フジファブリック 『笑ってサヨナラ』
今日は志村正彦くんの誕生日。
そんな日に私は、あえて「笑ってサヨナラ」を聴きました。
この曲は多くの志村作品の中でも、私にとって特に思い入れのある曲。もともと名曲だなあと思っていましたが、彼のお葬式の日、式場でずっとこの曲が流れていて、自分でもそれまで知らなかった心のものすごく奥の方に響いてからというもの、時々ふと思い出されるのです。
亡くなった方の誕生日というと、ついついセンチメンタルになってしまいがちですよね。でも、私にとってはある意味しっかり「笑ってサヨナラ」しなくちゃなと思う日でもあるのです。
彼は今、あちらの世界で新しい詩をたくさん書き、そしてどんどん曲をつけているようです。
時々夢でその一部を聴かせてもらう時があって(もちろん私の思い込みでしょうけれども)、そのたびにけっこう驚くんですよ。ええ、こんな曲も作っちゃうんだって。
思い出に浸っている私たちを軽く飛び越えて、もうどんどん先に進んでしまっている。そんなふうに感じるのです。
だから、それこそ昔の曲には「笑ってサヨナラ」してしまいたいと。もちろん、「笑ってサヨナラ」ということは、もう聴かないとか、そういうことではありませんよ。思い出は思い出として、しっかりこちらも歩みださなければということです。いつまでもジメジメ過去にしがみついていてはいけない。
しかし反面では、この歌の歌詞にあるように、「どうしてなんだろう」と考え、そして、「どうにもならないこと」と諦めながら、「どうにかなってしまうかもしれない そうなってしまうかもしれないものかもしれない」と期待と不安を抱き、でもやっぱり「どうでもいい」とは思えない切なさに震えたりするわけです。
本当にものすごい詩ですね。天才としか言いようがありません。
私の「モノ・コト論」にとっても、非常に重要なサンプルです。ここまで「もの」と「こと」の本質を捉えた表現はなかなかありません。
彼の生前、「茜色の夕日(フジファブリック)」に見る「もの」と「こと」という記事を書かせていただきましたが、「茜色の夕日」よりももっと深いところで、最も古く最も多く使われている日本語を、最も繊細な感性で使っていると感じます。
それにしても、あの別れの日にかかったこの曲はあまりにも深かった。それまでは当然、彼自身が恋人か誰かとの別れた時の心情を歌ったものだと思っていましたが、あの日、この曲の歌詞は、私自身の志村正彦との別れに際しての魂の叫びそのものとなってしまいました。
もちろん「笑ってサヨナラ」なんて本人に言われて辛くないわけはありません。しかし、一方で不思議と癒やしへの予感がしたのも事実です。
そう、私の魂の叫びであるとともに、志村正彦自身のこの世との別れの心境とも受け取れた、つまり、この歌詞を通して、彼と自分とが不思議な一体感を得たような気がしたのです。
もしかすると、この曲は自分自身への鎮魂歌として書かれて用意されていたのかもしれませんね。
と、いろいろ考えていて、「笑ってサヨナラ」のサヨナラが片仮名である意味もなんとなく分かるような気がした今日でありました。
最近さぼり気味の「フジファブリック学」ですが、近いうちにこの曲を題材に再開したいとも思っています。
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