「大東亜戦争終結ノ詔書」と「平和に寄す」(と王仁三郎)
安倍総理が「ポツダム宣言をつまびらかに読んでいない」と発言したことに対し、いろいろな意見が飛び交っています。まあ政治家の方々も「つまびらかに」は読んでいない人がほとんどでしょうね。私ももちろん「つまびらかに」は読んでいません。
で、実際「つまびらかに」読んでみると、けっこうツッコミどころ満載ですよね。おいおい、お前らがそんなこと言うのか?という…(笑)。
それより志位さん、これらをちゃんと「つまびらかに」読んでますか?
日本人としては、ポツダム宣言よりも、それを受けての、昭和天皇による「大東亜戦争終結ノ詔書」の方を「つまびらかに」読んでもらいたいですね。
ちなみに我が家では、この「終戦の詔書」、床の間に額に入れて飾ってあります。
先日総理夫人が遊びにいらした時にもその話になりました。この写真でいうと、一番左の王仁三郎「明け鴉」の掛け軸の下に写っている額がそれです。
この「終戦の詔書」は、いわゆる玉音放送の原稿です。これを陛下があの調子で読み上げられた。
この内容こそしっかり味わうべきです。陛下の、過去、現在(その時)、未来をつなぐ「地球平和宣言」であると思います。
ちなみにこの詔勅作文にあたっては、高松宮さまのご意思の影響も多分にあるのではと、私は考えています。もちろん直接的とは限りません。もっと深いところでです。
高松宮家は廃絶した有栖川宮家の祭祀などを引き継いでいました。そういう意味では、それこそ深いところで出口王仁三郎ともつながっていますね。
王仁三郎は玉音放送を聴いて「マッカーサー(負かさ)れた』と笑い出したと言います(たしかに…笑)。王仁三郎にとってはこの日が終戦の日になり、新しい日本が始まる日であるということは、とっくの昔に分かっていました。
この「八月十五日」の染筆は大正時代に書かれたものです。また、「霊界物語」も旧暦8月15日に口述が始まり、新暦の8月15日に終了しています。
考えてみると、一番上の写真で昭恵さんが持っているのは王仁三郎の耀わん「十和田」。この茶碗のモデルになったと言われる王仁三郎の孫和明さんの誕生日は8月15日。
そして、昭恵さんの真後ろにかかる軸は、王仁三郎の真筆「聖寿萬々歳」。すなわち「天皇陛下万歳」というわけですから、なんとも不思議な因縁を感じざるを得ません。
また、高松宮さまと、あの仲小路彰は非常に近い関係にありました。以前紹介した高松宮さまの「平和に寄す」もぜひ一緒に味わっていただきたい。この文も昭恵さんを通じて総理に渡っていることと思われます。
ここに再掲しておきましょう。
平和に寄す 宣仁
日本の方向は、「ポツダム宣言」によって明確にされ、今日われわれは、民主主義理想と戦争抛棄を最高の目標として進みつつ、幾多の変化を身をもって体験し来った。この平和への方向にあって、日本が平和文化国家としての自らの未来に向って努力することが、そのまま世界平和へのささやかな寄与ともなりうることを、大きなよろこびもて自覚すべきである。
恒久平和こそ人類史の根本課題であるとともに、今日の最大の現実問題でもある。
人類の長い闘争の歴史において、破壊か創造かの解き難い矛盾が人類の叡智による新しい方法−過去の破壊に代る未来の創造への要請として解決されるときに、まことに何人にとっても望ましい”地球の平和”の出現することを、今こそ人類は明確に認識しなければならない。
すでにそれを実現し、創造するに足る科学、物理又技術の発展は着々と行われている。
しかし、それを全からしめるためには、その科学的発展を、人類目的の下に活用する人間精神の根源的自覚にまつところ大である。
これこそ人間に内在している大きな光を求める愛の中に生きることであり、これを忘れて徒らに知的な分析のみに依存したり、矛盾対立面の拡大に努めるならば、人類は救いがたい破滅の運命に陥るであろう。
過去の日本の無條件降伏は、また単なる国家対国家の関係にとどまることなく、真に絶対平和への無條件降伏としての神への誓約でなければならない。それは真に神に対する武装抛棄とも云うべきであり、平和への精神的・物質的な献身行為によってはじめて実現するものである。
日本は今や国土・国民・国史のすべてをあげて平和なるものへの自己開放を行うべき時であり、それは新しい平和文化への奉仕と貢献を自ら実践することによって開始されなければならない。
まことに今日の日本の歴史的な立場は、約千三百年前、まさに聖徳太子の時代−当時大陸との交渉によってもたらされたイデオロギーの対立と相剋の中に、いかに生くべきかを求めつつあった日本の運命と酷似しているかのようである。
当時、大陸より兵を撤し、軍事的国家より文化国家への一大転換の時代に立った日本に、大陸の文化は大きな対立をもちながら一度に流入し、日本古来の伝統とも鋭い矛盾をはらみつつ、国内は指導階級の分裂による社会不安の激化によって、危い現実に直面したのであった。
この日本の深刻な危機に際して、聖徳太子は、「人の和を以て第一とする」十七条憲法をもって、平和文化国家としての最高の理想を表現し、日本の進むべき道を暗示されたのであり、これこそ、今日の新憲法ともならべられる平和文化への大いなる宣言と云うべきものであった。
さらに太子は、夢殿において自ら神・仏・儒のイデオロギーの調和と体系化を実現され、かの「三経義疏」にみる仏教の深い理解と本質の把握は、単なる海外思想のまねではなく、それらの創造的統一による体系化として、その上に一切の文化建設を社会秩序にまでおしすすめられたのである。
今日、新しい平和文化の黎明に際して、千三百年の昔、国史のまさに半ばに立たれて、平和文化国家としての方向を決定された聖徳太子の大理想を思うこと切である。
日本の民主主義の方向は、二つの世界の大いなる対立の中にあって、その最も深い根源的理解とそれをいかに恒久平和の中に創造的に調和しうるか−という問題に直面している。
民主主義が日常生活の中で真実の実践をみるように、日本の民主主義の最高の目標としての平和文化も、国民一人一人の信念として国土の中に未来に構想され、それへの断えない努力と献身によってはじめて実現されることを確信しなければならない。
ここに”大和(タイワ)”としてあらゆるものの綜合と調和をなすべき日本の伝統的方向があり、平和文化の真の意義を見出すとともに、それをさらに新しい平和への信仰にまで高めることを必要とするのである。
すでに原子力の開裂の響は、日本の国土に新しい平和世界を建設するための予言の如く、さながら、万世の平和を要望する神の声のようにひびいている。
このような意味で、本文化大系は平和文化のための綜合的研究を行いつつあるが、実に、平和とは単に政治とか経済の問題だけにとどまらず、今後、人類がいかに生くべきかという問題として、体系的に解明されなければならない。
人間精神の根源的自覚による大きな愛の光のもとにあってこそ、はじめて、現在の不安と動揺の人類生活に、永遠の平和が招来されうることを確信する。
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