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2014.11.30

告知! 2/8横浜ゲーテ座「バッハの音楽劇」

 日は2月8日横浜で行われるこちらの演奏会に向けて、東京で古楽アンサンブルの練習がありました。
 今回も素晴らしいプロの歌手、奏者の方々と共演させていただきます。ありがたいことです。
 フライヤーを載せておきます。とっても楽しい演奏会になりそうです。ぜひ皆さまおいでくださいませ。

Flyer571

Flyer572

 私はヴィオラ担当でありますが、なんとも珍しいことにソロがあるんですよね。二重唱のオブリガートが2本のヴィオラ。
 BWV213「岐路に立つヘラクレス」はクリスマス・オラトリオBWV248のほとんどまるごと転用。
 BWV248ではソプラノとバスのアリアに2本のオーボエ・ダモーレが絡んでいきますが、BWV213では3度下げてアルトとテノールが歌い、ヴィオラ2本が寄り添う形に編曲されているんです。
 ちょっと動画で観て、聴いてみてください。

 バッハが2本のヴィオラをソロに仕立てた曲と言えば、かのブランデンブルク協奏曲6番が有名ですよね(来年やはり横浜で5月30日に演奏します)。
 独特の響きをここぞという時に使ったのでしょうか。テレマンなんかも2本のヴィオラのための協奏曲を書いていますね(昨日紹介したグラウプナーなんか、ヴィオラ・ダモーレとヴィオラのための協奏曲を何曲か書いてます)。 
 実際このアリアを演奏してみますと、これがなかなか難しい。今日も「もうちょっと軽く」とアドバイスいただきました。ヴィオラは案外そうした表現が難しいんですよね。弾く側としては深みのある音を出したくなる。軽みは苦手な楽器なんです。
 そういう意味で、原曲のオーボエ・ダモーレのイメージで弾くのは至難の業です。完全に違ったものと考えた方がよさそうですね。
 ところで、今日の練習で、私はなんと5弦のヴィオラを演奏しました。実は他の曲ではその楽器でヴァイオリンのパートを弾くこともあります。
 また変な楽器を…と思われたことでしょう(笑)。もう少し弾き慣れたところでそいつも紹介したいと思います。頑張って練習します。


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2014.11.29

グラウプナー 『愛のシャコンヌ』

Th__20141130_95208 日紹介したグラウプナーの秘曲が好評でしたので、今日はもっともっとマニアックなグラウプナーの作品をお届けします。
 「愛のシャコンヌ」というのは私が勝手につけた名前です(笑)。
 とは言え、テキトーにそう名づけたわけではなく、この楽曲の三つのソロ楽器が「トラヴェルソ・ダモーレ(愛の横笛)」、「オーボエ・ダモーレ(愛のオーボエ)」、そして「ヴィオラ・ダモーレ(愛のヴィオラ)」だからです。
 ここまで「愛」を揃えた曲はほかにないと思います。昨年弾いたテレマンの三重協奏曲も、トラヴェルソはいちおう普通のトラヴェルソを指定したものでした。
 ヴィオラ・ダモーレについてはいろいろ書いてきましたのでいいとして、オーボエ・ダモーレとトラヴェルソ・ダモーレ(フルート・ダモーレ)について少し説明しておきましょう。
 両方ともA管、すなわち、普通のオーボエやフルートよりも数度低いのが特徴です。よって、深みのある温かい音がするんですね。それで「愛」なのだと思います。
 グラウプナーは、そんな変わった楽器のためにたくさんの作品を残しています。そういう趣味だったのでしょうか。あるいは仕えたルートヴィヒ公らがそういう趣味だったのか。
 そんなグラウプナー、当時の人気投票ではテレマン、ヘンデルに次いで第3位だったという話はこの前の記事にも書きましたが、7位だったバッハとはこんな因縁があります。
 先代のライプツィヒのトーマス教会のカントル(音楽監督)であったクーナウが死去した際、同市はまず一番人気のテレマンに後継を依頼しました。しかし、大忙しで引く手あまただったテレマンはそれを断ります。次いでテレマン並みに人気のあったグラウプナーに白羽の矢を立てましたが、ルートヴィヒが手放さず、結局ダメ。それでしかたなく、かなり質は落ちるがバッハで我慢することにしたのです。
 今では二人の評価は完全に逆転していますねえ。ナイショですが(笑)、私はバッハよりグラウプナーの方が好きですよ。
 というか、グラウプナーはあまりにマニアックな編成の曲ばかり残したので、後世なかなか演奏できなかったのです。それで忘れ去られてしまった。最近ようやく復活の兆しがあるのです。
 この「愛のシャコンヌ」も実にいい曲です。泣かせどころがたくさんある。バッハにはできませんね、こんなことは。
 では、どうぞ。楽譜はこちらです。

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2014.11.28

追悼 松本健一さん

Th__20141129_170909 論家の松本健一さんがお亡くなりになりました。68歳。正直早すぎたと思います。
 近代アカデミズムが捉えそこなった出口王仁三郎や北一輝、ある意味タブーの領域であった明治天皇、大正天皇、昭和天皇、さらには文学界では石川啄木や中里介山、高橋和巳らに対する鋭い評論は、私にも大きな影響を与えてくれました。
 けっこうたくさんの著書を読んでいるのですが、このブログではたった一つ『昭和天皇伝説 たった一人のたたかい』に関する記事しか書いていませんね。
 おととしでしたか、若かりし頃から愛読していた「出口王仁三郎 屹立する最後の革命的カリスマ」が再版され、その巻末に付された60ページに及ぶ増補からは、松本さんの言説の現代的な重要性を感じていたところでした。
 本当に残念です。
 その増補は、ナンシー・K・ストーカーさんの「出口王仁三郎 帝国の時代のカリスマ」に対する批判から始まっています。
 王仁三郎がアメリカの若い女性学者によって、それこそ現代的意味において蘇らされたことに、どうしても我慢がならなかったのでしょう。
 そう、たとえば王仁三郎が、近代的な意味においてもいまだ解釈されつくされていない、いや研究さえほとんど進んでいない状況の中、あのように戦後のコマーシャリズムやメディア論の中で再定義されることに違和感があったのでしょうね。なんとなく分かります。
Unknown 近代アカデミズムがあえて避けて通った人々、あるいは「現人神」たちを取り上げる勇気。松本さんに関しては、まずはそこを評価してさしあげるべきだと思います。私のような在野の趣味人とは違いますからね。本当に大変なことだったでしょう。
 増補にも述べられていますが、実際に、たとえば師である丸山真男からも強い批判を浴びました。しかし、それにもめげず、いやそれまで以上に頑張れたのは、松本さんがそれぞれのカリスマたちの裏側に発見した「大衆のルサンチマン」がご本人にもあったからではないでしょうか。
 大衆社会という近現代は、一方でそうしたルサンチマンを希釈する装置として働いています。たえとば最近はやりの(?)ポピュリズムやネット言説は、逆説的にカリスマの登場を抑制していますよね。
 そんな時代だからこそ、松本健一さんの存在は貴重だと思っていた矢先の訃報。本当に残念です。
 私は無力ですが、少しでも松本さんの「直観」のようなモノを受け継いでいきたいと思っています。
 ご冥福をお祈りします。

Amazon 増補 出口王仁三郎(副題)屹立する最後の革命的カリスマ

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2014.11.27

原油価格が急下落…いよいよか!?

Th_th_img_4271 りにつこうかという頃、世界の原油市場では大きな動きがあったようです。
 もちろんOPECによる減産見送りを受けての値動きとは思いますが、それにしても動きが大きすぎますね。
 まあ、もともとここ数年の原油価格はまさにバブルと言っていい状況だったので、ようやくそれが弾けて通常の状況に戻りつつあるということでしょうか。
 また、そのバブルによって、石油産出国が一方的に儲けたわけではありません。そこは注目すべきです。
 当然、石油に依存していた国、特に先進諸国においては、従来の化石燃料に代わるエネルギー源を模索し、また開発してきました。
 たとえば、シェールガスやシェールオイル、メタンハイドレート、さらには再生可能エネルギー(この言葉は好きではありませんが)、あるいは私も推進派である核融合発電などですね。
 そうした新分野において、それぞれの国で得意不得意がありますから、そうした面での駆け引きというのも当然あったことと思います。
 特にアメリカとロシアが新たなエネルギー利権の奪い合いをしているように見えます。そこに旧勢力であるアラブ諸国が介入している。
 では、日本はどうなのでしょう。
 日本は基本的にピンチに強い国であり、ピンチをチャンスに変えてきた歴史を持っている国です。おそらく私たちの知らないところで大きな動きを作りつつあるのだと感じています。
 私が特に注目するのは、先ほども出た核融合に関する技術です。日本はITERの中心的存在ですし、日本の企業の技術力が、すでに世界的な研究においてなくてはならない存在になっています。
 ロックフェラーが化石燃料に投資するのをやめるという、地味ながら大きなニュースについてはこちらで紹介しました。
 その後、10月には「ロッキード社が10年後までに小型核融合炉を実用化できると発表」というニュースもありました。ロックフェラーの動きはそのへんとも関係しているのかもしれません。
 核融合なんて夢の夢の話、あるいはアニメの世界のことだと思っている方も多いかもしれませんが、私の勘によりますと、ここ数年の間に日本で大きな発見、開発が実現する信じています。
 あの震災と原発事故からちょうど3年後にワシは原発には反対の賛成なのだ!という記事を書きましたが、その後にも私のところには核融合に関する明るい情報が立て続けに入ってきています。
 21世紀には「太陽の時代」。エネルギー革命は、あっという間に、足を引っ張られる間もなく起きる可能性があります。
 まあ、そこまで考えずとも、原油価格が下がることには、日本にとっては悪いことは何もありません。全ての産業においてメリットは大きい。
 違う考え方をすれば、日本という国においては、原油はプラスチックなどの原材料として輸入するだけの存在にしてしまい、エネルギー源は別、たとえば核融合のように無尽蔵の海水を使えるようになれば、本当に経済的には楽になりますし、豊かになります。
 もともと働くことが好きな国民です。働いた分の利益をしっかり得ることができるようになるでしょう。
 また、核融合発電が可能になれば、「農業の工業化」も推進されることでしょう。
 いずれにせよ、今後の原油価格の動向に注目ですね。まあ、日本の市場にその恩恵が表れるのは1年後になるでしょうけれど。安倍政権の各種政策にも大きな影響がありますね。そう考えると、選挙は来年でも良かったかな…(自民党的にはね)。

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2014.11.26

グラウプナー 『カノン(による組曲)』 GWV 218

51yp9uqemrl_sl500_aa280_ 々にマニアックなバロック音楽を紹介します。
 作曲者はグラウプナー。当時テレマン、ヘンデルに次ぐ大人気作曲家でした。今ではマニア以外知らない人になってしまいました。
 この人の曲は、本当にハズレがありません。さすが3本指に入っていただけのことはあります(ちなみにバッハは7位でした。ま、あれだけ難解だとしかたないでしょう)。
 今まで、このブログでは2曲を紹介してきました。シャコンヌヴィオラ・ダモーレ組曲です。これらも隠れた名曲ですよね。
 今日紹介する曲もほとんど200年以上にわたって忘れ去られてきた作品でしょう。しかし、聴いてみるとなかなかいい曲ですし、なにしろよくできている。
 全楽章、2本のオーボエ・パートは完全なカノン(輪唱)になっています。そこに通奏低音と、そこから時々飛び出すチェロ・パートが加わって、単調になりがちなこの種の楽曲には珍しいほどに豊かな音楽が展開していきます。
 作曲の実力はもちろん、アイデアとチャレンジ精神に満ちた人ですね。
 楽譜もありますので、カノンの楽しさ(聴覚だけでなく視覚の面でも面白い)を味わいながら、聴いてみてください。

スコア

Amazon Graupner: Orchestral Works, Vol. 3

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2014.11.25

「表悪裏善」の人…安田善次郎

Th_e5ae89e794b0e59684e6aca1e9838e 日は安田善次郎の誕生日。安田善次郎は安田財閥の祖であり、明治大正期の日本を代表する実業家です。
 私は安田についてそれほど詳しくなかったし、特に興味を持っていたわけではありませんが、まったく不思議なことに、彼の誕生日に記事を書くことになりました。
 先日、職場の数学の先生が「安田善次郎について講義しました」という連絡を下さりまして、それを観たところ急に思い出したことがあったのです。
 それがなんとも不思議な符合と発見を導くに至ったと。まあ、とにかくその数学の先生の講義動画をご覧ください。ものすごく分かりやすい、優れた講義、プレゼンテーションですよ。長さもちょうどいい。

前編 ケチと言われた銀行王・安田善次郎

後編 表の顔はケチな大富豪、裏の顔は経済界の最後の砦!〜窮極の隠徳精神〜

 どうでしたか。どちらかというと悪名高かった安田が、実は「陰徳の人」だったというのは、私にとっても新しい知見です。勉強になりました。
 ところで、この動画を観た私は、講師の平井先生にあることを伝えました。それが先ほど言った「急に思い出したこと」だったのです。
 安田善次郎が表向き悪人で、裏では実は善人だった…ん?どこかで聞いたことがあるような…いや、あれは「表善裏悪」、つまり、ここで語られている安田善次郎とは全く逆だった記憶が…。
 そこでふと思い出したのが、「安田善次郎」ではなく「高田悪次郎」でした。
 もちろん「安⇔高」「善⇔悪」というシャレというかパロディーです。そんな「高田悪次郎」はどこに登場しているのかというと、昨日も登場した出口王仁三郎が書いた「霊界物語」なのです。
 またか、と思われるかもしれませんが、私にとって「霊界物語」を通して歴史を見るのは常道です(もちろんアカデミックな方法ではないということです)。
 ということで、霊界物語の高田悪次郎を見てみましょう。
 霊界物語の第52巻「真善美愛」卯の巻、第5篇「洗判無料」第二四章「応対盗」を読んでみてください。こちらでどうぞ。
 ちょっと引用してみます。

『その方は高田悪次郎ではないか』『ハイ、私は表善裏悪の張本人、世界一の富豪にならうと思うて、随分活動致しました。しかしながら不慮の災難によつて、かやうな所へ迷ひ込み、誠に面目次第もございませぬ』『その杖は鉄ぢやないか、左様な物を、なぜこんな所まで持つて来るか』『これは鬼に鉄棒と申しまして、現界に居る時から、鬼の役を勤めて居りました。この鉄棒を以て、凡ての銀行会社を叩き壊し、皆一つに集めて巨万の富を積んだ唯一の武器でございますから、こればかりはどこまでも放すことは出来ませぬ』

 あきらかに安田善次郎を意識した記述ですね。安田が暗殺されたのが大正10年。霊界物語のこの部分は大正12年の口述ですので、「不慮の災難」というのは暗殺されたということでしょうね。
 ここでは、三大悪人として大原敬助、片山狂介、高田悪次郎が出てくるのですが、大原敬助は原敬、片山狂介は山縣有朋だと解釈されています。そして、高田悪次郎は安田善次郎がモデルになっているのはたしかでしょう。
 しかし、ここで気づかねばならないのは、原、山縣とは違って、「安⇔高」「善⇔悪」という価値の逆転があるということです。
 すなわち、「高田悪次郎」が「表善裏悪」だということはですね、「安田善次郎」は「表悪裏善」だということになるのです。
 それが、今回の平井先生の講義の内容とピッタリ合っている。ケチとして悪名高かった安田善次郎は実は陰徳の人だった。つまり表向きは悪人だったが、裏では善人であったというわけです。
 王仁三郎の残した暗号は常にこういうふうな気づきを与えてくれます。それも必要な時代に必要なところで、その謎解きを許すのです。それこそが世界最強の予言書、いや預言書だと言われるゆえんです。
 高田悪次郎が私の頭のどこかに棲みついていたために、今、安田善次郎の本質、天命が明らかになったのです。さっそく、私も安田善次郎について勉強してみようと思います。
 そして、霊界物語…全く理解できなくとも、暗記できなくとも、思いついた時に、パッと開けたページを読み続けるべきなのです。
 講師の平井先生は数学の先生ですけれども、私も彼と話す時は政治や歴史の話、あるいは教育全般の話が多い。ま、考えてみると彼との縁もいろいろ不思議です。
 

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2014.11.24

AndreaMosaic(モザイクアート作成ソフト)

 日は中学校の文化祭。富士五湖文化センターの大ホール(ふじさんホール)を借りきり、5時間半にわたって各種発表をいたしました。
 今年は各学年の演劇や合唱を中心に、太鼓の演奏や部活動の発表など、今まで以上にバラエティーに富んだ内容になりました。
 私自身も中学生の純粋な頑張りから多くのものを学びながら、感動の時間を過ごさせていただきました。ご来場くださった方々、関係者の方々、そしてなんと言っても生徒たちに感謝したいと思います。ありがとうございました。
 私は今年も、弦楽合奏部の顧問として、またコント部の顧問としてステージでパフォーマンスをさせていただきました。なんだか自分の趣味を仕事にしてしまって申し訳ない感じもしますけれど、まあ、いい大人になっても少年時代の夢や遊びを忘れず、こうして存分楽しんでいる姿を生徒たちに見せるのも教育かなと、勝手に解釈してやっております(笑)。
 今年の私のあと一つの仕事は全校製作のモザイクアートの設計。
 設計とか言って、実はこのモザイクアート作成ソフトの各種パラメーターをいじるだけ。
 原画は秋の忠霊塔からの富士山に、テーマである「響」という文字を載せて終わり。青、赤、緑という学年カラーも意識しました。

Th_

 モザイクのタイルになる素材は、各生徒に20枚ほどの写真を提供してもらいました。夏休みに撮った写真、また、幼い頃の写真などなど、結果として1000枚ほどを採用しました。
 この原画とタイル写真をAndreaMosaicにぶち込みまして、いろいろ数値を設定しますと、下のようなモザイク画が自動生成されます。およそ5000枚の写真によるモザイクが完成です。

Th_1

 それを縦8メートル、横10メートルほどの大きさの作品に仕上げたというわけです。
 なかなか壮観でしたよ。それほど手間をかけず、これだけの壮観な作品を作ることができるのですから、まあ便利な世の中になりましたね。
 このAndreaMosaic、日本語版がないので、最初はちょっと苦労するかもしれませんが、たとえばこちらなどを参考にいろいろやってみると面白いですよ。
 ほかにもたくさんフリーのモザイクアート作成ソフトがありますけど、圧倒的にきれいにできますし、いろいろ設定することよって、より作品に深みを持たせることができますよ。特に、学校の先生にはおススメします。

AndreaMosaic


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2014.11.23

長野県北部地震(2014)

Th_20141122225959xcoioxvi 夜の地震、富士山の我が家でも震度3の揺れを感じました。
 御嶽山噴火の際に「神岡のラドン濃度の異変からしてもう少し北側の活動だと思った」と人に言っていましたが、今となっては、やはりこちらの地震の前兆だったのかと悔やまれます。本当に地震や噴火の予知は難しいですね。
 長野県北部地震と言えば、2011年3月12日のM6.8を思い出します。あの東北地方太平洋沖地震の13時間後に発生した誘発地震です。
 地球的な時間軸、空間軸という大きな視野で見ますと、今回の地震も広義の遠方誘発地震にあたると考えます。まだ3年半ですからね。
 さて、我が家で観測している富士山ラドン濃度の変化が、今回の地震の予兆を捉えていたか、考察してみましょう(グラフは最新11/26版です)。

20141126_103753

 今までの経験則によりますと、中規模以上の地震の発生の2〜3週間前にラドン濃度が上がり始める傾向があります。
 そうしますと、11/1の急上昇と11/6の急上昇のどちらか、あるいは両方が今回の地震の予兆だったと判断できるかもしれません。
 両方とも比較的急角度での上昇でしたので、東北地方などではなく関東、中部の可能性が高いかなとは思っていましたが、最高濃度はそれほど高くなかったので、ここまで大規模な地震になるとは思っていませんでした。
 やはり予測は難しいですね。
 ただ、こうしてデータを積み重ねていくことによって、ある程度の注意情報は出せるようになるかもしれません。
 面白いもので、地震があると私のツイッターのフォロー数が増えます。過去にもいろいろあったので、あまり予言めいたことはツイートしたくないのですが、とりあえずはデータを公開することによって、皆さん自身でいろいろ判断していただきたいと思っています。
 今回も、新潟在住の友人より、「guccyさんの地震情報のおかげで近日大きな地震がくることはわかっていたので、来たか!と思いました。ありがとうございました」とのメッセージをいただきました。
 少しでも減災につながれば幸いです。皆さんもぜひ富士山ラドン濃度にご注目ください。

 ツイッターはこちら

 
 


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2014.11.22

「君が代」の対称性


きみ
がよは
ちよにやちよに
さざ

いし

いはをとなり

こけの
むす


Kmxx さんよくご存知の国歌「君が代」の歌詞(すなわち和歌)をこう並べると面白いことが分かります。
 そうです。真ん中の軸を中心に母音が左右対称になっているのです。
 ご存知でしたか?
 私は、出口王仁三郎の発言集「新月の光(かげ)」の中で知りました。「新月の光」にはこう書かれています。

『君が代の国歌を、韻律の法則によりて表示すれば左図のごとく、その母音が左右相対的に対照していて、韻律の美なることは、皇国日本の厳正中立の精神を如実に表徴するものたるを知り得べし。XX'を中心に、同じ母音が対照せるを見るべし』

 これは面白いですね。和歌の技法の中にはたしかに母音の配置によるものがあります。私も短歌を作る時、ときどき意識的に母音を配置します。まあ、韻を踏むというやつですね。
 しかし、こうして左右対称にするのは初めて見ました。偶然なのか、それともなんらかの意図のもとにこうしたのか。
 この歌の初出である古今和歌集では、「きみがよは」は「わがきみは」となっていますので、それを並べると次のようになります。


わが
きみ

ちよにやちよに
さざ

いし

いはをとなり

こけの
むす


 これでもやはり特殊な対称性を感じることができますね。
 これって誰が発見したのでしょうか。王仁三郎なのでしょうか。
 調べる時間がないので、今日はこの「事実」のみの紹介とします。また、何か分かったら書きますね。

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2014.11.21

赤池誠章さんの教育・文化論

 9月、山梨県出身の参議院議員赤池誠章さんが文部科学大臣政務官になられました。
 赤池さんと言えば…参院選当選のお祝いで我が夫婦は歌のプレゼントをしましたっけ。チャンネル桜でNHKネタで盛り上げるという…その衝撃映像(?)を今日は解禁します(笑)。下の動画を再生してみてください。

 何やってんだか、ウチの夫婦は(笑)。
 ま、それはいいとして、応援していた赤池さんが文部科学大臣政務官になられたことは喜ばしいことです。
 自民が進めている教育改革や文化政策について私は、完全に賛成しているわけではありません。先日も、道徳の教科化について、宗教教育を行っている私学人としての意見を、下村大臣にお会いして直接申し上げました。
 しかし、こうして教育・文化についていろいろな議論が起きることは良いことです。ただ反対するだけでなく、しっかり現場の声を届けることが必要です。
 いつも書いているように、私のモットーは「だれかを批判するヒマがあったら、そのだれかを動かす」です。
 ということで、教育や文化に関わるお仕事をされている方、あるいはそうした分野に興味のある方には、ぜひこの動画をご覧いただき、いろいろ考えていただきたい、そして意見を発信していただきたいと思います。届かないところでグチグチ言っているだけではダメです。
 私も皆さまの意見をできる限り関係者にお伝えしたいと思っています。

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2014.11.20

吉井和哉 『ヨシー・ファンクJr.〜此レガ原点!!〜』

Jpeg 〜む、これはすごいアルバムです。
 お世辞抜き、あるいは自分の趣味抜きにしても、素晴らしいとしか言いようがない。
 こんなカヴァー・アルバムは初めて聴きました。それぞれの楽曲について語りだすとキリがないので、今日はとりあえず全体的なことを書きましょう。
 ここのところ「昭和」の話が多いですね。私は自分のことを、単純に「昔は良かった」というような人間ではないと思っていますが、やはり、自らの少年、青年時代への追憶という意味も含めて、昭和の残像というのは、今の私にも大きな影響を与えています。
 その残像というのは決して明るいものだけではありません。ある種の暗さ、淫靡さ、香りというか匂いというか、そういうモノもありますよね。
 それこそが昭和歌謡のテイストであることは、誰しも異論のないところでありましょう。そう、夢は淫靡なモノなのです。
 そうした一種の妖しさ、怪しさを表現できる歌手(あえて歌手と言いましょう)は、なかなかいません。特に男性。
 その意味で吉井和哉さんは、やっぱり絶品だなと思った次第です。
 そう、違った角度から言えば、昭和とは男が色っぽかった時代とも言えるのではないでしょうか。
 そして、もう一つ、昭和の男と言えばロック。骨太なロック。荒魂としてのロック。
 だから、このアルバムは、ちゃんとしたステレオ・システムで聴かなくちゃダメだと思いました。私の家も御多分にもれず、重厚なオーディオ・システムは物置行きになっており、パソコンにCDを挿入して、ちっちゃなモニター・スピーカーで再生するというのがデフォルトになってしまっています。
 久々に、それはいかんなと思いました。実際、音作り的にも、まさに昭和の再生装置を想定したような感じです。
 この前のNHK「The Covers」では、テレビの音だったにも関わらず、ものすごく「ロック」を感じました。
 そう、ヴィジュアルがあるとないとでは大きな違いがあるのですよね。
 ある意味、昭和は「音」の時代だったとも言えます。音楽と映像が一体化していく平成とは違う音楽世界がありましたよね。
 それが「良かった」とは言い切れません。どこかにも書きましたけれど、本来音楽というのはオーディオだけでは存在できません。必ずヴィジュアルがつきまとう、いや、両者によるコラボなんですよね。
 そういう意味では、レコード文化というのは、音楽史上においても非常に特殊な文化、昭和は特殊な時代だったわけです。
 そのある種「異常」さが、また昭和の色になっている。面白いですよね。
 このアルバムはレコーディングもアナログでしょうか。デジタルで再生してもこれだけ骨太感があるんですからね。アナログ・レコードでガンガン聴きたいところです。スクラッチ・ノイズもあればいいかも。
 先日、ローリング・ストーンズを語る会でお世話になったフォトグラファーの有賀幹夫さんは、スタジオで吉井さんとこのアルバムを聴いたそうです。すごく良かったとおしゃっていました。それはそうでしょうね。うらやましい。
 最後に、昭和の残像ということで言いますと、私と吉井さんは不思議な縁があり、昭和の具体的な風景や音や匂いを共有しているんですよね。そんな奥深いところでも、やっぱり私はこの歌声、バンドの音と共鳴するのだと思います。
 それにしてもドリー・ファンク・Jrかあ(笑)。スピニング・トー・ホールドで始まり、終わる…もう、ほとんどギャグですね。さすがです。
 砂場で友達にスピニング・トー・ホールドをかけられて、痛くもないのに悶絶した、あの昼休みのエロチシズム。
 少年時代の夢は淫靡なモノ…まさに此れが原点なのであります。

Amazon ヨシー・ファンクJr.〜此レガ原点!!〜

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2014.11.19

疲れない男(棚橋弘至)

Th_img_282f6d97214edc505c4fa029c4d0 このところ昭和ノスタルジー的記事が続いていますね。
 私にとっての昭和とは、歌謡曲、プロレス、映画であります。そして、そのいずれにも「ヤクザ」が関わっている。
 文化としてのヤクザについては、今までもいろいろ語ってきました。そして、神道とヤクザの関係についても書いてきました。荒魂(あらみたま)の持つ役割ですね。
 先日は親戚のおじさん(元小学校校長)と教育における荒魂の重要性について語り合いました。
 最近、安倍内閣が批判を覚悟で勇ましいことを言ったり、あるいは皇室で出雲系の動きが顕著だったりするのは、これは現代にスサノヲ的な荒魂力が必要となっているからですね。
 日本の祭がそうであるように、自然や神の荒魂を、私たち人間が上手に祭って、結果として和魂(にぎみたま)を召喚するというのが、日本人の信仰の基本構造であります。
 その象徴が、音楽であったり、スポーツであったり、そしてプロレスであったりするわけです。
 そのプロレスに関しまして、最近ちょっと面白いインタビュー記事を読みました。正直感動してしまったので、皆さんにも紹介しますね。
 もともと私は新日本プロレスはあまり好きではない方でした。今では頭も柔らかくなってアントニオ猪木さんのプロレスや哲学の大ファンでありますが、若かりし頃はちょっとしたアンチでした(すなわち全日派)。
 猪木さんの頃のストロングスタイルが時代の変化などから凋落の憂き目にあった中で、因習を破って棚橋選手がどちらかというとエンタメ路線を開拓し、結果として現在の新日の復活、隆盛を招きました。
 最近では、先月両国大会のメインで棚橋選手を観ましたが、彼が内外の批判や圧力をはねのけてやってきた歴史を垣間見られ、ああいい選手だなと感じたものです。
 そんな時代を動かしてきた棚橋選手が経済誌である東洋経済のインタビューを受けるというのも面白いですよね。しかし、読んでみると、たしかに彼は会社と顧客双方と戦って新しい時代を切り拓いたビジネスマンであることを納得させられます。
 そして、プロレス自体が人生や社会を映すように、棚橋選手の人生もまた、私たちの目指すべき人生や社会や組織を教えてくれるような気がしましたね。
 私が気に入ったのは(今までもずっと聞いてきた言葉ですが)「俺は疲れたことがない」というハッタリですね(笑)。私も今日からマネすることにしました。
 最近の若者って挨拶代わりに「お疲れ様です」って言うじゃないですか。私はすごく抵抗があるんです。これからは棚橋選手の言葉を拝借して、こう言い返してやろうと思います。
「ああ、ありがとう。でも大丈夫。俺、疲れてないから」
 かっこいいですね(笑)。「疲れてねえよ!」と言い返すんじゃない。
 これに限らず、本当にためになる言葉、発想の宝庫でした。けっこう長いインタビューですが、ぜひ全部お読みください。プロレスに興味がない方にこそ読んでいただきたいと思います。
 言霊論など、やっぱり日本古来の信仰に近い感性をお持ちだなと感じました。そして、柔和な中にある闘魂。内外との戦いに負けない荒魂。とても現代的でありながら、古風な男ですよ、棚橋選手は。

前編 「100年に1人の逸材」棚橋弘至のキャリア論
中編 棚橋選手の人脈術、「出会いに照れるな」
後編 棚橋選手は「冬の時代」をどう乗り越えたのか

 私学もまさに冬の時代を迎えつつあります。私も「疲れない男」に生まれ変わって、内外の敵と闘いながら、全体として「和」を生み出していけるようになりたいと思います。


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2014.11.18

追悼 高倉健さん

Th_img_1 「く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」…健さんが往きました。
 私にとっては植木等さんと同じところにいらっしゃった高倉健さん。
 植木さんは浄土真宗的ですが、高倉さんは禅的、いや密教的であったかもしれません。
 昭和は遠くなりにけり…そう、昭和とは実は鎌倉時代以来の仏教時代だったのです。
 森光子さん、森繁久彌さんと同じ11月10日が忌日だというのも因縁めいていますね。お三方とも、決して器用な役者さんではなかったと思います。ただただ、そのお人柄、人生が魅力を醸していた役者さんでした。
 高倉健さんについては、2年前に書いた『プロフェッショナル 仕事の流儀 高倉健スペシャル』の記事をご覧ください。あらためて繰り返すつもりはありません。
 冒頭に引用した「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」という健さんの座右の銘は、天台宗比叡山延暦寺の大阿闍梨であった酒井雄哉(ゆうさい)師のお言葉と聞きました。
 酒井雄哉師は「一日一生」を説いておられました。修行していると一日が一生のように感じられる。健さんもきっとそういう生き方をなさっていたのでしょう。
 だからこそ、どんな若いスタッフに対しても敬意や思いやりを忘れなかったのでしょう。一日一生ということは、明日がないということです。だからこそ明日伸ばしできない。感謝も思いやりも今日でなければならない。そういうことなのでしょう。
 心よりお悔やみ申し上げるとともに、同じ男として少しでもあなたに近づけるよう精進いたします。
 今日で一生が終わっても、はたして悔いはないのか。「忍ぶ」ということはどういうことなのか。自問自答が続きます。
 

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2014.11.17

吉永小百合&和田弘とマヒナスターズ 『寒い朝』

T02200219_0250024913111583342 田から帰って来ました。横手市から13号を南下して山形の東根から山形道に乗り、東北道から途中ちょっと切れている圏央道を通って中央道へというコースを使ってみましたが、これがなかなか快適でありました。休みをたっぷり取っても9時間でしたから、今までで最も早いコースだったかもしれません。安上がりだし。
 車中でNHKFMのミュージックプラザを聴いていました。つのだひろさんのMC。なんだか楽しかったなあ。昭和歌謡バンドをやっている我が家族としてはたまらない選曲が続きました。
 私はあまり歌謡曲を聴かせてもらえない環境に育ったので、昭和歌謡曲バンドのリーダーをやりながらも、実はあんまり詳しくないんですよ。
 今日も聴いたことある曲がたくさんかかっていたのに、誰だか分からなかったり、バンドの系譜がイメージできなかったり…。
 というわけで、今勉強中です。逆に言うとこれだけ豊穣な世界をちゃんと知らないできたことは幸運だったかもしれない。老後の楽しみが無限にあるからです。
 そんなことを思っていたら、ちょうどAmazonから吉井和哉さんの「ヨシー・ファンクJr.~此レガ原点!!~」の発送が完了しましたとのメールが来ました。
 やった〜!明日には聴けるぞよ。勉強するぞ〜。
 というわけで、今日は夫婦でこんな妄想をしました。直接的間接的にご縁のある、つのだたかしさん、つのだひろさん、吉井和哉さん、椎名林檎さんとスペシャル昭和歌謡曲バンドやりたいね!って(笑)。
 妄想実現党は、案外これを実現させてしまうかもしれない?w…なんてね。
 さてさて、今日の番組で私が特に気に入ったのが、吉永小百合さんとマヒナ(和田弘とマヒナスターズ)の「寒い朝」です。
 吉田正の楽曲はもちろん、吉永さんのヴォーカルもいいし、コーラスワークも素晴らしい。そして、ストリングスアレンジがすごいですね〜。冷たい北風をうまく表現している。描写音楽ですね。これはやってみたい…いや、技術的に無理だな。
 吉永さんはこの曲で初めての紅白出場を果たしました。1962年、私が生まれる2年前に公開された「赤い蕾と白い花」という映画の主題歌だそうです。では、皆さんも聴いてみてください。
 それにしても吉永さん…いやいや、小百合さん可愛すぎですねえ。

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2014.11.16

祝い歌

Th_10716252_311137092424970_3573768 日は義弟の結婚式。本人はもとより、親族関係者一同、この日を心待ちにしておりました。
 本当におめでとうございます。
 昨日書いたように私たち家族はバンド演奏でお祝いいたしました。ま、ちょっとしたアクシデントもありましたが、それもまたおめでたい席での楽しい思い出となりました。
 演奏したのは中孝介さんの「花」(作曲は森山直太朗、作詞は御徒町凧)。なかなか深い曲でした。
Th_10815799_311135149091831_2081356 カミさんの実家に帰ってからは近所親戚衆総勢40名による「お好み演芸会」。
 これがまた素晴らしかった。私もちょいとヴァイオリンを弾きましたが、まあ、皆さんの「歌」の素晴らしさたるや、もう…。
 ウチのカミさんが「歌きちがい」であるのも納得です。こうして歌の中で生まれ育ったわけですよね。何より最高の遊びであり、最高のメディア(神や自然との交信手段)というわけです。
 私は残念ながらそういう環境に育ちませんでした。だから楽器に行っちゃったんでしょうね。
 やっぱり歌には敵わないなあと思いました。言葉の力はもちろん、歌い手の人柄、人生が一つの味わいになる。技術上の上手い下手なんかどうでもいい次元です。楽器にはとても真似のできない世界でした。
 その点、バンドというのはいいですね。歌を楽器で支えるというのが基本です。楽器が歌の引き立て役というのは、分相応でいいと思うのです。
 カミさんは楽器はからきしダメです。必要がないようです。
 その点、娘たちは歌も楽器も好きなのですから、まあ幸せなことですよね。
 私は今から歌手にはなれません。せいぜい歌うように演奏できる演奏家になりたいですね。
 とにかく今日のこのめでたい日にふさわしい素晴らしい「祝い歌」の数々でありました。カラオケではなかったのもまた良かったのでは。アカペラというか、手拍子を伴奏に独唱、あるいはみんなで斉唱という、あの雰囲気は最高でしたね。
 弟くん、お嫁さんは「お好み演芸会」にはいませんでしたが、きっと「歌心」はしっかり届いたと思います。おめでとう!

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2014.11.15

秋田に向けて出発!

Th__20141115_9_55_44 日から秋田に行きます。義弟の結婚式。めでたいめでたい。
 いつものとおり、我が家の愛車エブリイバン(軽貨物車)での長旅です。
 今回は披露宴での余興として、我が家族4人によるバンド演奏があります。最近下の娘がエレキギターを買いまして、そのデビュー戦でもあります。
 今までの家族バンドでは、下の娘はタンバリンやらなんちゃってアコーディオンを担当していました。彼女も小6になって、そして姉ちゃんがエレキベースでバリバリにジャズをやっているを見たり聴いたりして、やっぱりそれなりの楽器をやりたくなってきたのでしょうね。
 今回は新郎新婦のリクエストにより、中孝介さんの「花」という曲をやることになりました。ピアノとドラムスはMIDIからカラオケを作りまして、それに合わせて、カミさんがヴォーカル、私がヴァイオリン、娘たちがベースとギターという編成で演奏します。
 ウチの夢は家族で「旅芸人」(笑)。こうしてエブリイに楽器やPA装置、そして衣装などを積み込んで、気ままに演奏しながら旅をするというのが理想です。老人ホームとか公民館とか回って。
 いや、冗談ではなくそういう演奏会が一番楽しいし、楽しんでもらえるんですよね(上の娘はもっと大きな活動をしたいと思っているようですが…今は)。
 ま、その夢は私が退職する10年後に実現させるとしまして、とにかく今回はおめでたい席で、それにふさわしい演奏をしなければなりません。頑張ります!
 というわけで、3日ほど家をあけます。留守番は猫たちにまかせます。では、行ってきま〜す!
Th__20141115_16_33_42追伸  そうそう、昨日急遽スタッドレスタイヤに履き替えました。まだまだと思っていたら、なんと秋田は雪の予報。
 実際、山形道の蔵王付近、そして県境の雄勝峠付近は雪が舞っていました。
 道に積もっていはいませんでしたが、気温も0度近くまで下がっていましたので、スタッドレスに替えて正解でした。
 というか、交換してみて初めて知ったのですが、ノーマルタイヤ、見事にツルツルでした(苦笑)。


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2014.11.14

二重襟スタンドカラーコート

Th__20141115_83917 ントのための衣装を買いました…いやいや、それもありますが、今週末秋田で義弟の結婚式があるので、地吹雪に
備えて(?)防風防水のコートを買うことにしました。
 1万円にしてはなかなかいい製品だと思います。まずデザインがシンプルでよい。私、トレンチコートとか絶対似合わない。髪型(?)がシンプルだからでしょう(笑)。
 このデザインなら、ビジネスやフォーマルはもちろん、カジュアルでも使えそうですね。
 前ボタンをしめると、ますますシンプルになって、家族にはなんだかSF的軍服に見えると笑われました。ま、それもまた私が宇宙人風だからでしょう。
 機能的にもけっこう気に入っています。ポケットは少なめですが、比較的口幅が広いので使い勝手はいい方ですし、案外収納力はあります。
 また、着脱可能なライナーが付いているので、今の季節から真冬、そして春先まで使えそうです。
 素材の質感も良い。もちろん化学繊維ですが、肌触りや光沢は安っぽくありません。しわになりにくいので、着たまま車の運転をしても大丈夫です。
 というわけで、今日も学園祭準備で忙しいのでこのくらいにします。はたしてコントでこのコートはどのように使われるのか…それは当日のお楽しみです(笑)。
 
二重襟スタンドカラーコート ボンディング加工 中綿ライナー(取り外し可能)テフロン撥水加工...

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2014.11.13

fit as a fiddle

Th_img_4110 しい。お祭りの前の楽しい忙しさ。中学生たちのパワーに圧倒されないようにしているだけでも疲れる年になりました(笑)。
 この前も書きましたように、私の仕事はコント部と弦楽合奏部の顧問としての指導および出演くらいですから、まだまだ楽な方なんですけどね。
 中学生の指導をしていると自分の中学時代を思い出します。ヴァイオリンを初めて買ってもらったのが中2の時でした。その時は、まさか自分が30年後に中学生にヴァイオリンなどを教えるとは思ってもみませんでした。まったく人生は分からないものです。
 今、弦楽部の部室に、35年前に買った初めてのヴァイオリンのケースがあります(中身は違います。初めてのヴァイオリンは今ではバラバラになっています)。
 そのケースに中学生の私が書いた文字が残っています。金色の油性ペンで書いたもので、もうすっかりかすれてしまっています。なんと書いてあるかというと。

I'm fit as a fiddle.

 中学生にしちゃ、ずいぶん洒落た英語ですね(笑)。ま、コジャレた年頃ですから。なんだか分からんけれど背伸びしてみたのでしょう。
 どういうきっかけでこの言葉を選んだのか、あまり覚えていませんが、もう当時からヴァイオリンを弾くというよりはフィドルをやるんだ!という意気込みだったのでしょう。ま、きっかけはロックでしたし、クラシックなんか全く興味ありませんでしたからね。
 で、この言葉、日本語で言うならば「オレはゴキゲンだぜ!」っていう感じでしょうか。fit as a fiddleというのは辞書によると、「元気で」「ぴんぴんして」とのこと。
 フィドルという楽器にぴったりフィットした気分ということなのでしょうね。そう、フィドルはそういう楽器なのです。ヴァイオリンとは違いますね。
 fit as a fiddleの気分を分かりやすく表してくれているものと言えば、やっぱりこれでしょうね。「雨に唄えば」の挿入歌。理屈抜きに素晴らしいシーンです。ジーン・ケリーと、えっと誰かな…。

 歌詞を載せておきましょう。こういう気分で人生を謳歌したいですね!

Fit as a fiddle and ready for love
I can jump over the moon up above
Fit as a fiddle and ready for love

I haven't a worry, I haven't a care
I feel like a feather that's floating on air
Fit as a fiddle and ready for love

Soon the church bells will be ringing
And I'll march with Ma and Pa
All the church bells will be ringing
With a hey naughty-knotty and a hotcha-cha

Hi, diddle-diddle, my baby's okay
Ask me a riddle and what did she say
Fit as a fiddle and ready for love


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2014.11.12

させていただく

Jpeg 日、職員室で「させていただく」についてちょっとした議論になりました。
 「司会をさせていただく◯◯です」と生徒に言わせるのはどうかと。
 年配の先生は非常に抵抗があるようでした。若い先生はそれが普通だと思っている。そして、私は…ちょうど微妙な年代でして、たしかに中学生に言わせるのはどうかと思うが、私自身はこの前の説明会でも「着座にて説明させていただきます」と言ったような記憶がある…。
 皆さんはいかがですか。
 最近の若者がやたらと「させていただく」を使うことを「させていただきます症候群」と呼ぶ場合もあるようですから、世間ではあまりいいことだと思われていないようですね。
 これは本当に微妙な問題だと思います。
 文化庁の指針によると、「させていただく」を使えるのは、相手側や第三者の許可を受けて行い、そのことで恩恵を自分が受けるという事実や気持ちのある場合だそうです。
 そうしますと、「司会をさせていただく」はちょっと行き過ぎのような気もしますが、一方で「司会をします◯◯です」では変ですから、では「司会を担当する◯◯です」ということになると、なんとなく事務的な感じがして、まあ会議の場ならいいとして、お客様を迎えての会だとちょっと不躾な感じしないでもない…。
 厳密に言うと、別にお客様に許可を得るべき問題ではないし、司会者自身が何か恩恵を受けるわけではない。しかし、日本人からしますとお客様は神様、「もしかするとご不満の方もいらっしゃるかもしれませんが、不肖ワタクシめが企画者さまより大役を仰せつかって、お客様皆さまの無言の許可もいただいた上で、このような高いところから目立ってしまう司会なるものをさせていただきます」という心境が湧いてきたとしても不思議はありません。
 ただ難しいのは「敬意の逓減」という現象があって、あまりにていねいな敬語を使うと、逆に慇懃無礼に感じられることがあるわけですね。ご存知のとおり、「おまえ」とか「きさま」とか「てめえ」とかも元々は敬意の表現でした。
 だから、ケンカした末に「ああ、わかりましたよ!もうやめさせていただきます!」という言い方もできるようになる。
 若者の「させていただきます」に抵抗のある方には、実はそういう記憶があったりするものです。
 日本語は英語のような論理性がないと言われます。特に主語や目的語がはっきりしないということが指摘されます。
 しかし、実は日本語、というか日本人にとっては、主語も目的語も「自分を超えた存在」なのです。あえて言うならば「神」。
 そのような「言葉」にならない存在がバックグラウンドにあるので、なかなか学問的には分析できず、また理解もされにくいのです(私は今、そのような観点から日本語の文法を構築しなおしています)。
 「させていただく」も何が正しいかを結論づけるのは難しい。あまり決め付ける必要もないと思います。それこそ言葉にならない、決まりにならない「空気」で使い分けなければなりません。
 ただ、明らかな使いすぎ(つまり心がこもっていない)、あるいは「さ入れ言葉」のような誤用はだめですよね。
 ということで、本日の記事はこのへんで終わらせていただきます。ありがとうございました。

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2014.11.11

激安テーラードジャケット

Th_img65552768 園祭が近づき忙しくなっております。ま、私は弦楽部とコント部の指導くらいしか仕事がないので、ほかの先生に比べるとずいぶん楽な方ですが。
 というわけで、今日は軽い記事にします。最近買ったものの紹介。
 先日ウチに帰ってきましたら、カミさんが買っきたと思われる9000円くらいの「テーラードジャケット」が置いてありました。
 「安いのを買ってきたな」と思うとともに、「オレもこの季節の上着がないからネットで買っちゃおうかな」とも思いまして、さっそく楽天さんで探し始めました。
 そうしたら、なななんと、1着900円という、1桁間違えてるんじゃないの的な商品を見つけてしまいまして、そして、ついついポチっとしてしまいました(笑)。
 そう、カミさんのものの10分の1のお値段です。そういうネタの意味をこめて買っちゃったというのが本音だったりして。
 ま、ネタですから、だまされてもいいやという気持ちで到着を待っていました。そして、実際到着した商品を見て正直びっくりしました。
 なんじゃこりゃ〜という驚きではなくて、ありゃ?けっこう使えそうじゃん!という驚き。
 さっそく休日にはいつも着て歩いております。テーラードジャケットというのはそういうものなのか、なにしろ初めて着るのでよく分かりませんが、ちょっと小さめで背中がきつめですが、ジーパンにも合うし、軽いし適度に暖かいので気に入っています。
 なにしろ900円なので、今回はチャコールとネイビーの2色を買いました。それでも送料込みで2650円ちょっと。てか、送料が商品代に迫っている(笑)。
 けっこう気に入ったので、ほかの色も買ってみようかなあ。皆さんもぜひ。
 と思ったら、円安のためかいきなり値段が2倍になってました。それでも安いですけどね。

パーフェクトな美ラインを実現◆テーラードジャケットテーラードジャケット メンズ ジャケット ...


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2014.11.10

The Covers 『吉井和哉』 (NHK BSプレミアム)

Th_vlcsnap2014111111h26m04s27 井和哉さんのニュー・アルバムがもうすぐ発売です。今回は全曲カバー。それも昭和歌謡を中心とした選曲。
 今までもライヴの中で昭和歌謡をカバーすることはありましたが、はたしてどんな出来になっているのか、とっても気になっているところでした。
 というのは、ベテランによるカバーアルバムというのは、どっちに転ぶか分からないからなんです。なんとなくオリジナル曲に力がなくなっているから過去の他人の遺産にすがるという人もいるし、まさに自分の原点に回帰しつつ戦う人もいる。親にすがるか、親と真正面から戦うか…そんなイメージかなあ。
 で、今回の吉井さんはどうなのか。どうだったのか。まだアルバム自体は発売前ですが、いち早く耳にした知り合いは「すごい!」と言っていましたし、なんと言っても選曲が(笑)。いや、ホントいい意味で笑っちゃいますよ。ティザーで確認してみてください。

 だいいち、なんで「スピニング・トー・ホールド」で挟むかな(笑)。タイトルももちろんドリー・ファンク・ジュニアだし、ジャケット写真でもチャンピオン・ベルト抱えてるし(NWAのベルトではないようですが)。
 で、発売の直前である今日、NHKのCoversに吉井さんが出演し、3曲を披露しました。
 それが、まあ予想をかなり上回る素晴らしさ。カッコよさ。そして、なるほど感。う〜ん、さすがだ。
 正直イエモンのネタばらしという感じにさえなっていた。昭和歌謡の原曲が、あまりにイエモンになっているので驚きました。なるほど、やっぱりそういうことだったんですね。
 ある意味呉越同舟だった日本の歌謡曲と西洋のロックを、簡単に和解させてしまった。そこに新しさと懐かしさの同居する画期的なイエモンサウンドが生まれたわけですね。
 それまで全く邦ロックを聴いていなかった(洋ロックのみだった)私が、突然のようにこっち側に引きこまれたのは、今思えば当然と言えば当然ですね。
 それにしても、驚きました。今日の3曲、全く予想を裏切るような形で、そこにイエモン、吉井ワールドの原型を、ある意味露骨に見る(聴く)ことができました。なるほどすぎるほどなるほどでした。
 そして、逆にその原点、ルーツがまたイエモン、吉井ワールドになってしまっている。言うなれば、親と戦うだけでなく、親の隠れた一面、現代性をも引き出してしまった、親もまた進化してしまった。
 それが吉井さんの天才性でしょうね。そうそう、カバーでぴったり&引き出しちゃった例として、フジファブリックの「マリアとアマゾネス」のカバー、あれは親じゃなくて息子のそれを進化させてしまった。あまりにしっくりと。吉井さんってすごいなあ…。

 一昨日の「ストーンズを語る夕べ」で大いに語ってくださったフォトグラファーの有賀さんは、吉井さんの写真も撮っておられます。最新の「音楽と人」も有賀さんのお仕事。ホント素晴らしい空気感の写真ですよ。ぜひご覧いただきたい。
 全くご縁というのは不思議です。今年は、私も吉井さんとお会いする機会があり、なななんと、彼が中学の二つ下の後輩だったこと、同じ町内に住んでいたこと、あるいは超ローカルな貸しレコード屋の話や、学校の先生の話で盛り上がりました(笑)。
 また、恥ずかしながらワタクシ一家も「歌謡曲バンドふじやま」をやっており、昭和歌謡の世界にどっぷり漬かっております。いろいろと共有できるモノがあるんですよね。
 もうこれはニューアルバムを聴きこむしかありません。早く発売日が来ないかな〜。久しぶりにそういう気持ちになっております。
 番組で吉井さんもおっしゃってましたが、いろいろ「感謝」ですし、だからこそ「挑戦」ですね。私も皆さんもまだまだこれからですよ!

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2014.11.09

関山慧玄(無相大師)さんのお墓 in 富士吉田

Th_img_3981 夜は本当に素晴らしい時間を過ごさせていただきました。
 実は「ストーンズを語る夕べ」が始まる前に、私は富士吉田市内のある山に行っていたんです。で、体中に山からもらってきた、いろんな草木の種がまとわりついてました。有賀さんも気づいて「なんかついてるよ」と教えてくれたくらいです。
 大事なイベントの前にどこに行っていたのかとお思いでしょう。実はふと直観して明見の瀬戸山に行っていたのです。
 そう、この前、正眼寺と富士山という記事に書いた、妙心寺開山関山慧玄法師(無相大師)のお墓を探しに行ったのです。
 宮下文書においては、現明見の地は富士谷と称して、隠れ南朝の秘密基地であったことになっています。
 そこに多くの歴史的人物が集合したことになっているのですが(もちろんフィクションと捉えてくださっても結構です)、何人かの僧侶も重要人物として参集しています。
 その第一が、妙心寺二世授翁宗弼というお坊さん。歴史好きの方はご存知かもしれませんね、その実体は後醍醐天皇の忠臣であった藤原藤房であるという説が古くからあります(現在妙心寺では否定的ですが)。
Th_img_3941 宮下文書はまさにその説に則った物語を展開しているのです。後醍醐天皇が藤房を僧形にして富士谷へ派遣したと。
 その宗弼がお寺を建てた明見の仁王坂という場所には、明治期に建てられた「藤原藤房顕彰碑」が現存しています。
 最近新しい峠路ができたので、もしや撤去されたのではと思って確認しましたら、ちゃんと保存されていました。ただ、近くに行く道が見当たりません。このまま忘れ去られるでしょうか。
 先に富士入りした宗弼のもとへ、法兄である妙心寺一世の関山慧玄(明治天皇より無相大師の号を得た)がやってきたのは、正平16年6月15日(もちろん正史にはそんな事実はありません)。
 二人は再会を喜び、歌を交わします。なかなかいい歌です。

慧玄 世のうさをよそにみ山の雲深く
    月影てるや山すみのとも

宗弼 月影をともに深山に墨そめの
    心の錦破れごろもも

 二人は、こちらで紹介した御正体山の山奥に隠伏します。
 いろいろあったのち、正平21年2月12日、慧玄は入寂し、熱都山(あたつやま)軽島森の小峰の大森の大榎の下に葬られました。
 その場所を探しに行ったわけです。実は、その場所はのちに同様に富士谷で崩御したと伝えられる長慶天皇の陵墓のすぐ下になります。
 現在、その場所には大山守皇子の像や後醍醐天皇御遺髪と書かれた板、さらに男根石などが奉納されている「社宮地神社」があります。そこがかつての福地八幡宮であった可能性もあるのですが、とにかくミシャグジ神を祀る諏訪系の神社の近くに関山慧玄の墓があるというのは面白いですね。
 というのは、関山慧玄は信濃高梨の出身。そこから諏訪を通り、当時の鎌倉街道の通っていた明見を通過して、何度も鎌倉入りしています。諏訪信仰と禅宗の関係についてはまだ全く考察していませんが、何か臭いますね。
Th_img_3986 というわけで、私も久しぶりに慧玄さんのお墓参りを果たすことができました。すっかり草むらになってしまい、人の通ったあとも全くない山中に、ようやく石像を見つけることができました。
 かつて10年ほど前までは、「関山慧玄の墓」という木製の標も立っていましたし、毎日ちゃんと誰かがお花を手向けていたのですが…。
 石像には倒木がのしかかっていたり、草の蔓が巻き付いたりしていましたので、私なりに少し片付けさせていただきました。
 近いうちに正眼寺住職もこの場所にお連れしたいと思っています。これがいわゆる「本物」である可能性はきわめて低いと私は思っていますが、ここにたしかにある時期「関山慧玄信仰」があったのは「事実」ですから、そこを大切にしたいと思っています。
 おそらく今では誰もこのお墓の場所を知らないと思います。もし興味のある方がいらっしゃいましたらご案内します。民家や道のすぐ近くですから。

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2014.11.08

有賀幹夫さんとストーンズを語る夕べ in 富士吉田

Th_img_3993 賀さんはじめ皆さま本当にありがとうございました。
 不肖ワタクシが主催させていただいた「ストーンズを語る夕べ」、大盛況、大成功、大感動のうちに終了することができました。
 地元のみならず遠方よりも多数の方々にご来場いただき、本当に感謝感謝です。
 不思議な不思議なご縁の連続から実現したこの会。日本人唯一のローリング・ストーンズ専属フォトグラファー有賀幹夫さんとは、7月1日の富士山山開きの時に初めてお会いしました。そこからほんの4ヶ月でこのような会を富士山麓で開催することになるとは。何かが動く時はこういうものですね。
 今回会場にさせていただいたのは富士吉田の吉祥寺さん。なんでお寺で?と思われるでしょう。いやいや、私の頭の中ではもうそこしかないなと思っていたんです。
 吉祥寺のご住職とはもう四半世紀近いご縁。それもとっても濃いご縁をいただいてきました。そのご住職はストーンズ・フリーク。超一流の書家(篆刻家)でもあるご住職の字や彫りも、まさにロックという感じですし、絶対に最高の「場」ができるという確信があったのです。
 その予感は見事当たりました。そして、ある意味予感以上の「場」ともなりました。
 そう、ストーンズの境地がもう老師の領域であり、彼らの音楽、パフォーマンスもある種の「型」を超えた「型」になっているという意味に加え、有賀さんのフォトグラファーとしての境地、いや人間としての生き様が、まさに「禅」だったのです。
 「狙うけれど狙いすぎない」とでも言うかなあ…言葉になりにくいけれども、たとえば、「ストーンズのメンバーに会いたい!」という理由から「よし!写真家になろう」というあたりは、自分の「欲」に端を発しているわけですが、しかし、そこからのサクセスストーリーはほとんど「無欲」の賜物だと感じたんですね。
 写真についてもそうです。私も含め、皆さん全員が「なんで、そんなすごい写真、カッコいいい写真を撮れるんですか?」と思ったはず。なぜ、最高の瞬間を捉えることができるのか。
 有賀さんは「分からない」とおっしゃります。狙っているけれど、狙って撮れるものではないと。
 これって、本当に「禅」ですよね。「こうする!」「こうなる!」という未来への自己の意志はあるけれども、それを実現する過程ではほとんど「無私」。
 ワタクシ流に言うならば、「コトを窮めてモノに至る」というやつです。最後は他者性にまかせる。意志、夢あるところに神は降りる。
 次元が高いのです。世界最高のモノに対する時に、いかに無我、無私でいられるか。モノと一体化できるか。まさに究極の禅的境地でしょう。
 その点、清志郎さんとミックの邂逅のお話がまた象徴的でありましたね。
 というわけで、まあ、本当に貴重な貴重な写真とお話に、もう本当に涙が出るほど感動いたしました。感謝、感謝です。
 有賀さんも「楽しかった!」とおっしゃってくださりました。有賀さん、これからも富士山のパワーをもらって素晴らしいお仕事をされることでしょう。楽しみです。
 あと個人的にとてもビックリしたこと。不思議な縁。ロックではなくバロックで30年来の友人が、わざわざ東京から参加してくれました。彼女、なんと、今春のストーンズ来日公演にて、ステージでメンバーと一緒に歌った方なのです。そう、あの感動の合唱団のメンバー(代表)。
 バロック仲間が、なぜロックでこうしてつながるのか。あまりに低い確率ですよね。長く生きていると面白いことがあるねえ!としみじみ語ってしまいました(笑)。
 音楽は素晴らしい。音楽は縁を作る。そう、音楽は縁の象徴なのでしょうね。
 夢のような夜を、本当にありがとうございました。また、何か企画します!

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2014.11.07

『新史論/書き替えられた古代史 3 聖徳太子と物部氏の正体』 関裕二 (小学館新書)

Unknown 特の関史学。と言いますか「歴史物語」ですね。非常に楽しく読ませていただきました。
 聖徳太子=蘇我入鹿。そして入鹿も天皇家も物部系。
 最新の学術的知見をパズルのように組み合わせ、独自の説を展開していく様子には、ある種ミステリー小説的な興奮を喚起させられますね。
 歴史について語るということは、こういうことですよね。事実か捏造かとかいう次元ではなく、比喩、物語としての歴史。私はそれこそが未来につながる価値あるものだと思っています。
 このシリーズ第3巻の主役は言うまでもなく聖徳太子です。その聖徳太子は実在しなかったというのが関さんの基本的姿勢。
 私は実在、非実在を超えて聖徳太子を尊敬しています。日本人の理想像として、あるいは人類の理想像として、私の頭の中ではしっかり実在しているとも言えます。
 私の聖徳太子観は仲小路彰のそれの影響を受けています。ほとんど世に出ていない聖徳太子観です。以前、こちらに少し紹介しました。
 仲小路彰のこの「夢殿の幻」は、今ではほとんど手に入れることは不可能です。ちなみに私が読ませていただいた稀覯本は、今はなんと首相官邸に置かれています(!)。聖徳太子の和の精神に興味をお持ちの安倍総理もお読みになっていることでしょう(たぶん)。
 そうそう、この関さんの本では安倍氏についても面白い説が展開されていますよ。大変納得させられました。ちなみにウチのカミさんは「安倍氏」です(アンバイと読みますが)。総理も出自は東北の安倍氏だと公言されています。
 安倍氏とも関係の深い物部氏。関さんの聖徳太子論において、物部氏は大変重要なポジションを占めています。冒頭で語れる「物部氏の土地だった斑鳩に建てられた法隆寺の玉虫厨子の捨身の図が、物部氏の犠牲、献身を讃えたのでものではないか」という説は、ある意味仲小路彰的な感覚に近いですね。
 天皇家が物部氏と深くつながっているというのは、私も直感的に信じているところです。先日の「御正体山の秘密」という記事に書きましたとおり、御正体山は三輪山。そこに皇太子さまが登頂されたのも偶然ではないでしょう。
 また、この本では、出雲、信濃についても面白い説が展開されていました。これらもまた、今、私が興味を持っている分野なので楽しく読むことができました。
 あまりに科学的な視点で歴史を眺める方には、このような妄想世界は到底受け入れられないでしょうね。何度も繰り返すように、私は、全ての歴史は未来への比喩だと思っているので、抵抗はありませんが。
 私のような、「いい加減(良い加減)」な人にはご一読をおススメします。

Amazon 聖徳太子と物部氏の正体

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2014.11.06

T-SQUARE 『宝島』

(11/6付の記事をアップし忘れてました。ご指摘ありがとうございます!)
 

 がジャズバンド部でこの曲をやるということで聴きまくりつつ、スラップ・ベースの練習に励んでおります。
 いやあ、なんか懐かしいなあ。80年代の音世界。ウィンド・シンセ買っちゃったっけな。結局全然吹けず、どこかにしまいこんでしまったまま。へえ〜AKAIも新製品出してるんだ。最近あんまり吹いている人見ないような気がするけど。
 このポップでおしゃれなムードは、地元で言うと「いちやま」か「くろがねや」という感じがしないでもありませんが(笑)、今聴くと全然悪くないですね。当時はちょっとコテコテすぎるかなと思いましたが。
 T-SQUAREはけっこう昭和歌謡曲やアイドル歌謡の感じがあったり、いかにもDX7的というか初期デジタルシンセ的な音がしていて、当時からすでに「懐かしい」感じがありましたよね。
 これを2000年生まれの娘が「かっこいい!」「いい曲!」と言って練習しているのだから、なんとも面白いものです。
 「ちなみにな、お前、このバンドの中心メンバーだった本田雅人さんと共演してるんだよ」と言ったら、メチャクチャびっくりしてました。そう、おととしの夏、本田さんとウチのジャズバンド部は一緒にやってるんですよ。こちらです。
 あの時も、本田さんの艷やかすぎる音にすっかりやられてしまいました。あの音色は、やっぱりこういうオシャレなフュージョンというかクロスオーバーに合っているのかもしれません。
 本田さんのT-SQUAREと言えばこれですね。

 ついでと言ってはなんですが、2003年のCASIOPEA vs T-SQUAREでの宝島です。ちょっと大人な雰囲気になっていますね。

 娘たち中高生がどういう演奏をするのか、今でも楽しみです!

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2014.11.05

夔(キ)の神(山梨岡神社)

Th_kinokamijiku 日行った「スサノヲの到来展」に、山梨発の展示物が一つありました。それが、キの神の写画。おそらくその原画は、左のものでしょう。江戸末期にはけっこうブームになっていたようですね。
 キの神は中国神話における一本足の神(妖怪)。風雨に関わる龍神とも、音楽に関わる実在の人物とも言われています。
 これがなぜ山梨の峡東にある山梨岡神社に伝来するのかは、正直言って謎であります。
Kinokami_2 もともとキの神であったかどうかも微妙です。というのは、この神社に古くから伝来する木像を、かの荻生徂徠が「キの神」と認定したところからブームになったらしいのです。
 単に狛犬像の欠損したものだという、ある意味夢のない説もあるようですが、案外にそれが真実かもしれません。
 今、世の中は第?次妖怪ブームですね。世の中が不安に染まると現れるのが妖怪です。ただ、今の子どもたちの妖怪ブームはちょっと違う感じですよね。いよいよ妖怪をも手中でコントロールする時代になったとも言えそうな感じです(笑)。
Th_img_3892 この像のある山梨岡神社は背後にある御室山を御神体としています。御室山は一見しただけで信仰の対象になるだろうなと予感する、見事なドーム状の山です。
 神社の祭神がまた面白い。大山祇神・高龗神・別雷神。大山祇神はまあいいとしまして、高龗神(たかおかみのかみ)は貴船神社の祭神です。やはり水の神。
 面白いのは高龗神の娘がスサノヲの孫と結婚し、その直系の子孫が大国主だという説があることです。つまり、出雲系の神のルーツだとも言えるわけですね。
 これは案外知られていないことですが、この「御室山」という名称自体が「三輪山」と同義とされることもありますし、かつてこの山の麓には、今では別の地に移転した「物部神社」があったと言います。
 そっち系の匂いがぷんぷんしますね。
 峡東地区には二の宮美和神社もあります。もちろん大物主を祀っています。また、もう一つの山梨岡神社たる石森山もあります。ここも巨石文化というか非常に古い信仰の空気に満ちた社ですよね。
 そんなことを考えていきますと、「スサノヲの到来」展の見立てのとおり、キの神はスサノヲと関連が深いのかもしれません。
 もう少し調べてみたいと思います。


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2014.11.04

【討論!】政治と宗教の現在 Part2

 はどうも宗教とご縁が深いようです。
 しかし、目指すものは「宗教のない世界」。そう、出口王仁三郎の理想とした世界です。
 先日、山川宗玄老大師さまと問答させていただき、「無」に関してある直観を得ることができました。
 すなわち、「有」を窮めていくと「無」に到達するという直観です。詳しくは書きませんが、とにかく有ることが日常化する無化するという、まあ、皆さんも生活の中で体験されていることでありましょう。
 日本古来の神道は、まさに生活の全部であって完全に無意識化されていました。この討論の冒頭で加瀬先生が述べているとおり「宗教」という言葉すら日本にはなかったのです。
 もちろん仏教やキリスト教の伝来とともに、それは相対的に意識化されてきたわけですが、ある意味それらすら無化の中に取り込んでいってしまったとも言えましょう。
 一方、政治も本来は「まつりごと」であります。王仁三郎は「祭政一致」を標榜していましたが、それは宗教と政治を一致させよということではなく、あの時代において、本来の「まつりごと」の復活を目指したものです。
 では、その「まつりごと」とは何か。これは天皇家がお示しになっているであろうという、司会者である水島先輩(高校の先輩です)の意見に賛成です。
 天皇家の存在もまた、実は無意識化の歴史でありました。ここは大切なところです。すなわち、ワタクシの言うところの「国譲り理論」です。実は理論ではないけれども、とりあえずの命名です。
 それについては、今まとめているところなので、いずれ本にでもします。
 というわけで、「世界はどうなっているのか?中東情勢とアメリカ」に続き、チャンネル桜の討論をおススメします。
 非常に勉強になる、そして面白い討論でした。既存メディアではなかなかここまでの議論はできませんね。水島先輩、立派です。
 私も教育者として、また宗教に関わる者として(なんの宗教・宗派にも属していませんが)、この問題について真剣に考え続けたいと思っています。


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2014.11.03

御正体山の秘密

Th_img_3854 日は文化の日。
 文化の日は、昨年書いたように「天長節」すなわち明治天皇のお誕生日であります。
 そんな日に私は、古きよき日本を取り戻そうとするある団体の会合に出席。そこではもちろん皇室も大切にしております。それどころか、ある意味では超皇室観というようなものもあるように感じました。もちろん、それは悪いことではなく、戦後の皇室観を超えるということであって、私も賛同するところであります。
 代表の方ともいろいろと楽しい未来の話をさせていただき、会場をあとにした私は、都留市にある三輪神社を参拝いたしました。
 そう、夏にこちらで紹介したお社です。
 この神社は御正体山の登山口になっています。つまり、御正体山自体を御神体としているわけですね。本家の三輪山と同じです。
Th_img_3855 言うまでもなく三輪山の神様は大物主。大国主の「和魂」とされています。
 夏の記事にも書いたとおり、お隣の杓子山はおそらくミシャグジ神。諏訪系と考えるならば、大国主の「荒魂」ということになりますから、ここには、出雲から分かれた二魂が合流しているとも言えるわけです。
 御正体山や杓子山はもともと信仰の山です。富士山自体は登拝する山ではなく遥拝する山でしたから、信仰の「場」としての山は、富士山を取り巻く山々だったということになります。
 富士山が世界文化遺産になるにあたって、そのあたりの事情はほとんど顧みられていないというのは大問題ですね。外国人はもちろん日本人さえも、山岳信仰、いや富士山信仰の本質を忘れてしまっている。
Th_img_3852 御正体山と言えば、何度か書いてきたように、今からちょうど10年前に皇太子さまが登頂されている山なのですね。なぜ、こんなマイナーなお山に登られたのか…謎と言われています。
 皇太子さまは当然、この山が信仰の山、それも三輪山であり、かつ富士山遥拝の山であったことをご存知だったことでしょう。あるいは、お隣の杓子山の事情もご存知だったかもしれない。
 そして、これはほとんど知る方がいらっしゃらないと思いますが、かの宮下文書によりますと、この御正体山には、隠れ南朝の仙洞御所があり、第98代長慶天皇が上皇として隠遁していたことになっているのです。もしかすると、皇太子さまはそのこともご存知だったかもしれませんね。
Th_unknown ところで、御正体山と言えば、江戸時代の妙心上人の即身成仏も有名な話です。御正体山で即身仏となった妙心のミイラは、明治の廃仏毀釈によって撤去され、今では故郷の岐阜県横蔵寺に安置されています。
 先日紹介した岐阜の正眼寺で修行した妙心寺開山無相大師も、宮下文書によると御正体山に籠っていた時期があるようですので、岐阜というだけでなく「妙心」という僧名にも不思議な因縁を感じざるをえません。
 なぜ、妙心が御正体山で入定したのか…たまたま通りかかって霊感を得たというのが定説ですが、どうもそんな単純なことではないような予感がしますね。
 この秋に、私も御正体山登山をと思っていました。しかし、なんだか忙しくしているうちにシーズンも終わろうとしています。はたして私はいつこの山に登拝するのか、自分でもちょっと楽しみであります。

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2014.11.02

富士山から富岡製糸場、足利「スサノヲの到来」展へ

Th_img_3820 日は珍しく家族全員が休みということでお出かけ。
 埼玉を通過して群馬、栃木へのプチ旅行をしてきました。
 絹、出雲、富士…本当にいろいろなことを感じ、学んで帰ってきたのですが、全部書くと大変なことになるので、ポイントだけツラツラと記録しておこうと思います。
 埼玉に入ってから関越道が混んでいたので下道を利用したため、久しぶりに山口家の一つの故郷である小川町を通過しました。
 昨年、富士山が世界遺産に登録された日に父親とルーツを辿る旅をした時のこちらの記事で紹介した「富士山」の麓を通りました。このあたりも「浅間」「仙元」信仰の色濃い地域です。
 実はその後立ち寄った群馬の富岡、栃木の足利も同様の信仰色が強い。それはすなわち「絹」との関わりが強いということでもあります。富岡は言うまでもなく、足利も織物の街です。徒然草にも出てきますね。浅間神社はもちろん、織姫神社もあります。
 詳しくはまたいつかまとめますが、絹織物と浅間神社、養蚕と諏訪神社の関係はとても面白いものがあります。
 ものすごく簡単に言ってしまうと、絹織物には二面性があるということです。養蚕から製糸まではスサノヲ系(出雲系)の「荒魂」、織物になるとアマテラス系(天孫系)の「和魂」。今、私の研究テーマの一つはそこにあります。「荒魂」と「和魂」の融合。
 今、国内の養蚕や製糸は低迷しており、その結果両者のバランスが崩れているんですね。ですから、私としては諏訪の「荒魂」の復活を期待しているわけです。
 富岡製糸場、今日もたくさんの観光客で賑わっておりました。いいことですね。できることなら、皆さん、富岡のあと諏訪湖畔の岡谷蚕糸博物館まで足を伸ばしてほしいですね。絶対。そうしないとホンモノを見ることができないし、感じることができません。
Th_img_3823 足利市立美術館で開催されている「スサノヲの到来–いのち、いかり、いのり」展、これは予想以上に素晴らしかった。とても一日では全てを受け入れきれないくらい充実した展示でした。もう一度行かねば。
 スサノヲの持つ破壊と創造、「和魂」を招来する「荒魂」の力を充分に感じることができました。
 図録だけでも大変な情報量とエネルギーです。これをゆっくり読み、眺めてから、もう一度実物たちに会いに行きたいと思います。
 来週9日には鎌田東二先生の講演もあるようなので、ぜひ皆さまお出かけ下さい(私は用事で行けませんが)。
 縄文から現代に至る広範な展示の中で、なぜか心に残った作品がありました。作家は富岡出身の金井南龍。彼の富士山へのこだわりも尋常ではないと感じました。特に「富士諏訪木曽御嶽のウケヒ」は衝撃的な作品でした(図録では「木曽」が「基礎」になっております…笑)。
Th_img_3849_2 面白かったのは、出口王仁三郎コーナーでした。娘たちが笑っていました。というのは、正面に八雲琴がありその横に耀わんがあり、背後に書や絵の掛軸が展示してありまして、ついでに右側には王仁三郎の例の肖像写真があったので、まんまウチの和室の様相だったのであります(ウチはかなり散らかっておりますが…笑)。
 「ウチってなんなの?」と娘たちが不審がっておりました。たしかに(笑)。

 というわけで、短い旅ではありましたが、大変な豊かな霊感を得ることができました。これを活かして明日からまた動いていきたいと思います。

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2014.11.01

ラジオ体操に学ぶリズムの本質

20141102_74518 日のGoogleはなぜかラジオ体操。68周年って(笑)。
 ラジオ体操については、前身の「大日本国民体操」や、幻の「ラヂオ体操第三」についてなど、こちらにいろいろ書きました。ご覧ください。
 今日はちょっと違った視点(聴点)から。
 お気づきの皆さんもいらっしゃると思いますが、ラジオ体操第一で「いち、に、さん…」とリズムを取ってくださるの男性の、そのリズム感、とってもいいですよね。
 すなわち、その「いち、に、さん、し」が自由自在に伸縮しているのであります。
 おそらくはご自身も体を動かしながら発声しているのでしょう。体の動きに合わせてリズムが伸び縮み(特に伸び)している。場合によっては数字を飛ばすことさえあります。
 もちろん、それに合わせてピアノも伸縮しているし、テンポも変わる。
 ちょっと意識して聴いてみましょうか。この録音、最後の深呼吸でその男性がなぜか笑っているところがまたいいですね(笑)。

 実は、これこそが音楽におけるリズムの本質だと思うのです。身体性。身体的リズム。
 私のやっているバロック音楽はほとんど全てが舞曲です。機械的にリズムを刻んではいけません。ある程度舞曲を踊れないといけないのです。
 もちろん、西洋芸術音楽は、そうした身体性から離れて、情緒の方に近づいていくという変化(進化なのか退化なのかはわからない)をしましたが、ポピュラー音楽の方は常に「ダンス・ミュージック」であったわけです。
 日本の伝統音楽もそうです。お座敷の身体性というのがある。
 ラジオ体操第一をですね、打ち込みで平坦に演奏させたら、ぜったいに体操できませんよ。ものすごく大変になります。逆に運動になるかもしれませんが。
 というわけで、子どもたちにリズムや、音楽性、表現について語る時、ラジオ体操は欠かせないのであります。みんな知ってるわけだし。踊ったこと(?)あるので。


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