『黒幕、N氏のこと』(丸山熊雄の仲小路彰評)
先日紹介した天才ピアニスト原智恵子のことを調べています。彼女自身のことももちろんですが、やはり彼女の友人であった天才哲学者仲小路彰のことが気になります。なかなか記録に残っていない人なのです。
で、このたび、フランス文学者の丸山熊雄の「1930年代のパリと私」という本を手に入れて読んでいたら、仲小路彰に関するすごい文章を見つけました。
ある意味ここまで書いてあるものは珍しい。とは言え、仲小路彰とは書かれていません。「N氏」てす。しかし、これは間違いなく仲小路のこと。ここまで書いてあっても、やはり名前は明かせないというところが、まあすごいし、なんとも不思議ですね。
同時代人の丸山が戦前、戦後の仲小路についてどのように感じ、また聞いていたのか、非常によく分かる文章です。というか、仲小路彰がどれほどの天才であり、どれほど影で日本を動かしていたかよく分かります。短いものなので、ぜひお読み下さい。
文中、河口湖とあるのは山中湖の間違いですね。また小島とは小島威彦のことです。
その頃の日本では、同志というと大袈裟なことになるけれども、同じような考え方をし、いろいろ経歴は違っても、哲学畑の連中、それから日本史をやった連中、国文学をしてる連中が集まって、そうはっきりした形はとっていないけれど、集団のようなものが出来かけていたんですね。ところが、この集団には、実は黒幕がいるんです。この人は今も健在で大変な人物なんです(一九八四年死去)。この方の発表したもので、初期のものは別として、一つも名前が表に出ていないんです。何々研究所というのでね。ですから、その頭文字だけとってN氏と言っておきましょう。僕も日本へ帰って来てから非常に親しくして、僕が小島の一派と別れてしまっても、なおN氏とは交捗(原文ママ)があって、東京が空襲で危なくなり、この方が河口湖のほうに疎開なさる、それまでずっとお付き合いしてるんです。非常にいろいろのことを教えられたんです。このNという人が、黒幕って言葉はあんまりよくないけれど、黒幕なんですね。
どうしてN氏を持ち出したかというと、このN氏の話をしないと、小島の動きも解らないし、その他いろんなことがはっきりしないんです。このNという人は、大正時代に大臣をした有名な人の息子さんで、東大の哲学を出てるんですね。卒業論文はイスラムの問題を扱い、これ出版されたらしいんです。僕は話を聞いただけで読んでないんですが、その卒業論文か、その後のものか知りませんが、『砂漠の光』という題名の本が出版されているようです。それで想像がつくように、このN氏が、そういった時期に哲学をやったあと、左翼の連中とも相当親しくし、そのほうの理論家の一人でもあったんですね。それから例えば、大きな出版社の顧問なんかして、いろんな本を出版させているんで、文学界というか文壇というか、その陰にもいるわけですね。文学とか思想ばかりでなく、政界、財界にまで影響力を持ってるんです。どうも本人は
本読むのなんか早くってね。目の前でぱっぱっとページを繰るんですが、それで頭に入るらしいんです。それでふだんは、皆と一緒にコーヒー飲んでおしゃべりしてんですよ。そして十時頃になると、それじゃって別れて、翌日会う時には原稿出来てるんですね。そういう人の存在することを知ってますから、僕、大抵の人間何とも思わないんです。名士だとか大家だとかと会ってもね、
彼は周囲の人、どんな人にでも、各々の役割というものを考えて、それこそ
僕はこのNという人と、まる二年位親しくお付き合いしたので、いろいろ教えられることがありました。簡単に言いますと、ヴォルテールというのは不可解な複雑な人間ですけど、ヴォルテールの性格というものをある程度つかむことが出来たと思うのは、N氏という人物が頭の中にあって、ああ
実はごく最近、このN氏のことを全く思いがけないところで聞いたんです。パリ時代の仲間の一人鈴木啓介君が亡くなって、その一周忌がこの(一九七九年)夏ありましたが、彼は証券会社の社長でしたから、大手の証券会社の社長、会長、それから取引先の銀行の頭取とか来てまして、かわるがわるスピーチをやるんです。この時に山種証券の社長だったと思うですが、この人は鈴木君と一番親しかったそうで、スピーチをやったんですが、それを聞いて僕は、はっと思ったんです。それはこのNさんの名前をあげて、いまだに毎年ね、年頭教書みたいなものを秘密に出すんですね。そしてそれを政財界の人は、直接彼に会わないでもそういうものを分けて貰って、今年の世界の動向ってものを占うっていうんです。そして社会党の幹部の一人も、実際に名前をあげて、故人、つまり鈴木君がこういう方の教えを仰いで、証券界では最も進歩的な動きをした人だったというようなことを言ってました。なるほど、こういうところまで影響力が及んでるんだなと思ったことです。
で、たまたまそういう人が存在して、小島さんは「あなた行ってらっしゃい」って言われたかどうか知らないけど、アフリカを廻ってパリへやって来たわけです。
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