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2014.07.05

「和」=「グローバル・ファミリズム」

Th_img_0930 「」を外国人に説明するのは難しい。
 日本語の「和」にもいろいろな意味がありますよね。それに関しましては、まず、今年度のウチの学校の入試問題のために私が書き下ろした「和」という文章をお読み下さい。
 そうした多義的な「和」という概念というかイメージを、たとえば英語にするとどうなるでしょう。
 調和ということであれば、「harmony」でしょうし、平和だと「peace」でしょうけれども、「和」は「調和」や「平和」だけではないですからね。
 それに「harmony」や「peace」には何ら目新しいものはない。インパクトがないので受け取る側の変革を促せない。
 「和」の「複数の要素を足すことによって、より高次元の何かが生まれる」というイメージを表し、さらに「日本的」という意味も表すとすると、いったいどういう英語がいいのでしょうか。
 そこで最近私が使っているのが、「global familism」という英語です。
 「ファミリズム」という言葉はそれほど一般的ではありませんが、しかしイメージはしやすいでしょう。日本語で言えば「家族主義」「家庭主義」ということになるかもしれません。
 そこに「グローバル」がくっついているわけですから、あえて日本語化すれば「地球的家族主義」となりますでしょうか。
 私は、日本の「和」の基本思想は「家族」から始まっていると思っています。
 夫婦相和すところから子どもが生まれ、絶対的な「愛」によって強固な絆を保つ。それぞれの役割がはっきりしており、その中で文化の継承がなされていく。時によっては争いも起きるが、それも結果として「雨降って地固まる」になる。
 それを、たとえば日本では会社組織に拡張して「家族的経営」をしたり、あるいは国にまで拡張して「国家」を意識したりしてきました。
 ただ、日本的経営や明治以降の国家観は、現代においてはなんとなく反省の材料になりがちで、その代わりに欧米的な価値観が侵入してきておりましたね。しかし私は、今こそもう一度「日本的なるもの」すなわち「和」を復活させ、さらに思い切ってそれをもって世界に打って出るべきだと考えているのです。
 もう一つ別の観点もあります。それは私がこのブログで何度も繰り返している「和魂(にぎみたま)」の復活です。
 「和」の精神の源泉…ニギハヤヒに書いたように、聖徳太子の「和を以て貴しと為す」の「和」とは、単なる「調和」や「平和」ではありません(ぜひ「以和為貴」と「無忤為宗」もお読み下さい)。
 そうした総合的な「和」、いわば聖徳太子が第一条に掲げた「和」とは、まずは「受け入れる」ことから始めようという「familism」なのではないか。そう思っているのです。
 そして、聖徳太子は夢殿で宇宙が和で満たされることを瞑想した。そうすると、当然最後は「universal familism」ということになるのでしょうけれども、それはまあ56億7千万年後のこととしまして(笑)、まずは「global」から始めなければ。
 まずは、世界の国々、人々が家族のごとく仲良く、しっかり分業もして、お互いを絶対的な愛によって認め合い、生産的に生き続ける…あれ?なんか笹川良一の「世界は一家、人類は皆兄弟」みたいだな(笑)。
 と、まあ、こういうわけです。なんとか、この「global familism」という言葉をはやらせたいのです。
 ぜひぜひ皆様のご協力をお願い申し上げます。
 ちなみに冒頭に写真を載せた本ですが、まじめな学術論文集です。障害児や病気の子ども、そして老人との関係性がテーマとなっている論文が複数掲載されています。そのような視点や感性もまた、地球レベルに拡張すべきだと思いますね。

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