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2015.02.28

自らの短所に鞭打つ

Unknown 日は我が高校の卒業式でした。教え子たちは立派に卒業していきました。
 私は司会。卒業式の司会は初めてでしたが、なんとか無事乗り切りました。2時間以上立ちっぱなしはきつかったけれど。
 さて、毎年大変ためになるお話をしてくださる、本校名誉校長、正眼寺の山川宗玄老師。今年もまたなるほどと思う「法話」を語ってくださりました。
 ちなみに昨年は天命は人事を尽くすを待つ、一昨年は過去は滓(カス)
 今年は未年ということで、「荘子」にある羊に関する一節を紹介してくださりました。

 善養生者若牧羊然。視其後者而鞭之。
(善く生を養ふ者は羊を牧するが若く然り。其の遅るる者を視て之を鞭つ)

 荘子の外篇、達生の一節だそうです。老師曰く、「人生をよく大切にする者は、羊を飼うようにするのが良い。群れから遅れている羊を見て、これを鞭打つのである」と。
 つまり、自分の遅れている点、すなわち短所や欠点に目をつぶらず、それを改善するべく自分に厳しくせよということですね。
 なるほど、たとえば最近では学校でも「長所を伸ばす」ということばかりが言われ、短所や欠点をなんとかするということがなおざりにされているかもしれませんね。
 自分自身を顧みても、たしかに短所を見ないようにしてきたかもしれませんし、もう半世紀以上生きているとですね、ある意味あきらめちゃったというか、もうこの短所は直らないななどと思ってしまうものです。
 そんなわけで、今日は司会をしながら、老師のお話をうかがって心に何かが刺さったような気がしまして、動揺しちゃったのか、そのあと少し噛んでしまいました(苦笑)。
 自分を客観的に「養」「牧」するという時点で、すでに離見の見と言いますか、メタ・ビューというか、ある意味禅的な境地ですよね。まずそこに至るのが大変。自我への執着を捨てなければ、客観的に自分を見ることができませんし、もちろん自他不二にもなれません。
 また、教員として、他者(生徒)の生を大切にするために、まさに「愛のムチ」を持っていないといけませんね。その点に関しても反省しなければならないこの頃であります。
 卒業生たちは、この法話(戒辞)に何を感じ、何を学んだか分かりませんが、ぜひ、自分の短所としっかり向き合って、社会で頑張ってもらいたいですね。たしかに、いくら長所があっても、短所がその足を引っ張ってしまっては仕方ありませんから。私ももう一度、苦手を克服するよう頑張ってみます。

Amazon 無門関提唱

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2015.02.27

正しさは一つなのか

Th_2bdde980 日はこのドレスの画像がネット上に乱舞しましたね。
 白と金なのか、青と黒なのか、意見が真っ二つに分かれました。ちなみに私は…白と金です。
 よく昔から言われるように、「私が見ている赤は、他の人にも同じ赤に見えているのだろうか」という疑問に似ていますよね。
 だいたい、私たち自身でさえ、右目と左目では微妙に色彩が違っていたりします。受光器としての眼の特性にもよりますし、そこからの情報を処理する脳ミソの特性にもよるのでしょう。
 そして、私たちは経験的にそれらに境界線を引き、白とか金とか青とか黒とかネーミングをしています。
 つまり、いくつもの関門というかフィルターを通したところで(言語)で議論しているわけですよね。
 今回のドレスの一件は、そういう意味で非常に象徴的です。
 私たちが誰かと意見が合わなくなって、時にケンカしてしまったり、戦争になってしまったりするのは、そうした言語によるすれ違いがほとんどです。すなわち、非常に恣意的なフィルターを何枚通したところで互いを認識したところでコトが起きているわけです。
 よく「話せば分かる」とか「コミュニケーションしよう」とか「異文化を理解しよう」とか簡単に言いますが、結果として望んだものと逆になってしまうことの方が多かったりします。
 極論すれば、言葉は人と人を結ぶのではなく、断絶するものなのです。
 しかし、一方で、そのような多様な認識や価値観があるのが自然であって、逆にこれは絶対に白と金だ、いや青と黒だと決めつけるのもよくありません。世界中の人全員がこれは◯◯だと言ったら、それはそれで怖いですよね。
 もちろん「正義」というのもそうです。「正義」という言葉自体に「正」が入っている時点でダメです。どちらかというと「義」の方が人間にとっては普遍性があるかもしれません。しかし、その「義」さえも言語化するのは難しいし、もちろん人に押し付けるのはよくありません。
 極端な話、このたび、「白金派」と「青黒派」がお互いを認めず、殺し合いをするとするなら、それは立派な戦争になってしまいます。聖戦(ジハード)ですよね。
 だから、私はずっと「コトよりモノの時代」と、人と逆のことを言ってきたわけです。コトは自分の脳ミソの中で処理された情報に過ぎません。モノはそれ以外、すなわちコトの補集合全体です。
 日本語の「もの」がそういう意味で使われてきたということについては、このブログでも何度も書いてきました。
 「もののあはれ」もそう、「もの悲しい」もそう、「物思い」もそう、「〜なんだもの(もん)」もそう、「もののけ」もそう、「ものいみ」もそう、「大物主」もそう、「ものまね」もそう…いくらでも挙げられます。
 おそらくお釈迦様もそうした「コト」への執着を捨てよと言ったのでしょうね。
 今日はこのドレスを見ながら、そんなコトを思いました。あくまで個人的な感想です(笑)。
 ところで、皆さんはこのドレス、何色に見えますか?
 いちおう答えはあるようで、その製品そのものは「青と黒」だそうです。

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2015.02.26

北一輝と出口王仁三郎

Th_200pxkita_ikki ・二六事件から79年。来年80年ですか。
 二・二六事件の理論的指導者とされた北一輝は事件後逮捕され、死刑になっています。
 その北一輝が事件の3ヶ月ほど前に、出口王仁三郎を訪れ、革命資金の供与を頼んでいます。その額、今で言えば5億円。
 王仁三郎はその申し出を断ります。北一輝は秘密を打ち明けたのに断られたとして、王仁三郎殺害をもほのめかしますが、王仁三郎はなんとなく煙にまいてしまいます。
 その日から1週間ほどして、第二次大本事件が勃発。王仁三郎は逮捕収監され、結果として暗殺を免れました。
 大本を襲った、国家による未曾有の宗教弾圧に対して、王仁三郎は感謝さえしたと言います。偶然にしてもいかにも王仁三郎らしいエピソードですね。
 北一輝と王仁三郎は、ある意味では対照的であり、水と油のようにも見えますが、実は霊的な部分では強くつながっていたと思われます。実際、大正時代から二人は何度も密かに会っていたようです。
 そこには、あの大川周明も関わってきています。逮捕された北一輝は取り調べの中で、かつて王仁三郎に会った時のことを次のように証言しています。

 私(注 北一輝)、大川周明、満川亀太郎の三人で始めて同人(注 出口王仁三郎)と会ひました。大川は私と出口との会談を見て、只一回で出口は下劣な取るに足らぬやつであると断定しまして、私等に向つても再び会見の必要なしと申した位で、私も変な姿の様な印象丈けを残して其の後は心に止めない様にして居りました。自分の信仰に因る、神秘的体験から見ますと、大本教は神ではなく相当通力を以て居る邪霊である事が判りました。

 かなり否定的ですが、これは大本事件後に自らも二・二六事件で逮捕された状況だったので、取り調べではこのように証言してもおかしくありません。現実的な意味で一緒にされたくなかったのでしょう。
 まあ、結果として、宗教家としても革命家としても、また普通の人間の人生としても、王仁三郎の方が勝ってしまったところが面白いですよね。
Th_220pxonisaburo_deguchi_2 実際には、北一輝は王仁三郎から何度か資金供与を受けています。そして、王仁三郎のある弟子の証言によると、北は「自分は立替えをやるから、立直しは出口さんに頼みます」と言っていたとか。これは実に興味深い近過去史のドラマですね。
 ちなみに王仁三郎に影響を与えた(霊界物語で引用している)宮下文書の研究団体であった「富士文庫」のメンバーであった齋藤實は、二・二六事件において内大臣という立場であったために暗殺されています。これまた歴史の皮肉ですね。
 まあ、この時代の歴史、人間模様は、「霊界」抜きではなかなか捉えきれません。

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2015.02.25

世IV虎と安川惡斗の不穏試合に思う

Th_tanahashi_wp_01 がプロレスファンであることを知っている人はたくさんいます。その皆さんから今回のスターダムの一件に関してコメントを求められております。
 そのたびになんとも歯切れの悪い受け答えをしている自分がおり、なんとも自身も煮え切らない気持ちになっております。
 プロレスの日にプロレスの復活を喜ぶ記事を書いたばかりだっただけに、正直かなりショックです。
 うん、難しい。シンプルなんだけれども難しいのです。
 まず、私個人の中での難しさの原因として、私がプロレスファンであるというだけでなく、スターダムのファンでもあり、また世IV虎選手や安川悪斗選手のファンでもあるという点が挙げられます。
 正直、私にとってはご贔屓の団体での出来事、中でもご贔屓の選手どうしの事件だったので、なかなか否定的にとらえられないということがあります。
 特に世IV虎選手については、そのキャラクターも含めて「いい選手」だと信じていただけに、非常に落胆したと同時に、これで彼女の選手生命が絶たれてしまうのではないかという不安もあります。それはある意味ではプロレス界にとっても損失となるからです。
 かつて、私はスターダムの興行を観戦し、こちらこちらのような記事を書いています。
 旗揚げ直後の彼女たちの様子を観て、それなりの評価をするとともに、たとえば「ただ、どうでしょうね、ちょっと観ていて心配な場面もありました。受け身の取りそこねや、技のかけそこねは大けがにつながります。そういう場面が若手に多く見られました。そういう意味では、まだまだ素人の域を出ていない選手もいます。体もとてもレスラーとは思えない子もいて、技のダメージが心配でした」とか、「とにかくスタミナ切れがひどく、後半になるとどんどん技が雑になります。受け身も充分でなくなり、見ていてヒヤヒヤしたり、思わず失笑したり。若い団体であり、新しいコンセプトを試験中ですから、ある程度はしかたないとは言え、さすがにプロとしてどうだろうかという気持ちにもなりました。それこそ全女時代だったら、どう考えても練習生(雑用係)で、リングにも上げてもらえないような子が、後楽園ホールの大舞台で試合している。今日はたくさん全女OGが集まっていましたが、皆さんどういう気持ちで彼女らの試合を見ていたのでしょうか」などいう心配も書いていますね。
 まあ、ある意味ではその心配が現実のものになったとも言えましょう。ただ、その「プロとしてどうだろうか」が精神的な面、心の面で現れたということでしょうか。
 プロレスは非常に高度な文化です。つまり、「荒魂」を昇華して「和魂」を発現するという、まさに日本の「祭」のような機能を持っているからです。それをギリギリのところでやらねばならない難しさ。プロとしての経験と高い精神性が必要です。
 たとえば、諏訪の御柱祭で死者が出たりしますよね。それこそ日常性と非日常性のギリギリのところでないと、そこに本当の祭祀性、聖性は現れません。
 そういう意味では、たとえばプロレスリング・ノアにおける三沢社長の試合中の死は、御柱祭で戦中に町長さんが亡くなったのと同じような意味があると感じるのです。
 では、今回、両選手や団体にそこまでの覚悟や経験や精神性があったかというと、かなり疑問であります。結局のところ、いろいろな意味でのシロウトが神聖な場でやらかしてしまったと。
 祭でそういうことがあってはならないように、これはやはり「場」と「歴史」に対する冒涜です。残念ですね。
 ちなみに今日は娘と大日本プロレスのデスマッチをテレビ観戦しましたが、あれほど危険で痛そうなことをやっていても、やはり彼らはプロ中のプロなので、ある意味安心して見ていられました。プロレスは観る側にとっても難しいものなんだなあとつくづく思いましたね。
 知り合いのプロレスラーたちは口を揃えて言います。いつでもガチ、セメント、シュートを受けて立ち、負けないように心も体も技術も磨いておく。ぜったいにナメられないように。実際にはお互いのそうした「力量」を肌で感じながら、相手を尊重しして事故の起きないように戦う。
 そうした緊張感が、たしかに現代プロレスには少なくなってしまったかもしれません。皮肉にもその結果としてこのような「凄惨なケンカマッチ」が成立(?)してしまった。
 一方で「不穏試合」もプロレスの仇花という感じ方もあります。ギリギリの予定調和が一気に崩れたことが、過去に何度もありますよね。それが歴史的には「語れる試合」になったりする。
 ただ、一般の方々、プロレスをほとんど知らない方々からすると、やはり、野蛮で非文化的なジャンルに見えてしまうでしょうね。
 実はこれって教育界でも同じようなことが起きているんですよ。いろいろな場面で。お分かりになりますでしょうか。
 まだまだ煮え切れない心境でありますが、最後に尊敬する女子プロレスラーである里村明衣子選手のコメントを紹介しておきます。つまり、こういうことなのでしょう。祭に女が参加できないことが多いのもこういうことに根ざした文化なのかもしれませんね。

(以下、里村明衣子選手のブログより引用)

スターダムの件で、
全国的なニュースになっているので再度私自身も考えたい。
プロレス興行。
チケットを買ってくださったお客様は、何を求めてみに来られているのかを想像し、試合を通じてお客様に何を届けたいのかを考えます。

闘いの中で、潰し合い、憎しみなどの感情が産まれる事はあります。
しかし、「プロ」の「レスラー」である以上
その感情を「最高のエンターテイメント」としてお客様と共有しなければいけない、お客様を闘いの場に引き込み共に闘う力とする責任があるのです。
それが「プロ」の「レスラー」の私達の役目だと思います。

レスラー志望の選手は最初から野望高く、血の気が多い子が10代で入ってくる。
時に感情をコントロール出来ない【やんちゃ】な子がほとんどです。
それを毎日毎日人間関係や礼儀、練習を徹底管理する事は本当に大変な事です。

うちも練習中のスパーリングでも、感情的になりケンカに発展する事は良くあります。
そうなった瞬間、髪の毛ひきずってでもリングから下ろすのが上の役目。
お前はプロじゃないと教える。
一線を超えたらプロレスで無くなるのです。
理性を抑える事を覚えさせる。

全てが紙一重。

プロレスとは、きちんと相手と向き合い、闘いを通して、感動、信頼、楽しさ、生きる強さを伝える最高のエンターテイメントです。

新日本の棚橋選手が最後に【愛してまーす】の一言でファンと一体になる事こそが夢や希望を与える究極の良いパフォーマンスだと思います!

人様の子供を預かる身としては何かあってからでは遅いのです。その責任は私もしっかり考えたいと思います。

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2015.02.24

『言志 2015年3月 vol.3』 日本文化チャンネル桜 (ビジネス社)

Unknown 日はいろいろな方にお会いしたり、お電話でお話したり、メールで会話したり…重なる時は重なるもの。
 その全てが深くつながっているから面白いですね。もうこれは完全に人智を超えてます。乗っかっていくしかない。
 そんな中、注文してあったこの「言志」が届きました。巻頭の独占特別インタビューに登場する安倍昭恵総理夫人からも「ぜひ読んでください」と言われていましたので、さっそくそのインタビューから熟読。
 いや、たしかに素晴らしい。高校の先輩でもあるチャンネル桜の水島総さんも番組でべた褒めしていました。水島さんがここまで口を極めて褒めるのは珍しい(↓その時の動画)。

 聞き手である皇室ジャーナリストの高清水有子さんも含め、バリバリの保守をもうならせる昭恵さんの懐の深さよ。
 ちょうどこのインタビューが終わってすぐに昭恵さんとお話する機会があったのですが、その時も結論は「右も左もないですよね」でした。私も全く同じ感覚を持っています。
 現政権のファーストレディですから、それなりに制約はあると思いますが、右左の話で言うならば、昭恵さんは右にも左にも大いに期待されている存在です。
 ま、スケールは大違いですが、今日の私も、保守論壇の重鎮の方と話した直後、共産党の党員の方とお話しました(笑)。私にとってはどちらも自然なことです。
 それこそコンサババリバリの「言志」の今号のテーマは「戦後70年の日本」であり、実際「戦後レジーム」という言葉も飛び交っておりますが、左右だ保革だ言っていること自体が「戦後」を象徴することであって、それを超越するのが「戦後レジームからの脱却」であると、昭恵さんともよく話します。
 私がそういうことを言ってもなんら問題がなく、ある意味単なる妄言ですましてくれる世の中です。しかし、ファーストレディとしてそういう言動をすることには、もちろん危険も伴いますし、誤解も生じやすい。それをしなやかに、そしてある意味軽やかにこなす昭恵さんは、本当にすごい方だと思いますよ。そして、それを許している総理もなかなかです。
 今号は「女性」も一つのテーマとなっています。日本の国柄を考えるとき、やはりさけて通れないのは女性文化でありましょう。そのあたりについても、昭恵さんは素晴らしい見識をお持ちです。
 皇室が象徴する「和」、女性ということになりますと、仲小路彰の思想ともつながってきます。今日の、私周辺での大きな動きは、全て仲小路彰に関わることでした。昭恵さんも仲小路彰の思想には非常に強い興味をお持ちですし、あちらの世界で何かが動いている感じがしますね。
 そうそう、昭恵さん、インタビューの中で東北の「安倍氏」についても言及してくださっています。まさに東北の安倍氏であるウチのカミさんは、もうそれだけで大喜び(笑)。たしかに、昭恵さんとはその話でいつも盛り上がりますし。
 このインタビュー以外の記事も非常に面白かった。基本私は保守の方々と話が合う方なのですが、こういう人たちをも「和す(やわす)」ことが必要だし、ある意味それは難しいなとも思います。
 ただ、いずれの方面にしても、拒否し、否定し、会いもせず、話もせず、というのだけはダメ。全てが「話せば分かる」世界ではないことなど百も承知ですけれども、やっぱり人と人、コトだけでなくモノどうしとしての付き合いは大切だと思いますよ。
 そういう意味で、今の私は、とにかくいろいろな人に直接会いたくてしかたがないのです。
 水島さんにもまたお会いしたいなあ。ものすごくいい人なんですよ。そして、高清水さんにもいろいろ教えていただきたいですね。

Amazon 言志2015年3月 vol.3

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2015.02.23

皇太子さまと富士山と…

20150224_91358 日は富士山の日であり、皇太子さまのお誕生日でしたね。
 皇太子さまとワタクシの微妙な関係(?)については昨年の今日の記事にいろいろ書きましたので、そちらをご覧ください。
 昨日の皇太子さまお誕生日にあたっての会見も素晴らしい内容でしたね。あえての東京新聞で読んでみましょう。

「憲法基礎に平和享受」 皇太子さま55歳会見

 私も皇太子さまのご意見に同意いたします。
 さてさて、皇太子さまと富士山と東京新聞というと…昨年東京新聞発行の登山専門誌「岳人」に皇太子さまが「富士山に登って」という文章を寄稿されました。
 そこでも、ご自身の誕生日が奇しくも富士山の日と重なっていること、小学1年生の時に富士山を見てうれしさのあまり窓から落っこちそうになったという作文を書いたことなどに触れられており、大変興味深い内容となっています。
 一昨年の山開きの日の北口本宮富士浅間神社参拝についても書かれており、その日御前演奏したウチの娘のこと(こちら参照)や、昨年の同日に安倍昭恵総理夫人らと山開きのご神事をさせていただいたワタクシとしては(こちら参照)、格別に感慨深いものがありました。
Pk2014061302100126_size0 皇太子さまが初めて富士山に登頂されたのは2008年のことになります。皇室の方で富士山に登ったのはおそらくは皇太子さまが初めてであります。いや、聖徳太子以来か(!)。
 そして、2004年には富士山遥拝の霊山御正体山にも登られています(こちら参照)。
 皇室と富士山というのは、両者とも「日本の象徴」であります。すなわち、天皇制廃止を主張する方々には、ぜひとも富士山を撤去していただきたい(笑)。いや、冗談でなくそういうことなのです。
 このブログでは、「もう一つの富士山」シリーズをいくつか書き、私たち人間(日本人)が時代によって、自分たちの都合で富士山に勝手な意味を与えてきたことを検証してきました。
 天皇、皇室についても全く同じことが言えます。ですから、その意味付けを巡って、どれが正しいとか間違っていたとか論議すること自体、ある意味馬鹿らしいことなのです。富士山は富士山でしかなく、皇室は皇室でしかない。意味付け(コト化)の上にあるモノなのであります。


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2015.02.22

『江戸猫 浮世絵 猫づくし』 稲垣進一・悳俊彦 (東京書籍)

Th__20150222_192016_2 の日にちなんでお気に入りの猫本を紹介します。
 古今東西、猫の絵は無数にありますが、日本の浮世絵における猫の存在感は明らかに世界レベル。
 猫の生来持つ芸術性、デザイン性に、日本人独特の猫に対する感性がうまく働いて、このある種特殊な猫絵の世界が生まれました。
 猫絵と言えば歌川国芳ですよね。この本でも全53作品のうち30くらいが国芳の作品となっています。それほど国芳の猫の絵は人気でしたし、実際に素晴らしい。
 西洋画や現代の写真集のように、ただただ可愛い猫というのはほとんど登場せず、ある意味日本的なリアリズムによってデフォルメされた猫がワンサカいます。そう、本当の猫好きはけっこう「ブサイク猫」が好きですよね。
 ウチにも黒2匹と白1匹がいますが、一番人気はブサイクな「シローさん」です(笑)。性格も三枚目。しかし頭は良く、そうですね、あえて言えば擬人化しやすい猫が人気なんですよね。愉快なおじさんというか。
 国芳も白猫を飼っていたようですね。国芳の描く白猫は真っ白ではなく、ちょうどウチのシローさんのようにミルクティー色のブチがついています。それがまたなんとも魅力的です。
 この本でも最初の方に紹介されている「其のまま地口猫飼好五十三疋」を見てみましょう。

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 まさに猫好きにはたまらないシーンと描写ばかりではありませんか。
 のちに国芳の弟子たちも盛んに行った「擬人化」にも見られるように、猫は人間の生活の中で、人間の勝手な感情移入を受け入れて、どんどんキャラ化、物語化していきました。善玉、悪玉、あらゆるキャラを演じられる懐の深さが猫にはありますよね。
 ものすごく達観した、まるで禅の高僧のようなたたずまいを見せたかと思うと、突然泥棒になったり、妖怪になったり…そうそう、最近も思いっきりキャラ化されてますよね。地縛霊とか(笑)。
 こういう現代の文化もまた、江戸時代以来の伝統を守っているわけです。一方、キティーちゃんなんかもそうした流れの中にありますね。
 というわけで、日本人と猫は実に幸せな関係なのであります。考えてみれば、もともと日本列島には猫はいなかったんですよね。唐猫として輸入されたのが奈良時代くらいでしょうか(九州はもっと前から)。
 正倉院の宝物もすごいけれど、こうして時代を超えて日本にしっかり定住し、日本的に進化した「日本猫」たちってもっとすごいのかも。

Amazon 江戸猫 浮世絵 猫づくし


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2015.02.21

『長篇戯曲 砂漠の光』 仲小路彰 (新光社出版)

Th__20150222_9_55_24 だ読了していませんが、紹介しておきます。
 この前紹介した(イスラム国による)グローバル・ジハードが着々と進行している現在、日本が別のシナリオ(グローバル・ファミリズム)を提起するために、この本は現代に蘇らねばなりません。
 世紀の大天才、昭和の吉田松陰とも称されどほとんどその存在を知られていない仲小路彰の処女作。マホメット(ムハンマド)の生涯を戯曲化した作品です。大正11年刊。780ページに及ぶ超大作。
 このたびその初版本を手に入れることができました。さっそく読み始めたのですが、もうすさまじい感動に襲われています。
 仲小路に触れた時の感動とはいのは、いわゆる感激とはちょっと違う。以前お借りして読み、今は首相官邸に置いていただいている「夢殿の幻(聖徳太子伝)」もそうでしたが、本質の本質をつくあまりに重く深い内容を、仲小路は非常に優しく易しく語ってくれます。それを受け取る快感というか、普段経験できない感覚なのです。
 難しい文体で書こうと思えばいくらでも書けるでしょう。しかし、それを、たとえば「お芝居」の形にしたり、「小説」の体をとったり、場合によっては「能」の台本にしたり、あるいは「音楽」をつけたりして表現するわけです。
 私としては、出口王仁三郎の霊界物語をそれなりに読んできましたので、そういった体裁の文章の中から本質を読み取るのが比較的得意なのかもしれません。いや、そんな特殊な読書体験はなくとも、だれでもすんなり読み進め、そして理解することができるはずです。
 難しいことを難しく表現するのではなく、難しいことを易しく表現できるところが、ホンモノの天才たる所以でありましょう。
 先日紹介した「黒幕、N氏のこと」で丸山熊雄は「(東大哲学科の)卒業論文か、その後のものか」と語っていますが、仲小路本人と縁のあった方に直接確認しましたら、実際には、五高時代に書き始め、東大在学中に完成したのだそうです。つまり、十代の頃からこんなすごいものを書き始めていたと。
Th__20150222_9_57_11_2 いや、まず文学としても超一流だと感じています。宗教的本質から人間の人生、そして男女の愛、家族の愛、そして敵対から、人類の愛と憎しみに至るまで、実に豊かに語られていきます。文章も素晴らしい。時々散りばめられる詩だけでも充分歴史的詩人レベルです。
 この時代にイスラム教に興味を持ち、ここまで深く理解しているだけでも恐るべきことです。現代のイスラム研究家の方々が意識しているかどうか分かりませんが、明らかに東大においては、たとえば井筒俊彦という天才にそれなりの影響があったはずです。
 当時も大変評判になり、それなりに売れたそうです。しかし、発刊翌年関東大震災があり、印刷されたものの大部分が焼けてしまったとのこと。
 戦中の昭和17年でしたか、仲小路彰は東京にてレオナルド・ダ・ビンチ展を主催しますが、その時、この戯曲の一部分が上演されました。そして、それに感激した当時の若者たちが、焼け残った古書を求めて、回し読みをしたそうです。
 そう、この物語の中には、憎しみや争い(戦争)の本質的原因が描かれているように思えるのです。そして、それを乗り越える思想、方法論としての宗教観が提示されている。
 だからこそ、戦中に蘇り、そしてまた今蘇らねばならないと思うのです。特に今はイスラムの本質を理解しなければならない時です。
 さらに言うと、仲小路がマホメットと聖徳太子の同時代性に注目している点も重要です。たしかに両者はほとんど同じ時代を(同じ緯度の東西で)生きました。そして、シルクロードを通じて潜在的に、いや具体的にもつながっている。
 戦後まとめられた仲小路の聖人伝シリーズの最終巻は、上に紹介した「夢殿の幻」であり、その前が「砂漠の光(マホメット伝)」なのです。
 私と仲小路では、あまりに頭の出来が違いすぎますが、仲小路の方から私のレベルにまで降りてきて語ってくれているので、その本質がなんとなく理解というか直観されてきています。
 そう、今日も仲小路とご縁のあった方からお聞きしたのですが、まさに和光同塵、相手がどんな立派な政治家、軍人、実業家、学者であっても、あるいは山中湖の田舎百姓であろうと、それぞれに合った完全なコミニュケーションをしたとのこと。
 きっと今、霊界から仲小路が私に語りかけてれているのでしょう。ですから、私には私の理解に基づく役目があるのだと思います。とにかく早く最後まで読み切り、そして、直感したとおりに行動したいと思っています。いやはやまたまた大変な書物と出会ってしまった。

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2015.02.20

幽霊演奏家による絶品ヴィヴァルディ

 霊がものすごい美人だったりすることってありますよね(笑)。幽霊にしておくにはもったいない。あるいは幽霊だからこそ謎めいていてさらに美しく感じられるとか。
 音楽の世界にもそういうのがあるのをご存知ですか。いわゆる幽霊オーケストラや幽霊指揮者というやつです。
 なんとなくそれらしい名前が付いているのだけれど、実はそういう団体や個人は実在しない。
 ホームセンターで売られている廉価版CDとか、通販の1枚238円!とかいうCDセットには、実はこういう幽霊が「つきもの」です(笑)。
 古楽界にはあんまり幽霊はいないんですけど、実はもう四半世紀も前から人々を魅了している謎のレコーディングがあるんです。
 私も20代で初めて聴いたと思います。けっこう衝撃的でしたね。今でも幽霊の巣窟(?)であるドイツの面白レーベルPILZなどで手に入る「ヴィヴァルディ協奏曲集」。
 だいたいが「アルベルト・リッツィオ指揮ムジチ・ディ・サンマルコ(オリジナル楽器使用)」のように書かれています(Musici di San Marco Conductor: Alberto Lizzio)。
 リッツィオは知る人ぞ知る(?)幽霊指揮者ですが、古楽器の団体を指揮したのはこの録音だけのようです(笑)。
 それにしても、この時代、これだけの演奏をする団体っていったい…けっこう昔から古楽界では謎とされてきました。
 当時はやっていたイギリスやドイツの演奏とは違って、実に流麗であり、自由であり、大胆でした。その頃は幽霊演奏家だとは知りませんでしたから、ついにイタリアも古楽器をやり始めたか!と思ったものです(今ではイタリアの人間界も霊界に追いついた感じですね)。
 この協奏曲集は本当に多彩なソロ楽器が出てくるのですが、そのいずれもがなかなか達者な演奏をしています。特に私が好きなのは、上掲のチェロ。もしかして5弦のチェロ・ピッコロでしょうか。
 ヴィヴァルディのチェロ協奏曲は名曲が多いのですが、中でもこのRV415は全体に洗練された名曲です。あまり演奏されないので、これが最近まではほとんど唯一の古楽器による録音でした。
 私は特に3楽章のフーガが好きですね。バッハがヴィヴァルディの協奏曲を学んだ理由がよく分かります。
 この幽霊ペアによる別のヴィヴァルディを聴いてみましょうか。二つのヴァイオリンのための協奏曲。ソロ・ヴァイオリンもうまいですね。

 次に有名なマンドリン協奏曲。

 なんだかいろんな楽器が出てくるこれはこれでヴィヴァルディらしい迷曲(笑)。

 というわけで、いったいこの幽霊たち誰なのでしょう。まさか本当の幽霊じゃないでしょうね(笑)。バロック時代のホンモノの演奏が現代に蘇ったとか。それはそれで興味深いですね(笑)。
 いちおうAmazonでも買えますよ。おススメです。こちらはまたカメラータ・ロマーナ、ユージン・ドュヴィエ(指揮)という幽霊が出没してますが。

Amazon ヴィヴァルディ/協奏曲集

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2015.02.19

国譲りとプロレス(プロレスの日にちなんで)

 日はプロレスの日(だそうです)。
 61年前の昭和29年今日2月19日、初のプロレス国際試合、力道山・木村組対シャープ兄弟の試合が蔵前国技館で行われました。
 なんだかネットでは昭和30年ということになっていますが、29年ですよね。
 この時は三日連続の蔵前興行。初日は日本テレビとNHKが中継。街頭テレビに2万人が集まったという伝説がありますね。
 下の動画はその二日後(21日)の同じ対戦カード。

 この時から60年以上が経ち、まあプロレス界もいろいろ盛衰がありましたね。
 そして、近年のプロレスプーム再来。なんとも感慨深いものがあります。
 今日も、録画してあった2月15日にさいたまスーパーアリーナで行われたDDTの興行を観ました。上の動画と比べると、たしかにプロレスは変わりました。人によっては「ダメになった」と言うかもしれませんが、私は純粋に「進化した」と評価したいと思います。
 文化系プロレスを標榜するDDTを、私はけっこう昔から応援してきました。そう、プロレスは「文化」であり、神道的な儀式であると考えていますから(笑)。
 そういう意味で、特に感慨深く、カミさんと涙を流しながら観たのは、「桜庭和志 vs スーパー・ササダンゴ・マシン」でした。
 もう説明も不要だと思います。総合格闘家としてたまアリをも熱狂させたプロレスラー桜庭が、まさに神事のようなお芝居を見せてくれました。
 考えてみると、ウチの家族は、格闘家桜庭にも、プロレスラーマッスル坂井にも直接お会いして、お話してるんですよね(笑)。まさか、その二人がこうして交わるとは、その頃は全く予想しませんでした。
 まったく人生は、世の中は分かっているようで分からない。それこそ「プロレス」の世界観そのものでしょう。
 最近では、地上波に飯伏幸太選手が出たり、あるいは「プ女子」の特集が組まれたり、本当に世の中が「プロレス的なるモノ」を欲している感じがしますね。ようやく戻ってきたということでしょう。
 新自由主義的な「我よし」「強いもの勝ち」な世界ではなく、まさに「荒魂による和魂の創生」という、日本の神道的な世界観の復活を望む日本人が増えているのでしょう。
 今日、ある宗教家の方、アーティストの方々とじっくりお話する機会がありました。そこで、私は「国譲りの智恵」について語らせていただきました。
 「国譲り」とは敗北ではない。負けて勝つ。表面的には負けているように見えるが、実際には自らの生き様、魂、志を強化し、延命するという高度な方法。
 日本の歴史における多くの「国譲り」(たとえば太平洋戦争の敗戦)などは、まさにそういうモノです。
 一度負けるという形を取って、しっかり相手の中に息づく。あるいは、最も大切なモノは無意識の領域に保存してしまう。そう、無意識への保存という智恵には、言語化されたり、意識化されたり、議論されたり、解釈されたりしませんから、最も時間の経過の影響を受けず原型をとどめることができる可能性を持っているのです。
 そう考えると、プロレス自体も、ある時期総合格闘技やその他のスポーツや文化にその座を譲りました。しかし、こうして時が来るとしっかり蘇る。それも進化して。
 まさに文化という生命体なのです。生命体だからこそ、それが我々の人生を象徴するわけです。面白いですね。
 私はこれからもプロレスを応援し続けます。それが世界を、人間を、文化を、神道を応援することになると信じるからです。

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2015.02.18

『岳麓点描』 井伏鱒二 (彌生書房)

Th_9f449f3b 梨に縁の深かった井伏鱒二。太宰の富嶽百景にも登場しているように、こちら富士北麓地方(郡内地方)を訪れることもしばしばでした。
 この「岳麓点描」は、昭和51年ごろに中央公論社の月刊文芸誌「海」に連載されたものを集め、単行本として昭和61年に発刊されました。
 とっても地味な作品ですが、地元に住む私としては、文豪の取材力、またそれをもとにした構成力の驚かされます。
 新倉掘抜、富士の笠雲、裾野を行く馬子、剣丸尾、窯跡、六根清浄、御師の町一、御師の町ニ、道志七里という9編の短編の中で、私が特に興味を惹かれたのは、剣丸尾と窯跡。
 なぜなら、ここに「宮下文書」関係の内容が出てくるからです。井伏もあの怪しすぎる文書に魅せられた一人だったのでしょうか。
 そうですね、あの文書群と、その膨大かつ荒唐無稽な内容には、歴史学者や科学者よりも文学者が食いつきそうです。私もその一人(?)。
 さて、その「宮下文書」関係と思われるキーワードというか、この小説に出てくる古文書の名前を挙げてみましょう。

 相模国寒川神社日記録
 桓武帝延暦十九年以前加吉駅図
 加吉駅近傍略図写
 
 最近何度か書いた「寒川神社」も出てきますね。そして「加吉」という駅名。これは富士高天原のあった場所、すなわち現在の富士吉田市明見地区にあたります。
 昭和の51年ですから、井伏はおそらく林房雄の「神武天皇実在論」を読んでいたのでしょう。井伏と林は作家どうしとしてはもちろん、釣り好きどうしとしてもつきあいがあったようです。
 その「神武天皇実在論」には『富士古文書』(宮下文書)ほか、いわゆる古史古伝の話題が出てきていて、ある意味、昭和の古史古伝ブームを作った本であるとも言えます。
 そうそう、ちょうど先週、富岡幸一郎さんがこの本を紹介してましたっけ。

 神話教育ですね。大切です。ローカルな神話も大切ですよ。だから宮下文書のモノガタリこそ、地元の子どもたちに知ってもらい、楽しんでもらいたいし、大人になったら批判的に評価してもらいたいと思うのです。
 林房雄はある意味科学的にアプローチしようとして、ちょっと滑っていますが(笑)、井伏鱒二は見事に文学に昇華しています。
 地元の方にはぜひ一度読んでいただきたいですね。

Amazon 岳麓点描

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2015.02.17

ゲーベルの(G線上ではない)アリア

Th_imgres 学の弦楽合奏部でバッハのG線上のアリアを練習しております。
 このあまりに有名な「G線上のアリア」でありますが、面白いのは、全然「G線上」ではないということです(笑)。
 ウィルヘルミによる、ヴァイオリンとピアノのために編曲されたものは、なぜか「G線」だけで弾く習慣になっておりますが、もちろんバッハはそんなワケの分からないことは想定していません。
 というか、オリジナル版では、旋律を弾く1stヴァイオリンは「G線」だけ使わないのです。面白いですよね。ですからホントは「G線上ではないアリア」ということになります(笑)。
 ま、それは笑い話として、この曲、バロック音楽としては破格な作りでなんですよね。管弦楽組曲に「アリア(AIR)」が挿入されるのもちょっと珍しいのですが、とにかく各声部がとんでもなく緻密に作られています。和声の複雑さはほとんど現代音楽というか、ジャズというか…。
 そんなことを感じさせないキャッチーな全体イメージのおかげで、そのすごさがあまり指摘されないのは、逆にすごいと思います。
 特に不協和音の使い方は完全にバロック音楽における「アリア」を超越しています。最後に楽譜を載せますので、逆に協和音の拍を見つけてみてください。実はあまりない。
 さてさて、そんな複雑な楽曲であることを知ったのは30年前、大学生の時ですかね。当時も大変な評判(衝撃)だった、ラインハルト・ゲーベル指揮のムジカ・アンティクヮ・ケルンのレコードでした。この演奏は組曲全体を通じて本当にショックを受けました。私の古楽人生に多大な影響を与えた演奏です。
 今聴いてもかなり個性的ですよね。各パートの存在感(生命力)が素晴らしく、それぞれがまさに織物のように絡み合って全体像ができあがっているのが分かります。
 

 そんなゲーベルさん、その後もいろいろありましたが、今では指揮者としても活躍しておられます。ベルリン・フィルを振った動画もいくつか観ましたが、実に面白い。
 で、比較的最近、彼がブダペスト祝祭管弦楽団を振った管組3番があったので紹介します。
 この「アリア」がこれまた衝撃的!2倍速です(笑)。こういう境地になったのか。これはこれで慣れるとありだと思いますが、それこそ不協和音があっさり過ぎ去りすぎてなんだか残念ですね。
 しかし、通奏低音のアーティキュレーションは面白いアイデアですね。

 先日、最近ジャズバンド部でウッドベースを始めた長女にこのアリアの通奏低音を弾かせて、私がメロディーを奏でました。個人的には、なんとも感慨深い瞬間でありました。そして、「このベースすごい!」と感動する娘に、「だろ?」と得意気になったワタクシでありました(笑)。

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Amazon バッハ:管弦楽組曲(全曲)

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2015.02.16

移住希望地…山梨が1位

Th_pn2015021601002086ci0003 ょっと特殊なアンケートですが、山梨が1位というのは正直うれしい。
 私も山梨に移住したクチですからね。東京都大田区、静岡県静岡市を経て、山梨県都留市、山梨県南都留郡西桂町、山梨県富士吉田市、そして現在の山梨県南都留郡鳴沢村字富士山と、見事に徐々に標高を上げてきました(笑)。
 思えば、小学生時代(大田区)、通学路から見た富士山に憧れを抱き、大学受験失敗のおかげで富士北麓に縁ができて以来、ほとんど運命的に「移住」させられてきたという感じです。
 私の住んでいるところは、鳴沢村の別荘地。別荘地ではありますが、今では定住者も多くいます。都会からまさに移住してきた方もいますし、地元の方もいます。
 いずれにせよ、山梨(それも郡内地方)独特の、いや、もしかすると日本の田舎ほとんど全てに共通するであろう、地縁血縁の強さによる面倒なつきあいやしきたりはほとんどなく、かと言って、都会のように隣に誰が住んでいるか知らないというような人間関係の希薄さもなく、実にちょうどいい距離感で地域コミュニティが出来上がっています。
 昨年のこの時期の大雪の時なんか、本当にお互い助けあって頑張りましたし。たぶん、それぞれ以前住んでいた地域でいろいろな人間関係や地域性を体験した上で、こちらに越してきているわけですから、お互いにうまい距離を保てるのでしょう。
Th_img_5760 そういう意味では、本当に山梨は富士山北麓の別荘地を終の棲家として正解だったと思います。
 あとこのあたりのいいところは、有名人の別荘がたくさんあることでしょうか(笑)。まあ、東京から車を飛ばせば1時間ちょいですからね。夏は涼しいし、冬以外は本当に住みやすい。忙しい政治家や芸能人の方々には、それこそちょうど良い距離感の土地でしょう。
 それよりなにより、富士山という「霊山」に抱かれているという安心感、そして優越感もかな、それは世界唯一、世界最高であると、みんな思っています。
 ご近所付き合いさせていただいている安倍総理夫妻とも、基本は「富士山」でつながらせてもらっているのです。
 山梨のリゾート地、そして移住地としては、富士山富士五湖地域と双璧になるのが、八ヶ岳地域でしょう。あちらはあちらで、特に芸術家の方々によって、格別な地域環境が醸成されています。
 八ヶ岳方面だと、東京から2時間ちょっとかかる感覚なので、逆に都会からの風が届きにくい雰囲気があります。しかし、いざ行こうとすれば2時間ですから、それもまた大きな魅力でしょう。
 私は東京で活動することが多いので、やはりここ富士山麓くらいがちょうどいい。車で行き来しても苦になりませんからね。
 ちなみにリニアモーターカーが開通すれば、品川山梨間は15分くらい(笑)。これは逆に近すぎるのかもしれない?
 長野が人気なのは、やはり新幹線で通勤できるからですよね。ということは、リニア通勤が可能になると山梨は人口が増加しそうですね。
 さあ、はたして郡内地方にもリニア駅をという私の妄想は実現するでしょうか。もし実現したら、このあたりの歴史文化も大きく変化するでしょう。
 ということで、とりあえず今、こちらに移住を考えている方は御連絡ください。アドバイスさせていただきますよ。

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2015.02.15

『防衛大学校で、戦争と安全保障をどう学んだか』 杉井敦・星野了俊  (祥伝社新書)

20150215_192043 朝届きまして1時間ほどで読了。さわやかな読後感でありました。
 戦争論にも安全保障論にも触れずに生きてきた(私のような)ほとんどの日本人にとって、非常に優れた入門書となることでしょう。
 特に、全くのシロウトでありながら、仲小路彰の著作を読むにあたって「戦争学」を学ばねばと思っている者には、このくらいの本からその深奥部に踏み込んでいくのが良い。
 仲小路は戦争学のエキスパートでもありました。地球平和について考えるには、戦争を知らねばならないという基本中の基本を当然理解していた人物でありました。
 そう、なんだか語るのもいやなくらいなのですが、ただ「戦争反対!」と言っている人たちには本当にウンザリします。
 たとえとしては適切ではないかもしれないけれども、病気になりたくなかったら病気について知る必要がありますよね。特にその原因については。「病気になりませんように」とか「健康でありますように」と祈っているだけではダメです。そんなことは当たり前すぎて、言うのもはずかしい。
 しかし、たしかに戦後の日本においては、戦争について勉強することはほとんど許されないことであり、せいぜいマニアが趣味を極めて、個人的なレベルでそれについて語るくらいが実情でした。
 国家レベルでの「戦争研究」はほとんどなされてこなかった。あえて言えば、それこそ防衛大学校の一部のマニア…いえいえそれは失礼だな(しかしそういう部分もなきにしもあらず)、一部の専門家だけが知りうる知識でした。
 しかし、日本を取り囲む状況が疑いなく危険になってきている今、一般国民もいつまでもお花畑でいるわけにはいきません。
 そういう意味で、私は安倍総理の様々な「刺激的な」言動や政策は、まさに必要なことであって、決して悪いことではないと思っています(もちろん私個人としては、結論的に安倍さんには賛成出来ないこと多数ですが)。
 誰も戦争をしたいとは思いません。ならば戦争についてよく知り、それを防ぐ具体的な方法、現実的な方法を考えるべきです。病気と一緒です。人間のサガですから、戦争は。
 ところどころに散りばめられている歴史的偉人の言葉、そして防大歴代総長の言葉には、いちいち首肯させられました。私たち国民も賢くならねばなりませんね。
 私も「戦争学」の本を数冊買いましたので、本格的に勉強を始めます。
 この本は高校生でもすんなり読めるレベルです。学校にもぜひ置きたいと思いました。皆さんにもおススメします。
 ところで…この本を読んで、たとえば(なっちゃって)左翼の方々はどういう感想を持ち、どういう反論をするのでしょうか。というか、まず読まないか(苦笑)。

Amazon 防衛大学校で、戦争と安全保障をどう学んだか

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2015.02.14

近衛上奏文

20150215_73849 日はバレンタインデー。それについては散々書いてきましたので今年は日本の歴史に関するお話。
 ちょうど70年前の今日、いわゆる「近衛上奏文」が昭和天皇に上奏されました。
 この近衛上奏文、本当にいろいろ謎であり、私も正直その真意をはかりかねます。
 ただ、この近過去の謎にまつわる重要人物の孫たちが、まさに今の日本を動かしていることに、なんとも言えない因縁を感じますね。
 すわなち、近衛文麿の孫細川護煕、吉田茂の孫麻生太郎、鳩山一郎の孫鳩山由紀夫、そして岸信介の孫安倍晋三です。
 近衛と岸は当初、互いに共産主義者として協力関係にありました。しかし、途中から袂を分かちライバル関係になります。
 この謎の上奏文は、敗戦濃厚、敗戦後の共産革命こそおそるべきものであるというような内容ですが、その共産革命を主導する勢力には岸の影もちらつきます。
 上奏文の作成には吉田も関わりました。結果、憲兵隊につかまることになるのですが、戦後はこの上奏文の反共、親米の内容のおかげで首相になれたとも言えます。
 近衛と岸はGHQにA級戦犯容疑で逮捕されることになります。近衛は直後に青酸カリ自殺。岸は巣鴨プリズンへ。そして、釈放後、吉田の仇敵鳩山一郎と組んで吉田内閣を倒し、鳩山政権を樹立。のちに自らも総理になりました。
 私の世代(東京オリンピック以降の世代)にとっては、共産主義はなんとなく遠い存在であり、あまり現実味がないのですが、それ以前の日本にとっては非常に大きな影響力を持っていました。
 まあ、それも2600年以上の日本の歴史においては、ほんの50年くらいの話であって、些細なことなのかもしれませんが。
 それにしてもこの近衛上奏文、ある意味左右を超えた理論となっています。そういう意味で、ワタクシとしてはその裏側に仲小路彰の終戦工作の影を感じます。ありえない話ではないでしょう。証拠は今のところありませんが、吉田茂や岸信介との関係はぼんやりとですが確認できています。
 では、あらためて上奏文を読んでみてください。これに従わなかった昭和天皇のご意思はいかであったか…それもまた謎と言えば謎です。

 「近衛上奏文」

 敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候。以下此の前提の下に申述候。
 敗戦は我が国体の瑕瑾たるべきも、英米の與論は今日までの所国体の変革とまでは進み居らず(勿論一部には過激論あり、又将来如何に変化するやは測知し難し)随て敗戦だけならば国体上はさまで憂うる要なしと存候。国体の護持の建前より最も憂うるべきは敗戦よりも敗戦に伴うて起ることあるべき共産革命に御座候。
 つらつら思うに我が国内外の情勢は今や共産革命に向って急速度に進行しつつありと存候。即ち国外に於てはソ連の異常なる進出に御座候。我が国民はソ連の意図は的確に把握し居らず、かの一九三五年人民戦線戦術即ち二段階革命戦術の採用以来、殊に最近コミンテルン解散以来、赤化の危険を軽視する傾向顕著なるが、これは皮相且安易なる見方と存候。ソ連は究極に於て世界赤化政策を捨てざるは最近欧州諸国に対する露骨なる策動により明瞭となりつつある次第に御座候。
 ソ連は欧州に於て其周辺諸国にはソビエト的政権を爾余の諸国には少なくとも親ソ容共政権を樹立せんとし、着々其の工作を進め、現に大部分成功を見つつある現状に有之候。
 ユーゴーのチトー政権は其の最典型的なる具体表現に御座候。ポーランドに対しては予めソ連内に準備せるポーランド出国者連盟を中心に新政権を樹立し、在英亡命政権を問題とせず押切申候。
 ルーマニア、ブルガリア、フィンランドに対する休戦条件を見るに内政不干渉の原則に立ちつつも、ヒットラー支持団体の解散を要求し、実際上ソビエト政権に非ざれば存在し得ざる如く致し候。
 イランに対しては石油利権の要求に応ぜざる故を以て、内閣総辞職を強要致し候。
 スイスがソ連との国交開始を提議せるに対しソ連はスイス政府を以て親枢軸的なりとして一蹴し、之が為外相の辞職を余儀なくせしめ候。
 英米占領下のフランス、ベルギー、オランダに於ては対独戦に利用せる武装蜂起団と政府との間に深刻なる闘争続けられ、且之等諸国は何れも政治的危機に見舞われつつあり、而して是等武装団を指揮しつつあるものは主として共産系に御座候。ドイツに対してはポーランドに於けると同じく巳に準備せる自由ドイツ委員会を中心に新政権を樹立せんとする意図なるべく、これは英米に取り今日頭痛の種なりと存候。
 ソ連はかくの如く欧州諸国に対し表面は、内政不干渉の立場を取るも事実に於ては極度の内政干渉をなし、国内政治を親ソ的方向に引ずらんと致し居候。ソ連の此意図は東亜に対しても亦同様にして、現に延安にはモスコーより来れる岡野(註、野坂参三)を中心に日本解放連盟組織せられ朝鮮独立同盟、朝鮮義勇軍、台湾先鋒隊等と連絡、日本に呼びかけ居り候。かくの如き形勢より押して考うるに、ソ連はやがて日本の内政に干渉し来る危険十分ありと存ぜられ候(即ち共産党公認、ドゴール政府、バドリオ政府に要求せし如く共産主義者の入閣、治安維持法、及防共協定の廃止等々)翻て国内を見るに、共産革命達成のあらゆる条件日々具備せられゆく観有之候。即生活の窮乏、労働者発言度の増大、英米に対する敵愾心の昂揚の反面たる親ソ気分、軍部内一味の革新運動、之に便乗する所謂新官僚の運動、及之を背後より操りつつある左翼分子の暗躍等に御座候。右の内特に憂慮すべきは軍部内一味の革新運動に有之候。
 少壮軍人の多数は我国体と共産主義は両立するものなりと信じ居るものの如く、軍部内革新論の基調も亦ここにありと存じ候。職業軍人の大部分は中流以下の家庭出身者にして、其の多くは共産的主張を受け入れ易き境遇にあり、又彼等は軍隊教育に於て国体観念だけは徹底的に叩き込まれ居るを以て、共産分子は国体と共産主義の両立論を以て彼等を引きずらんとしつつあるものに御座候。
 抑々満洲事変、支那事変を起し、之を拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは是等軍部内の意識的計画なりしこと今や明瞭なりと存候。満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座候。支那事変当時も「事変永びくがよろしく事変解決せば国内革新が出来なくなる」と公言せしは此の一味の中心的人物に御座候。
 是等軍部内一味の革新論の狙いは必ずしも共産革命に非ずとするも、これを取巻く一部新官僚及民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は意識的に共産革命にまで引きずらんとする意図を包蔵し居り、無智単純なる軍人之に踊らされたりと見て大過なしと存候。
 此事は過去十年間軍部、官僚、右翼、左翼の多方面に亘り交友を有せし不肖が最近静かに反省して到達したる結論にして此結論の鏡にかけて過去十年間の動きを照らし見る時、そこに思い当る節々頗る多きを感ずる次第に御座候。
 不肖は此間二度まで組閣の大命を拝したるが国内の相克摩擦を避けんが為出来るだけ是等革新論者の主張を容れて挙国一体の実を挙げんと焦慮せるの結果、彼等の主張の背後に潜める意図を十分看取する能わざりしは、全く不明の致す所にして何とも申訳無之深く責任を感ずる次第に御座候。
昨今戦局の危急を告ぐると共に一億玉砕を叫ぶ声次第に勢を加えつつありと存候。かかる主張をなす者は所謂右翼者流なるも背後より之を煽動しつつあるは、之によりて国内を混乱に陥れ遂に革命の目的を達せんとする共産分子なりと睨み居り候。
 一方に於て徹底的に米英撃滅を唱うる反面、親ソ的空気は次第に濃厚になりつつある様に御座候。軍部の一部はいかなる犠牲を払いてもソ連と手を握るべしとさえ論ずるものもあり、又延安との提携を考え居る者もありとの事に御座候。以上の如く、国の内外を通じ共産革命に進むべき、あらゆる好条件が日一日と成長しつつあり、今後戦局益々不利ともならば、この形勢は急速に進展致すべくと存候。
 戦局への前途につき、何らか一縷でも打開の望みありというならば格別なれど、敗戦必至の前提の下に論ずれば、勝利の見込みなき戦争を之以上継続するは、全く共産党の手に乗るものと存候。随つて国体護持の立場よりすれば、一日も速に戦争終結の方途を講ずべきものなりと確信仕候。戦争終結に対する最大の障害は、満洲事変以来今日の事態にまで時局を推進し来りし、軍部内の彼の一味の存在なりと存候。彼等はすでに戦争遂行の自信を失い居るも、今までの面目上、飽くまで抵抗可致者と存ぜられ候。
 もし此の一味を一掃せずして、早急に戦争終結の手を打つ時は、右翼左翼の民間有志、此の一味と饗応して国内に大混乱を惹起し、所期の目的を達成し難き恐れ有之候。従て戦争を終結せんとすれば、先ず其の前提として、此の一味の一掃が肝要に御座候。此の一味さえ一掃せらるれば、便乗の官僚並びに右翼左翼の民間分子も、影を潜むべく候。蓋し彼等は未だ大なる勢力を結成し居らず、軍部を利用して野望を達せんとするものに他ならざるがゆえに、その本を絶てば、枝葉は自ら枯るるものなりと存候。 尚これは少々希望的観測かは知れず候えども、もしこれら一味が一掃せらるる時は、軍部の相貌は一変し、米英及重慶の空気或は緩和するに非ざるか。元来米英及重慶の目標は、日本軍閥の打倒にありと申し居るも、軍部の性格が変り、其の政策が改らば、彼等としては戦争の継続につき、考慮するようになりはせずやと思われ候。
 それはともかくとして、此の一味を一掃し、軍部の建て直しを実行することは、共産革命より日本を救う前提先決条件なれば、非常の御勇断をこそ望ましく存奉候。以上


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2015.02.13

未来が過去を変える!?

Th_252fcafd000005782946445imagea1_1 ットで興味深いニュースを見つけました。ソースはこちら
 どなたかが訳してくれたものをコピペします。これは私の感じる「時間は未来から過去へと流れている」そのものですね。ですから、私にはとても自然な発見に思われます。

(以下コピペ)
 量子力学の世界では、観測される前の時点での粒子の状態は単に未知であるのではなく、そもそも決定されておらず、観測者の観測行為自体が粒子の状態を決定すると考える。これは、有名な「シュレーディンガーの猫」の思考実験の基になっている考え方である。
 ワシントン大学のカーター・マーチ教授は、粒子の未来の状態を知ることによって、その粒子の過去の状態が変化することに気付いた。つまり、未来の事象を知ることによって 過去を変えることができるということであり、これがもしも古典力学の世界にもあてはまるとしたら、私たちが現在取っている行動は、未来の私たちの意思決定によって影響を受けていることになる。
 こうした考えは今のところすべて仮説ではあるが、物理学者たちは、量子力学の世界で このような時間の逆転が実際に起こるかどうかを確かめるための装置の作製を行なった。マーチ教授はこの技術を使って2つの粒子の異なる時点での量子状態を観測した。
 量子状態の検出はマイクロ波の箱に収めた回路によって行なう。マイクロ波長の光子を数個、箱に送り込むと、それらの光子の量子場が回路と相互作用する。 箱の中に光子が存在しているとき、光子は量子系についての情報を持っている。光子同士を量子重ね合わせ状態にして、強い観測を行い、観測結果は隠したまま、続けて弱い観測を行なう。
 時間が正方向だけに流れているとして計算すると、隠されていた量子状態を正しく当てる確率は50%になる。しかし時間が逆方向にも流れているとして、正方向、逆方向の時間での計算を等価に扱えるとすると 量子状態を当てる確率は90%に上がる。
 研究チームが量子の初期状態についての観測結果をチェックしたところ、正解確率はちょうど90%になっていた。この結果は、量子力学の世界では時間が正方向にも逆方向にも流れていることを示唆している。
 マーチ教授のコメント
「多くの粒子から成り立っているこの現実世界で、なぜ時間が正方向にしか流れずエントロピーが常に増大するのかはよく分かっていません。しかし、たくさんの人がこの問題に取り組んでおり、あと数年で解決できると期待しています」
(コピペ終わり)

 今年は「時間は未来から過去へと流れている」に関する本を書く予定です。原因は未来にあって結果は現在に現れると。過去は記憶にすぎません。
 もちろん私は頭が良くないので、自然科学や哲学からのアプローチではなく、あくまでも日本文化、特に日本語の歴史からそれを証明したいと思っています(こちら参照)。
 この量子力学の世界観、すなわち「観測者」の意識によって現在が選択されるということを、現在だけでなく未来にまで応用できると私は考えています。
 西洋の自然科学がようやく日本の生活文化に追いついてきたということでしょうか。


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2015.02.12

『日本の聖地文化-寒川神社と相模国の古社』 鎌田東二編 (創元社)

Th__20150213_104504 年亡くなった高倉健さんもお気に入りで、悩みがある時はよく夜に参拝していたという寒川神社。
 ここのところ、「寒川」の謎(その1)」「寒川」の謎(その2)」という記事を書きましたが、これらは明らかに「外伝」というか「別伝」です。本流やアカデミックからは一笑に付されるどころか全く相手にされない内容です。
 こちらはいちおう本流でしょうか。とはいえ、鎌田東二さんはかなりユニークな学問をされる方ですので、この本もかなりぶっ飛んでいます(笑)。
 縄文学から「宇宙人文学」まで。「うちゅうじんぶんがく」って一瞬「宇宙人の文学」かと思ってしまった(笑)。「宇宙(から)の人文学」です。ま、「宇宙の人文学」でもかなりユニークですよね。
 この本では、もちろん宮下文書についての記述は触れられていませんが、富士山は当然でてきます。春分・秋分の日に富士山に日が沈むということですね。
 実は、そうした「レイライン」的な発想がこの本の基礎にはあります。そう、縄文の遺跡はそうした太陽の運行と自然の地形の関係性における特異点に位置することが多いんですね。
 たまたまこの本にも、私に縁の深い、秋田の大湯環状列石と山梨は都留市の牛石遺跡が並んで紹介されていました。
 そう考えると、現代的なパワースポットブームやレイラインブームは、案外とものすごく古い信仰の体系と結びついているとも言えそうです。おそらく縄文人もアカデミックな考えのもとに生活していたのではないでしょうし(笑)。
 それはまさに無意識に幽閉されている「モノ」の復権ととらえることもできます。この本にも出てくる「ナニモノカ」の存在(鎌田先生も「モノ学」の権威でいらっしゃいます)。
 あるいは、やはりこの本でも紹介されている西行の歌「なにごとのおはしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる」的な感覚ですね。この歌では「なにもの」ではなく「なにごと」と「コト」が用いられているのも私としては興味深いところです。
 さて、この本では、私とは違った発想で「寒川」という言葉や、「寒川神」について考察されています。それはそれで非常に納得できる内容でした。しかし、面白いなと思うのは、宮下文書の語る「寒川比古」が「山の神」であるのに対し、一般で言われる「寒川神」は「水の神」「海の神」であるという点です。
 これは矛盾しているというよりも、やはり「山と海が川によってつながっている」という真実を象徴していると考えた方がいいのではないでしょうか。
 そう、縄文人は、現代人とは違って「山」と「川」と「海」を分けて感じていなかった。まさに「コト」化する以前のモノという総体として捉えていたのではないかと。
 それらを結ぶモノは「水」で象徴されます。その点、柳田国男が語ったという、「サム=聖」、「カワ=泉(水)」というのは面白いですね。つまり「寒川=聖水」ということになるわけで、その聖水の流れによって富士山と太平洋がグルっとつながる感覚というのが、私の考える(感じる)「寒川文化圏」そのものではないか。
 この本では、どちらかというと関東平野における寒川神社の意味を考察していますね。それもいいでしょう。それも会ったことでしょう。
 「八幡」のこと「安楽寺」のこと…宮下文書にも記述があることがいくつかあります。またいろいろ調べてみます。

Amazon 日本の聖地文化: 寒川神社と相模国の古社

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2015.02.11

『ムー 2015年 3月号』 (学研)

20150212_65211 国記念の日。紀元節。日本、推定年齢2675歳のお誕生日。
 国を挙げてのお祝いはほとんどなく、テレビではなぜか天皇制に反対するデモのニュースが。
 私は私でオーケストラでドイツの音楽を演奏。
 まったく不思議な国ですね。独立記念日や革命記念日は大々的にお祝いするのが当たり前ですけれど、ま、たしかに独立でも革命でもないし、話が大昔すぎてよく分からんし、だいいち紀元節自体が明治時代に創作されたものであるというその胡散臭さを国民は感じている、いや何も感じていないのでしょう。
 私はそれでいいと思うのです。天皇の歴史も日本という国の歴史も無意識の中に息づいているのが一番健康的です。
 そう、私の言う「国譲り理論」です。あえて無意識の中に幽閉することによって、時代の思想や感情に流されず、変形されず、純粋な形で本質を残すという智慧です。
 それはほとんどの場合「負ける」という形で実現されます。出雲しかり、南朝しかり、太平洋戦争しかり、象徴天皇制しかり。
 たとえば「紀元節を祝え!」とか「天皇制を廃止せよ!」とかいう普通ではない日本人たちは、そういう日本の智慧を忘れて、意識化しすぎなのです。残念ながら。昨日の「愛国百人一首」も残念の好例ですね。
 最強の保存は「忘れる」ことです。しかし、本当に必要な時にはその忘れられたモノは蘇る。
 そういう意味で、私が注目しているのが、「艮の金神」であり、「出口王仁三郎」であり、「宮下文書」であり、「仲小路彰」であり、「富士高天原」なのであります。
 ここのところ、「寒川」の話を続けましたけれど、上記の「モノ」たちについて書かれた面白い記事がナイスなタイミングで出ました。
 学研ムーです。この歳になってもまだムーを読んでるのか!?と笑われそうですが、今月号の特集記事「失われた超古代『富士王朝』と艮の金神大予言」は、そのいかにもムー的なタイトルに反して、大変興味深い内容になっています。
 ちょっと手前味噌になりますが、今回の記事の内容には、ワタクシの影響も感じられますね(笑)。というのは、この記事にも登場される阿祖山太神宮の渡辺宮司さんとは、ここのところずいぶん長時間にわたっていろいろお話させていただいていますし、昨秋には学研ムーの三上編集長とも当地でお会いしましたので。
 しかし、記事の中の西桂町の「太神宮」の碑については全く知りませんでした。同町にも5年ほど住んでずいぶんフィールドワークしていたつもりですが。たしかに面白いですね。
 ただ、明見やその周辺にある石碑類は明治、大正期に作られた(考え方によっては「捏造」「偽造」)ものが多数ありますので注意が必要です。まさに歴史は創られる。
 そういえば、つい最近、宮下文書と出口王仁三郎を直接つなぐ人物を特定できました。今までもその大本信者さんの名前は上がっていましたが、宮下文書との関係は不明でした。それがある資料によって確かなものであることが判明しました。
 そうしますと、明見の「創られた歴史」が日本のリアルな歴史を創ったということになるわけで、これはこれで実に興味深い事実です。私はそこも調べてみようと思っています。
 ちょっと夢のない言い方になってしまいますが、田舎の無名な人々の「妄想」が国を実際に動かしたということですよね。これはこれで実に面白い。いや、その田舎者を突き動かしたモノの存在こそが、艮の金神なのかもしれません。ドキドキワクワクしますね。
 ちなみに宮下文書によると、日本の推定年齢は…さらに2倍以上増量いたします(笑)。

Amazon ムー 2015年 3月号

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2015.02.10

『愛國百人一首』 (昭和17年)

Th_img_5706 やあ、知らなかった!我が校にこんなモノがあったとは。
 中学で百人一首大会をやりまして、百人一首セットを掘り出してきた同僚の先生が「こんなのありました」と持ってきてくれたのがコレ。
 「愛國百人一首」の初版。昭和17年12月8日発行。開戦から1周年の日です。
 私は思わず興奮してしまい、一枚一枚じっくり読みいってしまいました。実に複雑な意味のでの「感動」であります。
 最初のうちは「おお美しい」「おおかっこいい」という感じだったのですが、だんだん気持ち悪くなってきた。なんだろうこの「変な感じ」。
 箱の表書きは次のようになっています。

認定 情報局
選定 日本文學報國會
協力 毎日新聞社

愛國百人一首

後援 陸軍省
   海軍省
   文部省
   大政翼賛會
   日本放送協會

京都 山内任天堂謹製

 う〜ん、これはある種のメディア戦略ですね。これを学校や家庭でやったわけですか。暗記、暗誦、そして取り合うことによって、どんどん言葉が染み付いてくる。
 いや、そう、なかなか素晴らしい歌が揃っているのですよ。私はこちらに書いたように、小倉百人一首大嫌いな国語のセンセーであります。その小倉百人一首に比べたら本当に質の高い歌が揃っている。
 それもそのはず、選者がすごい。
 選定委員は、佐佐木信綱、斎藤茂吉、太田水穂、尾上柴舟、窪田空穂、折口信夫、吉植庄亮、川田順、斎藤瀏、土屋文明、松村英一、北原白秋。選定顧問には徳富蘇峰、辻善之助、平泉澄、久松潜一ほか。そうそうたるメンバーであります。
 いちおう、万葉集から明治元年以前に亡くなった歌人に限定したそうです。つまり、これらの歌の一首一首は、決して翼賛的、戦意高揚的な思想で作られたのではない。
 しかし、その無垢の一つ一つがこうして百集まると、かな〜り「愛国的」になる。言葉の不思議ですね。
 もちろんウチの学校でこれを教えているわけではありません。なにしろ存在を知らなかったんですから。
 裏を見るとどうも昭和43年に誰かから寄贈されたようです。その後たぶん一度も開かれることなく平成27年に至る、という感じかな。
Th_img_5707 ふむ、ちょうど今日中学生に明日の「建国記念の日(天長節)」について教え、日本が2675年続いてきたこと、70年前に国がなくなる危機があったことなどを話したところだったので、なんとも言えない因果なモノを感じました。
 ちなみにどのような歌が採用されているかについては、こちらのサイトこちらのサイトでご確認ください。
 いきなりホンモノが目の前に姿を現すとは思いませんでした。時代が時代とはいえ、やはりこれは行き過ぎだと感じます。先ほども書いたように、一首一首は本当に伝統的な秀歌だと思うだけに、こうして使われたことに哀しさを覚えますね。
 隣の戦前生まれの先生と話しましたが、歌も富士山も天皇も間違った方向に利用されたのですよ。この愛国百人一首を再評価する動きもあると聞きますが、やはり私は間違っていると感じます。我々の思いがどうであれ、歌にも富士山にも天皇陛下にも失礼だと思うのです。
 どんな理由があろうとも、日本の伝統、自然、信仰を戦争の大義と結びつけるのはいけません。
 当時の文学界、美術界、音楽界、宗教界…ほとんどが過ちましたね。

Amazon 愛国百人一首


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2015.02.09

「寒川」の謎(その2)

20150210_125842

 日の記事に質問をいただきましたので、今日はちょっと補足する記事を書いておきます。
 今日の内容もかなり大雑把なダイジェストですので、ぜひ興味のある方は原典に当っていただきたいと思います。
 また、原典の内容もいろいろなヴァージョンがあり、今日紹介する内容と食い違う点も多々あることをご了承ください。
 さて、まず、宮下文書(富士古文献)における「寒川」の基本情報です。まず、同文書に含まれる古地図などによると、当地方では「桂川=相模川」のことを「寒川」と呼んでいたことが分かります。
 そして、その「寒川(桂川=相模川)」流域とそれに囲まれる地域全体を「相模」「相模河原」「相模原」などと呼んでいたことになっています。
 面白いのは、かつてはここ富士吉田のあたりを含む、今で言う「郡内地方」は相模の国であったという記述です。
 たしかに今でも、いわゆる「国中地方」(甲府盆地を中心とする地域)と「郡内」とはずいぶん文化や言語が違います。「べえ」を使ったりするのはその一例です。生活圏的にも、どちらかというと関東平野の方に意識が向いていますね。
 昨日書いたように、「寒川」と「相模」は言語学的にもほとんどイコールと捉えることが可能ですから、太古には丹沢山塊を囲む地域に「サンガ(サムカ)」文化圏があったと考えると面白いかもしれませんね。
 そして、昨日も少し触れましたが、「サムカワヒコ」という神様は、宮下文書ではツキヨミの息子であり、そして「オオヤマツミ」と同神であるということになっています。
 つまり、イメージとしては、日本一の富士山に、日本中の山を司る「オオヤマツミ=サムカワヒコ」がましまして、山の生活を中心とする一大文化圏があったという感じです。
 そうすると「山窩(サンカ)」との関係も気になってきますよね。いや、ちょっと想像を膨らませすぎでしょうか。
 さらに宮下文書には、ある意味トンデモな記述が続きます。
 その「旧相模国」の一部が甲斐国に編入されたという記録です。今の山梨県と神奈川県の県境のようになったのはその時ということですね。相模国の小国都留高座郡の一部を甲斐国都留郡としたということです。
 それが大化5年(649年)。その頃には今の富士吉田市明見に寒川大明神があり、その後福地八幡大神と改称したとあります。
 さらに延暦の富士山の噴火(800年)で明見(阿祖谷)が壊滅的なダメージを受け(科学的には証明されていません)、福地八幡大神(寒川大明神)の機能を、現相模国一宮寒川神社に遷し、里宮としたとされています。
 それが延暦21年(802年)のことであると記されているので、もしそれに従うと寒川神社の創建は802年ということになります。現在、寒川神社側ではそのような(トンデモな)記録を全く相手にせず(知らないことはないはず)、創建は不詳ということになっています。
 公式記録としては「続日本後紀」に初登場するそうで、その記事は846年のことですから、まあ宮下文書の伝承とは矛盾しないことになりますね。
 宮下文書によると、さらに富士宮の大宮浅間大社、三嶋大社、甲斐一宮の浅間神社、また北口本宮冨士浅間神社などもルーツは明見にあった宗廟群「阿祖山太神宮」であるということになっており、まあ、そこまで行くとどうしても「トンデモ」感が強くなってしまって、私もさすがについていけなくなってしまいます。
 しかし、これが捏造された歴史であったとしても、そういうウソをつかねばならない事情があったことはたしかで、それはそれで真実の歴史であります。私はそういうスタンスで歴史をとらえる人間ですので、単にアカデミックに正しい間違っている、本当だ嘘だというようには片付けたくないですね。
 いずれにせよ、ある時期に、当地方(富士北麓地域)では相模の寒川神社に何らかの思い入れ(片思い?)があったのはたしかです。
 延暦の噴火で危険にさらされた宮下文書は書き写されて、相模の寒川神社に保存されていた時代もあったとのこと。しかし、馬入川(相模川の異名)の氾濫でそれらも流されてしまった…宮下文書などの偽書(と言われる種類の文書)にありがちな、自然災害による喪失という「物語」もここにはしっかり積み重なっています。足利氏による焚書など人災ももちろん(笑)。
 またいつか続きを書きますね。

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2015.02.08

「寒川」の謎(その1)

94_7 日は横浜のゲーテ座にてバッハの世俗カンタータを演奏してきました。解説の朝岡聡さん、歌手の皆さんの素晴らしいパフォーマンスのおかげで、演奏している側も本番が一番楽しめました。
 その雰囲気がお客様にも伝わったのか、大変喜んでいただけたようです。ご来場くださった皆さま、ありがとうございました。
 また、私のような者を演奏者に加えていただき、大変恐縮です。本当にありがたいことです。
 さて、コンサートの話はここまでにして、行き帰りの車の中で考えたことを備忘として書き残しておきます。
 今回、横浜に行くにあたって、初めて中央道→圏央道→東名高速というルートを使いました。ここ富士北麓からは、今まで御殿場回りで一般道も使いながら行っていたのですが、とうとうほとんど全て高速道路で横浜まで行けるようになりました。
 距離としては7キロほど遠回りになり、河口湖インターから横浜町田インターまで70分ということで、それほど時間短縮にはならないけれども、快適性はずいぶん向上したと思います。
 で、今回初めてそのルートで走ってみて気づいたのは、このコースが「桂川→相模川」沿いに走っているということです。
 相模川(桂川)は山中湖を水源とし、その後忍野、富士吉田、都留、大月、上野原などを通って、相模湖、津久井湖、そして相模原、厚木を南下して相模湾に注ぎます。
 つまり、富士山の雪解け水が北側を迂回して太平洋まで流れるという、ちょっと珍しい川なんですよね。
 で、ワタクシとしてはですね、「寒川」という言葉がひっかかるわけです。そう、もうすぐ圏央道も「寒川北」まで伸びますよね。今日も帰りに寒川神社に立ち寄りました。
Th_img_5690 寒川神社…言うまでもなく相模国一宮です。しかし、その存在は謎に満ちています。だいいち、祭神である「寒川比古命・寒川比女命」の素性が分かっていない。記紀に出てこないし、他の神社で両神を祀っているところがほとんどない。
 実は富士吉田市にはあるんです。下吉田の福地八幡神社です。この神社はもともと明見の地にあったものとされており、かつては寒川大明神と呼ばれていました。
 富士北麓の寒川大明神と相模の寒川神社の関係は実に謎に満ちています。例の宮下文書にも「寒川」はたくさん出てきます。といいますか、相模の寒川神社は里宮で、その大元たる山宮はかつての明見の寒川大明神であったとさえ書かれているんです。
 宮下文書の保存史にとっても相模の寒川神社は重要な役割を果たしています。そのへんは、『富士王朝の謎と宮下文書』をご覧くださいませ。
Th_img_5691 ちなみに、本家寒川神社でも「不明」とされている「寒川比古・比女」ですが、宮下文書にははっきりその系譜が記されています。
 「寒川彦(宮下文書ではこのような表記)」はツキヨミの息子、「寒川姫」はスサノヲの娘ということになっているんですね。たしかに非常に重要な存在です。もしかすると、記紀はアマテラスの権威を持ち上げるために、寒川両神を幽閉したのかもしれません。というか、宮下文書が大和朝廷に反抗的なんですよね(笑)。その勢力が相模川に沿って相模の国まで及んでいたということでしょう。
 ところで、「相模(さがみ)」という国名の由来も不明とされていますけれど、私の読みとしては、「相模」と「寒川」は関係していると思います。
 というのは、「さがみ」は「さがむ」と表記されている場合もあって、すなわち「さが」が語根であると想像されるわけです。そして、古い日本語の発音として(分かりやすく書くと)「シャングヮ(さんが)」と「シャムクヮハ(さむかは)」は非常に近いと言えます。
 ちなみに吾妻鏡には、寒川神社が「佐河大明神」と表現されています。まさに「さが」ですね。
 そのへんを今後しっかり調べあげていくつもりです。幽閉された神の復権の時代が来ているのです。
 そう言えば、以前御来光の道〜レイライン〜という記事にも書きましたとおり、相模の寒川神社は富士山の真東にあります。すわなち、春分、秋分の日には、寒川神社から富士山に沈む太陽を見ることができるというわけです。これにも当然特別な意味があると思います。
 実に面白いですね。

Amazon 日本の聖地文化: 寒川神社と相模国の古社


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2015.02.07

「ギャフン」の語源

↓これには「参った」(笑)
20150207_151837 業である問題を解いていたところ、本文に「ギャフンと言わせる」という言葉が出てきました。こんな言葉とっくに死語になってるのかなと思いきや、中学1年生のほとんどが知っていました。やはりマンガなどに出てくるようで、意味も「参った(と言わせる)」とちゃんと説明してくれました。
 ちょっと嬉しいような、ほっとしたような…我々昭和の少年たちはしょっちゅう目にしていましたね。しかし、実際に「ギャフン」とも言わないし、「ギャフンと言わせてやる」というような言い方もした覚えがありませんし、誰かが実際に「ギャフン」と言ったのを聞いた記憶もありませんね。
 いったいこの「ギャフン」という言葉、なんなんでしょう。擬音語なのか、擬態語なのか…謎です。
 ちょいと調べてみると面白い説が出てきました。
 「捕らえられた大塩平八郎が『義や憤なり。悔しきかな』と言った」
 これはどうでしょうね。「憤なり」という形容動詞の例がないので、こじつけという感じがします。大塩平八郎の乱は1837年。たしかに「ぎゃふん(ギャフン)」が文献に現れるのは明治時代以降ですので、つじつまが合わないことはないのですが、実は「ぎゃふん」より早く「ぎょふん」という言い方が江戸時代から使われているのです。
 日本国語大辞典によると1766年の俳諧に「隠居きゃく留てくんなにぎょふんとし」という例があるのだとか。
 この俳諧の意味は、ちょっとよく分かりません。隠居客とはなんでしょうか。隠居とは刑罰の「隠居」なのでしょうか。誰か教えてください。しかし、どうもこの「ぎょふん」は今の「ぎゃふん」と同じような「参った・お手上げ」といった意味だと説明されています。
Th_20120713_6066_t で、「ぎょふん」「ぎゃふん」の語源ですが、「ぎょ+ふん」「ぎゃ+ふん」と考えるのが分かりやすい。つまり、「ぎょ」「ぎゃ」は「ぎょっ」「ぎゃあ」という驚きの副詞(感動詞)、「ふん」は「ふむ」と同じく納得の副詞(感動詞)と捉えるのです。
 「ぎゃー!」と悲鳴を上げつつ、「ふ〜む…」と観念してしまう。その一瞬の心の動きを一語で表現してしまったのが「ぎゃふん」や「ぎょふん」ではないかと。
 これは私のアイデアではなく、ネットに転がっている説ですが、まあなんとなく納得できますね。
 「ぎょっと」という表現は17世紀末から文献に現れ、「ぎゃあ」は明治以降というのも、「ぎょふん→ぎゃふん」の傍証になります。
 もしこの説が正しいとするならば、「ギャフンと言わせる」というのは、「ぎゃー!ふ〜む…」と言わせようとしているわけですから、「ギャフン」は擬音語と言ってもいいことになりますね。
 というわけで、50年来の謎がいちおう解けました(笑)。
 


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2015.02.06

『黒幕、N氏のこと』(丸山熊雄の仲小路彰評)

Th_img_5646 日紹介した天才ピアニスト原智恵子のことを調べています。彼女自身のことももちろんですが、やはり彼女の友人であった天才哲学者仲小路彰のことが気になります。なかなか記録に残っていない人なのです。
 で、このたび、フランス文学者の丸山熊雄の「1930年代のパリと私」という本を手に入れて読んでいたら、仲小路彰に関するすごい文章を見つけました。
 ある意味ここまで書いてあるものは珍しい。とは言え、仲小路彰とは書かれていません。「N氏」てす。しかし、これは間違いなく仲小路のこと。ここまで書いてあっても、やはり名前は明かせないというところが、まあすごいし、なんとも不思議ですね。
 同時代人の丸山が戦前、戦後の仲小路についてどのように感じ、また聞いていたのか、非常によく分かる文章です。というか、仲小路彰がどれほどの天才であり、どれほど影で日本を動かしていたかよく分かります。短いものなので、ぜひお読み下さい。
 文中、河口湖とあるのは山中湖の間違いですね。また小島とは小島威彦のことです。

  黒幕、N氏のこと

 その頃の日本では、同志というと大袈裟なことになるけれども、同じような考え方をし、いろいろ経歴は違っても、哲学畑の連中、それから日本史をやった連中、国文学をしてる連中が集まって、そうはっきりした形はとっていないけれど、集団のようなものが出来かけていたんですね。ところが、この集団には、実は黒幕がいるんです。この人は今も健在で大変な人物なんです(一九八四年死去)。この方の発表したもので、初期のものは別として、一つも名前が表に出ていないんです。何々研究所というのでね。ですから、その頭文字だけとってN氏と言っておきましょう。僕も日本へ帰って来てから非常に親しくして、僕が小島の一派と別れてしまっても、なおN氏とは交捗(原文ママ)があって、東京が空襲で危なくなり、この方が河口湖のほうに疎開なさる、それまでずっとお付き合いしてるんです。非常にいろいろのことを教えられたんです。このNという人が、黒幕って言葉はあんまりよくないけれど、黒幕なんですね。
 どうしてN氏を持ち出したかというと、このN氏の話をしないと、小島の動きも解らないし、その他いろんなことがはっきりしないんです。このNという人は、大正時代に大臣をした有名な人の息子さんで、東大の哲学を出てるんですね。卒業論文はイスラムの問題を扱い、これ出版されたらしいんです。僕は話を聞いただけで読んでないんですが、その卒業論文か、その後のものか知りませんが、『砂漠の光』という題名の本が出版されているようです。それで想像がつくように、このN氏が、そういった時期に哲学をやったあと、左翼の連中とも相当親しくし、そのほうの理論家の一人でもあったんですね。それから例えば、大きな出版社の顧問なんかして、いろんな本を出版させているんで、文学界というか文壇というか、その陰にもいるわけですね。文学とか思想ばかりでなく、政界、財界にまで影響力を持ってるんです。どうも本人ははにかんで・・・・・テレて、あまりはっきりした事おっしゃらないんですけれど。大変な博学でね。戦争が始まると、『世界興廃大戦史』つまり世界の変革をもたらしたような大きな戦争の歴史をですね、全百巻というんで百巻全部出たかどうか知りませんけど、僕が戴いたのが三十冊ぐらいありますがね。その他に一番新しいのでは、日本が戦争に負けると無論満州から引揚げてきますね。満鉄というのは前にもお話しましたけど、ソヴィエトに対するスパイ活動のセンターみたいだったんですね。満鉄の調査部というのはソ連研究をやっていて、日本が負けるとその資料全部を日本に持って来て、これをN氏に渡してソヴィエト革命史を書かせる、そういう人物なんですね。外国語も何箇国語出来るのか解らない、天才的な人です。
 本読むのなんか早くってね。目の前でぱっぱっとページを繰るんですが、それで頭に入るらしいんです。それでふだんは、皆と一緒にコーヒー飲んでおしゃべりしてんですよ。そして十時頃になると、それじゃって別れて、翌日会う時には原稿出来てるんですね。そういう人の存在することを知ってますから、僕、大抵の人間何とも思わないんです。名士だとか大家だとかと会ってもね、ふうん・・・と思ってるんです。
 彼は周囲の人、どんな人にでも、各々の役割というものを考えて、それこそやくざ・・・のような人間からですね、有名な政治家とか学者とかそういう人にも、全く同じ調子でやるんですよ。会って相手を喜ばせてしまう、そういう人物なんでね。ですから各々の人に、現在の境遇の中でどう動いて貰ったら一番いいか、自分が考えてる理想を実現するために、適当に役割を与えていく、という存在なんです。
 僕はこのNという人と、まる二年位親しくお付き合いしたので、いろいろ教えられることがありました。簡単に言いますと、ヴォルテールというのは不可解な複雑な人間ですけど、ヴォルテールの性格というものをある程度つかむことが出来たと思うのは、N氏という人物が頭の中にあって、ああなるほど・・・・と解った点が多いんですね。
 実はごく最近、このN氏のことを全く思いがけないところで聞いたんです。パリ時代の仲間の一人鈴木啓介君が亡くなって、その一周忌がこの(一九七九年)夏ありましたが、彼は証券会社の社長でしたから、大手の証券会社の社長、会長、それから取引先の銀行の頭取とか来てまして、かわるがわるスピーチをやるんです。この時に山種証券の社長だったと思うですが、この人は鈴木君と一番親しかったそうで、スピーチをやったんですが、それを聞いて僕は、はっと思ったんです。それはこのNさんの名前をあげて、いまだに毎年ね、年頭教書みたいなものを秘密に出すんですね。そしてそれを政財界の人は、直接彼に会わないでもそういうものを分けて貰って、今年の世界の動向ってものを占うっていうんです。そして社会党の幹部の一人も、実際に名前をあげて、故人、つまり鈴木君がこういう方の教えを仰いで、証券界では最も進歩的な動きをした人だったというようなことを言ってました。なるほど、こういうところまで影響力が及んでるんだなと思ったことです。
 で、たまたまそういう人が存在して、小島さんは「あなた行ってらっしゃい」って言われたかどうか知らないけど、アフリカを廻ってパリへやって来たわけです。


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2015.02.05

沙漠緑化の父『遠山正瑛』(富士吉田出身)

Tooyama_seiei 東問題の解決には砂漠緑化が必要だ、日本にはその技術がある…というようなまじめな話を娘にしたら、「イスラム国 クソコラ笑って 草生やせ」という一句を詠みやがりました(笑)。うまい!座布団一枚!(「草生える」はネットスラングで「笑う」という意味です。すなわち「www」を草の象形と見るわけです)。
 と、ちょっと導入は不謹慎ですが、冗談抜きで中東問題は環境問題です。経済的にも宗教的にも政治的にも。
 皆さん、ご存知のとおり、中東は石油の宝庫。もちろん石油は動物の死骸からできます。つまり太古はそれだけ動物がいたということです。すなわちそこは森林であったと。
 世界四大文明の場所は例外なく砂漠化しています。すなわち人間の文明は森林を伐採することによって生まれるのです。
 そういう意味で、日本の「文化」はすごい。「文明」ではなく「文化」。cultureの語源は「ciltivate」ですね。「耕す」です。日本は充分に文明的ですが、しかし文化が勝っているから、こうして国土のほとんどが森林なのです。
 日本にとっては森は神。手入れして守るのは当たり前です。一方、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教は砂漠の宗教。森(つまり水)の取り合いから生まれました。今の争いもそこを起源としています。
 だからこそ、砂漠をもとの森林に戻すことが大切であり、それができるのは日本であると言ったわけです。
 そんな砂漠の緑化の父と言われる人がいます。本人は砂漠ではなく「沙漠」という字にこだわったようですから、ここからは「沙漠」と書きます。
 我が富士吉田出身の偉人と言えば、ワタクシの趣味的にはプロレスラーの武藤敬司さん、フジファブリックの志村正彦くんということになりますが、実は彼ら以上に偉大な方がいます。それが、沙漠緑化の父「遠山正瑛(せいえい)」さんです。
 そう、遠山正瑛さんは、今、志村正彦くんが眠っている大正寺の出身なんですよ。不思議な因縁を感じます。
 遠山さんは、中国やモンゴルをはじめ世界中で感謝され、尊敬されています。その業績については、富士吉田市のホームページをご覧ください。2002年にはNHKのプロジェクトX挑戦者たちでも「運命のゴビ沙漠 ~人生を変えた三百万本のポプラ~」として紹介されました。
 そうそう、今年度ウチの中学の3年生は学年合唱で「予感」を歌ったんですが、この「予感」という平成14年度のNHK合唱コンクール課題曲は、遠山さんの思いを歌ったものなのです。

 富士吉田の人たちもあまりこの偉人のことを知りません。また、多くの中学生が「予感」を歌っていますが、これが遠山さんの歌であることを知らないかもしれません。
 私たち富士吉田に縁のある者は、遠山さんの遺志を継いで、世界に苗を植えていかなければなりませんね。私も具体的に動いていこうと思っているところです。こういうご時世だからこそ。

Amazon 沙漠緑化に命をかけて

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2015.02.04

坂本真綾 『幸せについて私が知っている5つの方法/色彩』

20150205_93723 ょっと重い話が続いたので軽めに。
 先日買った防災ラジオで、本当に久しぶりに(貧弱な音の)ラジオ生活に入っております。
 で、寝る前に布団の中でFM-NHKを聴いておりましたら、坂本真綾さんのニューシングル「色彩」がかかっておりました。
 なかなかいい曲だったので、YoutubeにMVでもないかなと思ったら、ない。公式サイトで少し聴けました。作詞は坂本さん本人。
 今回は両A面ということで、もう1曲の「幸せについて私が知っている5つの方法」は短めですがMVがあります。こちらもいい曲ですね。作曲は日本でもおなじみになりつつあるスウェーデンのRasmus Faberさん。彼は日本のオタク文化好きそうですね(笑)。

 坂本さんの澄んだ歌声はどこか北欧の空気を思わせるところがありますね。ナイス・コラボレーションでしょう。
 フェイバーさんはストックホルムの出身。ストックホルム、坂本真綾さんとくれば、フジファブリック…と思った方もいらっしゃるでしょう。
 以前、こちらで坂本真綾さんの「うちゅうひこうしのうた」を紹介しまして、そこに、志村正彦くんと坂本真綾さんの関係について書きました。
 もし志村くんが生きていたら、きっと真綾さんに楽曲提供していたでしょうね。ぜったい。そんなことを思いながら、この曲たちを聴きました。
 私はアニメもゲームもよく知らないのですが、坂本真綾さんの声にうっとりしたことがあります。それは…プラネタリウムのナレーションです。(人工の)星空にマッチするんですよ、彼女の声。
 ところで「幸せについて私が知っている5つの方法」というタイトル、まるで出版業界の流行りのような感じですけれど、さて、その5つの方法とはなんなのか…歌詞を読むと「えっ?どの5つ?」という感じで面白い。しかし、「誰かのこともっと幸せにできたなら 私も幸せになれる」というのはお釈迦様の教えと同じですね。私も同感です。というか、私は5つではなくたった1つだと思っています(幸せになる唯一の方法)参照)。
 最後に、50のおじさんは、実はカップリングの(3曲目の)「君の好きな人」が一番のお気に入りです。

Amazon 幸せについて私が知っている5つの方法/色彩


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2015.02.03

『イスラーム国の衝撃』 池内恵 (文春新書)

2q 分。鬼を退治するだけでいいのか?…という話はこちらをお読みください。
 イスラム国もしかり。アメリカ的な正義感で殲滅すればいいというものでは、もちろん、ない。
 かといって、単純にイスラム国にシンパシーを抱いたり、あるいはアメリカが悪い、ユダヤが悪いというような陰謀論的発想になってもまずい。
 あるいは、左翼の残党が意識的、無意識的にそこに乗っかるのもダメ。あたりまえです。
 しかし、ある意味、今の日本では、そういった極論というか、勝手な物語を作ってしまう人が多い。敵対国の内部分裂も彼らのシナリオの一部です。
 やはり、ちゃんと勉強しないと…という意味では、この本は必読でしょう。
 見事なタイミングで発売されましたね。もちろん、日本人の人質問題が表面化する前に書かれたものですが、池内さん、ある程度想定していたのではないでしょうか。
 それほどに、この本の内容は現状を納得させるに充分です。最低、これを読んでから、いろいろ論議したいですね。
 ちなみに未来学大好きな私が最も気になったのは、現在の進行が見事に彼らのシナリオ(物語)どおりということです。日本もそこに仕組まれていたのだなと。

「グローバル・ジハード」
( )内はそのシナリオどおりに起きてしまった(誘導された)ことです。

2000〜2003 目覚め (2001 9.11同時テロ)
2003〜2006 開眼 (若者のジハード参加)
2007〜2010 立ち上がり (治安の乱れ)
2010〜2013 復活と権力奪取と変革 (2011アラブの春)
2013〜2016 カリフ制国家の宣言 (2013イスラム国)
2016〜2020 全面対決
2020 最終勝利…世界のカリフ制イスラム国化

 おいおい、2020年なのか!東京オリンピックどころの騒ぎじゃないですね。いやいや、東京オリンピックを無事開催しなければ。
 つまり、日本は別のシナリオ(物語)を作らねばならないということです。それも単なる対抗ではなく。
 宗教的な意味でも、また政治経済、科学技術的な意味でも、それができるのは日本だけであると、真剣に思います。
 私の頭の中にも、いろいろ具体的なことが浮かんでいるのですが、それよりなにより、やはりこういう時こそ、イスラム、中東の専門家でもあった天才仲小路彰の言葉を復活させたいと思っています。
 ちなみに現代のイスラム研究家の系譜はほとんど(潜在的にですが)仲小路彰から出ています。

参考 『現代アラブの社会思想〜終末論とイスラーム主義』 池内恵

Amazon イスラーム国の衝撃


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2015.02.02

組曲「アブデラザール」よりロンド(パーセル)

 スラム教とキリスト教との関係に改めて関心が寄せられている昨今であります。イスラム国による人質事件なども、ある意味では「イスラム教のリベンジ」の意味合いもあることでしょう(すなわち十字軍撃退の再現)。
 仲小路彰は鋭く指摘しています。実はヨーロッパの文明、特に科学や哲学は十字軍の敗退によってイスラム的思想、思考法が輸入されたと。そういう視点も必要ですね。
 今はどうか分かりませんが、ヨーロッパでは古くはそうしたイスラム教世界に対する敵意とも憧れともとれる不思議な感情を持っていたようです。
 このパーセルの名曲もそんな背景のもとに作られたものでしょう。
 「アブデラザール」とはイスラム教国の王女の名前。そして、この曲の副題は「ムーア人の復讐(リベンジ)」です。
 ムーア人とは北西アフリカのイスラム教徒を指す言葉です。スペインはかつてはムーア人が支配していました。有名なアルハンブラ宮殿もその遺跡ですよね。
 実はアブデラザールのお父さんはムーア人の王でしたが、スペインのレコンキスタ(キリスト教の国土回復運動)によって滅ぼされました。スペイン王国にとらえられたアブデラザールは密かに「復讐」を図りますが、あと少しというところで結局夢と終わってしまう…そういうお話です。
 そのお話にパーセルが音楽をつけたのがこの組曲。そして、序曲に続く2曲目がこの有名なロンドです。
 最近ではダイハツミラのCMで使われていますね。また、ブリテンの青少年のための管弦楽入門でテーマとして使われており、小学校や中学校の音楽の時間に一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
 このたび我が中学の弦楽合奏部でこの曲を練習することにしました。パーセルらしく中声部は謎の動きをします(アンサンブルするまでワケがわからない)。テーマに現れる「減4度」の響きがどこか「アラブ」的、「イスラム」的な雰囲気を醸し出していますね。
 かつて私も全曲演奏したことがありますが、その時はその物語の内容や歴史的事実を知ることなく、ただただ「いい曲だな」という感じでした。
 いろいろ知ると違ったものが感じられるようになってくるから面白いですね。
 組曲全曲はこちらの動画でどうぞ。なんとも哀しい物語なのですね。


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2015.02.01

『日本人改造論-父親は自分のために生きろ』 ビートたけし (角川oneテーマ21新書)

Unknown 「本じゃ自分で自分を守りなさいって言っといて何の武器もよこさないから、向こうからいきなり銃とかつきつけられたら全然抵抗できない」「台風の日なんかに釣りやっててさ。船が助けに来てくれないもんだから自衛隊に救助されたなんてあるでしょ。オレだったら言っちゃうよ。こんなんもの死んじまえって。そんなもん見放しちゃえって」
 1999年に出版された本の再版ですが、このあたりのたけし節は、ここのところのイスラム国人質事件にも通じるところがありますね。同感です。
 あまり騒がないことですね。在外日本人の誘拐、殺害というのは毎年けっこうな数発生しています。特に特別に危険な地域に無防備で行くのは、たけしさんの言うように、冬山登山や台風の時に用水路を見に行くといったものと同じと思った方がいい。しょうがないねと。
 東日本大震災や御嶽山の時もそうでしたが、ああいうことがあって初めて気づくことは多いけれども、必要以上に恐れたり、萎縮したりする必要はありません。
 テロと自然災害をいっしょにするなと言われそうですが、日本人の災厄観ってずっとそんな感じだったんですよ。そこも大切にしなくては。
 この本で語られている「昭和の男」の話もそうです。昭和なんか今で言うテロや誘拐なんか日常茶飯事だった。私の少年時代の記憶もそんな感じ。高度経済成長期の東京で育ったんで。交通事故や公害も含めて、まるで自然災害のような理不尽な「死」が案外身近にあった。
 それでも外に出て遊ぶわけで、そこには子どもなりのある種の「覚悟」や「諦め」があったんですよ。
 ま、結局「平和ボケ」ということになるんでしょうか。いや、今回も大多数はあまり動揺してないのかな。マスコミが騒ぎすぎなだけか。
 私としては、イスラム国のおかげで(なんて書くと不謹慎になるのかな)、改めてイスラム教について、あるいは中東問題について勉強するようになりました。そういうタイミングだったのでしょうか。
 東京オリンピックのこともありますし、このあたりでこの問題をある程度片付けておく(すなわちイスラム諸国との友好関係をさらに深化させる)ことや、テロ対策(国民の意識も含めて)を現実化しておくことも必要でありましょう。
 ところで、このたびこの本が再販されるにあたって、あえて「父親は自分のために生きろ」を副題として選んだのは興味深いですね。初版のころには強調されなかった部分だと思います。
 それだけ、21世紀のパパたちは「子どものため」に生きているんでしょうね。ま、昭和のオヤジは「会社のため」でしたが。
 いずれにせよ、たけしさんの、ちょっとユニークな視点でありながら本質をえぐる話は、時代を超えた普遍性があります。1時間もあれば読めてしまいますが、心に残るモノは多いと思います。

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