「怒ってはならない」…十七条憲法の第十条
雪かきというか、車の救出に時間と体力を奪われましたので、今日こそ短めに。
おととい、昨日の続きとも言えましょう。人との関わり方。私もモットー。
昨日は聖徳太子の十七条憲法の第一条を引用して「言挙げ」の解説をしました。今日は第十条を読んでみましょう。
私もそうですが、誰でも聖徳太子の十七条憲法の名前と第一条の冒頭は知っていても、そのあとの条文を読んだことがない日本人がほとんどでしょうね。
私も大人になって初めて全部読みました。そんな中で、この十条は私の人生に大きな影響を与えています。
いちおう原文を載せます。
十曰。絶忿棄瞋。不怒人違。人皆有心。心各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理能可定。相共賢愚。如鐶无端。是以彼人雖瞋。還恐我失。我獨雖得。従衆同擧。
まあ、漢文を見てもよく分かりませんよね。私ももちろん分かりません。
では、いろいろ辞書などを引きながら現代日本語訳してみましょうか。ワタクシ流の訳です。
第十条。心の怒りを絶ち、表情の怒りを棄てなさい。人が自分と違うことを怒ってはならない。人には皆それぞれの心がある。その心にはそれぞれ執着がある。相手が是と言えば自分は非と言う。自分が是と言えば相手は非と言う。自分が聖人ではないことは確かである。相手が愚かではないは確かである。二人とも普通の人間であるだけである。是か非かの判断をいったい誰ができるというのだろうか。お互いが賢く愚かなのだ。これは耳輪に端がないようなものである。こういうわけだから相手が怒っているとしても、むしろ自分の間違いを恐れよ。自分一人納得したとしても、みんなに従って同じように行動せよ。
どうですか。いい言葉でしょう。
自分(=コト)に対する執着を捨てよということで言えば、第一条の日本古来の「和」の精神、そして第二条の仏教の精神にも通じていますね。
結局、この十七条憲法は、太子自身もその殲滅に関わった「物部氏」の「モノ=他者」を重視する「和魂(にぎみたま)」を中心に据えるものなのです。
歴史の教科書では、古来の神道を信仰していた物部氏に、聖徳太子が仏教を信仰する蘇我氏と組んで勝利したと教わりますが、実は結果は逆なのです。
これぞ、最近の私が重要視している「国譲り」の本質です。負けて勝つ。無意識の深層で純粋に保存するという究極の日本の知恵なのであります。
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