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2014.06.07

人と楽器と自然の共演…古楽の魅力とは

Th_535 日は横浜にて演奏会。先日書いたように、本校の(遠足と)芸術鑑賞も兼ねた恒例のコンサートです。
 あいにくの大雨でしたが、本当にたくさんのお客様においでいただき、素晴らしい演奏会になったと思います。ありがとうございました。
 演奏会の内容につきましては、公式ホームページの方に早くもアップされましたので、こちらからご確認ください。
 今回も、プロ中のプロの皆さんと共演させていただき、練習の段階から本当にいろいろ勉強させていただきました。
 足を引っ張ってしまったところも多々ありましたが、やはりプロの方々の作る「音楽の空気」の中で、ある意味安心して演奏できたことは幸せなことでした。
 生徒たちの中には、あまりの心地よさに熟睡している者も多数いましたが(笑)、まあ、バロック音楽というのは、貴族のリラクゼーションのためのものという側面もありますから、それはそれで良しとしましょう。
 ある意味ぜいたくな話ですよ。考えてみれば、私も若かかりし頃、Mt.Fujiジャズ・フェスティバルで、チック・コリアらをBGMに心地よすぎてグーグー寝てましたからね(笑)。
 キース・ジャレットのコンサートでも、観客の皆さんθ波出してましたっけ。あれはほとんど寝ている状態と一緒ですよ。
 もしかすると理想の演奏ってそういうものかもしれませんね。
 今回は特に、小型のパイプオルガンとチェンバロがソロや通奏低音で共演するという、実にゴージャスな音世界でしたから、きっと特別な波動が発生したのだと思います。私も tacet で座っている時、かなりθ波が出てしまいました。
 もちろん、歌や管楽器、弦楽器が放出する波動とその共鳴も素晴らしかった。さらに言うと、あの会場は遮音性が高くないので、断続的に雨の音が聞こえていたんですよね。それもまた不思議な音空間を作る原因だったかもしれません。
 いずれにせよ、音楽というのは、こうして人と楽器と自然が交流する機会であるのです。古楽器は、ご存知のとおり、前近代的という意味において、より自然に近いものであり、その演奏に際する人間のあり方もまた自然に近い。それこそが、古楽の魅力であり、悦びであるのでしょう。
 そう、湿度が高いと、まあ大変なのですよ。お客様が湿気を持ち込んでくれるだけで、たとえばガット弦は音程も音色もどんどん不安定になる。
 チェンバロの調律を担当された方とも話しましたが、「もうあきらめるしかない」という境地なれるということは、実は音楽全体にとっては幸せなことなのかもしれません。
 実は、今日の「障害」の話にもつながるんですよね。あるマイナス要因が生じると、そのおかげで、私たちはそれを補う能力や感性を獲得できるんです。
 モダン(近代)楽器が求めた平均化、標準化、安定化によって失われたモノがあることはたしかだと思います。


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