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2014.02.28

天命は人事を尽くすを待つ

20140301_104017 日は我が高校の卒業式でした。2月中に行われるということで県内では最も早い卒業式です。
 今年度は創立50周年の年であり、しかし一方で理事長の逝去があり、まさに激動、悲喜こもごもの1年でありました。
 そんな中での卒業式ということで、私としましても一際感慨深いものがありました。
 式典の中には様々な言葉が卒業生へのはなむけとして贈られましたが、今年も最も印象に残ったのは、我が校の名誉校長であり、岐阜の名刹正眼寺の住職である山川宗玄老大師のお言葉でした。
 昨年の卒業式での「過去は滓(カス)だ」にも大きな衝撃と感銘を受けましたけれども、今年もまた名言を残していってくださいました。

「天命は人事を尽くすを待つ」

 もちろん、「人事を尽くして天命を待つ」が元になっている言葉です。老師は「人事を尽くして天命を待つ」の私的解釈として、「天命は人事を尽くすを待つ」とおっしゃりました。
 すなわち、人事を尽くさねば天命はやってこないということですね。たしかに「人事を尽くして天命を待つ」の裏には、「だから人事を尽くしなさい」というニュアンスがあります。
 しかし、それを「天命」を主語とすることよって、さらに断定的、核心的にしたのが老師のお言葉です。
 ここでまたワタクシの「モノ・コト論」が登場してしまい、お目汚しとなってしまいますが、「人事」とはまさに「コト」であり、「天命」とは「モノ」です。すなわち、人事は自己の意思に基づいた行動であり、天命は自己の意思とは無関係の他者(神仏、自然)の意思ということになります。
 私はことあるごとに、「コトを窮めてモノに至る」と言ってきました。これがなかなか理解してもらえなかったわけですが、このたび老師のお言葉で、自分自身も「なるほど」と得心したのであります。
 禅は、自己を究極まで探求していくと、最終的に自己を離れて、自己の補集合たる宇宙に還っていくというものだとも言えます。
 または形式(カタ=コト)を徹底していくと、そこに無限の多様性や個性が顕現するものだとも言えましょう。
 主語が「コト」から「モノ」になっていくのです。
 私のような野狐禅、いやそれ以下の野狸禅者が、本物の老大師さまのお言葉に対して偉そうなことは言えませんけれども、本当に肚にストンと落ちました。悟ったのかな(笑)。
 昨年もそうでしたが、こうして老師のお言葉に不思議な共鳴を覚えるのは、やはり、私の人生観、あるいは(ハッタリですが)哲学のようなものに、禅が大きく影響を与えているからに違いありません。
 そうした禅的な発想から言えば、「人事を尽くしたから、あとは天命を待つだけ」ということもあり得ないのかもしれません。
 「人事を尽くす」とはどこまでのことなのか、「天命を待つ」境地というのは本当にあるのか…。
 その問い自身が禅そのものでもあるはずです。
 老師は、亡くなられた本学園の理事長の言葉を何度も繰り返しました。
 「精いっぱい、力いっぱい」
 そのように生きた者だけが、今起きていることを天からの授かりものとして素直に受け止めることができるのでしょう。
 卒業生諸君、卒業おめでとう。お互い死ぬ時に天命を感じられるよう「精いっぱい、力いっぱい」今を生きようではありませんか。

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