「自ら」より「自ずから」
「自」という漢字。これは「鼻」の象形文字です。
「鼻」という漢字は「自」の下に、「ひ」という音を表す文字がくっついたものと考えられています。
一方、日本では「自」という漢字を「みづから」「おのづから」と訓じてきました。
この「みづから」と「おのづから」、いずれも「み+づから」「おの+づから」の形をとっていますね。
「み」は「身」、「おの」は「己」。「身」は「身共(みども)」などというように、「私」を表します。「己」は「自身」。「自身」なので、「私」のことであることも、「あなた」のことであることも、「彼」のことであることもあります。
「づから」は、「つ」に「から」がくっついたもの。「つ」は「沖つ白波」「目つ毛(まつげ)」のように、今では「の」にあたる助詞です。「から」は現代語の「から」とほぼ同じ意味です。
つまり、もともとは「みづから」=「自分自身で」、「おのづから」=「〜自身で」という意味だったと想像されます。そういう意味では「おのづから」の中に「みづから」が含まれているような感じ。
私たちの感覚では「みずから」と「おのずから」は、かなり違うイメージがありますよね。
そう、「みずから」は「自分自身で」で、「おのずから」は「自然に」という感じです。
昨日も登場した出口王仁三郎は、この「自ら」と「自ずから」の違いを強調しています。
「自ら」だと我が強いが、「自ずから」は神にまかせる感じがする。
なるほど、そのとおりですね。王仁三郎は神道家でしたから、当然「自ずから」の方を重視しました。すなわち「惟神(かんながら)」=「かみのまにまに」ということですね。
ワタクシの「モノ・コト論」的に言うならば、「自ずから」は「モノ(他者性)」、「自ら」は「コト(自己性)」ということになります。
前にも書いたとおり、「まにまに」の「マニ」と「モノ」が同源と考えられるのも偶然ではありません。
「コト」が重視される近代文明のもとにおいては、「自ら」の方が大事だとされます。人まかせはいけない。自らの意志で未来を切り拓け!と。
しかし、本来、古来の日本は「モノ」を大切にしました。すなわち「惟神」。自己より他者。
それが仏教の「無我」と親和性があって、聖徳太子以降の神仏共存の日本文化を生んだと言えましょう。
そうしますと、もともと中国語の「自」の意味をそのまま受けて「みづから」(=自分自身で)が優勢であったものが、次第に日本的な哲学、思想の洗礼を受けて、「おのづから」(=自然と)の勢力が強くなってきたのだと推測されます。
そして、また明治以降の近代化、西欧化によって、「自分自身で」の意味が強くなってきたと言えるかもしれません。
日本語には古語と現代語で意味の違う単語がたくさんありますが、このような文化的な影響をそこに読み取ると面白いことが見えてきます。
さあ、皆さんは「自ら」と「自ずから」、どちらを重視して生きますか。今の私は、明らかに「自ら」よりも「自ずから」ですね。ただ、私の場合はちょっとずるいかもしれない。人まかせというか、努力が苦手というか…(苦笑)。
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