« 『右翼と左翼はどうちがう?』 雨宮処凛 (河出文庫) | トップページ | 『評伝 笹川良一』 伊藤隆 (中央公論新社) »

2015.01.12

三嶋大社

Th_img_5332 方、急に家族で三嶋大社をお参りすることにしました。全く予定外の参拝。
 というのは、お正月に静岡でレンタカーを借りたんですが、その時上の娘が車内に帽子を忘れてしまったんですね。その車がもう次の日には三島に乗り捨てられていて、帽子も一緒に三島まで旅をしてしまったのです。
 それをいつか取りに行こうと思っていまして、それが突然今日になったというわけです。
 いや、もう一つきっかけがありました。今日、下の娘の中学入試の発表がありまして、まあウチの学校なわけですが一応なんとか合格したんですね。
 で、その下の娘の名前が「コト」にちなんだ神様の神社にお礼参りに行こうと。なら、事代主かな。事代主と言えば三嶋大社ですよね。
 ついでに、ウチの大人気猫の「シロー」さん、それから数年前に亡くなった黒猫「ヤエ」モンのことも思い出しちゃいました。三嶋大社のご祭神は大山祇命と積羽八重事代主神なんですよね。「ツミハヤエコトシロヌシ」。ヤエとコトとシローが入っているぞ(笑)。
 ま、私たちの行動なんて、いつもこんなノリなんです。スミマセン。
Th_img_5330 無事帽子とも再会し、かなり暗くなった三嶋大社境内へ。まだお正月シーズンなのか、はたまた三連休だからか、屋台も出ていましたし、大仰な賽銭箱もありましたが、それぞれちょうど店じまい。賽銭箱もカバーがかけられ、屋台では片づけが始まっていました。
 祭神がオオヤマツミなのかコトシロヌシなのか、それはまあどうでもいいとは言いませんが、それほど重要な問題ではありません。
 コトシロヌシは平田篤胤が言い出したことらしいので、それほど古い伝承ではありませんね。オオヤマツミというのも、おそらくは富士山(浅間神社)との関係で登場してきたのでしょう。
 「ミシマ」の神はもっと古い神様でしょう。富士山の「アサマ」の神よりも古い。
 というのは、「ミシマ」というのは今でこそ「三島」「三嶋」と表記されますが、もともとは「御島」であったと思われます。つまり「島の神」が祀られていたと考えられるわけです。
 では、その「島」とはなんぞやということになると、一般的には「伊豆諸島」のどれかか、全体ということになっています。
 しかし、私はそうは考えていません。だいたい、伊豆諸島だとすると、なんでそれらが見えないあの地に鎮座しているか。
 そうしますと、「島」とはずばり「伊豆半島」ということになります。
 えっ?「半島」でもいいの?と思いますよね。
Th_2 それがですね、実は、古くは伊豆半島は「島」だったのです。ご存知の方も多いと思いますが、ちょうどインド半島が大昔は島で、どんぶらこどんぶらこと北上してユーラシア大陸に衝突し、そのしわ寄せがヒマラヤ山脈になったように、伊豆半島も南洋からどんぶらこと北上してきて、本州にドカンとぶつかったわけです。そして、しわ寄せは箱根あたりになったと。それが100万年くらい前のこと。
 そのため、伊豆の植物相は本州とは違います。なんとなく人種も違うような気がします。
 そのような記憶もあって、伊豆半島は「古い島の神様が漂着した」ととらえられるようになったのではないかというのが私の推測です。
 ちなみに「いづ」という名称も「出づ」ではないかと思われます。出っ張りですね。すなわち、「島」から「伊豆」になったということです。
 富士吉田の明見に残る宮下文書(富士古文献)には、伊豆はもともと島で、それが地震を伴って本州とつながり「出張嶋」になったという記述があります。
 超古代文書と言っても今残っているものは明治期に書かれたものですから、もしかするとウェゲナーの大陸移動説に影響を受けたのかもしれませんね。伊豆半島の成り立ちがいつの時代に明らかにされたかも調べなければなりません。
 ま、それはいいとして、とにかく半島とは言え、「島」は「島」だったわけで、そう言えば、源頼朝も伊豆に「島」流しになりましたね。やっぱり「島」だったわけです(そんなこと言ったら、甲斐の国も流刑地でしたね…こちら参照)。
 今日はそんな太古の「島の神様」を感じながらの参拝。私のトンデモな「勘」は当たらずとも遠からずのようでしたよ。

|

« 『右翼と左翼はどうちがう?』 雨宮処凛 (河出文庫) | トップページ | 『評伝 笹川良一』 伊藤隆 (中央公論新社) »

旅行・地域」カテゴリの記事

歴史・宗教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 三嶋大社:

« 『右翼と左翼はどうちがう?』 雨宮処凛 (河出文庫) | トップページ | 『評伝 笹川良一』 伊藤隆 (中央公論新社) »