« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »

2014.03.31

『ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた』 青山通 (アルテスパブリッシング)

Th__20140401_144434 う1年ほど前に出て評判になった本ですが、やっぱり読まずにいられず買ってしまいました。
 で、読んでみると、やっぱり予想通りの内容と展開でしたので、あっという間に読了。
 まあ私たち世代にとっては、もうこれはどうにも忘れられない名シーンの数々、そして音楽の数々ですよね。
 たしかに私にとっても、初めて「音楽」に出会ったのは、このウルトラセブンだったかもしれません。決してお子様向けではない、非常に格調高い、クラシカルな音楽ばかりでしたからね。
 細かいことをいろいろ言えば、それこそ私も一冊本が書けてしまうと思いますよ。ただ一点についてだけ言うなら、やはりオープニングテーマでしょう。
 冒頭の荘重なイントロと分散和音的「セブン」と法螺貝のようなホルンはまあ皆さんの印象に残っていると思いますので割愛するとして、なんと言っても歌が始まって「は〜るかな星が〜」の部分の下降音階的ベースラインでしょう!いや、その後のランニング&ストッピングベースが素晴らしい。
 幼少期の私は、これにすっかりやられてしまったのです(笑)。そして、今でも私の「通奏低音」観を支配しております。
 ちょっとベースを聴いてみてください。

 今聴くと、バロック的であるとともに、ポール・マッカートニー的ですよね。つまり、ポールのベースは通奏低音なのです!
 さて、いよいよこの本の本題である、あの最終回です。ちょうどこの本で分析されている部分が動画としてアップされていますので、ぜひどうぞ。

 シューマンのピアノ協奏曲ですね〜。音楽のみならず、ストーリー、テーマ、セリフ、演技、演出、映像…全ての面において私の基礎になっています。
 シューマンを使った経過や意図については、この本をぜひお読み下さい。
 実はこのセブン最終回、10年ほど前、高校の授業で使っていました(笑)。あの頃の高校生は、なんか気恥ずかしいのか、あのジャン!とシューマンが始まってシルエットになるところで、みんなドッと笑ってました。私としては泣くシーンなのに(苦笑)。
 今度中学生にも見せてみようかな。
 とにかく、ウルトラセブン世代、それからその世代でクラシックファンの方には、いろいろと共感できるものがある本ですので、ぜひどうぞ。
 著者がリパッティに到達するまでの、あの感じ、今のような過剰な情報化時代にはありえませんよね。一方で、目的とするところに直接行けてしまうがために、いわゆるセレンディピティがなくなってしまったことに、なんとなく寂しさをおぼえるのでありました。

Amazon ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.30

「必死」とは…人は必ず死ぬ

20140331_93920 日は「志」という言葉について考えてみました。今日は「必死」です。
 必死に頑張る、必死に戦う、必死さが足りない…「必死」という言葉、私たちは一日一回とは言わずとも、数日に一回くらいのペースで使っているのではないでしょうか。
 私は今日、猫が逃げる様子を見て「必死に逃げてる」と言いました。その時、ふと、「必死」ってどういう意味かなあ…と思ったのであります。
 普通には(辞書的な意味では)、「必ず死ぬこと、死ぬ覚悟で全力をつくすこと」ということになりますね。もちろんそのとおりなのですが…。
 さっそくいつ頃から使われている言葉か調べてみますと、どうも中世以降のようです。つまり、漢文の「必死(かならずしす)」が日常名詞化し、その後「必死なり」「必死たり」「必死に」「必死と」のように形容動詞化して、近世に至って「必死に」という副詞的用法が一般化したという感じですね。
 で、私が何をふと思ったのかと言いますと、漢文の「必死」がどういう意味だったのかということです。単純に「必ず死す」だったら、「死ぬ覚悟で全力をつくす」という意味に直接結びつかないような気がしたのです。
 「必ず死す=100%死ぬ」だとしたら、これは「人間は誰しも必ずや死ぬものである」という、ある意味当たり前のことで、仏教の経典かなにかに出てきそうじゃないですか。しかし、日本ではそういう意味では使われない。日本の漢語輸入は仏教経典からですから、今の意味になったのがちょっと不思議な感じがしたのです。
 そこで漢文で「必死」がどのように使われているか調べたところ、なるほどと思える文章を見つけました。
 かの有名な史記の項羽本紀の鉅鹿之戦の場面です。

 項羽乃ち悉く兵を引きて河を渡る。皆、船を沈め、釜甑を破り、廬舍を燒き、三日の糧を持ち、以て士卒に死を必して、一の還る心無きを示す。

 そう、これこそ「生還するつもりのない必死の覚悟」そのものですよね。そして、結果として勝利する。
 やはり、本国でも「必死」は「死にものぐるい」という意味で用いられているのでした。つまり、「必」は「秘す」という意味の動詞だったのです。これで納得です。
 しかし、今日の私はしつこくて(笑)ここで終わりませんでした。
 先ほどふと思ってしまった「人間は誰しも必ず死ぬ」という真理に関してです。
 なるほど、そう考えるとみんな「必死」に生きているのだなと。ぐーたらしている今日の私も実は「必死」なのだと。
 皆さん、そんなふうに考えたことがありますか?
 幕末の開国論者横井小楠の言葉にこういうものがあります。

 人必死の地に入れば、心必ず決す

 これも一般的には「追い詰められれば決心できる」というように解釈されていますが、「必死」の意味を広げると、「人間必ず死ぬものなのだと思えば決心できる」とも読めますよね。
Th_oni_toyama_uchida 出口王仁三郎とも関係の深い、近代右翼の巨頭、頭山満はこんなことを言っています(右の写真は、王仁三郎、頭山満、内田良平というすごいトリオ!)。

 人間は火のついた線香じゃ。それに気がつけば誰でも何時かは奮発する気になるじゃろう。老若誠に一瞬の間じゃ。気を許すな。

 これこそ「必死」の境地じゃないでしょうか。おぎゃーと生まれた瞬間に線香に火がつき、刻一刻と確実に線香は短くなっていきます。あとどれくらい残っているか分かりません。だからこそ、一瞬一瞬を「必死の覚悟」「決死の覚悟」で生きなければならないということですね。
 違う見方をするなら、私たちは常に、自然に「必死」なのであります。もしかすると、ぐーたらしているのもまた「必死」なのかもしれません。「必死にぐーたらしている」と思えば、それはそれで立派なことかもしれません。なにしろ、命をかけてぐーたらしているわけですから(笑)。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.29

「志」とは

20140330_111400 日は妄想実現党党首として(笑)、「志(こころざし)」について語ろうと思います。
 皆さんは日常の中で「志」という言葉を使いますでしょうか。おそらく昔の(戦前の)日本人と比べるとやや使用頻度が下がっているのではないでしょうか。
 私の職場である学校でも、「志を持て」などというのが、なんとなく恥ずかしいというか、ちょっと大げさな感じがしてしまうのも事実であります。
 日常で「志」という文字を目にする機会としては、たとえば香典返しに印刷されていたりしますよね。しかし、なぜそれを「こころざし」と言うのかとなるとなかなか説明が難しい。
 実はこのような謝意、あるいは弔意を表す意味での「こころざし」は、源氏物語にも見つけることができます。もちろん、将来へ向けての夢や目標という意味での「こころざし」も源氏物語に出てきます。いや、それ以前に記紀にも出てきますから、かなり古い日本語と言えますね。
 それらを総合してみますと、やはり「心が指す」という原義があることがわかります。心の指す方向、心の行くべき方向というイメージです。
20140330_111224 ちなみに「志」という漢字、この外見をもって「武士の心」などと説明される時もありますけれども、「心」の上の「士」は同音の「之」が変形したものと言われていますから、実は「心の之(ゆ)くところ」という意味があるんですよ。
 だからこそ、日本語で「こころざし」と訓まれることになったのでしょう。
 では、「心」はどこに向かって「ゆく」のでしょうか。どこを「さす」のでしょうか。
 これが今日のテーマです。
 「さす」という日本語も太古から使われている基本語です。漢字が輸入された時、いろいろな字が当てられました。

 刺・螫・挿・注・点・鎖・差・指・射

 ご覧になって分かるとおり、いずれもある対象(他者)に向かってそれに近づく運動をしています。それも基本的に「前」に向かって行う運動です。言わば進行方向にエネルギーをこめる感じ。
 ですから、「こころざす」というと、心をある対象へ向けて、目標の一点に思いのエネルギーをこめるという意味になります。
 それが、将来の目標である場合もあるし、謝意や弔意や恋慕の念であるわけです。
 いずれにせよ、一点に心をこめるということをしないと「志」はありえません。
 ここで、ワタクシ流の「志」観を紹介しましょう。
 先ほど書いたように「さす」という言葉には、こちらから相手に向かって近づく、ある意味相手の流れに抵抗するようなイメージもあるわけです。「水を差す」わけですね。
 「志」に関しても同じです。ある意味相手の「流れ」に逆らう。
 私にとっての「相手」とは「時」です。そして私にとっての「時の流れ」はいつも書いているように、「未来から過去に向かって流れている」のです(おそらく人と逆です)。
 その流れに抵抗するということは、上流である「未来」に向けて動くということです。心を「未来」に向けるのです。
 ま、漱石が言うように、楽しようとして「流れに棹さす」と流されてしまうこともあるわけですが(笑)。
 つまりですね、ワタクシにとっての「志」とは、「未来」に向けての「妄想」にほかなりません。
 実際そういう意味では、私は人よりかなり「志」を持っていると思います。かなり具体的な妄想がありますからね。
 少なくとも、心の行く先は、過去ではなく未来です。皆さんも、今自分の心がどこを指しているのか、どこに之こうとしているのか、そんなことを確かめてみてはいかがでしょうか。
 そうそう、同志である出口光さんを中心に、今「志教育」の実現に向けての大きな動きがあります。首相官邸の教育再生実行会議に提案として紹介されていますので、こちらからご覧ください。ウチの学校での事例も紹介されています。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.28

自分に厳しく=自分に優しく

20140329_85800 ARecX6のおかげでテレビライフ(特にNHKライフ)が大きく変わりました。
 正直ここまで変わると思いませんでした。ずいぶんと教養を身についたような(笑)。
 今日も夫婦で学びがありました。ARecx6はワンセグ全録機なので、ワンセグ専用番組が観られるんですね。ワンセグ2というやつです。
 毎週火曜日の午前9時55分からの5分間は、美輪明宏さんが若い女性のために人生の極意を語る「美輪乃湯」。これが実に勉強になる。
 今日も録りためてあったものを何本かまとめて観て聴きました。あんまり素晴らしかったので全部保存しておきました。
 今日はたまたま我ら夫婦の結婚記念日だったので、「理想の結婚は同志愛」というのが心にしみましたし、明日はカミさんの◯0歳の誕生日なので、「年齢は単なる数字」というのにも納得しました(笑)。
 私が「これは学校で生徒に伝えたいな」と思ったのは、「時代は“正統派”がトレンド」という話の中に出てきた、「正統派になるためには、まずは自分に優しく」という言葉。
 最近は若いスポーツ選手をはじめとして無頼派よりも優しく謙虚な正統派が増えている。そうした正統派になるためには自分に優しくすべきである。自分に優しくとは、自分に甘くすることではなく、逆に「努力する」ことだと。
 結果として、「自分ってやればできるじゃん!」という発見があり、自分に自信がわき、自分を好きになる。自分を好きになると余裕ができる。そういう人は他人からも好かれると。
 なるほど、つまり、「自分に厳しく」することが「自分に優しく」することなのですね。
 これには目からうろこが落ちました。
 美輪さんのお言葉には、仏教的なものと神道的なものとがちょうどいい具合に溶け合っているように感じます。そう、聖徳太子のように。
 美輪さん自身は実は正統派中の正統派なので、外見はあのように異端にしても問題ないのです。確固たる内面があるからこそですよね。
 皆さんも、もしワンセグを観ることができるようでしたらぜひ「美輪乃湯」、御覧ください。とは言え、ワンセグだと録画も難しいですし、なんかもったいないですよね。ウチみたいに全録機を買う方はそんなにいないでしょうし。
 BBCのように、NHKもいっそのこと、全番組をネットで自由に視聴可能にすべきですよ。これだけの視聴料を払っているわけですし、実際素晴らしいクオリティーの番組が無数にあるのですから、たった1回の放送で終わってしまう(有料のオンデマンドも一部の番組しかない)のは、もったいないですよ。制作側としてももっと観てもらいたいでしょう。
 私がNHKの会長になったらぜったいにネットでタイムシフト視聴できるようにします。それが結果として実質視聴率の向上につながるし、本当の意味での「公共性」の担保になると思うからです。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.27

『オールカラーでわかりやすい! 古事記・日本書記』 多田元 (西東社)

1106361977 日の記事で、「時々情報を整理し、神々の系譜などをおさらいしながら」と書きましたが、その際の資料となるのがこの本です。
 私なんか知ったかぶりのハッタリ野郎の代表みたいな人なので、よく「日本の神話にもお詳しくて…」などと言われたりしますが、実のところは、本当に基本的なこともよく分かっていない…というか、覚えていない人なのであります。
 いや、いろいろな人に聞くと、どうも日本人は日本の神話、日本の神様が苦手なようです。苦手というのは嫌いとかではなくて、とにかく覚えられない、暗記できないということ。
 たしかに、戦後日本の学校ではほとんど神話を教えなくなりましたし、家庭でもそういう話をしない。神社にはよく行くけれど、祭神が何なのかなんてほとんど気にしません。それどころか、お寺と神社の違いもよく分からないで参拝している場合もある(笑)。
 私も基本そういう日本人なのです。
 しかし一方で、これは困ったことだとは言い切れない部分もあります。そう、これこそワタクシの「国譲り」論につながるのですが、無意識化、無関心化こそが、最高の「保存」方法だったりするわけですね。
 意識化、関心化すると、そこには「恣意的解釈」が現れます。それが案外厄介なことになる。戦前戦中の国家神道なんかそのいい例ですよね。
 で、最近の私のように、なんだか妙に気になって、あらためて勉強してみようなんて考える人がいて、あえての意識化、関心化するというのはまた違う意味があると思うんです。
 ある種の洗脳をされていない中で、能動的に知りたいと思う…実はそれが能動ではなくて本来の受動であるところが面白いところなのですが…ことには、それなりの価値があるのです。
 そんな場合、いきなり古事記や日本書紀の原典に当たるのは無茶というもの。正直、現代語訳で読んでもすぐには頭に入らない。いや、私なんかマンガで読みましたけれど、やっぱり神様の名前や系譜を暗記するには至りませんでした。
Th_img_5342 ちゃんと整理しないといけないんです。しかし、その整理が実に面倒。神様の家系図(?)を作るだけでもけっこう大変。
 ほら、普通の歴史を学ぶ時も、教科書だけだと全然イメージ化されなくて覚えられないけれど、資料集を眺めていると不思議と覚えられたりするじゃないですか。
 神話の「資料集」として、ようやく満足、納得できるものが出たという感じです。
 なにしろ、私、これをコンビニで買いましたからね。コンビニエンスだということです。
 そうそう、最近、コンビニに「神様」関係の書籍がたくさんありますよね。コンビニに神様って、実に日本的でよろしいと思います。案外親和性がある。
 とにかくこの本、オールカラーというだけでなく、本当にかゆいところに手が届くという感じで、古事記・日本書紀の世界をうまく「資料集」化してくれているのです。
 おそらく著者の多田さん自身が、まずは自分のためにまとめた図表なんかがあったのでしょうね。日本人にとっての日本神話、日本の神様の難しさって共通しているわけですから、だからこうして分かりやすさも共有できる。
 イラストも主張しすぎていなくて好感が持てます。そう、日本の神様って本来姿形がないわけで、すなわちイメージがなくて、こちらである種の擬人化をしなくてはならないじゃないですか。
 その擬人化は、それぞれのセンスでなされるわけですが、たとえばイラストのキャラが濃すぎる(萌え化しちゃうとか)と、逆に多数に受け入れにくくなる。
 だから、やっぱり「資料集」レベルのイメージ化、キャラクター化が大切なのです。その点、この本のイラストはちょうどいいと思いました。
 資料集ですので、最初から順番に読んでいくもよし、必要なところだけ読むもよし、索引で引いて読むもよし、パッと開いたところを読むもよし。とにかく、一家に一冊、食卓にでも置いておくと何かと便利だと思います。
 今までも、こうした種類の神話本はいくつかありましたし、実際私も何冊か持っていますが、この本が圧倒的にしっくり来ました。
 安いというのもいいですね。税込み777円でこのボリュームと質感。ぜったいお得です。おススメします。

Amazon オールカラーでわかりやすい! 古事記・日本書記


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.26

『日本人“魂”の起源』 上田正昭 (情報センター出版局)

20140327_112946_2 口王仁三郎とも非常に縁の深い、小幡神社宮司にして京都大学名誉教授の上田正昭さんによる「魂(たま)」論。
 非常にユニークな論が展開されていると感じました。
 神話とは何かに始まり、記紀の比較から神話の重層性を語り、その中でまた「魂(たま)」についてそのルーツを探っていきます。
 なるほど、「たましひ」の「しひ」の部分を「めしひ(盲)」の「しひ」と同じように「衰微する」と解釈したものには初めて出会いましたね。
 そこから生まれる「鎮魂」論も面白い。1ヶ月くらい前に紹介した戸矢学さんの「ニギハヤヒ」で語られた鎮魂論のように、ただ「鎮める」というのが目的ではないと。「たましづめ」よりも「たまふり」の方が原点であると。
 たしかに衰微した「たま」すなわち「たましひ」を、「たまふり」によって本来の形に鎮めるという意味での「鎮魂」というのはありえますね。
 最近私も続けて書いてきた「器(空)」論にもあてはまりますし、私独自の「国譲り」論にもつながりそうです。
 そうそう、修学旅行中、京都の本屋さんに寄って何冊か本を買ったのですが、そのうちの一冊が上田先生による「大和魂」の再発見 〔日本と東アジアの共生〕です。
 この「日本人の“魂”の起源」の最後にも触れられている「大和魂」論。源氏物語乙女の「才を本としてこそ、やまとたましひの世に用ひらるる方も強う侍らめ」を取り上げ、漢才と大和魂を対比的ではなく、相互補完的なものとしてとらえています。
 これもまた私の「国譲り論」に重なってきます。譲ったように見せて…というやつです。
 とにかく上田先生の本は、系統的、そして総括的で素人にも分かりやすい。「です・ます」調のその文体も手伝って決して堅苦しくない。
 しかし、一方で中身が濃いのですらすらと読み進めることはできませんでした。時々情報を整理し、神々の系譜などをおさらいしながらでないと、私のような者にはちょっと厳しい。つまり、勉強になるという感じですね。勉強しながら読む、読みながら勉強するという感じです。
 現代の日本は「和魂漢才」「和魂洋才」どころかすっかり「洋魂洋才」になってしまったと嘆く上田先生。
 今こそ「和魂」、つまり「にぎみたま」の復権の時なのかもしれません。私も日本人としてじっくり「和魂」向い合って生きていきたいと思います。

Amazon 日本人“魂”の起源

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.25

『リニア新幹線 巨大プロジェクトの「真実」』 橋山禮治郎 (集英社新書)

Th_0731b_2 学旅行の新幹線の中で読んだ本。
 先日紹介した『リニアが日本を改造する本当の理由』には、リニアによってもたらされる明るい未来が書かれておりました。
 この本は対照的にリニア反対論です。この本にも書かれているとおり、この新技術実現前夜の雰囲気は、まさに「原子力発電」の時と同じ雰囲気ですね。
 いい面、明るい面だけを強調すれば、私たち国民はワクワクドキドキしますし、暗い危ない面を強調すれば、不安でワナワナドキドキします。
 そして、もう着工することが決まったから明るい未来だけを描こう、根拠なき「安全・安心」を信じようという雰囲気になっている。
 『リニアモーターカーという「愚かな夢」が現実に』の記事にかなり強い調子で書いたとおり、私は元々はかなり手強い(?)リニア反対論者でした。
 原発以上の「愚」、アホプロジェクトとまで言っています(笑)。自分で当時の記事を読んでまとめてみますと、次のような理由によるようです。
 ・喫緊の必要がない
 ・早すぎて駅が作れない。駅に止まれない。
 ・運賃が高い。
 ・工費が莫大。
 ・輸送量が少ない。
 ・電力使用量が莫大(原発を推進せざるをえなくなる)。
 ・巨大断層帯を横断してトンネルを作る危険性。
 ・自然環境への悪影響。
 ・景観の破壊。
 ・霊的な問題。
 基本この橋山さんの本も私と同じ理由によってリニア新幹線に反対しています。もちろん、私はシロウト、橋山さんは専門家ですからその深さは違います。
 しかし、私のようなシロウトでもかなり橋山さんに近い発想ができるということは、ある意味それだけリニアの危険性が単純で顕著であるということです。
 橋山さんは従来型の新幹線方式で中央新幹線を実現すべきだと主張しています。私も、もし東京〜名古屋〜京都〜大阪を結ぶ中央新幹線がどうしても必要なら、長野を迂回するルートで従来型新幹線方式でいいと思います。
 その方が、東海道新幹線とも乗客を取り合わないですむ上に、いざという時には東海道のバイパスの役割も果たすことができるでしょうから。
 しかし、一方で、今私はリニア推進派でもあります。完全に矛盾しているように感じられるでしょうね。しかし、それはまさに原発に対するのと同じように「反対の賛成」であって、高次元(?)では矛盾をしていません。
 まあ、私の妄想的具体案については、少し前に書いたこちらの記事をお読み下さい。
 皆さんはどのように考えますか?

Amazon リニア新幹線 巨大プロジェクトの「真実」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.24

修学旅行4日目(京都2)

Img_8594

Img_8599

Img_8602

Img_8605

Img_8606

Img_8611

Img_8614

Img_8616

Img_8617

Img_8619

Img_8620

Img_8622


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.23

修学旅行3日目(京都1)

Img_8547

Img_8549

Img_8553

Img_8554

Img_8556

Img_8558

Img_8559

Img_8560

Img_8561

Img_8562

Img_8563

Img_8564

Img_8565

Img_8566

Img_8567

Img_8568

Img_8569

Img_8570

Img_8571

Img_8572

Img_8574

Img_8577

Img_8579

Img_8581

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.22

修学旅行2日目(奈良)

 良は法隆寺と東大寺の写真です。肝心なものが写っていませんが、そこがミソです(笑)。

Img_8481

Img_8485_2

Img_8487

Img_8488

Img_8490

Img_8491

Img_8492

Img_8493

Img_8496

Img_8497

Img_8498

Img_8499_2

Img_8501

Img_8503

Img_8505

Img_8506

Img_8507

Img_8509

Img_8511

Img_8513

Img_8514

Img_8515

Img_8516

Img_8517

Img_8518

Img_8519

Img_8521

Img_8522

Img_8523

Img_8529

Img_8539

Img_8542

Img_8544


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.21

修学旅行1日目(広島)

 て、修学旅行中サボった記事をまとめて書かねば。
 しかし、それも時間がないので、ちょっとずるい形式で失礼します。
 生徒の引率をし、リアルタイムで保護者のために写真付きツイートをする合間に、自分のカメラでパシャパシャ撮ってきた写真を羅列します。
 ただ、今回は撮影に際してちょっとしたテーマがありまして、それは「デザインとして風景を切り取る」という試みでありました。
 私は別にデザイナーでも写真家でもないわけですが、なんとなく一般観光客になるのもいやなんです。ついつい観光的な「全体写真」に流れがちな写真撮影を意識的に変ちくりんにしてみたのです。
 センスもなにもないけれども、こうして歴史的建造物がそれぞれの時代の空間に食い込んで存在してきたということもまた真実であり、それを写すのも「写真」としてありかなと。
 初日は広島、宮島と平和記念公園でした。あまり意識をしていなかったので、普通の写真はたくさん撮りましたが、ここに載せるようなものは改めて見るとあまりありません。

Img_8465

Img_8467_2

Img_8470

Img_8472

Img_8474


Img_8479

 いろいろ運命的な偶然や必然が重なった広島訪問でした。さまざまなメッセージを受け取ることができましたが、それが写真に表れていないのが残念と言えば残念です。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.20

バロック&ロック・ヴァイオリニスト 「エミリー・オータム」

Th__20140325_100303 〜ん、やられた。
 私、バロック・ヴァイオリンとエレキ・ヴァイオリンしか弾けない(つまりフツーのモダン・ヴァイオリンが弾けない)妙な人間なのですが、ある意味それを極めたすさまじいヴァイオリニストがいます。
 それも女性。ご存じですか?エミリー・オータム。いいですよ〜、彼女。
 十代の時はバロック・ヴァイオリンで素晴らしい録音を残していますが、たしかにその時から、ちょっとフツーじゃない演奏してました。そして、今やロック(それもグラム・ロック)ヴァイオリニスト&ヴォーカリストとして有名になってしまいました。
 ええと、まずどれを観て(聴いて)もらおうかなあ…。やっぱりあえてのこれか!?
 クイーンのボヘミアン・ラプソディのカバー。ライヴでどうぞ。かっこ良すぎ!

 バロック・ヴァイオリンをさらっと弾いている動画もあります。なんじゃコイツ(笑)。やばい。うまい。かっこいい。

 バロックってもともとこういう演劇性というか、大げささというか、アホくさいというか、そういうものでしょう。貴族文化って決して高貴ではなくて狂気なのですから。これなんてダンス・ミュージックですからね。
 さらに言えば、ヴァイオリンという楽器も本来こういう野蛮というか、悪魔的なものですよね。
 もう少し彼女のダンスを観てみましょうか(そう、音楽は観るものなのです!)。バッハも喜ぶぞ、こりゃ。

 と言いつつ、今度はじっくり聴いてみましょうか。バロックの名曲をたくさん録音しているんです。アヴァンギャルド・バロックっていう感じ。後半はオリジナル曲やエレクトリック・ヴァイオリン。面白いアルバムです。

 これはいつか生で観て聴いてみたいですね。来日しないかな。

Emilie Autumn 公式


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014.03.19

ARecX6 チューナーレコーダー (ソフィアデジタル株式会社)

41hlo0gsk7l_sl500_aa300_ 日に続き、意外に知られていない便利な電気製品を紹介します。ウチでは1ヶ月ほど前から導入しております。
 ウチのテレビ事情はかなり特殊です。前も書いたとおり、テレビ自体は14年前のブラウン管テレビ。もちろんハイビジョンなんていうものではなく普通画質です。
 しかし、面白いもので、液晶画面に慣れてしまった現代人には、このブラウン管大画面がきれいに感じられるようで、ウチにいらっしゃった方々は口々に「いいなあ」とおっしゃります。面白いものですね。
 そんなアナログでアナクロなテレビで何を観ているかというと、地上波はNHK以外はほとんど観ません。BSかCSの特定の放送局(プロレスとか…笑)だけですね。
 ちなみにデジタルチューナーはハードディスクレコーダーのものを使っております(DVDに焼くのは裏ワザを駆使)。
 ま、それはいいとして、地上波(山梨は民放2局しかないけれども…笑)でもたまにいい番組やったりして、あとで「ああ観たかったな」とか「再放送ないのか…」などと思うこともしばしば。
 そんな時のために面白い機械を買いました。地上波全部を2ヶ月分まるまる録画してくれるものです。
 いわゆる「全録」ですね。「全録」のハードディスクレコーダーは一般的にはけっこうなお値段しますが、これはなんと2万円以下で買えます。
 そう、これは地上波と言っても、ワンセグをまるまる録画するものなのですね。ハイビジョン映像をまる録りするととんでもないデータ量になってしまいますが、ワンセグならデータサイズがとっても小さいので、たとえばウチでは1TBの外付けHDDをつけて、4チャンネル2ヶ月以上録れる計算になります。
 はっきり言ってただ観るだけならワンセグ画質で充分。だいいちウチはさっき書いたようにハイビジョンテレビすらないのですから。
 基本的にパソコンの画面に小さいウィンドウを開いて観る形になりますが、たとえば(昨日電話の子機にもなった)iPhoneで観ることもできますから、家の中のいつでもどこでも(布団の中が多い)過去の観たい番組だけ観ることができます。
 これは便利ですよ。はっきり言ってテレビライフが全く変わります。クラウド機能もあるので外出先で観ることもできる。時間と場所に縛られないテレビライフというわけです。
 ちなみにこのタイプのレコーダーで有名なのはガラポンです。
 私もこのARecX6とガラポンとちょっと迷いましたが、山梨は4局しかないし(苦笑)、とにかく安い方がいいなと思いARecX6を選びました。
 ハードディスクは別売りで7千円くらいでしたから、総額27000円弱でまる録り全録システムの完成というわけです。ま、これを高いととるか安いととるか、それは何に価値を感じるかによって異なるでしょうね。
 ちなみに2ヶ月くらい録ってHDDがいっぱいになると、古いものから消して上書きしていきます。残しておきたい番組はワンタッチでロックをかけることができます。
 また、非常に便利だなと思ったのは、テキストによる検索機能です。番組内容も含めてテキスト検索すると意外な名番組に出会えたりします。
 その他通常の番組表やジャンル別一覧なども見やすく便利。そういう意味でもテレビライフが変わります。どちらかというと、ネット動画の感覚ですね。
 再生はフラッシュプレーヤーなので、バーで観たいところに飛んだり、バソコンの十字キーで15秒進めたり戻したりもできるので、CMを飛ばしたり、繰り返したりするのにも便利。
 あととにかく、「録画予約」という面倒な作業がなくなるのが画期的ですよ。録画予約って時間と手間がかかるじゃないですか。それでいて失敗したり忘れたりするとショックですしね。
 画質にこだわらない方には、とにかくおススメの隠れた名機であります。おススメします。

ARecX6公式

Amazon ARecX6 チューナーレコーダー

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.18

Panasonic Wi-Fi搭載デジタルコードレス電話機 RU・RU・RU(VE-GDW03DL-W)

41o2pon6xl_aa300_ ととい、いきなり家の電話が壊れました。
 3年前、あの震災の時に活躍した電話です。つまり停電時にも通話できるタイプ(「アナログ&アナクロは強い」参照)。
 電源は入るのですが、ディスプレーには何も表示されず、通話もダイヤルもできなくなってしまいました。
 しかし、面白いもので、電源を抜けば(擬似停電状態を作れば)、やっぱり通話できるんですよね。
 ということで、いちおう捨てずに取っておいて、いざという時にはこうして使います(ダイヤルできないので受信専用です)。
 そう考えると、やっばり黒電話は強いよなあ。一台買おうかな。
 で、さすがに不便なので最新機種に買い換えることにしました。
 今回壊れたデジタルコードレスでは、昔使っていたPHS(アステル!)を子機として登録していました。
 それが結構便利だったので、今回は、なんだかたくさん転がっているiPhoneを子機として使えるものを購入してみました。
 いやあ、なかなか便利ですよ。悪くない。
 とにかくiPhoneが子機になるというのが画期的ですよね。
 もちろん、多少の遅延や音質の低下、さらにプライバシーの問題など、以前のPHS子機に比べていろいろ問題があることも分かりますが、とにかく実用上便利であります。
 たとえば今までは子機が1台しかなく、2階の寝室で寝ている時に1階で電話が鳴っても、起きて降りていくのが面倒くさくて無視したことが何度もありました。
 あるいは、しつこく鳴っているので気合を入れて起き、階段を駆け下りて受話器を取った瞬間切れちゃうとか(笑)。
 基本的に私は寝る時に枕元でiPhoneを充電しています。それがイエデンとシンクロして鳴る上に、実際子機として応答できるわけですから、これからはそういう失礼もなくなるでしょう。
Th_img_8300 さらに便利なのは、iPhoneの中のアドレス帳からイエデンで電話できることです。つまり、専用アプリを立ち上げると、iPhoneでかけるか、固定電話(イエデン)でかけるかを選択できるようになっているわけです。
 専用アプリ、安定性や消費電力など、まだまだ洗練できる部分はあると思います。しかし、そういったソフト的な進化は早いと思いますので、これからさらに使いやすくなっていく可能性は充分あります。
 もちろん、使っていない古いiPhoneや、Wi-Fi専用のiPadなどもイエデンの子機にはなります。
 普通の固定電話の子機って買い足すだけでもけっこうお金がかかるじゃないですか。この機種の場合、眠っている古いiPhoneやスマホなどを再利用できるので、それだけでも魅力的ですよね。
 そろそろ電話を買い換えようかと思っている方々、この新時代を予感させるRU・RU・RUも選択肢に入れてみてはいかがでしょうか。
 あっ、ちなみに本体の右側のスペースは、上の写真のようにスマホを置く台になっています。側面には充電用のUSB端子もついていますので、まさに固定電話と携帯電話を統合的に使うことができます。

公式サイト

Amazon Panasonic デジタルコードレス電話機 RU・RU・RU(ル・ル・ル) 子機1台付き DECT準拠方式 Wi-Fi搭載 ホワイト VE-GDW03DL-W


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.17

強ウンに大フンガイ!?

Th_img_8259 えと、ええとですねえ…近所である事件(事故?)がありまして、ウチも大変な害を被りました。
 もう笑っちゃうしかない状況です。
 都会っ子の私は完全に戦意喪失しましたが、田舎っ子のカミさんは戦意高揚して、完全装備で手作業にて(さすがに素手ではありません)敵と戦ってくれました。
 えっ?何があったのかって?
 う〜ん、さすがにこれはですねえ、テキストにはできません。
 上の写真は戦闘中のカミさんの図です。もっと近くから撮影すれば何が起きたかは分かるかと思いますが、とても私は近づけませんし、撮ったとしてもとてもネット上に上げられるシロモノではありまぬ(苦笑)。
 とにかく夜中にパトカーやらブルやらがやってきて、なんとか撤去作業をしてくれたようですが、おそらくはパトカーやブルも相当の被害を受けたと思われますし、警察官も作業員も戦意喪失の上、もう笑っちゃうしかないという状況に追い込まれたものと思われます。
 えっ?よけいに気になるって?
 そりゃそうですよね。
 これはニュースになりますよ(追記…実際新聞に載りました)。
 まあ、タイトルから想像してみてください(笑)。フンガイもしましたけれども、もうこれは「ウンがついた」と思うしかないですよ。膨大な、一生では使い切れないほどの「ウン」が(笑)。なにしろブルが出動するくらいの量ということですからね。そこにカミさんの車は果敢にも突っ込んでいったと。
 すぐに近所の知り合いに連絡をして、その道を通らないように注意喚起しましたが、ウチ以外にもおそらくは数十台の被害車両が出たと思われます。
 というか、その現場はウチからは2キロくらい離れているからまだいいものの、その近所のダメージたるやとんでもないでしょう。
 なんでも、富士河口湖町でセシウムを含む大量の木くずが見つかったそうですが、はっきり言って、それよりも厳しい廃棄物ですよ。目に見える本体だけでなく、目に見えない大気汚染?が大変。
 車に付着させて一部持ち帰ってしまった我が家の庭も、そういう意味では充分立ち入り禁止区域並みの汚染状況です(強風のおかげで助かりましたが)。
 話は変わりますが(?)、かの楠木正成は赤坂城や千早城に籠城した際、山城をよじ登ってくる敵(鎌倉幕府軍)に糞尿爆弾を投下しましたね。有名なゲリラ戦法です。
 なるほど戦意を喪失させるのに有効な武器ですわ。さすが名将、いや悪党。
 で、話を戻しますが(笑)、我が家には大量の「ウン」がついたので、よっしゃ、久々に宝くじでも買おうかなと。ちなみにウチは宝くじが当たったら一銭たりとも残さず全額寄付することになっています。よ〜し、社会貢献するぞ〜!
 さて、おそらく数週間は残留汚染物質との戦いが続くでありましょう。死ぬわけじゃないし頑張ります。
 おっとそうそう、今回はとんでもない量のとんでもない落し物に苦戦したわけですが、なんでも2年前くらいには、これまたウチの近くの林道に、大量の女性の下着が散乱していたことがあったそうです。
 今回の件といい、これはテロかもしれません。下ネタテロ。いやがらせというか、シャレにならないシャレというか。
 いったいなんなんでしょうね。なんで富士山ではこんな不思議なこと(皆さんにお見せできないこと)ばかり起きるんでしょうか(苦笑)。さすが霊山であります。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014.03.16

科学における悪魔


怪奇大作戦 ミステリー・ファイル 「第3回 闇に蠢(うごめ)く美少女... 投稿者 diver7jp

 朝、娘たちと怪奇大作戦ミステリー・ファイル第3話「闇に蠢く美少女」の再放送録画を観ました。
 なかなかの名作。都会の夜に「とおりゃんせ」を歌う7歳の美少女が何人も現れるだけでも、充分怖いですよね。
 20年前、クローン・ベイビーの「作成」に成功したと発表したにも関わらず、その実験結果は捏造されたものだというレッテルを貼られたある分子生物学者が、その後そのクローン技術を利用して、世の中に復讐する話。
 う〜ん、なんだか最近のニュースを思い出しませんか?
 そう、STAP細胞をめぐる例の一件です。小保方さん、学会から消される勢いですよね。小保方さんご乱心にならないよう祈ります(苦笑)。STAP細胞自体はどうも存在しそうな予感がしますので…。
 今回の小保方さんは、素人目にもつまらぬミスをしでかしています。非常に稚拙なコピペと捏造に満ちています。まさに小学校の調べ学習程度の稚拙さです。
 では、「巧妙なコピペや捏造」は許されるのかというと、もちろんそんなことはありません。逆にもっと許されないことになります。
 では、なんでそのような馬鹿げたことをやってしまうのか。
 これは、「科学の悪魔」のせいだと思います。
 そう、これって、この前書いた佐村河内&新垣事件と似ていますよね。「音楽の悪魔」の話です。
 科学と音楽というのは、ある意味非常に近い存在だとも言える。今では、科学者と音楽家は全く別の仕事ですが、たとえば、ダ・ヴィンチや、ケプラー、ハーシェルなどは、優れた科学者であるとともに、音楽学者であったり、作曲家であったりしました。少し違うかもしれませんが、アインシュタインもヴァイオリンを弾きましたね。
 やはり、科学における「数式の美しさ」は、天上の音楽(ムジカ・ムンダーナ)と通ずる部分がなるのでしょうか。
 昨日まで3回シリーズで「器」の話を書きましたね。科学者も音楽家も、天から「真理」を下ろしてくるには、本当はまず自分が美しく純粋な「器」にならなければなりません。
 しかし、実はその美しい器には「悪魔」「魔物」も棲みつく可能性があるんですよね。
 そう、ちょっと科学的ではないかもしれませんが、霊媒師(ミーディアム)や鎮魂帰神をする人にも、往々にして「悪魔」やら「悪霊」やら「低級霊」やらが取り憑いてしまうことがある。
 そこが難しい、修行を要するところなのです。
 そういう意味で、小保方さんは修行が足りなかったとも言えるでしょう。逆に言えば、「神に近い」仕事をしなければならない人たちは、それなりの「禊」や「身魂磨き」をしなければならないのです。
 非常に厳しい仕事だと思います。私の知り合いの何人かの科学者の方、音楽家の方、霊能者の方は、まさにそういう修行をされておられます。
 しかし、現実には、そういう方は少数派であって、どちらかと言うと、器に「金(カネ)」や「名誉」などの「私欲」「煩悩」というまた別の悪魔が入り込んで、本来の天命を果たせないでいる方の方が多いような気がします。
 やはり、教育の段階で、そのような根幹の部分を教わっていないのでしょうね。私も責任を感じます(なにしろ、ハッタリ教師として有名なくらいですから…苦笑)。
 ちなみに、このブログの大量のテキストは、コピペはありませんが、ほとんど捏造です(笑)。どちらかというと「物語」ですから。
 もちろん学術論文ではないので、私は「捏造」を責められることはありません。文学に近いかもしれませんね。文学によって「真理」を表現することも可能ですから。
 それでもやはり自分が生み出した文章たちは、それこそ自分の子どもみたいなものなので、それなりの責任を感じていますから、決してコピペはしないようにしています。
 そう、コピペってクローンですからね。そこに倫理的な問題があってしかるべきです。
 私も、なるべく「私欲(コト)」を捨てて、ひたすら「他者(モノ)」のために物語っていきたいと思います。
 「真(マコト)」は自分の中ではなく、天にのみあるのですから。
 今回の小保方さんの一件を他山の石としたいと思います。


 


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.15

色=空 , 空=色(その3)

Th_img_8211 日は我が中学校の卒業式でした。
 手前味噌で申し訳ありませんが、本当に素晴らしい式だったと思いますし、卒業していく生徒たちは本当に自慢の子どもたちです。また、在校生も実にしっかりしていました。
 卒業式後、謝恩会にも出席させていただきましたが、そこでもまたまた涙涙…。生徒、保護者、教師、みんな号泣でした。
 おととい、昨日の話の続きとして語るなら、やっぱり、この涙はとってもきれいな器の中にあったものが溢れてきたに違いありません。
 私も保護者もちょうど同じくらいの年代ですが、なんと言いますかね…この年になっても、まだ純粋な器が心の中にあったのかと思うと、ちょっと、いやかなり嬉しいものです。
 あるいは日常的には、もうほとんど器も濁ってしまったり割れてしまっていたかもしれません。そこに、子どもたちのおかげで、新しい器が心に作られたのかもしれませんね。ありがたいことです。
 卒業式でも謝恩会でも、中学生がみんなで合唱をしてくれました。なんであんなに泣けちゃうでしょうね、中学生の合唱って。
 もちろん大人の、あるいはプロの合唱団の素晴らしさも体験的によく知っています。音程や発音はもちろん、歌詞の理解や表現の統一などを窮めてできあがる美しさは格別ですよね。
 それはそれで素晴らしい。「コトを窮めてモノに至る」という真理があるからです。大人にとっての「器=空」を磨く方法、技術というのがあるのですね。それはよく分かります。
 スポーツの世界なんかでもそうじゃないですか。技術を窮めると、どんどん美しくなっていくし、個性的になっていく。また、ある種の他者性も強くなっていく。
Th_img_8216 しかし、それは子どもたちの表現は明らかに違うものです。まあ考えてみれば、最初からきれいな器なのですからね。
 そういう意味で言えば、生まれたばかりの赤ちゃんは最も美しい器を持っているのかもしれない。しかし、表現という技術は持っていないわけです。
 その点、たとえば初音ミクは、圧倒的な技術を持っていながら、圧倒的に「無知」「無私」なわけですよね。そこが面白いし、理想的なあり方、ある種「神」的なあり方であるとも言える。
 中学生はまさに、子どもと大人のはざま、いやな言い方をすれば、純粋と不純のはざまで揺れ動いているわけで、だからこそ、その矛盾を高い次元で止揚して見せる(聞かせる)ボカロにハマるんじゃないでしょうかね。
 美空ひばりなんかいかにも大人びた歌い手だと思う人もいるかもしれませんが、いやいやどうして、彼女はものすごく子どもっぽいですよ。しかし、神的な技術を持っている。
 ひばりさんは、どんな曲でもイントロの間で、完全に「器」を空っぽにできる人なのです。そして、降りてくるままに歌う。
 これはある意味では、データをインプットされるボーカロイド状態に近いと言えるかもしれない。
 私は全然「神」ではないのですが(当たり前)、ただ演奏家としての理想はそこに置いています。でも努力をしないので、技術が全然そういうレベルにならないし、修行が足りないので、心の面でもダメダメ。特にヴァイオリンはダメなんだよなあ…。八雲琴はけっこういけるような気がしていますが(笑)。
 というわけで、今日は中学生の純粋さに触れ、人間というのはまあ因果な生き物だと思いましたし、教育というのは罪深くもあるなと思いましたね。
 今日、謝恩会で、「こんなに幸せな時間、社会はもうこれからはないと覚悟しろ。ただ、実際こういう素晴らしい3年間を送ったという事実はあるわけだから、大人になってどんなに汚れた社会に出て行っても、どんなにいやな人間に出会っても、とにかく最後の一人になるまで『いい人』でいなさい」と言わせてもらいました。
 もちろん、これは私自身へのメッセージでもあります。「空=器」を磨かねば。
 ああ、私も永遠の中二病でいたい…いや、もう充分気持ち悪いくらい中二病だと、中二の娘に言われておりますが(笑)。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.14

色=空 , 空=色(その2)

20140316_144958 あ、昨日の記事の続きです。
 「器(うつわ)」とはなんなのか。すなわち「空」とはなんなのか。
 「色」は一般的な解釈でいいと思うのです。現象や感覚や思想、つまり言語化される「コト」です。
 一方の「空」にワタクシ流の解釈をほどこしていきます。
 「空」という字は、見れば分かるとおり「穴」に「工」と書きますね。「穴」はそのまんま「あな」を表します。「工」は「虹」という字から想像されるとおり、湾曲したものを表します。
 つまり、私の「空=器」というのはあながち妄説ではないのです。湾曲して穴が空いているものなのですから。
 で、なぜ仏教は「空」にこだわるのか。だいいち「空」と「無」はどう違うのか。このへんの説明をしてみましょう。
 昨日「色」は「空」という器に盛られた、あるいは注がれたものだと書きました。だから必ず同時に存在していると。
 しかし、現実の「器」をイメージすると分かるように、「器」には容量というものがありますし、なんというか質というよなものもあるような気がします。つまり、いい中身にはいい器が、いい器にはいい中身がふさわしいというような。
 結局、「色=空」「空=色」なのですから当然と言えば当然ですね。そうすると、まさに同時的にその質を高めていくことが、人間としての修行であるような気がしてきます。
 しかし、実はそれが非常に難しい。人間の構造的な問題です。
 ここでまた私の「モノ・コト論」が登場します。モノは他者(未認知・不随意)、コトは自己(認知・随意)というやつですね。
 「色」はそのまま「コト」ですから、これは意識せずとも意識されています。というか、意識しているからこそ「色」なのです。
 問題は「空=器」の方です。私たちは実際の生活の中でも、ついつい中身にばかり意識が行って、それを入れている、あるいは受けている容器の方を無視してしまうきらいがありますね。
 これを意識していかねばならない。意識的に器の質を高めることによって、同時に中身の質も上がっていく、あるいは器の容量を増やしたり、場合によっては中身を捨てて空き容量を増やすというようなこともしなければならない。
 座禅というのは、「器」を一度きれいにする、空っぽにする、いやそこまで行かなくても、たとえば中身を整理する、ハードディスクのデフラグをするように、空き容量を増やす、そんな技術なのではないでしょうか。
 そうすると、そこに新しい「モノ」が注がれるのです。自然と。
 たとえば、私が昨日座禅をしていて、ふっとこういう理屈を考えだす…ではなく、思いつく…でもなく、外から与えられたのは、プチ悟り経験なのではないでしょうか。
 だから、座禅して「無」になるというのは、ちょっと違うのではないでしょうか。目的は器の中身を無くすことではなくて、空っぽにして別のモノを注ぎ込む…こう書くとまた前後関係、因果関係が生じてしまいますが…のが仏教の求めるものなのではないか。
 で、なかなかおとといのBUMPとミクの話になりませんね(笑)。ええと、あの記事にこんなことを書きました。

 …たしかに、今までも、美空ひばりと初音ミクの不思議な共通点について書いてきましたけれども、「ものまね(モノを招くという意味での)」の優れた「器」として、二人はたしかに人間のレベルを超えて素晴らしいのです。
 だからこそ、不思議と涙が出る(あとは中学生の合唱もそうです)。
 そんなミクの「純粋さ」「ひたむきさ」に、藤原くんの音楽、言葉、そしてBUMP OF CHICKENのバンドとしての「純粋さ」「ひたむきさ」がうまく共鳴したのだと思います。

 つまり、美空ひばりと初音ミクとBUMPと中学生の共通点があるとすれば、その「器」の純粋さ、質の高さだということです。
 モノを招くこそが世阿弥の言った「ものまね」であると、私は真剣に信じています。世阿弥の求めたものもまた、禅のベクトルと重なると思います。
 まず私たちは「空=器」を意識化したり無意識化したりする技術を身につける必要があるのか。それが座禅をはじめとする禅の修行であったり、あるいは神道の「鎮魂法」であったりするではないでしょうか。
 そうそう、王仁三郎も得意としていた「鎮魂帰神」って、まさに「魂の器をきれいにして、そこに外から他者を招く」という技術ですよね。
 どんなものでしょう。また座禅して「モノ」を招いてみたいと思います。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.13

色=空 , 空=色(その1)

↓空海(弘法大師)空海破体心経(広隆寺蔵)
Kukai

 日のBUMPとミクの話の続きになります。ジャンル違いのように思えますが、まあ読んでみてください。
 今日はあるお寺で座禅をしました。その時、ふと降りてきたことがありましたので、忘れないために書いておきます。
 般若心経の有名な一節「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」に関することです(もちろんこれはワタクシ流の直観的な解釈なので、なんの信憑性もありません)。
 たしかにこの一節は般若心経の真髄の部分であり、また仏教の真髄と言ってもいいものであり、今までもたくさんの解釈がされてきました。
 私もいろいろな本を読んで、なんとなく理屈では理解したような気になっていましたけれど、実はなんかしっくり来ない、腑に落ちないと思っていたんです。
 私の浅知恵を披露してしまい恥ずかしいのですが、まあ簡単に言えば「色不異空・色即是空」の「私たちの感覚や想念(から生じる執着や煩悩)は実在しない空しいものである」ということは理解できても、その逆「空不異色・空即是色」はなんだか分かったような分からないような…という感じだったのです。
 それがストンと落ちてきた。
 「色」と「空」を入れ替えて繰り返しているということの意味が分かった。あえて入れ替えたのは、言葉の限界を超えるためではないかと。
 言葉(文)というのはどうしても時間の前後関係というのができてしまう。縦書きなら上から順に読んでいくわけですし、脳内の理解のしかたにも順序ができてしまう。たとえば「色不異空」と読むと「ああ、色は空と異ならないのだな」というように。
 当たり前ではありますが、これは言葉(文・文章)の決定的な欠陥です。なぜなら、同時に起きていることを同時に表現し、相手にも同時に感得させることができないからです。
 これが絵画や写真では可能となります。部分部分の認知にはタイムラグがあるではないかという考え方も可能ですが、表現としては同時性が保証されますね。
 時間の前後関係があるということは、そこに「主語・述語の関係」や「因果関係」が想定されてしまいます。「色不異空」なら「色」が主語となり、「空」が述語となってしまう。また、「色即是空」なら「色」があるから「空」があるというような感じにも捉えられてしまう。
 そうした言語の限界を超えて「同時性」
や「等価性」を表現するために、あえて「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」と入れ替え繰り返しをしたのではないかと思ったのです。
 ということは、どういうことか。つまり、「色」と「空」が全く同時に存在している、現象しているということです。
 「色=空 , 空=色」
 そうなんです。数学の等式なら入れ替えが可能ですよね。つまり両辺が完全に等価(同時)であることを表現できます。
 しかし、数学ではなく漢文で表現しなくてはならないので、入れ替えて繰り返したわけです。
 では「色=空 , 空=色」とはどういうことかというと、今までのような「色は実は空である」というようなことではなく、う〜ん、それこそ文章で説明するのは難しいけれど、私の直観的なイメージとしてはですね、「空」が「うつ」なんですね。
 もっと分かりやすく言うと「器」。空っぽの器に「色」が注ぎ込まれている、あるいは盛られている状態とでも言いましょうか。
 結局前後関係、因果関係で表現するしかないのですが、「器」がないと「中身」を盛ることができない、逆に「器」があると「中身」が自然に入ってくるという感じです。
 すなわち、中身がそこにあるということは器を前提としているし、器がそこにあるということは結果として中身が盛られる。器がなければ中身もないし、中身がないということは器もないと。
 ほら、結局言語の落とし穴にはまってしまう(苦笑)。前提とか言ってるし。難しいけれど、とにかく全ての現象や感覚には、同時に「器」の存在を認めなければならないということですね。
 では、これがなぜ、昨日のBUMPやミクにつながっていくのか。そして、今日の自分の座禅とどう関係しているのか…。
 ちょっと長くなりそうなので、続きは明日付けの記事に書きましょう。
 
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.12

BUMP OF CHICKEN feat. HATSUNE MIKU 『ray』

 BUMPの3年3ヶ月ぶりの新譜「RAY」が発売されました。
 BUMPのCDは買わずともあるところからちょっと遅れて届くので、私はまだ聴いていません。
 どのように変わったのか、どのように変わらないのか、培ってきた彼ららしさの中から生まれる新しい彼ららしさに期待しております。
 新譜を手にする前に、アルバムタイトル曲の「ray」はPVとともに聴くことができました。

 おっと、シンセの音はフジファブリック調(特に「CHRONICLE」)ではないか!相変わらずシンプルなコード進行の上に、生き物のごとき自然な起伏のあるメロディーが乗っている佳曲であります。
 藤原くんの作るメロディーは、その詩における言葉のように、日常的(ある意味普通な)もののなかに、キラリと光る瞬間があって(まさにあるタイミングで突然「光線」が発せられる)、印象的です。
 今回、この「ray」に関しては、また別の興味深い「光線」がリリースされましたね。
 この「光線」は人によってはまぶしすぎるというか、ある種の違和感を与えているようです。
 そう、なんとあの「初音ミク」との共演(コラボ)バージョンが発表されたんですよね。

 まあ賛否両論あるのは当たり前。私はとにかく楽しみましたし、新しい可能性を感じましたね。
 基本、我が家はバンプもミクも好きな、つまりオタクな家族なので、みんな大興奮でした。
 これはバンプにとってもミクにとっても、特別な共演ですよね。それぞれ他のアーティスト(ボカロをそう呼んでいいかわかりませんが)と共演したことあるのかよく知りませんけれども、とにかく両大御所ミュージシャン(?)が、全く予想外にコラボしたことに驚きと喜びを禁じえません。
 そう、夢にも思わないというやつですね。夢で見たら「あ〜あ、バカな夢見ちゃった」ということになる。
 生身の人間と機械音(生声のサンプリングではありますが)との共演というのには、本当に新しい可能性を感じました。
 考えてみれば、まず楽器の世界においてそういうことが起こったわけですよね。100年ほど前に。
 生楽器と電子楽器の共演です。これも実は最初は賛否両論だった。いや、ほとんど否定的な感想だったわけです。
 しかし、今やそんな共演は当たり前…どころか、生楽器のサンプリング音源なんか、当たり前に使われています。
 そういう意味では、100年後は、たとえば藤くんの声のボーカロイドが普通に新曲を歌っているということもありえるのです(笑)。
 特にこの二人(?)の共演におけるスペシャルな興味は、藤原くんの「言葉に対するこだわり」が機械によってどのように表現されるかという点です。
 だからこそ、生の言葉、魂の言葉、肉声を大切にしてきた(と思われる)藤原くんがなんで〜?という反応があるわけでしょう。
 しかし、私はそれこそ予想外の感想を抱くに至りました。
 これが他のアーティスト、他の人の歌詞(言葉・日本語)だったら、やっぱり「ボカロ曲」の範疇を超え得なかっただろうなと。
 藤原くんの言葉だからこそ、初音ミクの新しい可能性が拓かれた。ヴァーチャルな存在である初音ミクが大きく成長したと。
 たしかに、今までも、美空ひばりと初音ミクの不思議な共通点について書いてきましたけれども、「ものまね(モノを招くという意味での)」の優れた「器」として、二人はたしかに人間のレベルを超えて素晴らしいのです。
 だからこそ、不思議と涙が出る(あとは中学生の合唱もそうです)。
 そんなミクの「純粋さ」「ひたむきさ」に、藤原くんの音楽、言葉、そしてBUMP OF CHICKENのバンドとしての「純粋さ」「ひたむきさ」がうまく共鳴したのだと思います。
 ま、それを一言で言えば「中二病」という愛すべき病(社会から見れば異形なのです)なんでしょうか。
 いやあ、それにしてもPVのミク、可愛いなあ(笑)。
 藤原信者もミク信者も、単純に「異性」との共演だったら、大炎上するところですが、この浮世離れした者どうしだったら、まあなんとなく許されてしまうところが面白いですね。

Amazon RAY

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.11

ワシは原発には反対の賛成なのだ!

Th_00120130128 3.11から3年。今日は巨大地震の発生した14時46分と、巨大津波が到達し始めた15時15分ごろから、私もいろいろな意味での祈りをこめて黙祷いたしました。
 そして、福島第一原発に津波の第一波が到達したのが15時27分ごろ。おそらくその後何度か押し寄せた津波によって、フクイチは全電源を喪失することになったのでしょう。
 そんな日に、こんなタイトルの記事を書くことは不謹慎と言われてもしかたありませんが、しかし、ある意味非常に重要なメッセージをこめるのに、このバカボンのパパの言葉は実に適切なのです。
 脱原発派とも受け取られている安倍昭恵さんとも、実はよくこの言葉を使って原発について語り合っています。
 「原発には反対の賛成」
 基本的に、昭恵さんも私の意見に賛同してくださっていると思います。
 いったいどういう意味なのでしょうか。
 まず「原発」という言葉。この解釈が肝心です。
 「原子力発電」は、違う言い方をすると「核発電」です。よく言われているように、日本では「nuclear」を、兵器利用の場合は「核」と訳し、平和利用の場合は「原子力」と訳し分けています。今、その意図については触れません。
 ここで「核爆弾」「核兵器」について考えてみると、その代表的な例として「原子爆弾(原爆)」と「水素爆弾(水爆)」が思い浮かびますね。
 この似て非なる両爆弾、言うまでもなく、基本的に原爆は核分裂反応によって、水素爆弾は核融合反応によって巨大なエネルギーを得ています。
 両爆弾ともに、巨大な破壊力があり、また「死の灰」を降らせるなど放射線による二次被害も出るイメージがありますが、実は水爆の場合、核融合を起こすための条件である超高温、超高圧の環境を得るために起爆装置として原爆が使われていて、その結果放射性物質が放出されているのです。核融合自体は放射性物質を(ほとんど)出さない…これは案外知られていない事実です。
 また、核分裂反応と核融合反応の大きな違いとして、その連鎖性の有無が挙げられます。原発事故で明らかになりましたとおり、核分裂反応は連鎖性があってコントロールが難しい。一方、核融合は反応を止めようと思えば比較的自由に止められる、すなわち反応に連鎖性がないのです。燃料をストップすれば反応も止まる。
 で、皆さんが反対したり、再稼働に賛成したりいろいろしている「原子力発電」とは、実は「核分裂炉発電」のことなんですね。今世界中にある「原発」は基本的に全て「核分裂炉」です。
 だから、3年前の原発事故のようなことが起き、現在まで、そして将来にわたって危険な影響が残るわけです。
 では、原発は原発でも「核融合炉発電」が実現したらどうでしょう。
 ここで冒頭のバカボンのパパの言葉に戻ります。
 「原発には反対の賛成」
 もうお分かりでしょう。私や昭恵さんは、「核分裂炉発電には反対だが、核融合炉発電には賛成」という立場なのです。
 先ほど書いた、放射性廃棄物の問題、反応の連鎖性に伴うアンコントローラブルな危険性を考えると、私も当然「核分裂炉発電」は今すぐにでも(やめられるなら)やめた方がいいと思います。
 ある科学者の方や、昭恵さんとも話しているのは、今はとにかく「原子力(核力)」は危険だというイメージになってしまっており、研究者も肩身の狭い思いをし、未来を担う子どもたちもそちらの道に進もうとは思わなくなってしまっている、また国としても研究予算を出しにくい状況になっている、そんな状況がとても残念だということです。
 そんな中、核融合に関する明るいニュースも入ってきました。昨年、世界で初めての「核融合炉発電所」の建設が日本で始まりました(こちらの記事参照)。2019年に運転開始の予定だそうです。
 さらに日本では核融合反応の原料となるリチウムを海水から分離・回収することに世界で初めて成功しました(こちら参照)。
 また、つい最近、アメリカの13歳の少年が自作の核融合炉で反応を確認したとのこと(こちら参照)。
 もちろん、この「夢のエネルギー」の実現には技術的な問題点や障壁がたくさんありますが、だからこそ日本の研究者には頑張ってもらいたいのです。
 核融合によって燃えているものの代表は、あの「太陽」です。もし人類が核融合反応を制御できるようになれば、まさに「地上の太陽」を手に入れることになります。
 日の丸の国、日本こそがその実現者になるような予感がするのは私だけでしょうか。いや、かの昭和の天才仲小路彰も21世紀は「太陽の世紀」であると述べ、核融合炉と女性という両「地上の太陽」が主役になって平和な地球が実現されると予言しています。
 さあ、皆さんもぜひ「核融合」の可能性について勉強してみてください。先のニュースで紹介されていた、JAEA日本原子力研究機構の那珂核融合研究所のホームページにある核融合入門をぜひご覧ください。
 私の妄想では、2020年の東京五輪の時には、核融合炉発電所が実用化され、その電力でリニアモーターカーを走らせることになっています(笑…いやマジです)。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.10

『東京五輪で日本はどこまで復活するのか』 市川宏雄  (メディアファクトリー新書)

20140311_92246 日は東京大空襲から69年目の日。
 たった2時間半の間に38万発を超える爆弾(焼夷弾)が投下され、10万人以上の一般市民(非戦闘員)が春先の強風にあおられた火炎の中で亡くなりました。
 その後も繰り返し空襲を受け、まさに焦土なった昭和20年の東京。
 それから19年後の昭和39年には、昨日書いたように新幹線も走り、高速道路も整備されて「平和の祭典」東京オリンピックが開催されました。
 ものすごい歴史の振幅ですね。日本という国は本当に恐ろしいほどの不思議な運命の中に生きています。
 昨日の記事のごとく、私はまさにその五輪の年に生まれました。10月5日、開通したばかりの新幹線で静岡から東京に戻っています。その時の記念乗車券などが最近実家で発見されたとのこと。
 そして10月10日、オリンピック開会式。まさに「戦後」を終わらせ、日本人に自信と誇りを取り戻させた五輪。この半世紀前の五輪をきっかけに、さまざまな分野で日本は大きく進歩しました。もちろんそれを先導したのが「東京」という都市。
 その新生東京も私と同い年ということで、今年50歳を迎えるわけです。私と同様、東京という都市もそろそろ体や脳みそにガタが出てきましたね。
 一方で、私も今や成長よりも成熟を心がけているわけでして、東京という街にもぜひそうなってもらいたいという気持ちがあります。ある意味、今までもこれからもライバル?
 そんな時、見事なタイミングで2020年東京五輪開催が決定しました。本当に、東京にとっても、私にとっても、すなわち日本にとっても日本国民にとっても、素晴らしいチャンスがやってきたという気がします。
 そんな次期東京五輪が私たちに与えてくれる素晴らしいプレゼントについて、本当に前向きに楽天的に紹介してくれているのがこの本です。昨日のリニア本の著者市川さんの最新刊。
 市川さん、リニア本でもそうでしたが、ある意味楽天的すぎるくらいのプラス思考でよい。
 もちろん、反論もたくさんあることでしょうけれども、そんなことは当たり前で、だからこそこういうプラス思考のオピニオンリーダーがいなくてはならないのです。
 というのは、私たちの未来はほとんど「気分」で決まるからです。この本にも、経済は「気分」で動いているというようなことが書かれています。
 私も、このブログで何度か集団心理ならぬ「集団気分」について書いてきました。個人の「気分」の集合体が未来を動かす原動力になっているという話です。
 みんながマイナス思考になれば、実際に世の中全体が暗く衰退していくし、みんながプラス思考になれば、明るく活発な世の中になっていく。これはいろいろなスケールで私たちが実体験していることだと思います。
 だからこそ、いろいろな心配、たとえば財政上のこと、地震や津波のこと、テロのことなど、当然想定されるリスクは事実として受け止めながらも、それを乗り越えていく、あるいは回避していくためにも、基本「なんとかなる」「絶対うまくいく」というプラス思考が大切だと思います。
 私は、「時間は未来から流れてくる」「原因は過去ではなく未来にある」という哲学をもって生きている人間ですから、特にそのように思うのです。
 そして、「未来に原因を作る」のは「言霊」だと思っています。こうして市川さんのように、明るい言霊を発することに非常に大きな意味を感じるのであります。
 皆さんもぜひこの本を読んで、「気分」を盛り上げてほしいと思います。
 私も自らの「気分」を具体的な「妄想」にして、それを「言霊」の力で現実化していくつもりでいます。けっこうマジで人生かけてます(笑)。ライバルであり盟友である「東京」のために裏で一肌脱ぎますよ。
 かの戦争も「気分」の集合によって動きました。第二次世界大戦からおよそ80年後に行われる東京五輪。人の人生の長さで言っても、ちょうど「戦後」の終焉を告げる頃ではないでしょうか。
 東京五輪が、我々人類の成熟を促し、戦争の時代に本当のピリオドを打つきっかけになることを願います。

Amazon 東京五輪で日本はどこまで復活するのか

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.09

『リニアが日本を改造する本当の理由』 市川宏雄 (メディアファクトリー新書)

Th__20140310_91115 日の続き。
 昨日も書いたように、私は以前はリニア反対論者でした。その最も大きな理由として、南アルプスを貫通するということに対する心配…それは決して科学的ではなく霊的な意味で…があったのですが、それに関してはその後どうも大丈夫らしいとの直観を得ました。
 すなわち…これは書いていいのか分かりませんが、結局貫通しないことになるということです(ああ、書いちゃった)。
 でしたら、私の第二の故郷(学生時代を過ごした)都留にある実験線、実験施設を活用して、リニアを全く違った発想で日本のために使えないかなと考えるようになりました。
 そこに降って湧いた2020年東京五輪の開催決定。そう、昨日書いたように私は50年前の東京五輪、そして新幹線開通に非常に深い縁があるのです。
 そして、今、富士山の北麓に住んでいる。
 そう、2020年までに東京–山梨間に先行開通させて、五輪にいらした方には、みんなリニアに乗って世界文化遺産、「和」=「Global Familism」の象徴富士山に足を運んでもらいたいのです。
 もちろん、富士山にはそれなりの(スペシャルな)「おもてなし」を用意します。それについてはまた後日。
 そんな壮大な国家プロジェクトについて妄想しております。そして、妄想実現党党首としては、人生かけて妄想を現実化します(って、どんだけ中二病なんだよ…笑)。
 ま、それは6年後にお笑いのタネにでもしていただければいいとして、実際問題、JR東海の計画(2027年東京名古屋開通)を前倒しにして、そんなことが可能になるのでしょうか。
 シロウト予想としては可能です。
 東京都内に関しては、この本にもあるように大深度地下に関しては用地買収の必要はありません。あとは日本が誇る掘削技術で相模原付近までは3年あれば充分に掘り抜けるでしょう。
 山梨の駅は甲府市南部に決定していますが、これこれでJRに作ってもらうとして、せっかく現在ある都留の実験施設を駅に改造し、そこから富士山、富士五湖方面へのアクセス基地を作ります。
 実験施設はちょうど高速道路と交差していますから、そこにバスターミナルを作るもよし、あるいは高速道路を2階建てにして、新交通システム(たとえばミニリニアなど)を走らせるもよし。
 もし、新相模原駅に止まらず直行すれば、たぶん品川を発車して20分後には都留(新富士山駅?)に到着です。そこからバスで15分足らずで富士急ハイランド付近ですからね。
 もし200キロ走行可能なミニリニアなら10分かからず山中湖です。
 面白いでしょう。乗り換え含めれば、なんだかんだ50分くらいかかると思いますが、それでも都心から1時間かからず富士山に来れるとなれば、これは間違いなく皆さんいらっしゃるでしょう。
 と、こんな妄想をしています。先に書いておきましょう。パクっていただいても構いません。その先にある「おもてなし」はまだナイショですが。
 この本は、そんな「新・夢の超特急」の素晴らしい可能性をたくさん紹介しています。なるほど、新たな日本の体幹になって、列島を改造する原動力になるでしょうし、東海道新幹線のバイパスとして、必ず来る東南海地震や、老朽化対策による東海道新幹線の営業停止に備える意味もありましょう。
 経済波及効果も莫大なものになると見込んでいますし、地方のあり方も変わるでしょうね。
 巻末にあった架空の物語(名古屋から東京に通勤するサラリーマンの生活シミュレーション)は、なかなかリアルで面白かった。たしかに夢がありますね。
 ま、もちろん、それらは計画通りに、東京、名古屋、大阪が一本で結ばれた場合ですけれど(南アルプス貫通しないとはどういうことなんでしょうね…と、自分に聞いてみる)。
 この本、マイナス面はほんの少ししか書かれていません。そちらについてはもうすぐ別の方によるリニア反対本が出るので、そちらで勉強してみます。
 いずれにせよ、私の妄想は実現するのか。皆さんもお楽しみに(笑)。

Amazon リニアが日本を改造する本当の理由
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.08

『新幹線とナショナリズム』 藤井聡 (朝日新書)

Th_15178 が生まれて1ヶ月半後(1964年10月1日)に開通した東海道新幹線。
 言うまでもなくその年、東京五輪が開催されました。当時、私の両親は東京に住んでおりましたが、なんでもその年の夏は、東京が大変な水不足だったそうで、東京では出産もままならぬということか、母は里帰り出産をすることにしました。静岡県の焼津市です。
 そして、母は出産後2ヶ月くらい実家にいて東京に帰ったのは新幹線開通後。
 そうです。10月5日、私は開通したばかりの東海道新幹線に乗って、東京に帰ってきたのです(とは言っても、もちろん記憶はありませんが…笑)。
 それからそろそろ50年。半世紀が経とうとしています。そして、不思議なもので、私は新たなる「新幹線」に関わることになりそうなのです。
 その話はあとでするとしまして、その前にこの本、なんとも面白いですよね。内容と出版社の関係が。
 著者の藤井さんは言うまでもなく、現安倍政権の内閣官房参与。国土強靭化を唱える方です。
 「安倍内閣」「新幹線」「ナショナリズム」…このキーワードが並んでいるのに、出版社が「朝日新聞出版」。意外な取り合わせですよね(笑)。
 実際、公共事業や新幹線整備計画を快く書かないマスコミ、ジャーナリズムについての言及がこの本にはあります。
 呉越同舟というか、なんとも不思議な感じがしないでもありません。まあ、ある意味、もうそういう二元論的対立の時代は終わっているんでしょうね。
 というわけで、この本ではけっこう「ナショナリズム」について肯定的に書かれています。そして、現代のナショナリズムのために、「新幹線」は非常に重要なきっかけになってきたし、これからもなるであろうと。
 私は、藤井さんの言う「ナショナリズム」について、たしかに憧れのようなものを感じます。学問的に正しいかどうかは別として、それを一種の「家族主義」に例えられているからです。
 2020年の東京五輪に向けて、今、私は自分のできる範囲で協力すべく動き始めています。その中で、特に重視しているのは、オリンピックの持つ「文化」と「教育」の側面です(肝心のスポーツについては専門家にお任せします)。
 この本でも、半世紀前に「夢の超特急」を現実化した十河信二さんの「モラールは文化の魂、技術は文化の肉体」という言葉が紹介されています(本書では「魂」が「塊」になっているのですが誤字ですよね)。
 次期東京五輪で私たちが示すべきものの一つに「日本の文化性の高さ」があると思っています。
 文化の「魂」については、やはり「和」「平和」でしょう。その象徴が「富士山」。東海道新幹線の時も、富士山は日本文化の象徴として、その背景に使われましたが、次回はもっと積極的な意味で活躍してもらいましょう。それについては後日、具体的になったら紹介します。
 文化の「肉体」については、これは日本の科学・工業技術ですよね。新たな「新幹線」ということで、リニア中央新幹線に登場願いましょう。
 そう、2020年までに東京–山梨間の部分開通を実現したい!そのために…。
 おやおや?と思われる方もいらっしゃるでしょうね。なにしろ、私は3年前にはこちらで、リニアモーターカーを「原発以上の愚」「アホプロジェクト」と散々バカにしているのですから。
 言い訳はしません。3年の間に私はずいぶん変わりました。原発についても単純に反対ではなく「反対の賛成!」になりましたし、リニアについては、もう始まってしまったのだから反対するのではなく、私のポリシー「批判するヒマがあったら相手を変える」に則って、リニア自体の意味や計画を変えてしまおうと考えるようになりました。
 この2年くらいの間に、私は富士山やリニアや五輪に特別な意味を見出す経験をたくさんしました。これは自分で言うのもなんですが「進化」「成長」だと思います。
 ま、そんなわけで、今はリニア中央新幹線について部分的に促進派になっているのです。
 では、藤井さんの言うように、「新幹線」や「五輪」や「富士山」で「ナショナリズム」を喚起せよ!と言いたいのかというと、微妙に違うんですがね。
 「ナショナリズム」という言葉は使いたくないんです。「家族主義」はいいのですが、それを今度は、人類の半世紀の進化の証として、「地球的家族主義」にしたいので。グローバル・ファミリズムとでも言っておきましょうか。
 しかし、この本が、そうした私の展望(妄想)に多くのヒントを与えてくれたのは事実です。
 藤井内閣官房参与にはそんな感謝の意を伝えるとともに、日本の未来の展望について、ぜひともお話をさせていただきたいですね。

Amazon 新幹線とナショナリズム

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.07

音楽における神と悪魔と人間…その2(佐村河内守さんの記者会見を見て)

Th_2014030800000009spnannex0007view 日の話題を一気にさらってしまった感のある佐村河内守さんの記者会見。
 完全とは言えずとも、神か悪魔か知らないが「つきもの」の取れた佐村河内氏は、その見た目からして抜け殻のようになっておりましたね。
 以前、新垣隆さんの記者会見を見てに書いたとおり、今回の事件には人知を超えたところでの音楽の働きが関与しているので、ただ単純にどっちが悪いとか、とんでもない野郎だとかいうのは、まあ言うは簡単、無責任というものです。
 私たちはちゃんと本質をとらえないと。
 今までもたくさんの音楽家たちが、音楽に魅入られ、取り憑かれておかしなことをしでかしたり、命を失ったり、奪ったりしてきました。
 特に天才的な才能を持った人たち。モーツァルトとサリエリの物語を思い出すまでもなく(佐村河内が天才かどうか…これは微妙ですが)。
 そう、考えてみると、かの天才志村正彦も、最後は音楽に命を奪われた、いや、音楽に殉教したと言ってもいいかもしれない。
 彼は、亡くなる1週間くらい前から、ある種異様な状況に置かれていたようです。すなわち、音楽や詩がどんどん降ってきてしまい、それを受け止めるのに精一杯になっていたということです。
 そうなると、眠ってしまうのも罪のような気がしてしまう。友だちと呑んでいる時間ももったいない。というか、申し訳ない。なぜなら、神が目の前に降臨しているのだから。無視できるわけないじゃないですか。
 天才とは、そうして神や悪魔と1対1で対峙し、闘わなければならない存在なのです。
 おそらく、佐村河内氏の前にも、神か悪魔が降臨していたのだと思います。今日の会見にもあったように、自分がどんどん巨大化して、制御できなくなってしまう状態。それは、彼に限らず人間ならば、なかなか抜け出せない状況でしょう。
 まあ、レベルは違いますが、私もなんだか他力によってトントン拍子にコトが進むことが多々ある(特に最近)のですが、そういう時には、なるべく自我を消すように気をつけています。
 すなわち、自己を意識しすぎることによって、自己を食い物にして肥大化する自己という、どうにも止まらない循環を断ち切るためです。
 私はなんちゃって禅をやってきたおかげか、比較的そういう無我の境地を「作る」のが得意なのですが、あくまでも「作る」ものなので、かなり注意していないと、ちょっとした破れ目から暴走する危険性があります。けっこうギリギリのところでやってます(笑)。
 結局、佐村河内氏も新垣氏も、音楽という甘美なる神か悪魔かが目前に出現し、それぞれの精神が各々の精神自身を食い物にして巨大化し、巨大化すればまたさらに多くの精神が必要とされ、そして…というスパイラルに陥ってしまったのでしょうね。
 そんな自分たちをなんとかこの世の掟の中に収めるために、嘘というメッキを身にまとったのでありましょう。
 私は、そんな彼らにある種の同情を抱くとともに、一方で不思議なジェラシーをも抱くのであります。
 なぜなら、彼らを食い物にして育った彼ら自身の精神を器にして、その神か悪魔自身かもまた、さらにさらに甘美さを増し、歴史に残る音の組み合わせに姿を変えて私たちの耳に届くことになったからです。
 そういう意味では、二人の悪業を代償として生まれた罪深い(からこそ美しい)音楽たちなのかもしれません。本当のゴーストライターは、まさに「ゴースト」であったのではないでしょうか。
 音楽自身には罪はないというような言い方もされましたが、実は音楽にこそ罪があったのでありましょう。
 ところで、ふと今思ったのですが…私、今いろいろな分野で新垣氏のような立場になることが多々ありまして(って言っちゃってるじゃん…笑)、先ほど書いたように、ワタクシを捨てて「どんどん手柄は持って行ってください」と言っているんですよ。
 でも、これって、そんな私利私欲を捨てた自分に酔っているのかもしれないし、ある意味では、佐村河内氏を生むような行為をしているのかもしれないなと思いました。
 いや、手柄を得る人も私利私欲なしでやってるのだから、いいのか…人に迷惑かけているわけではないし。世のため人のためだから…でもなあ、付随してとんでもない量の人やカネが動くとも言えるしなあ。
 というわけで、こうして少しずつ小出しにしていけばいいのかと(笑)。ま、とにかくいろいろ考えさせられる記者会見でした。お二人と音楽の神(悪魔)に感謝であります。


| | コメント (1) | トラックバック (0)

2014.03.06

『日米関係はどこへ ~ケネディ駐日大使に聞く~』 (NHK クローズアップ現代)

Th_pn2014030601002391ci0003 ャロライン・ケネディ駐日大使が、NHKのクローズアップ現代に出演されました。
 私は、ケネディさんが「何を」話すかよりも、「どのように」話すかに興味がありました。
 そして、拝見した感想はというと…正直感動しました。
 その「何を」や「どのように」は、ぜひこちらで確認してください(いずれテキストと動画が掲載されるはずです)。
 「何を」話すかという点に関しては、もうだいたい予想できていましたし、実際予想通りでした。今までの発言どおりということです。
 これは米国の駐日大使として当然のことです。もちろん、今までの駐日大使の「男性政治屋」的な発言とは趣は違うわけですが、究極的には米国の国益を代表する立場としての「正解」を語っておられました。
 私が感動したのは、やはり「どのように」の部分です。もう少し具体的に言うと「たたずまい」「語り口」、さらに言えば「笑顔」ということでしょうか。
 まず画面に登場した時から、普通でないオーラが出ていた。会長や経営委員の発言で出演交渉が難航していると聞いていましたが、そんなことは全く感じさせない素晴らしい笑顔。
 笑顔の質が違うのです。もちろん、誰であっても笑顔を作るべきシーンではありますけれども、その作られた笑顔であっても、できあがった結果に重みがある。笑顔に重みがあるというのも変な話ですが(笑)。
 私も本当にたくさんの方々にお会いしてきました。特に最近はスケールの大きな方との出会いが多い。
 そんな出会いの中で、「あっ、この人は本物だな」と思うことがたびたびあります。
 その判断基準…いや、もっと直観的なものなのですが…は、「笑顔の重み」なのです。
 逆に言うと、「笑顔が軽い」人は、どうもダメ(笑)。そういう方は、こちらがじっと目を見つめると、必ず目をそらし始めます。そして、だんだん逃げるように消えていく…なんて、別に皆さんを常にこうして試しているわけではありませんよ。
 かっこ良く言えば「審神(さにわ)」しているのです…その方がもっと嫌がられるか(笑)。
 ま、それは半分冗談として、本当の超一流の方々とお会いする機会が増えるにつれ、本当にその方の背後にあるモノ(何か)を見る、いや感じることが多くなってきました。
 そういう意味で、やはりキャロライン・ケネディさんは「本物」だと感じました。
 ある方に、アメリカにおけるケネディ家は、日本で言えば皇室のような存在だと聞きました。なるほど、そういうたたずまいをお持ちでしたね。まさに笑顔の重み(軽みの中の重みとでも言いましょうか)にそれを感じました。
 テレビを通じてもこれほどのオーラを感じるのですから、実際お会いしたら涙が出てしまうかもしれません。
 ちなみに妄想実現党の党首であるワタクシは、今年中にケネディさんにお会いする予定です(笑)。
 いや、冗談ではなくて、太陽の世紀たる21世紀のキーワードとして「女性」というものがありまして、それについて、安倍昭恵さんとよく話をしているのです。そんな中ケネディさんの話題も出てきますので、単なる妄想ではなく、実際にそういう機会が必要になってくるかもしれないのです。
 ただ、今日、番組を拝見しながら懸念を抱いたのは、そのようなノーブルな方だからこそ、悪の勢力にも狙われ、利用されることもあるだろうなということ。
 特に、本国を離れている時は危険です。ある意味「結界」が脆弱になりますから。
 また、逆に言えば、日本にとってケネディさんが駐日している間がチャンスでもあります。そういう予感もしました。
 こういうアヤシい話については、一笑に付してくださっても結構です。しかし、実際のところ、世界の最先端、最高峰の部分では、我々庶民では計り知れない次元での攻防がなされているものです。
 …と、テレビの一番組ではありましたが、いろいろ感じることがありましたので、今日はあえてここに「言挙げ」しておきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.05

『ガンバリ先生に贈るママとの正しいつきあい方 ~教育現場の危機管理と信頼関係~』 星幸広 (マイナビ)

Th__20140306_113342 日は実用的な本。教師のための本ですが、案外他の職業の方にも、あるいは親業に従事している立場の方にも有用なのではないでしょうか。
 私は、基本的に生徒の保護者の方々との様々な話し合いや折衝を楽しめる人間だと思います。
 世の中では、モンスターペアレントとか、クレーマーとか言って片付けてしまうような方々のことが、心から好きです(笑)。
 いや、本当に。なぜなら、そういう方々はとにかく「愛」が深いのです。子どもを愛したいし、学校を愛したいし、先生を愛したい、そして、その反面、ご自身も愛されたいという気持ちが強い。
 つまり、とっても人間的なのです。
 私はそれが自然な人間の姿だと思っています。まさに「自然」なのです。自然は「愛」に満ちています。愛したいし、愛されたいのが自然です。
 自然の場合は、その「愛」が恵みだけでなく、災害として表れることもある。それを日本古来の神道では、「和魂(にぎみたま)」と「荒魂(あらみたま)」と言います(最近、よく出てきますね、この二つの言葉)。
 私にとっては、その荒魂も「愛」の表現ですから、その「愛」に気づき、こちらも「愛」をもって接して、荒魂を和魂に変えるようにすればよいのです。
 先日もどこかに書きましたが、「荒魂」はなくなれば良いわけではありません。おそらく西洋近代文明はそれを抑えこむように発達してきたと思います。災害や病気や犯罪のことを考えればよく分かります。
 しかし、結果として「戦争」という最も忌むべき荒魂を発動させてることになってしまったのは、皮肉というか、いや当然のことですね。
 だいぶ話が教育現場から離れてしまうようですが、実はこの「荒魂」のコントロールが「祭」であり、「まつりごと」なのでした。
 私にとっては、生徒のケンカも問題行動も、親子の軋轢も、そしてモンスターやクレーマーも、愛すべき「荒魂」であり、それに対する現場というのは、まさに「祭の場」なのであります。
 こんなこと言うと、いったいどんなセンセイなんだと心配されてしまいそうですが、実際そう思ってそうやってきて、まあうまく「教育」システムが(生徒にも親にも先生にも)働いているので、これはこれで自信を持っているところです。
 そういう意味で、「何かあったらチャンスと思え」「何かあった時のみが成長のチャンス」といつも職員室で言っております。
 さてさて、この本もまた、基本私と同じような視点に立っていますね。とても共感できました。もちろん、言葉は違いますが。
 紙の本にしてたった35ページですから、誰でもすんなり読めますし、なにしろその中に非常に本質的なことと、実用的な技術が書いてあるのでおススメです。
 モンスター・ペアレントという言葉を発明したある方とは、私はある意味犬猿の仲(すなわちホントは相思相愛?w)で、あなたこそモンスターでしょと言いたいわけですが(笑)、考えてみると「モンスター」の「モン」と日本語の「モノ」の語源は一緒かもしれないんですよね(こちらの記事参照)。
 私は「コトよりモノ」とずっと言ってきているし、結局モンスターが好きなんですよね。まさに「モノ好き」っていうことですか(笑)。

学校の先生におススメする関係図書
 小野田正利『悲鳴をあげる学校』
 星 幸広『実践 学校危機管理―現場対応マニュアル』

Amazon ガンバリ先生に贈るママとの正しいつきあい方

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.04

『燃える闘魂』 稲盛和夫 (毎日新聞社)

Th_201310010002_000_m 間風車ビル・ロビンソンさんがお亡くなりになりました。また一つ「燃える闘魂」のレジェンドの火がこの世から消えてしまいました。
 今月末に久しぶりに来日し、トークショーやセミナーなどを開催する予定で、私たち夫婦も参加する予定だったのに、非常に残念です。残念すぎます。
 私にとっては、まさに伝説の人、雲の上の人だったわけですが、宮戸優光さんとのご縁で、一昨年の夏、初めてロビンソンさんにお会いする機会がありました。素晴らしいお話をうかがえた上に、背中にサインまでしていただくという、本当に夢のような時間を過ごさせていただきました。
 その時の記事がこちらなのですが、そこで書いた「最後の(?)」の言葉が残念ながら本当になってしまいました。
 心よりご冥福をお祈りするとともに、私の人生に大きな影響を与えてくださったことに感謝申し上げます。
 そんな哀しい日に、この本をちょうど読み終えました。「燃える闘魂」と言えば、ロビンソンさんの良きライバルであり盟友であるアントニオ猪木さん。不思議なシンクロに驚きました。
 経営とプロレス、一見全く関係がないようにも思えますが、この本を読めば、ロビンソンさんはまさに稲盛さんのおっしゃる生き方をされたのだと分かるでしょう。
 すなわち、「徳に制御された『燃える闘魂』」です。
 稲盛さんは、「世のため、人のため」「利他」「知足」という「徳」を基本に据え、「燃える闘魂」をもって経営(仕事)に臨めと言います。
 仕事、会社経営も「闘い」であることはたしかです。しかし、ただ他者を蹴落とし自分だけが勝者になれば良いというものではない。
 プロレスリングも単純な勝敗論の世界ではありませんね。観客を満足させるために、相手の良いところも引き出さねばなりませんし、説得力のあるストーリー性をも創造しなければなりません。
 プロレスは「利己」では成立しないのです。
0015346700088621s ロビンソンさんは、プロレスを「フィジカル・チェス」と称しました。肉体で行う頭脳的なゲームということです。物理的な力だけでなく、知識、技術をもって相手の動きをコントロールしていく。
 この言葉は、プロレスが単なるスポーツと大きく違って、ある種の芸術性や文化性、あるいは宗教性や教育性を帯びた総合的なモノであることを示しています。
 私は、プロレスを世界の縮図のごとく見ているのですが、やはりその中で生き抜いていくためには、「徳」が必要だと感じています。
 私もそういう意味で多くの徳ある方々にお会いしてきましたが、そうした方々はある種特別なオーラを発しているものです。
 ロビンソンさんは、まさにそうしたオーラをまとった方でした。理屈ではなく、それを体感できたことは、私にとっては本当に幸せなことでした。
 稲盛和夫さんについては、最近テレビでインタビューを拝見し、その内容をこちらに紹介しました。そこにも「利己」はマイナス、「利他」はプラスということを書きましたね。
 おそらくはロビンソンさんも、フィジカル・チェスで勝利を得るために、稲盛さんのおっしゃる「かけ算」に賛意を表するでしょう。

 人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力

 考え方がマイナスになってしまっては勝利できない。ピンチこそプラス思考、すなわち「利他」の精神…レスリングで言えば、相手の動きを利用したり、相手の動きをあえて誘ったりすることにもつながるでしょう…で闘う。
 人生のあり方、いや、人類のあり方に大きなヒントを与えてくれたビル・ロビンソンさんに改めて感謝いたします。安らかにお眠りください。そして、天国で友人たちとフィジカル・チェスを楽しんで下さい。

Amazon 燃える闘魂

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.03

もう一つの富士山(その11)…食行身禄の未来性

P_0240 日は3月3日。ひなまつりですね。
 昭和3年の3月3日。出口王仁三郎は「みろく下生」を宣言しました。この日は、王仁三郎が生まれてちょうど56年7ヶ月目。大本では「五六七」を「みろく」と読ませます。
 そう、弥勒菩薩は釈迦の入滅後56億7千万年後に下生すると言われているからですね。
 それが早まって「今」下生したと宣言したのは王仁三郎だけではありません。
 戦国時代にもいわゆる「下生信仰」は盛んになりましたが、最も有名な「下生宣言」は江戸時代、富士講の中興の祖と言ってもよい食行身禄(じきぎょうみろく)によるものでしょう。
 食行身禄は伊勢国の出身。江戸で修行ののち、1730(享保14)年に富士山に登った際、山頂にて富士仙元大菩薩と出会い「入定(にゅうじょう)」を志します。
 その後、弥勒下生を宣言して1733年、富士山の烏帽子岩で断食を始め、35日後修行した姿のまま亡くなりました(すわなち入定した)。
 難しいことは専門書に譲るとしまして、私として興味を持つのは、食行身禄の思想です。彼の教義はそれまでの弥勒信仰とは違い、ただ祈るだけではなく、正直に利他の精神をもって勤労に励めというものでした。
 また、富士山への女人登山を解禁して男女平等を説いたり、身分制度に反対して四民平等を唱えたり、勤労観も含めて、150年後の共産主義運動を思わせるような内容になっています。
 呪術や加持祈祷を否定したあたりも、唯物論的で面白いですよね。
 そして、富士山は、富士講を通じて、実際にそういう思想の象徴となっていくわけです。
 当時は浮世絵の隆盛期にもあたるわけですが、そちらの富士山ブームにも、現実社会から遠く乖離した理想郷(ユートピア)思想が見え隠れします。
 当然、そこには、秦から桃源郷を夢見て渡来した徐福伝説ブームなども関わってくるわけですね。
 そんなある種共産主義的なイコンとなっていた富士山が、のちに「防共の砦」となるわけですから、歴史の皮肉というか、人間の身勝手さのようなものを感じざるを得ません。
 昭和3年というのは、まさにそのような「反共」の動きのある頃でした。ですから、出口王仁三郎の「みろく下生」宣言は食行身禄の思想を復活させるという一面もあったわけです。
 もちろん、食行身禄や王仁三郎の思想を「左」だ「右」だと決めつけることは不可能ですけれども、日本の歴史における「ユートピア思想」の起伏を考えるのには、面白い人物であると言えるでしょう。
 さらに言えば、両者の特徴として、ユートピアを幻想ではなく現実としてとらえ、それに至る具体的な道や方法を示したことでしょう。
 そういう意味では、非常に近現代的である、いや未来的であると言えるかもしれませんね。
 そして、全国、いや世界をも股にかけた王仁三郎が、一度も富士山に登っていない、いや富士山麓にすら来ていない謎に、私はどうしても惹かれてしまうのであります。
 その答えはもうすぐ出るかもしれません。

Amazon 富士山文化――その信仰遺跡を歩く


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.02

絹の話&「クリエイターのクアドラント(四分円)」

 TEDを紹介するNHKのスーパープレゼンテーション。今日再放送されていたのは、フィオレンツォ・オメネットさんの「Silk, the ancient material of the future 絹~大昔からある素材、それは未来の素材」でした。
 もちろん私はこんな早い英語は聞き取れませんし、こちらでスクリプトを読んでもすんなりとは分かりませんが、まあとにかく古くさいと思われがちな「絹」が、とんでもない最先端のハイテク素材になりうるという話ですよね。
 科学という「コト」を窮めていくと、やはり自然という「モノ」に至るのだなあ…と、いつもの感動につながるのでした。
 最近、絹と関わることがあったのでまた興味津々。そう言えば、皇后さまの養蚕のご様子が初めて公開されましたよね。
 昨日も参拝しましたが、大正天皇の皇后さま、昭和天皇のお母様であった貞明皇后さまも、養蚕、絹織物に造詣が深くていらっしゃった。ちょっと前にこちらで和歌も含めて紹介しましたね。
 そうそう、最近、短歌雑誌「未来」に投稿したワタクシの拙歌。ちょっとおふざけ入ってますが(笑)。

 小石丸紅葉山より逃げ出でて
     東京タワーでモスラと成れり

 モスラの吐く糸も有効利用すればいいですよね。いずれにせよ、シルクロードは未来に向けてまだまだ続いているのでした。
 さてさてオメネットさんのプレゼン自体も面白かったし興味深かったのですが、番組での、MITメディアラボ所長伊藤穰一さんの解説が勉強になりました。
Th__20140303_65605 中でも、オメネットさんが「クアドラント(四分円)と呼んでいる創造性にまつわる4つの才能のジャンルについて上手にバランスをとっている」という話。
 アーティスト(芸術家)は、自分のやり方で自由に真理を追究する。サイエンティスト(科学者)は、科学を通じて真理を追究する。真理の追究という意味では両者は似ている。
 デザイナーは制約のある中で社会性を追究する。エンジニアも制約の中で社会で役立つ物づくりをしますよね。だから両者は似ていると。
 しかし、図で言うと縦や対角線のつながりはあまりないようです。以下、伊藤さんのお言葉。
 「この4つの分野の人たち全員は、なかなか一緒に仕事をすることができません。企業もこの4つの分野を、縦割りにしていたりします。一方、4つの分野すべてができるような人は、科学からインスパイアされてデザインや工学をしたり、アートからインスパイアされて科学をしたりできます。フィオレンツォは、まさにそんな人です。この4分野を全部カバーできる人は珍しいですが、これからの世の中にとって必要なタイプだと思います」
 かっこつけると、私の理想はこの4分野を統括するような人間になることです。そう簡単ではありませんが、それぞれの理解はできているつもりなので、なんとか全体をコーディネートしたりプロデュースしたり、そんなことをやってみたいですね。
Th_wwwningenclub この創造性の四分円、日本古来の一霊四魂にも重なってきそうですよね。
 この図でいう愛、勇、親、智はそれぞれ幸魂、荒魂、和魂、奇魂にあたります。
 そちらで言うなら、四魂の真ん中というか、一つ上の次元にあるという「直霊(なおひ)」が理想ということですね。
 これはそんなに簡単な話ではありません。しかし、先ほども書いたとおり、最後は自然に学べばいいんですよ。コト(人間的研鑽)を積んでいくと、向こうからモノ(自然的摂理)がやってくるのでしょう。
 またまた「天命は人事を尽くすを待つ」ということになりましたね。

Amazon ココロの相性がわかる 四魂診断

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.03.01

SWITCHインタビュー 達人達(たち)「野村萬斎×市川猿之助」(NHK)

Th_20140301_150121 日は仕事が終わってから東京へ。まずは雪の武蔵陵墓地参拝。先日の大雪の影響で松の大木が何本か倒れていました。
 自然の荒魂とともに、純白の真綿に包まれたような和魂をも感じました。
 誰もいない昭和天皇の御陵でじっくり対話。「鎮霊社や良し」とのお言葉をいただき、そのまま市ヶ谷へ。靖国の本殿より先に、鎮霊社・元宮を遥拝。
Th_20140301_165516 なるほど、鎮霊社の発想をもっと高次元で具現化せねば。
 一口に英霊とは申しますが、本当に多様な思いがあるのです。現代の靖国論議はあまりに矮小化されている。それを論じる個人個人の主体というとんでもなく小さな世界観の衝突によって、大きなモノが危うい方向に動くことを、英霊は正直苦々しく思っておられます。
 様々な思いは御柱の数だけあるとしても、その不満と危惧は共通しているのです。
Th_20140301_215509 その後、私は四ツ谷のオテル・ドゥ・ミクニに向かいました。ある方にご招待いただき、素晴らしいお料理とお酒をいただきながらの「四谷会談(怪談)」。
 最後は三國シェフも交えて、日本の未来について大切なお話をさせていただきました。本当にありがたく、また身に余る幸せな時間を過ごすとともに、ますますわたくしを捨てて地球のために頑張らねばと覚悟をあらたにしました。
 会談(怪談)が終わって、録画してあったこちらの「対談」を観ました。これまた、グッドタイミングでいろいろなことを学ぶ機会となりました。
 SWITCHインタビュー 達人達(たち)「野村萬斎×市川猿之助」
Th__20140302_90822 いやあ、2020年の東京五輪の開会式、彼ら二人に演出してもらいたいなあ。すごい…若いのにすごい。
 もちろん、狂言と歌舞伎の文化的な違いや相互補完関係なども面白く拝見したのですが、やはり「型」の話が面白く納得でしたね。
 昨日の「天命は人事を尽くすを待つ」の話にも通じます。

 「制約があった方が新しものは生まれますよね」(猿之助)
 「秘すれば花、珍しきは花」(萬斎)
 「『型』っていうのはものを学ぶ上での最短コース』(猿之助)
 「何もないということは想像の余地がある」(萬斎)

 これらはまさに、「コトを窮めてモノに至る」に通じると思いました。彼らがまずは伝統的な「型」を完璧に近く学び、そこから「型」を破っていく。カタはコトと同源です。

 「(過去の英知)に自分を合わせていくことによって、自分の可能性を大きくする」(萬斎)
 「先輩から譲り受けたものを次世代に受け渡すことは最低限の責任。それ以上は知らない」(猿之助)

 まさに「天命(未来)は人事(今)を尽くすを待つ」ではないですか。
 お二人に共通していたのは「今」。それもいわゆる「中今」ですね。過去とのつながりにおける「今」。そして、未来につながる「今」。
 本物の言葉は重いなあ。今日は一日を通して、超一流の方々のお話を聴く機会を得ました。また、亡くなった方々の言葉も多く受け止めることができました。
 さあ、私も譲り受けたものをしっかり次世代に受け渡さなくてはなりません。頑張ります。命かけます。

達人達 公式

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »