『広重の不二三十六景』 (山梨県立博物館)
昨日、大月の岩殿山の麓にうかがいましたが、ちょうどその近くからの富士山遠景と思われるのが上の絵。
先週の土曜日から山梨県立博物館において、収蔵品である歌川広重の「不二三十六景」全作が公開されております。
この広重の名作群、実は7年前にじっくり観ています。その時は北斎の「三十六景」と比較しています。私の「独眼流」鑑賞法による分析はこちらの記事をご覧ください。自分で言うのもなんですが、なかなか面白い考察をしていますね。
私はどちらかというと広重派です。西洋絵画を学んだことがあるからか、遠近法の矛盾があると不安な気持ちになってしまうんですね。
それがいいか悪いか分かりませんが、とにかく広重は安心して観ていられる。全体に安心感があるので、細部の表現をじっくり観察できるんですね。
広重の構図やデフォルメは、非常によく計算されています。それを読み取っていく楽しさは、ある種のゲーム性だと思いますし、それこそが大衆娯楽としての本来の「三十六景」のあり方だと思います。決して「芸術」ではないし、もちろん「写真」ではない。
上の「甲斐大月原」でもそうであるように、富士山は白く記号的に描かれていることが多い。広重や江戸時代の庶民が、富士山をある種宗教的なシンボルとして捉えていたことの証左でしょうか。
たしかに富士山の上に住んでしまっている私は、日常的にはその全体像というよりもディテール、たとえば雪形の変化に注目したりしがちですが、東京に出かけたりした時、ふと遠方に富士を見つけると、たしかに「三角」として見ているかもしれませんね。
この広重の三十六景も比較的遠方からの記号的富士山が多い。たとえば富士五湖地方のようなところには来ていません。
上の大月原では、富士を仰ぐ(拝む)僧を小さく配置することによって、さらにその宗教的な象徴性を高めている印象がありますね。漠たる時空間が凝縮されている。
あっ、そうそう、全作品を博物館公式ページで観ることができますよ。
今、上のリンクから三十六景全体をざっと眺めなおしたのですが、超シンボル表現と言えばこちらは面白いですね。伊豆の海濱。
解説にもあるように「輪郭線」のない富士山。西洋的リアリズムでもある「輪郭線の排除」は、当時の日本絵画においては影の表現。
北斎の「海濱の不二」を超えるための作戦とも言えましょうが、非常に大きな効果を生んでいますね。なんかいきなり影富士で怖い(笑)。
つまり幽霊っぽいんですよね。輪郭線は「コト」の象徴。それがないので「モノ」なんですよね。シンボルにすらなっていない。認識したようなしていないような、見ちゃったような見なかったような…。
逆にディテールまで描きこんで、しかし宗教性を発揮しているのは「信濃諏訪湖」でしょう。違った怖さがあります。
と、いろいろ楽しめますので、ぜひ博物館に足を運んでみてください。7月7日までです。
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