追悼 赤瀬川原平さん
とても哀しい知らせ。
心の師匠とも言える赤瀬川原平さんがお亡くなりになりました。
「トマソン」「老人力」「新解さんの謎」…このブログでもいろいろ紹介してきました。世界の見方、人生の読み方を変えるという意味においては、そういった発想や活動こそ「芸術」であり「超芸術」でした。
もちろん、本来の美術的、文学的活動においても歴史に残る作品を残しましたが、そうした社会的認知、名誉さえもまた自ら解体、再構築してしまうような力があったと思います。それこそが芸術を超越するパワーの象徴でした。
「art」とは自然に対置された人間の「わざ」を表します。ちょうど昨日の記事に書いたように、日本語の「わざ」は悪い可能性を秘めている。それが「栄える」と「わざはひ(災い)」になります。
ですから、自然(神)のもとにある芸術家(宗教者)は、わざを重ねながら、どこかでそれを超越して「もの(自然・神)」に帰らねばならないのです。
それが昨日の記事の「他者性への到達」という境地です。そういう意味で、赤瀬川さんは早い時期から「超える」ことへの予感をもって活動されていたと感じます。
そこに「ユーモア(諧謔)」が関わってくるのが面白いですね。
今日、マラソンの瀬古利彦さんと2020東京オリンピックについていろいろお話をさせていただきました。瀬古さんも「超えた」人です。自分をすでに超えている。だから、めちゃくちゃ面白い。芸人もたじたじのユーモアセンス、言霊を持った方でした。
最近、いろいろな分野の一流の方とお話する機会に恵まれています。皆さん、とにかくユーモアにあふれている。自我を超えている。ある種の自虐ネタを持っている。昨日の記事の山寺さんとコロッケさんもそうですね。
赤瀬川原平さん、病気療養中に「赤瀬川原平をやめようかな」と言っていたとのこと。この言葉、単なる弱音ではなく、それ自体が「超芸術」性を帯びていると思います。
今日、たまたま庭のこぶしの枯れ葉が落ちるの見ながら歌を作りました(二つの結社に入っているので月に10首ほど作らねばならないのです)。
「落ち葉は落ちるから落ち葉と呼ばれるのだろう。だったら、自分はなんという名前を与えられるのか」というような意味の歌ができました(実際の歌は「未来」の1月号で)。
短歌でも「超えていた」寺山修司は、「職業は寺山修司」と言っていたといいます。かっこいいですね。赤瀬川さんもそういう意味で「赤瀬川原平をやめようかな」と語ったのでしょう。
落ち葉が「落ち葉をやめようかな」と言っても実際にはやめられないように、赤瀬川さんも死ぬまで「赤瀬川原平」であり続けた…。
近年すっかり老人力を身につけたなと自覚しているワタクシ。「職業は山口隆之」と言えるように、そして晩年「山口隆之をやめようかな」と言えるような人生を歩んでいきたいと思います。
赤瀬川さん、本当にありがとうございました。お疲れ様でした。あちらでお仲間たちとますます楽しんで下さいね。
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