妙法寺記の「王」
↓異本である「勝山記」
今日もまた備忘録。スミマセン、興味のない方には実につまらない話で。
職場の図書室に懐かしい司書さんが戻ってきまして、彼女の顔を見たら二十年前のある記憶が蘇ってきました。
それは図書室で「妙法寺記」を読んでいた時のこと。興味深い記述を見つけたのです。
妙法寺記は河口湖畔にある法華宗のお寺に伝わる文書で、歴代の住職が書き継いだメモのようなものです。
歴史学的には案外重視されていまして、戦国期の武田氏、北条氏、今川氏などの動きを知るのに重宝されています。また、天変地異なども記されており、その方面でも貴重な資料となっています。
私が、その妙法寺記のどんな記事に反応したかと言いますと、実は南朝の皇統を継ぐとおぼしき、いわゆる後南朝の最後の「王」が登場するのです。
その部分を翻刻してみます。
文明十、戊戌、十四日、王、京ヨリ東海へ流レ御座ス、
甲州へ趣、小石澤観音寺ニ御座ス、
明應八、巳未、
此年霜月王流サレテ三島へ付玉フ也、早雲入道諌テ、相州へ送賜也、
このように唐突に「王」が登場するんですよね。当時、「王」と言えば「天皇家」です。
この片田舎に天皇家の誰かが流れてきたという記録なんですね。
文明十年は1478年、明應八年は1499年となります。後南朝としても記録に残るほとんど最後の「王」のようです。
両記事には21年の隔たりがありますから、両「王」が同一人物なのかどうか微妙です。記載した坊さんも同一ではないようですし。
いずれにせよ、この時代にも京都に「王」を称するもう一人の天皇がおり、それが政治的に流されたり、利用されたりしていたことは事実のようです。
東海に流された「王」が富士山を越えて甲州に来るというのも興味深いところです。なぜなら、こちらに書いたように、甲斐の国は古くから「流刑地」であったがゆえに、貴種流離譚も多くあり、またその後裔を名乗る人々(落人伝説)が多いのも事実です。
そして、我が富士北麓地方に残る、南朝色の非常に濃い伝承(そのほとんどは宮下文書に書かれています)との関係、あるいは富士高天原伝説との関係も気になりますね。
実は最近も、いろいろと南朝の遺物が発掘されております。もしかすると、歴史書が書き直される日も近いかもしれませんね。
若い頃から後南朝(哀史)に異様に惹かれるのは、私にもそういう血が流れているからなのかもしれません。そのあたり、自分のルーツについてももっと調べてみようと思っています。
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