とばっちり
最近、いや、いつでも「とばっちり」を受けることの多いワタクシであります。
「とばっちり」というと悪いイメージがあるかもしれませんが、結果としては自分の糧になることが多いので、私はそんなに嫌いではありません。
ところで、「とばっちり」という言葉の語源をご存知ですか?
まず、「とばっちり」を漢字で書くとどうなるか。漢検1級クラスの問題です。
答えは「迸」。難しいですよね。
この漢字、中国では「飛び散る」という意味で使われています。
そう、実は「とばっちり」は元々「飛び散った何か」という意味があるんです。
まず、「とばっちり」は「とばしり」の変化形だということを確認しておきましょう。「とばしり」という語は、たとえば枕草子にも出てくるほど古い日本語です。枕草子の例を見てみましょう。
水の深うはあらねど、人の歩むにつけてとばしりあげたるいとをかし。
軽く訳してみましょうか。
「水は深くはないけれども、人が歩くにつけてしぶきを上げているのがとてもステキ!」
そう、「とばしり」とは「しぶき」「飛沫」なんですね。
「とばしり」は「とばしる」という動詞の連用形から生まれた名詞でしょう。「とばしる」という動詞も枕草子に出てきます…というか、同じシーンが異本では違う表現になっているんですね。
さやうなる道のみづのふかくはあらぬがさらさらと人のあゆむにつけてなりつつ、とばしりたる、いとをかし。
これも訳してみます。
「そのような道の水で深くはないのが、さらさらと人が歩くにつけて鳴りながら、飛び散っているのが、とってもステキ!」
「とばしる」に似た言葉で「ほとばしる」というのがありますね。かなり近いイメージの語として、やはり古くから使われています。
ということは、私たちの知っている現代語で言うならば、「とばっちり=ほとばしり」ということになりますね。
いずれにせよ、「とばっちりを受ける」とか「とんだとばっちりだ」とかいうのは、まさに飛び散ったしぶきを浴びる、雨の日に車に水しぶきを浴びせられるような感じだということです。
おそらくは「飛び走り」が縮まって「どばしり」になったのでしょう。「はしる」という動詞には「水が流れる(動く)」という意味もありますし。
と、こんなふうに語源を考えてみることには、日常が非日常になる楽しみ、喜びがありますね。
皆さんにとっては、この記事自体が「とんだとばっちり」かもしれませんが(笑)。
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