世界はいつから東西に分かれたのか?
昨日の続きです。もっとぶっ飛んだことを書きます。気が狂ったわけではありませんので、ご安心ください(笑)。
昨日は「日本の左右」について書きましたけれど、考えてみれば、左翼・右翼というのフランスに発した言葉ですよね(詳しくは「右翼と左翼」参照)。
世界的な視点からしますと、世界は東西に別れてケンカをしてきたと言えます。
そう書くと、なるほどソ連とアメリカのことかと思われそうですが、実はそうではありません。もっともっと古いお話です。年代もよく分かりません。神代のことです。
「分かれた」というのですから、昨日の「出雲」のように、その原点がどこかにあるはずですよね。
そこはどこかというと…なんと、日本なのです!
と、こういうことを書くと「気が狂った」と言われるわけですね。私たちは学校の先生に洗脳されてますから(笑)。
ちょっと冷静に言いますと、今から100年ほど前には、多くの先生たちは本気で「日本が原点」と思っていました。教育者のみならず、政治家、文化人、それこそ「先生」と呼ばれる人たちの多くがそう思っていたのです。
近代化していない、いや、近代化の過程にある国では、少なからずそうした「中華思想」的傾向が起きるのが普通です。
日本も御多分にもれず、そうして「自信」を持って近代化を進めたんですね。
そうした世界観は江戸時代、たとえば佐藤信淵にも見て取れます。明治維新後はさらにその傾向が強くなりました。
私が関わっているマニアックな(アンダーグラウンドな)ところでは、宮下文書(の作者)、出口王仁三郎、木村鷹太郎、仲小路彰なども、そういう発想を持っていました。
日本が中心であり、そのまた中心が富士山であるとか…。
あっそうそう、出口王仁三郎の「日本列島は世界の雛型」論は「比喩」「物語」としては、大変面白いし、象徴的ですよね。
また違った面から書くなら、当時の日本国全体もそういう発想をもって、大陸に進出し、欧米と戦ったわけですよね。
私はそれを事実として受け止めるというよりも、「比喩」として捉えているので、頭から否定するようなことはしません。
結局は、身びいき、自己中心的と言われてしまう可能性もあるわけですけれども、たしかに日本にはそういう歴史とポテンシャルがあるような気がするんですね。
この前参拝した富山の皇祖皇太神宮なんかも、そんな比喩の一つではないでしょうか。
キリストやモーゼや徐福らが実は来日して学んでいたなんて、それこそ学校教育的には噴飯物にほかなりませんが、「比喩」として考えれば、それはそれでありえない話ではない。
つまり、日本的な思想に触れていた可能性はないとは言えないということです。あくまでも「日本的」ですよ。
そうして「比喩」として見ると、太古、神代に日本(的なるもの)が二分され、それぞれ東西に分かれて住むようになった、と考えてもあながち間違いではないかもしれませんね。
こういう考え方は科学的に証明されるものではありませんが、私たち日本人が意識として持っていて損はないと思いますよ。
もちろん、戦前戦中のような方法につながるのは明らかな間違いです。しかし、私たちはそうした失敗を経験していますから、今度は正しい方法で「統合」を図ることができるのではないか。私は本気でそう思っています。
まずは国内の統合でしょうかね。それができれば、世界の統合はそれほど難しくないと予感しています。
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