正眼寺と富士山
今日明日と岐阜に出張。
まずは美濃加茂市伊深の正眼寺を参拝。いろいろとご縁の深いお寺です。
妙心寺開山、関山慧玄さんが9年間修行したお寺。専門道場としての佇まいは今も変わりません。
今回久しぶりに参拝するにあたり、伊深付近の地図を眺めていましたら、「富士山」という文字を見つけてビックリしました。
あれ〜、こんなところにも富士山が。
富士山という地名や山名はたしかに全国にありますが、ここにもあったのかという驚き。いや、やはりここにもあったかという喜びでしょうか。
というのは、関山慧玄(無相大師)さんのお墓がホンモノの富士山の麓、富士吉田市明見にあるのです。その場所を知っているのはおそらく全国に数人しかいないと思います(もしかすると私だけかも)。
実は最近、そのお墓のある小山が荒れ放題になっていて、お地蔵さんのような石像もバラバラになってしまっており、このまま地方の歴史が消えてしまうのではないかと心配しているところでした。
いわゆる宮下文書には、正史とは全く違う関山慧玄伝が載っています。それもかなり詳細かつ厖大な内容です。
そんなわけで、今回、正眼寺のすぐ近くに富士山があることは偶然ではなく必然、さらにこのたびその事実を知ることになったタイミングもまた必然であると、私は日本人で、いや人類でただ一人納得しているのであります。
正眼寺のご住職、正眼短期大学の学長であり、また我が校の名誉校長である、尊敬する山川宗玄老大師さまと、ゆっくりお話をさせていただく機会がありましたので、思いきってその「富士山」のお話をさせていただきました。
老師もその事実と物語については全くご存知ないということで、大変興味をお持ちになっておりました。ただでさえ、私の頭の形をご覧になって「生まれながらにして僧侶だ」とおっしゃっていた老師。「これは出家してしっかり研究すべきである」と盛んにワタクシをスカウト(?)してくださりました(笑)。
今度我が校においでの際には、そのお墓の場所に案内させていただきましょう。
そう考えると全く不思議なことですね。仏教とはなんの関わりもなかった私が、大学時代宮下文書に出会い、その文書に関わりの深い寺の学校に就職しただけでなく、そこから出口王仁三郎や無相大師に興味を持ち、しまいには出口家や山川老師ともお話できる仲になったわけですから。
これまた偶然ではなく必然でありましょう。問題はその必然の意味、意義を私が分かるのかということですね。ただ驚いたり喜んだりしているだけでは無意味どころか、バチ当たりであります。
さて、美濃加茂の「富士山」、「山之上富士」とも呼ばれているとのこと。標高たった357メートル。ホンモノ10分の1にも満たない低山でありますが、山頂にはちゃんと「富士浅間神社」があるそうです。ますます「アヤシイ」ですね。
実際、宮下文書にも美濃の伊深の地名が出てきます。帰宅しましたら、さっそく改めて読み返してみようと思います。
このたび老師は大変重要なヒントを与えてくださりました。関山慧玄が言ったという「富士を見ず」との言葉。その意味が分かるかもしれません。これは大変なことになってきました。私が出家する日も近い?
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