『恥』 太宰治
イスラム国による人質事件、政府としてはなかなか難しい対応を迫られておりますが、一連の経過を見るに、日本にはまだ「恥」の文化が残っているのだなと感じずにはいられません。
クソコラ、2ちゃんでのコメント、世間の冷めた目、親の会見やインタビューでの謝罪…この前、「人命(生存権)という人間による近代的産物を軽く超越した何か、それはとってもプリミティヴなモノなわけですが、それがこの国では重視されるようですね」と書きましたが、その何か(モノ)とは端的に言えば「恥」ということになるでしょう。
私たち日本人の、人様(不特定多数の他人に「様」をつけるところがミソ)に迷惑をかけるのだったら「死んだほうがまし」という感覚は、たしかにプリミティヴなモノです。
「死んだほうがまし」という表現、諸外国にあるのでしょうか。ないような気もしますね。「穴があったら入りたい」というのも隠れるという意味ではなく、「死ぬ」といういう意味かもしれません。
日本で「自殺」が多いのも、実はこういう「恥」の文化の延長線上にあるものです。他人さまにお世話になれば生きる道はいくらでもあるのに、そちらを選ばないで穴に入るわけです。
「旅の恥はかきすて」というのは、旅における「他人」が流動的であったからでしょう。結果、縁起する自分も流動的(情報化された現代ではそうもいきませんが)。
中には「恥」を知らない人もいます。自称「恥の多い人生」を送った人物太宰治は、たしかに人に迷惑をかけて平気な人でした。いや、平気ではなかったけれども(何度も自殺未遂をしたけれども)、それを文学に昇華してしまうずるい才能を持っていた。
しかし、やはり最後は死んでしまいましたね。日本の神は「恥知らず」を許さなかったわけですね。
ま、この芥川のまねをする若き太宰も充分恥ずかしいですけど(笑)。
そんな太宰に「恥」という彼らしい面白い小品があります。今日はそれを読んでみましょう。
これって、自分の「恥」の翻案なのか、それとも他人の「恥」の公開処刑なのか(つまり実話なのか)。後者だとしたら、とんでもないヤツですね、太宰は。ネタにされたファンの女の子、間違いなく死んでますな。残酷すぎます。
「灰をかぶる」という表現が出てきますが、これも「死」を想像させますね。
菊子さん。やっぱり、あなたのおっしゃったとおりだったわ。小説家なんて、人の
はじめから、ぜんぶお話申しましょう。九月のはじめ、私は戸田さんへ、こんな手紙を差し上げました。たいへん気取って書いたのです。
「ごめん下さい。非常識と知りつつ、お手紙をしたためます。おそらく貴下の小説には、女の読者がひとりも無かった事と存じます。女は、広告のさかんな本ばかりを読むのです。女には、自分の好みがありません。人が読むから、私も読もうという虚栄みたいなもので読んでいるのです。物知り振っている人を、
菊子さん。だいたい、こんな手紙を書いたのよ。貴下、貴下とお呼びするのは、何だか具合が悪かったけど「あなた」なんて呼ぶには、戸田さんと私とでは、としが違いすぎて、それに、なんだか親し過ぎて、いやだわ。戸田さんが
菊子さん、私は可哀想な子だわ。その時の私の手紙の内容をお知らせすると、事情もだいたいおわかりの筈ですから、次に御紹介いたしますが、笑わないで下さい。
「戸田様。私は、おどろきました。どうして私の正体を捜し出す事が出来たのでしょう。そうです、本当に、私の名前は和子です。そうして教授の娘で、二十三歳です。あざやかに
菊子さん、私はいま此の手紙を書き写しながら何度も何度も泣きべそをかきました。全身に油汗がにじみ出る感じ。お察し下さい。私、間違っていたのよ。私の事なんか書いたんじゃ無かったのよ。てんで問題にされていなかったのよ。ああ恥ずかしい、恥ずかしい。菊子さん、同情してね。おしまいまでお話するわ。
戸田さんが今月の『文学世界』に発表した『七草』という短篇小説、お読みになりましたか。二十三の娘が、あんまり恋を恐れ、
四、五日して戸田さんから葉書をいただきましたが、それにはこう書かれて居りました。
「拝復。お手紙をいただきました。御支持をありがたく存じます。また、この前のお手紙も、たしかに拝誦いたしました。私は今日まで人のお手紙を家の者に見せて笑うなどという失礼な事は一度も致しませんでした。また友達に見せて騒いだ事もございません。その点は、御放念下さい。なおまた、私の人格が完成してから逢って下さるのだそうですが、いったい人間は、自分で自分を完成できるものでしょうか。不一。」
やっぱり小説家というものは、うまい事を言うものだと思いました。一本やられたと、くやしく思いました。私は一日ぼんやりして、
戸田さんの家は郊外です。省線電車から降りて、交番で聞いて、わりに簡単に戸田さんの家を見つけました。菊子さん、戸田さんのお家は、長屋ではありませんでした。小さいけれども、清潔な感じの、ちゃんとした一戸構えの家でした。お庭も綺麗に手入れされて、秋の
「あの、小説を書いて居られる戸田さんは、こちらさまでございますか。」と、恐る恐るたずねてみました。
「はあ。」と優しく答える奥様の笑顔は、私にはまぶしかった。
「先生は、」思わず先生という言葉が出ました。「先生は、おいででしょうか。」
私は先生の書斎にとおされました。まじめな顔の男が、きちんと机の前に坐っていました。ドテラでは、ありませんでした。なんという布地か、私にはわかりませんけれど、濃い青色の厚い布地の
まるで違うのです。歯も欠けていません。頭も
「小説の感じと、お逢いした感じとまるでちがいます。」私は気を取り直して言いました。
「そうですか。」軽く答えました。あまり私に関心を持っていない様子です。
「どうして私の事をご存じになったのでしょう。それを伺いにまいりましたの。」私は、そんな事を言って、体裁を取りつくろってみました。
「なんですか?」ちっとも反応がありません。
「私が名前も住所もかくしていたのに、先生は、見破ったじゃありませんか。先日お手紙を差し上げて、その事を第一におたずねした筈ですけど。」
「僕はあなたの事なんか知っていませんよ。へんですね。」澄んだ眼で私の顔を、まっすぐに見て薄く笑いました。
「まあ!」私は
私は泣きたくなりました。私は何というひどい独り合点をしていたのでしょう。滅っ茶、滅茶。菊子さん。顔から火が出る、なんて形容はなまぬるい。草原をころげ廻って、わあっと叫びたい、と言っても未だ足りない。
「それでは、あの手紙を返して下さい。恥ずかしくていけません。返して下さい。」
戸田さんは、まじめな顔をしてうなずきました。怒ったのかも知れません。ひどい奴だ、と
「捜してみましょう。毎日の手紙をいちいち保存して置くわけにもいきませんから、もう、なくなっているかも知れませんが、あとで、家の者に捜させてみます。もし、見つかったら、お送りしましょう。二通でしたか?」
「二通です。」みじめな気持。
「何だか、僕の小説が、あなたの身の上に似ていたそうですが、僕は小説には絶対にモデルを使いません。全部フィクションです。だいいち、あなたの最初のお手紙なんか。」ふっと口を
「失礼いたしました。」私は歯の欠けた、見すぼらしい乞食娘だ。小さすぎるジャケツの袖口は、ほころびている。
「御病気は、いかがですか? 脚気だとか。」
「僕は健康です。」
私は此の人のために毛布を持って来たのだ。また、持って帰ろう。菊子さん、あまりの恥ずかしさに、私は毛布の包みを抱いて帰る途々、泣いたわよ。毛布の包みに顔を押しつけて泣いたわよ。自動車の運転手に、馬鹿野郎! 気をつけて歩けって怒鳴られた。
二、三日経ってから、私のあの二通の手紙が大きい封筒にいれられて書留郵便でとどけられました。私には、まだ、かすかに
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