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2014.08.31

『闘魂外交』 アントニオ猪木 (プレジデント社)

なぜ、他の政治家が避ける国々に飛び込むのか?
20140901_64435 日、今日とアントニオ猪木さん主催の「インターナショナル・プロレスリング・フェスティバル in 平壌」が盛大に開催されました。
 今日の大会はニコニコ生放送で観戦。北朝鮮からの生放送というだけでもドキドキ。そして、プロレスという異文化を北朝鮮の市民たちがどのように受け入れるのかも楽しみでした。
 試合自体はある意味IGFらしいドタバタしたものが多かったのですが(笑)、それでも会場は大いに盛り上がっていたように感じます。
 歓声や拍手の起きるポイントが日本とは違い、プロレスを見慣れた私も、いつもとは違う観点、感性で楽しむことができたような気がします。
 それにしても、アントニオ猪木という男はすごい。ほとんど単身で硬い壁に風穴をあけてしまう。今までも、北朝鮮、ロシア、イラク、パキスタン、キューバなど、どちらかと言うと日本人政治家の苦手とする国々と深く交流し、たとえばイラクにおける人質救出などの実績を上げてきました。
 それらを紹介したのがこの本。ちょうどいいタイミングで発売されましたので、私もKindle版を購入し、観戦しながらサラッと読んでみました。
 「闘魂」…力道山の遺訓ですね。
 プロレスにおいては言うまでもありません。一方、外交においては、闘う相手は諸外国の要人であるとともに、国内の政治家や政党、マスコミや世論ということですね。なるほど。
 今の私にとって、この本の内容と今日の猪木の姿は、本当に良い参考になりました。なんで、お前が?と思われますよね。
 実は今、私もある意味「馬鹿」な夢を持っていて、ほとんど単身で(組織に属さず)動いているのです。もちろん猪木さんの次元とは雲泥の差がありますが、しかし、もしかすると目指すところは同じかもしれない。
 そして、たしかにそうして動いていると、損得勘定抜きで協力してくれる人も出てくる。多少なりとも私にも「闘魂」があるのでしょうか。
 そういう時というのは、猪木さんの外交姿勢のように、とにかく人間対人間でのつきあいをしている気がします。とにかく実際に会って、目を見て話す。
 最近も、初対面で30分かからず大きくことが動いたことが数回ありました。この情報化の時代だからこそ、そのような対面での腹を割った交流というのが大切なのでしょう。
 そんな時は、たしかに猪木さんの言うとおり「裸」になっているものです。馬鹿みたいに自分の理想を語り、馬鹿みたいに相手を信じる。
 最近知り合ったある人も「馬鹿」で「裸」です。外側からの批判もたくさん聞きますが、実際にことを進めることに関してはピカ一。
 実は、そういう「馬鹿」を批判する人たちは何もできない人たちなのです。何もできないというのは、本当はしたいけれども、組織のしがらみや立場があってできない人たちですね。そういう傾向があります。
 いずれにせよ、私も猪木さんを見習って「闘魂外交」をどんどんしていこうと思います。なにしろタイムリミットのあることなので迷っているヒマはありません。
 迷わず進め。行けば分かるさ。
 
Amazon 闘魂外交

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2014.08.30

未来への聖地…明神山

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 日は久しぶりに特に用事も来客もない一日でした。
 そこで午後、山中湖畔にそびえる明神山に登ってまいりました。
 実は初めての登山。今まで何度も登らばと思いつつ、なかなかその機会がありませんでした。今回このタイミングで登れたのは非常に幸運だったと言えるでしょう。
 山中湖では来週の4日から有名な安産祭が行われます。この安産祭は昨年こちらで紹介した山中諏訪神社の例大祭です。
 実はあさっての早朝、明神山の山頂にある山中諏訪神社の奥宮で、里宮の安産祭に先立ってご神事ご行われるそうです。

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 そのご神事のあと、ありがたいことに宮司さんらにお会いできることになりました。当日早朝のご神事には参加できないので、ではお先に失礼して私も奥宮に参拝させていただこうというのが、今日の第一の目的でありました。
 ここ数ヶ月私がこだわってきた「諏訪」から「富士」への龍脈の一つの終着点が、この明神山に鎮座する山中諏訪神社の奥宮なのではないか…あくまで私の直観、霊感ではありますが。
 また、その奥宮の隣には、このプログで何度も紹介してきた昭和の天才、未来学の仲小路彰によって建てられた「地球戦没者慰霊之碑」があります。今、私はご縁があって仲小路の未来構想の一部に関わらせていただいていますが、実はその中心的象徴である、この「地球戦没者慰霊之碑」にお参りしたことがありませんでした。
 今年の終戦の日にも地元の有志、仲小路とご縁のあった方々が登拝なさったということを聞き、私もなるべく早く参拝せねばと思っていたところ、一昨日でしたか、自分にとっては背中を押してくれる象徴的な出来事があったのです。
 それは、仕事で山中湖村の東小学校を訪れた時のことでした。校門前で子どもたちが元気な声で校歌の練習をしていたのです。思わず鳥肌が立ちました。
 というのは、この東小学校の校歌は仲小路彰の作詞作曲によるものなのです。哲学者としてだけでなく、作曲家としても多くの作品を残している仲小路彰。しかし、今でも歌い継がれているもの、あるいは私たちが生で耳にすることができるのは、実はこの校歌だけなのです。
 私は、いよいよ明神山に登らなければと直感しました。子どもたちの純粋な歌声から、そういうメッセージを受け取ったのです。

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 実は、この慰霊碑の話、明神山の話を総理夫人安倍昭恵さんとお話をしたばかりでもありました。この夏休みのある日、総理夫妻は山中湖のエクシブで夕食を召し上がられました。そのエクシブは明神山の中腹にあります。このタイミングで総理夫妻がエクシブに行かれたのには、深い意味があったのです。
 そうした大きな流れの中で思い出すのは、これも以前紹介した丹下健三による大東亜建設忠霊神域計画であります。このトンデモ計画の「神域」が位置していたのは、この明神山でありました。
 と、私の中ではまさに機が熟した感のあった明神山登山。そう、もうちょっと現実な話で言いますと、来週仕事でハードな登山をしなければならないこともありまして、そのちょっとした予行としてもいいかなと。ほんの20分くらいの登山ですから。
 三国峠へ向かう道中にあるパノラマ台に着くと、麓からは恒例のSWEET LOVE SHOWERの轟音と歓声が。以前は私も参戦していましたが、今日はちょっと離れたところから。いや、音はけっこうクリアーに聞こえますね。もう現場で飛び跳ねる元気もないので、こういう鑑賞のしかたもいいかも。
 きれいに整備された登山道(ハイキングコース)を登る間、怒髪天の骨太なロックが私の背中を押してくれました(笑)。これはこれでいいなと。
 最後の坂は少し急でしたが、それほど苦もなく、また汗をかくこともなく登頂いたしました。
 まずは中央にある諏訪神社奥宮さまを参拝。そして、その左側に立つ地球戦没者慰霊碑にも参拝。慰霊碑の塔は文字もほとんど消えてしまい、たとえば登山客などは、それがいったいなんの塔なのか分からないことでしょう。

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 頂上からの眺望は360度のパノラマ。富士山、山中湖、南アルプス、御坂山系、道志山系、丹沢や静岡方面の山々も望むことができます。
 本当に素晴らしい場所です。私のイメージしている諏訪からの龍脈の流れも強く感じることができました。
 御正体山と三ツ峠がともに雲をかぶりながら相対峙しているその間にも、もう一つのエネルギーの流れを感じました。
 私は、誰もいない頂上でしばらく天地と交流いたしました。足下からは、相変わらずロックの轟音と若者の歓声が。しかし、それもまた現代の平和を象徴するようで、意外にも不快にならないどころか、どこかすがすがしくもありました。
 次に登頂参拝する際には、耀わんを持参いたしたいと思います。いろいろな天地の情報を受信するために。

 


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2014.08.29

『河口湖』 伊藤左千夫

Guide65_04 士北麓にまつわる文学作品は多数あります。その中でも特に私の心をとらえた作品がいくつかあります。
 そのうちの一つ、「野菊の墓」で有名な伊藤左千夫の短編随想「河口湖」は、美しい日本語が紡がれる中に、はかなげに美しい光景、旅心に恋心、さらには当地の古伝説が織り込まれ、なんとも魅力的な小品となっています。
 今日はその全文を紹介しましょう。ぜひお読み下さい。



   河口湖       伊藤左千夫

 段ばしごがギチギチ音がする。まもなくふすまがあく。茶盆をふすまの片辺かたべへおいて、すこぶるていねいにおじぎをした女は宿の娘らしい。霜枯れのしずかなこのごろ、空もしぐれもようで湖水の水はいよいよおちついて見える。しばらく客というもののなかったような宿のさびしさ。

 娘は茶をついでにすすめる。年は二十はたちばかりと見えた。紅蓮ぐれんの花びらをとかして彩色したように顔が美しい。わりあいに顔のはば広く、目の細いところ、土佐絵などによく見る古代女房こだいにょうぼうの顔をほんものに見る心持ちがした。富士のふもと野の霜枯れをたずねてきて、さびしい宿屋に天平式てんぴょうしき美人を見る、おおいにゆかいであった。

 娘は、お中食ちゅうじきのしたくいたしましょうかといったきり、あまり口数をきかない、予は食事してからちょっと鵜島うじまへゆくから、舟をたのんでくれと命じた。

 富士のすそ野を見るものはだれもおなじであろう、かならずみょうに隔世的夢幻かくせいてきむげんの感にうたれる。この朝予は吉田の駅をでて、とちゅう畑のあいだ森のかげに絹織のの音を聞きつつ、やがて大噴火当時そのままの石の原にかかった。千年の風雨も化力かりょくをくわうることができず、むろん人間の手もいらず、一ぼくそうもおいたたぬ、ゴツゴツたる石の原を半里あまりあるいた。富士はほとんど雲におおわれて傾斜遠長とおながきすそばかり見わたされる。目のさきからじきに山すそに連続した、三、四里もある草木そうもくあるいは石の原などをひと目に見わたすと、すべての光景がどうしてもまぼろしのごとく感ずる。

 予はふかくこの夢幻の感じに酔うて、河口湖畔の舟津ふなづへいでた。舟津の家なみや人のゆききや、馬のゆくのも子どもの遊ぶのも、また湖水の深沈しんちんとしずかなありさまやが、ことごとく夢中の光景としか思えない。

 家なみから北のすみがすこしく湖水へはりだした木立ちのなかに、古い寺と古い神社とが地つづきに立っている。木立ちはいまさかんに黄葉こうようしているが、落ち葉も庭をうずめている。右手な神社のまた右手の一角にまっ黒い大石が乱立して湖水へつきいで、そのうえにちょっとした宿屋がある。まえはわずかに人のかようばかりにせまい。そこに着物などほしかけて女がひとり洗濯をやっていた。これが予のいまおる宿である。そして予はいま上代的紅顔じょうだいてきこうがんの美女に中食をすすめられつついる。予はさきに宿の娘といったが、このことばをふつうにいう宿屋の娘の軽薄な意味にとられてはこまる。

 予の口がおもいせいか、娘はますますかたい。予はことばをおしだすようにして、夏になればずいぶん東京あたりから人がきますか、夏は涼しいでしょう。鵜島には紅葉がありますか。鵜島まではなん里くらいありますなど話しかけてみたが、娘はただ、ハイハイというばかり、声を聞きながら形は見えないような心持ちだ。段ばしごの下から、

「舟がきてるからお客さまに申しあげておくれ」

というのは、主人らしい人の声である。めしがすむ。娘はさがる。

 鵜島は、湖水の沖のちょうどまんなかごろにある離れ小島との話で、なんだかひじょうに遠いところででもあるように思われる。いまからでかけてきょうじゅうに帰ってこられるかしらなどと考える。外のようすは霧がおりてぼんやりとしてきた。娘はふたたびあがってきて、舟子かこが待っておりますでございますと例のとおりていねいに両手をついていう。

「どうでしょう、雨になりはしますまいか、遠くへのりだしてから降られちゃ、たいへんですからな」

といえば、

「ハイ……雨になるようなことはなかろうと申しておりますが」

という。予は一種の力に引きおこされるような思いに二階をおりる。

 宿をでる。五、六歩で左へおりる。でこぼこした石をつたって二じょうばかりつき立っている、暗黒な大石の下をくぐるとすぐ舟があった。舟子は、しまもめんのカルサンをはいて、大黒だいこくずきんをかぶったかわいい老爺ろうやである。

 ちょっとずきんをはずし、にこにこ笑って予におじぎをした。四方の山々にとっぷりと霧がかかって、うさぎの毛のさきを動かすほどな風もない。重みのあるような、ねばりのあるような黒ずんだ水面に舟足ふなあしをえがいて、舟は広みへでた。キィーキィーとの音がする。

 ふりかえってみると、いまでた予の宿の周囲がじつにおもしろい。黒石でつつまれた高みの上に、りっぱな赤松あかまつが四、五本森をなして、黄葉したくぬぎがほどよくそれにまじわっている。東側は神社と寺との木立ちにつづいて冬のはじめとはいえ、色づいた木の葉が散らずに[#「散らずに」は底本では「敢らずに」]あるので、いっそう景色がひきたって見える。

「じいさん、ここから見ると舟津はじつにえい景色だね!」

「ヘイ、お富士山はあれ、あっこに秦皮とねりこの森があります。ちょうどあっこらにめいます。ヘイ。こっから東の方角でございます。ヘイ。あの村木立むらこだちでございます。ヘイ、そのさきに寺がめいます、森の上からお堂の屋根がめいましょう。法華ほっけのお寺でございます。あっこはもう勝山かつやまでござります、ヘイ」

「じいさん、どうだろう雨にはなるまいか」

「ヘイ晴れるとえいけしきでござります、残念じゃなあ、お富士山がちょっとでもめいるとえいが」

「じいさん、雨はだいじょぶだろうか」

「ヘイヘイ、耳がすこし遠いのでござります。ヘイあの西山の上がすこし明るうござりますで、たいていだいじょうぶでござりましょう。ヘイ、わしこのへんのことよう心得てますが、耳が遠うござりますので、じゅうぶんご案内ができないが残念でござります、ヘイ」

「鵜島へは何里あるかい」

「ヘイ、この海がはば一里、長さ三里でござります。そのちょうどまんなかに島があります。舟津から一里あまりでござります」

 人里を離れてキィーキィーの櫓声ろせいがひときわ耳にたつ。舟津の森もぼうっと霧につつまれてしまった。忠実な老爺は予の身ぶりに注意しているとみえ、予が口を動かすと、すぐに推測をたくましくして案内をいうのである。おかしくもあるがすこぶる可憐に思われた。予がうしろをさすと、

「ヘイあの奥が河口でございます。つまらないところで、ヘイ。晴れてればよう見えますがヘイ」

 舟のゆくはるかのさき湖水の北側に二、三軒の家が見えてきた。霧がほとんど山のすそまでおりてきて、わずかにつつみのこしたなぎさに、ほのかに人里があるのである。やがて霧がおおいかくしそうなようすだ。予は高い声で、

「あそこはなんという所かい」

「ヘイ、あっこはおいしでござります。あれでもよっぽどな一村でござります。鵜島はあのまえになります、ヘイ。あれ、いま鳥がひとつ低う飛んでましょう。そんさきにぽうっとした、あれが鵜でござります。まだ一里でござりましょう」

 いよいよ霧がふかくなってきた。舟津も木立ちも消えそうになってきた。キィーキィーの櫓声となめらかな水面に尾を引く舟足と、立ってる老爺と座しておる予とが、わずかに消しのこされている。

 湖水の水は手にすくってみると玉のごとく透明であるが、打見た色は黒い。浅いか深いかわからぬが深いには相違ない。平生へいぜい見つけた水の色ではない、予はいよいよ現世げんせを遠ざかりつつゆくような心持ちになった。

「じいさん、この湖水の水は黒いねー、どうもほかの水とちがうじゃないか」

「ヘイ、この海は澄んでも底がめいませんでござります。ヘイ、鯉も鮒もおります」

 老爺はこの湖水についての案内がおおかたつきたので、しばらく無言にキィーキィーをやっとる。予もただ舟足の尾をかえりみ、水の色を注意して、頭をくう感興かんきょうにふけっている。老爺は突然先生とよんだ。かれはいかに予を観察して先生というのか、予は思わず微笑した。かれは、なおかわいらしき笑いを顔にたたえて話をはじめたのである。

「先生さまなどにゃおかしゅうござりましょうが、いま先生が水が黒いとおっしゃりますから、わし子どものときから聞いてることを、お笑いぐさにもうしあげます」

 かれはなおにこにこ笑ってる。

「そりゃ聞きたい、早く聞かしてくれ」

「へい、そりゃ大むかしのことだったそうでござります。なんでもなん千年というむかし、甲斐かい駿河するがさかいさ、大山荒おおやまあれがはじまったが、ごんごんごうごうくらやみの奥で鳴りだしたそうでござります。そうすると、そこら一面石の嵐でござりまして、大石小石の雨がやめどなく降ったそうでござります。五十日のあいだというもの夜とも昼ともあなたわかんねいくらいで、もうこの世が泥海になるのだって、みんな死ぬ覚悟でいましたところ、五十日めごろから出鳴でなりがしずかになると、夜のあけたように空が晴れたら、このお富士山ができていたというこっでござります」

 爺さんはにこにこ笑いながら、予がなんというかと思ってか、予のほうを見ている。

「おもしろい、おもしろい、もっとさきを話して聞かせろ。爺さん、ほんとにおもしろいよ」

「そいからあなた、十里四方もあった甲斐の海が原になっていました。それで富士川もできました。それから富士山のまわりところどころへ湖水がのこりました。お富士さまのあれで出口がふさがったもんだから、むかしの甲斐の海の水がのこったのでござります。ここの湖水はみんな、はいる水はあってもでる口はないのでござります。だからこの水は大むかしからの水で甲斐の海のままに変わらない水でござります。先生さまにこんなうそっこばなしを申しあげてすみませんが……」

「どうして、ほんとにおもしろかったよ。それがほんとの話だよ」

 老爺はまじめにかえって、

「もう鵜島がめえてきました。松が青くめいましょう。ごろうじろ、弁天べんてんさまのお屋根がすこしめいます。どうも霧が深うなってめいりました」

 高さ四、五じょうも、周囲二町もあろうと見えるひさごなりな小島の北岸へ舟をつけた。瓠の頭は東にむいている。そのでっぱなに巨大な松が七、八本、あるいは立ち、あるいは這うている。もちろん千年の色を誇っているのである。ほかはことごとく雑木ぞうきでいっせいに黄葉しているが、上のほう高いところに楓樹ふうじゅがあるらしい。ずえの部分だけまっかに赤く見える。黄色い雲の一端にくれないをそそいだようである。

 松はとうていこの世のものではない。万葉集まんようしゅう玉松たままつという形容語があるが、真に玉松である。幹の赤い色は、てらてら光るのである。ひとかかえもある珊瑚さんごを見るようだ。珊瑚の幹をならべ、珊瑚の枝をかわしている上に、緑青ろくしょうをべたべた塗りつけたようにぼってりとした青葉をいただいている。老爺は予のために、楓樹にはいのぼって上端じょうたんにある色よい枝を折ってくれた。手にとれば手を染めそうな色である。

 みずうみも山もしっとりとしずかに日が暮れて、うす青い夕炊きの煙が横雲のようにただようている。舟津のいその黒い大石の下へ予の舟は帰りついた。老爺も紅葉の枝を持って予とともにあがってくる。意中いちゅうの美人はねんごろに予を戸口にむかえて予の手のものを受けとる。見かけによらず如才じょさいない老爺は紅葉を娘の前へだし、これごろうじろ、この紅葉の美しさ、お客さまがぜひお嬢さんへのおみやげにって、おお首おって折ったのぞなどいう。まだ一度も笑顔えがおを見せなかった美人も、いまは花のごときえみをたたえて紅葉をよろこんだ。晩食には湖水でとれた鯉の洗いを馳走してくれ、美人の唇もむろん昼ほどは固くなく、予は愉快な夢を見たあとのような思いで陶然とうぜんとして寝についた。








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2014.08.28

『富士山巡礼の旅』 (富士五湖観光連盟)

Th_img_2472 休み前に学校に贈られてきまして、中学生全員に配布した小冊子。
 これが非常にいい出来で、ぜひ皆さんにも読んでもらいたいと思ったのでここにおススメしますね。
 富士山が世界文化遺産に登録され、それに便乗した観光案内本がたくさん出ましたが、どれも今ひとつな感じがしていたんですね。
 しかし、この小冊子は、富士山の本質を捉えた素敵な文章と写真がしっかり詰まっており、非常に好感を持ちました。
 たとえば、十一の巡礼「河口湖」の産屋ヶ崎を紹介した文章の中の次の一節。私の考える「不二」の本質を捉えてくれていると感じました。

(引用)
 子どもの頃に知った様々な昔話も富士山の神さまも実は日本で最初に書かれた神話「古事記」のなかでは、すべて一つに繋がっている。紐解いてみると富士山の世界の裾野が日本の端々まで広がるようで面白い。
 おそらく古代神話とは山、海、火、水、太陽といった自然信仰が元になって、その不思議さや素晴らしさを神々の物語りとして仕立てたのが始まりなのではないだろうか。
 産屋ヶ崎に伝わる神話は、富士山の神様のもと海と山、水と火、女性と男性という異なる存在が一つに結ばれ新しい命が創造される物語だ。なるほど、安産の霊地。
 神さまの物語が生まれた場所に、その後世この地に惹きつけられた先人たちの足跡が記されているのも偶然でないような気がする。富士山の奥深さに繋がる『産屋ヶ崎』のような場所が、この広い湖畔にはまだまだ隠れているかもしれない。
(引用終わり)

 いいですよね。そのとおりです。対立するモノの統合の象徴としての「不二」。真実の比喩(神話)としての「不二」。
 残念ながら、この小冊子は非売品。えぇなんで?という感じですよね。もちろんこうして無料で配布してくれるのもいいのですが、いろいろな観光スポットや駅やお店などで、500円くらいで売ればより広く読んで活用してもらえると思うのですが。
 しかし、実はですね、もともとはこの小冊子の内容は、観光協会のホームページに掲載されたものだったのです。それを冊子化したと。
 ですから、この冊子の内容は全てこちらで読むことができます。
 とは言え、やはりこうした紙の本を片手に巡礼の旅をしたいじゃないですか。スマホ片手だと、なんか違う。
 特に、この小冊子の全体的なデサイン(紙の質なども含めて)が秀逸なので、そのように思うのであります。
 皆さんもぜひ、どこかで手に入れられるといいですね。まずは富士五湖観光連盟に連絡してみてはいかがでしょうか。

富士五湖観光連盟
 

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2014.08.27

杓子山=ミシャグジ山

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 日の不二の仕組み会の集まり、いろいろ勉強になることが多かったのですが、黒川柚月さんとのお話の中で、あまりに基本的でありながら、まさに灯台下暗し、さっぱり気づいていなかったことを教えていただいたので、備忘として書いておきます。
 もともとは私の方から話し始めた話題でした。ちょっと前にミシャグジ神と絹の道という記事を書きましたが、そこにも出てくる富士吉田市明見の「社宮地神社」。これがミシャグジ神社であることは分かっていました。
 しかし、その神社の鎮座する尾根がつながる杓子山(しゃくしやま)の「杓子」もまた「ミシャグジ」であるという事実に気づかなかった。お恥ずかしい話ですが、私の頭なんかこんなものです(苦笑)。
 杓子山は登頂したことはありませんが、大学時代から30年以上にわたって慣れ親しんできた山です。だからこそかもしれませんね。あまりに歴然としたことに気づかない。
 そういう意味では、地元の方々はワタクシ以上にこの事実に気づいていないでしょうね。まさに灯台下暗し。明見といえば杓子山というくらい身近なんですよ。
 ミシャグジに関する文献を読めばいくらでも「杓子」という漢字が当てられるという記載が出てくるのに、それと「杓子山」が結びつかないというのは、我が事ながら逆に面白くもありますね。
 どこかの登山関係の本で読んだ「シャク」とはガレ場、崩壊斜面などを表す言葉であるという知識がじゃましていたのかもしれませんね。耳学問なんてものはそんなものです(学校で教えていることもそう)。
 そうしてみますと、富士山に近い方から「高座山(たかざすやま)」「杓子山」「御正体山(みしょうたいさん)」という一連の霊山のつながりも見えてきますね。実際、以前は杓子山の頂上に「御祖代山杓子宮」という立て札が立っていたとか。
 いつかも書いたように、御正体山には皇太子殿下が謎の登頂をされています。高座山も往古は「高久良山」と称していたとも伝えられており、なんとなく神話的な匂いがします。
 この秋には、この一連の霊山の登山の計画をしてみようかと思います。

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2014.08.26

吉田の火祭り2014

 年の火祭りは格別な体験となりました。
 7月1日、富士山山開き特別神事を行なった関係もあって、山じまいの行事でもある火祭りに何らかの形で関わりたい、いや、それ以前に「諏訪神社」の例大祭としての火祭りを意識的に体験したいという気持ちがありました。
 御柱祭本見立てに参加させていただいてから、すっかり諏訪とのご縁が深まっていた私…結果として、そんな私の意図を超えて素晴らしい日となりました。
 今回も全国各地から有志20人ほどに集まっていただきました。本当に不思議なご縁で集まった人たちです。お互い初めて会うという方々が多数。しかし、前回山開きの時もそうでしたが、こうした神縁でつながった同志というのは、初めて会ってもすぐに意気投合。まるで昔からの親友のような仲になれるから不思議です。
 3時に浅間神社本殿祭が行われ、浅間神社の神様が絹垣に隠されながら諏訪神社へと向かいます。おととしの記事にも書きましたが、ここですでに諏訪神社の優位が示されますね。
 その後諏訪神社での祭礼が終わり、いよいよ神輿の出動です。何枚か写真を撮りましたが、今日はあえてのこの一枚。写真を撮らないでくださいと注意されながら撮った一枚です(失礼いたしました)。
 今回は「火」の写真はあえて載せません。皆さんがたくさん紹介してくれていましすし。
 そして、この写真、なぜかモノクロです。

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 諏訪の龍神様が反応したのでしょうね、神輿が高天原から出発する頃、突如として大豪雨となりました。浄めの雨でありましょう。
 そう、火祭りは火の祭と称しながら、実は水の祭なのです。実際、火祭りの日は雨になることが多い。太宰治も「服装に就いて」に書いていますね。
 さて、大雨の洗礼を受けた私たち一行は、ある意味運命的に三つのグループに分かれてしまいました。そしてそれぞれが大変不思議な運命に。
 あるグループはそのまま東京へ帰ろうとしたところ、乗ってきたベンツが全く動かなくなるというアクシデントに見舞われました。結局すったもんだの末、レッカーで東京に運ばれるという事態に。いったい、なんの力が働いたのでしょうか。
 もう一つのグループも車の中で予想外の足止め。しかし、そのおかげで霧の中での神殿前大松明点火の儀を目の前で見ることができたようです。これも不思議なお導きというか足止め。
 私たちのグループは雨の止むの待って参道を下り、諏訪神社とは深い縁のある吉祥寺さんへ。住職の楽しいお話をしながら、ようやくそこで自己紹介タイム。
 その後、祭り会場の沿道にある魁さん(先日竹田恒泰さんと交盃したお店)でおしゃべりタイム。
 本当にそこで神がかり的な(ある意味お恥ずかしい)お話で盛り上がったのですが、私としてはまたまた本当に偶然の必然の出会いが。
 昨年10月、こちらの記事でお会いしたい旨を書いていた、「岡本天明伝」の著者黒川柚月さんが突如として目の前に現れたのです。
 本当に不思議なご縁です。知り合いの知り合い、それもそれぞれが深くつながったご縁ではあったわけですが、全くの想定外。もちろん私がお呼びしたわけではありませんし、黒川さんも私のことを知っていたわけではありません。あえて言うなら織物が結んだご縁。まさに見えない糸です。
 ここのところ、ほぼ毎日トンデモない出会いばかりですが、さすがにこれには驚きました。竹田さんの件といい、ここ「魁」さんには何かそういう出会いを実現する磁場が働いているようですね。
 とは言え、黒川さん、実は山開き神事の時にも浅間神社にいらしていて、遠くから私たちの様子を見ていたとのこと。もうそこで無意識の領域ではつながっていたのですね。
 というわけで、夜半まで皆さんで大いに魂の交流をいたしました。これがまた何かのスタートになる予感です。
 店を出ると、すっかり「祭のあと」。消防団が放水して松明の残り火を消していました。ああ、やっぱり鎮火の祭、水の祭だなと実感。
 皆様のおかげさまで本当に素晴らしい一日となりました。ありがとうございました。また神様仏様のもとでお会いしましょう。


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2014.08.25

フィンガーのグラウンド & めまい

 「ィンガーのグラウンド」…と言われても、ほとんどの人はなんのことか分かりませんよね。「指の地面」って何?
 これが分かる人は古楽マニア。それもリコーダーを吹く人ではないでしょうか。
 先日行われた第28回都留音楽祭のフリーコンサートで、知り合いの笛吹きにして歌手の方が、この「指の地面」を演奏しました。
 それがとってもいい曲だったので、今日は皆さんにも紹介いたします。とりあえずどうぞ。

 ゴットフリート・フィンガーはバッハより20歳ほど先輩のチェコ出身の作曲家です。ドイツやイギリスで活躍しました。
 このように一定のバスが循環する上に変奏が展開していく音楽を当時「ground」と呼びました。やっぱり地面のイメージはあったのかな。
 出身地の関係もあってか、なんとなくノスタルジックに感じますよね。
 音楽的に言うと、サブドミナントからの循環下降バスに4度進行プラス不協和音が効果的だからでしょう。つまり、コテコテ系、かつ西洋芸術音楽以前のフォークなところを残しているからでしょう。
 ちなみに楽譜も見つけましたよ。

Imslp

 こういう傾向はたとえば私の好きなフジファブリックやレミオロメンにも見られた特徴です(でした)。
 サブドミナントからの循環下降バスと言えば、こんな隠れた名曲もありますよ。私、この曲大好きなんです。advantage Lucy の「めまい」。ライヴでどうぞ。これもある種のグラウンドです。

 この曲が気に入った方は、ぜひこの「めまい」が含まれているこの超名アルバムを全編お聴き下さい。実は私が出会った全てのアルバムの中で、これはベスト3に入っています。

Amazon station

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2014.08.24

『時をかける少女』 大林宣彦監督・原田知世主演作品

Th_123814889144016124165_5def6e61 れなりに昭和の邦画をたくさん観てきた私としては、あえて観ないできたほとんど最後の作品。
 そして、公開から30年以上経った今日、初めての鑑賞。そして衝撃。
 公開当時の大ブームをやり過ごし、ここまで封印してきたのには、いろいろ理由があったように思います。
 まず、小学生の時にNHK少年ドラマシリーズ「タイムトラベラー」を観てどっぷりはまり、原作を読んだという原体験的にこだわりがあったからでしょう。そのイメージをぽっと出のアイドルに崩されたくなかった。
 もう一つは、単純に原田知世ファンではなかったということ。(今思えばその裏返しとして)同年公開の「アイコ十六歳」で主演し、のちにこの「時かけ」に続く尾道三部作最終作でも主演する富田靖子のファンをやっておりました(笑)。
 初代「時かけ」公開時、私は19歳。大学生でした。友人には原田知世ファンがけっこういた記憶があります。彼ら、酒飲むと「知世ちゃ〜ん」と叫んでましたからね(笑)。
 まあ、そんなこんなで避けているうちに観る機会を失っていった。さらに追い打ちというか上書きするかのように、リメイクが増産されていった。それらを観てまたガッカリするうちに初代はさらに遠のいていたというのが実際のところでしょう。
Th_6b3a7e9a14d6a203478a66e111ae1ffa で、今年5月、NHKBSで放送されたのをなんとなく録画したんですね。本当になんとなく。しかし、やはり観ないでいた。観る気が起きなかった。
 しかし今日、どういうわけか、突然観始めてしまったわけです。そうしたら、もうすっかりその異様なる世界にとりつかれやめられなくなってしまった。
 これはいったいなんなのですか?はっきり言って想像以上にシュールすぎる作品でした。
 これはホラーですか?三流映画ですか?ハイレベルなギャグですか?ATGですか?寺山修司の実験映画ですか?壮大なるイメージビデオ(フィルム)ですか?斬新なPVですか?それとも現代能ですか?
 いやはや、今まで観た無数の映画の中でも、これほど言葉にならない、評価できない作品はなかった。普通だったらB級で片づけられそうだけれども、しかしそうはいかない。そうさせてくれない。なんなんだ。
 細かい技術的なことや、各シーンの突っ込みどころは他の人に任せましょう。そう、最初は突っ込みどころをチェックしながら観ていたのですが、結局最後はそんなのを全部吹っ飛んでしまい、感動すらしてしまった。
 なんなんでしょう。このゴージャスな切なさは。原田知世という女優、いや女の子の不思議すぎる魅力。松任谷夫婦のハイレベルな音楽。そして何より尾道の美しい街並み。
 そうしたゴージャスさの中に鏤められた絶望的なチープさ。もうそうしたギャップ自体が現実離れしており、そうした構造そのものが「超次元」です。タイムリープとかテレポーテーションとか、そんな些末なテクニックはどうでもよくて、あの世界そのものが超現実であり、ドラマであり、映画であると。
 過剰な演出、単調なセリフ回し(棒読み?)、死生の交差。あえて言うなら、やはり「能」ですね。
 正直やられた!という感じです。この歳になって、こんな作品にこれほど衝撃を受けるとは。いやぁ、今まで温存しておいて良かった…というか、今日急に観ようと思って良かった。
 もし、観ないまま死んでいたら…私はあの世という超次元世界で路頭に迷ったかもしれません。
 おそるべし、原田知世。そして大林宣彦。いや、角川春樹。降参です。
 最後に。やっぱり「時間は未来から過去に向かって流れている」んですね。

Amazon 時をかける少女


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2014.08.23

とりあえずビール

Th_img_2341 日はPTA主催のBBQ大会。たくさんの生徒、保護者、先生方が集まって楽しい時間を過ごしました。
 大人の男子会パートは、さっさと肉や野菜を焼いて、あとはひたすらお酒をいただきました。
 私も「とりあえずビール」で乾杯。あとは、首相からいただいたオーストラリアのワインや新潟の日本酒をいただきました。
 ところで、この「とりあえずビール」ですが、高度成長期以降に一般化した常套句であります。
 宴会の乾杯用、すなわち一番最初のお酒として、サーバーから直接つがれるため時間や手間がかからず、なおかつジョッキという乾杯しやすい形で出てくるビールに人気が集まったのが、その頃からということです。
 日本で最も飲まれているビールのブランドはアサヒでもキリンでもなく「とりあえずビール」だというのは、桂文珍さんのネタだったでしょうか(笑)。
 ただ、最近ではお酒も多様化しましたし、また、集団意識の変化もあって、若者の中では「とりあえずビール」を好まない人が増えてきたとのこと。ブランド価値が下がってきたわけです。
 実は私も炭酸があまり得意ではないので、一杯目から冷酒を頼む派であります。
Images しかし、やっぱりバーベキューと言えば屋外ですから、ビールですよねえ。特に今日は自宅から会場まで山道を40分ほど歩いて行った(飲みたかったので車で行かなかった)ので、気分はビールでありました(笑)。
 この「とりあえずビール」の「とりあえず」ですが、皆さんの認識のとおり、「他のことはさしおいて」「間に合わせてとして」という意味です。なんとなく、主役や本題はあとに控えているような感じですね。
 古語の使用例を調べてみますと、そのような意味で使われているものとともに、「すぐに」という意味でも使われています。
 それは現在でも「取るものも取りあえず」の形で残っていますね。たしかに、「とりあえずビール」も「取るものも取りあえずビール」と言えないこともない。たとえば私だったら「日本酒も取ることができずビール」ということです。
 この「あえず(あへず)」は、漢文の「敢不」あるいは「不敢」の訓読から一般化した言葉であると考えられます。
 漢文における「敢不〜」は「あえて〜せず」、「不敢〜」は「あえては〜せず」で、前者は全部否定、後者は部分否定と説明されます。
 それが独立して日本語に取り入れられ、「あえず」だけで「耐えられない」「我慢できない」というような意味で使われるようになりました。万葉集や源氏物語にもそのような例が見られます。
 それが動詞の連用形に助動詞のような形でつくようになり、「〜できない」「〜しきれない」という意味で使われるようにもなりました。「取り敢えず」はそのような例の一つですから、もともとの意味はやはり「取ることができない」「取りきれない」ということになります。
 「とりあえずビール」に戻って考えてみますと、「取ることができないでビール」「取りきれないのでビール」のような原義であることが分かります。先ほどの「取るものも取りあえずビール」と同じニュアンスになりますね。
 つまり、「とりあえず」の裏側には必ずビール以外の主役、本題、メインメニューがあるということですね。ビールはあくまで脇役であると。
 ま、人によってはビールこそが主役という人もいるわけで、そういう人にとってはたしかに「とりあえずビール」というのはおかしい感じがしますよね。
 というわけで、昼間っから飲み過ぎたので、「とりあえず寝ます」(やるべき仕事はあるけれども)。おやすみなさい。

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2014.08.22

『だから日本は世界から尊敬される』 マンリオ・カデロ (小学館新書)

20140823_75915 ンマリノは世界で最も古い共和国です。そして軍隊を持たない国(形だけの極小規模の軍隊はあり)。
 そんな国にこの6月、神社本庁公認の神社が、日本国外で初めて創建されました。
 そのような画期的なことが実現したのは、サンマリノ駐日大使であるこの本の著者が、日本人以上に日本のこと、特に神道のことをよく理解されているからです。
 そう言えば、先日昭恵さんがウチに遊びにいらした時に、サンマリノ大使さんのお話になり盛り上がりました。
 というのは、昨年の6月に、全くの偶然(しかし必然的であったことがこのたび判明)、大使と昭恵さんはある場所で会っているのです。
 そのある場所とは…ここのところ私もドップリ浸かっている(漬かっている?)信州諏訪大社です。
 実は昭恵さんは全く違う用件で諏訪を訪れていましたが、ふと思いついて春宮をお参りしたそうです。するとそこにはサンマリノのマンリオ・デカロ大使が!
 そして、なんとその1年後、その大使とともに昭恵さんのお義母さん、すなわち総理のお母様洋子さんが、神社の建立式のためにサンマリノを訪れました。
 これは偶然ではありませんね。諏訪の龍神さまが動かれたとしか思えません。
 ついでに言うと、ミシャグジ神と絹の道で紹介したように、今月諏訪を旅した時、たまたま入ったそば屋さんが、1年前昭恵さんが立ち寄ったお店だったりと、まあ、なんだか不思議なことばかりで、それで昭恵さんとももうお互い笑うしかないという…。
 大使は日本人が日本の誇るべき歴史や文化をあまりに知らないと心配されています。よく外国人から指摘されることですよね。
 しかし、私はそこにはあまり憂いを感じません。なぜなら、それこそが日本文化だからです。単なる無知ではありません。私の言う「国譲り理論」です。無意識の内に純粋保存する。必要な時にお出ましになる。
 実は「今」が、その「お出まし」の時なのです。だからこそ、この本の価値もある。
 そんなことをお伝えすることも含めて、昨日のエルサルバドルの大使さんに続き、私も近いうちにマンリオ・カデロ大使にお会いしたいと思っています。その他にもいろいろとご相談、お願いしたこともありますので。楽しみです。

Amazon だから日本は世界から尊敬される

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2014.08.21

エルサルバドル大使との交流

 某神社の前で
Th_img_2290 日もまたほとんど偶然の(しかし必然的な)素晴らしい出会いに恵まれました。
 中南米の国エルサルバドルのマルタ・セラヤンディア大使とお会いし、すっかり意気投合いたしまして、いきなり姉妹校の話にまで発展。
 なんでも、大使のご両親は学校の創立者であるとのこと。ご自身も音楽や生物学を学び、日本人の旦那様と結婚されて来日されてから、日本で教師をした経験がおありです。
 日本語は完璧。ある意味日本人よりも美しい。お箸の使い方なども美しいのです。ユーモアもお持ちですし、大使の皆さんの中でも尊敬され、人望を得ているというのもうなづけます。
Th_url 大使の故郷サン・ミゲルには、富士山とそっくりな火山があります(昨年末に噴火しました)。写真がそのチャパラスティーケ火山。たしかに富士山そっくりですね。
 今日も夏の富士山をご覧になって、まるで故郷にいるようだとおっしゃっていました。山には不思議な郷愁があります。日本の移民たちも各地に「◯◯富士」を見出し、ノスタルジーに浸りましたね。
 同様に日本の富士山を見て懐かしいと思う方々が世界中にはたくさんいるのです。そんなことから、世界富士山サミットもいいですね!という話にもなりました。
 また、サン・ミゲルには織物文化もあるとのこと。まさに富士山麓と同じです。おそらく同じ火山灰台地にできた町ですから、ほかにも似た文化があることでしょう。
 今からエルサルバドルを訪れるのが楽しみです!(ちょっと気が早い?)
 そう、日本とエルサルバドルと言えば、大使からこんな感動的なお話をうかがいました。サンフランシスコ講和条約にまつわる逸話です。
 こちらに詳しいインタビューがありましたので、ぜひお読みください。地球の裏側の小国がボロボロになった敗戦国日本に力を与えてくれたのです。
 いろいろなお話をする中で、本当に大使のお人柄に引き込まれました。聡明かつエレガント。エルサルバドルの魅力がそのまま伝ってきます。
 人は国なり、国は人なり…ですね。
 なんとか、姉妹校の話も前進させたいと思います。このようなご縁はなかなかあるものではありません。
 本当にありがとうございました。お互いに神社で神様のお導きに感謝を申し上げました。感謝には宗派も何もありませんから。
 こちらもこれからの展開が楽しみであります。
 現在女性大使は十数名いらっしゃるとのこと。富士山は女性文化の象徴でもありますから、年内になんとか皆さんをお招きしてイベントをやりたいと思います。
 また夢に一歩前進できそうです。


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2014.08.20

廣澤英雄師範(合気道)

Th_img_2276 日はご縁があって、合気道の達人廣澤英雄さんにお会いする機会を得ました。
 お話をうかがうだけでなく、実際に合気道の技(というべきなのでしょうか)を受けることもできました。
 廣澤さんは、合気道開祖である植芝盛平の最晩年の内弟子。最後を見とった一人です。
 出口王仁三郎つながりで合気道や植芝翁に興味のあった私ですが、今までなかなか実際に合気道を体験する機会がありませんでした。
 それがいきなり最高レベルの境地に触れることができたわけですから、なんとも幸運なことであります。本当にご縁とはありがたいものです。
Th_img_2263 結論から言います。すごい。そして楽しい。気持ちいい。
 この歳になって、初めて(久しぶりなのかも)、自分の体が自分でないような感覚。抜け殻のようになってしまって、他者に全て任せている状態。そしてその快感。
 自分を手放してしまった時の身軽さ。気持ちの楽さ。
 こういう世界があるのだなあと感心感激いたしました。
 廣澤さんは、人間は球体であり、宇宙の一惑星であるとおっしゃっていました。なるほど、それは(今日たまたま集まった方々の共通の話題だった)仲小路彰のグローバリズム(地「球」主義)と重なる部分がありましたね。
 禅の自他不二ともつながります。1対1では争い、戦い、競い合いになるが、なにしろ私の心は完全に廣澤さんの方に吸収されてしまっているので、結果として2対0。これでは戦いになりえません。
 それこそが、合気道という武道が目指すモノそのものです。まさに「和」という文字の含む、「なごむ」「あえる」「やすらぐ」「くわえる」などの意味を全て含む状態です。
 私が体験したことをご理解いただくために、秋田県で開かれた指導者対象の講習会の様子をご覧ください。
 合気道についての解説としても優れたビデオだと思います。
 

 え〜、やらせでしょう?八百長だよ!という感想が普通でしょうね。私も体験するまではそうでした。
 しかし、植芝翁は「八百長に見えるようになるまで修練せよ」と言ったそうです。なるほど。
 プロレス好きで八百長論もこのブログで存分語ってきた私としては、ある意味天地がひっくり返るような言葉でしたが、体験しますとものすごくよく分かる。まさに腑に落ちました。
 自分の意識(心)が向こう側に行ってしまう瞬間。それは実はよく分かりません。よく分からないうちにそうなってしまっている。
 ちなみに頭は明瞭です。いつもと変わりません。だからこそ、何が起きているか分からず、笑ってしまうのです。
 自分を自分だと思い込んでいた自分のバカバカしさに思わず笑いが出てしまう。皆さんそうでした。
 だから、とっても和やかな空気に満ちた場ができる。癒されます。
Th_img_2281 私のような全くのシロウトも、動画に出てくる合気道有段者も、ある意味廣澤さんの前では、完全に平等になってしまう。そんな気もします。
 これは究極の武道だなと思いました。そして、いつも私が言っている「荒魂」をもって「和魂」を召喚するという、日本の神道の流儀そのものだなとも思いました。
 また、私がこだわってきた「コト(自己)」よりも「モノ(他者)」ということを体現、体験できるものであると知りました。
 いやはや、本当に人生変わりますね。身も心も軽くなったような気がします。
 あまりにも簡単にそういうことをしてしまう廣澤さんではありますが、その境地に至るまでは、まさに命を懸けた修行や鍛錬があったそうです。そう簡単にはできないと。そして、生まれつきの「呼吸」「気」の才能も必要。
 私たち凡人には計り知れない世界ではありますが、そういう世界がたしかにあるということを知れただけでも、十分に幸せでありました。
 本当にありがとうございました。
 自分の気の流れが変わったのか、潜在意識が変わったのか、実は講習が終ったあと、全く驚くべき偶然の出会いが、青山の道端で実現しました。
 不思議すぎる出会い。たまたまそこを通り過ぎた人。全くの初対面でありましたが、なぜかすぐに意気投合し、「過去世で一緒に修行してたんでしょう!」と言い合うような仲になってしまいました。
 その方とのこれからの展開も楽しみであります。


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2014.08.19

安倍昭恵さん来訪(第六章)

Th_10577084_10152668539876779_53452 留音楽祭最終日ですが、私は私学の初任者研修があって欠席。
 昨夜の宴会芸反省会が、今日の新人研修に大いに役立ちました(笑)。全てつながっていますね。まあ、音楽も教育も、人の心を動かさねばならないわけですから。
 さてさて、ここ1週間の秋田行から音楽祭、そして研修の疲れで夜6時半ころに布団に入ってしまっていた私のもとに、近所で静養中のファーストレディーから連絡が。「今から行っていいですか?」
 うわぁ!なんという突然の攻撃(笑)。まずは目を覚まし、部屋を片づけて8時過ぎにお迎えいたしました。
 ここ3年、夏休みには欠かさず我が家に遊びにいらしてくれる安倍昭恵さん。また、今年は先月の山開きの日に丸一日ご一緒させていただきました。
 まったく不思議なご縁で、こんな言い方は失礼かもしれませんが、大変考えや波長が合うのです。特に世界、いや地球平和に関する考え方、日本という国に対する考え方ですね。
 昭恵さんはご自身のFacebookで「主人が留守の間、私は今回も山口家で諸々のワクワク話・・・」とご紹介くださいましたけれども、つまり「ワクワク話」というのは、そういうことなのです。明るい未来にワクワクということです。
 そこには、私の専門である出口王仁三郎や仲小路彰の話も出てきます。政治や経済、外交や文化などの実際的な話はもちろん、神様の話などもパランスよくお話できるのが昭恵さんの素晴らしいところです。
 昨年は5時間にもわたる怪談、いや会談でしたが、今年は夜遅かったこともあって名残惜しくも2時間ほどでタイムリミット。笹川邸で森元総理らと会食していたご主人からの直電があったら、さすがにお帰りにならねば(笑)。
Th_bvz8bxhcuaedli7 今回は我が家の人気者、野良猫から家猫になったシローさんと一緒に記念撮影。シローさんもまあすごい人生、いやいや猫生を送っていますね(笑)。
 昭恵さん、ありがとうございました。また近いうちに、日本のために世界のためにワクワクすることをやりましょう!

 追伸…この日の会談のとおり、翌日に広島の水害(土砂災害)を受けて、冨士浅間神社内の諏訪神社を参拝してくださりました。本当にお役目ご苦労さまです。
 


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2014.08.18

第28回 都留音楽祭 4日目

Th_32 留音楽祭千秋楽前夜と言えば、言わずと知れた「クロージング・パーティー」という名の宴会。
 第1回から宴会芸皆勤のワタクシ、今年も二つの芸で参加させていただきました(笑)。
 いやはや、昨夜トロさんの素晴らしすぎる「芸」を体験したあとでしたから、それなりに気合いが入っていたにも関わらず、なんとなく反省の多い内容になってしまいました。
 やはり、気合いだけではダメですな。才能と努力が伴っていませんから、結果として「イタい」ことになってしまう(苦笑)。
Th_40 いや、私はそんなに気にしていなかったのですが、特に歌謡曲バンドのメンバーの面々の落ち込みようがひどくて面白かった(笑)。
 実はですね、歌謡曲バンドのメンバーで朝まで異様に盛り上がっていたんですよ。「旅芸人になろう!」って。
 車で全国を移動しながら、田舎の公民館とかで、演歌とか民謡とか歌謡曲とか、たまに古楽とか演奏する。食事と寝床だけ提供してもらって、たまに野菜とかもらって…。
 そういう生活、仕事が最も幸せじゃないかと、そんな話じ盛り上がっていたんですよ。
 それが本番の途中でなんとなくテンションが下がってしまった。いろいろ原因があるのですが、それを書くと人のせいにしてしまうことになるのでやめますね。実際、人のせいなんかではなくて、自分自身の問題なのです。
 はっきり言って、芸人をなめてましたね。スミマセン。
Th_img_2315 おそらく、私たちの毎晩の妙な盛り上がりを神棚から見ていた「芸能大神」さんが怒ったんですよ。お前ら勘違いするなと。
 ほかの皆さんの素晴らしい宴会芸に触れず、自分たちのことばかりですみません。
 反省の意味もこめて、いちおう今日の演目を書いておきます。来年はちゃんとやります!

マトリョミン・シスターズ
 ルソン・ド・テネブル(クープラン)

歌謡曲バンド
 異邦人・飛んでイスタンブール・魅せられて

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2014.08.17

第28回 都留音楽祭 3日目

Th__20140821_84943 楽祭3日目の目玉はなんといっても、海外講師エミリアーノ・ゴンザレス=トロさんのリサイタル。
 昨年は私も演奏するということでゆっくり鑑賞する余裕はありませんでしたが、今年は客席でたっぷり堪能させていただきました。
 というか、今年は演奏側にいなくてよかった(笑)。それほど、エキサイティング(ある意味演奏者泣かせ)のすさまじい名演だったのです。
 その表現力、生命感、今まで聴いたこと(観たこと)ないような次元での「音楽」がそこにありました。
 これはなかなか言葉では説明できませんね。一緒に演奏した皆さんのお話を総合しますと、まあ、とにかく練習と本番とのギャップがすごかったとのこと。スリリングなまでに伸縮自在、変幻自在。
 なるほど「音楽」とはこれほどに総合的なものなのだなと痛感しましたね。
 言葉、旋律、律動、演技、演出、そして何よりエネルギー。まるで龍が舞うかのごとき空間が現出していました。
 正直申しますと、初めて「オペラって面白いかも」と予感させられました。トロさんはレッスンで「歌うな」とおっしゃっていました。歌手に歌うなですよ。
 しかし、今日このリサイタルを体験して、その深い、しかしある意味単純な意味がよく分かりました。
 歌うだけではダメなんですよ。美空ひばりもそういうこと言ってましたね。言葉を語るのはもちろん、体全体で空気を表現しなければならない。
 本来「音楽」とはそういう総合体なのであります。それがここ百年かそこらの「録音文化」によって、ちょっと忘れ去られていましたよね。
 最近いろいろライヴに参加しておりますが、やっぱり音楽は生が一番だと再確認しています。
 CDが売れないことを憂える声も聴きますが、実はそれは健全なことなのかもしれませんよ。
 う〜ん、それにしても、トロさんすごい。本当の意味での芸人さんですな。

↓参考

 あっそうそう、この日、私50歳になりました。
 音楽祭から家に帰るとこんなケーキが(笑)。自分の顔を切り刻むのはなんとも不思議な感覚でした。

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2014.08.16

第28回 都留音楽祭 2日目

Th_img_2216 楽祭は二日目。全体合奏のパート譜づくりから始まり、一日忙しくしていました。
 今年の全体合奏は珍しくモーツァルト。アヴェ・ヴェルム・コルプスとレジナ・チェリ。
 アヴェ・ヴェルム・コルプスは小規模ながらなかなかよく出来た曲ですね。

 アヴェ・ヴェルム・コルプスと言えば、古楽ではウィリアム・バードのものが有名ですね。これも名曲です。

 さらに私の好きなアヴェ・ヴェルム・コルプスと言えばフォーレのそれ。

 バードとモーツァルトの間が約200年、モーツァルトとフォーレとの間が約100年。西洋音楽の変化(成長・発見)が聴いてとれますね。
Th_img_2227 さて、今年も友人の渡辺敏晴さんがアシスタントとして音楽祭に参加していますが、彼が持ってきた手作りのチェンバロがとっても素敵でした。
 いちおう、イタリアンですが、材料は全て国産。各部の接合は「米のり」。
 これがとってもジャパニーズな音がするのでビックリ(笑)。ご本人も全く想定外の音になったとおっしゃっていましたが、これはこれで新鮮でした。
 日本の風土に合った日本の素材や製法によるチェンバロというのもありですね。
 今回いろいろな方とお話していますが、もともと形式化してしまったクラシック界へのカウンター・カルチャーとして生まれたはずの「古楽」が、逆に形式にとらわれすぎているんですよね。
 渡辺さんはそういう古楽界に大きな憂いを抱いています。私も全く同感です。この老舗古楽音楽祭のあり方も問われていますね。新しい風をどう吹き込もうかなあ…。

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2014.08.15

第28回 都留音楽祭 1日目

 田から11時間かけて都留に到着。そのまま都留音楽祭の業務へ。
 もう何度も書いてきたとおり、この音楽祭は私の人生を大きく左右した、そして今でもとても大切なイベントです。
 今回28回ということですが、たしか有村先生から「都留で古楽の音楽祭をやりたい」というようなお話を初めて聞いたのは、私が二十歳、すなわち1984年だったと記憶していますから、今年は「都留音楽祭」生誕30周年ということになりますね。
 つまり、私も生誕50周年ということになります(笑)。いやはや長かったような短かったような…。
 それにしても、毎年本当に素晴らしい講師の先生方の演奏を聴くことができるこのオープニング・コンサートは贅沢ですね。
 あまり時間がないので、プログラムと写真だけどうぞ。
 後半は生誕300年のカール・フィリップ・エマニュエル・バッハ特集でした。

1 バロック・ダンス 浜中康子 トーマス・ベアード

 アポロンのアントレ(リュリ)
 劇場風コンセールより(クープラン)
 スペインのフォリア(マレ)
 カナリオス(作曲者不詳)

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演奏 渡邉慶子・伊藤誠(ヴァイオリン)
   福沢宏(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
   つのだたかし(ギター) 岡田龍之介(チェンバロ)

2 ヴァイオリン二重奏第2番より(ボッケリーニ)
  渡邉慶子・小池はるみ(ヴァイオリン)

Th__20140816_135531

3 ヴィオール組曲第3巻より組曲ト長調(マレ)
  福沢宏・武澤秀平(ヴィオラ・ダ・ガンバ)

Th__20140816_135624

4 アリアンナの嘆き(モンテヴェルディ)
  波多野睦美(メゾソプラノ) つのだたかし(リュート)

Th__20140816_135635

〜特集 エマニュエル・バッハの世界

5 四つの小さなデュエット
  岡田龍之介・平野智美(チェンバロ)

Th__20140816_135646

6 トリオヘ長調
  吉澤実・大竹尚之(リコーダー)
  福沢宏(ヴィオラ・ダ・ガンバ) 土居瑞穂(チェンバロ)

Th__20140816_135657

7 スペインのフォリアによる12の変奏曲ニ短調
  小倉貴久子(フォルテピアノ)

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 どの演奏も素晴らしかったけれども、中でも波多野さんのアリアンナ、小倉さんのフォリアは強く印象に残りました。
 さあ、今年も充実の5日間が始まります。私もスタッフとして、また演奏者として、そして芸者(芸人)として頑張ります!

都留音楽祭日程表


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2014.08.14

秋田行その3

 日は大仙市協和へ。短時間でしたが、ものすごく濃い時間を過ごしました。人生変わりますよ、ホント。
 実は3年前にも協和町を訪ねていました。その時の写真も紹介していなかったので、混ぜこぜにしてしまいますがお許しを。
 まずは、ニギハヤヒ伝説の残る物部氏ゆかりの唐松神社へ。今でも宮司さんは物部(ものべ)さん。

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 続いて唐松神社のすぐ前にある奥田酒造店へ。なんとこの酒屋さんの建物は白井晟一の設計によるものなのです。現存する白井作品の中でも特に素晴らしい。世界に誇る芸術。

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 続きまして、本当につい先週運命的に知り合った方のご実家を訪ねました。テレビなどでも何度も紹介されている「自在屋」。原日本人の暮らしと魂を体験できる素晴らしい場所。
 いきなりの訪問にも快く歓迎してくださり、本当に心に響くいいお話をしてくださいました。ありがとうございました。


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唐松神社参考

奥田酒造店

自在屋

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2014.08.13

秋田行その2

 日も基本写真だけです。羽後町山間部の風景です。
 まずは軽井沢地区でお墓参り。
 美しい里山と田んぼ。

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 ここには仏教が伝来していませんので、お墓ではなく奥津城です。
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 毎年驚いてしまうご先祖さまのお名前。津波に雪女って…おそるべし奥州安倍氏。ちなみに「アベ」とは読まず「アンバイ」と読みます。
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 続いて、かろうじて仏教の伝来している田代地区の盆棚。
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 こちらで正体の判明した「常香盤」。
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 白い蛙。
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 仔牛くんもいます。
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 かつて土方巽が駆け回った田んぼ。今では稲架もかけなくなってしまったとか。
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 廃屋を細江英公風にモノクロで撮ってみました。
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 野良猫。
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 棚田。
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 十文字に帰ってきて鳥海山を望む。万年雪の多さに驚く。
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2014.08.12

秋田行その1

 遽私も家内の実家のある秋田に行くこととなりました。
 いろいろ細かいことを書く余裕がありませんので、とりあえず写真を掲載します。
 今回の秋田への移動経路は河口湖→圏央道→関越道→北陸道→日本海東北道→鶴岡→最上川遡上→鮭川→真室川→金山→雄勝トンネル→十文字という感じでした。
 途中夕日がとってもきれいだったので、助手席のカミさんに何枚か撮ってもらいましたので、それをどうぞ。
 まず日本海と夕日。夕日というにはまだ早い時間帯ですが、雲のおかげできれいな風景を見ることができました。温海温泉付近です。

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 庄内平野の田園風景と夕日。

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 最上川、風車、夕日。

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 台風で水かさの増えた最上川沿いの道から。

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 これは夕日ではありません。金山町の霊山薬師山です。暗闇に浮かぶピラミッド。

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 高速道路等の伸長のおかげで、10年前には12時間近くかかっていた日本海回りの行程も、今では9時間に短縮されました。ありがたや。

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2014.08.11

台風一過の富士山と雲

 は雲ひとつない富士山よりも、雲間からのチラ見せ富士が大好きです。
 チラ見せなんて下卑た言葉はいけませんね。雲の中から現れる富士山は実に神々しい。特に麓から沸き立つ雲と富士山との共演は、まさに富士と昇り龍。
 特に今日は台風一過ということで、上空の透明度は高いけれども、下界は多くの水分を含んでおり、最高の環境でした。まさに天と地と水と光の織りなす光景です。天と地と水と光、そう、それこそが日本の神々そのものなのです。
 写真ではなかなかそのダイナミックなエネルギーは表現できませんが、その雰囲気だけでも感じていただきたい。
 撮影場所は我が鳴沢村にある全国育樹祭記念広場です。

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2014.08.10

テレマン 『フルート・ヴァイオリン・チェロの為の協奏曲イ長調』

 日は誘われていた東京のあるオーケストラの練習に初参加。
 行ってみると知り合いも多く、指揮者もお世話になっているチェンバリストの方なので、いわゆる「言葉」が共通していて楽しく演奏することができました(シューベルトはほとんど経験がないため、皆さんにご迷惑をおかけしましたが)。
 今回ヴィオラを演奏させていただく中で、個人的に特にうれしく楽しかったのはテレマンの協奏曲です。
 この曲に出会ったのは中学3年の時。それ以来35年。ようやく演奏の機会を得ました。ずっとやりたかったのですよ。高校の時など楽譜を探しに静岡からわざわざ東京まで行ったりしました(結局なかった)。
 この曲はすごいと思いますよ。数千曲に及ぶテレマン作品の中でもベスト・ワークの一つと言っていいでしょう。
 テレマンやヴィヴァルディのような多作家には正直駄作も多い。気合いが入っているか入っていないかの差が大きい(笑)。
 気合いの入っている曲は内声部がよく出来ています。それはヴィオラ・パートを弾いてみるとよく分かるんです。たとえばこのテレマンのコンチェルトのヴィオラなんか、とってもよく出来ている。単純に見えて、実はたくさんのアイデアに満ちている。それを読み取って演奏するのが楽しいのです。
 今日はハイドンも弾きましたが、ハイドンなんかだと、ただ和声の穴埋めとチェロ・パートのオクターヴ上を弾くくらいの役割しか与えられていない。あんまり面白くないんですよね。
 それがテレマン(やバッハ)だと、実に存在感のある音を任されるわけですね。全体を聴いている人にとっては、たとえばこのコンチェルトですと、華やかなソロたちの動きや、1stヴァイオリンが奏でる魅力的(エキセントリック)なテーマなどに耳が行きがちでしょうけれども、弾いている方としては、ヴィオラのパートは本当に生き生き感じられるのです。
 そういう魅力を感じながら楽しく弾くと、それがアンサンブル全体に影響を及ぼし、そして、聴いている方の無意識の部分に積極的に訴えることができるわけです。
 まあ、それにしてもですね、本当によく出来た曲ですよ。当時としては異様など長いですし(上の演奏は短いヴァージョンを採用)。古典派の到来を予感させるようなモダニズムに満ちあふれています。
 やはりテレマンの音楽史における貢献度は非常に高い。ドイツ、フランス、イタリア、イギリス、そして東欧に至るまで、ヨーロッパ圏のバロック音楽、民族音楽を見事に統合、昇華していますよね。また、楽器の可能性の追求という意味においても画期的なチャレンジをしています。
 中3の私は理屈ではなく感覚的にこの曲が好きだったわけですが、こうして300年後の日本の中学生をも魅了する音楽を創ったテレマンは「すごい!」ということが分かりますね。
 本番は2月11日です。また告知いたします。ぜひ、この名曲を生でお聴きいただきたい。特にヴィオラ・パート(笑)。


 

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2014.08.09

トーキョースカジャンボリー vol.4

東京スカパラダイスオーケストラ presents
Th_img_1940 やぁ、楽しいですねえ。音楽はこうじゃなきゃ!
 昨日チケットが手に入りまして、途中まででしたが行って来ましたよ。
 実はこの大イベントのオープニングアクトに、ウチの学校のジャズバンド部が出まして、まあウチの娘もベース担当でステージに上がっていたのです。
 正直うらやましい…。1万人近いであろう人たちの前で演奏するなんて。それもあんなに盛り上がってくださる皆様の前で。
 生徒たちは本当に素晴らしい体験をしていると思います。いつもスゴイ仕事を取ってくる顧問の先生に感謝。
 私もいろいろなコンサートやフェスに行ったり出たりしてますけど、いやはやスカはすごいですね!
 お客さんの質が高い!?奏者と観客の一体感は格別でしたね。
 ウチの学校も含めて決してスカではないジャンルもけっこうありましたが、ジャンルを超えて皆さん盛り上がる。
 もちろんフェスですから「祭」に参加しているという意識が高いでしょうし、せっかく遠くから来たのだから100%以上楽しもうという気持ちになるのは当然ですけれど、それにしても全体的な高揚感というのはすごかった。
 ああいう雰囲気ですと、演奏する側のパフォーマンスも神がかり的になりますよね。娘も中3にして、そんな体験をしたようです。
 おかげで「絶対プロになる!」と言い始めています(笑)。まあ、たしかにやる気出るよなあ。うらやましい…。
 ほら、最近ロックバンドのライヴでの「振り」について苦言を呈したじゃないですか。いくら日本人とはいえ1拍目3拍目でアクセント持ってくるのはねえ。民謡じゃないんだから。
 それに比べて、スカはもちろん究極の裏打ちですよね。日本人にとっては苦手なはずですが、さすがスカファンの皆さんはノリがお上手でしたね(当たり前か)。私もついついつられて年甲斐もなく体を動かしてしまいました。
 今や裏打ちが上手なのは、スカファンとオタクだけ?w
 スカパラも結成25周年だそうですね。日本にスカを根付かせた功績は多大であります。ごくろうさまでした。

トーキョースカジャンボリー

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2014.08.08

原爆と理研と天皇と仲小路彰と

Th_dms1404071535007p1 6日の広島に続き、明日は長崎の原爆忌です。
 大東亜戦争自体の意義や、被爆の意味については、それぞれの解釈があるに違いありません。一昨日「「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の意味」に書いたごとく、そういう解釈(言葉)にこだわっていると、実はそこに衝突が生まれ、結果として、避けなければならないはずの悲劇が繰り返されてしまう。
 今日は重要なお客様が来られ、世界平和についていろいろとお話をさせていただいたのですが、非常に珍しく、私よりも先に先方から仲小路彰の名が語られました(初めてかもしれない)。
 そう、仲小路彰は世界史上の戦争についてほとんど完璧に知り尽くしている人物でした。彼の書物を読むと、まさにそれは総合的、統合的な「戦争学」であって、私(わたくし)の視点による解釈ではなく、ある種、人類の業、性質のようなモノを浮かび上がらせています。
 そして、それに基づいて未来的な平和を志向する。理念的というよりは実に具体的に平和を引き寄せる方法を語っているように思われます。
 大いに学びたいところですね。
 さて、広島原爆忌の前日には、例の小保方STAP問題に絡んで、日本を代表する優秀な科学者笹井さんが亡くなってしまいました。大げさでなく人類の損失であると思います。
 その点、生涯独身を貫き余計な人を寄せつけず仙人のような生活をしながら研究を続けた仲小路彰は、やはり正しく賢い選択をしたのかもしれませんね。組織のしがらみや、無駄な人間関係(女性問題も含む)を断つことが、真理の追究に重要な環境を与えることを知っていたのでしょう。
 ところで、笹井さんや小保方さんの所属している理化学研究所が、戦前戦中、原子爆弾の研究・開発をしていたという事実は案外知られていませんね。
 日本では昭和13年にはウランの採掘が始まり、15年には原子爆弾の基礎となる研究が始まっています。中心になったのは理研の仁科芳雄。彼の名前の頭文字をとって「ニ号研究」と呼ばれていました。
 「ニ号研究」は陸軍。海軍は「F号研究」。かの湯川秀樹も研究に参加していました。
 日本軍による原爆開発は、結局「間に合わなかった」。いや、それ以前に、昭和天皇によって研究自体が阻止されたとも言えます。
 仁科は昭和天皇に新型爆弾の説明をしています。それを聞いた陛下は、その新兵器が世界を破壊してしまう可能性のあるものであると感じ、のちに軍部の意気高揚に水を差すかのごとく「やめた方がよい」とおっしゃったと言います。
 結果として、日本は世界で初めて原爆を使った国ではなく、世界で初めて原爆を落とされた国として、歴史に名を残すことになりました。
 はたしてどちらが不幸であったのか…。
 さらに昭和天皇は終戦の詔勅(玉音放送)で原爆について明確な批判の言葉を残しています。
「敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ」
 原爆の恐ろしさを知っていたからこその言葉でしょう。加えて、原爆のさらなる使用によって、日本のみならず世界が滅ぶ可能性があるから、ここで戦争を終結させると述べています。
 よく、原爆が日本人の戦意を削いだというようなことを言う人がいますし、アメリカなどは、それを「戦争を終わらせるために原爆を使用した」と言い換えて、原爆使用を肯定するような発言をしてきました。
 しかし実際には、原爆を投下された多くの日本人たちは、逆に戦意を高揚させていったのです。それを一気に終戦に向かわせてたのは天皇陛下の御聖断があったからこそであると、かの仲小路彰も指摘しています。なるほど…ですね。
 仲小路彰は、米国による原爆投下によって、戦争が戦争ではなく単なる「殺し合い」になってしまったと書いています。たしかにその通りですね。そこにはルールも目的もない。だからこそ陛下は御聖断を下したと。
 そう考えると、昭和天皇の次の発言には、また特別な意味があるのだということが分かりますね。

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2014.08.07

ミシャグジ神と絹の道

 日も素晴らしい出会いがありました。予想どおりというか予想以上の成果です。
 もうこれは人智を超えた力が働いているとしか思えませんね。そういう力に背中を押してもらえるということは幸せなことです。感謝、感謝。
 さて、どういうことがあったのかというと…まあ、ある意味個人的、ローカルな話なので、あまり詳細には書きませんが、なんとなく大興奮の雰囲気だけでも味わっていただければと思います。
 実はですね、今日はいつもお世話になっている宮下織物さんをはじめとする友人らと、諏訪方面に旅をしてきたのです。どこかに書きましたでしょうか、諏訪の神様と富士山をつなぎ直す、その象徴としての絹織物の話。
 そう、先日の建御名方(タケミナカタ)と富士山という記事の内容にも関連します。
 本当に私の単なる勘、ある種の霊感なのですが、諏訪地方(岡谷)の生糸と富士北麓(富士吉田)の織物を結びつけることによって、その背後にある何か(モノ)が動き出すような気がしていたのです。
 私のそんな妄想に乗ってくれる友人の皆さん、本当にありがとうございます。しかして結果は上々であったという次第です。
 富士吉田市明見で宮下織物さんをピックアップ。彼女のお兄さんは「社宮地神社」の神主さんです。そう、この神社、かの宮下文書においても重要な神社でありますが、その名の通り本来「ミシャグジさん」を祀っていたはずの神社であります。
 まず、私たちはちょっと前に紹介した精進の諏訪神社を参拝。ここも重要ポイントです。

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 そして、今はほとんど絶えてしまった「諏訪の道・絹の道」である中道往還(と言っても新しい精進湖ブルーラインですが)を北上、右左口の「御左口神社」へ。

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 御左口神社…これもまた「ミシャグジ」ですね。明見の社宮地といい、この御左口といい、漢字を当てたこともあって、諏訪を遠く離れた現地の方々はほとんどそれが「ミシャグジ」であることを知りません。
 そして、諏訪大社上社前宮にて友人二人と合流。ここでもミシャグジ様にお参りしました。

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 そして杖突峠を越えて守屋神社へ。守屋山はミシャグジ神そのものです。ここで、私たちは龍神の存在を確認。

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 山を下りて、前宮を通りすぎ、「茅野市神長官守矢史料館」へ。藤森照信さん設計の素晴らしい建物に、縄文信仰を彷彿とさせる展示。館長さんのユダヤに関するお話も楽しかった。

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 敷地内には、全国のミシャグジ系神社の本家とも言える御左口神社があります。空を見ると龍の鱗のような雲がたなびいておりました。

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 遠く藤森さんの茶室「空飛ぶ泥舟」を眺める。ジブリの世界ですな。

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 さて、私たちは本宮は素通りさせていただき、そのまま岡谷市の蚕糸博物館へ。今月1日にリニューアル・オープンしたばかりの博物館です。

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 ここが本当に素晴らしかった。内容も出会いも…。
 この博物館の特徴は、実際に生糸をとっている様子を見ることができることです。動態展示という言い方がされていましたが、要は、日本に四つしか残っていないという、国産生糸を生産している会社のうちの一つである「宮坂製糸所」さんが博物館内に移転し、お仕事をされているのです。それを私たちは直に見ることができるのであります。
 私、実は初めて見ました、お蚕さん。繭と女性の手と機械との共同作業。なんとも繊細で美しい。日本のものづくりの原点を見る思いがしました。なぜか涙が出てきてしまった(館内撮影禁止のためお見せできないのが残念です)。
 そんな様子を眺めていると、とっても明るい調子のおじさんが私たちに声をかけてきました。なんとも楽しい会話をしているうちに、なんとその方が博物館の館長さんであることが判明。さらにさらに、同行していた宮下織物さんと深い深いご縁のある方であることが分かり、お互いに驚くやら感激するやら、まるで再会を果たしたかのような興奮。

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 その時、私は自分の勘が正しかったことを確信しました。「再会」これがテーマだったからです。かつてはミシャグジ、タケミナカタ、そして絹でしっかりつながっていた諏訪と富士。いつからか離れ離れになってしまっていたその両者が、まさにミシャグジと絹のご縁によって、今、目の前で再び結びついた。
 これを感動と言わずしてなんと言えばいいのでしょう。
 その後、宮坂製糸さんの社長さんや奥様、専務さんらとしっかり対話(そしてもちろん商談も!)。私は「世界一の絹織物を作りましょう!」と申しあげました。
 こちらの記事にも書きましたように、もともと織物は神事であり、また、神の経綸の象徴であります。
 実は私たち四人のほかに、王仁三郎の耀わんが二つ、今回の旅には同行していました。きっと王仁三郎も喜んでいることでしょう。
 古い日本、いや、これこそ新しい日本の幕開けの象徴となることでしょう。これからの展開が楽しみです。世界のトップに直接、和の魂である絹織物を発信していきます。
 閉館時間を過ぎても興奮冷めやらぬ私たちは、社長さんや館長さんの懇意により、いろいろと「特別拝観」させていただきました。最後はかわいく健気な蚕さんたちに触れて、岡谷をあとにしたのでありました。関わってくださった神様、人々、虫や葉っぱたち、土、空、水、みんなに感謝です。


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追伸 そうそう偶然立ち寄ったそば屋さんで安倍昭恵さんのサインを発見!今回の旅のメンバーは不二の仕組み会の方々でしたから、皆さんこんなところで昭恵さんに再会できたことに驚き…いや、ほとんど>笑っちゃいました。偶然にもほどがありますね。さっそく昭恵さんにメールしました(笑)。

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2014.08.06

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の意味

D0017381_333568 日は広島原爆忌。
 「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」…過ちを繰り返さないのは、まずはアメリカであってほしいのはもちろんですが、しかし、一人の地球市民としては、この言葉を素直に共有したいと思います。
 かえすがえすも日本人の精神性は次元が高いと思います。原爆を落とされた側にも関わらず、落とした側の立場にも立った上で慰霊を行う。
 それは単なる自虐史観のなせるわざではありません。罪人の罪を赦す、汝の敵を愛す…まさにアメリカが目指したピューリタンの精神は日本に開花していたのです。というか、もともとあった。
 そういう意味では、アメリカは原爆投下によって「原罪」を抱えたことになります。そこが歴史の本質であると、私は考えています。
 パール判事でさえ、上記の碑文に疑義を感じたそうですが、おそらくそれは英語に訳した時に主語を「We」としたからでしょう。しかし、日本人(日本語)における無意識の「We」はもっと高い次元なのです。
 そこを日本人自体が忘れて、右の人は「なんで被害者である日本人が反省しなくちゃならんのか!」と怒りだすし、左の人は「日本が悪い子だったからおしおきされたんだ」と子どもたちに語ってしまう。
 そのことの方が大きな問題であり、亡くなった多くの御霊に対して失礼なことであると思います。それは靖國に関する論議にも言えますね。
 何事も「言葉」や「(歴史という)解釈」(コト)にとらわれすぎてはいけません。コトは全て比喩なのです。その向こう側の本質(モノ)に気づくことが大切です。
 言葉や解釈は過去に対する「今」の視点からのレッテル貼りです。そこにこだわり、常に後ろ向きに生きることは実につまらないことです。
 しかし、日本語には「言霊」という、実に面白い性質があります。これは、一般的には過去に対するレッテル貼りであるはずの「言葉」が、未来に対してもある種のレッテル貼りができるという性質です。
 そういう性質、機能があるのは日本語だけとは申しませんが、しかし、日本人はたしかに日本語のそちら側の力を大切にしてきました。
 だからこそ、過去の恨みつらみにこだわることなく、過去の敵さえも愛することができるとも言えるでしょう(どこかの国が石碑を建てたら、「私たちは絶対許しません!」という言葉を刻むに違いない)。
 そういう意味では、「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」という言葉は、非常に未来的であり、また地球的であるわけです。
 そのように考えることが本当の慰霊になると、日本人であり地球人である(最近は宇宙人ともよく言われますが)私は思うのであります。

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2014.08.05

あまりに自由すぎるヴァイオリニスト!

20140806_101604 る音楽関係の知り合いからすごい動画が送られてきました。
 今までもずいぶん変わったヴァイオリニストを紹介してきましたが、さすがにここまでの方はいらっしゃらなかった。あまりに自由すぎる(笑)。
 たしかに、全くの予備知識なしにあの楽器を与えられたら、はたしてどうやって弾くだろうか。
 肩に乗せて弾くというのは、実は不自然です。特に左手の角度は非日常的になりますからね。
 まあ、それにしてもこれはすごいですよ。まず、弓が左で、運指が右というのが驚き。
 ただ、私もヴァイオリンを始めた頃、たしかに細かい動きをするように見える運指を、なぜ利き手ではない左手でやらにゃいかんのか疑問に思いましたっけ。
 そして、その運指がまたすごいですね。チェロのように親指も使っているように見える。
 ううむ、これは宴会芸に使えるなと思ってマネしてみましたが、さすがに急には無理です(笑)。私もおふざけでいろんな弾き方を考案してきましたが、これは発想になかったな。
 というか、これは宴会芸ではなく、見事な「芸」ですね。カッコイイし味わい深い。 
 これはどこの国でしょうかね。そしてこの男性はどこの国の人でしょうか。よく分かりません。
 型にはまらないにも程があります(笑)。ぜひ下のリンクからじっくり味わってみてください。
 今日はこれ以上語りません。語れません。

クリック!→あまりに自由すぎるヴァイオリニスト(動画)


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2014.08.04

音魂!100人のロック・ソーラン ロック民謡 スーパー・ベスト

61gxyru5al_sl500_aa300_ ととい、スペクトラムとつのだ☆ひろを紹介しましたが、彼らとも縁の深いこのアルバム。
 カミさんが職場である幼稚園で使うらしく購入しました。
 私、あんまりこういう類のモノに興味なかったのですが、カミさんが大興奮して聴いているので、私もちょいと耳を傾けてみましたら、まあ、これはスゴイではないか!かっこいい。原曲は原曲として、編曲と演奏がすごいぞ。
 これはロックというより、ジャズというかファンクですね。ぜひアマゾンの試聴で聴いてみてください。
 あっ、YouTubeに1曲だけあった。「親子ソーラン」だそうな。

 クレジットを見て納得いたしました。私の知っている人ばかり。日本のジャズ界、ポップス界では有名すぎる人たちがバンドを組んでおります。以下、そのそうそうたるメンバーを紹介します。

指揮
 藤野浩一(昨年の水樹奈々さんのライヴでオケを振りましたね)
ピアノ・キーボード
 佐山雅弘(PONTA BOXのお仕事が印象的)
ドラムス
 岩瀬立飛(ジャズからアニソンまでなんでもこなします)
ベース
 斉藤クジラ誠(サザンの準メンバー。ベースも弾くんだ)
ギター
 小堀浩(布施明のサポート)
トランペット
 エリック・ミヤシロ(天才。娘もお世話になってます)
 菅坂雅彦(ジャズのみならず、J-POPでも活躍)
トロンボーン
 中川英二郎(朝の連ドラ「瞳」の演奏でも有名)
テナー・サックス
 宮崎明生(ジャズと歌謡曲を得意とする濃い奏者)
バリトン・サックス
 宮本大路(この方もゴリゴリ吹きますよね)

 と、まあ、なるほど民謡にぴったりの方々です。ここに佐藤千恵美さんや、つのだ☆ひろさんや、サンプラザ中野くんさん(?)のようなボーカリストが乗っかるわけですから、悪いわけがない。
 考えてみれば、民謡とジャズ(あるいはロック)というのは、広義の民族音楽(民俗音楽)になるわけでして、それはたしかに親和性が高いはずです。
 いつも書いているように、地球上の音楽の9割以上がペンタトニックです。私たちが知っているドレミファソラシドの世界はごく狭い地域のごく狭い時代に流行った音楽です。
 ただし、その近代西洋音楽は共通語としては非常に優れていたので、楽器も含めて今や世界中に広がっていますが、それぞれの土地の民族音楽がその共通語を飲み込んでいるわけで、ジャズやロック、J-POPも全てそういった現象の一部です。
 私も若い頃ずいぶんと西洋近代音楽に洗脳されましたが、この年になってずいぶんその呪縛から解き放たれつつありますね。秋田生まれ民謡&演歌育ちのカミさんのおかげですね。

Amazon ロック民謡 スーパー・ベスト


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2014.08.03

『9歳で突然父を亡くし新聞配達少年から文科大臣に』 下村博文 (海竜社)

20140804_110946 村文科大臣とお話する機会がありました。
 今日はメキキの会18周年の式典が行われ、ゲストとして大臣がお越しでした。
 下村大臣とは共通の知り合いがいまして、それがまた実に不思議なご縁です。まさに神様のいたずらとも思えるような偶然。
 今日はそういう神様の意志としか思えないご縁がたくさんありました。もうみんな笑っちゃうくらいの「まさか」「こうくるか」「ここで会うことになっていたのか」というような出会いがたくさん。
 7月1日の富士山開きでご一緒した方々との再会も多数。また、王仁三郎直系の方々とも、そして、富士高天原関係の重要人物とも。
Th_img_1790 今日の式典のテーマは「志教育を世界に」。たしかに「志」を持つと、何が変わるかというと、必要な人と出会う機会に恵まれるということですね。
 ちなみに、「志」という漢字や「こころざし」という日本語に関する解釈については、こちらに詳しく書きました。皆さんが気づかない本質的なことが書いてありますので、ぜひともお読み下さい。
 さて、今日は下村大臣の志についてもいろいろうかがいました。それはもちろん大臣としての国家レベルの志でありました。基本的に私もその志に賛成の立場ですが、いろいろとやり方を工夫しなければ、抵抗勢力が元気になってしまう(笑)可能性があるなとも思いました。
 やはり、日本古来の(あるいは王仁三郎的な)「言向け和す」というような方法論、または必要以上に「言挙げせぬ」ことも大切なのではないかなと。
 いずれまた機会を得ましたら、現場の意見としてそのあたりをお伝えしようかと思っています。
 さて、このご著書を読みますと、大臣がいつ、いかにして、いかなる事情でそのような志をお持ちになるようになったのかがよく分かります。
 それはある意味では非常に特殊な生い立ちに根ざしたものであって、現代の子どもたちが共感することは難しいかもしれませんね。
 それは大臣ご自慢の「道徳のテキスト」にも言えることです。偉人伝をたくさん読ませればよいというわけではない。ほとんどが偉人にはなれないのですから。小学生ならまだしも、中学生ともなると扱いは難しくなります。
 決して偉人でなくとも、私たちにはそれぞれの天命があって、それに基づいた志を持つということが非常に重要であると思います。
 まあ、道徳に限らず、エリートが作った教科書を、ほとんどの非エリートが使うという状況はこれからも変わらないでしょうね。教師の悩みどころです。
 私は今、非エリートでありながら、どうやって国家的、あるいは全地球的な志を実現するかということを研究しております(かなり真剣に)。
 それは、今までの市民運動や草の根運動の理論とは全く違う方法です。頑張りますね。
 下村大臣、おそらくは9月の内閣改造でも続投となるでしょう。今後、オリンピックのこともあります。またゆっくりお話しする機会を持ちたいと思っています。教育、文化、スポーツ、科学技術…本当にいろいろお話したいことがありますので。

Amazon 9歳で突然父を亡くし新聞配達少年から文科大臣に


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2014.08.02

スペクトラム 『サンライズ』 & つのだ☆ひろ 『般若心経』

Spectrum - Sunrise
Th_img_1789 休みに入りまして、毎日のように上の娘は大観衆の前で演奏をしております。まるでプロのようなスケジュール。
 来週の土曜日には東京スカパラダイスオーケストラと共演するとか(こちら)。
 そんなチビが尊敬するベーシストの一人が渡辺直樹さん。彼の書いた「ソロ・ベースのしらべ」、実は娘が生まれる前に私が買って練習してたのですが、今や娘の教本になっております。
 無伴奏ソロに関してはまだ父親の方がうまいかな(笑)。特にフレットレスでは。まあ、そのうちすぐに負けちゃうでしょう。悔しいが仕方ない。
 さてさて、渡辺直樹さんと言えば、伝説のファンク(ブラス・ロック)バンド「スペクトラム」のベーシストでした。
 ソロ・ベースの世界を切り開いたという意味では、非常に前衛的ながらクラシカルなテクニックの持ち主でもありますし、このスペクトラムのようなファンキーなチョッパー・ベースも大変お上手。
 ということで、今日このスペクトラムの「サンライズ」を娘に聴かせましたら、まあ感動しておりました。カッコいい!と。

 娘にとっては、野球応援の曲、私にとってはスタン・ハンセンのテーマ。しかし、ホントはスペクトラム。
 まあよく言われるようにですね、和製EW&Fという感じですが、ある意味本家よりうまいかも。
 それにしてもなあ、この動画、最後つのだ☆ひろさんが出てきてスペクトラムと夢の共演(ジャクソン5!)…というところで終わっちゃってるのが残念。聴いてみたいなあ。
 おお、そういえば私、つのだ☆ひろのお兄さんともうすぐ共演だ。今年はスペクトラムやろうかな(笑)。
 つのだ☆ひろさんと言えば、私はこれが一番好きです。「般若心経」。素晴らしすぎます!私の葬式にはこれをかけてもらおう。めちゃくちゃソウルフル。

 追伸 この渡辺直樹さんのベース・ソロすごいっすね。

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2014.08.01

建御名方(タケミナカタ)と富士山

Th_th_03 日は諏訪の遷座祭&お舟祭り。諏訪の神様が春宮から秋宮へ移動します。
 私も行きたかったのですが、残念ながら仕事を抜けられず断念。現場に行った知り合いが写真を送ってくれましたので、それを拝借いたします。
 お舟祭りは下社の例大祭。すなわち遷座する神様は建御名方と八坂刀売と考えてよいのでしょう。柴舟に乗っている翁と媼の人形はその夫婦二神を象徴しているにちがいありません。
 さてさて、そんな今日の日、私はもう少し大きなスケールで建御名方の動きを考えてみました。
 まず何をしてみたかというと、山梨県内で建御名方を祀っている神社を地図上にプロットしてみたのです。
 使ったサイトは、まず「神社・寺院検索サイト“八百万の神”」。このサイト、本当に素晴らしい。大変助かります。web0.0たる神々のネットワークをweb1.0、2.0上で分かりやすくデータベース化してくださっている。フォントやデザインも含めて感激ですよね。
 これで祭神検索しますと、山梨県内で建御名方を祭神とする神社は184件。これに、データ的には漏れていますが、本質は諏訪神社である北口本宮冨士浅間神社も含めてマッピング(プロット)してみます。プロットに使ったのは「BatchGeo」です。
 すると次のようになりました!

20140802_140028

 どうですか。何か見えてきませんか?
 単純に諏訪湖から勢力を南下させ、御坂山地に遮られて止まっているようにも見えます。
 まあ、地勢的、あるいは武田氏の政治的な勢力の変遷を表しているとも言えますが、またちょっとうがった見方というか、直観的に物語を読み取るなら、建御名方は富士山を目指して一気に押し寄せているようにも見えなくもありません。
 そして、なんらかの力(単純に対抗勢力なのか、それとも…)によってせき止められ、富士山に容易に近づけなくなっているようにも思えます。
 実際には、甲府盆地南端の右左口村(実はこれはミシャグチから来た名前と考えられます)から中道往還を通って、ちょっと前に紹介した精進の諏訪神社までは抜け出ています。また、芦川から若彦路を通ってほんの少し溢れ出ている感じもありますね。
 さらに面白いのは、現在の富士急行線や中央道富士吉田線に沿った、いわゆる都留道にも連続的に分布していることです。
 峡東や笹子峠周辺にはほとんどないことからして、この都留の流れは南の現北口本宮冨士浅間神社から北上したものではないかと考えられます.
 そう見てくると諏訪湖から南下し、御坂山地を越えて富士山で方向転換する龍脈が見えてきませんか。
0234 多くの画家が富士の昇り龍を描いています。かの出口王仁三郎にも有名な図があります。これです。
 これはまさに王仁三郎の霊眼に映った富士北麓の龍の姿ではないでしょうか。なんとなく必死に手前の御坂山地を越えようとしているとも見えてきますね。
 ところで、今日、本当に偶然に偶然と偶然と偶然が重なって、大雨の降る中、都留市大野の三輪神社に行きました。と言うより「行かされた」ですね。全く意識していなかったので。
 そして、そこが御正体山の登山口であり、御正体山自体が御神体、すなわち大物主であることを知りました。雷鳴と雷光の中、御正体山の大物主は何かを待っているような感じがしました。
 大物主は言うまでもなく、大国主の和魂です。そして、大国主の荒魂が建御名方。
 先日の富士山山開きでもそうであったように、私の今のテーマは和魂、荒魂、両魂の統合です。国譲り神話以来の両魂の再会です。
 この御正体山には平成16年に皇太子さまが登頂されています。比較的メジャーな山への登山の多い皇太子さまがなぜ…その意味が今日分かったような気がしました。
 ちなみに御正体山の西側にあたる明見には男根を祀る社宮地神社があります。これは間違いなく「ミシャグチ」を祀る神社。この神社がまた例の宮下文書に深く関わり、また最近ご縁の深くなった織物関係の方のお兄さまが宮司をされている…もう偶然ではありませんよね。
 ちなみに御正体山は養蚕の神でもあります。
 大物主、物部氏、物部守屋、守屋山、ミシャグチ(ミシャグジ)、諏訪、建御名方、宮下文書、養蚕、絹織物、秦氏、徐福…いろいろリンクしていて面白い。というか怖い…。
 と、いろいろ思いついたことをツラツラと書きなぐってしまいました。まあ、個人的な備忘ということで。
 また何か分かったら報告いたします。


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