秋も深まる…
シローさんは毎朝窓から木々の色づきをチェックしております。
去年の今頃は外で自由に生きていたっけなあ…と思っているのでしょうか。
富士山麓の秋は長い。だからこそ「深まる」秋をじっくり体感できるというものです。
ところで、この「深まる」という動詞、季節でいうと「秋」にしか使われませんよね。春が深まる、夏が深まる、冬が深まるとは言いません。なんでなんでしょうね。
やはり、そこには「色」の変化が関係していますよね。だんだん明度が下がってくる。最後は彩度も下がる。
気温も下がっていきますからね。やはり底に向かっている感じがして「深く」なっていくと言える。
「深まる」という動詞は比較的新しい。「深む(深める)」という他動詞は古い用例がありますが、自動詞「深まる」は近代になってからの用例しか見当たりません。
夜が深まる、理解が深まる、疑念が深まる、というような用法ですね。
他動詞「〜む(める)」と自動詞「〜まる」の組み合わせはたくさんあります。
あつむ(あつめる)・あつまる
あたたむ(あたためる)・あたたまる
はむ(はめる)・はまる
まるむ(まるめる)・まるまる
などなど、いくらでも挙げることができます。
自動詞の語尾の「る」は、おそらく自発の助動詞「る」と同源でしょう。考え方によっては、たとえば「あつむ」には下二段活用の他動詞と四段活用の自動詞とがあって、四段活用の未然形に自発の助動詞「る」がついたものとも言えます(一般的ではありませんが、潜在的にはそういう感覚はあったと思います)。
ワタクシ独自の日本語研究においては、「る」と同様に、「も」も「自分の意志ではない」という他者性の強い音です。ですから「秋も深まってまいりました」と言う時、私たちの無意識の感覚の中には、「ああ、私の意志とは関係なく季節は移ろっていくなあ」という、それこそ「もののあはれ」があるわけです。
ちなみに、ワタクシの「もののあはれ」観については、こちらをお読み下さい。
秋が古来、歌の題材となってきたのには、このような基本的な感覚があるからです。秋の歌には「もの」という言葉が多く使われています。そこには「不随意」への詠嘆が表現されているのです。
冬は「死」の季節。モノクロームな世界。春には再生し、(映画「時をかける少女」の冒頭のように)世界はカラー化しますが、とりあえず私たちは毎年冬という死に近づくことを体感します。それへ向けてのある種の寂しさや諦念が、「深まる」という言葉によって表現されているわけです。
昨年、ウチのカミさんはNHKののど自慢に出て、真夏なのに「思秋期」を歌って合格しました(笑)。思えば、あの歌の歌詞は、日本の和歌の世界そのものですね。さすが阿久悠さんです。
「もの」や「も」もちゃっと出てきますし。
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