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2014.07.31

ミルキープリンセス(玄米)

Mg30n いしい!
 最近ウチは玄米にしました。とは言っても、私はいわゆる玄米菜食主義者とかではありません。決してフード左翼ではない(笑)。
 このたびの佐世保の事件についても、ある人はアニメやマンガの影響だと言い、ある人は現代の食生活が悪いなどと言う。そんな単純なものではないと思いますが。
 人は想定外の「モノ」に出会うと、その裏側に「悪モノ」を設定し、それを攻撃排除することによって安心という「コト」を得る…それが常であります。
 さてさて、それはいいとして、玄米はおいしいですね。おいしいから食べるのであります。
 一日一食を10年も続けていると、自分に必要な食べ物がおいしく感じられ、必要ないものにはあまり魅力を感じなくなります。面白いですね。ちなみに「添加物過敏症」になってしまいましたが、それもまた不必要なものを避ける本能なのでしょう。
 で、ウチの玄米はこれです。秋田産の「ミルキープリンセス」。ミルキークイーンの亜種だそうです。ミルキークイーン同様の低アミロース米で、よってモチモチ感が強く、さめても硬くならない特徴があります。
 玄米はなんとなくパサパサして硬いイメージがあると思いますが、このミルキープリンセスだと、外はサクサク中はモチモチという感じで、実においしい食感になります。
 そして玄米ですからよく噛むことになるわけですけれど、その結果適度な甘さも感じることができる。最高ですね。
 ウチがネットで買っているのは、大潟村の「元気なNOWSON(のうそん)」さんの商品です。うむむ、見事な「秋田ネーミング」(笑)。LAWSONを意識しているならNAWSONとなりそうですが、「ナウサン」にするところが絶妙ですな。
Th_img_1750_2 ここのお店のいいところは、まずは安いこと。30キロで1万円しないわけですから。そして、30キロを5キロ小袋6個に小分けてしてくれていることです。
 30キロともなれば保存も大変そうですよね。しかし、こちらは見事な5キロ真空パックですから、非常に便利。びっくりするほどコンパクトですし、保存も楽チン。いいですよ~。
 玄米って案外カレーとか丼ものにも合いますよね。ミルキープリンセスは冷めても硬くならないので、おにぎりやお弁当にも最適です。
 そして、案外うれしいのはですね、たまに白米を食べるとこれまたおいしく感じることです。なんとなく「ハレ」という感じがする。普通が特別になるんですね。これもまた効用の一つです。
 世の中には、白米は食べないとか、パンはダメとか、牛乳は飲まないとか、肉はいかんとか、そういう主義の方もいらっしゃいますが、私は全てにおいて「9割和魂、1割荒魂」主義なので、適度に「悪モノ」も受け入れていきたいと思います。

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2014.07.30

『やくざと芸能と–私の愛した日本人–』 なべおさみ (イースト・プレス)

News_thumb_nabe_yakuza_01 に面白かった。事実とすれば、それはそれですごいですし、多少なりとも誇張があったとしても、たしかに昭和の空気にはそういう部分があったことは記憶と一致していますから、それはそれで物語として楽しめます。
 この本は単純な暴露本ではありませんね。そういう意味では、昨日紹介した「八百長」とは大違いです。決して悪口は書きません。悪口を言わないというのは、なべさんが尊敬する親分の特徴でもあります。
 まあ、ある意味、裏の裏、懐の奥の方まで知り尽くしていれば、大鳴戸親方のように軽々しく批判はできませんよね。
 やくざの世界と角界、そして芸能界のつながりは当然ありますし、そこには非常に深い文化的、宗教的な意味があります。それはたとえば『実録 神戸芸能社』を読むとよく分かります。
 今ではその関係は希薄になったとはいえ、完全になくなったわけではありません。相撲や芸能が「神事」であるかぎり、その道の方々との関係は断ち切ることはできません。
 この本にも出てきますが、やくざの世界と天皇家のつながりは、ある意味非常に深い。そのあたりの記述も大変勉強になりました。
 冒頭から、私の記憶に残る偉大な芸能人の方々の名前がこれでもかというほど出てきます。また、私の育った大森も雪ヶ谷も出てきたり、本当に自分の少年時代の空気を思い出さずにはいられませんでした。
 あの「空気」は、実は現代の都市の裏側にしっかり存在した伝統的な「日本」が醸し出すモノだったのでしょう。
 それにしても、なべおさみさん、こんなすごい人だったとは(笑)。人は見かけによらないものです。
 後半の学問的な「やくざ論」も面白かった。ユダヤ、秦氏、渡辺氏、弾左衛門、嘘部、天皇家などなど、私好みの話題が連続します。
 多少、我田引水的ななんちゃってアカデミック感もありますけれど、シロウトとしてはよく研究していると思います。私も初めて知るようなことがいろいろありました。
 やくざの世界、それこそアジールであり、マージナルであります。そうした「モノ」世界を大切にしないと、私たちの心は乾いてしまいます。
 たとえば、相撲やプロレスや歌謡曲がない日本なんて…少なくとも私には想像できません。
 この本の最後には、安倍晋太郎氏の話が出てきます。そう、政治も「まつりごと」ですからね。納得です。
 
Amazon やくざと芸能と

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2014.07.29

『八百長 相撲協会一刀両断』 元大鳴戸親方 (鹿砦社)

20140730_61204 相撲マニアの高校生が貸してくれました。彼は正義感が強く八百長が大嫌いです。
 この本が出版される寸前、この本の著者大鳴戸親方とこの本の中での重要な証言者橋本成一郎氏が、同じ日、同じ病院で、同じ病名で急死しています。
 これはもちろん偶然などではないに決まっています。野暮なことをした報いです。
 八百長も、それを告発することも、行き過ぎると良くないという教訓ですね。
 ちなみに私は、(本来の)八百長は大切だと思っている立場です。以前大相撲とプロレスについて書いた記事を御覧ください。

 今こそ「八百長」の精神を!(2008.10.03)
 スポーツかそれ以上か(八百長問題について再び)(2011.02.06)

 二つ目の記事を書いた1か月後、中止になった春場所の期間中に東日本大震災が起きました。千年以上続いてきた「地鎮」の神事を怠ったからだと、私は真剣に思いました。大難を小難にできなかった。荒魂をもって荒魂を制し、和魂を召喚することができなかった。
 その後の大相撲はいまだに迷走しています。ご存知のとおりです。
 逆に、プロレスは震災以降着実に復興を遂げています(総合格闘技はほとんど消えました)。面白いですね。いわゆる「八百長」に徹した祭、神事が自ずと生命力を取り戻したのです。
 何度も言いますが、行き過ぎはいけません。本来の「八百長」が原始共産主義的な「和」、「利他」を目的としていたのに対し、現代のそれは「カネ」と結びつき、「利己的」なものに成り下がっていました。そして、それに対する極端なバッシング。いずれも間違っていたわけです。
 昨日の記事に書いた「ろうプロレス」の番組で、百太聾選手がJWPの道場で「相手にけがをさせない関節技のかけ方」を教わっているシーンがありました(非常に興味深かった)。また、地方プロレスを紹介した番組では、試合後、観客の方が「お決まりのパターンで分かってるんだけど燃えちゃうんだよね」と語っていました。
 祭にはそういう演劇性が重要です。しかし、そこに伴うべきものは、そうした演劇性(八百長とは言いたくない)の裏側にある本物の(ガチンコ)の強さであるのは言うまでもありません。
 ホンモノが演じるからこそ、神に通じる何かが生まれるのです。命懸けの大芝居。
 私たちも、実は上手にだまされるその裏側で、それがホンモノかどうかの審神をしています。それは芸術という広義の「演劇」において顕著です。音楽しかり、美術しかり、文学しかり。
 大相撲もプロレスもまた芸術なのです。それは究極的にはスポーツと矛盾しません。キング・オブ・スポーツはアートなのです。
 出口王仁三郎は「芸術は宗教の母」という至言を残しましたが、実は「芸術はスポーツの母」でもあるのです。
 この本を貸してくれた生徒にも、そろそろこんな話をしようかと思っています。

Amazon 八百長 相撲協会一刀両断

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2014.07.28

聾者と健聴者の夢のコラボプロレス『HERO』

20140729_133756 HEROはHEROでもキムタク・ドラマではありませんよ(笑)。
 本当にプロレスというのは奥深いですね。芸能界が変質してしまった現代社会において、唯一残されたアジールとも言えましょう。
 アジールであるからこそ許されるモノがあります。そう、アジールとはコトから無縁化された場所であるからこそ聖域なのです。よって、当然のことながらそこは宗教性を帯びます。
 世間の常識という「コト」から自由なプロレスは、その内的ジャンルの多様性においても、社会と言うよりも自然界に近いと言っていいでしょう。
 まさにメジャーからインディーズ、学生プロレスに草プロレス、さらには障害者プロレスまで、そのスタイルも内容も本当にいろいろありますが、しかし、やっぱりプロレスはプロレス。まさに自然界の生態系を見るかのような様相ですね。
 夏、たとえばメジャー団体新日本プロレスではG1という祭が行われていますし、その他、ZERO1の火祭り、DDTの両国国技館大会など、ある意味日本の伝統と微妙に重なる要素を持った興行が催されます。
 そんな中、最近NHKの「ろうを生きる 難聴を生きる」という聴覚障害者番組で、「ろうプロレス」が紹介されていて、興味深く拝見しました。
 その名も「HERO」。当然、「ロー」と「聾」をかけたネーミングでしょう。
 番組では、まず63歳のろうレスラー「ヤミキ」が紹介されました。その内容はこちらでご確認ください。
 いやあ、驚きました。ヤミキ選手63歳でレスラー4年目ですが、たしかに大変お元気、そしてしっかりプロレスラーしている。
 と思ったら、なんと、新日本プロレスでミスター・ポーゴ(関川哲夫)さんやグラン浜田さんと同期だったんですね!
 一度は諦めた夢を、還暦を迎える頃に見事に現実化していることに、非常に感激しました。これこそ、プロレスの世界でなければ成し得ないことでしょう。他のジャンル、特にスポーツの世界では絶対に無理ですよね。これぞアジールの醍醐味でしょう。
20140729_133830 続いて、若手女子ろうレスラーの百太聾(ももたろう)選手が紹介されました。こちらもまた一度は諦めた夢に人生をかけていらっしゃいました。プロレスと結婚した!と堂々とおっしゃる目は、本当に輝いていました(放送内容はこちら。8月1日に再放送があります)。
 以前、こちらで障害者プロレスを、またこちらで小人プロレスについて書きましたね。
 もうほとんどそこに本質的なことは書いてありますから、どうぞ興味を持った方、特に疑問を持った方はお読み下さい。
 NHKさんは比較的プロレスに優しい。時々プロレス関係の番組を放送しれますね。特に、メジャーではないマイナーな団体や人物を追いかけてくれます。おそらく、そこに「日本的なるモノ」を感じてくださっているからでしょう。ありがたいことです。
 日本には、聴覚障害者プロレスの団体がほかにもいくつかあるようです。私はまだ実際に生で試合を観たことがありません。いつか近いうちに会場に出かけて行きたいと思っています。

HERO公式サイト
HERO公式ブログ
 


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2014.07.27

精進諏訪神社&龍泉寺

 日は精進湖にある諏訪神社に行って参りました。
 いずれ詳しく書く予定ですが、この諏訪神社は非常に重要です。日本の未来にとって…なんて書くとトンデモ臭が漂ってしまいますが、どうもホントにそうらしい。
 最近の私の研究によりますと、信州諏訪大社から大切な龍脈が富士山へ向けて通っていまして、その重要な経由地の一つがここなのです。
 実は、この諏訪神社には国指定の天然記念物となっている「精進の大杉」をはじめとして、数本の巨樹がそびえ立っております。それ自体がもう「龍」を彷彿とさせるわけですが、まあ、もう少し現実的に言いますと巨大なアンテナでしょうかね(全然現実的になっていないか)。
 とにかくその霊威たるや本当に素晴らしいのであります。
 神社の北側には「石花山 龍泉寺」という、いかにもいわくありげなお寺も建っております。今日はとりあえず撮ってきた写真を並べまして、皆さんにその雰囲気を味わっていただこうと思います。
 諏訪→富士の龍脈の話は、もう少し研究を進めてから書きたいと思います。ご期待ください。
 では写真をどうぞ(順番はめちゃくちゃです。思いつきで撮っていったので)。

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2014.07.26

デイヴィッド・ギャレット(イケメン・ヴァイオリニスト)

 11日から日本でも公開になった映画「『パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト(The Devil's Violinist)』で、主演・製作総指揮・音楽を担当しているデイヴィッド・ギャレット。
 このブログでもたくさんの個性的なヴァイオリニストを紹介してきましたが、彼もかなりの個性派ですし、ロックを得意とするということで、ワタクシ好みであります。
 さらにイケメンというところが良い(笑)。モデルをやっていたこともあるそうで、今回はついに映画に主演ということですからね。
 彼が演じるのは天才ヴァイオリニスト、パガニーニ。パガニーニの映画の製作は正直難しいと思っていましたがね、とうとう実現してしまいました。それも、超絶技巧の持ち主でなおかつイケメンでセクシー、演技もできるギャレットだからこそ成し得た奇跡。
 「悪魔のヴァイオリン」ということで言うと、以前、悪魔に魂を売った(?)美女レイチェル・バートンを紹介しましたね。
 考えてみると、美人ヴァイオリン奏者というのは何人かいましたが、イケメンはあんまりいなかったような(笑)。
 もともと音楽にはヴィジュアルも非常に重要であります。いや、音楽は音で勝負だ!なんて言い出したのは、レコーディング文化が生まれた100年くらい前からの話でして、やっぱりライヴな音楽にはヴィジュアルも大切。
 特にヴァイオリンという悪魔の楽器には、まさに悪魔的な美しさが必要なはずです。その点、ワタクシは完璧!…にダメ。どちらかというとブッダ系だし(笑)。
 残念であります。
 悔しいけれど、デイヴィッド・ギャレットは顔、スタイル、弾きっぷり全てカッコイイですね。たしかにロック・ミュージシャンとしても完璧でしょう。
 というわけで、彼の日常的なイケメンぶりが垣間見られる動画をどうぞ。あさイチ!に出た時のものです。

 ふむふむ、ステキですねえ。普通にうまいし。楽器も素晴らしい。
 続いて、ちょっと前のロック系インタビュー。これも面白い。

 では、ロック系の演奏を聴いて(観て)みましょう!We will rock you です!

 う〜ん、カッコイイ。
 というわけで、英語が得意な方、『The Devil's Violinist』全編をどうぞ。

Amazon 愛と狂気のヴァイオリニスト(初回限定盤)(DVD付)

デイヴィッド・ギャレット公式

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2014.07.25

柳原白蓮と出口王仁三郎

Story_17_p3 の連ドラ「花子とアン」が好調ですね。
 「白蓮事件」をモデルとした仲間由紀恵演じる蓮子の純愛(or姦通)事件もクライマックスを迎えつつあり、今週、来週は特に視聴率が高そう。
 まあ、当時としては「白蓮事件」はかなりのスキャンダルでしたからね。当時としてはではないですね。今だったらもっと大変な騒ぎかもしれません。
Th_yanagiwara_byakuren 白蓮事件やその主役たる柳原白蓮(宮崎燁子)については、Wikipediaに詳しく書かれていますから、そちらでお読みください。
 今日は、Wikipediaにも少しだけ触れられている、白蓮と王仁三郎の関係について、ちょっと書かせていただきます。
 大正11年7月、宮崎龍介との不義の子を5月に出産したばかりの白蓮は、ある親族の紹介で王仁三郎のもとに匿われます。芸術への理解、特に短歌への理解が深かった王仁三郎、さらに、前年に第一次大本事件で国家に弾圧され体制への反発心を持っていた王仁三郎、また、燁子や宮崎を激しく責めていた内田良平ら右翼ともつながりが深かった王仁三郎、そしてなにより弱者への愛に満ちていた王仁三郎としては、ある意味当然の行動だったのかもしれません。
Th_od7 匿った場所がまたすごい。綾部の松雲閣。霊界物語の多くが口述された場所です。
 そう、ちょうど大正11年の7月といえば、霊界物語の口述が波に乗っていた頃です。もしかすると、白蓮自身もその場に立ち会ったことがあるかもしれません。なんかすごい状況ですよね。朝の連ドラでもぜひそのシーンを…絶対ないか(笑)。
 で、今日、ふと思いついて、その頃の霊界物語を繙いてみたんですよ。そうしたら、なんだか偶然とは思えない一節を見つけました。見つけたのは本当に偶然です。ちょっと引用してみますので、読んでみてください。

霊界物語 第二六巻 海洋万里 丑の巻
第四篇 波瀾重畳 第一五章 諭詩の歌
(大正11年7月19日口述…全文はこちらでどうぞ)

高姫たかひめ黒姫くろひめ両人りやうにん
高山彦たかやまひこ諸共もろとも
かみやしろをが
かほあからめてスゴスゴと
ふねつなぎたる
磯辺いそべきてながむれば
あづまそらあかねして
なみひらめくうるはしさ
湖水こすゐそこひそみたる
竜神様りうじんさまのなすわざ
水茎文字みづくきもじ此処彼処ここかしこ
アオウエイ カコクケキ
サソスセシとあらはれぬ
三人みたりふねりて
艪櫂ろかいあやつりシヅシヅと
なみうかんでかへ
湖水こすゐふたつに立別たちわか
あらはれでし大竜たいりう
姿すがたこといかめしく
黄金こがねうろこ太刀たちはだ
くもおこして大空おほぞら
たちまちのぼすさまじさ
三人みたりそらあふ
ながむるうち大竜たいりう
姿すがたただちくも
すずしきかぜ共響むたひび
幽遠いうゑん微妙びめう音楽おんがく
何処いづくともなくきこ
四辺しへんはたちまち芳香はうかう
つつまれこころ清々すがすが
よみがへりたるおもひして
ふねすすむる折柄をりから
ヒラリヒラリと蓮花はちすばな
ゆきごとくにきた
三人みたりふね堆高うづたか
つもりつもるとうち
はちすはなはいつしかに
姿すがたへんじてうるはしき
平和へいわ女神めがみとなりへぬ
三人みたりはここに合掌がつしやう
欣求浄土ごんぐじやうど弥陀如来みだによらい
弥勒菩薩みろくぼさつ来迎らいがう
木花姫このはなひめ出現しゆつげん
ただし竜宮りうぐう乙姫おとひめ
崇高けだか姿すがた村肝むらきも
こころそこより恭敬きようけい
おもはずかうべげつれば
女神めがみ言葉ことばしとやかに
三人みたりむかつてさやさやと
神勅みのりつたたまひけり。

(以下略)

 さてさて、何が面白いかというと、実は内容ではなくてですね、ここに白蓮事件の主役たちを象徴する文字が出てくることなんです。
 すなわち、白蓮の「蓮」、恋のお相手である宮崎龍介の「龍(竜)」、そして生まれた子どもの香織の「香」。見つかりましたか?
 全くの偶然なのかもしれませんが、さすがにこれだけの(少ない)分量の中に、この三文字が登場するのは、あの膨大な霊界物語の中でもここだけだと思います(ちゃんと調べていませんが)。
 ちなみに、香織という名前、王仁三郎が命名したという言い伝えもあるようですね。充分考えられることです。
 霊界物語に無数の「暗号」を忍ばせた王仁三郎のことですから、意図的に、あるいは霊感的に三人の名前を詠み込んだのかもしれません。
 ちなみにこの頃、生まれた香織はすぐに取り上げられて白蓮とは別の場所に移されていました。最愛の龍介との間に生まれた香織と引き離された白蓮(燁子)は、どれほど哀しい思いでいたことでしょう。
 その後、王仁三郎の計らいもあり、12月には燁子と香織は再会なって、東京に引っ越しています。
 ドラマの裏にドラマあり。ここにもまた王仁三郎の影があったということですね。

追伸 霊界物語の61巻の序(大正12年5月)には「柳原燁子」の名前もそのまま出てきています。こちらでご確認ください。

Amazon 白蓮れんれん(林真理子)

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2014.07.24

お能に出会う夏休み

夏休み能楽体験親子教室
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 知です。富士北麓地方の方対象ですが、教え子の能楽師が「お能教室」をやりますので、ぜひご参加ください。
 全8回ですが、一日だけの部分参加でも大丈夫です。せっかくなら本格的に学んで発表会まで体験していただきたいので、その場合はなるべくたくさん参加してください!
 小中学生は無料、親は各回1000円です。これはめったにない機会だと思います。
 私も仕事がなければ毎回うかがいたいところであります。
 予定表では14時から17時となっていますが、3時間は長いので実際には90分くらいで終わる予定だそうです。
 私も教え子のおかげで「能」の世界を知り、すっかりはまってしまいました。特に子どものうちに体験するのはいいことです。
 ウチの中学では1年生に必修として能の授業を課しています。また、全国的にも珍しい能楽部もあります。
 能というと「眠い」という印象でありますが、実に深く面白い世界です。私からすると、禅、音楽、演劇、プロレスに通じていて面白い。そのあたりについて、また学校における能のあり方についてはこちらからいろいろご覧ください。


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2014.07.23

ai kuwabara trio project 『the Window』

20140724_122735 日とは打って変わって日本の現代的ジャズ。
 昨年の東京JAZZでの演奏をテレビで観まして、おおこれはなかなかいいぞ!と思ったトリオ。
 プリミティヴな音楽も好きですが、こういうカッチリ構成された現代的な音楽も実は好きなワタクシでありました。
 たとえばロックで言えば、プログレッシヴが好きでしたからね。
 もちろんクラシック、バロックなんていうのも、構成美ですよね。若い時はやはりそういう「コト」世界に憧れたりするわけです。
 私はいまだに中二病なので(笑)、今でもそういうのが好きなんですよね。そこに原始的な「モノ」世界への嗜好が加わったという感じでしょうか。まあ、どっちでもいいし、あるいはうまく組み合わさっているといいと。
 まず、一つ前のアルバムの最終曲「LABORATORY」を聴いてみてください。途中に出てくるポリフォニーなソロかっこいいですね。バッハというかショスタコーヴィチっていう感じ。

 桑原あいさんももちろんですが、ワタクシ的にはベースの森田悠介さんの知的なベースがいいですね。超絶技巧でありますが、なんというか、ちゃんと作曲されてるなというベースラインがカッコイイ。と思ったら、森田さん、作曲科のご出身なんですね。なるほど。
 桑原さんもヤマハのエレクトーンの世界で鳴らしたコンポーザーです。
 ある意味ではとてもヤマハ的とも言える(すなわち上原ひろみともかぶる)楽曲ですが、これは実は「日本的クラシック」であったりするわけです。純粋にドイツ由来とは言えない、もっといろいろな要素が溶け込み、なおかつ日本的に調理された感じ。
 実は、私も幼少期にヤマハのエレクトーン教室に通っていたことがあったのですが(笑)、案外私の音楽的趣味はそこで養われたのかもしれませんね(今では反ヤマハみたいなこと書いてますけど)。
 まあ、それはいいとして、今年4月に出た彼女らの3rdアルバムがまたカッコイイのであります。
 ますます複雑化し、難解な感じになって、末期のプログレみたいになっている(笑)。しかし、たとえばフリー・ジャズみたいなことにはもちろんなっていなくて、すなわちヤマハ的に言っても、ちゃんと音楽理論、それもある意味古臭い西洋近代芸術音楽の範疇に収まっている。その中での挑戦という、そのスタンスが「カッコイイ」のであります。
 う〜ん、ジャズというよりロックだと思うのは私だけでしょうか。黒より白ということですかね。
 ということで、ニューアルバムから何曲かどうぞ。

 ライヴで聴いてみたいトリオですね。

Amazon the Window

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2014.07.22

Jasser Haj Youssef(ヴァイオリン&ヴィオラ・ダモーレ奏者)

 ょっと前に、私好みの個性的なヴァイオリニスト、エミリー・オータムを紹介しました。彼女はバロックとロックを弾きます。
 今日はジャズと民族音楽を得意とする個性的なヴァイオリニストを紹介しましょう。
 とは言え、ええと、名前の読み方が分からない(笑)。彼はチュニジアの出身。
 まずはヴァイオリンの演奏から。彼のカルテットです。

 かっこいいですね〜。もう1曲。さらにオリエンタルなジャズ。

 ヴァイオリンってやっぱりこういう楽器なんだと思います。お行儀のいい楽器ではない。
 そして、彼の特徴はヴィオラ・ダモーレを演奏することです。私もなっちゃってヴィオラ・ダモーレ奏者の端くれでありますが、あの共鳴弦も含めて14弦もある楽器をいじっていると、どう考えてもこれは民族楽器だなという気がしてくるわけです。
 そして、バッハやヴィヴァルディやテレマンを弾いているだけでは満足できなくなってくるわけですね。でも、実際何をどういうふうに弾けばよいかというのはよく分からなかった。日本の胡弓の古典作品を弾いたりしたこともありまたけど、なんだかいまいちだった(笑)。
 で、彼が見事にヴィオラ・ダモーレをヴィオラダモーレらしく弾いてくれています。いくつか聴いてみてください。

 なるほど、こうやってあぐらかいて、ヘッドを地面につければいいのか!分かったぞ!これはいただきです(笑)。
 というわけで、今年の都留音楽祭では、これをやってみようかな。八雲琴とヴィオラ・ダモーレで即興とかね(笑)。お楽しみに。

Jasser Haj Youssef 公式

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2014.07.21

一日一食丸10年→高血圧&高コレステロール?

 タクシの一日一食(夕食のみ)生活も丸10年を超え、11年目に入っております。
 今では二食食べると調子が悪くなる体になってしまいました(笑)。
 おかげさまで、体重は20歳の頃と同じ数値をキープ。病気も全くと言っていいほどせず、気分も常に晴れ晴れしております。
 朝食と昼食でザックリ1000円とすると、10年間で365万円浮いたことになります。500円としても180万円。かなりの低燃費ですね(笑)。
 これを国民全員がやれば、どれだけ省エネになるか。いや、経済が破綻しちゃうかな(苦笑)。
 ところで、こういう生活をしていてもですね、健康診断にはひっかかるから不思議です。
 まず必ずひっかかるのがコレステロール値。かなり高い。健康診断の結果では「医療機関に今すぐ行け」となるわけですが、当然そんなのは無視します。
 そう、こちらにも書いたように、コレステロールは高いほどいいと思っているからです。
 さらに50歳を間近にする年齢になりまして、血圧もそれなりに高くなってまいりました。健康診断ではここもひっかかります。(花王系の会社から来る冊子に)「薬をのむ、病院へ行く、そんな当たり前のことを、あなたにしてほしい」と言われる(笑)。
 これもまた当然無視ですね。高いと言っても、昔の基準「年齢+90」の範囲内におさまっていますから。
 そう、もう皆さんもお気づきのとおり、やたらと基準を厳しくして「国民皆病気」状態を作り、医者と製薬会社を儲けさせるシステムができあがっているわけです。そんなのにまんまとはまりたくない(というか、実は私は「医者に行くんだったら死んだほうがマシ」というほどの医者嫌いなのです…笑)。
 前の記事にも書いたように、死に方というのもあります。ガンでじわじわ死ぬより、脳や心臓の疾患ですっきり死んだほうが自分だけでなく人様のためになるというのも事実です。
 まあ、最近ではそうした「国民皆病気」システムが、実はアメリカの「指導」のもとに作り上げられたという陰謀論に対する反発もありまして、基準の見直しが進んでいます。
 下の表は、以前ある週刊誌に出ていたものです。こちらで読めます。

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 この記事にもあるとおり、年をとって血圧が上がるのは、血管に弾力がなくなってきた上に、長年のカスがたまりはじめたのを、血流の勢いで隅々まで洗い流そうとする正しい働きであり、それを降圧剤で抑えてしまうと、逆にカスがつまる「梗塞」が起きる可能性が高まります。
 コレステロールについては、食事制限せよなどと言われるわけですけれど、一日一食からさらに制限せよというとこは一日零食にせよ、すなわち「不食」で生きよということになってしまうわけで(笑)、まあ、それにも少し憧れているところはありますけれど、実際は難しいですよね。
 というわけで、今のスタイルを変えるつもりもありませんし、これが自分に一番合ってるので、ポックリ死ぬまで続けることでしょう。もちろん医者に行かないというスタイルも含めて。
 皆さん、40歳過ぎたら私のようなスタイルにしてみてはいかがでしょうか。特にメタボ傾向のある方。エネルギー保存の法則に従って摂取量を減らすだけですからね。
 興味のある方は、こちらからいろいろ読んでみてください。


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2014.07.20

富田メモ

 日の「たかじんのそこまで言って委員会」は極秘文書徹底解明スペシャルでした。いつにもまして面白かった。先日お会いした竹田恒泰さんのおっしゃっていたとおり、田原総一朗さんもずいぶん変わったなあ(笑)。
 さてさて、「文書」それも「極秘」と来れば私の専門です。
 いろいろな極秘文書が紹介されていた中で、私も意見を言いたくなったのは「富田メモ」でした。
 様々な偽文書を目にしてきたワタクシからしますと、この「富田メモ」は明らかにそちらに属する類の文書です。
 私はいろいろな文書をまずは国語学的な視点から読みます。いや決して学問的ではないな。内容よりも日本語の「空気」を読むんですよ。
 そういう意味で、この富田メモを初めて読んだ時、「ああこれは陛下の言葉ではなく、誰か別の人の発言をメモしたものだな」と直観しました。
 のちにいろいろな方も指摘していますが、まず違和感を抱いたのは「参拝」という言葉です。天皇陛下が神社に行き祈ることを、自ら「参拝」とは絶対に言いません。基本的に天皇は自らに尊敬語は使えど、謙譲語は使いません。これはかなり徹底されています。特に戦前に帝王学を学んだ昭和天皇が、間違った言葉遣いをするとは考えられません。
 もう、その時点である種の「俗」を感じる文面なのです。だから、陛下ではない別の一般人の発言であると考えるのが妥当です。
 千歩譲って(進んで?)陛下のお言葉という「設定」でメモされたものとしたら、それを捏造した人はかなりの俗人だと判断されます(つまり富田さんではない)。
 さらに言うならば、「親の心子知らず」という言葉です。こうした慣用句というか俗諺も陛下にはそぐわない。ある意味下品です。
 これも千歩はずれてですね、陛下が不用意に人を批判したり、何かに不快感を表したとしても、このような俗な表現はしないはずです。
 もちろん戦後は、人間昭和天皇という一面もいろいろと紹介されていますが、こと先の大戦についての発言には我々が考える以上の気を遣われていたと考えられます。
 このような観点からすると、この富田メモが、陛下のお言葉という「設定」で捏造されたものだとしたら、それこそ宮下文書や竹内文書のごとく、ある意味非常にレベルの低い「偽文書」であると認定しなければなりません。
 そんなものにマスコミや学者たちが振り回されているとしたら、まさに宮下文書や竹内文書に振り回された戦前と同じ状況であり、私たちは全く成長進化していないということになりますね。
 さすがにそうではないと思いたい。だとすると、このメモはやはり「昭和天皇以外の誰かの発言」であるということになる。では、いったい誰の発言なのか。
 断言はできませんが、私は徳川前侍従長の発言ではないかと考えています。あくまで勘ですが。
 非常に現実的な話として、A級戦犯合祀が政治的、外交的に面倒な問題に発展するというだろうという懸念を、徳川さんがメモのような言葉で表現するのは自然なことです。少なくとも、陛下の言葉とするよりも、ずっと自然ですよね。
 日経が最初から「昭和天皇…不快感」として報道してしまったところから、案外こうした単純な視点が抜け落ちてしまいました。
 ところで、昭和天皇は靖國神社やA級戦犯についてどのようなお考えをお持ちだったのでしょうか。そして、今はどのようにお考えなのでしょうか。
 私はそれを知っています。昭和天皇から直接(!)、そして、ある意味陛下のライバルであった出口王仁三郎から間接的にうかがっております(笑)。
 その内容については、3月1日の記事5月24日の記事をご覧ください。
 

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2014.07.19

『集団的自衛権の深層』 松竹伸幸 (平凡社新書)

20140720_94715 朝の朝日新聞のニュース「のび太が武装しても自分を守れるかな」にはビックリ、というか笑ってしまいましたよ。
 なんだか札幌の高校の先生が弁護士さんを招いて集団的自衛権の授業をやったのだとか。そこで、『米国は「ジャイアン」、日本は「のび太」。安倍晋三首相は集団的自衛権の行使容認で「日本が戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなっていく」と胸を張ったが、「のび太が武装して僕は強いといっても、本当に自分を守れるかな」』と先生が語りかけたらしい。
 集団的自衛権の行使の容認に関する是非は別として、とりあえずたとえが間違ってるでしょう。アメリカと日本の関係は、ジャイアンとのび太のそれなんですか?どう考えても違うでしょう。
 あえて言うなら、ドラえもんとのび太の関係にたとえられるべきでしょう。ジャイアンにのび太がいじめられた時にドラえもんは助けてくれますよね。日米安保です。
 では、ドラえもんが攻撃された時のび太がどうするかが、今回の問題です。
 これまでは、のび太がドラえもんを助けるためにジャイアンを殴る権利はあれど、実際には殴ってはいけないという解釈だったわけですね。
 と、こういうたとえをすること自体に拒否反応を示す方もおられるのですが、教育現場では子どもにまずは個人の問題として考えさせ、それをスケールアップしていく方法がベストだと私も思います。だからこそ、正しい比喩を使わなければなりません。
 ドラえもんにたとえるなら、まさに原作のテーマがそうであるように、のび太はドラえもんに依存せず独立した存在になり、またジャイアンのいいところも認めながら、全体としての平和な関係を築いていかなければなりませんよね。
 さてさて、先日の竹田恒泰さんとの対話の中で、「左翼から右翼に転向する人はたくさんいるが、その逆はいない」という笑い話がありました。なるほどそうかもしれませんね(笑)。
 この本の著者松竹さんは共産党員でしたが、今は党を離れている(除籍になった)ようです。そういう意味では、案外この本は「深層」にまで踏み込めているかもしれません。つまり、バリバリの左翼でもバリバリの右翼でもない立場から問題を掘り下げているのです。
 歴史的に実際どのように「集団的自衛権」が行使されてきたかを紐解き、そこから基本的に反対であるという立場を明確にし、そして最後は独自の対案を示しています。
 正直に言うとですね…この本を読んでいて、もしかすると私は松竹さんの考えに近いのかもなあと思えてきたんですよ。つまり、現実に対処しながらも、憲法9条を戦略的(積極的)平和主義の道具(武器?w)として使うということです。
 このブログでも何度か書いてきたように、私は憲法9条は改憲できないと考えています。それは平和憲法の発案者が昭和天皇であるという立場を取っているからです。
 だから、(変な話ですが)霊的な意味で、最終的には国民投票によっても変えることができない、いやもちろん手続き的には可能ですよ、しかし、最終的には国民国家を超えた力が働くと信じているのです。形としては国民投票の結果であっても。
 憲法は憲法として、未来の理想を語るべきものであり、そこへ向けてどのように法律を運用していくかという現実論が政治であると思っています。だからこそ、単純な左右では語れないのですね。
 憲法の解釈というのはまさにそのプロセスであって、そういう意味では、現状下での今回の解釈は正しいと思っていますが、未来的には正解ではないとも考えています。
 こういう分かりにくい(二元論的でない)立場を取ると、どちら側からも煙たがれるのがオチですが(笑)、私のこういう話をちゃんと理解して共感してくれる方もいるので(たとえば安倍昭恵さんはその一人です)、諦めず信じ続けたいと思います。
 現状での解釈、運用ということで言えば、次の動画もぜひ御覧ください。非常に現実的な説明だと思います。そして、またこの現状を乗り越えて行かなければとも思うのです。

Amazon 集団的自衛権の深層

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2014.07.18

子煩悩とは

Th_profissao_09 煩悩…よく使う言葉ですよね。たいがいの親は子煩悩です。
 今日はこの言葉の本質について考察してみます。ブッダが語る子煩悩とは…。
 ブッダは人間の煩悩(執着)の中でも、「子」と「財」へのそれを最もいけないものとして戒めています。分かりやすく言えば「子ども」と「お金」ですね。
 そうそう、さっき久しぶりにマンション経営の会社から電話がかかってきました。丁重にお断りすると、「子どものために財産を残したいと思いませんか?」と聞いてきましたので、次のような話をしてさし上げました(笑)。
 ブッダの言葉を集めたといわれる「ダンマパダ(真理の言葉)」に次のような一節があります。

「愚かな人」より抜粋。
 「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。

「賢い人」より抜粋。
 自分のためにも、他人のためにも、子を望んではならぬ。財をも国をも望んではならぬ。邪(よこしま)なしかたによって自己の繁栄を願うてはならぬ。(道にかなった)行ないがあり、明らかな知慧あり、真理にしたがっておれ。

 また、「ウダーナヴァルガ(感興のことば)」の中には次のような一節もあります。

 子どもや家畜のことに気を奪われて心が執着している人を、死は捉えてさらって行く。眠っている村を大洪水が押し流すように。

 ここで言う「家畜」とは財産のことでしょう。今風に言えばやはりお金やお金に換算できるもの。
 このように、人類史上最も頭が良く、宇宙の真理を悟ったお釈迦様は、子どもと財産への執着を離れることを説きました。そして、自身も実際、妻子や王子の座を捨てて出家しました。
 ということで、私たちが日常的に使っている「子煩悩」という言葉は、もともと仏教における「子どもへの執着によってもたらさらる煩悩」から生まれたものと思われます。
 日国を引いてみると、「子煩悩」の用例は近代以降のものしか載っていませんが、おそらく話し言葉としては江戸時代以前から使われていたものと想像されます。おそらくお寺のお坊さんの法話の中にでも出てきたのでしょう。
 こう考えてみますと、たいがいの親が「子煩悩」であるということは、やはり人類はお釈迦様の時代からあまり変わっていないということですよね。
 それどころか、最近では子煩悩度が上がっているような気が…(特に学校現場では強く感じる)。
 ちなみに私は全く子煩悩ではありません。仏教を勉強してから意識し始めたわけではなく、生まれつきあまり親族に愛着がないのです。
 こんなことを言うと、なんと冷たい人なんだと思われるかもしれませんが、周りの人たちを見ているとたしかに自分はそうだと思わずにいられません。自分の親や兄弟に対してもけっこう淡白なのです。
 かと言って、親族に迷惑をかけているわけではありませんよ。ただ執着がないのです。特に自分の子どもに対しては、もちろん愛情はありますけれども執着はない。
 ましてや、子どもが命!とか、子どもの成長、活躍こそが喜び!などという気持ちはほとんどありません。どちらかというと子どもはライバル。成長、活躍すると何クソと思う(笑)。
 子どもは子どもで勝手に人生を楽しみ、たくましく生きていくと信じているとも言えます。親としてやってやれることは、まあ十数年、彼女たちが自立するまで飯を食わせてやって、あとは学費を払うくらいのことです。
 仕事柄もあってか、どちらかと言うと自分の子どもよりも他人の子どもに愛情を注ぐことが多いかもしれません。長女は私の学校に通っていますし、下の娘も来年にはたぶん入学していきます。彼女たちにとっても、私の淡白さが、学校での居心地の良さにつながっているのかもしれません。
 子どもは子どもで別に愛情不足や無関心だとは思っていないようです。きっと子どもも親に似て、親族への執着があまりないのでしょう(苦笑)。
 そのおかげでしょうか、おそらく我が家はあまり悩み苦しみがない。お互いに執着があまりないからです。
 とか言って、実はそれぞれ「我執」は人一倍強かったりして(笑)。

Amazon ブッダの 真理の言葉 感興の言葉

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2014.07.17

日光テレフォンショッピング

 曜日のオープンスクールで披露するコント部のネタを作っております。
 中学としては、おそらく全国で(世界で?)唯一の部活動であろう「コント部」。非常に教育的効果の高い部です。本当に笑いは難しい。高度な文化です。演劇の王様です。
 顧問であるワタクシも勉強の日々…とは言っても、あまり芸人さんのコントをたくさん観るわけではありません。ついついパクりたくなってしまうからです。そこもまた難しいところ。それからネタの範囲(次元)をどの程度に設定するか。普遍的なネタにするのか、あるいは時事ネタにするのか、はたまたローカルな、たとえば自分の学校関係者だけに通じるようなネタにするのか。
 今回は新入生の基礎練習として「アナと雪の女王」という今流行りネタ、メインは「小保方&野々村」という時事ネタ、真ん中は「テレビショッピング」という普遍ネタを採用しています。
 で、テレビショッピングの特徴を知ろうと思ってYouTubeで「通信販売」と検索したら、懐かしいネタが出てきましたので、皆さんに紹介いたします。
 1990年代にフジテレビの深夜番組「世界で一番くだらない番組」内で放送された「日光テレフォンショッピング」です。
 コントってやりすぎるとイタいことになるので、その加減というのが難しいものですが、この日光〜はそのギリギリ感が絶妙ですね。ワタクシとしては「地蜘蛛」という言葉の選び方が好きです(笑)。
 では、どうぞお楽しみ下さい。

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2014.07.16

みたままつりと柳田國男

Th_img_1241 たそっち系の記事のように思われそうですが、ちょっと違いますよ(笑)。
 今日は東京で研修。それが夕方に終わりましたので、少し足を伸ばして靖國神社の「みたままつり」に行ってきました。
 「みたままつり」に行くのは実は初めてです。私はまだ明るいうち、すなわち無数のぼんぼりや提灯には明かりがともる前に行ったのですが、もうすでに大変な人出でして大変驚きました。
Th_img_1238 アマノジャクな私は、あえて幽斎的な態度をとって、人の波からはずれ遊就館へ。特別展示室で開催されている「大東亜戦争七十年展Ⅲ」を静かに拝観。
 う〜ん辛いなあ。この昭和18年から19年の守勢戦の時代。特攻が始まる時代です。
 一巡して外に出るとまたいきなり現代の風景に引き戻されました。浴衣のギャルたちが売店で「カワイイ〜」を連発しています。なるほどカワイイのか。
 思わずツイートしてしまいました。

あえて言おう。重厚な男たちの死をいとも軽く祀ってしまう浴衣姿の女ども!おそるべし、日本の「わけも分からぬ」まつり力!これにはみたままつりの父柳田國男も喜んでいるだろう。

200pxkunio_yanagita そうなんです。みたままつりの父はかの民俗学者柳田國男なのです。はたしてこの大衆の中にその事実を知っている人はどのくらいるのだろう。それ以前に靖國の祭神を知っている人がどれだけいるのか。
 いや、それが悪いと言っているわけではありません。それこそが「わけも分からぬ」すごさなのです。
 靖國神社は戦後すぐにGHQによって廃止される寸前まで追い込まれました。それはそうですよね。彼らにとっては単なる「ミリタリー・シュライン」だったわけですから。
 その暴挙を阻止するのに柳田の果たした役割は大きかった。
 昭和21年、長野県の遺族会が靖國に盆踊りを奉納しました。それを「古来の民俗的な儀式」であると分析し、宗教性や政治性のない「フォーク祭」だと分析したのは柳田國男でした。その分析を当時の宮司らがGHQに報告しています。
 さらに柳田と神社側は、この盆踊りを「みたままつり」として大規模化することを画策します。あくまで全国で行われている「みたままつり」と同様に、地域のフォークロアとして定着させるという意図です。
 そうすることによって、戦前戦中とは違った意味であっても参拝者を増やそう、また、以前の神社のイメージを変えようということでしょうか。
 その作戦はまんまと成功し靖國神社は「みたままつり」の場として生き残ることとなりました。これもまた「国譲り」の一つでしょうね。本質を幽閉して生き残る。
 靖國神社というと、国内外でいろいろと物議を醸す存在となってしまっていますが、実は「みたままつり」には、そんな小さな歴史のスケールとは違う日本の本質が隠されているのかもしれませんね。
 柳田國男はさすがそのあたりに気づいていたのでしょう。

Amazon 柳田國男『先祖の話』

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2014.07.15

皇太子ご一家武蔵陵墓地ご参拝

Sot14071513120007p1 室関係の記事が続きます。
 不二草紙もすっかり右傾化したと言われていますが(笑)、何度も言うようにそういう次元でしかモノを見られない方にはぜひ勉強をしていただきたい。竹田さんも「左翼=勉強不足」とおっしゃっていました(笑)。
 少なくとも宇宙には右も左もありません。宇宙的な思考をすることこそ、今の地球人に求められている姿勢であります…なんて言うと、今度は不二草紙はますます電波系になってきたと言われそうですね(笑)。まあ、いいや。
 それにしてもこのニュースにはちょっとびっくりしました。
 愛子さまは初めてひいおじいちゃん(昭和天皇)のお墓参りをしたということですよね。それはまあ普通かもしれません。私だってひいおじいちゃんのお墓がどこにあるかすらよく分かっていませんし。
 ちなみに現皇太子さまは、小学校入学時に大正天皇陵を参拝されています。
 驚くべきは雅子さまのご参拝が12年ぶりだということです。これはちょっと…ですよね。
 もちろん皇室の習慣は我々庶民とは違いますけれども、そういう立場を抜きにしてもどうかと。
 それからえっ?と思ったのは、皇太子ご一家は武蔵野陵と武蔵野東陵、すなわち昭和天皇陵と香淳皇后陵を参拝されましたが、隣接する大正天皇陵と貞明皇后陵には参拝されなかったことです。
 これもそういう習慣であるのでしょうけれども、すぐそこに見えるご先祖のお墓参りはしないというのはどうなのでしょうか。
 私は去年の5月から、チャンスあるたびに武蔵野陵墓地に立ち寄っています。ものすごく落ち着くし、いろいろなインスピレーションを与えてもらえるからです。それこそ宇宙や歴史とつながることができる場なのです。
 先ほどはちょっと疑問を呈するような書き方をしてしまいましたが、逆に言えば、ようやく愛子さまも、そして雅子さまも、そうした場で何かとつながる体験をなさったということですね。それがこのタイミングであったのは良かったこと、意味のあることだったに違いありません。
 ちなみに、あの八王子(高尾駅近く)の武蔵陵墓地(多摩御陵)は、富士山から東京へ向けての龍脈の上にあります。
 おととい竹田さんにも富士高天原や皇居の富士遷宮のお話をしましたけれども、大正天皇、昭和天皇の陵墓の地としてかの地が選ばれたのには、実はそういう流れもあってのことです。
 そういう視点で考えますと、皇太子さまの平成16年の突然の御正体山登山の意味も分かってくるというのもです。マニアにしか知られていないマイナーな山、しかし富士山信仰にとっては重要であり、また富士高天原伝説の地である「御正体山」もまた、その龍脈上にあるのでした。
 というわけで、秋には御正体山に登りましょう。同行の方を募りたいと思います。

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2014.07.14

仮面女子

Th_img_1190 日の竹田恒泰さんとのお話の中で、ちょっと毛色の変わったものを一つ紹介します。
 今、竹田さんは一つの戦略として「若者に影響力のある人を教育する」ということを実行しているとのこと。草の根も大切だけれど上からというのが最も実効的である、というのは私の考え方と同じですね。
 というわけで、最近しっかり教育しているのが、この地下アイドル「仮面女子」だそうです。

 仮面をつけているというところが面白いですね。アイドルなのに顔見世をしない。というか、チラ見せ文化ですね、これは。
 つまり平安貴族の文化ですよ。女性は顔を基本見せない。垣間見しかさせない。それがある種の奥ゆかしさを生む。あるいは男側の文化性を高める。
 芸能というのはもともと神事ですからね。そういう話も竹田さんとしました。
 アイドル業界というのはいろいろな意味で厳しいし残酷です。業界はものすごく大きな規模。本当にピンからキリまでです。
 アイドルをコンテンツとして儲けるというのももちろん上の方にはありますけれど、ロングテールの方は、オーディション料、レッスン料などで稼ぐんですね。アイドルに憧れて上京した少女たち(と保護者たち)は、結局デビューなどできず捨てられる…なんてことは日常茶飯事。
 純粋に人を幸せにしたい、世の中を明るくしたいという志を持ってアイドル業界にのぞんで行った純粋な少女たちが食い物にされているというのも実情です。
 そういう状況に憂いを抱く良心的なプロダクションというのもあります。たとえば、この仮面女子を擁するアリスプロジェクトもその一つ。
 面接から基本的に費用は無料でプロデュースしているそうです。また、社長さんはメンバーの人間的な教育にも力を入れている(すなわち日本の未来を真剣に考えている)とのことです。
 そんな社長さんに請われて、竹田さんが仮面女子の面々に「君が代」を講義したのが、下の動画。竹田さんも彼女たちの真剣な姿、そして飲み込みの良さに感動したようです。

 ぜひ私も講師として呼んでほしいですね(ミーハーww)。
 竹田さんとアイドル…ご自身も講演で自虐ネタとして最近のゴシップを笑っておられましたが、まあ天皇と白拍子の関係を思い出すまでもなく、皇室と芸能というのは昔から縁が深い。私は大いにけっこうなことだと思いますよ。いずれも「ハレ」という非日常性で私たちの「ケ」を照らしてくださるわけですから。

仮面女子公式


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2014.07.13

竹田恒泰さん講演会

「呼び覚ませ和の精神 誇り高き日本〜富士の麓から未来を切り拓け」
Th_img_1186 に楽しい講演会でありました。
 今日は富士五湖青年会議所の55周年の記念式典がありまして、前半の竹田さんの講演に私とカミさんが参加し、後半のレセプションには娘がジャズバンド部のベーシストとしてゲスト演奏するという一日。
 青年会議所は全国的に保守傾向が強い組織です。先月には静岡の青年会議所が百田尚樹さんを講演者に招いてちょっとしたニュースになっていましたね。
 もうしつこいほどに何度も言いますけれども(言わなければ誤解される)、私は右でも左でもありません。あくまで「不二」ですので。もう左右、東西、南北、経緯、保革、勝敗なんていう図式は古臭いという感覚の持ち主です。
 ですから、あらゆる立場の方々と交流する機会を持つよう心がけています。今日はあくまでその一環。というか、未来を見据えてのあらゆる歩みの一つです。
 竹田恒泰さんは言わずもがな明治天皇の玄孫です。最近ではテレビなどメディアへの露出も多く、保守的な論壇の急先鋒というイメージが強いかと思います。
 今日のお話も、ご著書やメディアでのご発言のとおり、日本が世界最古最長の国家であり、それは皇室に象徴される「和」の精神があったからだという内容が中心となっていました。そこに神話教育の重要性を絡めたり、また、青年会議所対象ということもあって、そこに利他(世のため人のため)の職業観を交えたり、非常に濃い内容でしたが、とにかくテンポのよい、そしてユーモアをふんだんに盛り込んだお話ぶりに、100分近くがあっという間に過ぎてしまいました。
 楽しいから頭に、心に残るんですよね。さすがだと思いました。
Th_img_1191 講演終了後、非常に幸運なことに、控室にお招きいただきました。というのは、先日も不二の仕組み会でご一緒した瀬戸龍介さんが、竹田さんとは20年来のおつきあいだったからです(元々はご近所付き合いだったそうです)。
 私事になりますが、実は今日のこの日が来ることはすでに1年以上前に意図(妄想)していました。『日本人はなぜ日本のことを知らないのか』の記事に『「未来学」的な因果関係からしますと、今年は竹田さんともご縁ができる予定なので、非常に楽しみであります』と書いてあります。
 昨年中には叶いませんでしたが、見事今日実現した次第です。それもまた「向こうからこちらに来てくださった」というパターンです。我ながら妄想実現力には驚きます。さすが妄想実現党党首(笑)。
 ご挨拶してみますと、講演やメディアでのイメージとは大違い。さすがロイヤルなオーラに満ちあふれていらっしゃいます。とても穏やかで謙虚な話し方。全てを受け入れる、まさに「和」を体現されているイメージ。
 お茶をご一緒しながらいろいろお話していると、どこか感じるところがおありだったのか、ありがたいことに夕食を一緒にという話になりました。
Th_img_1189 場所を移動しまして、日本酒とおいしいお料理をいただきながらの三時間以上にわたる歓談。実に有意義な時間を過ごさせていただきました。
 昨年から一日も休みがなく、分刻みでのスケジュールに追われる竹田さん。こんなにゆっくりされるのは奇跡だと秘書の方もおっしゃっていました。
 これもまた、富士山の神様のおかげさまであると、つくづく感じ入る次第であります。私も、私なりの世界観や時間観についてお話させていただきました。日本の、世界の未来は明るい。その意を強くいたしました。竹田さんはじめ、皆さんありがとうございました。
 この素晴らしい機会をまた、地球の未来のためにしっかり意味あるものにしていきたいと思います。
 最後にもう一言。どんな方とも実際にお会いしてお話をしてみないことには、賞賛も批判もできないなあ。最近つくづく感じるのであります。

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2014.07.12

『ロックの詩人 志村正彦展』 (山梨県立図書館)

Th_flier_re_763x1024 府の山梨県立図書館で開かれている「ロックの詩人 志村正彦展」に行ってまいりました。
 大変な盛況で、約2時間並んでようやく展示室に入れました。おかげで読まなくちゃと思っていた「集団的自衛権の深層」を読み終えることができました(笑…いずれ紹介します)。
 入場したのは17時50分。18時までということでしたが、まだまだ入れない方の長蛇の列がつながっていましたので、係の方が「6時までに並んだ方は全員観ていただけます」とアナウンスして回っていました。
 これは仕方ないですね。もっと大きな会場で大きなパネルを用意してやれば、同時に多くの人に観ていただけるのでしょうけれども、そうなると現主催者の皆さんではとても運営できなくなってしまいます。
 ある意味展示の内容が濃いし、なにしろ「文学」としての志村正彦を図書館という場で紹介しているわけですから、遠くから来た方はもちろん誰しもが一字一句逃さず読みたいことでしょう。
 そんなわけでみんな「牛歩」になってしまうわけです。今日がこんなでしたから、明日はもっと大変なことになるのでは。
 私は6時以降の予定が詰まっていたので、10分くらいで回らねばならず、それこそ一字一句は読んでいられませんでした。残念。
 しかし、第2展示室の「若者のすべて」の自筆草稿には思わず見入ってしまいましたね。
 これは今回の最大の収穫であり、感動でありました。
 ネタバレになるので細かくは書けませんけれども、草稿(初期稿)の内容は、決定稿とはずいぶんと違っていました。
 その変化のプロセスを「仮説」として展示してありました。まあ、その解釈は人それぞれですし、私はとにかく時間がなかったのでじっくり読ませていただかなかったのですが、私としては、その草稿から決定稿への変化そのものにある種の衝撃を受けました。
 ああ、これは本物だと。プロの詩人の仕事ぶりだなと。文学館の展示を観ているような感覚です。
 私がまず最初にイメージしたのは「彫刻」です。基本、彼は削ぎ落とす方向性で詩を造型して行きます。
 そこには、具体化もありますし、抽象化もあります。部分部分によって表現の精細度を変えて、そうして全体の物語を紡いでいく。
 これは詩を含む文学作品、彫刻を含む美術作品、そして音楽にも言えることなのですが、天才の仕事というのはだいたいそういう「彫塑」が大胆かつ絶妙なのです。
 私たちは、ほとんどの場合、出来上がった作品の鑑賞しかできません。その過程を垣間見ることすら許されません。
 しかし、このように(だいたい作家の没後に)それを開示されて、作品の生い立ちを想像することができる幸運に恵まれることがあります。
 これは作家本人にとっては恥部をさらされるような心境になるものですが(だから没後に公開される)、私たちファンとしては、それこそ恥部を見られるわけですから、これほど興奮する(笑)ものはありませんよね。
 私も本当にドキドキしました。鳥肌が立ちましたよ。そして、やっぱりホンモノの天才だと思いました。
 削って削って、生命まで削って言葉を選んでいく。厳しい作業です。
 そこにさらにこの音楽(メロディー)をつけて自ら歌うのだから、シンガーソングライターというのは本当にすごい。いくつもの才能が必要なのだ。そして、あの美しい風貌だからなあ。
 太宰治も中原中也も、さすがに歌を作って歌うところまでは行かなかった。
 それにしても草稿では季節も違うとは…というか、吉田じゃないと通用しないような季節感ですな(笑)。そこはちゃんと一般化していました(もちろん微妙にローカル感を残しながら)。
 完成形をあらためて聴いてみましょう。

 最後に…リアルな自己の体験から、どうやって普遍的な世界を彫り出していくのか。漱石の夢十夜で運慶が仁王を彫り出すシーンを思い出しました。最後の部分を引用します。

「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
 自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめてさっそく家へ帰った。
 道具箱から鑿と金槌を持ち出して、裏へ出て見ると、せんだっての暴風で倒れた樫を、薪にするつもりで、木挽に挽かせた手頃な奴が、たくさん積んであった。
 自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片かたっ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。

 天才にしか彫り出せないモノがある。凡人は天才がそれをいとも簡単にやっているように思ってしまう。しかし、真似をしようにも真似できるはずがない。
 志村正彦がこれからもずっと生き続ける理由もここにあるのでした。

ロックの詩人 志村正彦展


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2014.07.11

コンビニの駐車場に屋根を…

↓カナダの例
Th_1024pxgusstation_in_canada 7月11日…今日はセブン-イレブンの日(笑)。いや、ホントにそうらしい。自分たちで勝手に決めたとのこと。
 昨日のことになりますが、学校からの帰りに娘(父子同じ学校に通っている)が「お腹すいた。コンビニ寄って!」と言い出しました。時々あることです。そして、私もなんとなく酎ハイとつまみを買ったりして。
 ちょっとしたレジャーなんですよ。そんなことが。
 ところが昨日はいつも立ち寄るセブンに寄るのをやめました。というのは史上最大とか言われていた台風「タヌキ」が近づいていたため、ちょっと強めの雨が降っていたのです。
 雨が降っていると駐車場で車から降りた時に濡れちゃいますからね。なんとなく面倒くさくなってしまう。分かりますよね?
 で、いつも思うのです。コンビニの駐車場に屋根があったら、もっとコンビニエンスになるのになと。
 雨や雪の日はもちろん、晴れている日でも、たとえば夏場なんか日陰に車停めたいじゃないですか。
 特に雨の日にですね、ちょっと買い物したいなと思った時、駐車場に屋根のあるコンビニとないコンビニとだったら、絶対に屋根のある方に寄りますよね。
 そういう事情だけ見たら、絶対屋根を付けた方が収益が上がると思います。屋根の施工費なんか簡単に回収できそうです。ついでにその屋根にソーラーパネルでもくっつければ、イメージアップにもつながる。
 ただでさえコンビニは無駄に明るい照明とかで大量の電気を食ってますからね。一石二鳥じゃないですか。
 …と、単純な思考をすると、これは盲点、グッドアイデアということになりましょうけれど、実際には駐車場に屋根のあるコンビニは全く見かけません。
 これはいろいろ理由が考えられます。
 やはりコンビニは、道路からある程度オープンな形でよく見える方がイメージが良い。そしてガンガンギンギンに明るい照明で、とにかく誘虫灯のごとく、人を寄せつけなければならない(ちなみに実際のコンビニには虫が集まりにくい波長の照明が使われている)。
 もちろん屋根の施工費、管理費、雨の日の騒音問題、排気ガスの換気の問題、背の高い車(搬入車含む)が入れないという問題、支柱が必要になるため事故率が増えるとか、まあいろいろな理由から今までは屋根付き駐車場は採用されなかったのです(たぶん)。
 しかし、こういう時代ですからね。思い切ってコンビニのイメージを変えるのも一計だと思いますよ。もう、みんなコンビニの外観や佇まいには飽き飽きしてますからね。サービスやアイテムは進化し続けていますが、外観はもう30年以上変わっていませんよ。
 ちょっと大変かもしれませんが、イメージとしてはガソリンスタンドのような構造にするというのはどうでしょう。思い切って高い高い屋根をつける。これからはガソリンスタンドならぬ「電気(充電)スタンド」の需要も増えてくると思いますから、時々見かけるような複合型の店舗にするとかね。
 充電中にコンビニでお買い物。あるいはコーヒーを一杯とか。
 もちろんそんな大規模な工事ができないなら、せめて、1列分だけでも屋根付きスペースを作ってはどうでしょう。店の正面である必要はありません。屋根付き通路があればいいのですから。
 基本的にコンビニはアメリカンなスタイルです。ここで思い切って日本型コンビニを展開していくのも面白いかもしれません。もっと繊細な「コンビニエンス」を目指すのです。
 となると、これはやっぱり純国産のファミリーマートさんに提案するのがいいでしょうかね。どうでしょう、社長さん(知り合いの知り合いなので提言は夢ではない!)。

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2014.07.10

フジファブリック 『笑ってサヨナラ』

 日は志村正彦くんの誕生日。
 そんな日に私は、あえて「笑ってサヨナラ」を聴きました。
 この曲は多くの志村作品の中でも、私にとって特に思い入れのある曲。もともと名曲だなあと思っていましたが、彼のお葬式の日、式場でずっとこの曲が流れていて、自分でもそれまで知らなかった心のものすごく奥の方に響いてからというもの、時々ふと思い出されるのです。
 亡くなった方の誕生日というと、ついついセンチメンタルになってしまいがちですよね。でも、私にとってはある意味しっかり「笑ってサヨナラ」しなくちゃなと思う日でもあるのです。
 彼は今、あちらの世界で新しい詩をたくさん書き、そしてどんどん曲をつけているようです。
 時々夢でその一部を聴かせてもらう時があって(もちろん私の思い込みでしょうけれども)、そのたびにけっこう驚くんですよ。ええ、こんな曲も作っちゃうんだって。
 思い出に浸っている私たちを軽く飛び越えて、もうどんどん先に進んでしまっている。そんなふうに感じるのです。
 だから、それこそ昔の曲には「笑ってサヨナラ」してしまいたいと。もちろん、「笑ってサヨナラ」ということは、もう聴かないとか、そういうことではありませんよ。思い出は思い出として、しっかりこちらも歩みださなければということです。いつまでもジメジメ過去にしがみついていてはいけない。
 しかし反面では、この歌の歌詞にあるように、「どうしてなんだろう」と考え、そして、「どうにもならないこと」と諦めながら、「どうにかなってしまうかもしれない そうなってしまうかもしれないものかもしれない」と期待と不安を抱き、でもやっぱり「どうでもいい」とは思えない切なさに震えたりするわけです。
 本当にものすごい詩ですね。天才としか言いようがありません。
 私の「モノ・コト論」にとっても、非常に重要なサンプルです。ここまで「もの」と「こと」の本質を捉えた表現はなかなかありません。
 彼の生前、「茜色の夕日(フジファブリック)」に見る「もの」と「こと」という記事を書かせていただきましたが、「茜色の夕日」よりももっと深いところで、最も古く最も多く使われている日本語を、最も繊細な感性で使っていると感じます。
 それにしても、あの別れの日にかかったこの曲はあまりにも深かった。それまでは当然、彼自身が恋人か誰かとの別れた時の心情を歌ったものだと思っていましたが、あの日、この曲の歌詞は、私自身の志村正彦との別れに際しての魂の叫びそのものとなってしまいました。
 もちろん「笑ってサヨナラ」なんて本人に言われて辛くないわけはありません。しかし、一方で不思議と癒やしへの予感がしたのも事実です。
 そう、私の魂の叫びであるとともに、志村正彦自身のこの世との別れの心境とも受け取れた、つまり、この歌詞を通して、彼と自分とが不思議な一体感を得たような気がしたのです。
 もしかすると、この曲は自分自身への鎮魂歌として書かれて用意されていたのかもしれませんね。
 と、いろいろ考えていて、「笑ってサヨナラ」のサヨナラが片仮名である意味もなんとなく分かるような気がした今日でありました。
 最近さぼり気味の「フジファブリック学」ですが、近いうちにこの曲を題材に再開したいとも思っています。

 

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2014.07.09

5弦フレットレス・ベース (アンティーク・ノエル)

Th_img_1068 3の娘がウチで使っていた中古ベースが壊れました。電子回路がいかれて音が出なくなったのです。分解して修理しようと思ったのですが、もともと全体にもガタが来ていたので新しく買い替えることにしました。
 その中古ベースは入学祝いに2万円で買ったもの。どうせ買うなら少しだけグレードアップしようということで、今度は3万3千円の新品にしました(笑)。
 それも「5弦フレットレス」です!
 そして、これが予想をはるかに上回る「使える楽器」でした。
 たしかにいろいろなレビューでけっこう絶賛されてましたから、それなりの期待をしていましたが、ここまでしっかりした製品だとは。
 「5弦フレットレス」にしたのは、娘はもちろん私もそれを弾きたかったからです。
 「5弦」の魅力はもちろん加えられた5弦目、すなわちB線です。これによって頻繁に欲しくなるB、C、Dなどをブ~ンと鳴らすことができる。
 最近のベーシストは5弦や6弦を使うことが多いですね。最低音がEというのはなあ、欲求不満になるんですよねえ。
 私もコントラバスの最低弦はDにチューニングしています。クラシックでも低いDがほしい瞬間が多いのです。
 そして「フレットレス」。フレットはないに越したことはない。和音を奏するギターならまだしも、ベースにはいらない…娘も父親に似たのか、だんだんフレットが邪魔に感じられるようになってきたみたいなのです。
 娘は今まではずっとフレットのあるベースを弾いてきましたが、今回ウチのベースが壊れてしまったために、しかたなく私の持っているヤイリのフレットレス・ベースギターを引っ張り出してきて練習をしていました。
 私は「フレットレスは難しいぞ〜」と内心思っていたんですけどね。意外や意外、娘は全く普通に弾いているどころか、「こっちの方が弾きやすい」とか言っている。うわぁ、完全に負けた(苦笑)。
 いずれ娘はウッドベースも弾かねばならないし、ここでフレットレスを弾く「頭」を鍛えておいたほうがいいし、表現の幅を広げるにもいい機会なので、今回は思い切って「フレットレス」にしたわけです。
 まあ、しかし、やっぱり親に似るのかなあ。私、とにかく「フレット」が苦手なんです。フレットに限らず鍵盤もだめ。つまり、デジタル化された「音階(音の階段)」というのが苦手なのです。
 そのため、ヴァイオリンや三味線、そしてマトリョミン(テルミン)、さらに最近では八雲琴など、とにかく連続的に音程が変化する(すなわち「音階」がない)楽器ばかり弾いてきました。
 家内も楽譜が読めないけれど歌は歌えるという人ですし、そういう原始的なDNAが流れているのでしょうね。娘もとうとうそういう世界に戻ってくるようです。
Th_img_1045 あとは、娘、やっぱりジャコ・パストリアスへの憧れがあるんですよね。分かるなあ、それも。
 実際、フレットレスだとジャコっぽい、粒立ちのはっきりした音が出せますし、ヴィブラートなどの表現の幅も広がります。
 娘、さっそく得意のChickenを楽しそうに弾いておりました。気持ちよさそう。
 で、この格安の楽器、音もいいのです。これなら全然問題なく本番でも使えますよ。
 そして、無垢の木材によるナチュラルな風合いとデザインが予想以上に良い。かっこいい。ニスも塗ってないので、好みでワックスをかけたり、ニスを塗ったり、あるいは無垢のまま使って手垢で汚したり、いろいろ楽しめますね。
 ちょっと驚きのクオリティーの高さ。もし「5弦フレットレス」を弾いてみたいという方がいらしたら、ぜひ選択肢の一つにしてみてください。おススメです!

アンティークノエル エレクトリックベース フレットレス5弦ベース ANTIQUE NOEL


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2014.07.08

ヴィヴァルディ 『4本のヴァイオリンとチェロの為の協奏曲 作品3の10』

 のたび中学の弦楽合奏部でこの曲の第1楽章に挑戦することにしました。初心者ばかりのバンドとしてはかなり無謀な挑戦です。
 しかし、面白いもので中学生というのはハードルが高ければ高いほど燃えるし努力するんですよね。まだ自分の限界を知りませんから(笑)。
 で、最初に聴かせた(見せた)のがこれ。イル・ジャルディーノ・アルモニコの演奏です。生徒たちは「カッコイイ!」と大興奮。
 私が古楽器をやっている関係で、ウチの生徒たちは古楽器とモダン楽器の演奏をあまり区別しません。これはいいことですね。
 私の世代は二項対立的にとらえていましたから(お互い相容れなかった)。
 たとえばこの団体なんかも、そんな対立をいとも簡単に解決(凌駕?)してますよね。ある意味楽器がメチャクチャです(笑)。
 完全な古楽器を演奏している人もいますし、(私のヴィオラのように)モダン楽器にただガット弦を張っただけの人もいます。
 面白いのはコントラバスの人ですね。もろモダンのコントラバスになんちゃってフレットを巻いてヴィオローネ風にしています(笑)。もうなんでもあり。イタリアって感じですねえ。
 昔は私も変なこだわりがあって、こういうのを「間違っている!」と思っていたこともありましたが、考えてみると自分は現代人だし日本人だし、もうその時点でかなりいい加減であるということに気づいてからは、あまり気にしなくなりました(笑)。
 古楽スピリットは道具の問題ではなく、やっぱり魂の問題なのだと思います。おととい、ジャズフェスタの記事で「アンサンブル」について偉そうなことを書きましたが、まさにそういう生きたアンサンブルをしようというのが、古楽スピリットだと思うんですね。
 近代化、社会化する前の共同体のあり方。
 この団体の演奏もそういう感じじゃないですか。自由に自主的に音楽を作っている感じがする(まあ好き嫌いはあると思いますが)。
 動画をいろいろ見ていたらこんなのがありました。ジャルディーノとは対照的ですね。でも、これはこれでいいなあ。なんか懐かしい。すごい4人ですな。

 今まで何度もいろいろなパートで演奏してきましたけれども、今回初めてスコアを見ながら全体の指導をすることになりました。
 いやはや、すごい曲ですね。よくできてます。当時としてはかなり斬新な作りですね。バロック的とも言い難い。バッハが衝撃を受けて編曲するはずです。
 楽譜を見ながら聴くのはどうでしょう。ウォルター(ウェンディー)・カーロス風のシンセサイザー演奏でどうぞ。

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2014.07.07

棚機津女(タナバタツヒメ)と富士吉田(明見)

 日は七夕。たなばたの起源や富士吉田の織物との関係などについては、ちょうど4年前、前回のワールドカップサッカーを見ながら書いたこちらの記事をお読みください。
 今年は、その記事に名前だけ出てきた「棚機津女」について少し書きます。また、富士吉田との関係も出てきますよ。
 日本で「七夕」を「たなばた」と読む、その起源になったと思われる「棚機津女」は、神様の名前というよりも「機を織って棚に置く女性」という意味の一般名であったと考えられます。
 詳細は分かりませんが、日本には古来、7月6日の夜に、村で選ばれた少女が水辺で禊をして神様に献上する衣を織って奉納する(棚に置く)習慣があったようです。
 その夜、神様はその衣を着て、そして翌日7月7日には天に帰っていく。その時、人間界の汚れや災厄も一緒に持って行ってくれるというわけです。
 日本書紀には、ニニギノミコトがコノハナサクヤヒメと初めて会った時に、「あの機を織る少女は誰だ」と言ったとの記述があります。
 ここから「木花咲耶姫=棚機津女」という信仰も生まれたものと思われます。
 と、ここまで書いてきますと、私たち富士北麓住民として思いつくことがあります。機織り、水辺、禊、木花咲耶姫と来れば…「明見」ですよね。
 そう、宮下文書(富士高天原伝説)の地、徐福伝説の地、富士山信仰の禊の場である明見湖のある地、織物業の盛んな地、明見(あすみ)。
Th_10341974_802504099783669_2098283 先日、7月1日の富士山山開き裏神事の際、安倍昭恵さんを明見湖へご案内しました。隣に写っているのは宮下織物さん。現代の「棚機津女」です。
 今、明見に徐福以来伝わっていたある織物の技術が絶えようとしています。それに関して昭恵さんが非常に興味を持ってくださり、保存へ向けていろいろと動いてくださっています。何かピンと来るものがあったようです。
Img_7593_2 昨年末の日・ASEAN特別首脳会議の時には、その技術で織られた最後の反物を使って宮下織物さんが作ったショールを、各国のファーストレディーにお持ち帰りいただきました。
 そう、ここへ来て、「棚機津女」が復活せんと動き始めているのです。本当に不思議なタイミングでした。明らかに神さまの意志が働いています。
 私は「棚機津女」の復活のお手伝いをしていこうと思っています。ご協力をお願い致します。
 興味を持ってくださった方、ぜひご連絡ください。もちろん、今絶えんとしているその技術を学び、継承したい方も募っています。最後の伝承者(棚機津女)はまだお元気です。その方は半ば諦めていましたが、今は若い女性に継いでほしいと心から願っています。

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2014.07.06

第9回 富士山の森 ジャズフェスタ

Th_10533353_268178446720835_6242645 が富士学苑中学・高等学校が主催する「富士山の森 ジャズフェスタ」が富士吉田市のふじさんホールで盛大に開催されました。
 昨年は国文祭という一大イベントがあったためお休みだったので、2年ぶりの開催です。
 今年も関東を代表する学生ビッグバンドの皆さんが集結し、素晴らしい演奏を聴かせてくれました。
 参加学校は、山中湖中学校、笹下中学校、日本大学、慶應義塾大学、明治大学、法政大学、早稲田大学、そして富士学苑中学・高校。
 講師として、いつもお世話になっております作・編曲家の内堀勝さん、とサックスプレイヤーの岡崎正典さんをお迎えしました。そして、ぜいたくなゲスト、内堀さん率いるスーパージャズ軍団「MASARU UCHIBORI BIG BAND」の演奏も聴くことができるということで、非常に楽しみにしておりました。
 前回(一昨年)までは、けっこう私も辛口の批評をしてきましたけれども(こちらからいろいろ読んでみてください)、今日はもうそれは当たり前のこととして割り切り(肯定的に受け取り)、それぞれの世代のジャズを楽しませていただきました。
 それでも、やっぱり一言(笑)…というのは、正直、内堀さんのバンドが素晴らしすぎたからです。アマとプロの差は大きいな、あまりにも高い壁だなと感じたのです。
 まあプロとしてはあのクオリティーは当たり前と言えば当たり前でしょうけれども、やはり、その「差」はなんなのか考えることも、学生たちには非常に重要だと思うのです。
 私のようなシロウト演奏家が偉そうに言えることではないでしょう。けれども、ジャンルは違えどプロの方々との共演回数だけは多い私に、そう、ちょうどアマとプロの間でウロウロしている(これからもずっとそうでしょう)人間として語らせていただきたい。
 たとえば私がヴィオラという内声部担当でステージに上がる時、どういう心構えというかどういう境地でいるかと言えば、もちろん音符を正確に弾くということだけではなく、その音符の並びが楽曲全体(響き)の中でどういう意味があるのか、どういう働きがあるのかを考える、いや感じるようにしているわけですね。
 比喩的に言えば、どういう単語が並んでいて、どういう意味の文が並んでいるかを意識するということです。その結果として、楽譜に表記されていないディナーミクやアーティキュレーションが決まってくる。理屈ではなく。
 アンサンブルとは、そういうそれぞれの「言葉」や「文」の表出が有機的に結びつき(融け合ったり衝突したりして)全体の物語が生まれることだと思うのです。
 だから、中3でベース担当の娘にはよく言うのです。「指が回って正確にリズムを刻んでも、それじゃあコンピューターと同じ」「少なくもその音がどこに向かっているかだけでも意識しろ」「どこで意味が切れているか考えろ」と。
 あとは歌心です。今日も内堀さんが講評の中で何度もおっしゃっていました。フォルテシモでもピアニシモでも、その中でちゃんと歌いなさいと。
 言葉を歌にする意識があれば、たとえばヴィブラートというものはいつも同じではあり得ません。ちょっとうまくなって自分の美音に酔っていると、ヴィブラートは単調になります(クラシックでもそうだし、歌謡曲でもそう)。
 それから、やはりジャズと言えばアドリブが命。学生はまだまだ譜面をなぞるのが精一杯(つまり基礎練習中)という方がほとんどでしょうけれども、やっぱりそれでは生きた音楽にはなりません。
 これもまたかなりジャンル違いですが、この前人間国宝の大鼓奏者の方や琵琶の方、そして舞の方とアドリブ奉納をした時というのは、自分でも驚くほど異常に「空気を読む」アンテナが活性化していました。
Th_img_0962 そんな意味(つまりアドリブ)も含めて、内堀さんのバンドがほとんどリハなしでもあれだけのアンサンブルができていたのは、「LIVE」な音楽を生み出す技術と経験があるからでしょう。特に経験。そしてもちろん持って生まれた感性。
 というわけで、偉そうなことを一言どころかダラダラと書いてしまいましたが、とにかく学生たちにぜひやってもらいたいのは、基礎練習と同じくらいの比喩化です。音の並び、あるいは沈黙を言葉にたとえたり、風景にたとえたり、匂いにたとえたり、そういう作業をして、イメージをみんなで共有しつつ、自分がその物語の中でどういう役柄をこなしていくのかということを考えてほしい。
 そうすると、まず自分たちがもっともっと楽しくなり、それがお客さんにも伝わって、素晴らしい場が生まれると思います。
 第10回、期待しています。


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2014.07.05

「和」=「グローバル・ファミリズム」

Th_img_0930 「」を外国人に説明するのは難しい。
 日本語の「和」にもいろいろな意味がありますよね。それに関しましては、まず、今年度のウチの学校の入試問題のために私が書き下ろした「和」という文章をお読み下さい。
 そうした多義的な「和」という概念というかイメージを、たとえば英語にするとどうなるでしょう。
 調和ということであれば、「harmony」でしょうし、平和だと「peace」でしょうけれども、「和」は「調和」や「平和」だけではないですからね。
 それに「harmony」や「peace」には何ら目新しいものはない。インパクトがないので受け取る側の変革を促せない。
 「和」の「複数の要素を足すことによって、より高次元の何かが生まれる」というイメージを表し、さらに「日本的」という意味も表すとすると、いったいどういう英語がいいのでしょうか。
 そこで最近私が使っているのが、「global familism」という英語です。
 「ファミリズム」という言葉はそれほど一般的ではありませんが、しかしイメージはしやすいでしょう。日本語で言えば「家族主義」「家庭主義」ということになるかもしれません。
 そこに「グローバル」がくっついているわけですから、あえて日本語化すれば「地球的家族主義」となりますでしょうか。
 私は、日本の「和」の基本思想は「家族」から始まっていると思っています。
 夫婦相和すところから子どもが生まれ、絶対的な「愛」によって強固な絆を保つ。それぞれの役割がはっきりしており、その中で文化の継承がなされていく。時によっては争いも起きるが、それも結果として「雨降って地固まる」になる。
 それを、たとえば日本では会社組織に拡張して「家族的経営」をしたり、あるいは国にまで拡張して「国家」を意識したりしてきました。
 ただ、日本的経営や明治以降の国家観は、現代においてはなんとなく反省の材料になりがちで、その代わりに欧米的な価値観が侵入してきておりましたね。しかし私は、今こそもう一度「日本的なるもの」すなわち「和」を復活させ、さらに思い切ってそれをもって世界に打って出るべきだと考えているのです。
 もう一つ別の観点もあります。それは私がこのブログで何度も繰り返している「和魂(にぎみたま)」の復活です。
 「和」の精神の源泉…ニギハヤヒに書いたように、聖徳太子の「和を以て貴しと為す」の「和」とは、単なる「調和」や「平和」ではありません(ぜひ「以和為貴」と「無忤為宗」もお読み下さい)。
 そうした総合的な「和」、いわば聖徳太子が第一条に掲げた「和」とは、まずは「受け入れる」ことから始めようという「familism」なのではないか。そう思っているのです。
 そして、聖徳太子は夢殿で宇宙が和で満たされることを瞑想した。そうすると、当然最後は「universal familism」ということになるのでしょうけれども、それはまあ56億7千万年後のこととしまして(笑)、まずは「global」から始めなければ。
 まずは、世界の国々、人々が家族のごとく仲良く、しっかり分業もして、お互いを絶対的な愛によって認め合い、生産的に生き続ける…あれ?なんか笹川良一の「世界は一家、人類は皆兄弟」みたいだな(笑)。
 と、まあ、こういうわけです。なんとか、この「global familism」という言葉をはやらせたいのです。
 ぜひぜひ皆様のご協力をお願い申し上げます。
 ちなみに冒頭に写真を載せた本ですが、まじめな学術論文集です。障害児や病気の子ども、そして老人との関係性がテーマとなっている論文が複数掲載されています。そのような視点や感性もまた、地球レベルに拡張すべきだと思いますね。

Amazon ファミリズムの再発見


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2014.07.04

もののけ姫と国譲り

Th_jigs000183 年もまたジブリのシーズンがやってまいりました。日本の夏。
 左翼的でありフェミニズム的でありロリコン的であるジブリ作品が、日本の子どもたちに与える影響は大きいですね。まあ、それは悪いことではありませんが(大人はやっぱり卒業した方がいいですよ…笑)。
 今日は「もののけ姫」が放映されていました。私もなんだかんだ何度か観ております。おそらく舞台とテーマが私の好みなのでしょう。
 宮﨑駿は網野善彦の影響を受けています。網野善彦は山梨県出身の歴史学者。「僕の叔父さん」のタイトルのとおり中沢新一のおじさんです。
 私も網野善彦の影響を強く受けています。教科書の歴史とは違う歴史、被差別者(敗者)の歴史、民衆の歴史…。宮下文書や霊界物語を愛読(?)してきた私は、まあ網野さんから見れば「行き過ぎ」でしょうけれども(中沢さんとは多少かぶるか)。
 網野善彦はこちらに少し書いたように、実はかなり左寄りの人(しかもクリスチャン)でした。えっ?私が最も嫌いそうなタイプですって?(笑)いやいや、実は逆でして、私の原点、あるいは到達点はそこにあるんですよ。
 しかし、物語(妄想・夢)と現実は別物です。それをしっかり使い分けているだけです。
 宮﨑駿や鈴木敏夫や高畑勲は、ある意味では私と似たスタンスであるとも言えます。つまり、彼らはいい大人でありながら、現実世界でも夢と妄想を持ち続けているのです。
 中二病ということでは私も一緒ですね。だから、同族嫌悪ということでしょうか、ちょっとした嫉妬もあるのでしょうか(苦笑)、なんとなく毛嫌いしてきた部分もある。アニメという手法を使うのはずるい!とか、自我で出すぎている!とか、そんな意味での嫌悪かもしれない。
 ただこの「もののけ姫」はどうしても嫌いになれませんね。最初に書いたとおり舞台とテーマが私の好みだからでしょうし、そこに加えて、表現の手法と結末が見事だからでしょう。
 表現の手法というのは、「二項対立」に収めてしまっていないということです。たとえば縄文対弥生とか、自然と人間とか、そんな単純化をあえて避けている。もっと複雑であるという意味では非常に現実的とも言えます。
 原始共産制に憧れながらも、それが崩壊していく過程もしっかり描かれているし、集団的自衛権行使を否定しながらも、実際にはそれが随所で発動しているし(笑)、作家自身の中にある矛盾がそのまま表現されている。
 それから、これは意識していないとは思いますが、頭を落とされたシシ神の化身ダイダラボッチが液状化して大地を覆い尽くしながら再生の物語を演じるのは、これは「国譲り」の象徴的なシーンですね。負けて勝つ。死んで生きる。戦って純化する。私はその結末(もちろん新たな物語の始まりでもある)が好きです。
 ここで私の「国譲り論」を復習しておきたいと思います。先日の浅間神社、諏訪神社での神事とも大きく関わってくる「国譲り」。ぜひ、こちらをお読み下さい。


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2014.07.03

7月1日と富士山と織物

↓諏訪神社に奉納された二つの耀わん
Th_img_0819 昨日7月1日、不二の仕組み会による特別山開き神事を執り行わせていただきました。
 7月1日(旧暦では6月1日)は昨日書いたように、伝統的に富士山の山開きが行われてきた日です。
 しかし実は出口王仁三郎的にはちょっと違った意味がある日のようです。今日はそれについて直観したことを自らの備忘録として記しておきます。
 王仁三郎の霊界物語は全81巻83冊。大正年間に72巻まで口述され、73巻から81巻の「天祥地瑞」は昭和8年から9年にかけて口述されています。
 その72巻が突如(と言っていいと思います)終わるのが大正15年新暦7月1日。いったん閉じられるわけです。そしてその後「入蒙記」が書き加えられますが、それが終わるのが同年旧暦7月1日。
 そして8年後の旧暦8月15日から突如として再開され、翌年の新暦8月15日にまた突如として中断します。この「8月15日」という日付の意味は言うまでもないでしょう。
 王仁三郎は数字を使って予言を行うことが多かった。それも重要な数字は繰り返す傾向があります。
 「8月15日」の意味は11年後の終戦によって開示されましたが、実は「7月1日」の意味は閉じられたままでした。
 もちろん、その意味を一昨日の神事にこじつけるつもりはありませんが、以下に述べることを考え合わせると決して我田引水的な迷妄ではないようにも思えてきます。
 「天祥地瑞」は膨大な霊界物語の中でも特に重要な内容が書かれていると言われています。王仁三郎自身の口述も、それ以前とは違い非常に緊張をはらんだものだったようです。
 その内容については、私は今読み解き中なので、細かいことを語れませんけれども、とりあえずその冒頭部分に非常に興味深いことが書かれています。
 ぜひ、こちらの「総説」をざっとお読み下さい。
 ここには「富士山」と「織物」が登場しています。この歌は印象的ですね。

 綾機の緯糸こそは苦しけれ
  一つ通せば三度たび打たれつ

 実はこの歌、フジファブリック関係で知り合ったある方に最近教えてもらったばかりでした。その方は今織物の勉強をされており、人間国宝の染織家志村ふくみさんのご指導を受けていらっしゃいます。そして、「志村さんのエッセイに王仁三郎の歌が出てましたよ」と私に教えてくれたのです(考えてみると、フジファブリック、志村、富士山、織物という符合は偶然とは思えませんね)。
 私は、この歌どこかで見たなとは思いましたが、勉強不足のため「天祥地瑞」の冒頭部分に出ているとは夢にも思いませんでした。
 経糸は出口なお、緯糸は王仁三郎だと言われています。王仁三郎は三度弾圧されるという予言でしょう。第二次大本事件が起きたのは昭和10年。三度目はおそらく戦後歴史の闇に葬られることを言ったのでしょう(もちろん大本内部の分裂抗争を指すともとれます)。
 この歌のあとに出てくる「富士文庫」ですが、これが実は「宮下文書(富士古文献)」です。一昨日昭恵さんらをお連れした明見(あすみ)に残る古史古伝(超古代文書)です。
Url 「天祥地瑞」で語られる、造化三神以前の「天の世七代」の神々の名前は、宮下文書にしか出てきません。遠く富士と京都が不思議な霊脈でつながっているのです。それについては以前こちらに書きました。
 写真は綾部の大本最高聖地本宮山に祀られている富士吉田の明見から運ばれた霊石です。築かれた小山は「月山不二」と言います。しかし、王仁三郎自身は一度も富士山を訪れなかった…いろいろ不思議ですよねえ。
 話を戻しますと…つまり、「7月1日」で閉じた物語は「8月15日」に富士山を舞台に再び開いたわけです。これは王仁三郎得意の陰陽逆転システムを応用すれば、8月15日に閉じた裏物語が7月1日に再び開くとも解釈できます。
 もちろんこれは私の勝手な解釈ではありますが、実はここに書けない別の根拠もあります。いずれ、それが明らかにされる日も来ると思います。
 昭恵さんからメッセージをいただきました。「益々突き進みましょう!」と。
 中二病と言われようと年中病と言われようと地球のために突き進むしかないですね。叩かれることによって織り上げていくのです。皆様の御協力をお願い致します。

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2014.07.02

『世界遺産・富士山の今 環境保全と観光の両立』 (BSフジ LIVE プラムニュース)

Th__20140703_131307 日の富士山お山開きを受けてタイムリーな番組。
 そう、「山開き」と一言で言ってしまいましたが、それはあくまで山梨県の話。すなわち、山梨県側の山開きは7月1日(旧暦水無月朔日)、静岡県側は今年は7月10日とずれがあります。これは今年に限っての静岡県側の特殊な事情によるものなのですが、この番組中で野口健さんがおっしゃっているとおり、山頂の宿や売店、トイレの管理は静岡県側なので、1日から9日までの間は登頂してもトイレすらオープンしていないという妙な状況になってしまうのです。
 ここに象徴されているように、「不二」どころか、まずは足元の山梨県と静岡県どうしが一つになれない。歴史的に見ても、文化的、心理的にも、甲斐の国と駿河の国は妙なライバル心を抱いてきました。富士山に関係ない部分でも。
 というか、いつかも書きましたが、はっきり言うと山梨県側のコンプレックスで、静岡の人にとっては山梨は眼中にない感じなんですよね。
 そうそう、こちら「静岡と山梨…富士山を挟んで」という記事に書きましたっけ。今、この記事を読んでみると、昨日のご神事への流れがその時始まっているのが分かりますね。2011年2月か。震災前。
 そして2012年8月に、初めて昭恵さんが我が家においでになって王仁三郎の耀わんに触れられた。そこから「不二の仕組み」は発動しています。そういうことをさりげなく書いていますね。そして、予言のように第二次安倍政権の誕生にも言及しています。その後の実際の流れは言うまでもありません。そして昨日。
 さて、この番組で野口健さんとともにゲスト出演していたのが、富士吉田の御師の出である竹谷靱負さん。まだお会いしたことはありませんが、ご著書などを通じて私も大きな影響を受けている方です。
 正直、富士講的な宗教登山の復活は難しいでしょうね。しかし、逆にそれ以前のもっとプリミティヴな、宗教という言葉にもならないような、しかしスポーツとも観光とも違う登山というのは、案外可能かもしれません。心を浄化するための登山というか。
 昨日も拝殿内で、本物の「世界文化遺産登録証」を拝見いたしましたが、富士山が世界文化遺産に登録されたことによって顕在化した両県のずれやすれ違い、さらには敵対心を今後どうしていくのか。野口さんはかなり穏やかで柔らかな言い方をされていますけれども、実際にはかなりウンザリなさっていることでしょうね。
 そう、野口さんが言うとおり、静岡県民にとっては富士山は経済的にはそれほど依存すべき存在ではないんです。山梨県側は生活に直接関わる。そういう意味でも、あるいは非経済的な部分でも、山梨の富士北麓地方の方がずっと富士山への思い入れが強い。その温度差をどうするのか。
 昨日ご一緒した方々と今日も電話やメールでお話しましたが、「不二の仕組み」の本番はこれからです。単純に自分たちだけで盛り上がっていてはいけません。まずは足元、山梨県と静岡県を一つにしなければなりません。
 たまたま静岡と山梨両県に縁のある私には、そういう使命もあるのかもしれませんね。霊的なこと、宇宙的なこと、国家的なことを語る前に、まさに「体」の次元で長年の軋轢を解消していかなければなりません。
 もちろんいくつかアイデアを持っています。あとはどうやって人を動かすか。天地のために人がどう働くか。ライバル心なんてものは、それこそ最も醜い「利己心」ですよね。
 先日、向嶽寺の老師もおっしゃっていました。まず「負けたくない」を捨てましょう。
 今日のこの興味深い番組、10日間はダイジェストムービーとしてこちらで観ることができます。それ以降はテキスト化されますので、とりあえず富士山に関わる方々はぜひ。


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2014.07.01

富士山を宇宙に開く

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 日、北口本宮冨士浅間神社において、「不二の仕組み会」による富士山お山開き特別参拝および奉納が行われました。
 安倍昭恵総理大臣夫人をはじめとして、重要無形文化財保持者の大鼓奏者大倉正之助さん、メキキの会会長の出口光さん、世界一大きな絵のアース・アイデンティティー・プロジェクト会長河原裕子さん、世界的ミュージシャン瀬戸龍介さん、絵本作家仁科幸子さん、ローリング・ストーンズ専属フォトグラファー有賀幹夫さんなど錚々たる方々に加え、その他各地より有志が富士山に集結いたしました。
 いちおう会の主催はワタクシということになっておりましたが、実際には本当に不思議な力が働いて突然決まったもので、何か目に見えない力によって来るべき人々が来てしまったという感じでした。
 集まったメンバーもお互い初めて会う者どうしがほとんどだったのではないでしょうか。また、具体的にどのようなことをするのか、あるいはどういう流れになるのかは、私も含めてよく分かっていなかったのですが(笑)、実際始まってみるとやはりなるようになるのですね。実に充実したご神事を行うことができました。
 浅間神社の拝殿に登るのは自らの結婚式以来です。絢爛たるご本殿の前には、なんと出口王仁三郎手びねりの耀わんが二つ。「十和田」と「諏訪」。もう、これだけで涙が溢れてきてしまいました。
 王仁三郎は霊夢の中では富士山に来ていますが、実際には近づくこともしませんでした。しかし、今日は本当にここに来ている!本当にそう思いました。
 さあ、祭典が始まります。まずは宮司さんによる祝詞奏上。続きまして昭恵さんによる玉串奉奠、皆で拝礼。
 そしてここからご奉納です。
 大倉さんの鼓奏上。「三番叟」です。これが本当に素晴らしすぎた!まさに昨日の「コト」音楽に対する「モノ」音楽です。天地人を結ぶ調べ。魂が震えるとともに、まさに自然界も大きく振動するのを体感しました。
Th_10405628_677467858995744_3867340 もうその時点で私はある種のトランス状態に入っていました。三番叟が終わると同時に、私は八雲琴を掻き鳴らし始めました。そう、ここから大倉さんの鼓、そして瀬戸さんの琵琶、私の八雲琴による、完全即興の奏上です。
 打ち合わせはなし。私は八雲琴という「受信器」によって受け取られた「神気」をただ媒介するだけ。実はほとんど何を奏したのか記憶がありません。しかし、他の参拝者に聞くところによると、鼓、琵琶、琴がまさに三位一体となった奇跡的な調べが生まれていたということです。
 一期一会。絶対に復元できない、数値化できない自然の創造物。私のようななんちゃってのド素人が、世界的なプロのお二人とこうして奇跡的なセッションをさせていただけるなんて、本当に幸せですし有難いことであります。
 先週金曜土曜と向嶽寺でしっかり我執を抜いてきたのが良かったのかもしれませんね。そういう流れだったのでしょう。神仏に心より感謝いたします。
 続きましては、舞の奉納。ここでも即興で八雲琴を奏上させていただきました。
Th_img_0835 場所を移しまして、ある意味今回のメインとも言える摂社諏訪神社での参拝、奉納。ふだんは入れない本殿前にて大倉さんの大鼓。これがまたすごかった。音無き音の緊張感の中に生まれた第一声。瞬間、それまで曇っていた空にまるで裂け目が入ったがごとく陽の光がさす!一陣の風が吹き、諏訪神社に鎮まる大国主の荒魂が龍となって立ち昇るかのように感じました。
 浅間神社での御神業を終え、近くの茶屋でお食事。そこで初めてお互いに自己紹介(!)。
Th_10464387_677468132329050_3629179 その後、富士高天原の聖地「明見湖(蓮池)」を経由して、忍野の瀬戸さんのスタジオ兼ご自宅で歓談、瀬戸さんのお作りになった名曲「出雲の心」を聴かせていただいたりして、充実感と不思議な穏やかさをもって今回の行事は終わりました。まるで、自然の中に溶け込んでいくように、それぞれの場所に還っていく皆さん。
 ご存知のように、今日は表の世界では集団的自衛権行使容認の閣内決議が行われました。そんな日にこうして富士山で御神業を執り行うことができましたのは、それも総理夫人まで参加してくださってできましたのは、これは偶然ではなく必然でありましょう。
 なにごとも、裏と表、陰と陽、経と緯といった、少なくとも二面を見なければ本質はつかめません。たとえば戦争がないことイコール平和なのかという問いにすら、視野狭窄の人間は答えられません。
 私は、単純な賛成派でも反対派でもありませんし、今日のこの境地からすれば、賛成派も反対派も皆、目指すところは一つ、まさに「不二一如」であると感じている次第です。
 いろいろご意見があろうかと思いますが、とりあえず、昭恵さんはじめ今日お集まりの皆さんは、私と同じ立ち位置にいらっしゃると思います。
 皆さんとお別れしてから、私は昭恵さんを(いつものように)軽貨物車の助手席に乗せ(笑)、いろいろなところを訪れました。二人だけでじっくり本音のお話をさせていただけるなんて…。
 私たちの思い、考えは間違っていない。そのことを確認し、批判や誤解、無理解もあるとは思いますが、お互い突っ走りましょうということで一致しました。
 富士山(不二山)を宇宙に開く…これからが勝負です。利他の心で頑張らせていただきます。皆さん、ありがとうございました。
 

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