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2014.05.23

人間はいつから空と色に分かれたのか?

↓こいつは悟ってるな(笑)
Th__20140524_84712 日は高校生と宿泊座禅です(書いているのは明けの朝ですが)。
 座禅しながらふと思いました(…全然無になってないですね)。
 まず再確認。色=空 , 空=色(その1)色=空 , 空=色(その2)に書いたことは、やっぱりワタクシ的には正しいなと。「空」という「うつわ」をしっかり磨かねば。その一つの方法が座禅であるなと。
 そして、若い頃いやいや座禅をしていたのを思い返してみると、多少最近は器の質が良くなったかなとも思いました。とりあえずいやいやではなくなっている。
 そして、今日は「いつ自分は空と色に分かれたのか」という疑問も湧いてきました。
 普通に考えると、生まれて外界を認識した瞬間か。いや、言語を習得した瞬間か。いやいや自我を意識した瞬間か。
 それとも生まれる前からすでに分かれていたのか。もともと生命の誕生こそが、(女性という)空(器)に(男性という)色が満たされることなのか…などと、いろいろ夢想しました。
 昨日と一昨日の記事で、日本と世界の二分化のルーツを妄想しましたが、スケールを小さくして人間についてもそれを考えてみるとなかなか面白そうですし、スケールを小さくしたつもりが、宇宙の陰陽の起源に行き着いたりしそうですよね。
 というか、スケールの大小なんていうのも、座禅をしていると関係なくなっしまう。やはり「不二一如」こそが悟りの境地なのでしょうか。
 いずれにせよ、私の人生のテーマはその「不二一如」であり、それは過去的根源への旅であるとともに、未来的統合への展望でもあります。
 おそらくは私たち個人から宇宙に至るまでが、螺旋的な進化を遂げていくものなのでしょう。すなわち、根源の形に戻るけれども、それは一つ上の次元において実現する。時間も実は螺旋的に、つまりリニアでありサイクルであるという流れ方をしていて、私たちは根源の姿を帰ろうとしながら進化していくと。
 座禅をしながらそんなイメージが浮かんできました。
 そうしますと、私たちが空と色に分かれたのも1回のことではなく、「不二一如」に回帰すると同時にまた分化していくということを繰り返してきたのかもしれません。
 そして、それは「元の木阿弥」というような意味合いではなく、そのたびに次元を上昇させてきたのであって、ちゃんと前進しているのだと思います。
 そうしますと、昨日、一昨日の「左右」「東西」もまた、やはり統合統一すべきものであって、その後また違った形での分裂分化が予想されようが、とにかく理想的な一点に向って精進することに躊躇してはいけないということかもしれませんね。
 あるいは、「いつから分かれたのか」ということを考えるよりも、「何度分かれて再び帰一したのか」を考える方が有意義かもしれない。そんなことを考えていたら、あっという間に座禅の時間が終わってしまったのでした。
 全然「無」ではないけれども、「空」にはなれた座禅だったのかもしれません。


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