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2014.07.12

『ロックの詩人 志村正彦展』 (山梨県立図書館)

Th_flier_re_763x1024 府の山梨県立図書館で開かれている「ロックの詩人 志村正彦展」に行ってまいりました。
 大変な盛況で、約2時間並んでようやく展示室に入れました。おかげで読まなくちゃと思っていた「集団的自衛権の深層」を読み終えることができました(笑…いずれ紹介します)。
 入場したのは17時50分。18時までということでしたが、まだまだ入れない方の長蛇の列がつながっていましたので、係の方が「6時までに並んだ方は全員観ていただけます」とアナウンスして回っていました。
 これは仕方ないですね。もっと大きな会場で大きなパネルを用意してやれば、同時に多くの人に観ていただけるのでしょうけれども、そうなると現主催者の皆さんではとても運営できなくなってしまいます。
 ある意味展示の内容が濃いし、なにしろ「文学」としての志村正彦を図書館という場で紹介しているわけですから、遠くから来た方はもちろん誰しもが一字一句逃さず読みたいことでしょう。
 そんなわけでみんな「牛歩」になってしまうわけです。今日がこんなでしたから、明日はもっと大変なことになるのでは。
 私は6時以降の予定が詰まっていたので、10分くらいで回らねばならず、それこそ一字一句は読んでいられませんでした。残念。
 しかし、第2展示室の「若者のすべて」の自筆草稿には思わず見入ってしまいましたね。
 これは今回の最大の収穫であり、感動でありました。
 ネタバレになるので細かくは書けませんけれども、草稿(初期稿)の内容は、決定稿とはずいぶんと違っていました。
 その変化のプロセスを「仮説」として展示してありました。まあ、その解釈は人それぞれですし、私はとにかく時間がなかったのでじっくり読ませていただかなかったのですが、私としては、その草稿から決定稿への変化そのものにある種の衝撃を受けました。
 ああ、これは本物だと。プロの詩人の仕事ぶりだなと。文学館の展示を観ているような感覚です。
 私がまず最初にイメージしたのは「彫刻」です。基本、彼は削ぎ落とす方向性で詩を造型して行きます。
 そこには、具体化もありますし、抽象化もあります。部分部分によって表現の精細度を変えて、そうして全体の物語を紡いでいく。
 これは詩を含む文学作品、彫刻を含む美術作品、そして音楽にも言えることなのですが、天才の仕事というのはだいたいそういう「彫塑」が大胆かつ絶妙なのです。
 私たちは、ほとんどの場合、出来上がった作品の鑑賞しかできません。その過程を垣間見ることすら許されません。
 しかし、このように(だいたい作家の没後に)それを開示されて、作品の生い立ちを想像することができる幸運に恵まれることがあります。
 これは作家本人にとっては恥部をさらされるような心境になるものですが(だから没後に公開される)、私たちファンとしては、それこそ恥部を見られるわけですから、これほど興奮する(笑)ものはありませんよね。
 私も本当にドキドキしました。鳥肌が立ちましたよ。そして、やっぱりホンモノの天才だと思いました。
 削って削って、生命まで削って言葉を選んでいく。厳しい作業です。
 そこにさらにこの音楽(メロディー)をつけて自ら歌うのだから、シンガーソングライターというのは本当にすごい。いくつもの才能が必要なのだ。そして、あの美しい風貌だからなあ。
 太宰治も中原中也も、さすがに歌を作って歌うところまでは行かなかった。
 それにしても草稿では季節も違うとは…というか、吉田じゃないと通用しないような季節感ですな(笑)。そこはちゃんと一般化していました(もちろん微妙にローカル感を残しながら)。
 完成形をあらためて聴いてみましょう。

 最後に…リアルな自己の体験から、どうやって普遍的な世界を彫り出していくのか。漱石の夢十夜で運慶が仁王を彫り出すシーンを思い出しました。最後の部分を引用します。

「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
 自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめてさっそく家へ帰った。
 道具箱から鑿と金槌を持ち出して、裏へ出て見ると、せんだっての暴風で倒れた樫を、薪にするつもりで、木挽に挽かせた手頃な奴が、たくさん積んであった。
 自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片かたっ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。

 天才にしか彫り出せないモノがある。凡人は天才がそれをいとも簡単にやっているように思ってしまう。しかし、真似をしようにも真似できるはずがない。
 志村正彦がこれからもずっと生き続ける理由もここにあるのでした。

ロックの詩人 志村正彦展


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コメント

実は行列に恐れを成して、すぐそこまで行ったのに入りませんでした。残念です。

投稿: A.I | 2014.07.18 20:33

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