お天道さまが見ている
今日はある子どもにこんな話をしました。
「誰も見ていないから悪いことをする」というのは間違いだ。「誰も見ていない」と思った瞬間、実は二人に見られている。その二人とは誰か。
皆さんはお分かりになりますか。
以前、ある隣国の先生がウチに泊まりに来た時、富士山の山の中の交差点で赤信号で止まっていたら、「車が全然来ないのに止まっている意味はあるのか?」と聞かれました。なるほど、私が先方の国に行った時、早朝サウナに行く際、ほとんど信号無視していましたっけ。
日本には「お天道さまが見ている」という言い方が古くからあります。これは儒教的、仏教的と言うよりも、やはり神道的な考え方であると思います。
先ほどの子どもに対する問いの答えもそこにあります。
二人というのは、自分と神様ということなのです。
私は小学校高学年の時、これを実感しました。その年頃の男子によくあることですが、けっこう私も悪いことを平気でする、あるいはそうすることにスリルを覚えるようなところがある子どもでした。
いろいろ悪さをした挙句、もちろん親や先生には怒られるわ、交通事故には遭うわ、彫刻刀が手を貫通するわ、前歯が折れるわ、まあ大変なバチが当たりました。
それによってようやく「少なくとも二人が見ている」と感じるようになり、あんまり(笑)悪さをしない人間になりました。
今思えば、ああいう痛い目に遭って良かったと思っています。
日本人は、特定の宗教の信者にならずとも、そういう発想ができる。これは素晴らしいとことと思います。
八百万の神という発想からすると、自分自身も神様であり、たとえば信号を神様であって、私たちの所業を見ている。そうすると、二人どころかほとんど無数の誰かに見られているということになりますね。
それを総合して「お天道さまが見ている」と言ったのでしょう。常に私たちの行動、そして心の動きは白日の下にさらされている。
ここには、何の教義も経典も要りませんし、アイコンもフィギュアも要りません。もちろん契約なんかも要りませんね。
シンプルですから、世界中に本来共通であると思います。自分の中に在る仏性ならぬ神性を信じるだけで、悪事や悪意から自分が守られる。すなわち「救われる」わけです。
家庭や学校での教育の中で、この「お天道さまが見ている」を、もっともっと語っていかなければならない時代だと再確認いたしました。
日の丸ってそういうことなんでしょう。日の丸反対とか言ってる場合じゃありませんよね(笑)。
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