« 『憲法対論-転換期を生きぬく力』 奥平康弘・宮台真司 (平凡社新書) | トップページ | 『日本人改造論-父親は自分のために生きろ』 ビートたけし (角川oneテーマ21新書) »

2015.01.31

平常心(びょうじょうしん)

061 日は本校の一般入試でした。
 いつものように、国語の問題のために書きました文章を掲載いたします。今まさに問題を解いている小学生に語りかけるだけでなく、ネタ的にも「全豪オープン」とか…いったいいつ書いたんだ?!的な文章ですが(笑)、よろしかったらお読み下さい。
 今、日本に、そして日本人に要求されるのは、まさに「びょうじょうしん」であると思います。


    平常心

 みなさんは「本番」に強いですか? 
 今まさに入学試験の本番中ですよね。さすがにドキドキしているのではないでしょうか。
 テストでも、スポーツの試合でも、音楽の発表会でも、ふだんの勉強や練習の成果を発揮するのは難しいものです。
 私も時々コンサートに出たりするのですが、もう何十回も経験しているのに毎回緊張してしまいます。緊張して得することはないと分かっていても、なかなか緊張が解けません。
 そんな時はまず体に変化が表れます。手がブルブルふるえたり、指先からいつもは出ない汗が出てきたり…それに気づいて心も動揺してしまうともうダメです。練習で難なくできていたことさえもできなくなってしまう。
 しかし、面白いもので、そういう時にこそ、自分というものをはっきり意識できるのも事実です。ふだん、無意識に体や心を動かしていて、それでいてなんとかなってしまう。だから、今こうしている、ここにいるのが自分だなんて考えません。それが「本番」になって、思い通りにならない自分に出会って初めて「ああ、これって自分なんだ」と思うわけです。
 さて、自分の話はいいとしまして…テニスの錦織圭選手が、全豪オープンでもすばらしい戦いを見せてくれましたね。あのような大舞台で、あのように自分の実力を発揮できるというのは、本当にすごい。
 錦織選手自身も言っています。「技術や戦略はもちろん、それを本番で発揮できる精神力が大切です」と。
 たしかに、いくら技術や知識があっても、本番でそれが使えなければ、何も持っていないのと同じですよね。
 私たちは、ふだんの技術や知識を本番で使える心の状態のことを「平常心」と呼んでいます。みなさんも聞いたことがあるでしょう。
 一流のプロ選手は、平常心を保つことができるように、特別なトレーニングをしているそうです。特に多いのが、ある特別な呼吸法を身につける訓練。呼吸を整えると心も体も乱れないのです。
 実はこの呼吸法、仏教の座禅の呼吸法からヒントを得たものです。
 みなさんは座禅をしたことがありますか? 座禅とは仏教の修行の一つで、静かに座って心と体を整えようとするものです。
 富士学苑では毎週月曜日の一時間目に全校生徒で座禅をします。また、年に一回お寺に泊まって座禅をする機会もあります。
 みなさんはお坊さんになるわけではありませんから、たとえば「本番に強くなるため」という目的で座禅をするのでもかまいません。楽しみにしていてください。
 ところで、仏教の世界にも「平常心」ということばがあります。ただし、これは「へいじょうしん」とは読まずに「びょうじょうしん」と読むそうです。
 そして、意味も「へいじょうしん」とは違うようです。「へいじょうしん」の「平常」は「日常」「ふだん」「平時」「いつも」という意味ですが、「びょうじょうしん」の「平常」はその字のとおり、「常に平ら」と考えると分かりやすいようです。つまり「びょうじょうしん」とは、「何事にも動じない心」、または「何事も受け入れる心」なのです。
 そうしますと、私になくて錦織選手にあるのは、「へいじょうしん」と言うよりも「びょうじょうしん」なのかもしれませんね。
 緊張している自分とか、失敗してしまった自分をなんとか「へいじょう」の自分にしようとすると、よけいに不自然になることがあります。そんな自分を「へいじょう」にもどそうとするのではなく、そのまま受け入れること、そんな自分もまた自分自身であると認めることが大切なのかもしれません。
 なるほど、「動じない」「受け入れる」ことが「常に平ら」であるということなのか…とは言っても、私たちは立派なお坊さんでもプロのスポーツ選手でもありません。なかなか今の自分をそのまま受け入れることはできませんよね。自分は自分なのだからなんとかなる、なんとかできると思ってしまうのも当然です。
 しかし、緊張している自分、失敗してしまった自分、不安な自分を、一度「これも本当の自分だ」と思って受け入れてみると、案外緊張が解けたり、失敗をカバーできたり、安心したりすることがたしかにあります。
 「本番」とは晴れの舞台です。決して「へいじょう」な時間ではありません。晴れの舞台はそうそうあるものではないのです。だから、ドキドキしている時というのは、今まで知らなかった新しい自分に出会って、ちょっとびっくりしているだけなのです。そう思うと、無理に「へいじょう」にしようとしなくてもいいことが分かりますね。
 さあ、みなさんも今、さっそく「びょうじょうしん」に挑戦してみてはいかがでしょうか。

|

« 『憲法対論-転換期を生きぬく力』 奥平康弘・宮台真司 (平凡社新書) | トップページ | 『日本人改造論-父親は自分のために生きろ』 ビートたけし (角川oneテーマ21新書) »

スポーツ」カテゴリの記事

ニュース」カテゴリの記事

心と体」カテゴリの記事

教育」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

文学・言語」カテゴリの記事

歴史・宗教」カテゴリの記事

音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/55913/61067277

この記事へのトラックバック一覧です: 平常心(びょうじょうしん):

« 『憲法対論-転換期を生きぬく力』 奥平康弘・宮台真司 (平凡社新書) | トップページ | 『日本人改造論-父親は自分のために生きろ』 ビートたけし (角川oneテーマ21新書) »