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2015.01.13

『評伝 笹川良一』 伊藤隆 (中央公論新社)

Th__20150113_160301 年時代の私にとっては、「世界は一家、人類は皆兄弟」「一日一善」と叫んでいた目のギョロッとしたおじいさん。
 その後、大人になってからは、右翼、A級戦犯、日本のドン、裏のボス、偽善者、フィクサー、色好み…どちらかと言うと悪いイメージを植え付けられました。
 大概、大きなことを成し遂げた男は、同時代には悪評されるものです。そこには、ある種の妬み、ジェラシーが絡んできますよね。男の嫉妬は怖いですよ(笑)。
 しかし、昭和も遠くなり、いよいよ彼ら「悪人」の名誉回復の時が来ているように感じます。すなわち、歴史の研究対象になって初めて、偉人は報われる。
 逆の言い方をすれば、生前の評価なんか気にしないどころか、批判、非難されるくらいでなければダメだと開き直るくらいの大人物でないと、歴史には名を残せないということですね。
 歴史学界のドン…なんていうと怒られちゃいますかね、いや実際に保守系の歴史学の世界では圧倒的な業績と力を誇る伊藤隆さんによる重厚な評伝。
 淡々と資料を紹介していく学問的姿勢から生まれるのは説得力。読み物としては面白くないし、特に豪傑伝と期待して読むとガッカリするかもしれません。
 しかし、逆にそこに浮かび上がる人間笹川良一の細やかさや優しさ、純粋さに、不思議と圧倒されてしまいました。
 空への夢、国への憂い、戦犯者への異様なまでの思いやり、核兵器廃絶に始まる軍備全廃、衣食住の分配、一日一善、世界家族主義…たしかに目立つ行動も多かったけれども、その根底にあるのは徹底した利他主義のように感じました。
 そのすさまじいエネルギーは、あえて言うなら「義侠心」でしょうか。
 正直、私が外から植え付けられたイメージとは正反対の印象。実に面白い読書体験でした。
 つまり、両面持っていたんでしょうね。聖人君子ではないある意味普通の人間だったからこそ、同時代には悪い部分しか見えなかったし、実際、笹川さん自身が良い部分を強調して表現することがなかった。
 学問として、歴史として、濾過されて、たとえば文献や書簡として残るのは、こうして案外に良い部分であるわけです。
 その時代に作られた、ある種ウソの人物像は、どんどん化けの皮を剥がされ、どちらかと言うとマイナス方向に落ちていきます。その時代にはごまかしが効いても、所詮メッキはメッキ。
 その点、ホンモノは時の流れとともに、どんどん輝きを増す。笹川良一さんも、やはりホンモノだなあと思いました。
 いろいろ心に残る記述がありましたが、凡人の私としては、次の「水六訓」に感銘を受けましたね。なるほど、後半生で船舶に関わった意味はここにあったのでしょう。空から海へ。ある意味、生き物としての基本に立ち返ったのかもしれません。

一、あらゆる生物に生命力を与えるは水なり。
一、常に自己の進路を求めてやまざるは水なり。
一、如何なる障害をも克服する勇猛心と、よく方円の器に従う和合性とを兼ね備えるは水なり。
一、自から清く他の汚を洗い清濁併せ容るの量あるは水なり。
一、動力となり光となり、生産と生活に無限の奉仕を行い何等報いを求めざるは水なり。
一、大洋を充し、発しては蒸気となり、雲となり、雨となり、雪と変じ、霰と化してもその性を失わざるは水なり。

 哲学を超えて、ある種の宗教のようなスケールの大きさですね。
 「世界は一家、人類は皆兄弟」という発想は、私が唱える「Global Familism」と通底します。
 期せずして、まさに期せずして笹川さんと同じような発想に至ったのには、不思議な因縁を感じます。
 と言いますか、実は両者とも神武天皇の「八紘為宇(八紘一宇)」につながっているのではないでしょうか。つくづく日本人なんだなあと思う次第であります。
 そんな笹川良一さんの歴史的な姿と、今の自分につながる歴史の重みを知った上で、少年時代いやというほど目に耳にしたこのCMをもう一度体験してみましょうか。

Amazon 評伝 笹川良一

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コメント

ご無沙汰しています。
竹村健一氏との対談を覚えています。
「あなたはいい人なんですか?悪い人?」とズバッと竹村氏。
笹川さんはニヤっとしていました(^^;

投稿: あんりまー | 2015.01.16 18:08

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