« 2015年3月 | トップページ | 2015年5月 »

2015.04.30

米国議会における安倍演説の意味

Th__20150501_65055 さん、本日未明の安倍総理の演説、ご覧になりましたか。
 今まで日本の首相がここで演説できなかったこと自体が不自然なことでした。演説の内容についてはもちろんですが、そういう意味においても、ようやく日米の「戦後」が終わったのかなというのが私の印象です。
 そういう意味で安倍総理だけでなく、こういう場を設定し、こういう文章を書いた人々の歴史的な努力に敬意を表したいと思います。
 内容については、いろいろな意見があって当然だと思います。絶対的に正しい言葉などありえませんから。
 私にもいろいろな思いはありますが、基本的に「過去の悲劇を乗り越える和解のモデル」を全世界に示したという意味において、やはり歴史的な演説であったと感じています。
 このモデルこそ、日本の「和」の精神の体現であり、また私の言う「国譲り」の智慧の作法であると思います。
 私は「時間は未来から過去へと流れている」と考えています。時間という川の流れに立つ私たちは、常に上流(未来)に向っていなければなりません。下流(過去)に向かって立ち、過ぎ去って遠くなっていく記憶をいつまでも眺めていたり、流れていくべき「滓」をいつまでも抱えていたりしていては、上流(未来)から流れてくる僥倖をキャッチすることができなくなってしまいます。
 もちろん、「反省」「悔悟」も大切です。しかし、それはあくまで間違ったキャッチをしないため未来的体験であるべきです。
 安倍さんの演説には、各所にそういうメッセージがこめられていたと感じました。そういう意味で、この演説は、アメリカという「現在」を重視する国と、「過去」にばかり拘泥する(ただしその目的はあくまで「現在」の利益)近隣の特定の国々に向けられたものであったと、宇宙人である(笑)私は感じたのでありました。
 皆さんも、ぜひもう一度、そういう視点で全文をお読みになってください。
 安倍さんお疲れ様でした。富士山でお待ちしております。

米国連邦議会上下両院合同会議における安倍内閣総理大臣演説(首相官邸)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.29

昭和の日の武蔵野陵

Th_img_7152 和の日。昭和の時代の天皇誕生日ですね。
 昨日は「主権回復の日」と「屈辱の日」の話を書きましたが、今日はそこに大きく関わってくる昭和天皇のお墓について少し書きます。
 今日は初めて家族全員で武蔵陵墓地を参拝しました。武蔵陵墓地についてはこちらをお読みください。
 昭和の日ですから、武蔵陵墓地、特に昭和天皇の陵である武蔵野陵は、もっとたくさんの人たちでごった返しているかと思ったら、案外人も少なく静かでした。
 いつもと違うと言えば、右翼団体の皆さまが多く、そうした風情の人々、そして車が見られ、また警察もいつもより多く動員されていたことくらいです。
 ちなみにウチは全然右翼ではありませんよ。右も左もない宇宙人家族なので(笑)。
 そうした宇宙的視点で地球上のこの国を見ますと、この昭和天皇誕生日に昭和天皇陵を国民のほとんどが参拝しないというのは、非常に不思議な光景とも言えます。
 クリスマスなど異国異教の神人の誕生日はお祝いするのに、自国の霊性、精神性、そして歴史を支えてきた天皇の誕生日はあまり祝わないどころか、昨日の記事にも書いたように、昭和天皇に至っては、ある種批判的に捉えられる部分も多い。
 もちろん、その理由も理解できないことはないのですが、少なくとも私たち宇宙人は(笑)、昭和天皇個人ということではなく、そこにつながり宿るモノに敬意を表したり、祈ったり誓ったりしたいと思っているのです。
 そこには歴代天皇が果たしてきた役割という意味だけではなく、無数の日本国民の天皇に対する思いというモノも含まれています。
 それから個人的には、ただ単に武蔵陵墓地の空気が素晴らしいということもあります。私はあそこでいろいろな啓示を受けています。宇宙、いやいや地球的な規模での自分の仕事について迷いや悩みがあった時には、必ずあそこを訪れ、じっくり天の声を聞いています(なんて書くとホント怪しい宇宙人、いや変人ですね)。
 今日もいろいろメッセージをいただき、僭越ながら訪米中の総理にもそれを伝えさせていただきました。
 明日未明の議会でのスピーチに期待します。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.28

「主権回復の日」と「屈辱の日」

201504280009_001_m 日4月28日は日本国主権回復の日です。
 詳しくは昨年のこちらの記事をお読みください。
 そのサンフランシスコ講和条約が発効した特別な日に、そして昭和天皇の誕生日に安倍総理とオバマ大統領の日米首脳会談が行われるのは、これは偶然ではありません。
 その点に関しては報道でもほとんど触れられないのはなぜでしょうか。そして、両首脳による共同声明でそのことに触れるのか。
 また、そうした日に、総理夫妻がホロコースト博物館やアーリントン国立墓地を訪れたことにも大きな意味があると思いますね。霊的な意味において。
 私は未来の日米関係について、おそらくは一般の方とは違うであろうビジョンを持っています(「国譲り」理論の応用です)。そういう意味で今回の総理の訪米には大きな意味があると思っていますし、期待もしています。また、僭越ながら意見もさせていただいています。
 一方で沖縄ではこの日を「屈辱の日」と呼んでいます。サンフランシスコ講和条約によって日本国の主権が回復したとはいえ、沖縄や奄美大島などはいまだアメリカの統治下にあった、すなわち、取り残された人々にとっては「屈辱の日」であると。
 それも理解できます。沖縄が返還されたのは昭和47年。20年のタイムラグがあり、その歪みが今でも基地問題などとして沖縄の皆さんを苦しめているわけです。
 しかし、沖縄のおかげで戦後のアジアの歴史が作られてきたというのもまた事実であり、そこは本土の人間として感謝しなければなりません。
Pk2015042802100127_size0 沖縄の方々の中には、そんな「屈辱の日」になぜ日米首脳会談を行うのか疑問に感じる人もいることでしょう。実際一部でデモも行われました。
 また、沖縄の歴史にとって、昭和天皇という存在も実に微妙であります。沖縄の人々にとっては、昭和天皇は何度も自分たちを「捨てた」という実感があります。
 最終的に沖縄戦を止められなかったこと、和平工作の中で沖縄を手放すことをほのめかしていること、戦後アメリカの長期統治を了承したこと。そして、存命中一度も沖縄を訪れなかったこと。
 今上天皇は特に沖縄を重視し何度も訪問していますが、沖縄県民の昭和天皇への複雑な思いは変わることはありませんでした。
 はたして、このたびのこのタイミングでの日米首脳会談において、沖縄の基地問題などはどのように扱われるのでしょうか。
 いずれにせよ、これまでも、そしてこれからも、沖縄はアジアの平和にとって非常に大きな役割を果たしていくことでしょう。それが「負担」なのか、それとも「天命」なのか。沖縄の方々だけではなく、日本国民みんなで考えていかねばなりません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.27

『米英の内情を衝く』 (昭和17年 朝日新聞社)

2q 倍総理の訪米。明日は主権回復の日。あさっては昭和天皇誕生日。
 近過去における日米関係をいろいろ考える良い機会です。
 そんな中、知人から「朝日新聞を消せ!」という興味深い本を借りることができました。
 個人的には朝日新聞さんにはお世話になったことも多々あり、また、かつての論説主幹が友人であったこともありまして(つまり義理があるので)、まあこの本に書かれていることはほとんど正しいと分かっていても、やはり人情的にはここまで過激に「消せ!」とまでは言えないワタクシがおります(苦笑)。
 最近ではすっかり「反日ジャーナリズム」の代表格に祭り上げられている朝日新聞でありますが、皆さんご存知のとおり、戦前、戦中は国民の戦意高揚のために大活躍(?)しておりました。
 新聞の紙面でももちろんのこと、一般書籍においても、今「消せ!」と叫んでいる方々が逆に大喜びするような素晴らしい(?)内容のものを多数発行しております。
 それらの一部は、今では国会図書館の近代デジタルライブラリーで読むことができます。
 今日はそんな中でも、ちょっと面白いページを見つけてしまったので紹介します。
Th__20150428_92501 その名も「米国の戦争文化と反日ジャーナリズム」(こちら)。
 そう、つまり昭和17年の朝日新聞が、アメリカにおける「反日ジャーナリズム」を、実名を挙げて紹介、批判しているわけです。
 まあ、それ自体は別に当時としては当然のことであり、他の新聞社もことごとく「反米(反英)ジャーナリズム」だったわけですから、朝日だけを非難できません。
 ただ、私はこの「反日ジャーナリズム」という言葉がこの時代に使われていたということに非常に興味を持ったわけです。
 最近も誰か偉い人が「今どき『反日』なんていう言葉を使うのは時代錯誤も甚だしい」というような内容の文章を書いていましたが、私も実は「反日」という言葉を日本人や日本国内の組織に対して使うことに対しては、ちょっとした違和感を抱いていました。
 ちなみに、そのように身内に対して「反日」という言葉を使い始めたのは戦後、それも比較的最近のことのようです。
 具体的には、左翼花盛りの頃、一部の過激派たちが「反日」を自称して国内テロを繰り返していたんですね。そういう言葉を今では保守派がリベラルを攻撃する際にまで使っている。言葉の歴史に興味を持つワタクシなどからすれば、これらの流れは非常に面白いものがあります。1本論文書けるかな。
 と、そんなわけで、最近のいくつかの記事の内容にも通じますが、日本人はどうも近過去を忘れてコロコロ言葉の解釈を変えてしまう傾向があるんですよね。過去にこだわり続けるどこかの国の人たちとはずいぶん違いますし、今しか考えないどこかの国の人々ともかなり違いますね(笑)。

 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.26

猫から学んだ「ムラカミクス三本の矢」

Th__20150427_65420 倍総理が訪米のため出発しました。歴史的に大変重要な内容になるでしょう。
 そして帰国後、次の外遊先は…?それはお楽しみということで(笑)。
 今回の訪米では安倍総理が上下院でどういう演説をするかが、特に注目されていますね。
 韓国はどうしても「侵略」「植民地支配」「謝罪」という言葉を盛り込みたくてしかたない。
 正直、アメリカも「韓国疲れ」しているようで、先日の日中首脳会談も含め、どうも韓国さんの孤立化が進んでいるようにしか見えません。なんとか救いの手を差し伸べてあげたいとも思ってしまいます。
 と思っていたら、世界で最も有名な日本人である村上春樹さんが、「相手が納得するまで謝罪し続ければいい」というすごい話を東京新聞かなんかに載せちゃいました。まあ韓国さんは喜びましたよね。
 でも、ちょっと待ってくださいよ。これってまともに受けていい言葉なんでしょうかね。まともに喜んでしまった韓國さん、もしかしてとっても恥ずかしいしことになってませんか?
 というのは、今、韓国国内でも「俺たちって永遠に納得しないんじゃない?」的な自己分析が起こり始めているんですよね。
 もしそうだとすると、いわゆる「無限謝罪論」になってしまう。日本は永遠に謝罪し続けなければならない。実際、無限とは言っていないけれども、大統領自ら1000年経っても日本を恨み続けると公言しているわけでして、もうこれは一つの文化、まさに「恨」の文化であって、そうそう変わるものではないという気がしてきます。
 リベラルな言説の多い村上さんではありますが、さすがにそういうことも念頭に置いて、あえて「どこかで納得したら」というようなアドバイスを韓国に送っているのではないかと、私は思ったのですよ。
 というのはですね、個人的には村上さんの「ムラカミクス」が好きだからです(笑)。
 あるサイトで語った次の「ムラカミクス三本の矢」はいかにも日本的ですし、対韓国の政策としても非常に有効であると思います。ここには、決して「謝罪」の匂いがしない(笑)。
 日本もこうやって外交をしのいじゃいましょう。にゃー。
 以下原文を引用させていただきます。

ムラカミクスはかなり強力ですよ。

一の矢)知らん振り
二の矢)照れ隠し
三の矢)開き直り

みんなうちの猫たちから学びました。だいたいこれで人生をしのいでいます。にゃー。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.25

大地は動く

20150426k0000m030046000p_size6 パールで大地震。人々の無事を祈ります。
 その後すぐに八丈島東方沖の深部で中規模地震が発生。
 北海道羅臼町では地すべりによる海岸の隆起。
 大地は動いています。
 今月6日あたりから富士山のラドン濃度もダラダラと「微熱状態」が続いてきました。経験上、やや遠い所の中規模の動きを捉えていると判断していましたが、今日の八丈島東方沖がそれに相当するのかもしれません。まさかネパールの動きではないですよね。
 ネパールの地震の一報を聞いて、私はすぐさま丹那断層を思い起こしました。え?なんで?…ですよね。
 東日本大震災の時にも書きましたが、これは全く科学的な話ではなく、霊的なアナロジーの世界の話です。トンデモアレルギーのある方は無視してくださいね。
 そう、出口王仁三郎の雛型世界地図によると、東日本大震災の震源は日本そのものだったわけです。つまり、牡鹿半島が朝鮮半島で、その東側で地震が起きたと。
 上掲の記事で書いたとおり、私はその生成の歴史からして、インドは伊豆半島にあたると思っているわけです。
 南の海からドンブラコとでっかい島が北上してきて、大陸にドンとぶつかった。その衝撃でチョモランマや富士山ができた。そして、今回のネパールの地震の震源は、日本で言えば丹那断層にぴったり当てはまります。
 こういう妄想にどんな意味があるのかと、それこそ無視したくなる人もたくさんいることでしょう。しかし、人智を超えた、いわば地球レベルで考えれば、これは当然のアナロジーであって、同様のメカニズムでいろいろなスケールにおいて大地は動いているわけです。
 対岸の火事、いや地震だと思わず、まさに足元でもそういうことが起きている、起きつつある、起きる可能性があると考えるのは、充分に意味のあることだと、私は思っています。
 丹那断層が動いたといえば、まず思い出すのが昭和5年の北伊豆地震ですね。M7.3。東海道線の丹那トンネル工事にも大きな影響が出ました。
 そういえば、今回、エベレストで大規模な雪崩が発生したようですね。東海地震などで強い揺れがあった場合、日本のエベレスト(チョモランマ)である富士山でも大規模な雪崩や崩落(山体崩壊)が発生するおそれがあります。
 我が家はチベット側のベースキャンプみたいなところにありますから、そうした災害の可能性も考えておかねばなりません。それこそ対岸のことではありません。
 私のラドン濃度観測が、どの程度の地震の前兆をどの程度の確度で捉えるのか全く分かりませんが、とにかく謙虚な気持ちで自然の声に耳を傾けていきたいと思っています。
 そして、これからもその情報を皆さんと共有していきたいと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.24

『戦後70年 よみがえる日本の姿 ~オーストラリア戦争記念館 所蔵写真展~』 (昭和館)

Th_puqor800000bwa13 日は東京へ出張。
 一仕事終え、ある人の待つ毎日新聞社へ行く前に、九段の昭和館に立ち寄りました。
 今、昭和館では特別企画展として「戦後70年 よみがえる日本の姿」という写真展が催されています。
 英連邦占領軍の一角として進駐していたオーストラリア軍によって撮影された東京や呉の街並みや人々、約100点。なかなかのボリュームと内容で大変勉強になりました。
 特にオーストラリア兵士たちと子どもたちの交流の写真がたくさんあり、印象に残りましたね。ある程度プロパガンダ的な意味もあったとは思いますが、それでも子どもたちの生き生きとした笑顔には、戦争が終わった安堵、そして復興に向けての希望が読み取れます。
 子どもにかぎらず、当時の日本人たちは鬼畜とまで言っていた敵国に対して、(語弊はありますが)本当に手のひらを返したようにフレンドリーになっていきました。
 ウチの父は終戦時14歳。母9歳。食べ盛りの子どもでした。両親に聞くと、とにかく終戦の日には「絶対に仕返ししてやる」と思ったそうですが、すぐにそれまで教育されていた価値観がひっくり返って、逆に進駐軍の言うことの方が正しいと信じるようになったと言います。
 そして、なにしろ戦後すぐの頃が一番ひもじかったと。そんな時に笑顔で食べ物をくれる進駐軍は、敵どころか神様のように感じたそうです。たしかに飢えている時に食べ物を恵んでくれる人はいい人に決まっていますよね。
 連合国側も日本人の性質をよく研究した上で、そのような懐柔的な占領政策をとったのでしょう。
 それもまた私の言う「国譲り」の知恵であったとも言えます。これはもう日本人の理屈を超えた本能ですね。
 少し前まで国民義勇隊として総玉砕をも辞さない狼たちが、急に平和的で従順な羊になってしまう。これはすごい能力ですよ。よく言えば素直。悪く言えば単純…なのかな。
 大空襲で焼け野原になった東京もそうですが、原爆を落とされた広島に隣接する呉も、9月には非常にフレンドリーな感じになっていました。
 大人もまるで子どものような目をしている。そしてたくましく生きている。写真を撮った兵士もきっと純粋に心和む瞬間を捉えようとしたのではないでしょうか。
 この特別展、5月10日まで続きますので、お近くを通りかかったらぜひご覧ください。無料です。

昭和館HP

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.23

能とバロック

 の娘が中学生になりましてウチの学校に入ってきました。スポーツ以外趣味らしい趣味のなかった娘が、いったいなんの部活を選ぶかと思ったら、意外や意外、能楽部と弦楽合奏部(とコント部)に入部しました。
 二つ(三つ)ともウチの学校ならではの部活ですね。ホントのことを言うと全て私の趣味(?)で作ってしまった部です(笑)。
 ま、創始者としても、また父親としてもなんとなく嬉しいですね。
 上の娘は、これまたウチの学校ならではのジャズバンド部で鍛えていただいています。おそらく妹としては、姉ちゃんと比較されたくないし、また差別化を図りたいという気持ちもあっての選択でもあるのでしょう。
 いずれにせよ、父親の手のひらの上だな…なんて、父親の趣味の領域を簡単に超えて行ってしまうでしょう。ちょいと悔しいので、私は別のジャンルに逃げ続けます(笑)。
 さてさて、娘が能楽部に入ったからというわけではなく、ちょっと別件で能とバロックの比較を小論に仕上げなければならなくなりまして、いろいろ書き進めております。
 そう、私にとっては両者はとても近い世界に見えるのです。もう少し正確に言うなら、能楽とバロック・オペラとでも言いましょうか。
 小論の完成版はいずれどこかで公表するとしまして、そのほんの一部だけを開陳します。

 20150424_134554

 多少無理やりなところもありますけれども、こうして並べることによって、両者の類似点と相違点がよく見えてくるというものです。
 さらにこうした様式上の対比だけでなく、成立事情や題材、表現技法に至るまで、実は大変に似ている部分があります。
 表面的には全く違うジャンルに見えますし、音楽的にも全く違ったものに聞こえますが、実は深いところでは強くつながっていると感じます。
 というか、それに気づいてから、私は能楽が急に分かるようになったんです(あとプロレスとの類似点に気づいてから)。
 そういう意味では、一度外国に目を向けて、ある程度それをこなしたところで自国の文化が見えてくるという、ある意味ではよくある、また実に日本的な体験をしているわけですね。
 というわけで、これをなんとか足がかりとして、能楽の素晴らしさを世界にではなく、日本に発信していきたいと思うのであります。さて、どうなることやら。
 娘にも頑張ってもらおうと思っています。頼んだぞよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.22

リニアモーターカーが時速600キロ超え

Th__20150423_110333 ュースで聞いた方も多いと思いますが、山梨の実験線においてリニアモーターカーが時速603キロを記録しました。
 これはスゴイですね。かのゼロ戦も600キロには及ばなかった。すなわち70年前、ほとんど世界における最高速度の乗り物であった航空機の、そのスピードを地上で実現してまったわけですから、本当に日本の技術力を恐るべしであります。
 ウワサによるとリニアモーターカーは時速500キロ以上で走る(飛ぶ)とより安定感が増すそうですね。すごい世界ですな。
 狭い日本そんなに急いでどこへ行く…とも言われそうですが、新幹線の時もさんざんそう言われたんですよ。
 しかし、考え方によっては、移動の時間を短縮することによって、それ以外の時間をゆったり過ごせるわけですから、そちらに目を向ければ「狭い日本だからこそ急ぐ価値がある」とも言えるわけです。
 私はもともとはリニアモーターカー反対派でした(リニアモーターカーという「愚かな夢」が現実に参照)。もちろん、日本の背骨を掘り抜くことに関しては今でも大反対ですし、こんなこと言うと関係者に怒られそうですが、結果的に南アルプス貫通は(神に)阻止されると思っています。
 結果として、東京山梨間だけ先行開通…それを逆手に取って2020年東京オリンピックで東京と富士山をセットにして世界に発信…というのが、私の妄想であります(笑)。
 ちなみに電磁波の人体に与える影響を危険視する向きもありますけれども、これは知り合いの物理学者さんによればですね、リニアの出す電磁波の波長は地球規模に長いので、人体には影響を及ぼしようがないとのことでした。安心してください。
 来週頭から安倍総理が訪米します。そこでもこの日本の技術力を売り込む予定と聞いています。世界中に日本製リニアモーターカーが走る日が来ると信じています。
 なお、今回の快挙に関する韓国のネット上の反応が面白かったので、ここにコピペしておきます。本心でしょう。私も同感ですよ。

「この新幹線ならソウルから釜山まで40分で行ける」
「KTXのお金はどこに消えた?それも調査したほうがいい」
「はあ?600キロ?航空機並み」
「地震が起きたらどうするんだ?」
「日本人と働いてみた人なら分かるが、日本人は相手をイライラさせるほど、正確で緻密。適当なところがない」
「新幹線とKTXは比べ物にならない。新幹線は壊れたこともないし、運行時間も正確」
「日本人にはどうやっても勝てない」
「日本の技術は世界で最高だよ。エンジニアの待遇もいい」
「嫉妬しちゃうくらいうらやましい。韓国は全力投球してもこうは行かない
「日本は電車王国で安全に対する意識が高い。世界で唯一すべてのトンネルを人が直接歩いて直す国。日本の安全意識は見習ったほうがいい」
「新幹線に乗っているとまったく揺れない。KTXとはぜんぜん違うよ。高級ホテルにいる感じ」
「頭脳や誠実さで日本には勝てない」
「日本の新幹線を買おう」
「日本が先進国なのは否定できない。ただ安倍首相は問題」
「韓国であの速度を出したら、事故が起きる。それに韓国は狭いから、あんなに速いものは要らない」
「KTXが新幹線の半分の速度なら、値段を半分にしてくれ」

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.21

NOKKO 『水の中の小さな太陽』

 ベッカ再結成ですか。NOKKOさんは私より一つ上。最近我らが世代がなんか元気ですね。ワタクシも頑張らねば。
 さてさて、私は80年代はほとんど邦楽を聴いておらず、ジャズやらバロックやらに没頭しておりました。
 ところがですね、なぜかなぜか、レベッカではなくてNOKKOのシングルCDが1枚ウチにあるんですよ。自分で買ったんです。それがこの曲。
 久しぶりに聴きましたが、ふむ、実に懐かしい!いい曲ですね。この勢いはNOKKOならではです。
 ちなみに作詞はNOKKO。作曲はNOKKOの実兄である山田貢司さん。レベッカの結成メンバーでもあります。まあ、すごい兄妹ですな。
 ちなみに、お兄さん、最近はまあすごい方向へ行っていて、素晴らしいバカボンぶりです(もちろん褒め言葉です)。ブログをご覧ください。ちょっとお会いしてみたいかも。奥さんがすごいなのかな。
 NOKKOさんのソロ作品としては、「人魚」が有名ですよね。これは超名曲です。それもそのはず、作曲はあの筒美京平さん!すさまじいクオリティと量を誇る筒美作品群の中でも特に印象に残る一曲であります。
 懐かしい(私は知りませんが…笑)ドラマのエンディング・ヴァージョンでどうぞ。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.20

BOBLBEE METRON 13 Special Model

Th__20150421_65505 がパカっと開くリュックがほしいと思っていました。
 最近はビジネスマンでもリュックを背負っている姿をよく見かけますね。特に都会では。
 私もMacBook Proなどを持って出かけることがけっこうありまして、今まではいわゆるパソコンバッグみたいなものに入れて運んでいたんですが、あんまり収納力がないじゃないですか、そういうの。その他のものが入らない。入れると不格好になる。
 で、ちょうどいい大きさのリュック、それも上開きで縦に薄いものを重ねて収納できるようなタイプを探していたのです。
 ようやく出会ったのがこのリュック。
Th__20150421_65453 収納力も抜群ですし、なにしろ丈夫そうでよろしい。かと言って重くもなく、ある程度の防水性もありそうな素材です。けっこう理想に近いものが手に入ったかも。
 一つ自分的に惜しかったのは、トップ部に手提げ用のベルトがついていなかったこと…いや、フタを固定するベルトが把手になっているですね、まあそう考えると特に問題はありません。
 このような上蓋式のリュックは、たとえば衣類などを上からどんどん入れていくと、下のほうのものは取り出しにくい。しかし、私が想定したように、PCや書類などを並べて収納していく場合は、このようなスタイルの方が収納、取り出しともに便利です。いわばランドセル式ということですね。
 あと、これは私だけの用途ですが、とある立方体を運びたいので、それを上からスポッと収納するのにもこのフタは便利です。
 ちなみに写真はパンパンに荷物を入れた時の形状になっていますが、実際のところ荷物が入っていないと、一般のデイパックのようにつぶれて案外小さく感じられます。その辺のデザイン性もよくできていると思いました。
 ま、内側の蛍光色や表のマンハッタンの地図など、ちょっと私には若すぎるデザインかもしれませんけど(笑)。

ヨーロビアンスタイルのバックパックBOBLBEE
METRON 13 Special Model

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.19

そこまで言って委員会 NP 『 教科書検定SP』

 人的には非常にタイムリーな番組でした。
 高校の教員から中学校の教員になって何が大変だったかというと、まずは教科書に関する様々な手続きです。
 高校は基本毎年採択して、生徒がお金を持って指定の本屋さんに買いに行くという形ですよね。ところが小中学校は無償で給与されるじゃないですか。つまり税金で買っていただいている。だから非常に面倒な手続きがあるんです。
 今年は4年に一度の教科書採択の年。義務教育における、この4年に一度という慣行には問題があると思っています。まあ公立はそれでもいいけれども、私学は別に毎年変えてもいいじゃないですか。ということで、3年前に県の担当者とちょいとやりあいました(今思えば先方にとっては無理な相談でしたが)。
 ご存知のとおり、その採択権は公立においては地区の教育委員会にあると言いますが、その「委員会」は「そこまで言って委員会」ではなく、ほとんど「何も言わなくて委員会」状態です(苦笑)。
 私学では学校長に採択権があるという形になっていますが、実質的には現場の教員に任されているのが実態でしょう。
 採択の年に毎度問題になるのは、やはり歴史の教科書ですね。ウチの中学なんかは、たとえば今回で言うなら、育鵬社と学び舎の2冊を生徒に渡して比較しながら授業したいところですが、さすがにそれは無理です。あくまで国民の税金で買っていただいているわけですからね、1冊でも無駄が出ないようにチェックが厳しい。
 高校では1教科に対して2種類の教科書を選ぶのは不可能ではないと思います。しかし、実際は難しいでしょう。なんで2冊も買うんだとクレームが入りそう。
 今日のこの番組でも取り上げられたのは社会科の教科書がほとんど。いずれも外国との関係から問題が生じている。これもまあ変な話ですよね。近隣諸国条項とか世界に3カ国しかないし(てか、日本以外にもあるんだ)。
 もちろん、和の国日本らしいとも言えますが、そうそう、番組の中で話題になった「国譲り」の価値は、私の考え方と同じでした。
Th_img_1189 あっそうだ。その国譲りについても熱く語っていた竹田恒泰さん、番組の中で結婚を発表しましたね。おめでとうございます。去年の7月一緒に飲んだ時、ちょいと結婚の話も出ましたが、その時は「いや全然…忙しすぎて」という感じでしたが、その後出会いがあったんでしょうかね。
 たとえばその竹田さんがテレビで人気者になったり、この番組の視聴率が高かったり、世の中は「保守」の傾向を強めています。これは戦後左傾化の揺り戻しなので、別に心配する必要はありませんね。
 おそらくは日本の歴史はそうしたダイナミックなうねりの中で動いてきたに違いない。そのたびに、様々な論争が起きて、忘れかけていた過去が掘り出されるんです。そうして、歴史は継承されていくし、解釈されていく。歴史というシステムにインストールされた機能なのです。
 私自身の中にもそうした波があります。右か左かで言うなら、一時期右に振れていた頃に比べると、また左に傾きつつあり、つまり真ん中を目指して動いているところであります。
 戦後左翼がそうであったように、人間は外的な力によって、自分の中の振り子を振られると、その振り幅が大きければ大きいほど、その反動も大きくなる。しかし、またその揺り戻しも起きます。
 長年そうした揺れを経験するうちに、だんだん真ん中に落ち着いてくるものです。それを無理やりどちらかに固定してしまう人たちをよく見かけますが、それだと一生かかってもなかなか真ん中に近づけません。
 そういう意味では、子どもたちの振り子を左右に思いっきり振ってやることも教育の一つなのかもしれませんね。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.18

稼いで核爆発?

20150419_105618

 日はどうでもいいネタを一つ。
 上の記事を読んでみてください。
 「火星で」と書くところが「稼いで」になっていますよね(笑)。誤変換です。
 誤変換のおかげで、火星人が何かの商売で稼いで核爆弾を開発し爆発させたという、別の物語ができあがってしまいました(笑)。
 こういう誤変換が最近とても多い。こういう週刊誌的なサイトのみならず、Yahoo!のトップニュースなんかでも時々ご返還…ではなく誤変換(誤植)がありますよね。
 昨年は「タヒ体遺棄」という実に不思議な誤植を紹介しました。
 ま、そういう私のこのブログも書き下ろしで再読しないのでしょっちゅう誤変換がありますが(自分には甘い)。
 昔、ちょっとした研究の対象として「誤植」や「誤用」を集めていたことがあります。「誤謬学」というのを構築しようと企んでいたのですが、その企み自体がある意味「誤り」でありました(笑)。
 でも、けっこう面白かったんですよ。人間はどういうふうに間違えるのか。そして、案外間違いから新しい文化が生まれたりする(世界は「誤り」でできている参照)。
 その頃は、誤りを集めることを「correct errors(誤りを正す)」をもじって「collet errors」とシャレておりました。日本人って「r」と「l」をよく間違えますからね。
 その頃はまだワープロとかパソコンとかが、それほど普及していませんでしたので、誤植も人力というか人間的でした。
 そうそう、証拠写真がどこかに行ってしまっていて残念なのですが、今までで最高の人力エラーは、東北のある県の自動車屋さんの看板。
 今私も乗っているスズキのエブリイがデカデカ堂々と「エイブリ」と書かれていました。東北出身のカミさんによると、東北弁で「エブリイ」と言うと「エブリー」のようには発音できず、どちらかというと「エィブリ」のようになるらしい。つまりエラーにも地方性、方言性があるということですな。
 それにくらべると、最近は上に挙げた「稼いで」のように、人力ではあり得ない間違いが多々発生するようになりましたね。
 それはそれで面白いことになっているわけですが、実は学校が発行する文書類にも誤植が多発していたりして、ニュースなんかもそうですが、いわゆる公的なものにおける誤りが増殖している傾向があるんですよね。チェック機関がちゃんと働かないというか…昔よりもお互いの間違いに甘くなっている、寛容になっているとも言えますけど。
 私はやはり機械よりも人間の誤りの方が好きですね。もちろん機械を操るのも人間ですから、あらゆる誤変換、誤植類は人間の責任とも言えます。
 しかし、一方で機械に頼りすぎて、たとえばこうしてキーボードを打つことによって文章を書いてばかりいると、人間的なエラーも増えてくる。実は今日も授業で黒板に書いた漢字が間違っていて、生徒に指摘されました(苦笑)。国語の先生でもこれですからね。情報化とともに、私たちのエラーもどんどん増えているのでありましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.17

文學ト云フ事より…『蒲団』田山花袋

 ナナマン日村と元NHK美人アナが半同棲中!…このニュースには驚きましたね(笑)。
 私はこの朗報(?)を聞いて、思わず田山花袋の「蒲団」を思い出してしまいました。えっ?全然先生と生徒の禁断の恋じゃないじゃん?
 いえいえ、これはかなりのマニアでないと分からないかもしれませんが、10年前にこのブログで紹介しました文學ト云フ事というフジテレビの深夜番組に無名時代の日村が出ていたんですよね。放送自体は20年前。
Mbg2 その時の、顔に似合わぬ積極性(失礼)を思い出してしまったのですよ。
 その10年前の記事にも書いてありますね、「やっぱりキモい」と(笑)。そう、「蒲団」を読んだことのある方ならお分かりですね、主人公の先生の、ある意味恋のライバル、決して美男子ではない、どちらかというと「ブサメン」の役として日村が抜擢(?)されたと。
 最近ようやくYoutubeにアップされていますので、ぜひご覧ください。こんな感じで神田アナをももらいに行くのでしょうか(笑)。

 ぜひ、これを機会にほかの「予告編」もご覧ください。なかなか面白いですよ。私は今でも教材として使っています。

Amazon 蒲団(無料)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.16

追悼 愛川欽也さん

Th_images ンキンこと愛川欽也さんが昨日お亡くなりになったとのこと。つい最近までお元気にお仕事されていたのでビックリです。
 菅原文太さんが呼んじゃったのかなあ…毎度書くことになってしまいますが、また昭和の男が一人平成の世から去って行きました。
 お人柄がよく聡明だった愛川さん。笑顔の裏には厳しい役者魂があったと聞きます。司会者としての独特の機転も、役者修行の中から生まれたものだったのでしょう。
 今日はあえて、役者そして司会者としての愛川さんではなく、声優としての愛川さんを懐かしんでみたいと思います。
 そう、私にとっては「いなかっぺ大将」のニャンコ先生の声というイメージが強く残っているのです。
 ご冥福をお祈りしつつ、懐かしい「いなかっぺ大将」を観てみましょう。
 こうして観ると、ニャンコ先生は名脇役どころかほとんど主役ですね。役者愛川欽也さんの面目躍如といったところでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.15

『Cat Heaven Island〜田代島』

Cat Heaven Island (Featurette) from Landon Donoho on Vimeo.

 人に紹介された動画。たった10分ほどですが、なんだかジーンと来ました。
 田代島には私もぜひ行ってみたい。しかし、単なる猫好きとして行くよりも、やはり島の人々の暮らしを、そしてそれと猫との関係を感じてきたいと思っています。
 しかし、なかなか実現の機会はありません。そんな時この動画に出会ったので、また感無量なものがあったわけです。
 これは将来完成するであろう長編ドキュメンタリー映画の予告編のようなものですね。KICKSTARTERで資金を集めているとのこと。
 これはぜひ本編を完成させてほしいですね。私も投資したいけれど、どうすればいいか分からない(苦笑)。
 世界中の皆さんにも観ていただきたい。こういう日本もあると。特に東日本大震災を強烈に体験しながらも、ほとんど人的被害なく、こうしてゆっくりと復興を遂げている姿。
 神も人も猫も海も魚もなまこも皆平等なような気がする。これこそ本来の日本のあり方でしょう。外国人だからこそ見えてくるこの島、この国の本質というのもあるでしょうね。
 私も定年後には、映画監督志望の下の娘と田代島にゆっくり滞在して作品を作ってみたいなあ…。

KICKSTARTER「田代島」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.14

NHK歌謡コンサート 『昭和歌謡で楽しまナイト』

Th__20150415_64456 例となりました「歌謡コンサート」家族鑑賞会。
 今日は特にすごかったなあ。いろいろな意味で。昭和歌謡曲バンドをやっているウチの家族としては、大いに勉強になりましたし、エキサイティングでありました。
 まず曲目と歌手を羅列してみます。全26曲!

「凾館の女」北島 三郎
「アカシアの雨がやむとき」八代 亜紀
「ブルーシャトウ」氷川 きよし・三原綱木
「長崎は今日も雨だった」前川 清
「銀座の恋の物語」夏川りみ・ジェロ
「夜明けのスキャット」由紀 さおり
「コーヒー・ルンバ」秋元 順子
「世界は二人のために」石原詢子・竹島宏
「恋のバカンス」夏川りみ・椎名佐千子
「舟唄」八代 亜紀
「どうぞこのまま」由紀 さおり
「わたしの彼は左きき」夏川 りみ
「ラヴ・イズ・オーヴァー」秋元 順子
「女のみち」氷川 きよし
「勝手にしやがれ」竹島 宏
「五番街のマリーへ」石原 詢子
「宗右衛門町ブルース」ジェロ
「ペッパー警部」石原詢子・椎名佐千子
「星空のディスタンス」前川清・ジェロ
「少女A」夏川 りみ
「時の流れに身をまかせ」由紀 さおり
「ルビーの指環」竹島 宏
「川の流れのように」八代 亜紀
「Diamonds」椎名 佐千子
「居酒屋」前川清・秋元順子
「まつり」北島 三郎
「My Revolution」渡辺 美里
「さすらい慕情」氷川 きよし
「大漁船」北島 三郎

 あらためて昭和は過剰に潤沢な時代であったことが分かりますね〜。もう最高です。
 しかし、これだけ潤沢な(と言ってもほんの一部なわけですが)曲が並ぶと、演奏者も大変です。
 今回は珍しく三原綱木さんご本人も歌を披露されましたが、彼のビッグバンドの演奏は毎週毎週お見事ですね。
 三原さん、編曲もなさって、生放送でつつがなく指揮をする。さらに今日は自らギターを抱えて歌も歌っちゃう。すごいなあ。
 特にこういうスーパー・メドレーは、まず編曲が大変でしょう。サビから入る曲が多いので、そのためのスペシャルなイントロも作らなくちゃいけない。
 演奏者も次の曲のイメージをすぐ作らなきゃいけないのでけっこう難しいのではないでしょうか。私はMCの間に一生懸命次の曲のイメージを思い出していますから、こういうメドレーだと間に合わない可能性が(笑)。
 そうそう、今回もベースの斉藤さん、素晴らしかった。歌手の方が歌いやすいバンドってベースがしっかりしているというか、ちゃんと引っ張っていってくれるんですよね。なんちゃって歌手のウチのカミさんも、これはホント歌いやすい!と感動しきり。もちろんなんちゃってベーシストの娘も。
 ちなみにですねえ、残念なことなんですが、バンドは素晴らしかったのに、歌手の人たち、ちょっとミスが多すぎじゃないでしょうか。サビ入りはたしかに難しいと思いますが、自信のなさが思いっきり伝わってきてしまっていました。「楽しまナイト」が「楽しめナイト」に…(苦笑)。
 というか、NHKホールの生放送って歌手の人たちにとって鬼門なんでしょうか。スペシャルゲストの渡辺美里さんまで、自分の持ち歌をうまく歌いこなせていなかったような…。
 ま、細かいことはいいとして、やはり日本の財産、昭和歌謡の世界は深いなあと改めて感動した次第です。ホントに世界中のあらゆるジャンルが融和している。「和」の象徴のような世界ですね。
 来週も期待しいてます。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.13

純米大吟醸 『回天』 (はつもみぢ)

Th__20150413_21_16_18 り合いが送ってくれました。山口県の純米大吟醸酒。
 昨日近所で取ってきたふきのとうの天ぷらを肴にさっそくいただきました。
 うむ、なかなかキレのある辛口のお酒ですね。吟醸香は軽めですが、舌の上では意外とずっしりした重みを感じます。好きなタイプの吟醸酒ですね。
 「回天」とは、あの人間魚雷回天にちなんだ名前です。
 このお酒を醸しているはつもみぢさんは山口県周南市にあります。周南市の大津島にはかつて回天乗組員の訓練施設がありました。
 このお酒も、国を護るために若くして散っていった若者たちの遺志を後世に伝えるために、このように命名されたようです。
 なるほど、先ほど書いた軽めで明るい吟醸香と、ある意味それに反するずっしりした味わいや喉越しは、そういう歴史を映しているのかもしれませんね。
 人間魚雷、特攻隊と言うと暗く悲惨なイメージつきまといますが、実際のところ当時の特攻隊員たちの思いというのは、なかなか現代の私たちには共感するのが難しいのが事実です。
 正当化するとか美化するとかいう意味でなく、私たちは素直に当時の人たちの心に寄り添ってみる必要はあると思います。その作業を怠って、単純に現代的な視点から否定したり、憐れんだりするのはどうでしょうか。その歴史が繰り返されるべきでないことは当然として、その時のその個人の思い、人生、命まで否定してしまうのは、あまりに失礼なことだと私は思います。
 そんな意味も含めて、これもまた若い知り合いのスピーチ動画をご覧いただきます。私も知らなかった事実がたくさんありました。
 「回天」を呑みながら、私ももう一度彼らの心、志に寄り添ってみたいと思います。

はつもみぢ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.12

日暈に一文字

Th__20150412_11_32_04 海大地震が起きるとかなんとか騒がれていましたが、何度も書いているように、「日時を指定した」地震発生の予知(予言)は全てウソです。
 あの超巨大地震でさえも誰も日時指定で予知できなかったわけですから。
 しかし、今日は朝から日暈が出ていまして、さらに写真のように一文字の雲も出ていて、たしかにちょっと変な空模様(デザイン)でした。
 日暈と言えば、東日本大震災後の「空模様」はたしかにおかしかった。水蒸気やイオン濃度の関係なのか、それとも福島から飛んできた放射性物質が核になったのか、すさまじい日暈や環水平アーク裏後光が出ましたっけ。
 そういう意味では、そうした「空模様」は地震の前兆ではなく結果、(語弊はありますが)後遺症のようなものです。あるいは、地震がそうした「空模様」の前兆だったということになりますね。
 ま、今日の日暈は普通に天気が下り坂になる前兆でありましょう。天気予報もそのようになっています。東日本大震災後の日暈は本当に異常な(怖い)デザインでしたが、今日のはノーマルでしたからね。
Th__20150412_16_29_54 今日は教え子の結婚式で山梨市に行ったのですが、そこでも日暈を観察できました。
 庭園での式の最後に風船をみんなで放しました。日の輪の中に風船が舞い、なんとも美しい光景でありました。二人の門出を祝す吉兆ですね。
 それにしても、今日のネット上、特にTwitter上での「地震」騒ぎはちょっとひどかった。いわゆるデマ、流言飛語は、このような情報化社会になってもなくならないどころか、逆に勢いを増して危険です。
 日本人は特にそうなのですが、人間はみんなで不安がって一体感を得るという不思議な習性を持っています。集団心理ならぬ集団気分です。
 私は、いいことが起きそうだという予感をみんなで共有する方がずっと楽しいと思って、それを実践しているつもりですけれども、どうもそっちは「そんなことあるわけないじゃん」ですまされてしまう。逆に悪いことだと「もしかすると…」と思ってしまうのは、なんなんでしょうね。まあ、危険回避、生命維持のための本能なのでありましょう。
 まあ、とにかく、今日の日暈に一文字は、漢字で書けば「旦」。まさに新たな朝を迎える吉兆だと予感しました。この予感(予言)は当たりますようよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.11

蝶野正洋 vs 宮戸優光トークバトル!!(UWFスネークピット・ジャパン)

Aaa211x300 円寺にて、ついに実現!幻の対決!
 コアなプロレスファンならお二人の関係はよくお分かりでしょう。
 いやぁ、実に楽しく興味深いトークバトルでありました。なんとも贅沢な時間。
 いろいろとお世話になり、またいろいろと気づきを与えてくださる宮戸さん、最近実に面白いトークバトルを続けざまにされているのですが、私はどうしても仕事の関係でここまでうかがうことができませんでした。
 今日はちょうど休みの日と重なり、久しぶりに(昨年亡くなったビル・ロビンソンのトークショー以来です)うかがうことができました。
 そして、宮戸さんの今日の対戦相手は黒のカリスマ蝶野正洋さん!
 実は私とカミさんか関わったある学校のある生徒がちょっと荒れていた時、彼が蝶野さんのファンだということを知って、宮戸さんを通じてサインをもらってもらったことがあったんです。
 その生徒は尊敬する蝶野さんのサインを手にして感激し、その後しっかり立ち直っていきました。そして、彼が蝶野さんへお礼の手紙を一生懸命書いたんですね。実はその手紙を渡す機会が全くなかったのですが、今日、しっかりご本人に手渡しできました。
Th__20150411_13_40_58 今日の蝶野さんのお話を聴いて、その生徒が憧れのもよく分かりました。喧嘩が強く、族のヘッドをやりながらも、その根本にあるのは人への思いやりであったり、優しさであったり、義理堅さであったり、義侠心であったりするわけですね。
 プロレスに特に興味がなく、格闘技の経験もなく、身体も硬い(笑)蝶野さんが一流レスラーになって、今でもカリスマぶりを発揮できているのは、まさに彼の人間性による部分が大きかったと思います。
 その点、今日のトークでも何度も語られた、闘魂三銃士仲間の橋本真也と武藤敬司は、ちょっと違った意味でカリスマになっていったんですね。そりゃぁ、気も合わないわな(笑)。3人ともキャラが違いすぎる。
 プロレスというのは、多様性の中に生まれるストーリーとハプニングという、ある種「神話的」な世界です。やはり、闘魂三銃士の3人がそれぞれ個性的で、アクが強かったからこそプロレス界を代表する選手になったのでしょうね。
 そして、亡くなってしまった橋本さん、今でも現役で奮闘する武藤さん、そしてある種のファッションリーダーとして活躍する蝶野さん、それぞれがそれぞれらしい「今」を創り出しているのですね。
Th__20150411_15_55_00 それにしても、まあ、いろいろの裏話が面白すぎました。もちろん、プロレスは八百長とかやらせとかいう次元ではとても語れませんね。偶然性と必然性、すなわち私の言うモノ性とコト性の競演というか、狂宴というか(笑)。
 宮戸さんと蝶野さんが、こうして語り合うとういだけでも、歴史の意外性、歴史のいたずら、皮肉を感じます。こうしたアフターストーリーもまた、「人生を表現する」プロレスならではではないでしょうか。
 そういう意味も含めて、蝶野さんがさりげなく言った昭和プロレスの「隙あらばかます。かまされた方が悪い」という空気感こそ、今の(プロレス界に限らず)社会に足りない緊張感ではないでしょうか。
 蝶野さん、宮戸さんは私より一つ上。同世代としての共通体験や共通感覚もたくさんあり、そういう意味では、現代に対する感覚も近いものがあるのかもしれませんね。
 このような素晴らしい機会を与えて下さり、また、蝶野さんの魅力を見事に引き出してくださった宮戸優光さんに心から感謝します。ありがとうございました。
 次のトークバトルにも期待します!

U.W.F.スネークピットジャパン公式

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.10

『田舎の無名高校から東大、京大にバンバン合格した話―西大和学園の奇跡』 田野瀬 良太郎 (主婦の友社)

Unknown 強になりました。読む前は同業者として、もしかすると反感を抱く部分もあるのではと予感していた(実際そういうサクセスストーリーをたくさん聞かされてきた)のですが、この本、つまり田野瀬さんや西大和の先生方の考え方にはほとんど共感できました。
 私も「田舎の無名校」の教員であり、東大、京大にバンバンとは言える状況ではありませんが、その前段階に向けての夢はずっと持ち続けています。
 特に今年度はいろいろな意味で私も西大和の先生方に負けない闘志で頑張らねばなりません。そういう意味で、個人的にもとても良いタイミングでこの本と出会うことができました。
 西大和の教育方針や経営方針に納得したのはもちろん、私がこの本を読みながら強くうなずいたのは、教員、学校という世界の特殊性について書かれた部分です。
 私は比較的学校外の世界とつながっている方だと思います。そのためその特殊性を強く感じてきたわけですが、田野瀬さんのいいところは、それを決して悪いことだと決めつけないところだと思いました。
 考えてみると、私はその特殊性を常にマイナス要因として語ってきたような気がします(自分もそれをまとっていながら)。
 門外漢が学校のトップに立つと、だいたいがその特殊性をぶち壊そうして失敗するのですが、田野瀬さんはそうではありませんでした。
 その特殊性をよく理解し、それを活かしながら組織を構成していった。その柔軟性こそ、このサクセスストーリーの中核にあるものでしょう。
 そして、その柔軟性を支えているのは「志」。大志という高次元の光によって組織全体が照らされていると、その組織のそれぞれの個、すなわち生徒や先生も活性化するし、低次元の矛盾や衝突なども解消していくのだなあと、改めて感じましたね。
 もちろん、内部的、細部的にはいろいろあって当たり前。この本が全てではないことは分かりますが、やはりこれだけの目に見える結果が出続けるということは、そうした「光」が消えないような努力が払われてきたのでしょうね。
 ウチの学校にはウチの学校なりの「志」がありますし、同じ田舎の私学といっても、立地条件があまりに違いますので、西大和の真似をしようとしてもできない部分がたくさんあるでしょう。
 しかし、それを「ウチとは違うから」といってしまってはダメですね(現場ではよくある)。西大和も初期はとにかく「真似」だったようです。謙虚に、しかし貪欲に先輩校の成功例に学ぶ。これはウチの学校に不足している部分だなあと思いました。
 というわけで、私もさっそく真似できる部分を探して真似してみようと思います。得意のポジティブシンキングで我が校なりのサクセスストーリーをイメージしながら。とりあえず上司や同僚たちにこの本を読んでもらいましょう。

Amazon 田舎の無名高校から東大、京大にバンバン合格した話

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.09

プロジェクトX 挑戦者たち 『運命のゴビ砂漠 ~人生を変えた三百万本のポプラ~』

Carrier_23 2月に紹介した、富士吉田出身の偉人沙漠緑化の父『遠山正瑛』さんを紹介したプロジェクトXの動画が最近アップされましたので紹介したいと思います。
 ちょうど本校でも夏のNHK合唱コンクールで「予感」を歌おうかという話になりました。生徒にはこの番組を観てもらうつもりです。
 上掲の記事にも書いたとおり、富士吉田の皆さん、あまりこの偉人のことをご存知ないんですよね。中学生たちもよく「予感」を歌いますが、はたしてどこまで地元に関わる歌だということを知っているでしょうか。
 この動画もいずれ削除されるでしょうし、DVDも未発売、さらにアーカイブスにもないようなので、我々教育関係者としてはNHKさんにもっと頑張ってもらいたいと思っています…と思って今調べたら、最近ティーチャーズ・ライブラリーにこの番組のこの回が加わったようですね。いいことです。さっそく借りることにします。
 では、ご覧ください。

 以前も書きましたが、遠山正瑛さんのお生まれになった富士吉田新倉の大正寺さんには、同じく富士吉田出身の偉人、フジファブリックの志村正彦くんが眠っています。これも何かの因縁でしょうか。
 富士吉田に関わる人間としては、お二人の遺志を少しでも継承できるよう努力すべきだと心から思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.08

雪月花に酔ふ

20150408_11_31_19

 江寺の桜に時ならぬ雪が積もる。まさに「雪月花」。
 そんな特別な日は私の家族にとっても、そして私にとってもスペシャルな日となりました。まさにスペシャル。
 そう、今日は我が中学・高等学校の入学式。月江寺というお寺を母体とする学校ですので、毎年お釈迦様の誕生日、すなわち花祭りの日に入学式を行います。
 今年の入学式には、上の娘は高校、下の娘は中学への新入生として、カミさんは来賓として、そして私は司会者として、つまり家族全員で入学式に参加。
 これはさすがに一生に一度でありましょう(卒業式は中高別々に行うもので)。
 その入学式自体は、富士学苑らしく重厚につつがなく終了した…ように外からは見えたでしょうね。ところが、実は私自身の中では、人生初の大ピンチだったのです(結局自分の話でスミマセン)。
 以前の私は、卒業式、入学式の季節は、絶対に司会なんかできないほどの大変な花粉症に悩まされていました。しかし、一日一食にしてからすっかり治り、ほとんど気にならないくらいに良くなっていたんですね。
 ただ、多少ノドに痰がからみ、咳をしたくなることはありました。今朝はちょうどそんな感じで、これは司会をするのにちょっと不都合だなと思い、「せき・たん」の薬を飲んでいこうと思っていたのです。ところが、朝ドタバタしていてつい忘れてしまった。それが悲劇(喜劇)の始まり。
 学校で司会業の準備をしている最中もノドがガラガラしていたので、まあこれも花粉症の一つだと思い、学校にあった花粉症の薬を半分だけかじって飲んだんです。
 そうしたら、さあ大変。入学式開始30分前に突然、酩酊状態になってしまった!
 私は一日一食じゃないですか。つまり昨日の夜から何も食べていない。そこに「食後」の薬を飲むと場合にはってはこういうことになるんでしょうか。あるいは、この薬との相性が悪かったのか…。
 まず、今まで練習していた原稿が、「あれ?これ間違っている」と思い始めてしまったのです。たとえばたくさんの人名が書かれているじゃないですか、それが初めて見るような名前に見え始めてしまったのです。
 開始まで20分、これはまずいと思い、雪の中会場をあとにして中学へ走って行きました。きっと違う年の原稿を印刷して持ってきたしまったと思ったのでしょう(その時の自分は)。急いで最新版を印刷すると、同じものが出てくるわけじゃないですか。
 ところが、その全く同じものを見ても、全然比較できない。頭が混濁してしまっていて、同じようにも違うようにも見えてしまう。生徒の名前も来賓の名前も初めて見るような気がしてしまう。
 ピンチに強いと自負する私もさすがにパニックになりそうだったのですが…ん?ちょっと待てよ…と、今思えば「天の声」ですね。これは自分がおかしいのだ、原稿を信じてとにかくそれに忠実に読め、と。
 走って会場に戻るともう開式10分前。今、これが卒業式なのか入学式なのかさえ分からない状況の中、とにかく原稿を読もうと。
 ま、終わってみればそれが正解だったのですね。天の声に救われました。自我にこだわっていたら、おそらくパニクっていたことでしょう。厳粛な式典もめちゃくちゃになっていたかも(ああ、恐ろしい)。
 自分が司会をしていた記憶は全くないのですが、周囲に聞いてみると、普通にやっていたと。ああ、危ない危ない。正直いうと、自分の娘やカミさんがいることなど全く忘れてました(笑)。ごめん、家族よ。
 プロレスラーは、試合途中に記憶を失っても、しっかり戦い続けます。今日はそんな体験をさせていただきました。神がかり、いや仏がかりの一日でありました。まさに雪月花に酔って夢の中で司会をしていたような感じです(笑)。
 と、自分のことはいいとして、入学した皆さん、これから頑張りましょう!よろしく!


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.07

川上大輔

Th_5159voumprl_sy355_ 日は寒かったですねえ。明日ウチの学校は入学式なんですが、なんだか雪になりそうな気配です。
 しかし、今日のNHK歌謡コンサートは「春のご陽気うた祭り」(笑)。どんな選曲かと思ったら、こんな選曲でした。マニアックだなあ。
 歌謡コンサートが始まると、ウチのカミさんが一緒に歌い出すというのが定番なんですが、今日は数曲知らない曲があったということでショックを受けていました(笑)。というか、もう覚えたそうです。ヤツの頭は最古のメモリとしてはけっこう性能が良い。私にはできない芸当です。
 上の娘は、こういう番組のバックバンドでベースを弾きたいという素晴らしい(変な)夢を持った女子なので、三原綱木のベースラインを聴いて感心しています。特に今日のベースは存在感、安定感が素晴らしかった。私もついついベースを聴いてしまい、そしてそのことをツイートしたら…なななんと、ご本人様とつながってしまった!これから面白い展開になりそうです。
 そんな中、家族みんながビックリしたのは、「ルイジアナ・ママ」を歌った川上大輔さんです。私は勉強不足で初めて彼の声を聴きました。
 身長180センチのイケメンから発せられる声は、実にフェミニン。いや、中性的というか無性的というか、不思議な魅力がありますね。とりあえず最新シングルを聴いてみてください。中西圭三さん提供の「逢いたいよ AGAIN」。

 私はバロック音楽をやっているので、いわゆるカウンターテナーの方々とお仕事をさせていただくことが多く、「見た目は男、声は女」という世界にかなり慣れている方ですが、この川上さんはちょっと違った感じがありますね。カワイさとカッコよさが共存しているというか。
 彼のデビュー作はある意味クラシカルな「ベサメムーチョ」。これはこれでいいと思います。

 彼のこの声とキャラクターと歌唱力には、いろいろな可能性があるだけに、今後の展開が難しいとも言えそうですね。演歌もよし、アニソンもよし、ロックもよし、歌謡曲もよし。さあ、どの道を選ぶか。楽しみですね。案外バロックが良かったりして(笑)。
 最後になかなか魅力的なカバー「星降る街角」をどうぞ。

Amazon 逢いたいよ AGAIN(期間限定スペシャル盤A)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.06

天てれドラマ 『念力家族』 (NHK Eテレ)

Th__20150407_70144 々にドラマにハマりました。いや、こりゃホント面白い。
 ワタクシの短歌の師匠である笹公人さんの名短歌集「念力家族」を題材に作られている「ハートフル・サイキック・コメディー」。
 う〜ん、あの歌たちがこういうふうに料理されるか!正直感心、いや感動しております。まだまだ放映中ですから、皆さんもぜひご覧ください。Eテレ月曜日18時45分からです。
 10分という枠も、ある意味「短歌」的。つまり、無駄を削って畳み掛ける感じ。そして、実験的な映像や構成、脚本、小ネタなど、まさに「笹」的。すなわちワタクシ好みであります。
 今まで見逃していたという方、今のところYoutubeに第1話、第2話の動画がアップされていますので、ご覧ください。ハマることうけあい。

 なるほどねえ、念写もこう来たか(笑)。これって、音を消して観るとけっこうホラーですよね。それをひっくり返して笑わせるところが新しい。そういう意味で音楽も絶妙です。
 そして、大きな発見がありましたね。念力とか超能力って、はっきり言って誰もが持っている妄想力そのものですよね。怖いとか現実離れしていると思いがちですけれども、ああやって脳内の壁に好きな人の顔を映写し続けるなんて、誰もがやってきたことでしょう(笑)。
 それからそれから、歌、すなわち和歌や短歌や歌謡曲なんかって、まんま「念力」ですよね。日常的な言葉に魔力を与えて、人の心はもちろん、自然までも動かしてしまう。
 そういう意味では、笹さんの「念力短歌」って、ものすごく古典的だと思うんです。近代短歌があんまりにも「私短歌」になってしまって、せいぜい自分を慰める程度の効力しか持たなくなってしまった。そこに、本来の呪力的なモノを復活させたのが、笹短歌の文学史的意味なのではないかと。
 だから、笹さんが命を削ってまで「王仁三郎歌集」を世に出したのは至極自然当然なことなのかもしれません。
 さあ、映像作品が短歌という念力を得て、あるいはそれに対抗して、どのような生命力を持ちうるのか。これからの展開がますます楽しみであります。

ドラマ念力家族公式

Amazon 念力家族

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.05

Magic Trackpad (apple)

Th__20150406_085412 日手に入れたモノ。秋葉原のヨドバシで買ってきました。
 今日は千駄ヶ谷にて楽団の練習。カミさんが安倍昭恵さんに会う用事があったので、かなり早目に東京に到着。それではと、両国国技館に新日本プロレスの当日券を買いに行ったら、なんとお昼の時点でもう売り切れ。無駄足となりました。
 練習を汗だくでこなし(なぜならそうそうたるプロの方々の前で弾かねばならないからです)、カミさんとの待ち合わせ時間までまだかなりあったので、久しぶりにアキバに向かいました。
 懐かしい秋葉原とちょっと新しいアキバと最新のAKIBAをそれぞれ少しずつ楽しんだのち、それこそ私にとっては新しい部類に入るヨドバシに行ってみました。実は初めて。
 いやはや外国人のツアー客がたくさんいるのでビックリ。確かに変わりましたね、秋葉原は。
 で、ついでですから、田舎では手に入らないものを買おうと思い、Mac用のMagic Trackpadを買ってきました。けっこういいお値段ですが、MacBook Proのトラックパッドの使いやすさにすっかりとりつかれている私は、そのMacBook Pro用にこのMagic Trackpadを買ってしまったわけです。
 え?トラックパッドがついているノートブックのために、もう一つトラックパッドを買うの?と思われるでしょうね。
Th__20150406_10_30_11 実は、私はこのように2階建てにして外付けキーボードを使っているんですね。そう、私は親指シフト愛用者なのであります。親指シフトでないと打てない派(笑)。
 そんなわけで、トラックパッドは2階にあるので、使いづらいわけです。だったらより面積も広いMagic Trackpadをマウス代わりに使おうと。
 さっそくBluetoothで接続して使ってみました。
Th__20150406_11_26_49 ああ、いいですねえ…。マウスよりもずっと使いやすい。だいいちネズミを握るという動作がいらないわけで、iphoneの操作のような感じで「触れる」だけでいいわけですから、だいぶ楽になります。
 WindowsPCですと、なんとなくトラックパッドはマウスがない時の緊急用というイメージだと思いますが、Macの場合は全く違う。なにしろ、さまざまなアクションがあって、それが楽しいし便利。覚えるのもそんな大変ではありません。
 右手でパッド、左手でキーボード・ショートカットを駆使すれば、かなり作業の効率がよくなりますね。
 どんなことができるか、私が説明するよりも、次の動画を見てください。

 ちなみに最新のMacBook ProにはForceTouchという感圧式のトラックパッドが装備されました。このMagic Trackpadはそれには対応していないようですね。
 このMagic Trackpadをペンタブのように使うことができるソフトもあり、すでにForceTouchにも対応したようですから、今後の展開が楽しみですね。
 もしかすると、そろそろ新型のMagic Trackpadが出るかもしれませんが、私は今のところマウスの代わりにしか使わないので、これでしばらくはOKです。なんとなく嬉しいな。仕事がはかどります(笑)。

Amazon Magic Trackpad


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.04

ラ・プティット・バンドによるブランデンブルク協奏曲第6番

 日も告知いたしました、5月30日の横浜コンサートの初練習が明日に迫っており、必死に練習をしております。
 特に今回はブランデンブルク協奏曲の6番が鬼門であります。先日書いたように5弦のヴィオラで挑戦するわけですが、それで楽になるところもあれば、逆に難しくなるところもあるというのが現実であります。
 というわけで、全体のイメージをつかみ、部分部分の表現を学ばせていただく模範演奏として、毎日のようにお世話になっているのが、この演奏。
 古くからの友人でもあり、尊敬するバロック・ヴァイオリニストである赤津眞言さんがセカンド・ヴィオラを担当している、ラ・プティット・バンドの来日公演の動画であります。
 最近、やたら早いテンポの演奏が多い中、この演奏の雅なテンポ感は、なんとなく懐かしくさえありますね。楽器の構成や楽曲の性質からしても、これが正しいと思うこの頃であります。
 ヴィオラ・ダ・プラッチョのパートはもちろん普通のヴィオラで演奏していますが、なんだかんだソロのヴィオラよりも難しいと言われるチェロのパートは、シギスヴァルト・クイケンがヴィオロンチェロ・ダ・スパッラを弾いております。そこも注目ですね。
 皆さんもぜひお聴きになってみてください。ちなみに1stヴィオラはシギスの娘さん、サラ・クイケンです。
 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.03

もう一度「八紘一宇」について

Url きっぽい世の中はもうあの騒ぎを忘れてしまったようです。三原じゅん子議員の「八紘一宇」発言。
 私の意見は先月、八紘一宇≠八紘為宇という記事で表明しましたとおりです。
 実は、先日、興亜観音を訪れた時、この「八紘一宇」の文字を何度も見ることになりました。
 そう、松井石根さんの自筆の「八紘一宇」の文字がいくつも掲げてあったのです。
 私は正直感動しました。あの時、松井さんが心から純粋に目指したであろう理想世界が、その自筆の文字から非常に明確な形で伝わってきたのです。
 ああ、なるほど、これは私の言う「八紘為宇」であり、「グローバル・ファミリズム」そのものを意味していたのだなと。
 しかし、あくまで、それは「あの時」の話です。それをその後や今にまで敷衍するのは、やはり間違っていますし、危険なことです。言葉の歴史に付き合ってた私としては、特にそのような思いに至るのは当たり前といえば当たり前です。
 もちろん、「あの時」の意味をまずは現代に正しく伝えることも重要です。「あの時」の意味を知らないで、ただ侵略思想だというのはもっと間違っているし、もっと危険なことですから。
 そういう意味で、昨日の産経新聞正論に掲載された大原康男国学院大名誉教授による『三原じゅん子の「八紘一宇」発言 その本義とは』は良い小論だったと思います。
 なるほど「universal brotherhhod」ですか。私の「global familism」とはちょっとニュアンスが違いますが、なるほどと思える訳語ですね。
 この大原さんの記事について、これも興亜観音でご住職さまとお話した際に話題に上がりました、水島総さん(静岡高校の先輩です)が今日の番組でコメントしておりました。こちらもぜひご覧ください。

 正しくは「八紘為宇」であるということもさりげなく言っておられますね。そして、その「八紘為宇(一宇)」が、いわゆるアメリカの唱導するグローバリズムや、左翼的な地球主義とは明らかに違うものであることを強調しています。
 水島先輩のおっしゃる「家族」というのは、私の言う「familism」に近いですね。理屈ではない、言語(コト)以前のモノである家族という文化。多様性とその自然的統合の象徴たる家族。
 以前も書きましたが、かの笹川良一さんの「世界は一家、人類は皆兄弟」も実はかなり八紘為宇に近いですね。
 そうそう、上掲の笹川さんの評伝をお書きになった歴史学界の重鎮伊藤隆さんに、最近ですが電凸(電話で突撃)してしまいました。突然のお電話にもかかわらず丁寧に対応してくだりました。近々お会いすることになりそうです。
 その話にも大いに関わってくる、例の仲小路彰の「グローバリズム」も、基本的に八紘為宇だと思います。仲小路は昭和22年にはすでに「グローバリズム」をキーワードにしていました。もちろん、現在の経済を中心としたグローバリズムとは違った意味で使っているわけですが。
 ですから、私は仲小路の思想を現代に蘇らせるために、あえて「ファミリズム」を「グローバル」のあとにつけたのです。そうしないと、それこそ八紘一宇と同様に違った意味で捉えられられかねない。
 言葉というのは難しいですね。言葉は地図のようなものです。人間の都合で、時代が変わると、地図に対応すべき実際の地形や建造物はどんどん変わっていってしまいますよね。
 ということで、私は「八紘一宇」を現代において、ただただ復活させて使えばいいというものではないと思っているのです。
 そんなことをちょいと皮肉りながら作り、短歌結社誌「未来」に投稿した歌がこれです。分かる人には分かると思います(笑)。

 顔はだめボディやんなと命じたる女語れり八紘一宇 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.02

EPSON A4モノクロビジネスインクジェットプリンター PX-K150

20150403_65100 近お世話になっているプリンタ。職場で購入しました。
 春は式典の季節。式典には祝辞などがつきもの。その祝辞などは、あの折りたたみ巻紙に書きますよね。
 昔は毛筆でしたためていましたが、もうずいぶん前から、活字で印刷するようになっています。
 私はその印刷担当をそれこそもうウン十年やっております(ついでに文章も推敲する)。
 大昔はいわゆるワープロで印刷していました。実はその頃が一番上手に印刷できていた。巻紙を挿入してインクリボンで印字すると、とってもきれいだったんですね。
 その後、ワープロが廃れまして、パソコンのプリンタで印刷するようになると、これが案外うまくいかなくなった。
 最初は、我が家のインクリボン機、アルプスの往年の名機MD-5000を使ってなんとかごまかしていましたが、いよいよその名機も使えなくなり、さあではインクジェットでということになりました。
 これが意外に難しい。それ以前に、手差し可能かつ直入式というか、内部で用紙がグルっとならないタイプというのが、だんだん減ってきてしまった。余計な機能はどんどん増えるけれど、基本的なことができてい機種が増えてますよね。
 そんな中、このシンプルすぎるプリンタは逆に異彩を放っています。
 モノクロ。A4。今の時代、一般家庭では全く見向きもされないでしょうね。しかし、ビジネスにおいてはとても重宝します。
 ま、巻紙印刷に使う人はそんなにいないと思いますが、たとえばハガキや封筒の宛名印刷とか、ちょっとしたビジネス文書の印刷とかだったら、モノクロA4手差しでいいですよね。
 なにしろ安い。6000円台です。そして、ビジネスプリンタということで、ランニングコストもかなり低め。さらに耐久性も家庭用より高い。悪いことなにもないですよね。
 ちなみに職場にはウン百万円の多機能複合機がありますが、印字精度は6,000円の方が良い。ついでに個人的なこというと、その複合機はMacに対応していないというとんでもないヤツでして、いつも私はMacで作った文書をpdfにしてWindows経由で印刷するという手間がかかっていたわけです。
 その点、当然この6,000円はMacにも対応していますし、無線接続もできるので、なにかと便利になりました。
 これを機に、いろいろなビジネスプリンタというのを調べてみたのですが、いまだにインクリボンのものもあったり、なかなか面白い世界ですね。特定の業種用のプリンタ。
 
Amazon PX-K150

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.01

『人の心を動かす伝え方 〜響く言葉には魂がある〜』 出口光 (あさ出版)

Unknown 日は4月1日。嘘をついてもいい日でもあるわけですが、実際は新たな出会いの日であり、初めて「本当の想い」「魂」「志」を伝え合う日でもあります。
 特に今日は、あるお寺の「入寺式」に参列させていただき、いろいろな想いのこめられた言葉や、振る舞いや、伝統的な儀礼に触れることができました。まさに魂の震えるような体験でした。
 たしかに、出口さんの言うように、理性も感情もテクニックも超えたところに、人の魂を動かす、すなわち人を行動させる「言霊」がありますね。
 そんな「本当の想い」と「伝え方」、さらに「聞き方」について熱く語られたこの本。それこそ出口さんの「本当の想い」がしっかり伝わってくる見事な語りとなっています。
 私も公私ともにいろいろお世話になり、いろいろ生きるヒントをいただいている出口光さんは、言うまでもなく、あの出口王仁三郎の曾孫です。世界や人間の本質を見る目を持っているのと同時に、ユーモアに溢れ、スケールが大きく、ある意味細かいことをあまり気にしないところなんか、まさに王仁三郎ゆずりといった感じの方です。
 この本の内容は、出口さんから直接聞いてきたことがほとんどなので、私としてはそれほど新鮮味はなかったのですが、今までの様々な試論が統合的に整理されていると同時に、先ほど述べたように、とにかく「魂」がこめられている感じがして惹きつけられました。
 一昨日の『心配事の9割は起こらない』の記事でも書きましたが、私の「妄想」とは、実は「言霊」や「志」と大きく関係してきます。
 この本にも、「コト」と「モノ」や「中今」の話が出ています(そう言えば、出口さんに早く「モノ・コト論」の本書けとずっと言われていますが、なかなか実現しません)。
 私の考えだと、「モノ」と「コト」の時間の流れは反対です。すなわち、「モノ」は未来から過去へ、「コト」は過去から未来へ。「コト」は記録であり、情報ですから、それを読み取る際は、私たちの時間意識は逆になります。音楽の楽譜や、歴史の年表を思い浮かばれば分かるでしょう。実際の音楽や歴史は未来から順にやってくる。それは「モノ」。
 そう考えると、「モノ」は一次的、「コト」は二次的ということになり、「モノ」が本質だということになります。それを説いたのがお釈迦様。
 しかし、日本の神道の考え方はちょっと違います。「コト」のベクトルを極めていくと、過去から現在を突き抜けて、未来に影響を与えるのです。それが「コトタマ(コトのエネルギー)」であると私は考えています(一般的な言霊の解釈とは違います)。
 一昨日書いたように、私は、「モノ」が本質であるというお釈迦様の発見もそれなりに理解できるのですが、やはり人間として生まれたからには「コトタマ」の善用を極めたい。
 それが、おそらく「教育」や「政治」や「音楽」という、私の趣味(?)なのでしょう。
 とか言いつつ、私の日常や非日常での言葉は、なんと嘘くさいのか。まるで毎日がエイプリルフールですよ。だから、みんなに「はったり」とか「洗脳された」とか言われる(苦笑)。いけませんな。
 まあ、騙りも人を動かしますよね。王仁三郎もそうですが、宗教の教祖なんか、みんな騙り部です。私も自分流を極めます。

Amazon 人の心を動かす伝え方 〜響く言葉には魂がある〜

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年3月 | トップページ | 2015年5月 »