妙心寺開山堂にて…
修学旅行3日目のことです。
我が校の修学旅行の目的の一つは、本山である妙心寺に参拝することです。
今年も特別参拝という形で、普段一般の人どころかお坊さんもなかなか入れない所にも案内いただきました。
特に開山堂(微笑庵)には格別の緊張感があります。今回堂内で私たちの般若心経諷誦の先導をしてくださった若いお坊さんも、あまりの緊張から頭が真っ白になり、いつも当たり前に唱えている回向がわからなくなってしまったとのこと。
それはそうです。開山無相大師さまから650年にわたり、数えきれない数のお坊さんが、正式に住職になるための最終問答をしてきた聖なる場所ですからね。
私もここのところ、不思議なところで無相大師すなわち関山慧玄さんとご縁がありますので(こちらの記事参照)、いつもと違う精神状態になっていました。
歴史の重みというのはなんとも言えないモノです。
しかし、このモノも知識がなければここまで感じることはないはずです。すなわち、生徒よりは私、私よりは案内してくださったお坊さん、というように、知識や経験(コト)の蓄積量によって、モノの感じ方は違ってくるということです。
もちろん、単純にモノとコトとが比例関係にあるというのではありません。皆さんも直感できると思いますが、コトによってモノの感知が阻害されることもありますよね。知識が邪魔をするというやつです。
しかし、やはりモノの真髄(マコト)に迫ろうとしてコトを窮めていくと、究極的にそのモノに近づくことができるというのはあると思います。
私が時々言う「コトを窮めてモノに至る」というのは、そういう意味です。日本の宗教観、特に禅宗、あるいは職人の道や武士道などもそういうところがあります。
あるいは、モノがコトを包含するとも言えます。歴史の重みというのは、つまりそういうふうにモノがコトを吸収して保存しているということにもなるでしょう。
この開山堂で言えば、開山さまの思いはもちろん、その後の無数の僧侶の思い、それらが事実(歴史)として蓄積しているわけです。
モノづくりをしている人、たとえばこの開山堂(もともと東福寺の堂宇だったそうですが)を建てた人も、そういう歴史の重みに耐えうる作品を作ったのでしょう。
それは、上にリンクした富士吉田は明見にある開山さまの墓とされる石像を作った(作ったしまった?)田舎の無名の誰かにおいても同じでしょう。その次元やレベルは違えども。
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