させていただく
今日、職員室で「させていただく」についてちょっとした議論になりました。
「司会をさせていただく◯◯です」と生徒に言わせるのはどうかと。
年配の先生は非常に抵抗があるようでした。若い先生はそれが普通だと思っている。そして、私は…ちょうど微妙な年代でして、たしかに中学生に言わせるのはどうかと思うが、私自身はこの前の説明会でも「着座にて説明させていただきます」と言ったような記憶がある…。
皆さんはいかがですか。
最近の若者がやたらと「させていただく」を使うことを「させていただきます症候群」と呼ぶ場合もあるようですから、世間ではあまりいいことだと思われていないようですね。
これは本当に微妙な問題だと思います。
文化庁の指針によると、「させていただく」を使えるのは、相手側や第三者の許可を受けて行い、そのことで恩恵を自分が受けるという事実や気持ちのある場合だそうです。
そうしますと、「司会をさせていただく」はちょっと行き過ぎのような気もしますが、一方で「司会をします◯◯です」では変ですから、では「司会を担当する◯◯です」ということになると、なんとなく事務的な感じがして、まあ会議の場ならいいとして、お客様を迎えての会だとちょっと不躾な感じしないでもない…。
厳密に言うと、別にお客様に許可を得るべき問題ではないし、司会者自身が何か恩恵を受けるわけではない。しかし、日本人からしますとお客様は神様、「もしかするとご不満の方もいらっしゃるかもしれませんが、不肖ワタクシめが企画者さまより大役を仰せつかって、お客様皆さまの無言の許可もいただいた上で、このような高いところから目立ってしまう司会なるものをさせていただきます」という心境が湧いてきたとしても不思議はありません。
ただ難しいのは「敬意の逓減」という現象があって、あまりにていねいな敬語を使うと、逆に慇懃無礼に感じられることがあるわけですね。ご存知のとおり、「おまえ」とか「きさま」とか「てめえ」とかも元々は敬意の表現でした。
だから、ケンカした末に「ああ、わかりましたよ!もうやめさせていただきます!」という言い方もできるようになる。
若者の「させていただきます」に抵抗のある方には、実はそういう記憶があったりするものです。
日本語は英語のような論理性がないと言われます。特に主語や目的語がはっきりしないということが指摘されます。
しかし、実は日本語、というか日本人にとっては、主語も目的語も「自分を超えた存在」なのです。あえて言うならば「神」。
そのような「言葉」にならない存在がバックグラウンドにあるので、なかなか学問的には分析できず、また理解もされにくいのです(私は今、そのような観点から日本語の文法を構築しなおしています)。
「させていただく」も何が正しいかを結論づけるのは難しい。あまり決め付ける必要もないと思います。それこそ言葉にならない、決まりにならない「空気」で使い分けなければなりません。
ただ、明らかな使いすぎ(つまり心がこもっていない)、あるいは「さ入れ言葉」のような誤用はだめですよね。
ということで、本日の記事はこのへんで終わらせていただきます。ありがとうございました。
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