吉井和哉 『ヨシー・ファンクJr.〜此レガ原点!!〜』
う〜む、これはすごいアルバムです。
お世辞抜き、あるいは自分の趣味抜きにしても、素晴らしいとしか言いようがない。
こんなカヴァー・アルバムは初めて聴きました。それぞれの楽曲について語りだすとキリがないので、今日はとりあえず全体的なことを書きましょう。
ここのところ「昭和」の話が多いですね。私は自分のことを、単純に「昔は良かった」というような人間ではないと思っていますが、やはり、自らの少年、青年時代への追憶という意味も含めて、昭和の残像というのは、今の私にも大きな影響を与えています。
その残像というのは決して明るいものだけではありません。ある種の暗さ、淫靡さ、香りというか匂いというか、そういうモノもありますよね。
それこそが昭和歌謡のテイストであることは、誰しも異論のないところでありましょう。そう、夢は淫靡なモノなのです。
そうした一種の妖しさ、怪しさを表現できる歌手(あえて歌手と言いましょう)は、なかなかいません。特に男性。
その意味で吉井和哉さんは、やっぱり絶品だなと思った次第です。
そう、違った角度から言えば、昭和とは男が色っぽかった時代とも言えるのではないでしょうか。
そして、もう一つ、昭和の男と言えばロック。骨太なロック。荒魂としてのロック。
だから、このアルバムは、ちゃんとしたステレオ・システムで聴かなくちゃダメだと思いました。私の家も御多分にもれず、重厚なオーディオ・システムは物置行きになっており、パソコンにCDを挿入して、ちっちゃなモニター・スピーカーで再生するというのがデフォルトになってしまっています。
久々に、それはいかんなと思いました。実際、音作り的にも、まさに昭和の再生装置を想定したような感じです。
この前のNHK「The Covers」では、テレビの音だったにも関わらず、ものすごく「ロック」を感じました。
そう、ヴィジュアルがあるとないとでは大きな違いがあるのですよね。
ある意味、昭和は「音」の時代だったとも言えます。音楽と映像が一体化していく平成とは違う音楽世界がありましたよね。
それが「良かった」とは言い切れません。どこかにも書きましたけれど、本来音楽というのはオーディオだけでは存在できません。必ずヴィジュアルがつきまとう、いや、両者によるコラボなんですよね。
そういう意味では、レコード文化というのは、音楽史上においても非常に特殊な文化、昭和は特殊な時代だったわけです。
そのある種「異常」さが、また昭和の色になっている。面白いですよね。
このアルバムはレコーディングもアナログでしょうか。デジタルで再生してもこれだけ骨太感があるんですからね。アナログ・レコードでガンガン聴きたいところです。スクラッチ・ノイズもあればいいかも。
先日、ローリング・ストーンズを語る会でお世話になったフォトグラファーの有賀幹夫さんは、スタジオで吉井さんとこのアルバムを聴いたそうです。すごく良かったとおしゃっていました。それはそうでしょうね。うらやましい。
最後に、昭和の残像ということで言いますと、私と吉井さんは不思議な縁があり、昭和の具体的な風景や音や匂いを共有しているんですよね。そんな奥深いところでも、やっぱり私はこの歌声、バンドの音と共鳴するのだと思います。
それにしてもドリー・ファンク・Jrかあ(笑)。スピニング・トー・ホールドで始まり、終わる…もう、ほとんどギャグですね。さすがです。
砂場で友達にスピニング・トー・ホールドをかけられて、痛くもないのに悶絶した、あの昼休みのエロチシズム。
少年時代の夢は淫靡なモノ…まさに此れが原点なのであります。
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