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2014.09.30

『ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか』 加瀬英明 (祥伝社新書)

Th_2012031716515728c ョン・レノンの奥様オノ・ヨーコさんのいとこでもある、外交評論家の加瀬英明さんのご著書。
 タイトルが今流行りの「なぜ〜なのか」パターンとなっているので、ついついその端的な答えを期待してしまいますけれども、実際書かれている内容はもっと深いところまで到達しています。
 いや、たしかにここに書かれている日本神道の優しさ、寛容さ、多様さこそが、ジョンがそれに惹かれた理由そのものでありましょうから、看板に偽りなしということですか。
 ジョンの身近なところにいらっしゃった日本人の著書ということで、全編ジョンが主役として登場することを期待した方々にはやや物足りなさが残るでしょうか。なにせ、ジョンが登場するのは第一章のみと言っていいので。
Th_140276761494514137225 しかし、それでも、ジョンが靖國神社や伊勢神宮を参拝した話、「オカゲサマデ」を世界で最も美しい言葉だと言っていたという話などは、日本大好きかつジョン大好きの私には充分にありがたい情報でありました。
 加瀬さんは名曲「イマジン」の歌詞は日本の神道の世界であると断言していますが、私はさらに一歩進めて、「And no religion too 」の部分は、出口王仁三郎の「宗教がなくなる世がみろくの世だ」という思想の影響だと信じています。
 実際、ジョンとヨーコは大本の本拠地、京都の亀岡にお忍びで宿泊しているんですよね。たまたまかもしれませんが、いや、たまたまではないな、意識しなくとも霊的に引かれたのでしょう。その時のことについてはこちらをご覧ください。
 さて、この本、第一章以外では何が語られているかといいますと、世界中を股にかけた加瀬さんらしく、各国各地の宗教や文化と日本の神道や文化の比較であります。
 それが私にとっては非常によくまとまった比較文化の教科書という感じで、非常に勉強になりました。恥ずかしながら知らなかったことがたくさん。やっぱり外国のこともちゃんと学ばねば。
 そう、私、案外(?)世界史、日本史に弱いんですよ。特に世界史。中2が今、歴史で十字軍のあたりをやっているんですが、実はそのあたりよく分かっていなかった(汗)。
 つまり、中学高校の頃は歴史や宗教に全く興味がなかったんですよね。共通一次の日本史も悲惨な成績でしたし(笑)。
 今からもう一度勉強しなおそうかな。中学の教科書レベルから。
 加瀬さんにも近々お会いする予感がしていますので、その際にはいろいろ教えていただきましょう。
 さて、最後にジョンのイマジンをあらためて聴いてみましょう。


 
Amazon ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか

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2014.09.29

「読み」と「語り」と「話し」と…

Jpeg 日は某公立中へ赴いて「読み」の勉強会の講師。講師と言っても私は楽器を弾いただけですが。
 知り合いの方が芥川の「蜘蛛の糸」を「語り」、そこに私が即興で音楽や効果音をつけるというパフォーマンスです。
 語りの方とは久しぶりに合わせたのですが、お互い空気を読み合える仲なので、打ち合わせもほとんどなしでも、それなりになったと思います。こういうのって楽しいですね。
 「朗読」「音読」「素読」と「語り」とは基本的に何かが違います。「〜読」というのはテキストに忠実でなければなりません。間違うと怒られる。
 音楽で言うなら、楽譜通り弾けというやつで、逆にたとえば今日私がテキトー…ではなくて適当に弾いたモノは、もう二度と再現できませんし、楽譜化も困難でしょう。
 全ての表現にはこういう二面性があって、それをしっかり使わけてたり、教えわけたりしなければなりません。
 また、「読む」は文字情報の存在を前提としますが、「語る」はそうとは限らない。また、「読む」は一人でもできる行為ですが、「語る」は受け手が必ず必要ですね。
 そうしますと、現代の教育現場では「読む」ことに重点が置かれているような気がしきます。そして、それが正しいことなのか、ちょっと不安にもなってきます。
 テキストの正確な再現ということで言えば、これはまた別の研修での話なのですが、ある公立中学の先生が、新入生の学級びらきの時生徒に配るという資料を見せてくれまして、それがまああまりに見事な「マニュアル」であったのでビックリ。これを忠実に再現すれば、たしかにある意味素晴らしい生徒や学級や学校になるだろうなとは想像できましたけれども、これって本当に生きた人間に対する教育の方法なの?という疑問も湧きました。まるで工場の生産マニュアルのよう(苦笑)。
 音楽で言えば、ガチガチのクラシックの演奏、あるいは無味乾燥な打ち込みという感じでしょうか。やっぱりジャズのアドリブみたいなのも大切ですよね。
 世の中に出て必要なのは、案外アドリブ力だったりする。たとえばプレゼンをやるにしても、原稿を暗記していているようなのは全然相手の心を動かさない。そうですよね。
 その場の空気を読んだりコントロールしたり、聴衆を巻き込んだりするには「語り」が必要です。
 そういう意味で、私は演劇とは別に「コント部」を作ったのです。コントには厳密な台本はありません。シーンだけ覚えて何度もアドリブで練習するのです。たとえば相手の即興や間違いにも上手に対応していかなければならないし、お客さんの反応によって臨機応変にやっていかなければならない。実に高度な言語活動なのです。
 …と、な公立の先生方にお話できる機会はなかなかないので、今日はそんな話もさせていただきました。
 「お話」と言えば、柳田国男の「ハナシ」と「カタリ」の話を昔こちらに書きましたっけ。
 今日の私の「お話」もまた、思いつきの、それこそ「話しっぱなし」だったわけですが、たしかに「語る」のは難しい。あんまり「語っちゃう」と痛いことになるし。
 今日はなんとなく気づいたことを「書きっぱなし」た記事になってしまいました。
 考えてみると、このブログもほとんどアドリブ、降りてきたモノを書きなぐっているという意味では、「ハナシ」ですね。「語り」にはなっていない。「騙り」にはなっているかもしれませんが(笑)。

Amazon 蜘蛛の糸(絵本)

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2014.09.28

ダイドードリンコスペシャル『命のリレーを見つめて ~山中諏訪神社 安産祭り~』

20140929_64311

 元YBS山梨放送で放映されました。山中諏訪神社の例大祭の熱気や本質が伝わってくるいい番組でした。
 近くに住みながら実は一度も参加したこともないこのお祭りではありますが、今年は不思議と「諏訪」とご縁があり、この番組のタイミングにも偶然を超えた何かを感じないわけにはいきません。
 5月には本家諏訪大社の御柱祭本見立てに参加させていただき、山中諏訪神社の奥宮祭の前々日には明神山山頂の奥宮に参拝し、奥宮祭当日にはそれこそ不思議なご縁で同神社の宮司さんとその息子さんにお会いしてお話をさせていただきました。そして、今日の放送。
 番組では何組かの夫婦が主役になっていましたが、そのうちの一人が懐かしい教え子だったのにもびっくりしました。ああ、こいつもちゃんと旦那になり父親になってるんだなと。
 諏訪と豊玉姫、そして安産祭り…ある意味、不自然な組み合わせのようにも感じます。しかし、私にとっては不思議と納得できるところもある。
 諏訪と言えば表面的には建御名方命を祀っていますが、原初にはいわゆるミシャグジ信仰があったものと考えられています。
 ミシャグジは蛇神であるとも言われ、また女性的な大地神であるとも言われています。山中諏訪神社の祭神、豊玉姫命は海神の娘ですが、山の神系の火遠理命と結婚して、今の皇室の先祖にあたる鵜葺草葺不合命を生んでいます。その際にワニや龍の姿になっとも言われ、その部分でミシャグジの蛇や龍とつながる部分がありますね。
 山と海、男性と女性、国つ神と天つ神などの統合、和合が象徴的に見られるようにも思いますし、その結果としての「むすび(産霊)」が「安産」につながっているようにも感じます。
 諏訪神社と浅間神社が並び建っていることも含めて、ここ山中湖にまさに「不二」の思想が実現しているのです。
 おそらくはそのあたりを感得し、あるいは学び知り、かの仲小路彰も明神山を聖地として、また、富士山を和合や平和、そして女性文化の象徴と見なしたのでありましょう。
 番組でも出てきました「御神歌」は興味深いですね。

諏訪の宮 御影(みかげ)さす 右龍(やりゅう)がいにも 左龍(さりゅう)がいにも もそろもそろげにもそろ

 右を「や」と読むのは珍しい。もちろん「ゆう」の「Y」音からの転訛だと思いますが、「う」とならずに「や」になったのは「さ」の母音に引かれてのことでしょうか。
 「がいにも」の部分の解釈もよく分かりません。「が・いに・も」とするならば、「いに」は「異に」で不思議に、人智を超えてという意味かもしれませんね。
 「もそろ」は「申し候う」だと説明されていましたけれども、出雲風土記に「もそろもそろ」とあるように、「ゆっくりと」「しずしずと」という意味だと私は解釈しました。
 「諏訪の神様のお姿が現れる。右龍も左龍も不思議なほどにゆっくりと本当にゆっくりと」というようなニュアンスではないかなと。
 その他にもいろいろと思いつくことがありましたが、それはまた後日まとめたいと思います。来年こそはちゃんと参加したいと思います。

山中諏訪神社安産祭り(ダイドー)

安産祭り写真館

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2014.09.27

村上和雄…『脳は生涯にわたり発達し続ける』

Th_scn14092605020002p1 近、すっかり記憶力&記憶喚起力が衰え、自分でも笑ってしまうほどです。人の名前が出てこないなんていうのは日常茶飯事。
 不便ではありますが、しかし悲観は全くしていません。逆にワクワクしているかもしれません。というのは、衰えた脳力を補う新しい脳力が開花しつつあるからです。
 もともと脳はそういう機能を持っているのでしょうね。
 今日も悪い予感が直後に的中しました。先日の家内の事故の時と同じ感じでした。意識に降りてきて、今回は打ち消す間もなく言葉にしてしまって、ああしまったと思った1分後に現実化(苦笑)。
 御嶽山の噴火についても、あまり具体的ではなかったものの、何かを感じていました。そう、昨日の朝、西北西から流れ来る雲が気になって写真に撮っていたんです。なんとなく南アルプスから木曽にかけて気になっていました。
 そういう不思議な能力、「霊感」などと言うと怪しまれそうですが、たしかにそういう力というのがあって、特に最近それが鋭くなってきているように感じます。
 そんなことを考えていたところ、正論に尊敬する村上和雄先生の文章が載っていて、大いに納得しました。今日はその全文を紹介します。
 村上先生とは、一度酒席を共にしてお話させていただいたことがあります。ユーモアたっぷり愛たっぷりの言霊をいただきました。
 この文章にも素晴らしい力があると思います。ぜひお読み下さい。
(以下引用)

 脳は生涯にわたり発達し続ける
  筑波大学名誉教授・村上和雄

 黄金期を迎えつつある脳研究によって、私たちが従来教えられてきた脳に関する常識は、次々と破られてきた。

 例えば、傷ついた脳が自然に治ることはないという通説は誤りで、脳神経細胞は環境に応じて再配線できる。

 さらに運動、精神的活動、社会的なつながりが、神経細胞の発展を促すといった事実が判明した。従って、脳の働きは決して固定的なものではなく、作り替えが可能である。以前なら思いもよらなかったような驚異の治癒力が脳に備わっていることが分かった。

 《脳の働きを制御するのは心》

 脳から全身の細胞に指令が出ているから、脳は身体を動かすリーダーのように見えていた。しかし、決してそうではなかった。

 脳を動かしているのは、自分の心であり、意識だ。脳はテレビやラジオの受信機のようなものであり、心や意識が真の創造者である。脳は私たちが「できる」と思っていることしかできない。逆にいえば、「できない」と考えていることはできないのだ。

 このダイナミックでしなやかな脳の働きは、遺伝子の働きに関する最近の研究とよく符合する。

 ヒトの全遺伝情報(ゲノム)の解読以前は、DNAは生命の設計図であり身体の働きを支配していると考えられていたが、事実は違っていた。

 DNAは単なる設計図にすぎず、それも環境によって書き換え可能な設計図である。従って、生命はDNAに支配されていなかった。それでは、生命を支配しているのは脳か? そうではない。

 脳は、前に述べたように情報の受信装置のようなものであり、受信装置そのものが歌ったり、考えたり、ドラマを制作したりするものではない。

 真の制作者は、DNAや脳ではなく「人間の意識」であると考えざるを得ない。そして、生命の真の創造者は、人間の意識をも超えた大自然の偉大な働き「サムシング・グレート」だといえる。

 《脳には無限の可能性がある》

 心身医療の分野で世界のリーダーであるディーパック・チョプラ博士は、身体と心を統合的に癒やす独自の理論を展開して成果を上げている。彼は米誌タイムによる「20世紀の英雄と象徴100人」にも選出されている。

 ごく最近、チョプラ博士と対談する機会があった。彼の考え方は、私どもが「心と遺伝子研究会」で10年にわたり研究し、発見した実験結果や考えに驚くほど近いことが分かり、今後、情報交換しようということになった。

 博士の近著「スーパーブレイン」(ディーパック・チョプラ、ルドルフ・E・タンジ共著、保育社)の翻訳にも携わり、多くのことを学んだ。博士は次のように述べている。

 慢性病は意識がつくり出している。怒りや恨みや憎しみなどの感情を持つと、それが悪い遺伝子を活発にしてしまい、ガンや心臓病の原因となる炎症を起こす。一方、喜びや愛、他人の成功を喜ぶという感情を持つと、良い遺伝子が活発になり、身体は病気にかかりにくくなって、肉体年齢も若返る。脳には心と身体と外界のバランスをとる自己制御装置があり、これを上手に使うことによって、素晴らしい人生を築くことができる-と。

 脳に使われるのではなく、脳を上手にコントロールして使うことが肝心だ。そのためには、固定観念を捨て去り、柔軟性を持ってリラックスすること、素直であること、心配しないことなどが大切である。そうすることにより、あらゆる局面を切り開くことが可能になる。

 身近なところでは、なかなかできないダイエット、振り払えない心の傷、仕方がないとあきらめていた体力の減退、脳の老化にかかる認知症や鬱病まで克服できる可能性がある。

 《遺伝子のオンとオフで進化》

 脳は現在も環境や心と相互に作用しながら進化を続けている。今や、ヒトの全遺伝情報(ゲノム)とチンパンジーのゲノムを比較することができるようになった。

 そこで判明したのは、ヒトにはあるもののチンパンジーにはないという遺伝子は一つもないということだ。では、ヒトとチンパンジーのゲノムはどこが違うのか。それは、タンパク質をコードする配列ではなく、遺伝子のオンとオフに関与する配列にあった。

 脳は固定的で、機械的で、確実に衰えていくものだと思われていた。しかし、実際の脳の姿は全く異なることが分かっている。この瞬間も私たちの脳は変化を続けており、新しい現実を生み出している。

 人は心の持ちようを変えることによって、遺伝子のオンとオフを切り替えれば、一生涯進化できる可能性がある。

 一般に、頭がいい人と悪い人がいるといわれているが、脳そのものにはいい、悪いの区別はない。使い方によって、良くなったり悪くなったりする。脳を上手に使えば、思いは必ず実現する。

Amazon スイッチ・オンの生き方

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2014.09.26

バッグ2種

 十過ぎまして、第二の人生を歩み始めた(?)ワタクシ。どういうわけか、ちょっと派手な趣味になってきました。というか、年をとると派手好みになる男性は多いとのこと。すなわち、私も年をとったということでしょうね。
 ファッションなんてものに全く興味がなかった私ですが、なぜか期せずしてそちら方面の方々とのおつき合いが増えつつあります。さすがに自分も最低限のオシャレはしなくちゃなという気持ちになってきました。
 特に、「赤」系の色を身につけたくなってきた。おそらくそれは「闘魂」の象徴なのだと思います(笑)。
 しかし、お金をかける気には相変わらずなれないので、ついつい安くて個性的なモノを選ぶようになってくる。
 まず、安く上げるコツというのがありますね。それはビジネス、フォーマル、カジュアル、いずれにも使えるものを買うということです(まあ、かなり無理があるわけですが)。
 たとえば最近買ったバッグ二つもそうです。
Th__20140926_63302 まずは、B4ファイルが入る大きさの手提げバッグ。大胆な色使いが特徴のDIABLOの製品です。
 DIABLOはだいたい「ビジネス&カジュアル」仕様です。ビジネスとしてはちょっと派手だけど、ギリギリセーフ。カジュアルとしては少し地味だけど、ギリギリセーフ。
 ということで、ある意味中途半端ですけどね。私としてはそれがちょうどいいのであります。
 使い勝手もよくけっこう気に入っています。出張なんかでスーツにこのバッグだと一瞬注目を浴びますね(笑)。ま、もともと私はスキンヘッドだし宇宙人のような頭や耳の形なので、案外バランスいいかもしれません。
 もう一つ、今週買ったのがこのセカンドバッグ。取っ手が付いているのも珍しいけれど、その取っ手の反対側にファスナーがあって、つまり底が開くというのはかなり個性的。
Th_51bzu6zrzvl_uy395_ さらになんともチープな(笑)ワインレッドです。これは目立ちますね。
 この写真だとけっこう渋めですが、実際はいかにも支那っぽい質感やデザインです。ま、そんなチープさもまた私に合っていると言えるでしょう。
 ほかにも最近ではカメラやベルトなど、「赤」のモノをいくつか手に入れました。しばらく私の「赤」ブームは続きそうです。

Amazon DIABLO ディアブロ ビジネスバッグ メンズ 牛革 帆布 2WAYバッグ ブラック×ネイビー
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2014.09.25

追悼 C.ホグウッドさん

Th_chrishogwood しいニュースです。古楽の大家クリストファー・ホグウッドさんが亡くなりました。
 私の35年に及ぶ古楽歴の中で最も長く大きな影響を与えた人物でした。第三次古楽ブームの牽引者であり、オリジナル楽器による演奏や解釈を現代に定着させた功績は、間違いなく後世に語り継がれるでしょう。
 私も本当に彼の演奏(録音だけですが)を数限りなく聴いてきました。「軽い」と評された時もありましたが、それはある意味正統的であったということでもあります。
 彼を追随する人たちは比較的「奇」に走ったところがありましたが、ホグウッド自身はあくまでオーソドックスな形での現代性を追求していたと思います。
 そんなところに、若かりし私もちょっと物足りなさを感じた時がありました。しかし、今となってみると実に安心して聴くことができる随一の存在です。
 私は彼の指揮、あるいは演奏するヘンデルが好きでした。やはりバッハではなくヘンデルでしたね。
 特に最も良く聴き、自らの演奏の参考にしたのは「メサイア」でした。
 1984年のライヴ。まずは有名な「ハレルヤ」だけどうぞ。

 1995年でしたか、私も初めてメサイアをオリジナル楽器で全曲演奏しました。今では考えられませんが、コンサートマスターだったんですよね。ものすごいプレッシャーでした。
 とにかく隅々まで知る必要がありましたから、毎日のようにホグウッドの録音を聴き続けました。甘酸っぱい青春(?)の思い出です。
 そんな個人的な思い出にも浸りながら、またじっくりメサイア全曲を聴いてみたいと思います。
 どうか安らかにお眠り下さい。ありがとうございました。


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2014.09.24

「チンする」…日本人の造語能力!

Th__20140925_104833 日もニュースから。
 時々面白いネタを提供してくれる文化庁の「国語に関する世論調査」。今回は「チンする」などの動詞の新造語の使用率などが調査されたもよう。
 「チンする」は9割が日常的に使っているらしい。なるほど、「電子レンジで温める」という動詞は和語にはなかった。焼くとか煮るとか炒めるではありませんからね。
 で、誰かが「チンする」と言い始めたのが、とうとう標準語となったわけです。最初に言い出した人は誰だろう。偉大ですね。
 日本語は、このような新しい文化の登場によって必要となる言葉を作る能力に長けています。それが、外来文化をすぐに自分たちのモノにしてしまう日本文化の特長を生んでいるとも言えます。
 特に「動詞」の造語機能は非常に優れている。漢文の流入と読み下し(書き下し)文化の一般化によって「〜す(する)」というサ行変格活用動詞の一般化がもたらした影響は大きい。
 たとえば、今ではまるで純粋な日本語のように使われている「勉強する」とか「愛する」なども、もともとは「勉強」や「愛」という漢語に「す(する)」という和語を接続して造られた語です。「青春する」なんかもその例。
 それと同じような技で、明治以降に入ってきた欧米語を使って無数のサ変動詞が作られています。「キャッチする」とか「プロデュースする」とか「コミットする」とか…まあ、ぴったりするイメージの和語がないとか、あるいは日本語に訳すのが面倒くさいとか、はたまたカタカナ語の方がカッコイイとか、そんな理由でしょうね。
 ほかにも「コピる」、「パニクる」、「スタンバる」、「スタバる」など省略形もよく見かけます。
 中でも和語の傾向の影響からか、「外来語の名詞の略語+る」で「3拍」の動詞を作る文化は古くからありました。フランス語のサボタージュから「サボる」ができたり、最近では「ググる」とか「ディスる」とか。
 そうそう、「ダブる」は面白いですね。「double」がたまたま「る」で終わるし、片仮名読みすると3拍だったから、そのまんま日本語にしてしまった(笑)。
 ちょっと前には「宮崎に行く」ことを「ヒガシコクバる」と言う人たちもいましたっけ。これは拍数が多すぎて一般化しなかった…というかもういないし(笑)。
 同様に漢語に「る」をつけて動詞を作る文化も江戸時代くらいからありました。ニュースにも出ていた「痴話る」や、今でも使う「愚痴る」、「駄弁(だべ)る」などですね。現代では「事故る」も一般化しています。
 ちなみに「コケる」の語源ははっきりしていませんが、私は「虚仮」だと思っています(証拠なし)。
 漢語を省略して無理やり3拍にしたものもありますね。「告る」なんかがそうです。あるいは「キョドる(挙動不審な行動をとる)」
 ちょっと変わったところでは、「死ぬ」を「タヒる」と言うことがあります。そうそう、これもとうとう正式にニュース用語として使われた例を私は見つけました(タヒ体遺棄…笑)。
 そういえば「死ぬ」と「死す」の関係って面白いですよね。いちおう「しぬ」は和語、「しす」は漢語由来のサ変動詞と区別されていますが、和漢ともに「死」を「し」と読むわけですから、もしかすると、「死ぬ」も「漢語+ぬ」なのかもしれません。これは議論のあるところですが、もしそうだとすれは、最も古い「造語動詞」の例ということにありますね。
 ちなみに和語に「する」をつける例も多少あります。「心する」、「与する」、「全うする」、俗っぽいところでは「お茶する」、「早起きする」などなど。
 最近で面白いのは「神ってる」という言い方ですね。これはいちおう「神る」という動詞の存在が想定されているのでしょう。
 というわけで、これからもどんどん日本人は「造語る」のでしょう。皆さんも「チンする」のように、標準語化して辞書に載る新語を作ってみませんか。

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2014.09.23

ロックフェラーに何が起きたのか…

Th__20140924_63744 ックフェラー兄弟財団、化石燃料投資から撤退宣言…気候変動サミットを前に驚きのニュースでしたね。
 石油王として世界を牛耳ってきた巨大財閥の、ほとんど180度と言っていい方向転換。
 当然、そこには政治的な意味合い、あるいは経済戦略的な意味合いがあるのですが、しかしこれは巨大な20世紀という暗黒の時代が終焉を遂げ、いよいよ世界の岩戸開きを迎える一つの大きな序章となるでしょう。
 これから枯渇していくことが明らかであり、また、気候変動への影響などによって人類からバッシングを受け続けることが明らかな「商品」にこだわる意味は、たしかにありません。いつかこういう日が来てもおかしくはなかった。
 しかし、正直なところ、予想よりも早く、それも大胆な形でその転換がなされたと感じます。
 はたして、ロックフェラーに何が起きたのか。
 これについては、ここで全てを明らかにすることは不可能です。これからの急速な流れの変化を見ていれば、おのずとお分かりになるでしょう。まずはサミットの行方にご注目あれ。
 少し前にも書きましたね。ユダヤが変わりつつあると。「いい」ユダヤが日本に接近中であると。もちろん、ロックフェラーはユダヤと呼ぶことは民族学的には間違いでしょうが、現代の神話の中ではある意味正しい。私はそういう次元で「ユダヤ」という言葉を使っています。
 その「ユダヤ」に大きな動きがあったのです。
 それを象徴する「事件」が、実は昨年11月に起きていました。
Th_abe_rockefeller 昨年11月、ロックフェラーJr.夫妻が来日しました。安倍昭恵総理夫人の案内で、京都を拠点に「日本の田舎」を訪問したのです。
 アメリカの保守本流の真ん中にいるロックフェラー財団ですから、自民党とも長い付き合いがあったのは当然です。もちろん、原発政策にも関わっていましたし(GEはロックフェラー系)。
 実は20世紀後半からロックフェラーは脱石油を図っていました。オイルショック後はもちろんです。その中心が原子力発電だったわけですが、そちらも福島第一原発の事故で風向きが怪しくなってきました。
 そんな中での来日。そこには深い深い意図があったのです。歴史の大転換点はいつ、いかに設定されるべきか。その鍵を日本が握っていたと信じています。
 いや、昭恵さんから特別に何かを聞いているわけではありませんよ。ただ、象徴的なことが起きた(ある意味意識的に起こした)ことはたしかです。
 その一つが、ロックフェラー夫妻を京都に招いての茶会。ただの茶会ではなかったようです。もちろん、夫妻は普通に日本の伝統的な文化に接する機会だと思ったことでしょう。しかし、そこには巧みな仕掛けが。いやいや、もちろんいい仕掛けですよ。
 私はそれが間接的(直接的)に影響を与えた、また、日本にとっては非常にありがたい流れを作る原因になったと考えています。
 細かい内容については時期が来たら紹介できるでしょう。とりあえず気候変動サミットでのアメリカ(オバマ大統領)の発言に注目ですね。
 ロックフェラーに何が起きたのか…それを知ることは地球にこれから何が起きるのかを知る、一つの比喩(物語・神話)となるかもしれません。
 もちろん、抵抗勢力も現れるでしょう。特にもう一方の「ユダヤ」がどう動くのか、ちょっと心配でもあります。間に入れるのは日本だけでしょう。ますます日本の役割は大きくなってきますね。

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2014.09.21

明治神宮での結婚式

Th_img_2969 日は、明治神宮での結婚式に参列。当初は披露宴のみの予定でしたが、めったにない機会なのでずうずうしく奉賽殿での式にも参列させていただきました。
 写真撮影はNGということで、雰囲気をご紹介できないのが残念ですが、なかなかに面白いご神事が執り行われました(普通と言えば普通なのかもしれませんが)…と思ったら、公式ページでビデオを観ることができるではないですか!(こちら
 興味深かったのは、和琴と神楽笛、歌、そして舞の奉納。
 和琴の調律は陽旋法(長調)なのに、笛と歌は陰旋法(短調)。これぞまさに西洋的二元論の克服。(笑)。よくあのチューニングで弾き語りできるなあ…。
 それがなんだかとても新しく聞こえました。このたびはプロの音楽家の方の結婚式だったので、音楽関係の参列者もいらっしゃいました。皆さんにはどのように聞こえていたのでしょうか。
 祝詞も一般的、すなわちイザナキ、イザナミの夫婦神にちなんだ内容と聞きました。
 舞の歌は「昭憲皇太后」の御歌によるものだそうです。そう、たしかに禰宜さんも「昭憲皇太后様」とおっしゃりました。「皇后」ではなく「皇太后」。
 これについてはあまり軽々しく書けることではありませんね。大変重要なことなのですが、なんとなくうやむやにされているところです。
 気になられた方はぜひいろいろ調べてみてください。
 そういうことをいろいろ考えてみると、明治天皇さまと昭憲皇后さまのご結婚とその後のこと(大正天皇さまはご存知のように柳原愛子の子)を考えると、明治神宮での結婚式というのは、なんとも不思議な感じもしないでもありません。
 しかし、そういうことを全て高次元で包み込んでしまう、すなわち庶民は全く気にしないというのが、日本の神道や天皇家のすごいところでありましょう。私のような人間が野暮だということですね。
Th_img_2992 披露宴も無事終り、新宿駅まで歩いていくと、新宿西口はすごいことになっていました。
 熊野神社の例大祭。お神輿がいくつも出て、あのバスターミナル、ヨドバシカメラのあたりを一気に縄文色に染めてしまっていました。熊野三山が新宿駅前に出現。
 明治神宮は新しい神様ですが、こちらは古い。
 いずれにしても、東京って本当に面白い街です。大好きですね。現代の仮面をかぶっていますが、本当は縄文なんですよ。明治神宮もそこに取り込まれているように感じました。
 


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2014.09.20

心の一体感!

Th_img_2926 日は子どもたちのおかげで大変充実した日となりました。心を一つにする力を子どもたちから学んだような気がします。
 まず、朝から我が高校のオープンスクール。今年は若い教員たちの発案で、堅苦しくないお祭り的な雰囲気のイベントとなりました。
 もちろん授業もちゃんと見せて、そして、高校受験講座のようなものもやりましたが、一方でステージ・パフォーマンスを充実させたり、模擬店を出店したりして、プチ学園祭的なノリも出してみました。
 これがなかなか好評だったようです。生徒たちの頑張りに感謝です。
Th_img_2931 さてお昼にオープンスクールが終り、すぐに下の娘の運動会へ。下の娘は小6なのでいわゆる最後の運動会というやつです。
 本来なら朝から応援に行かないといけないのでしょうね。しかし、今日は上記のように大切な仕事があったのでしかたありません。カミさんは不満そうでしたが(苦笑)。
 それにしても寒かった…私もカミさんが用意してくれた真冬用のダウンジャケットを着込んでいました。最高気温10度そこそこの上に風が強く、特にお年寄りにはきつかったのでは。ウチのオヤジも静岡から来てくれたのですが、11時には早々に退散。普段音を上げないオヤジにしてそれですから、その寒さたるや想像に難くないのでは。
 しかし、小学生たちはさすが風の子。半袖で頑張っていました。毎年のことですけれども、5、6年生の組み立ては感動的でした。鑑賞している家族も含めてまさに心が一つになる瞬間ですね。
 なんだか全国的には、ケガするから組み立てやめろ的な話が出てますけど、虎穴に入らずんば虎子を得ずですよ。教育の機会なんか全て紙一重です。いつも書いているように、リスクヘッジに走ると、そこには教育の機会はどんどん失われ、学校が単なるサービス業のようになってしまう。
 ウチは私学ですから、それだけは避けたいと思っています。
Th_img_2945 さてさて、運動会も無事終り、赤組が負けたこともあって疲労困憊気味の下の娘を連れて、私たちはふじさんホールへ。おととい告知いたしました、富士学苑中学・高等学校のジャズバンド部第12回リサイタルです。
 これが素晴らしかった。手前味噌になってしまいますけれど、本当に心から感動しました。
 この1年で50回以上の本番をこなしてきたバンドですが、このリサイタルが最後のステージになります。つまり高校3年生は今日をもって引退ということです。
 そんな3年生自身の気持ちと、それを支え感謝の気持ちで最高のステージを創りだそうとする後輩たちの気持ちが一つになったのですね。
 今年度のバンド、発進当時、すなわち1年前はいろいろと心配でしたが、顧問の先生の的確なプロデュースもあって、実に個性的なバンドに成長したんですよね。
 管楽器のソリストは歴代に比べるとそれほどインパクトがあったわけではありませんが、中学時代から活躍するコンマスのピアノ、そして天才的な歌唱力を持つヴォーカリストを中心に、変化のあるプログラムで歴代の中でも独特のカラーのあるバンドになりました。
Th_img_2950 特に今日強く感じたのは、バンド全体の一体感ですね。安定のリズム隊、繊細なアンサンブルのサックス隊、地味ながら豊かな和声を醸していたトロンボーン隊、技術的に大成長して鋭いインパクトを聴かせてくれたトランペット隊。そのバランスがとても良かった。
 最後のステージで最高の結果を出してくれた生徒たちに感謝と敬意を表したいと思います。
 また、今回はゲストとしてOGのトランペッターを招きました。これもまた良かった。歴史をまたいだ一体感も出ましたね。成長が一体感を生み、一体感が成長を生む。
 そういう意味では2ndステージの卒業生バンドも良かったなあ。なんというか、OB、OGそれぞれの個人の中にも、たとえば高校時代の自分との一体感というのがあるのではないでしょうか。
 また、最後のいくつかのサプライズも…と、言葉を尽くしても、なかなか皆さんには伝わらないでしょうから、許可をいただいて、近いうちに音をアップしたいと思います。お楽しみに(もちろん録音では分からない会場の雰囲気というのもありますが)。 
 今回はふじさんホール満員、立ち見も多数出ました。協賛もたくさんいただき、本当に地元でもファンだたくさんできてきたなあと実感いたしました。ありがとうございます。
 心の一体感。これは本当に大切なこと。家族、学校、地域、国家、世界…いろいろなレベルで重要ですね。特にスケールが大きくなってくると、お互いの顔が見えず声が聞こえませんから、だんだん難しくなってきます。それをどう作り上げていくかが、これからの私の、いや私たちの課題ですね。

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2014.09.19

プラム・ヴィレッジのチャンティング

 日はフジファブリック志村正彦くん&吉田の織物つながりの知り合いが愛知からいらっしゃいました。あまり時間が取れなかったのですが、それでもいろいろと楽しいお話をしました。
 その中で、このチャンティングの話が出ました。不思議なつながりですね。
 実は、このプラム・ヴィレッジの精神的支柱であるベトナムの高僧ティク・ナット・ハンが、来年5月に富士山にいらっしゃるのです。
 その世界的一大イベントは、未来の地球平和にとって、霊的に大変重要な意味を持つことになると予感します。このタイミングでこの人がこの地で。
 ティク・ナット・ハンは、仏教界ではダライ・ラマと並ぶ、現代を代表する霊的指導者であります。そう、ダライ・ラマとティク・ナット・ハンとは、お互いに尊敬しあう関係なのだそうですが、もしかすると二人の同時来日ということもありえるかもしれません。
 もし、この二人が富士山で相まみえたら…私の妄想はふくらみます。
 来年5月のリトリートは我が鳴沢村で開催されます。私も時間の許すかぎり参加したいと思っていますが、ぜひ皆さまもどうぞ。
 富士山という地球的特異点での瞑想は、必ずや大きな波動を創りだすことと思います。
 この動画の歌も素晴らしいですね。なんとも癒されます。東洋音楽、西洋音楽というような二元論ではとても語りきれない音楽世界がここにはあります。
 繰り返される「南無観世音菩薩」という歌詞(ベトナム語)。同様に繰り返される和音進行とメロディー。単純ですが、いや単純だからこそ心の奥深くに染み透る癒やしがあります。これはまさに未来の地球平和のイメージそのものでしょう。
 観世音菩薩は般若心経の冒頭に出てくることからも、般若(智慧)の象徴とされます。すなわち「苦」を滅諦する象徴でもあるわけですが、この場合の「苦」とは単純に苦痛や苦心、苦境や苦役のようなイメージではなく、昔もののあはれ=苦諦に書いたように「思いどおりにならない=もの」であると、私は解釈しています。
 つまり、「苦」(不如意・不随意)は、自分の意志を超えたところにあるという意味であって、そこには悪いことだけでなく、想定外の良いこと、僥倖という意味もあるのです。
 すなわち良いことも悪いことも全てモノ(他者)によってもたらされるという意味を理解することこそが、観世音菩薩が象徴する世界そのものなのです。
 偶然ではありますが、「観音」という言葉は「音を観る」と読めます。たとえばこのチャンティングを聴いてるとある種のヴィジョンが立ち現れますよね。
 言葉を聴いて未来をイメージするという意味では、「言霊」も同じような意味なのかもしれませんね。そして、目指すのは、音も言葉も超えたところにあるヴィジョンです。富士山での瞑想は、そこへの近道かもしれませんね。

2015年ティク・ナット・ハン師の来日招聘を実現するための実践ポータルサイト

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2014.09.18

告知! 富士学苑ジャズバンド部 第12回リサイタル

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 日は宣伝です。20日土曜日夜6時から、我が富士学苑中学・高等学校のジャズバンド部の第12回リサイタルが行われます。場所は富士吉田市ふじさんホール(市民会館・富士五湖文化会館)です。
 毎年、個性豊か、そして若いエネルギーに満ちた演奏を聴かせてくれる生徒たち。今年のバンドもなかなか魅力的ですよ!
 今や全国的にも有名、日本一忙しい中高生バンドと言ってもいいMISO。先日も仙台の定禅寺ストリートジャズフェスティバルメインステージで演奏させていただきました。
 年間50本以上の本番をこなす彼らですが、やはりこの定期リサイタルが最も気合いが入ります。3年生にとっては最後の演奏会ですからね。
20140919_154915 今年度のバンドは楽器はもちろんボーカルも実力派、いや天才!大変聴き応えあります。
 また今回は、ゲストにOGのトランペッターを招きます。彼女は現役時代、私が「天才」と認定した奏者。すごいですよ。練習で久しぶりに生演奏に触れましたが、さすが表現が大人っぽくなってる!?本番が楽しみです。
 ボーカルの子やゲストの子もですね、私が「天才」というのは、もちろんただ達者な奏者という意味ではありませんよ。
 ずばり言うなら、美空ひばりと同じリズム感を持っているということです。拍を数えるという意味でのリズムではなく、もっと大きな流れとしてのリズムです。聴いていただければ分かりますよ。
 ちなみに、全然天才ではないし、まだまだ下手くそではありますが、不詳ワタクシの娘もベーシストとして参加いたします。まあ中3にしては達者に弾ける方だとは思います。今のところ達者どまりですけどね。
 ぜひ、皆さん、足をお運び下さい。絶対に損はさせません。必ずや満足していただけると確信します。
 入場は無料です。お待ちしております。


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2014.09.17

iMovie '13

Droppedimage に忙しくなっております。学園祭のノリです(笑)。楽しいですね。ビューティフル・ドリーマーではありませんが、人生、毎日が学園祭前日だと充実しますね。当日だと終わっちゃう感がありますから、やっぱり前日。
 ということで、学校での私の立ち位置は「何でも屋」。あるいはAV担当。いや、AVといっても、あっちじゃなくて(笑)、こっちですよ。オーディオ・ヴィジュアル。
 というわけで、いろいろな行事や部活で使う音源や映像の編集は私がほとんど担当します。Mac使いが私しかいませんしね。AV関係というかアート系はやっぱりMacでしょう。
 というか、才能の有無は別として、アートに興味があったり、クリエイティヴな人がMacを使うわけですよね。事務機器では芸術…とまでは言いませんけれど、作品すらできません。せめて文房具でないと。
 で、今回の急なオファーは土曜日に開かれる高校のオープンスクールで使う学校紹介ビデオの製作です。
 まあ得意分野なのでおまかせあれとばかりに素材集めにとりかかりました。そして、いよいよ編集。
 そう、毎年中学生を使って「実写版うる星やつら」なんか撮ってますからね、どうせじゃドラマ仕立てにしようと。
 で、いつも使っているiMovieを立ち上げてみたところ…なんとクラッシュ!
 まあ、そりゃそうです。私が愛用していたのは、なななんとiMovie HDという8年も前のソフト。
 あれが好きだったんですよ。感覚的に使えるし、チープなエフェクトとかあって。
 しかし、最近Mavericksにしたら、そういう愛用してきた古いソフトが軒並み挙動不審になってしまった。けっこうピンチです。
 特に今回は時間がありません。もうこうなったら最新のiMovieを導入するしかない!
 ということで、1500円出して、最新のiMovieをダウンロードしました。
 インターフェイスも全く変わってしまっていて、最初はなんともやる気が出ませんでした。一から学ぶのは面倒臭い…。
 などとグチグチ言っていたら、職場の同僚が「自分をヴァージョン・アップしたら?」という有難いアドバイスをくれました。なるほど自分をヴァージョン・アップか!
 はたして自分という「マシン」の性能がこのヴァージョン・アップについていけるか。もしかして、新しいヴァージョンは、この私という前世代のマシンに対応していないのではないか…。
 しかし、まあ便利な時代ですね。YouTubeを探せば、やさしいやさしい先生方がたくさんいらっしゃって、手取り足取り…ではないけれども、分かりやすく教えてくれるのですね。
 私は、今回、こちらの先生の一連の講義で学ばせていただき、なんとか2時間ほどで使いこなせるようになりました。ありがとうございます。

 おかげさまで、楽しい作品が出来上がったと思います。ご覧になりたい方は土曜日にいらしてください。3分間でどれだけ笑わせるか…いやいや、学校の魅力を伝えるか。

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2014.09.16

『世界遺産にされて富士山は泣いている』 野口健  (PHP新書)

Th_9784569820040 日はローリング・ストーンズの専属カメラマン、有賀幹夫さんが遊びにいらっしゃいました。ストーンズはもちろん、ポール・マッカートニー、日本では忌野清志郎さんや吉井和哉さんを撮り続けてきたスーパー・フォトグラファーさんです。
 音楽の話ももちろんしましたけれども、全然違う話でも盛り上がりました。とは言え、やはりロケーションの影響か、富士山の関わる話がほとんどだったような気がしますね。
 世界文化遺産になった、その要因は自然というよりも「芸術」と「信仰」ですからね。アーティストにとって富士山は常に最高のロケーションであり、素材であって当然です。
 ロックと富士山というのも、実は非常に深い関係があると思います。有賀さんともその点では意見が一致しました。考えてみれば、志村正彦くんはもちろん、 吉井和哉さんも、また藤巻亮太くんも富士山に深く関わっていますよね。
 有賀さんの素晴らしい構想もあります。きっとロックの分野でも重要な動きがあることでしょう。楽しみです。
 世界遺産となって、さらにそのような存在感を増している富士山ですが、一方で多くの問題を抱えているのも事実です。正直、世界遺産登録取り消しの可能性がけっこう高い。
 そのへんのことをガツンと書いてくれているのが、この野口さんの本です。
 野口さんは、登山家であり、また自然保護活動家であるのは周知のこととして、最近では藤巻亮太さんとのコラボレーションでメディアに登場することも多いですね。
 そうそう、来月にも富士吉田のふじさんホールで二人はイベントを催します。私もなんとか時間を調整して参加しようと思っています。
 また、その後も別のイベントで野口さんとお会いする機会がありそうです。
 私は富士山の別荘地に住んでいるという意味においては、ある意味では世界遺産に傷をつける、あるいは汚す存在であるとも言えます。
 だからこそ、富士山の多様な価値や魅力を発信しているつもりですけれども、どこか自己矛盾を感じているのもまた事実であります。
 私が妄想している富士山を世界に開くという事業も、観光や開発をどうしても伴うものです。そこをどうすり合わせていくか、これは本当に難しい問題ですね。
 特に地元の「生活」というローカルな部分と、たとえば仲小路彰が考えたグローバルな富士山とは、どうしても噛み合わないところがある。理想論だけでは絶対に解決しない。
 私はもう長いこと富士山麓に住んでいますが、それでもよそ者であることには変わりありません。そんなよそ者が勝手に「富士山、富士山」と言っていることに、正直苦々しい思いをされている方もいるようです。
 新たに外からやってくる方には、「地元を大切に」というアドバイスをしていますが、それもまたずうずうしい言葉だとも言えますね。
 しかし、そういう矛盾を乗り越えなければ、本当の富士山の価値は表現できないとも思っています。
 その点、この本で示されている野口さんの具体案は、さすがバランスがいいと感じますね。地元のことも最大限考えた上での改革案。
 自然保護を訴える方々の中には、感情論というか、情緒的な論調になってしまう方も見受けられますが、野口さんはちょっと違う。プロ意識が高いのでしょう。同じよそ者として(!)学ぶべき点がたくさんありました。
 今のまま行ったら、本当に取り消しの憂き目に合いそうな富士山。それはそれでいいのか。いや、今こそ我々(よそ者含めた)地元民の意識改革と行動力が試されているのではないでしょうか。
 特に教育は大切だなあ。あまりに生活の一部になってしまっていて、感動もありがたみも尊崇の念も忘れてしまいがちな子どもたちにとって。
 というわけで、この本を読み、これからもますます「深い」活動をしていかねばならないと感じたのでありました。

Amazon 世界遺産にされて富士山は泣いている

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2014.09.15

進撃のファーファ

Th_img_2892 ょっと重いネタが続いていたので今日は軽めに。
 いろいろあってもへこたれないウチのカミさんが、ものすごい勢いで喜んで帰ってきました。
 命拾いするという幸運があった上に、なにかまたいいことがあったのかなと思ったら、「当たった!」とのこと。トラックに当たった上に何に当たったかというと。
 ファーファ。
 ファーファの熊のぬいぐるみが当たったのだそうな。
 買い物に行ったら、このぬいぐるみが目について、特設コーナーの人に聞いたら、新製品を買ってくじを引いて一等が当たったらもらえるとのこと。ただし、一等は一体(一本)のみ。
 昔からファーファが好きだったらしいカミさんは、さっそく新製品を購入し、いざくじを引くと…ジャーン!なななんと、見事一本のみの一等を一発で当ててしまった!
 う〜ん、なんだか山口家の運をこの数日で全て使い果たしてしまっているような(笑)。
 というわけで、ビックリした店員さんが小さいのもつけてくれたそうです。なんという強運の持ち主。
 ところで、カミさんがファーファを好きなわけは、ネット動画で人気(?)の「進撃のファーファ」がお気に入りだということもあるらしい。知ってますか?
 進撃の巨人の、あの荘厳なテーマ音楽に、なんともゆるいファーファの映像を重ねたMADです。

 たしかに面白い!w 
 ちなみに細かい芸と笑いどころを知るためには、以下のコメント付き動画を見るのが良い。

 まあ、日本人っていうのは、こういうシャレを真面目にハイクオリティでやってしまうからすごい、というかおバカですね(笑)。
 ちなみに「進撃の〜」はミッフィーの方が元祖だそうな。これもまた面白い。

 これもコメント付きで見てみましょう。まあよくやりますねえ。

 というわけで、カミさんもますます元気ですのでご心配なく。なんかスミマセン(笑)。


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2014.09.14

『臨死体験 立花隆 思索ドキュメント〜死ぬとき心はどうなるのか』 (NHKスペシャル)

Th_thum_01_2 3日前、ある意味での「臨死体験」をした家内は、おかげさまですこぶる元気です。精神的にも全くダメージを受けていないようで、あらためてその心身のタフさに驚いています。
 本当にいろいろな方々に温かいお言葉をかけていただき恐縮です。
 しかし、それにしても全くの無傷というのは不思議です。これもまたある種の「神秘体験」でしょう。また、私が当日の朝に感じた予感、虫の知らせもまた、科学では証明できない体験の一つかもしれません。
 今日のNHKスペシャルにはいろいろなことを考えさせられましたし、私は一つの確信のようなものを感じることができました。
 立花隆さんは、「死後の世界はない」と考えています。最新の文藝春秋では、「人は死なない」の矢作直樹さんを、「東大の恥」と強烈に批判しています。
 まあ、それはそれで構いません。死んだあとのことは誰もわかりませんから、本当はその部分で争ったり、人を批判したりできないと私は思いますが。
 死後のことは後回しにして、その寸前、すなわち「臨死」については体験的にも科学的にも討論できますよね。今日の番組もそういうことでした。
 昔からよく言われていたように、死への恐怖も本能的にプログラミングされており、また、それに対抗するために死に臨んでは、そこに天国を感じさせるような一種の錯覚を生じる装置もプログラミングされているのはたしかです。生物としてそういうふうに進化してきたわけですね。
 そうそう、ウチの家族で一番臨死体験に近い体験をしているのは上の娘です。あくまで臨死体験に近い体験であって、本当に死にそうになったのは家内、いや下の娘かもしれませんが、ヴィジョンとしての体験ということでいうと上の娘。
 昨年の夏、高校野球の応援中に、いわゆる熱中症でぶっ倒れたんですね。彼女いわく、突然世界が光に満ちて真っ白になり、遠くで大好きなボカロのキャラ(エネ…笑)が「おいでおいで」していたと。やった〜!あっち行こう!と思ったとたん現実に帰って私の顔が目の前にあったと(笑)。
 やはり、その時は全く恐怖感はなく、どちらかと言うと幸福感に満ちていたそうです。だから、現実に戻してしまった私の顔がとても憎らしく見えたとのこと(笑)。
 なるほどですね。
 番組でも言及されていましたが、私たちが毎晩のように見る「夢」も、臨死体験の一種と言えるようにも思います。そこにさらに脳内物質が分泌されると宗教的な幸福感を味わうことになるのでは。宗教の起源もそうした「臨死体験」にあるのではないでしょうか。
 ちなみに「死後の世界」ですけれども、私はあると思っています。いや、「死後」というと正確ではないかもしれない。
 あの日の朝の私の予感(虫の知らせ)もそうですが、最新の量子論や高次元科学においては、時間の常識が崩れてきています。共時性(=シンクロニシティ)ですね。
 つまり、死ぬということは、私たちをこの3次元の世界に縛り付けている肉体が滅ぶことであって、すなわちそこで初めて時間の一方向性から私たちは解放されるというわけです。ですから「死後」という概念も無意味になります。前後がないのですから。
 そういう理屈で言えば、この世で言う「死後」は全体になるので、それはあると言えばあるし、この世の時間観からすればないということになるでしょう。
 私は死に対する恐怖はそれほどありません。しかし、生に対する執着はたくさんあります。だから、死にたくはありません。
 ここ数日いろいろなことを体験し書いてきたように、私たちはまだままた生きてやらねばならないことがたくさんあるのです。人のために、地球のために、宇宙のために。

Amazon 「臨死体験」が教えてくれた宇宙の仕組み

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2014.09.13

『愛は、あきらめない』 横田早紀江 (Forest books)

Jpeg 日は「大きな夢の一つが叶った」と書きました。
 今日は、また別の大きな夢の話。これについてもまた神と人の力によって、近々叶うことを祈り、願い、行動していきたいと思っています。
 今日、拉致問題の早期解決を求める「国民大集会」が開かれました。
 この集会で、横田めぐみさんのお母さま早紀江さんは「今回は最高のチャンスではあるが、絶対最後にしてはいけない。どんなことがあっても、こんな大事なことだけは国民みんなが解決を望んでいることを最後まで言い続けることができるよう応援してほしい」と訴えました。
 この集会に先立ち、早紀江さんの手記「愛は、あきらめない」が出版されました。めぐみさんとの離別が神との出会いを生み、そして神の愛によって奇跡が起きる…読んでいて涙がこぼれました。
 2年前、45年ぶりにめぐみさんのご両親にお会いした時の記事(こちら)に書きましたように、私は幼い頃めぐみさんと一緒に遊ぶ仲でした。父親どうし職場が同じだったのです。
 この本にもその頃の光景が「京浜東北線の沿線」という形で描かれています。まったく不思議なご縁ですが、私はその光景をめぐみさんと全く同時期に共有しているのです。
 私は絶対近いうちに、再びめぐみさんと今のこの日本の美しい光景を共有できると信じています。
 来週中に大きなニュースが飛び込んでくることと思います。そう願っています。
 予定では、ちょうど1ヶ月後、2年ぶりに横田さんご夫妻にお会いできることになっています。その時には、最高の喜びをもってご挨拶できればと思います。
 「愛は、あきらめない」…まったくその通りだと思います。ある意味、神にとっては「あきらめない」のは当たり前です。なぜなら神は愛そのものだからです。
 では、人はどうなのか。
 あえて言うなら、「あきらめないことこそ愛」なのではないでしょうか。親の愛はもちろん、先生にとっての愛も、夫婦の愛も、人類愛もそうです。「愛」と「あきらめない」が同義であるということを、神は教えてくれているのではないか。
 この本を読んで、そんなことを思いました。

Amazon 愛は、あきらめない

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2014.09.12

大きな夢の一つが実現しました…神と人に感謝!

↓札幌五輪シンボルマーク(永井一正)
112_2 日は皆様にご心配をおかけしました。そして、温かいお言葉の数々、本当にありがとうございます。
 本人はもちろん、私たち家族も、もう一度生き直しの気持ちで毎日を送ろうと誓い合いました。
 生きているということは本当に素晴らしいことす。そして生きるということは、人の幸せを願うことです。つまり、生きていないと人の幸せを願うこともできないのです。
 私たち家族の目標はあくまで「地球の平和」「宇宙の平和」ですから、とにかくまずは自分たちが健康で元気に生き続けなければなりません。
 そのためにも、私たちは特定の宗教とかではなく、毎日八百万の神々に感謝して、また神々の声を大切にしているつもりです。
 そんな私たちにはとてつもなく大きな夢がいくつかあるのですが、今日はそのうちの一つに関してとても良い知らせがありました。
 2020年東京オリンピックのエンブレム(シンボルマーク)デザインについて、非常に嬉しい決定がなされたのです。こちらのニュースをご覧ください。
 昨年から不思議なご縁をいただき、ぜひとも東京五輪のデザイン部門のトップにと願っていた永井一正さんが、シンボルマークデザインのコンペ審査の長をなさることになったのです。
 ロゴやマークなどのデザインは、私たちが考えている以上に未来に大きな影響を与えます。一つのデザインに全体の命運がかかっていると言ってもいい。すなわち「イコン(霊的象徴)」としての機能があるのです。
 そういう意味で、ちょうど半世紀前の東京五輪で亀倉雄策さんのもとで働き、72年の札幌五輪ではシンボルマークをデザインした永井さん、魂のレベルで日本の、いや世界のデザイン界を代表する永井さんに、ぜひとも次の東京五輪で大きなお仕事をしていただきたかった。
 その夢がとりあえず叶い、正直とても安心しています。永井さんやそのお近くの関係者の皆さんはもちろん、いろいろ水面下で動いてくださった皆さまに、私からも本当に感謝を申し上げます。もちろん、神々のお力にも。ありがとうございました。
 もちろんこれからが本番ですが、大きな流れとして、これでもう間違った方向にはいきません。ますます素晴らしい未来が見えてきたような気がします。
 ここでさらに鮮明化した未来ビジョンについて、僭越ながら、そして非常にずうずうしくも、永井先生とお話させていただきたく思っています。
 何度か書いてきましたとおり、次回の東京オリンピックは地球の平和にとって非常に大きな意味を持つ大会となるはずです。
 まずはそのシンボルへの入り口が正しく地固めされました。ここからいよいよ本番への道程が始まります。私たちも一庶民の立場ではありますが、ただの傍観者としてではなく、積極的にバックアップさせていただきたいと思います。
 本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願い致します。ますます楽しみですね!


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2014.09.11

奇跡…神様に感謝

Th_img_2787 ず最初に「全く大丈夫です」と言っておきます。それから今日あったことを書きますね。
 今日の夕方、ちょっと大切なお客様とお話をしている時、何度もケータイが震えました。チラ見すると家内からでしたので、とりあえず霧視。
 用がすんだところで、こちらから電話してみると、なんと男の方の声が。ん?
 「こちら◯◯消防の救急隊ですが…」
 いやな予感…。
 「実は奥様が事故に遭われて今◯◯病院に救急搬送したところです」
 あっ!来た…と思いました。
 というのは、今朝、私はある意味こういうことが起きる可能性があると予感していたのです。それについては、のちほど。
 「とりあえず命に別状はありませんし、ご自分で歩ける状態ですので…」
 内心ほっとしながらも、もしこちらが加害者的な立場だったらという危惧もあり、どういう事故の状況だったのですか、と聞きました。
 「走行中2tトラックと衝突して2回ほど横転しながら畑に転落したようです」
 な、なに?思ったよりも大きな事故のようです。
 と、すぐに電話の声は家内にかわりました。
 「今、診察が終わったんだけど、どこも痛くないしケガもないので帰っていいって…」
 な、なに?無傷?
 その後すぐに病院に向かいましたが、たしかに見たところいつもと変わったところもないし、痛いところ、違和感のあるところもないとか…。
 ただ、髪の毛の中や服の中からは割れたガラスがボロボロ出てきます。うわっ…。
Th_img_2788 さっそく二人で事故現場に戻りました。すると、たしかにトウモロコシ畑の中にウチのアルトちゃんが…。たしかに大事故だ、こりゃ。
 いきなり運転手本人がピンピンして帰ってきたので、警察の方々もびっくり。
 聞くところによると、救急隊が現場に到着した時、その惨状を見て、これはドクターヘリ要請か?と思ったそうです。
 簡単に言いますと、畑の中の直線道路を走行中、横道から減速せずにトラックが進入してきたと。そして、お互いブレーキを踏む間もなくドッカン。
 トラックと軽自動車ですから、軽自動車が吹っ飛ぶのは当たり前。まず180度前後に回転しながら横滑り状態でトウモロコシ畑に突入。落差もあったので、横転してこの状態で止まったと。
 近くで農作業をしていたご老人たちが救急車や消防車を呼んでくれたようですが、なにしろあまりに衝撃的な現場だったので、皆さん近づいて来なかったとのこと。分かります、それも。
 で、カミさんはどうだったかというと、やはり、よくあるように(私も体験しましたが)、全てがスローモーションになったとのこと。そして、ああ死ぬなと思ったようです。
Th_img_2789 回転しながら畑に落ちて止まったあと、あれ?生きてる。どこも痛くないと思ったようです。さすがにどこも痛くないのはおかしい。もしかして自分は死んだのか?とも思ったようです。そりゃそうだ。
 結局ですね、奇跡の奇跡、本当に不幸中の幸いで、全くの無傷だったのです。擦り傷一つない。たんこぶもない。ムチ打ちもない。
 救急隊も警察も目撃者も、そして本人も信じられない。私も今でも信じられません。
 本人曰く、自然体で車と一緒に転がったのが良かったのではないかと。ホンマかいな(笑)。
 いや、ちょっと待って…そういえば何か不思議な球体のようなモノに守られていたような気もしないでもない…そんなことを言っていました。たしかに何かに守られなければ無傷はありえないでしょう。
 まあ、その真偽はどうであれ、まずは神仏に感謝であります。本当にありがたやありがたや。
 私は今でも同時進行のパラレルワールドを想像できます。いろいろなパターンの。また、100分の1秒ずれていたら、葬式の準備をしていたかもしれない。全ての意味において、拾った命、いや、与えていただいた命であると思います。
 そう、今日の朝の予感ですけれども、今朝出勤の時、家内が本当に珍しく庭で車を見送ってくれたのですね。車には娘二人も乗っていたのですが、今日のお母さんはなんだ?というふうにみんなが思いました。
 私はバックミラーでこちらを見ながら立ち尽くす家内の姿に、なぜだか「ん?今生の別れかも」と思ってしまったのです。それはたまたま昨日、テレビで奇跡の脱出スペシャルのような番組を見たからかもしれません。
 もちろん、私はいつもの私なりの方法で、そのいやな予感を払拭したのですが、どうもすっきりせず、心にひっかかっていたのは事実です。
 皆さん、本当に気をつけてくださいね。いや、自分が気をつけていたつもりでも、こういうことが起きます。こうして、元気に毎日生きられることの「有り難さ」をしっかり噛み締めて生きたいと思います。
 ご心配をおかけしました。
 

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2014.09.10

iPhone6 & Apple Watch 発表

Th_tm_1409watch_01 よいよ発表されましたね。さらにデカくなったiPhoneとウェアラブルデバイスの林檎時計。
 今回の私の印象は「大きすぎ」と「小さすぎ」です。
 まずiPhone6に関して。とにかくまた大きくなってしまったかという感じ。私の理想は4。親指で画面上部まで(日本人の手で)操作できる大きさ。
 5になっただけでけっこう不満に感じていましたからね。画面の左上に「戻る」があるアプリとかページがけっこうあるじゃないですか。そういう時、親指の長さが1センチ足りない(笑)。
 6になってさらに大画面化したとなると、2センチ足りなくなる。そうすると、今度は本格的に持ち直したりする必要が出てきますね。
 Plusは論外。あれはギャグでしょう(笑)。なんでも、片手操作用の画面が下に降りてくるような機能があるようですが、そんなことのために親指を2回動かさねばならないのは、余計に面倒とも言えますよね。
 まあ、実際使っていないので、偉そうなことは言えませんが、どんどん巨大化していくのはなんか不思議というか、正常進化なのか疑問に思います。
 私のイメージとしては、これからは通話&メール用のガラケーとiPadなどのタブレットの2台持ちが、日本では一般化していのではないかと。日本ではね。
 そうすると、中途半端に大きい、いわゆるファブレットの意味はほとんどなくなってしまうような気がします。
 そういう意味では、どうせだったら6を出すにしても、逆に4くらいの大きさのものも用意したらどうかと思うんです。安価版でもいいので。
Th_tm_1409watch_02 では、小さければいいかというと、やっぱり「小さすぎ」はダメですよね。
 Apple Watch。これは正直デバイスとしては小さすぎます。いや、デバイスと言っても、今回のようなサブ・デバイスとしては逆に大きいのかもしれない。分厚いというか。
 そうそう、なんでiWatchじゃなかったのか。
 おそらく商標の問題だと思いますが、もしかして、iWatchは全く違った製品として出すとか。メイン・デバイスとして。インターネット機能やセルラー機能も搭載して。
 というわけで、私が1年半前に書いたこちらの記事をぜひお読み下さい。結局、今回のApple Watchは、ウルトラ警備隊のビデオシーバーどころか、出口王仁三郎の予言にも追いつけなかったということです(苦笑)。

Apple公式
 


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2014.09.09

昭和天皇実録公開

Th__20140910_85843 このところ、私の近辺で昭和史、皇室に関する出来事が連続しております。
 それがいったい未来的にどういう意味を持つのか、まだはっきりは分かりません。
 そんな中、今日、全国的にも非常に大きなニュースが流れました。昭和天皇実録の公開です。
 編纂に24年かかったとは言え、昭和天皇崩御後、これほど早く黒塗りなしで公開されるというのは、国史上特別なことです。衝撃とも言える。
 もちろん私はまだ読んでいないのですが、ニュースを見ていろいろ気になる点がありました。
 特に驚いたのは、一ヶ月半ほど前にこちらで私が否定的に書いた「富田メモ」に関して、間接的にではありますが、宮内庁として認めるような記述があったという事実です。
 それも、この実録が編年体でありながら、「なお、平成18年には、富田長官のメモとされる資料について『日本経済新聞』が報道する」という注が本文に付け加えられているとのこと。
 もちろんこれをもって、富田メモが本物であると証明されたわけではありませんが、宮内庁としてそれなりの吟味の末に、ある種議論を集結させるために意図的にこの文言をくわえたのはたしかでしょう。
 すなわち、富田メモの真偽は別として、やはり昭和天皇の真意は「A級戦犯合祀に不快感」だったわけですね。
 一ヶ月半前の記事で、私はそのお気持ちをも否定したわけではありません。なんとなくぼかしてはいますが、リンク先のこの記事での私の行動が示しているように、あくまで「鎮霊社や良し」なのです。逆に言えば…もうお分かりですね。
 この一件のみならず、今回のこの実録の完成、公開によって、昭和史の大きな塗替えはないとしても、「人間昭和天皇」像はより鮮明になってくるものと思われます。たとえ「神」であった時代があったとしても、あくまでも実体は「現人」であったということです。
 いずれ出版された暁には、私もしっかり熟読してみたいと思っています。近過去は未来を照らす灯りなのです。短歌をやっている私としては御製にも関心がありますね。ただ、いわゆる聖談拝聴録が見つからなかったのは残念でしたね。実は見つかっているのかもしれませんが…。

Amazon 文藝春秋 2014年 10月号

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2014.09.08

古賀稔彦さん講演会

Th__20140909_85428 徒対象に、賀稔彦さんが講演をしてくださりました。
 言わずと知れたバルセロナ五輪柔道金メダリスト。そして今は後進の指導者としても偉大な存在であります。つまり、立派な教育者。
 実際、素晴らしい講演でした。演題は「夢の実現〜挑戦することの大切さ〜」。内容はある意味一般的なものだったかもしれませんが、やはり、超一流の方の言葉は重い。説得力が違います。
 そして、なんと言っても、そのしゃべりの技術の高さに驚きました。もちろん無数の講演をこなしてきた末ではありましょうが、それにしても、その間のとり方、重要部分の繰り返し方、聴衆を巻き込む技、アドリブ力、まあ教師として学ぶべきところが多々ありましたね。
 昨年の、サッカーのラモス瑠偉さんも非常に上手でした。やはり、スポーツ界で頂点を極め、引退したのちも人前である種の「プレー」ができる方というのは、持って生まれた「タレント」があるのでしょう。
 特に格闘家をたくさん見てきた私としましては、のちにプロレスで活躍するタイプと、全くその可能性がないタイプとは、はっきり違いが分かりますし、結果としてですが、スポーツの時点で頂点を極めるのは、明らかに前者のタイプだと感じます。
 そこには、やはり身体性だけでなく精神性が必要だということでしょうね。特にのちに指導者となるには、精神的な技術も非常に重要です。
 そういう意味では、先月お会いした合気道の達人、廣澤英雄さんにも同じような力を感じました。相手(敵や観客)を飲み込んで、それを自らの力にしてしまう。教育現場で言えば、生徒をその気にさせてしまう力がある。
 それは単なる厳しさや怖さではない。どちらかというとその逆です。荒魂を内包した和魂とでも言いましょうか。
Th__20140909_85444 つくづく私にはそういう力が足りないと反省もいたしました。今日は朝から体調不良で、6時間目の高校生の授業なんか全くグダグダ。朝からいいお話を聞いたのに実に不甲斐ない。自分にがっかりしてしまいました。
 体調不良とか言い訳してい時点でプロではありませんよね。今日の講演にもあったように、愚痴と言い訳ばかり言っている間は、夢は実現できません。
 ま、私は全く立派な人間ではありませんので、逆にこれから挑戦していく甲斐が或るというものです。バカみたいに諦めないところだけは一流ですから(笑)。
 そう、バカみたいということで言うと、古賀さんもいい意味での「バカ」になりきれる人ですね。知り合いの柔道家の方もそう評していました。バカみたいに真っ直ぐ。これってとても大事です。
 世の中のトップに立つ人は、みな「バカ」です。アントニオ猪木さんが言うとおり「馬鹿になれ!」なのです。
 たとえば「正直者は馬鹿を見る」ですが、「馬鹿正直」にまでなれば馬鹿を見ないのです。
 おそらくは一般的に言う「馬鹿」というのは、それこそ一般的な常識の範囲を出ているということでしょう。しかし、その一般的な常識にとらわれないほどの真性の馬鹿は、世の中を動かす力を持っているのです。
 そういう人の言葉には迫力がある。なんだか知らないけれども惹きつけられるし圧倒される。古賀さんの言霊力はそのレベルに達していましたね。
 おそらく今日の講演もテキストにすれば一般的な常識の範囲内に収まることでしょう。しかし、生きた言葉には、まるで音楽のような不思議な力がある。テキストという「コト」をはみ出した「モノ」がある。
 私もそういう意味で「バカ」になれるよう、これからも精進していこうと思います。頑張らねば。

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2014.09.07

第三回 王仁三郎フォーラム

Th_img_2649 日の記事で紹介した高松宮の「平和に寄す」。何度読んでも心に迫るものがありますね。
 今日は、これまた絶妙なタイミングでの会合に参加してきました。東京は品川で行われた「第三回 王仁三郎フォーラム」。
 いつものように高尾駅近くの駐車場に車を駐めることにしましたので、これもいつものように武蔵陵墓地を参拝。
 まずは高松宮さまのお父様お母様である大正天皇ご夫妻の陵墓に参りました。参道を歩きながら、印刷した「平和に寄す」を拝読。
Th_img_2650 続いて、高松宮のお兄さまお義姉さまにあたる昭和天皇ご夫妻の陵墓を参拝。
 今後、高松宮さまのご遺志をなんとしても実現するためには、やはり皇室の歴史と伝統の力が必要であるなと実感いたしましたし、そして、それへ向けての強い勇気をいただくことができました。
 霊的なことを言うと拒否反応を示す方もいらっしゃいますが、こうして私が行動するための力をいただけるのは動かしようのない事実です。
 これこそが体現、すなわち霊主体従のはたらきであると思っています。
Th_img_2651 さて、フォーラムの方もまたすごいことになりました。まったくタイミングというのは不思議なものですね。
 こういうことばかり体験していると、望んでも唯物主義者にはなれませんよ(笑)。
 まずは、出口光さんから開会のお言葉。なかなか王仁三郎が世の中に認知されないというお話もありました。
 そうですよね。王仁三郎に関しても、いわゆる「国譲り」をしたと私はとらえていますから、まだまだ純粋な形で保存されている段階であり、それを掘り起こす人が選ばれている時代であると思っています。
 あせらなくていいと思います。
Th_img_2654 今日のフォーラム、まずは出口汪先生による講演。お父様である和明さんの研究を引き継いで、汪さんも王仁三郎の出自に関してお話になりました。
 汪さんからは実は以前よりうかがっていましたが、数年前亀岡の出口家で火災があり、その際、全く知られていなかったモノが出てきたと。
 今日はその一端についてお話されました。ある意味、ここにはとても書けないような内容であります。しかし、汪さんもこのタイミングでこれらが出てきたことに大きな意味があるとお考えですし、私もまさに日本の根幹に関する「不二」を象徴する事件であると思っています。いずれ関係者や世間も認めることになるでしょう。
Th_img_2655 後半は、「幕末 戦慄の絆」の著者である加治将一さんによる講演。基本的には同書の内容に沿ったお話でしたが、冒頭の坂本龍馬暗殺事件の「真相」も含めて、隠蔽、幽閉されてしまった(すなわち国譲りした)真実の暗号が、今この時に解かれるのだなと感じました。
 昨日紹介した高松宮殿下の「平和に寄す」のことや、今朝参拝した御陵のことを思うと、その暗号の深さにめまいがするほどです。
 孝明天皇、明治天皇、有栖川宮熾仁親王、和宮、出口なお、出口王仁三郎、高松宮宣仁親王、仲小路彰…ミッシングリンクの存在は明らかになりつつあります。そして、その秘匿された絆の現代的、未来的意味は…。
Th_img_2656 最後は汪さんと加治さんの対談。まだまだ続きを聞きたいというのが本音。
 しかし、焦ってもいけないと思いました。聴く側もそれなりの準備が必要な内容なのです。のちに日本の歴史の転換点(もちろん良い方向にです)となってもおかしくない事件になるでしょうから。
 それにしても、今日の一連のお話の中で思ったのは、なぜ王仁三郎が南朝系の宮下文書を重視したかです。また、大正天皇が有栖川宮家を重視したのか。そして、三男の高松宮さまに断絶した有栖川家の祭祀などを引き継がせたのか。そしてまた、高松宮家も断絶せざるをえなかったのか。
 私にはなんとなくその意味が分かってきました。いや、分かってくるような予感がします。やはり仲小路彰が鍵を握っている、いやいや、彼が大切なヒントを残してくれていると感じるのであります。
 この話題、これからも続きます。


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2014.09.06

高松宮宣仁親王 『平和に寄す』

200pxtakamatsunomiya_nobuhito 日紹介した未来への聖地…明神山。仲小路に深いご縁のあった方が、その記事を読んで貴重なメッセージをくださりました。
 その中に、『慰霊碑の向かって右隣に、高松宮様による「平和に寄す」と題したお言葉の板盤もありました。今は朽ちてしまい、誠に畏れ多いことです』との一節がありました。
 昭和天皇の弟君である高松宮さまがいったいどのようなお言葉を残したのか、非常に気になっておりましたところ、まったく不思議なことに、たまたまネットの古本屋で見つけた地球文化研究所の(すなわち仲小路彰による)「地球の平和 序説」が今日届きまして、表紙をめくってびっくり。
Th_img_2648 まさにその「平和に寄す」の一文が!
 本当に不思議なタイミングでした。これは高松宮さまからのメッセージに違いないと思い、今日はその一文をここに掲載いたします。
 掲載するにあたっては、旧字体を新字体に直させていただきました。
 この文章が掲載された「地球の平和」が発刊されたのは昭和25年。今から64年前のこのお言葉こそ、21世紀の未来のための聖言でありましょう。
 内容については私がとやかく言うべきものではありません。読んでいただければ分かります。
 立場上多くを語れなかった昭和天皇のお気持ちを代弁しているとも読めます。また、仲小路彰の戦後思想に皇室のお考えが大きな影響を与えていたことも分かります。
 また、高松宮が有栖川宮の祭祀等を受け継いだという歴史的事実から、出口王仁三郎と仲小路彰のミッシングリンクも見えてきます。
 いずれにせよ、今、私たちがしっかり味わうべき名文章であります。では、どうぞ。


   平和に寄す    宣仁
 
 日本の方向は、「ポツダム宣言」によって明確にされ、今日われわれは、民主主義理想と戦争抛棄を最高の目標として進みつつ、幾多の変化を身をもって体験し来った。この平和への方向にあって、日本が平和文化国家としての自らの未来に向って努力することが、そのまま世界平和へのささやかな寄与ともなりうることを、大きなよろこびもて自覚すべきである。
 恒久平和こそ人類史の根本課題であるとともに、今日の最大の現実問題でもある。
 人類の長い闘争の歴史において、破壊か創造かの解き難い矛盾が人類の叡智による新しい方法−過去の破壊に代る未来の創造への要請として解決されるときに、まことに何人にとっても望ましい”地球の平和”の出現することを、今こそ人類は明確に認識しなければならない。
 すでにそれを実現し、創造するに足る科学、物理又技術の発展は着々と行われている。
 しかし、それを全からしめるためには、その科学的発展を、人類目的の下に活用する人間精神の根源的自覚にまつところ大である。 
 これこそ人間に内在している大きな光を求める愛の中に生きることであり、これを忘れて徒らに知的な分析のみに依存したり、矛盾対立面の拡大に努めるならば、人類は救いがたい破滅の運命に陥るであろう。

 過去の日本の無條件降伏は、また単なる国家対国家の関係にとどまることなく、真に絶対平和への無條件降伏としての神への誓約でなければならない。それは真に神に対する武装抛棄とも云うべきであり、平和への精神的・物質的な献身行為によってはじめて実現するものである。
 日本は今や国土・国民・国史のすべてをあげて平和なるものへの自己開放を行うべき時であり、それは新しい平和文化への奉仕と貢献を自ら実践することによって開始されなければならない。
 まことに今日の日本の歴史的な立場は、約千三百年前、まさに聖徳太子の時代−当時大陸との交渉によってもたらされたイデオロギーの対立と相剋の中に、いかに生くべきかを求めつつあった日本の運命と酷似しているかのようである。
 当時、大陸より兵を撤し、軍事的国家より文化国家への一大転換の時代に立った日本に、大陸の文化は大きな対立をもちながら一度に流入し、日本古来の伝統とも鋭い矛盾をはらみつつ、国内は指導階級の分裂による社会不安の激化によって、危い現実に直面したのであった。
 この日本の深刻な危機に際して、聖徳太子は、「人の和を以て第一とする」十七条憲法をもって、平和文化国家としての最高の理想を表現し、日本の進むべき道を暗示されたのであり、これこそ、今日の新憲法ともならべられる平和文化への大いなる宣言と云うべきものであった。
 さらに太子は、夢殿において自ら神・仏・儒のイデオロギーの調和と体系化を実現され、かの「三経義疏」にみる仏教の深い理解と本質の把握は、単なる海外思想のまねではなく、それらの創造的統一による体系化として、その上に一切の文化建設を社会秩序にまでおしすすめられたのである。
 今日、新しい平和文化の黎明に際して、千三百年の昔、国史のまさに半ばに立たれて、平和文化国家としての方向を決定された聖徳太子の大理想を思うこと切である。
 日本の民主主義の方向は、二つの世界の大いなる対立の中にあって、その最も深い根源的理解とそれをいかに恒久平和の中に創造的に調和しうるか−という問題に直面している。

 民主主義が日常生活の中で真実の実践をみるように、日本の民主主義の最高の目標としての平和文化も、国民一人一人の信念として国土の中に未来に構想され、それへの断えない努力と献身によってはじめて実現されることを確信しなければならない。
 ここに”大和(タイワ)”としてあらゆるものの綜合と調和をなすべき日本の伝統的方向があり、平和文化の真の意義を見出すとともに、それをさらに新しい平和への信仰にまで高めることを必要とするのである。
 すでに原子力の開裂の響は、日本の国土に新しい平和世界を建設するための予言の如く、さながら、万世の平和を要望する神の声のようにひびいている。
 このような意味で、本文化大系は平和文化のための綜合的研究を行いつつあるが、実に、平和とは単に政治とか経済の問題だけにとどまらず、今後、人類がいかに生くべきかという問題として、体系的に解明されなければならない。
 人間精神の根源的自覚による大きな愛の光のもとにあってこそ、はじめて、現在の不安と動揺の人類生活に、永遠の平和が招来されうることを確信する。


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2014.09.05

平沢峠(その2)

 日の記事の続きです。
 今思いました。地学的な発想と宗教的な発想って、結局一緒ですよね。
 現代人は「理系」と「文系」みたいなアホな分け方をして、双方の距離を勝手に想定してしまいますが、もともとは一つですよね。どう考えても。
 たとえば富士山のような自然の造形に対して、私たちはある種の信仰心を抱きますよね。日本における原初的な祭祀の場というのは、ほとんどが地学的な特異地なのです。
 この平沢峠の「しし岩」も間違いなくそうだったでしょう。造形の不思議こそが、人間の力や想像を超えた「神」の存在予感そのものです。

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 晴れているのもいいのもですが、こうして霧に煙った磐座もいいですね。ますます神々しいではないですか。
 昨日の記事に書いたように、地学的、力学的にも特殊な環境にあるこの地。特に太古はもっとダイナミックに生きていたと思われますから、人々は自然に対して強い畏怖の心を持ったことでしょうね。
 生徒たちはそんなこと全く感じずワーワー騒いでおりますが(笑)。
 さて、もう少し近い歴史ということで言いますと、この峠はまた違った興味のわく場所であります。少し離れたところにこんな案内板が。

 Img_2580

 なるほど、韮崎から佐久方面への古道か。諏訪、佐久、韮崎。この八ヶ岳、蓼科山を囲む三角形というのはなんとなく気になりますね。ミシャグジ的に。「サク」も「シャグ」と同源であるとも考えられます。
 平沢峠から少し下りますと、「平賀源心の胴塚」というものがあります。

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 平賀源心(玄信)は武田晴信(信玄)16歳の時の初陣の相手とも伝えられています。その時、亡骸が重すぎて、この地で首を斬り落とし、胴体だけ埋葬したと言います。首塚は麓の若神子にあります。
 首のない武将の幽霊とか出そうですよね。夜な夜な自分の首を探して彷徨うとか…生徒にそんなことを言ったら、ここでは大いに盛り上がりました(笑)。
 峠には必ず物語があります。「峠マニア」がいるのも分かりますね。やはり、地学、地政学、歴史学、文学、宗教学は一つですなあ。
 将来ヒマが出来たら、そういう総合的な旅をして日本中を回りたいなあと思いました。

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2014.09.04

平沢峠(その1)

 然教室で八ヶ岳山麓に来ております。
 清里。なんかますます「昭和は遠くなりにけり」という感じですね。非常に閑散としております。
 昨年、清里で「昭和アイドル歌謡祭」を!という記事を書きました。観光協会の方がそれを読んだのか(笑)、駅前にライブ・パフォーマンスできるスペース(空き店舗)がありましたが、当然のごとくそこには誰もいませんでした。
 まあ、観光シーズンの過ぎた平日の昼間ですからね。しかたないでしょう。
 見かけたのはほとんどが中年グループ。静かに散策、あるいは登山といった風情。たまに見かける若者は、あまりの静けさに、なんとなく居心地悪そう(苦笑)。
 私たち自然教室旅行団は、そんな遺跡(?)を横目に今年もまた飯盛山に登りました。霧のため案外に涼しく、予想に反してそれほど疲れず気持ちの良い登山となりました。
 下山口は平沢峠。生徒たちにとっては単なる休憩箇所ですが、私にとってはなかなか興味深い場所。
 まず目につくのは「日本の分水嶺」という文字。

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 この写真で言いますと、真ん中より左に降った雨は日本海へ。右に降った雨は太平洋に注ぐというわけです。
 分水嶺は日本の中央を背骨のように通っているかというと、そうでもなくて、そうちょうどこの平沢峠のあたりは南(太平洋側)にぐっと食い込んできていることが分かります。
 このあたりが糸魚川静岡構造線と中央構造線が交差する、つまり、日本を東西、南北に分ける十字路に近いということを表しているのでしょう。
 そういう想像力を働かせてると面白いですね。

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 この地で、そういう想像力を働かせた偉人、先人がいます。かのナウマン博士です。フォッサマグナ発想の地。こういう案内板があります。

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 晴れていたら、生徒たちにこういう話もできたのになあ。と、(国語の教員でありながら)地学の血が騒ぐ(笑)。
 地学と言えば、この平沢峠にある「しし岩」も面白いですね。輝石の産地として有名です。しかし、それ以前にどのような過程でできたのか興味がわきます。古代の火山活動の産物なのでしょう。

Img_2585

 一人でしし岩を一回りしていると、今度は歴史・宗教の血が騒ぎ始めました(笑)。ふむ、これは磐座だな。神が降りてきた場所。祭祀の現場だったなと。
 というわけで、ここからは文科系のお話。明日の記事に続きます。

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2014.09.03

お天道さまが見ている

Thumb280xauto476_2 日はある子どもにこんな話をしました。
 「誰も見ていないから悪いことをする」というのは間違いだ。「誰も見ていない」と思った瞬間、実は二人に見られている。その二人とは誰か。
 皆さんはお分かりになりますか。
 以前、ある隣国の先生がウチに泊まりに来た時、富士山の山の中の交差点で赤信号で止まっていたら、「車が全然来ないのに止まっている意味はあるのか?」と聞かれました。なるほど、私が先方の国に行った時、早朝サウナに行く際、ほとんど信号無視していましたっけ。
 日本には「お天道さまが見ている」という言い方が古くからあります。これは儒教的、仏教的と言うよりも、やはり神道的な考え方であると思います。
 先ほどの子どもに対する問いの答えもそこにあります。
 二人というのは、自分と神様ということなのです。
 私は小学校高学年の時、これを実感しました。その年頃の男子によくあることですが、けっこう私も悪いことを平気でする、あるいはそうすることにスリルを覚えるようなところがある子どもでした。
 いろいろ悪さをした挙句、もちろん親や先生には怒られるわ、交通事故には遭うわ、彫刻刀が手を貫通するわ、前歯が折れるわ、まあ大変なバチが当たりました。
 それによってようやく「少なくとも二人が見ている」と感じるようになり、あんまり(笑)悪さをしない人間になりました。
 今思えば、ああいう痛い目に遭って良かったと思っています。
 日本人は、特定の宗教の信者にならずとも、そういう発想ができる。これは素晴らしいとことと思います。
 八百万の神という発想からすると、自分自身も神様であり、たとえば信号を神様であって、私たちの所業を見ている。そうすると、二人どころかほとんど無数の誰かに見られているということになりますね。
 それを総合して「お天道さまが見ている」と言ったのでしょう。常に私たちの行動、そして心の動きは白日の下にさらされている。
 ここには、何の教義も経典も要りませんし、アイコンもフィギュアも要りません。もちろん契約なんかも要りませんね。
 シンプルですから、世界中に本来共通であると思います。自分の中に在る仏性ならぬ神性を信じるだけで、悪事や悪意から自分が守られる。すなわち「救われる」わけです。
 家庭や学校での教育の中で、この「お天道さまが見ている」を、もっともっと語っていかなければならない時代だと再確認いたしました。
 日の丸ってそういうことなんでしょう。日の丸反対とか言ってる場合じゃありませんよね(笑)。

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2014.09.02

【討論!】世界を動かすものの正体?!

 日づけの記事の更新が遅れました。どうも最近は、背中を押してもらえることと、前進を妨げられることとがはっきりしている。それこそ「世界を動かすモノ」の存在を感じざるを得ません。
 それにちなんでと言うのも変ですが、今日はチャンネル桜の討論「世界を動かすものの正体?!」の動画を紹介します。
 テーマは最終的には「カネ」「情報」「ユダヤ」ということで、まんま巷の陰謀論になりそうですが、そのへんに関しては参加者の皆さん、一定の見識と冷静さを持っているので安心して聴くことができました。
 この討論でも語られているように、「ユダヤ」と一言で片づけてしまうのはいけませんね。出口王仁三郎も「良いユダヤと悪いユダヤ」という言い方をしたり、「ユダヤは悪に見せて善をやる」というようなことを述べて、ユダヤを一面的に捉えることを諌めていますね。
 そういう意味では、ここで語られていることは、ワタクシの「モノ・コト論」的に言うならば、まさに言葉にできる「コト」であって、世界を動かす「モノ」ではないのかもしれません。カネ(特に金融)も情報も、典型的な「コト」ですし。
 そうしますと、その「モノ」とは何なのか。それは、この討論で片桐勇治さんや水島社長が時々言いたそうにしている「(天皇を一つの象徴とする)日本の神道」なのではないでしょうか。
 経典や教義、あるいはアイコンやフィギュアをほとんど持たず(すなわちコトに頼らず)、これほどに多くの人びとに影響を持つ「モノ」はないでしょう。
 出口王仁三郎や仲小路彰を知っている私としては、なんとなくのイメージですけれども、コトのユダヤとモノの日本が統合されるのが、これからの時代であると思っています。もちろん、あくまでそれも神話(比喩)の領域での表現ではありますが。
 とにかくこの討論、なかなか面白いので、ぜひ御覧ください。3時間もかけられない方は、画面下部の歯車マークの設定から速度を「1.5」にすると2時間で見られますよ。YouTubeのいいとこは早見ができることですね。


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2014.09.01

仲小路彰没後30年〜未来への聖言

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 日2014年9月1日は、仲小路彰氏が亡くなってちょうど30年目にあたります。
 そんな記念すべき日に、私は山中諏訪神社を参拝し、宮司様らと大切なお話をさせていただきました。
 おとといの記事に書いたように、山中諏訪神社の奥宮の鎮座する明神山山頂は、「未来への聖地」であります。
 今日のこの日にちなみまして、仲小路彰がその明神山に託した夢を記した貴重な文書を掲載したいと思います。
 前半の「大東亜平和記念聖堂基地建設計画−山中湖明神峰の聖域化−」はもちろん重要ですが、続く「宇宙的地球の平和の顕現のために−平和哲学の根本理念−」は、来るべき日本、地球、宇宙の未来を象徴する至上の聖言であると思います。
 クリックしてぜひお読み下さい。

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Amazon 未来学原論

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