もののけ姫と国譲り
今年もまたジブリのシーズンがやってまいりました。日本の夏。
左翼的でありフェミニズム的でありロリコン的であるジブリ作品が、日本の子どもたちに与える影響は大きいですね。まあ、それは悪いことではありませんが(大人はやっぱり卒業した方がいいですよ…笑)。
今日は「もののけ姫」が放映されていました。私もなんだかんだ何度か観ております。おそらく舞台とテーマが私の好みなのでしょう。
宮﨑駿は網野善彦の影響を受けています。網野善彦は山梨県出身の歴史学者。「僕の叔父さん」のタイトルのとおり中沢新一のおじさんです。
私も網野善彦の影響を強く受けています。教科書の歴史とは違う歴史、被差別者(敗者)の歴史、民衆の歴史…。宮下文書や霊界物語を愛読(?)してきた私は、まあ網野さんから見れば「行き過ぎ」でしょうけれども(中沢さんとは多少かぶるか)。
網野善彦はこちらに少し書いたように、実はかなり左寄りの人(しかもクリスチャン)でした。えっ?私が最も嫌いそうなタイプですって?(笑)いやいや、実は逆でして、私の原点、あるいは到達点はそこにあるんですよ。
しかし、物語(妄想・夢)と現実は別物です。それをしっかり使い分けているだけです。
宮﨑駿や鈴木敏夫や高畑勲は、ある意味では私と似たスタンスであるとも言えます。つまり、彼らはいい大人でありながら、現実世界でも夢と妄想を持ち続けているのです。
中二病ということでは私も一緒ですね。だから、同族嫌悪ということでしょうか、ちょっとした嫉妬もあるのでしょうか(苦笑)、なんとなく毛嫌いしてきた部分もある。アニメという手法を使うのはずるい!とか、自我で出すぎている!とか、そんな意味での嫌悪かもしれない。
ただこの「もののけ姫」はどうしても嫌いになれませんね。最初に書いたとおり舞台とテーマが私の好みだからでしょうし、そこに加えて、表現の手法と結末が見事だからでしょう。
表現の手法というのは、「二項対立」に収めてしまっていないということです。たとえば縄文対弥生とか、自然と人間とか、そんな単純化をあえて避けている。もっと複雑であるという意味では非常に現実的とも言えます。
原始共産制に憧れながらも、それが崩壊していく過程もしっかり描かれているし、集団的自衛権行使を否定しながらも、実際にはそれが随所で発動しているし(笑)、作家自身の中にある矛盾がそのまま表現されている。
それから、これは意識していないとは思いますが、頭を落とされたシシ神の化身ダイダラボッチが液状化して大地を覆い尽くしながら再生の物語を演じるのは、これは「国譲り」の象徴的なシーンですね。負けて勝つ。死んで生きる。戦って純化する。私はその結末(もちろん新たな物語の始まりでもある)が好きです。
ここで私の「国譲り論」を復習しておきたいと思います。先日の浅間神社、諏訪神社での神事とも大きく関わってくる「国譲り」。ぜひ、こちらをお読み下さい。
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