた。
 父に確認したところ、本店のそれぞれの部署で出し物などがあり、全員ではないけれども、代表が家族を連れて参加する運動会だったようです。
 親は子どもにも良かれと思ってそういうところに連れて行くのでしょう(今、親になった私もそうです)が、子どもにとってはけっこうきつい体験ですよね。知らない子どもがたくさんいる、そいつらといきなり何かをしなければならない。
 そういうアウェー感、その場にいづらい感、早く終わらなかな感(笑)、そういうのって、鮮明に記憶されますよね。
 大人になった今では、知らない人たちといきなり何かやることは、どちらかというとワクワク感を伴うものになっていますが、子どもって子どもが怖いんでしょうね。自分も得体のしれない存在だが、知らない子どもはもっと得体のしれない怪物です。
 だから逆に気心知れた「友だち」を大切にするのでしょうね。
 父の話によると、当時あったプールで水泳教室もあって、それにも連れて行かれたそうです。そちらはあまり覚えていません。基本他の子どもと関わらなくてよかったのでしょうね。
 というわけで、今度ゆっくり、新生なった石神井松の風文化公園を楽しみ、負の記憶を塗り替えたいと思います(笑)。
 

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